白熱の予感!~第二東京弁護士会会長選挙

 東京以外の方はご存じないかもしれないが、実は東京には弁護士会が3つある。

 東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会である。

 その第二東京弁護士会の会長選挙で、道本幸伸候補が、(日弁連会費を除く)弁護士会費を無料にする公約を打ちだして、話題になっている。

 道本候補の選挙公報を見ると、東京の弁護士会三つを統合し、弁護士会館の空いたスペースを貸し出して収益を得ることにより弁護士会費の無料化を図り、更に統一した東京の弁護士会で大きく動いて仕事を獲得して会員にまわすという骨子のようだ。

  高額にすぎる弁護士会費と、そのような会費を取りながら会員のための施策が感じられない弁護士会に対して、会員の不満が存在していると考えての立候補だろう。大阪から見ていると東京はまだ弁護士業界の景気はマシに見えるのだが、実際は、一般会員の疲弊度や不満は相当積もっているのかもしれない。

 もしそうだとすれば、これはかなり面白い戦いになる可能性がある。若手は無所属も多いだろうし、会派の締め付けが効かない可能性もある。しかも近年の合格者激増で、若手の方が人数は多いのである。

 おそらく、現在の第ニ東京弁護士会の主流派だけではなく、東京三会を牛耳っている主流派(場合によっては一緒につるんできた大阪弁護士会の主流派も)は、連携して全力で道本候補の当選を阻止しようとするだろう。これまで各弁護士会の会長ポスト等を目指して、せっせと雑巾がけをしてきたセンセイ達も多いだろうし、これまで牛耳ってきた弁護士会に波風が立つと困るだろうからだ。

道本候補の選挙公報等は次のHPから読める。

http://合併.com (上手くリンクが張れなかったので、コピペしてご使用下さい。)

 一方、大阪弁護士会は昨日の常議員会で、いわゆる谷間世代に対する10年間で84万円の減額案を総会に提出することに決定した(反対は私を含め2名のみ)。会員数比で2割の谷間世代が、残り8割の会員の犠牲の上で、会費減額を受けることになる案だ。

 ニ弁の会長候補の会費無料政策の公約が出るくらいの状況下で、多くの会員の高額会費に対する不満についての空気を読めない大阪弁護士会執行部が、谷間世代以外の8割の会員の怒りを買わなければよいのだが・・・・。

 とにかく、今年の第ニ東京弁護士会の会長選挙は白熱の予感がする。

第70期司法修習生~1月11日時点で未登録者約10%

 本日の常議員会で、昨年12月に司法修習を終了した者の進路についての報告があった。

 2回試験合格者1563名

 裁判官として任官する者 65名 ←この少なさは現在分析中とのこと。

 検察官として任官する者 67名

 平成30年1月11日時点で弁護士登録した者 1275名

 したがって、1月11日時点でも司法修習を終了したにもかかわらず就職先がない者、即独もしていない者の人数は156名となる。

 およそ10%の者が、通常就職可能な時期から1ヶ月経過しても、就職も独立もできていないことになる。

 朝日新聞が昨年11月28日付夕刊で、「企業にモテモテ 法科大学院」との記事を掲載していたことを、ご記憶の方も多いだろう。そんなにモテモテなら、法科大学院卒業生は引く手あまたのはずで、就職出来ない事態など考えられないはずである。

 法科大学院卒業生の司法試験合格率は昨年のデータによる単純計算で6308人中1253名だから、(運・不運はあるものの)大まかに言って、法科大学院卒業生のうち成績が良い上位20%弱が司法試験に合格したと考えてよいだろう。

 企業だって、法科大学院卒業生のうち、成績のより良い人材を雇用したいと考えるだろうから、モテモテの法科大学院卒業生のうち、司法試験に合格している人材は、更にモテ度が高いと考えても、そう間違いではないと思う。

 ところが、その法科大学院卒業生の上位20%弱が司法修習を経て弁護士としての資格を得ても、10%が就職もできずに職にあぶれている状況なのだ。

 企業にモテモテのはずの法科大学院を卒業し、法科大学院卒業生としてもおそらく上位の成績を有し、弁護士資格まで有している人材のうち、10人に1人が、職に就けていない。マスコミで人材難が報道されているこの時代に、である。

 司法試験に合格出来なかった法科大学院卒業生の就職戦線の厳しさは推して知るべしだ。単に法科大学院卒業というだけで、企業にモテモテなんて、そんなお気楽な現状は、修習生の就職状況に鑑みれば、おそらく存在しないだろう。

