日弁連ニュースを執行部意見の宣伝に使うな~その1~

 もうご存じと思うが、本年3月11日に日弁連臨時総会が開かれる。
 これは日弁連執行部が開催を決めたものではなく、弁護士300人以上が臨時総会を開くよう請求したため開催されるものだ。

 会員が請求して開催される臨時総会は、不勉強な私の知る限り、初めてではないだろうか。もしそうだとすれば、前代未聞の臨時総会を求めるほど、会員の中には、「執行部は会員の意見を取り入れてくれない!」という不満が高まっているということだ。そもそも、日弁連執行部が会員の意見をくみ上げたり、会員の意見にきちんと向き合っているのなら、ここまでのことにはならないだろう。

 会員が臨時総会を求めるほど不満を募らせているという事実があるのなら、執行部はその意見にきちんと向き合い、請求者案と執行部案のいずれが日弁連の意見として相応しいか会員の意見を聞くべき立場であるべきではないのか、と私は思う。

 ところが、日弁連執行部は1月22日の№15、1月26日の№16の日弁連ニュースにおいて、「執行部提出議案にご指示を!」と題して、執行部案への賛成を呼びかけている。

 №15では、「理事会では圧倒的に執行部案が承認された」と誤解を招く表現があるが、これは「執行部案が臨時総会に提出することを承認された」というにすぎず、決議は臨時総会での会員の投票に任されている。

 また、№16では、村越会長が「執行部案にご支持をお願いします」と大書してあり、会長を担ぎ出して執行部案への投票をおねだりするところまで来ている。もちろん請求者案提案の経緯や提案の趣旨の紹介は一言も見当たらない。

 もともと会員の意見を聞くべき臨時総会で公平な議論を期するなら、臨時総会請求者案と執行部案それぞれを根拠とともに示していくのが筋だろう。また、日弁連速報という以上、日弁連での動きを公平・中立的に伝えるべき媒体ではないのだろうか。日弁連速報を使って、日弁連執行部議案に賛成しろ、会長もそう言っているぞ、と言わんばかりのFAXを送りつけてくるのはフェアではあるまい。

 
 しかも日弁連速報は、会員の会費を使って送付されているはずだ。しかも会員全員にファックスしているだろうから、そこそこの費用がかかっているはずだ。そればかりではない。FAXが送られてくる各事務所のカウンター料金と紙代もかかるから、各会員の事務所にも負担をかけているんだぞ。分かってやってるのか。

 執行部議案を宣伝したけりゃ、執行部のポケットマネーでやって下さい。

(たぶん、続く)

常議員について~

 2016年度も大阪弁護士会の常議員になることになりました。

 確か2009年度から毎年常議員として常議員会に出席してきましたので今年で、8年目になります。

 大体、隔週の火曜日15:00~17:00に常議員会が開催されますので、仕事の面から言えば、実は結構な負担です。しかし、それでもなぜ常議員になっているのかというと、大阪弁護士会や日弁連が何をやっているかをうかがい知ることが出来、それに意見を述べることが出来る、貴重な場だからです。

 ただし、私のように無所属の方はほとんどおられず、常議員は各会派に人数が割り当てられ、各会派から選出されてくる方ばかりです。ですから、基本的には、重要事項に関する執行部の意向は、おそらく会派経由で事前に根回しされているため、意見は飛び交っても結果的に否決されることはまずありません。

 しかし、きちんと議事録が作成されますから、どんな質問でも執行部(理事者側)は真剣に回答してくれます。

 私は、おそらく若い方は、弁護士会に対して、たくさん仰りたいことがあるのではないかと思っています。今年度の選挙は終わってしまいましたが、今後、若手の多くの方に立候補して頂ければ、何かが変わるのではないかと考えています。

 常議員の立候補には2万円の予納金が必要ですが、選挙がなければそのほとんどが返ってきます。また、各会派も常議員選挙で会派推薦の人物が落選するなどというかっこわるい姿を見せたくないはずですから、無所属の立候補者が出ても、会派の割当を調整して無投票にすると思われます。

