ロースクール授業参観記~その5

ここからの、教員と院生の質疑応答は、S弁護士がメモを取り損ねた部分でもあり、S弁護士の記憶の限りでの再現にすぎないものであって、この法科大学院での質疑応答の現実が、S弁護士の記憶に基づく記述と全く同じであるという保証はまるで無い、ということを前提にお読み下さい。

教員が院生に質問する。
「株式会社で、取締役を選任するのはどこ?」

ボクシングでいえばジャブにもならない、基本中の基本の質問だ。イロハのイ以前の問題だ。法律の条文(会社法329条1項)にも明記されているし、神田秀樹会社法第14版p27には、「株式会社の特質」という株式会社の概観部分にも「日本の現行法は、株式会社については、出資者(株主)が選任した取締役が取締役会を構成し、そこで経営上の意思決定を行うこととし、その執行は取締役会が選定する代表取締役が行うという姿を典型としている(ただし、第6節で口述するように他の期間設計も認められる)。」と、明確に記されている。

なるほど、弁護士が参観している状況下での、緊張を、超基本的な質問にあっさり答えさせることよって、ほぐそうという狙いなのか・・・・・。緊張をほぐしてそれから、本質の問題に移っていくんだな・・・・・。
S弁護士は、教員の温かい配慮に少し感動を覚えかけた。

しかし、院生は首をひねって沈黙したままだ。かといって六法をめくるそぶりもない。六法に書かれている条文、特に基本条文は実務家必須だ。基本条文については覚えているくらい勉強していて当たり前なのだ。
かつてS弁護士が司法試験の口述式を受験したときにも、司法試験用六法が机におかれているのに、基本条文について確認しようとしても、試験官は参照を許してくれなかったぞ。
逆にいえば、実務では条文の知識は当たり前だが、司法試験(短答式を除く)であっても、条文は受験生の最大の武器なのだ。全ての出発点は条文なんだから。
まさか六法の引き方も知らないで、法科大学院で半年も過ごしてきたはずはないだろうが、どうして六法を引いてでも一生懸命答えようとしないのか。

まさか六法不要の授業ではあるまい。ただでさえ、条文のややこしい読み方が含まれる会社法だ。六法を引き倒すくらい引きまくってもおかしくはない科目のはずだ。
六法を引くのは簡単だ。条文を覚えていればその箇所を引けば良いだけだし、大体330条前後と覚えていればその近辺を探せばよい。
そこまで覚えていなくても、会社法の目次をみれば、第2編株式会社で、第1章は設立、第2章は株式、第3章は新株予約権だから関係ないとして、第4章「機関」の辺りにあることは分かるはずだ。仮に万一、取締役が会社の機関であることも知らずに授業を受けていたのでは、講義は「お経」同然、何ひとつ理解できているはずがないだろう。

第4章「機関」の中を見れば、第3節に「役員及び会計監査人の選任及び解任」と目指すべき条文の位置を示唆する文言がちゃんとでている。そこを引けば、役員(取締役)の選任について書かれた条文があるはずなのだ。

教員は少し笑みを浮かべながら、「緊張しちゃって、忘れちゃったかな?」などと優しく聞いてあげているが、この質問に即答できない時点で、他の院生はともかく、少なくともこの法科大学院生が会社法の基本が全く分かっていないことが丸わかりだ。例え、初学者が半年勉強したに過ぎないとしても基本構造も分からずに、細かい制度が理解できるとは思えない。

そもそも、会社法を含む商法は、民法の特別法だ。一般法である民法を理解した上で、特別法の商法を勉強するのが筋だろうが、実は民法自体、膨大な量がある。初学者が民法を半年勉強しただけで、おおよその理解ができるとも思えない。民法も理解できない段階で会社法の理解が進むとは到底思えない。因数分解も分からない中学生に微積分を教えようといったって、不可能であることは当然だ。

となれば、そもそも未修者を1年で既習者入学レベルまで引き上げることを前提にした法科大学院システム自体が、制度設計として間違っていた可能性がある。

エライ大学教授の先生方は、法科大学院制度を設計する際、私が教えれば初学者でも1年間で法学部4年分の教育ができる!と信じていたのかもしれないが、実際には極めて優秀な学生をそろえでもしない限りそのような夢物語は、実現不可能なのだ。

S弁護士は、ガンダムで出てきたシャア・アズナブルの語った「ガルマ、聞こえていたら自分の運命を呪うがいい。君はよい友人であったが、君の父上がいけないのだよ」というセリフを思い出していた。

何故かS弁護士には、シャアがこう語ったように思えた。
「質問された君、聞こえていたら自分の運命を呪うがいい。君はよい法曹志願者であったが、法科大学院制度がいけないのだよ」

(続く)