 いくら、広告を打ってくれるお得意様の法科大学院に対する援護射撃とはいえ、あまりにも現実離れした報道で世論を誤導するのは、いかがなものかと思うぞ。

諏訪先生からの年賀状

 先日、知人から、今年は諏訪先生からの年賀状のブログ記事がないね、と指摘されたので念のため書いておく。

 今年も、画家である諏訪敦先生から年賀状を頂くことができました。

 諏訪先生のブログやツイッターを拝見する限り、相当お忙しくされていたご様子だったので、今年はお忙しくて無理かもしれないと思っていたから、余計に嬉しかった。

 昨年の個展で展示されていた、「Yorishiro」の絵はがきで頂いた。

 だから、その絵はがきを見た際に、昨年11月に実際の個展で「Yorishiro」を見た際に感じた想い、また、絵の前で絵を見ずに椅子に座っていても目の前にその絵があるというだけで、視覚を介さずに私の感覚へと直接放射されてくるかのような澄みきった想いを感じながら、半ば呆然と佇んでいたときの自分の心の感覚が、蘇った。

 月並みの言葉かもしれないが、やはり芸術って凄いと思う。

 身体の疲れは休息で回復出来るけれど、心や精神に、日々知らぬ間に積もっていく疲れや汚れは、やはり美しい自然や、芸術でないとリカバー出来ないような気がする。

 少し無理してでも博多まで出かけて、諏訪先生の作品を見ることができて、本当に良かった。

 頂いた年賀状を眺めながら、私は再度そう思っていた。

ps 「Yorishiro」には、加古隆さんのピアノ曲「白梅抄-亡き母の」が、よく合う気がする。

日弁連副会長の選考方法とクォータ制度の女性副会長選考方法

 一般会員でご存じの方は多くはないだろうが、大まかにいえば、日弁連副会長は、各単位会等で選出される日弁連代議員の投票による選挙で行われるのが建前である。

 しかし、現実には選挙による方法ではなく、慣例によって各弁護士連合会等からの推薦者を承認する方法がとられている(例えば近畿弁護士連合会では、日弁連副会長候補に大阪弁護士会の会長、それと大体持ち回りで他の近畿圏の会長1人を推薦するのが慣行のようだ)。

 しかも、代議員に対しては、事前に「選挙によらない方法による選出になった場合の役員候補者リスト」も配布されていたりして、代議員会で選挙をするつもりは、さらさら無いことがよ~くわかる仕組みになっている。

 ここ数年、私も日弁連代議員として参加してみたが、毎年、議長が「規定では選挙になっていますが、いかが致しましょうか」等と問うと、必ず「選挙による方法以外の方法で行うべし」とする意見が出て、みんなが承認して進めていくという、形式的儀式のような進行となる。

議長に対して意見をいう人も事前に決められているらしい。意見を具申するのは大体、東京の弁護士で、他の役員選挙に関する意見も含めて、それぞれ東弁、一弁、二弁が分担しているようだ。発言内容も毎年ほぼ同じで定型化している。

 その場で、仮に代議員の1人が、「私が副会長に立候補しますから選挙にしてください!」といった場合どうなるのかという素朴な疑問もないではない。おそらくは、「役員選任規程では出席議員の2/3以上の賛成で選挙以外の方法による選出方法が認められている。」などとして、立候補希望者が存在して、日弁連会則の原則通り選挙にしてくれといっているにもかかわらず、選挙によらない方法を採用するのだろう。

 ただ、かなり強引な気もするので、一度誰かに試して欲しいような気もするところだが。

 なお、日弁連のHPを見てみたが、役員選任規程に単記無記名投票によるとの規定はあるものの、副会長選挙に立候補するための詳細な規程は、すぐには見つけられなかった(実際にはあるのかもしれないが)。ということは、これまでの日弁連代議員会で、日弁連副会長職が選挙となったことはないのかもしれない。

 通常の副会長の選任実態が推薦~承認となっていることから、クォータ制の特別枠副会長も、おそらく日弁連代議員会に推薦する形式になっているのだろうと思っていたが、やはりそうだった。

 ただ、推薦してもらうまでの道のりがなかなか大変だ。

 規則によると次のような段階をふむ必要がある。

 ① クオータ制実施のための副会長候補者推薦委員会(以下「推薦委員会」という。)が、弁護士である会員、弁護士会、弁護士連合会に対し、男女共同参画の観点から相応しい女性会員を推薦(第一次推薦)するよう要請する。