 執行部や日弁連のやることはおかしいとお考えの方、まずは常議員という手段もあるということを覚えておいて下さい。

 なお、常議員会は、申請すれば傍聴できるはずです。

 どんなものか、1度ご覧頂けると興味が湧くかもしれませんね。

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~まとめ~

 司法試験委員が採点に関する雑感で、法科大学院や受験生に望むことを、分かりやすく示してきたつもりだが、いずれの科目でも、共通して言われていることがあるように思う。

①正確な基礎知識の欠如~特に条文の知識、重要な論点でさえ理解不十分

②判例の勉強不足~判例の結論だけを覚えているような答案が多い。基礎的重要判例でも理解が不足している。

③論理的説得的文章力の不足

④論点主義的な答案の多さ

 ざっとこんな感じだが、このような意見が採点に携わった司法試験委員から、異口同音に、しかも毎年のように出てくるのは、かなりまずい事態だと思う。①~③は法律家として必須の基本的知識・能力であるし、④は旧司法試験で弊害だと指摘されていた点である。

 つまり、法科大学院は実務家養成のための制度であり、基本的にはその卒業生しか受験できない司法試験において、答案を見れば、多くの受験生において実務家として必須の基本的知識・能力が身に付いていないのだ。また、論点主義的答案がいまだ相当数存在しているということは、法科大学院が売りにしているプロセスによる教育が効果を上げられていないことの証拠だろう。

 また、採点に関する意見等で、毎年のように同様の指摘があることから、実務家教育として問題がある法科大学院教育が改善されていないこと、若しくは改善されているのかもしれないが、仮にそうであったとしても成果をあげられていないことが明らかになっている。

 文科省、中教審や、利害関係人の大学教授らは、その事実に背を向け、未だに法科大学院教育が素晴らしいと主張しているようだが、むしろその主張を維持すること自体が法科大学院擁護の教授達が現実を見ることができないことを示している。だって、採点者から見て全然良くなっていないんだから、当たり前だろう。

 現実を正しく見ることができない者に指導を受けた学生が、現実を正しく見ることができるようになるとは到底思えない。それに人格や豊かな人間性なんて、教わって身につくことじゃない。一般社会での経験が乏しいせいか、むしろ常識が欠如している大学教授だってたくさんいたりする。そういえば、試験問題を女子学生に漏洩した教授もいたな。そんなの常識以前の問題だろ。

 また、この現状を知ってか知らずか、法科大学院を法曹教育の中心だと言い続ける日弁連執行部も思考停止状態なんだろう。日弁連執行部は、以前の総会決議で法科大学院を中核とする決議をしたからと言い訳するようだが、臨機応変に事態に対応できなくて何が執行部だ。例えば、タイタニック号が予定航路を定めた後、急に寒波が襲ってきてその北よりの航路は氷山が流れてきて危ないと現場の航海士が言っているのに、1度決めたことだからといって律儀に北よりの航路を突進する船長のようなもんだ。アホだろ。

 設立当初から、その教育能力に疑問が呈され、10年以上かけても改善できない法科大学院に、国民の皆様はいつまで税金を投入しなければならないのだろう。

新宮高等学校同窓会に行ってきました。~

 今年の新年1月2日に、私の出身校である和歌山県立新宮高等学校の同期同窓会が那智勝浦のホテル浦島で開催された。生徒が卒業後22年後(つまり50歳になったとき)と32年後(つまり60歳になったとき)に同期同窓会が行われるのが新宮高等学校の伝統なのだそうだ。

 私の卒業した新宮高等学校はもちろん共学だ。建築科・土木科を除く普通科は、1組から10組まで存在した。

1年次において普通科の生徒はランダムにクラス割されるが、2年次からは進路別にクラス分けがなされていた。

私が高校生だった頃の新宮高校は、進路別クラス分けとして、

いわゆる文科と呼ばれる1~5組(就職する生徒もそこそこいるコース)、

文理科と呼ばれる6~9組(基本進学コースであるが、理数系大学は狙いにくいコース)、

理数科(理数系大学も狙える進学コース)と呼ばれる10組

にクラス分けされ、3年進級時のクラス換えはなかった。

私は1年のときこそ8組(1F8~1年普通科8組)でほぼ男女同数だったが、2~3年次は理数科(10組)に進んだ。

 毎年5~10名は理数系女子がいるというのが通例だったのだが、私の学年に限って言えば、ただの1人も女子はいなかった。つまり男女共学の高校に通いながら、男子クラスという、かなり厳しい状況だった。