 ② 第一次推薦には推薦理由が必要であり、会員による第一次推薦に限り50人以上の推薦が必要とされている。つまり、弁護士連合会や弁護士会の推薦には推薦人を集める必要もなければ理由も不要ということになっている。

 ③ 第一次推薦のあった者に対して、推薦委員会に出席を求めて質問するなどした上で選考のための審議を行い、最も適任と認められる副会長候補者2名を選出する。

 ④ その2名について日弁連代議員会に推薦する(第二次推薦)。

 また、推薦委員会のメンバーは、つぎのように定められている。
 1 東弁、一弁、ニ弁、大弁の推薦する委員が各1名ずつ。
 2 各弁護士連合会(北海道・東北・関東・中部・近畿・四国・中国・九州)の推薦する委員が各1名ずつ。
 3 男女共同参画推進本部長と、本部の推薦する委員3人

 お分かりのように、各弁護士会、弁護士連合会を抑えている主流派が推薦する会員が選考委員となる以上、選考委員の結論が主流派の意向に反したものになるはずがない。結局は委員をコントロール可能な主流派が、事実上副会長を選べる仕組みとなっている。ちなみに、現在の推薦委員会の委員長は、現職の日弁連会長である中本和洋先生が務めている。

 このような人事をやっていれば、男女共同参画の理念よりも、日弁連執行部のイエスマンの副会長が増えるだけのような気もするが、果たしてどうなのだろうか。

 なお、大阪弁護士会会員専用HPには、1月15日付け新着情報として、推薦委員会からクォータ制度女性副会長候補者の推薦を募る文書がアップされた。その文書によれば、一般会員は推薦人50名を集めなければならない期限は2月2日までとされている。

 だが、面白いことに、1月16日の常議員会で明らかになった近弁連の報告によれば、近弁連では、クォーター制度の副会長候補者の女性弁護士は既に決定されているとのことである。
 確かに、推薦を募る文書の発令日時は昨年12月27日であるから、近弁連がそれを受けて候補者を先に決定していてもおかしくはない。しかし、一般会員に対する情報がHPで公表された1月15日よりもかなり前に、すでに近弁連の推薦するクォーター制度の副会長候補者が決定しているということは、なんだかなぁ~という気持ちをおさえきれないところだ。

 あんまり会員をなめていると、大変なことになるのではないか。

 ツイッターでは、新弁護士会設立構想というアカウントが動き出しているようだ。

 いつかは出るかもしれないと思っていた動きであり、要注目だ。

いわゆる谷間世代の会費減額問題~その4

(続き)

 それに加えて、会長の説明する、「統一的連続的な法曹養成の基盤の問題として谷間世代の救済を行うべきではないか」との提案も、筋が通らない。

 日弁連が統一的な施策をとるのならともかく、各単位会によって、谷間世代の対応を行うところもあれば、そうでないところもあるはずだ。対応の中身だって同じではあるまい。

 現に実行されている東京三会の対応も、全然違うものだし、そのような各単位会任せの状況で、どうやって統一的な問題対応になり得るのだろう。

 更にいえば、法曹養成の基盤の問題といわれるが、谷間世代であっても、既に立派に法曹にはなっている。それを法曹養成の基盤の問題というのもなんだかおかしな話だ。

 会長が強調していた、「弁護士会の目指す対外的対応と会内(谷間世代救済)措置は両立しうる」、という意見が日弁連でも相当強くあったとの報告も、なんの説得力もない。

 もともと国は、給付金制度を谷間世代に遡求的に適用しないと明言しているし、「貸与制の返済がきつければ、世界的にも異常に高額な弁護士会費を下げて対応すればいいだろう」という国会議員などの意見が強力に存在しているのが現状だ。

 その状況下で、国会議員様・財務省様の仰せの通りです、といわんばかりに弁護士会費減額等の対応をとって谷間世代救済策を行えば、「それみたことか、弁護士会の会費が高すぎたのが問題じゃないか。しかも減額してもやっていけているではないか。弁護士会が対応したのだから、もう国が対応する必要はない。」と評価され、谷間世代の救済を国に求めている行動に必ずや水を差す結果になることは、誰にだって分かるはずだ。

 要は、理論的に両立しうるかということではなく、外部から見て、救済策がどう評価され、どう運動に影響するかの問題だ。その点から考えると、日弁連で強く出たというこの意見は結局、屁理屈に過ぎないというほかない。

 担当副会長からの説明では、「現在大阪弁護士会には10億円以上(但し、この数字は担当副会長の発言を、一応私なりに遠慮して控えめに変更した数字である)の使途の定まっていないお金があり、それをどう使うかの問題である。谷間世代以外の会員の会費を値上げするわけではないから、谷間世代以外の会員の犠牲はない」との説明もあったが納得出来なかった。