 しかも、理由は分からないが学級のHRの場所が、他の同級生のクラスと別棟にぽつんと隔離された状況にあったことも厳しかった。通常の共学の男子クラスであれば、休憩時間になれば廊下を女子生徒が歩くことなどもあるだろうが、別棟に隔離されたクラスではそのようなことも起きようがない。特に体育祭のフォークダンスは辛かった記憶がある。

 その頃の私達は、ほとんどが純情少年であり、女子生徒とお付き合いしたいとか、現に付き合っている生徒を羨ましい等と思っていても、いざ具体的にお付き合いするとしたら、どんなことがお付き合いなのかさっぱり分からない、それどころか、女子とどんな話しをすればいいのかよく分からない連中も多くいた。

 同窓会では、当然というべきか残念ながらというべきか、席割は2・3年次のクラス別で設定されており、高2・高3を男子クラスで過ごした以上、同窓会で出会う顔ぶれも当然おっさんばかりだった。

 この歳になると、おっさんばかりの方が気を使わなくても良いのでかえって楽だということもあるが、クラスの同窓会幹事が、出席を呼びかけたところ「死んでも行きたくない」というクラスメートもいたらしい。彼が共学の中の男子クラスで送った高校生活に対し、どのような記憶を持っているかが窺えるではないか。

 それはさておき、私は、久しぶりに顔を合わせたクラスの仲間と話せて楽しかった。体育のときに坂野は足が速かったな、○○は走り高跳びが凄かった等の高校時代の想い出から、来ていないけどあいつはどうしているのだろうか、お互いの現在の仕事状況など、多岐に亘る話題で話が弾んだ。

 また、幸い私が1年だったときのクラスはまとまりが良く仲が良かったため、1F8の仲間のうち何人かとも楽しい時間を過ごすことが出来た。もちろん同じ中学校出身の何人かとも話すことが出来た。イデアの時代からブログを読んでくれていたり、HPを見てくれていた人もいた。

 大抵の仲間から、坂野は感じが変わったね~とか、お前誰?と言われることもあり少し面食らった。確かに当日は、ゴルフの後に出かけたこともあって、高校時代と異なりコンタクトレンズで出席しており、髭も生やしているし頭もかなり涼しくなってきているとはいえ、私としては何も変わったつもりはないので不思議に思い、どこが変わったのか聞いてみた。

 すると、昔はもっとガリガリにやせていた、今はおっきくなったし話しやすくなった、という感想が多かった。中には、真ちゃん苦労してきたんやなぁ、話し方で分かるわ・・・と同情してくれる友人もいた。ただ話してみると、やはり、坂野やなぁ・・・ということで本質は変わっていないことは理解してもらえたようだった。

 仕事柄、話しやすくなったという評価は嬉しいものだ。確かに高校時代は、今より遥かに尖っていたかもしれない。正確には尖ったふりをして、傷つきやすかった自分を守っていただけなのだろうけれども、そんな自分ですら今は懐かしい。

 本当に久しぶりに会ってみて感じたのは、みんな変わらないし、矛盾しているようだがそれでいてみんな変わっていっている、ということだ。

 話してみてもおそらく人としての本質は高校時代とそう大きく変わっていない気がする。そういう点ではみんな変わらない。それでも、高校卒業後、それぞれが一生懸命に頑張っているうちに、その頑張りがそれぞれの、人間としての魅力となって加わっているように思う。

 50歳ともなれば、生物学的には魅力は失せてくることは当然だ。しかし、人間の魅力はそれだけではない。経験からくる人間の底力としての魅力もある。

 仲間っていいもんだな~と思いつつ、再会を誓って私は会場を後にした。

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~国際私法~

今回は国際関係法(私法)を取り上げる。

(以下、採点実感に関する意見から引用)

5 今後の法科大学院教育に求めるもの
昨年と同様に,本年の「国際関係法(私法系)」においても,規定の趣旨を正確に把握した上で,必要があればこれを一般的な解釈論として表現し,事案へ的確に当てはめる能力の有無が問われている。
このことにつき,特に次の3点を指摘したい。第1に,明文の規定を的確に理解することが求められる(離婚の際の親権者との関連で述べたように,通則法第32条につき理解の精度が不足している答案が目についた。)。第2に,法規範が明文上完全な形では表現されていない場合,解釈による補充が求められる(通則法第27条について連結時点を意識していないと見られる答案が多数あった。)。第3に,法規範の抽象性が高い場合,解答を得るためには筋道立った推論が求められる(公序則の発動要件や鏡像理論との関連において,結論に至るまでの推論の過程を整然と示すことができない答案が多数あった。)。
これらの点を日頃から意識して学ぶことが必要のように思われる。

(引用ここまで)

【超訳】~試験委員の言いたいことを推測しての私の意訳

5 今後の法科大学院教育はこうやってもらわんと

 今年の「国際関係法(私法系)」の試験問題について言うたら、受験生に求めとるのは去年と全然変わってへんで。要するに、規定の趣旨を正確に(大体ではないで、正確にやで)掴んでもろたうえで、その趣旨を一般的な解釈論として表現してもらい、事案にきっちり当てはめる能力、~まあ、法律家に絶対必要な基本的な能力やね~これを身に付けとるかを問うてんねん。

 せやけど全然出来てへんから、特に3つの点について敢えて言わせてもらうで。第1に明文の規定を的確に理解してほしいねん。条文の理解なんざ法律家のスタート地点やろ。法律に書いとる条文の意味が理解できてへんかったら、そもそも法律家とはいえんやろがな。答案見とったら通則法32条の理解が足りへんもんが仰山あったで。

 第2に法規範は全ての現実を想定して作られとるわけやないし、人の考えたものやから、当然完全な形やない場合もある。そんなときは、条文が完全やないんやから、解釈でそのギャップを埋めなあかん。無理からその条文に事実を合わせこむなんざ、飛行機に身体を合わせろっちゅうような戦前の思想やで。きっちり条文を解釈して多くの人が納得するような形にしてから適用してやらなあかん。通則法27条のところの答案では不十分なやつが多かったな。

 第3に法規範は多くの状況に対応せなあかんから、抽象的な場合もようあるねん。法規範の抽象性が高いときは、結論よりも結論までにたどり着くまでの道のりがキモやで。何よりも筋道だった論理的で合理的な推論の過程をきちんと示すことが出来るかどうかや。それができへんのやったら、結論だけ書いとるのとかわらんで。公序則や鏡像理論の関連で、きちんと推論の過程を示せへん答案が続出やったわな。よう注意してもらわんと。

 基本的やし、当たり前のことやけど、少なくともこんな点を日頃から意識して学ぶことが不可欠やと思うな。ホンマしっかり頼むで。

各科目の超訳はこれで終了。

画家 諏訪敦先生~

尊敬している画家の諏訪敦先生から、今年も年賀状を頂くことが出来た。

年賀状が、美術作品そのものになっていて素晴らしい。

お忙しいであろうに、一言書き添えて下さったことも嬉しい。

本当にファンを大事にして下さる方だ。

早速、連絡先を見えないように付箋でマスキングして、額に入れて待合に飾らせて頂いた。

最近はお忙しいようでなかなかブログの更新も出来ない様子だが、ツイッターの方は比較的頻繁に更新しておられる。諏訪先生の優しい視線が感じられるツイッターは、私もいつも楽しみに拝見している。

今年は昨年以上に多くの方に、諏訪先生の作品に触れて頂き、何かしら感じ取ってくれたらいいな、と思っている。

人の心や魂に疲労が溜まったときに、芸術のように美しいもの、素晴らしいもの、感動を受けるもの、に触れないとその浄化は難しいように思う。

特に、人の心が荒みつつある昨今、芸術の力を感じさせてくれる諏訪先生の作品はより人々に必要とされていくに違いない、と私は思っている。

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~国際公法~

今回は国際関係法(公法系)を取り上げる。

(以下、採点実感に関する意見から引用)