 そもそも大阪弁護士会の会費は、大阪弁護士会とその活動を維持するために必要なお金として、会員から徴収しているお金のはずだ。そのお金が余っているのであれば、それは必要以上に会費を徴収していたことになるから、本来であれば会員に返却すべきお金のはずだ。余っているお金だから良いじゃないかという単純なお話しではないのである。

 また、谷間世代以外の会員の会費が値上がりするものではないから犠牲はないという説明も、はっきりいえば詭弁だ。本来返却すべきお金を返却しないのだから、一見見えにくくても、谷間世代以外の会員の負担が相対的に大きくなっていることは変わらないのだ。

 このように、谷間世代からの要望もない、谷間世代の要望の有無について調査もしていない、立法事実も存在しない、統一的連続的な法曹養成の基盤という説明ともそぐわない、谷間世代以外の会員に負担をさせて救済するという不公平を新しく作りだす、何より給費制復活・谷間世代救済を目指して頑張っている委員会・本部の活動に水を差すに違いない、このような救済策を、何故執行部が詭弁や屁理屈までこねて意固地に通そうとするのか。

 この点、ある常議員の先生が、「この制度は給費制復活運動や国に対する谷間世代救済要求をあきらめるなら、意味があると思う」という趣旨の発言されたことで、ふと思い至った。

 これは邪推のレベルに至る推測かもしれないが、おそらく、日弁連は給付金制度導入と引き替えに、給費制復活運動と谷間世代を切り捨てる密約をしたのだ。そして、その運動を沈静化させることまで約束して、給付金制度を合意させたのではないか。

 多くの谷間世代が所属する大規模会が谷間世代救済を行えば、過半数の谷間世代を沈静化させることは不可能ではない。弁護士会からの救済を受けた谷間世代は、更に国に対して免除を求める行動は、おそらくやりにくいし、仮に出来たとしても相当弱体化するだろう。

 また、弁護士会が谷間世代を救済する施策をとった以上、もともと谷間世代を切り捨ててきた国側も、弁護士会の会費が高すぎたのが問題であって、弁護士会が対応したのだから、不平等が仮にあっても事後的に是正されており、もはや国側が対応する必要はない、と主張し易くなる。

 日弁連は給付金制度を勝ち取ったと主張でき(大阪弁護士会執行部は、私達が救済施策を実施したと胸を張れるし)、谷間世代も筋違いではあるがある程度の救済を受ける者が過半数を超え、国側も面倒な対応をしなくて良くなる可能性が高い、という点で、三方丸く収まるし、日弁連も顔が立つ、といった案配だ。

 仮に上記の推測が的を射ていたとして、谷間世代の救済策が大規模会で行われれば、日弁連執行部の(表面上は谷間世代の対応を国に求める活動を支持しながら実際は切り捨てたという点での)後ろめたさも少しは解消されるだろう。ただし、実際には他の会員が納めた会費を使っての施策という点で、いささか狡い構図にはなることは避けがたい。

 だが、その施策は、給費制復活と谷間世代の救済を求めて真剣に活動してきた会員をないがしろにするばかりではなく、谷間世代以外の会員の経済的犠牲があって初めて成り立つ代物だ。だから慎重に検討をする必要があるはずだ。

 前にも触れたが、もっと良い方法がある。

 大阪弁護士会の中の話になるが、①谷間世代を救済したいと考える会員は会費減額を受けずに従来どおりの会費を支払う、②救済は筋違いだと考える会員は現在の会費の余剰が増加しない程度に会費減額を受ける、③その上で救済したいと考える会員が支払った会費のうち減額を受けなかった部分(それに救済したいと考える弁護士からの寄付)を財源とし、谷間世代のうち救済を受けたい者に申告させて、その財源の範囲内で会費免除を行う方法だ。

 もちろん、困っている谷間世代の人を救済する施策なのだから、本当に救済を必要とするだけ困っているかについての所得調査は必要になるだろう。

 会員によって意見は違うだろうから、多数決で決めてしまうより、よほど公平で理に適っている制度ではないだろうか。確かに会費の額が一律ではなくなってしまうが、会費の一律性については、若手優遇で既に崩れているし、なにより、この救済策自体が、谷間世代の会費を減額するということで、会費の一律性を無視するところから始まっている制度のはずだ。

 特に谷間世代を救済したいと願っている執行部の先生方は、もちろん会費減額を求めないだろうし、救済のためには私の私財を財源にして下さいと、寄付すらしてくれるかもしれないぞ。