4 法科大学院教育に求めるもの
法科大学院教育に求めるというほどのものではないが,採点して感じた最近の答案の傾向に1,2触れておきたい。第一に,国際法に関する基礎的な知識,すなわち国際法の基本的な概念や規則・原則について,その内容を正確に理解しかつしっかりと身に付けることの重要性を繰り返し強調しておきたい。一概にはいえないが,国際法の基礎的な知識を全般的に有しており,国際法判例や事例についても重要な論点を押さえつつ学習している者と,教科書の内容を記憶してはいるが関連する国際法規の成立根拠や実際の適用例などについて十分理解ができていない者との間の差が開いている印象を受ける。基本的な国際法判例まで学習の範囲が及んでいないか,又は一通り読んではいるが,重要な論点に対する判例の内容を把握し切れていないと思われる答案も相当数あった。国際公法を選択する受験者に対して一言述べれば,選択科目に割くことのできる学習時間には限りがある中で,国際法のテキストに共通して記載されている基本的事項及び基本的な判例集に掲げられている判例等について,内容をしっかり理解して学習してほしい。第二に,設問に対して結論のみを書いてその理由付けをほとんどしていない答案が毎年相当数ある。同様に,答案の論理構成をしっかり考えた上で読み手に分かりやすい文章を日常から心掛けるようにしてほしい。全体の論旨が読み取りづらい解答や国際法規則の設問事例への当てはめをどのように行ったのかが不明瞭な解答が今年も少なからずあった。規則の解釈にせよ,具体的事例への当てはめにせよ,法科大学院の学生には根拠付けや論理的整合性に注意する姿勢を日頃より身に付けるようにしてほしい。

(引用ここまで)

【超訳】~試験委員が言いたいことを推測しての私の意訳

4 法科大学院教育に求めるもの

 採点しとって感じたことについて一つ二つ述べたいねん。

 第1に、国際法に関する基礎的な知識、まあゆうたら国際法の基本的な概念や規則、原則について、内容を正確に理解ししっかり身に付けておいてほしいんや。応用ちゃうで。基本的な部分を、や。繰り返し強調するってことは、なんべんゆうても、出来てへんちゅうことやから、よっぽど気張ってもらわなあかんで。きちんと勉強ようしとる、ごく一部の者と、教科書はある程度覚えとるけど、なんで国際法規が成立しとるんかっちゅうこととか、実際に使われた例について十分理解出来とらん大勢の者との差がどんどん開いとる。基本的な国際法判例まで全然勉強できとらへんか、一通り読んでるかもしれんけど、重要論点に関する判例の内容を理解でけてへんような答案が、かなり仰山あったんやで。

 確かに国際公法は選択科目やし、あんまり時間かけられへん科目かもしれん。せやけど、国際公法を試験科目として選択するんやから、せめて教科書に普通載っとる基本的事項、基本的判例集に載っとる判例くらいは、内容をしっかり理解して勉強しといてほしいねん。ええか、やっといて欲しい言うてるのは、基本的な事項・基本的な判例やで。応用ちゃうで。誰でも理解しといてもらわなあかん部分やで。
 

 第2に設問あるわな。その問に対して、結論しか書かへん答案がかなりの数あるんや。今年だけ違うで、毎年毎年、かなりの数の答案が結論しか書いてへんねん。法律家っちゅうたら、理屈で相手を説得せなあかんのやろ?それやのに理屈も理由も無しに、結論これですわ、ゆうても誰も納得せえへんで。裁判で理由も無しに負けさせられたら誰が納得するかいな。答案の論理構成をしっかり考えて、読んどるもんに、分かりやすく説明できるよう日本語を磨かなあかん。読んでもなに言うてんのか分からん答案や、どないして国際法規を問題の事例に適用しとるのかさっぱり分からん答案も、結構あったんやで。今年だけやのうて、前からやけど、だんだんひどうなるな。