 まさか、救済したいけど、それは他人の金で、なんてずるい言い方はしないだろうと信じたいところだ。

 いずれにせよ、真剣に情報を得て、しっかり考えていないと、執行部は何をやらかしてくれるのか分かったものではない場合がある。

 日弁連や弁護士会執行部は必ず弁護士全体のことを考えてくれていて、悪いようにするはずがない、と盲信することは、極めて危険なのだ。

 「わるいようにしないから」という言葉は、悪いようにするときにこそ、使われる言葉でもある。

 しっかり問題意識を持って、見守る必要があるだろう。

 来週の常議員会で、この議案が総会に提出されるかの議決がとられる予定である。興味ある方は常議員会を傍聴されてみるのも面白いかもしれない。

(この項、一応終わり。)

いわゆる谷間世代の会費減額問題~その3

 先日の常議員会で、再度、谷間世代の会費減額問題について討議がなされた。

 ちなみに、前回の常議員会では、司法修習費用給費制緊急対策大阪本部が谷間世代の会費減額に反対の答申を出しており、財務委員会は賛否については高度な政策的判断だということで賛否留保、少なくとも賛成はしていない。

 また、今回の常議員会までの間に、司法改革検証・推進本部からの答申があり、やはり会費減額を行うべきではないという答申が出されていた。

 つまり、執行部が諮問した委員会等からは、「谷間世代救済のために会費減額を行う」という執行部案に賛成の答申は出ていないようなのだ。

 しかし、執行部は谷間世代の会費減額を実行しようとする案を臨時総会に提出する議案を撤回しようとしない。執行部自身が必要と考えて諮問した委員会(いわば現場の最前線)が賛成していない案であるにもかかわらず、反対意見を無視してまで何故強行しようとするのか、とても疑問に思えた。

 小原会長が、担当副会長に続いて日弁連等の動きも含めて説明をしたが、その内容は概ね以下のようなものだった(不十分な手控えによるものなので、どこまで正確なものかははっきりしないことにご注意。詳しくは議事録を参照されたい。)。

 すなわち、給付金制度が実現出来たのは、法曹人材の確保が立法事実として説得力があったからで、給付金と引き替えに弁護士の社会貢献義務の提案もあったが、なんとかそれを抑えることができた状況にあった。
 その上で、法曹三者の協議と国会議員との攻防の末、谷間世代には遡求して給付金制度を適用しないことが附則で定められた。
 給付金制度の創設により、司法予算が増やされるわけではなかったため、司法予算が食われてしまい、法曹三者の信頼関係の再築が問題にすらなっている。
 日弁連は、谷間世代の抜本的救済を求めてはいるが、谷間世代とその他の世代の不公平・不平等では立法事実としては不足であり国会議員を説得出来ない。また貸与金返済に起因する弁護士活動の困難化の主張も立法事実としては不十分であるといわざるを得ない。
 そこで、弁護士会としては、統一的連続的な法曹養成の基盤の問題として谷間世代の救済を行うべきではないかと考えた。
 なお、給費制復活を目指す日弁連の対外的活動と、弁護士会内の救済措置は両立しうるという意見が日弁連で相当強くあった。
 大規模会である、東京3会(実施中)、大阪、京都(検討中)、福岡(検討中)の他、鳥取でも検討されており、鳥取の動きが全国的に広がるかもしれない。

 ・・・概ねこういう理由であったように思う。

 この説明に対して、司法修習費用給費制緊急対策本部等が反対している以上、取り敢えず総会には議案を提出して、総会できちんと議論出来る場を設定するように要望するという意見も出た。
 確かに、傾聴に値する御意見ではあるが、一度総会議案にされてしまえば、危ないと考えた場合には執行部が会派を動員して委任状集めをするし、多くの弁護士は無関心なのか、執行部は変なことはしないと信じているのか知らないが、執行部案に漫然と賛成票を投じるのが、少なくとも私のこれまでの経験だ。
 以前に一度、法曹人口問題に関して、執行部が当初の案から弱気な案に変更した際に、当初の案を貫くべきだとして賛成者を募って総会で戦ったが、大敗した。
 このことからも、会派動員による執行部側の委任状集めの圧倒的な力と、議案もおそらくほとんど検討せずに漫然と執行部を支持することで足りるとする層が多いことを、私は経験済みなのだ。

 だから執行部も、常議員会で総会に議案提出することを可決してしまえば、その議案は実行出来ると、ふんでいるはずだ。

 そもそも、国の施策で貸与制になった谷間の世代が、本来対応を求めるべき国に対してではなく、貸与制を導入したわけでもない所属弁護士会に対して、他の弁護士に会費負担の犠牲を強いてもいいから、自らを救ってくれと懇願するのだろうか。

 私が尋ねたところ、そのような谷間世代の要望に関する調査を、執行部が行ったことはどうやらないようだ。だとすれば、執行部の主張する谷間世代を救済する必要性は、勝手に執行部がそう考えているだけであって、なんの具体的な根拠も存在しないことになる。

 このように谷間世代が、具体的な声を弁護士会に対してあげていない段階で、谷間世代はきっとそう考えていると決めつけて、あるいは忖度して、他の弁護士の犠牲の下で、谷間世代の会費減額を強行することは、谷間世代に対する過保護である。

 そればかりではなく、「国に対して貸与制の問題を堂々と主張すべきであって、他の弁護士の犠牲を強いて行われる筋違いの救済など私は求めない」とお考えになる谷間世代の弁護士の方々もきっといるだろうが、その方々の矜持を汚す侮辱的な提案ともいえるのではなかろうか。

(続く)

オオカミのこと

 私は、犬好きであるということもあって、絵本などでは悪者にされていることも多いが、犬の祖先と言われるオオカミも相当好きだ。

 動物園に行ったときには、オオカミのコーナーがあれば欠かさず見に行くようにしているし、大抵は、しばらく見ている。

 オオカミも動物園によって、元気さが全然違っている。概ね日本の動物園で飼育されているオオカミは、あまり元気が感じられない気がする。スウェーデンのスカンセンでも雪の上で寝ているオオカミを見たが、あまり元気はなさそうだった。

 一方、プラハ動物園ではそこそこ広いオオカミの野外展示場があり、比較的自由に活動しているように感じられた。しばらく見ていると、若い一頭のオオカミが群れの掟に従わなかったのか、数匹のオオカミに焼きを入れられている場面にも遭遇した。順位が上のオオカミのうなり声にも相当迫力があったことを覚えている。

 私のブログ(非公式)の方に、写真入りで載せたが、人が繁殖させたオオカミと遊べるということをネットで知り、北極圏にあるノルウェーのトロムソという街から更に遠い、人里離れた「ポーラー・ズー」に出かけたこともある。

 はるばる、行ったのに、ポーラー・ズーでは、お客が少ないので今日はやらないと言われたことは、痛恨であったが、そこで見た、一頭のボスらしきオオカミは、何とも言えない威厳をもって、あたりを見下ろしていた。

 その姿は、本当に格好いいものだった。

 機会があれば、ポーラー・ズーに是非再チャレンジしてみたいと思っている。

大阪弁護士会若手の方、常議員になって下さい!

 私は、もう随分前から大阪弁護士会の常議員を務めさせて頂いている。大体2~3週間に1回火曜日の15:00~17:00の予定で、常議員会は開催される。

 常議員会では、大阪弁護士会の意見を決めたり、総会提出議案や日弁連の諮問に対する大阪弁護士会としての立場を決めたりする。

 普段の弁護士生活では、なかなか知り得ない執行部や日弁連の活動や思惑を知ることができるまたとない機会だ。

 若手の方の常議員がもっと増えれば、常議員会も若手を無視した施策をとりにくくなるのではないかと私は考えているが、なにぶん、会派で選出されてくる常議員の先生は私よりも先輩の弁護士が相当多い。人数比からすれば、女性クォーター制度を採用した日弁連副会長よりも歪んだ構成になっているはずだ。

 常議員も建前上選挙で選ばれることになっているが、実際には、各会派から常議員候補者が推薦されて出てくるので、選挙が行われたことは、私が知る限りないと思う。また、無所属の立候補が20人もいれば別だろうが、万一選挙になって会派のエライさんが落選したら大変だろうから、無所属で立候補しても、おそらく会派が順番に常議員数を減らして、選挙にならないように対応するはずだ。

 立候補といっても、立候補用紙をもらって記入し、選挙費用の2万円を添えて提出すれば足りるし、選挙がなければそのほとんどが戻ってくるから、費用の問題は考えなくても良いくらいだ。

 また、執行部にも、若手の発言や、跳ねっ返りの私の反対意見を聞いてくれるだけの度量はある(取り上げてくれることはまず無いが・・・)。

 執行部には、若手のことを本当に考えているのかわからない施策や無駄な施策が多いと問題を感じる若手の方がどんどん立候補してくれれば、少しずつ執行部のやり方を変えていけるかもしれない。