 規則を解釈するときも、具体的事例に適用するときも、法科大学院の学生さんは、きちんと根拠付けすることや論理的に矛盾せんようにすることに日頃から注意せなあかんで。これは逆に言うたら、きちんと根拠付けせん奴や、論理的矛盾があっても平気で矛盾のまま論じとる奴が、多いっちゅうことや。

 一体どないになっとんのやろうな。

(続く)

司法試験委員が法科大学院に求めるもの~環境法~

今回は環境法を取り上げる。

(以下、採点実感に関する意見より引用)

【学習者と法科大学院教育に求めるものについて】
第1に,法科大学院の環境法の授業では,規制の仕組みが概説されているものと思われるが,特に主要な法律の基本的規制システムについては,テキストの概説をするだけではなく,実際に法令集を参照しつつ,条文の文言に即して理解させてほしい。また,学習者においては,法律の仕組みがなぜそうなっているかを考えつつ,学習を進めていただきたい。
第2に,環境個別法についても,一つ一つの条文だけではなく,法律の目的規定から法律の仕組みを捉え,問われている論点について,法律全体的観点から捉えることができるような学習を進めていただきたい。
第3に,環境訴訟については行政訴訟と民事訴訟の双方についてまんべんなく理
解を進めるよう指導及び学習をお願いしたい。

(引用ここまで)

【超訳】~司法試験委員が言いたいであろうことを推測して補った上での意訳

 学生さんと法科大学院に言いたいこと

 まず法科大学院の授業で、規制の仕組みはホンマにちゃんと説明されとんのかいな?全く分かってないみたいやねんけどな。特に主な法律に定められとる基本的な規制システムについては、テキストをおおまかに読むだけやのうて、実際に法令集読ませて、条文の文言に沿って理解させたってほしいねん。「主な法律」の「基本的な」規制システムすら出来てへんから言うてんねんで。何も細かい規制を知っとけと言うてんのとちゃうで。環境法分野で、主要な法律に定められた基本的な規制システムすら分かってへんのやったら、それで環境法勉強しましたなんて言えんわな。試験科目なんやで。ホンマに大丈夫か法科大学院教育は。それと、勉強しとる学生さんは、法律の仕組みがなんでそないになっとんのかしっかり考えながら勉強せなあかん。考えもせず覚えるなんてアホのやることやで。教え方の問題もあるのかもしれんけど、それでも答案から見たら、しっかり考えることが出来てるようには見えへんのや。

 次に、環境個別法って言われとる法律についても、一つ一つの条文だけやのうて、なんでその法律が定められとんのか、っちゅうところから法律の仕組みをよう考えて、問われとる論点について、法律全体から見たらどうなるねん、と考えられるように勉強してってもらわなあかん。一つ一つの論点だけやっとってもアカンねん。法律全体的観点が出来てへんちゅうことは、言い換えたら論点主義に陥っとるかもしれんっちゅうこっちゃ。論点主義があかんいうて法科大学院教育になったはずやろ、暗記はあかん、プロセスによる教育がいるゆうて、法科大学院に国民の血税を投入させたんやろ?それでこのざまかいな。国民の皆様に謝らなあかんで。

 最後に、環境訴訟は行政訴訟と民事訴訟にまたがる問題や。当然その理解がないとまともな答案は書けへんで。行政訴訟も民事訴訟もきちんと理解させるよう教えたらなあかんし、勉強する学生さんもそこんとこよう分かって、きっちり勉強しとかなあかん。

 なんべんも言うけど、出来てへんから言うてんねんで。特に今年ひどいから、「出題の意図と解答に差異がある原因」まで、敢えて書いてやってんねん。こんなん書かれるっちゅうことそれ自体が、実務家を養成して見せますって大見得切ったはずの法科大学院の赤っ恥や。せやけど、敢えて書かなアカンくらい壊滅的になってきたっちゅうことや。

(続く)

あけましておめでとうございます。~

あけましておめでとうございます。

とても暖かく穏やかな新年であったように、新しき年が、皆様にとって、良き一年であるよう祈念しております。

今年も、ウィン綜合法律事務所をよろしくお願い致します。

ウィン綜合法律事務所 代表弁護士 坂 野 真 一

※写真はストックホルムで撮影したものです。