 確かに平日の午後に時間をとられるのは面倒だ。そして、面倒なことは誰かにやってもらった方が楽は楽だ。

 しかし、自分達のことを決めるのにずっと他人任せで良いものだろうか。

 特に、若手の方の立候補があればと、強く願う昨今である。

年賀状

 昨年大晦日に帰省して、1月1日・2日と実家で過ごした。

 姉と甥・姪も実家にきており、なかなか賑やかなお正月だった。

 甥と姪は医学生で、甥は卒業試験と国家試験が、姪は定期試験が近いとのことで、それぞれが勉強道具を持ち込んでおり、TVの点いたダイニングで、姉と話したりしながら、あまり、身にならないような勉強をしていた。

 新年に年賀状が届いたが、両親から、年賀状を出すのは、今回でもう終わりにするのだ、と聞かされた。

 本文などはプリンターで印刷ができるようになったものの、宛名を書くのが大変で、パソコンでの宛名管理も難しいからだという理由だった。

 思えば、両親の年賀状作成は、私にとっても年中行事の一つであり、古くはガリ版で一枚一枚ローラーで印刷していた。原案は大抵母親が考えていたように思う。ずれないように慎重に年賀ハガキをセットして、ローラーを動かし、ガリ版にくっついたハガキをはがす手順で、どんどん印刷していたように記憶している。

 途中で、ガリ版印刷はプリントゴッコに代替わりし、カラーでの印刷ができるようになった。最後には、パソコン経由でプリンターを使用していたようだ。

 しかし、私には寒い畳の上で、ガリ版で印刷し、乾かすために、霜焼けになった手を暖めつつ部屋中に年賀状を並べる役をさせられていた頃が懐かしい。

 両親の年賀状の作成が始まると、もう年末なんだ、という思いを強くしたものだった。

 年賀状に関わる作業はそれだけではなかった。新年に年賀状が届くと、こちらから出していない相手がいるかの確認作業があった。年賀状を出した人についてア行・カ行・・・と名前を記載した手書きのメモを作っておき、届いた年賀状をチェックして確認するのである。もし、出していない人から届いていた場合は、できるだけ早くこちらからも年賀状を出すようにしていたようだ。

 一応、ア行・カ行・・・と分類されているものの、完全なあいうえお順にはメモは作られていなかったうえに、手書きの文字が読みにくかったりして、家族が年賀状チェックを手伝うこともあった。

 そして、最後のお楽しみは、年賀ハガキくじの当選確認だ。ほとんど末等の切手シートしか当たらなかったが、その確認を任されると、何となく楽しかった記憶がある。

 今年からは、両親も年賀状の作成・チェックという、作業をしなくて済むことになる。

 両親に対して老婆心からというのも失礼な話だが、年賀状に関わる作業をしなくて済むことで、却って寂しさを感じはしないかと、私は、少しだけ老婆心から心配していたりする。

日弁連副会長の発言もなあ・・・・

 弁護士ドットコムニュースで、日弁連副会長の関谷文隆弁護士が、司法試験に関して次のような発言をしている。

「『司法試験』を固定して考えていると、どうしても合格率に目がいきがちです。

しかし、合格率のみに目を向けるのではなく、まずは『未修者コースでも、法科大学院の教育を3年間受けて修了すれば、司法試験に合格する』という設計にすることが重要です。

現状において、このような司法試験の設計になっていないことは、反省すべき点だといえます。はたして設計通りの司法試験といえるのか?という問題は常に検証を要するもので、毎年議論されています。」

https://www.bengo4.com/c_18/n_10324/

から引用(下線は筆者が付したもの)。

 ずいぶんもってまわった言い方をしてくれているので、分かりにくいが、要するに、司法試験を簡単にして、法科大学院制度を守ってくれというのが、そのいわんとするところだ。

 確かに司法制度改革審議会意見書により、司法試験法が改正され、同法1条1項の「司法試験は、裁判官、検察官又は弁護士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」の原則は揺らがないものの、同条3項で「司法試験は法科大学院の課程における教育及び司法修習生の修習との有機的連携の下に行うものとする」との条文が追加された。

 司法試験を法科大学院の教育状況に併せてレベルを下げて簡単にせよ、という法科大学院擁護者の論拠の一つは、司法制度改革審議会意見書と、それによって挿入されたこの条文だ。

 では、法科大学院支持者が金科玉条のように、繰り返し持ち出す、司法制度改革審議会意見書にはどう書いてあったのか見てみよう。

「法曹となるべき資質・意欲を持つ者が入学し、厳格な成績評価及び修了認定が行われることを不可欠の前提とした上で、法科大学院では、その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7~8割)の者が後述する新司法試験に合格できるよう、充実した教育を行うべきである。厳格な成績評価及び修了認定については、それらの実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。」

(司法制度改革審議会意見書第2、2、(2)、エから引用)

 まず司法試験に7~8割合格させるとは書いていないのだ。

 司法試験に7~8割のものが合格できるようしっかりと教育しろと、法科大学院に注文をつけているのだ。

 それに、法科大学院の厳格な成績評価と修了認定について、それらを担保する具体的仕組みは、未だ出来ていないようだけど、どうなってるのか是非、中教審で法科大学院の延命に必死になっている先生方に教えてもらいたいものだ。

 反論があるのなら、今年の(今年に限らないけど・・・)採点実感を読んでみてほしい。反論が意味をなさないことはすぐに納得できるはずだ。

 採点実感には、基本が出来ていないという指摘が目白押しだ。あれだけ大学側が批判していた論点ブロックの暗記もさらにひどくなっている様子が繰り返し指摘されている。

 それに厳格な成績評価と修了認定が出来ているのなら、法科大学院教育の改善や、教育水準の向上について、法科大学院が、制度発足以来ずっと指摘され続けていることは説明がつくまい。

 次に、同意見書の司法試験の箇所を見てみよう。

「法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は、法科大学院の教育内容を踏まえたものとし、かつ、十分にその教育内容を修得した法科大学院の修了者に新司法試験実施後の司法修習を施せば、法曹としての活動を始めることが許される程度の知識、思考力、分析力、表現力等を備えているかどうかを判定することを目的とする。」

(司法制度改革審議会意見書第2、3、(2)から引用)

 司法試験を法科大学院教育と連携させるのは、まず、法科大学院で7~8割のものが合格できるだけのレベルまで充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価と修了認定を経ることが、大前提なのだ。

 ボロボロの教育しかできていない法科大学院制度(再度いうが、反論のある方は、司法試験採点実感を読まれたい。また、私はごく一部の優れた法科大学院を否定するわけではない。法科大学院制度全体の話をしている。)を前提に、司法試験を法科大学院教育と連携させたら(要するに法科大学院卒業者全体のレベルに併せて司法試験合格レベルを下げたら)、どうなるか。

 ボロボロ(実力不足)の法曹の大量生産ということになる。

 それは受験生が悪いのではない。きちんとした教育能力もないのに、そのことも分からず、「偉い私が教えてやれば、司法試験くらい合格させるレベルにすぐにでも引き上げてやれる」、と自分を過信した学者の先生方が悪いのだ(裏には少子高齢化時代を見据えた大学の生き残り策があっただろうとは思うが、大学の生き残りのために、国民や国家の制度を犠牲にして良いものではなかろう)。

 そもそも司法制度改革審議会意見書は、法曹需要が飛躍的に増大するかのような完全に未来予測を誤った幻想がスタート地点だったので、現在ではその存在意義すら疑問符がつく。

 裁判所のデータブック2018によれば、全裁判所の新受全事件数は、制度の変更などもあり単純比較は出来ない面もあるが、データブックの表に載っている中で最も多いのは、昭和35年の約785万件、平成時代では過払いバブルのおかげでH15年に約611万件となったものの、その後ずっと減少傾向にある。

 H29年では、約361万件だ。60年近く前の半分以下、そうでなくても15年前の半分程度の事件しか裁判所に持ち込まれていないのである。

 法曹需要は、裁判所の新受事件数だけでは計れないとの指摘もあるが、裁判所に持ち込まれる事件数が法曹需要の大きな流れを示すこと自体は否定できまい。

 スタート地点から間違っていたことが明らかになった、司法制度改革審議会意見書、それが設計し、しかも教育効果を上げられていない法科大学院制度を後生大事に墨守するのは、現状を把握できない愚か者のすることだと指摘されても仕方ない面もあろう。

 繰り返しいうが、法科大学院制度が功を奏しているのなら、採点実感であれほど受験生の答案が酷評される事態はありえないのである。副会長としては、設計通りの司法試験をいう前に、設計通りの法科大学院かどうかをまず検討すべきだろう。

 それにも関わらず日弁連の副会長が対外的に堂々と司法試験だけを問題視しているようなので、私としては極めて残念としかいいようがない。

 日弁連執行部は、どこまで法科大学院に尻尾を振り続けるつもりだろう。

 いつになったら目が覚めるのだろう・・・・。