ロースクール授業参観記~その4

だって、レジュメ棒読みなら基本書を読んだ方が早いのだ。

会社法の定める制度を表面的に紹介するだけなら、高校生にだって、S弁護士にだって簡単にできてしまう。基本書を棒読みすれば良いだけだからだ。

基本書を教科書としたうえで、さらに講義に意味があるとすれば、基本書にさらっと平板に書いてあることを立体的に、分かりやすく、理解しやすく説明することではないのか。そのためには、何故その制度がおかれているのかという制度趣旨からはじまって、その制度の問題点、問題点の解決に至る過程、さらに未解決の問題があればその問題点がどうして未解決なのか、という点まで、分かりやすく説明がなされていなければならないように思う。

特に法科大学院がお題目のように主張する、「理論と実務の架橋」を目指すのであれば、少なくとも、その制度が具体的にはどのように実務で生かされ、どのような問題点が生じ、どうやってその解決を目指しているのかまで、判例などを題材にして説明しなければおかしい。
単に会社法に規定された制度を示して、こういう制度がある、という説明だけでは、何の理解も進まないだろうし、『「理論と実務の架橋」なんて、どの口が言った!』といわれてもしょうがないだろう。

残念ながら、この授業の講義部分には、その点が決定的に欠けているように思えた。

だが、理論と実務の架橋が崩れ去っているとしても、まだまだ決断を下すのは早い。なんと言っても、法科大学院の目玉はもう一つある。少人数双方向性授業だ。なんでもソクラテスメソッドとか言って、教員と生徒のやりとりで生徒の理解を深める方法らしい。S弁護士としては、ハーバード白熱教室のサンデル教授ばりに熱い議論がなされることを期待した。

以前、法科大学院の実務家教員の方に、ソクラテスメソッドの利点を聞いてみたところ、「生徒が眠ることを防止し、講義に緊張感を持たせるメリットがある」と聞いたことがあるが、S弁護士は信じなかった(ホントは信じたけど)。
そもそも、眠気防止なわけないだろ。だって、素晴らしい法科大学院の理念に沿った双方向性授業が単なる眠気防止の意味しかないなんて、多額の血税を法科大学院制度に投入させられている国民を、あまりにも馬鹿にしているじゃないか。

いかなる理由があっても、そんなことがあって良いはずがないのである。

ところが、なかなかその双方向性授業とやらは始まらない。延々と教員による会社法の制度の表面的解説が続いていく。

会社法353条(株式会社と取締役との間の訴えにおける会社の代表)の解説も、こういう場合は利益相反でまずいから、という説明しかなされない。何故利益相反なのか、利益相反だと何故まずいのか、という点について、具体的な説明が一切ないのだ。大学院生が理解しているので、説明を省いているのならそれはそれで構わない。もちろん膨大な会社法を1年で全範囲教えきるのは難しいはずだからだ。

大学院生達は、黙々とノートを取ったりしている。理解しているのかどうか分からない。353条の解説場面で、「利益相反だと、具体的にどのような不都合が出るのか」という質問が出ることもない。

この法科大学院は、2009年に不適合判定を食らったものの、その後3年は経過しているし、きちんと運営できているから、現在ではもちろん法科大学院としては適合しているはずだ。

ただし、適合不適合は、授業内容には及んでいないと聞いたことがある。
S弁護士から見れば、法科大学院はどれだけ優秀な法曹を生み出すかが至上命題だから、授業内容が優れていなければ全く意味がないと思うし、評価の対象として授業内容が含まれていないなどという馬鹿な話はないと思うのだが、現実はどうも違うらしい。

そのようなことを漠然と考えながら授業を参観していたところ、ようやく、教員が、学生に質問をし始めた。弁護士が授業参観していることもあってか、緊張気味の学生に、S弁護士は心の中で声をかける。

当たらなければ、どうということはない!

(続く)

ロースクール授業参観記~その3

皆さんご存じの通り、法科大学院側は、素晴らしい理念に基づいた素晴らしい教育を行い、厳格な修了認定を行っていると、これまで明言してきた。

S弁護士も大学法学部を卒業した身であり、大学にはそんなこと到底無理だと思っている一方で、(そのほとんどが法科大学院関係者であったり、法科大学院推進派であった方々ではあるが)法科大学院は素晴らしいと仰る弁護士の先生もいらっしゃるので、心の片隅で、自分の考えが誤っていたらどうしようという不安もないではなかった。

だから、今回は、プロセスによる教育の、お手並み拝見だ。

さて、見せてもらおうか、ロースクール理念の神髄とやらを!

威勢の良いかけ声とは裏腹に、S弁護士の座る席の机の上には、はるばる事務所から持参してきた神田秀樹教授の「会社法」(弘文堂)最新版がおいてある。授業の正確性や分かり易さなどを比較しようという目的もあるが、万一、教員から当てられたときに変な答えをしないためというちょっとした自己防御目的もあったのかもしれない。

せっかくもらったパワーポイントのレジュメと、スクリーンに映し出されている映像が一致していることがすこし気になる。レジュメを配布しているのであればわざわざ同じ内容をスクリーンに映す必要ないじゃないか。スクリーンに映すなら、具体的事例とか、設問とかなら、分かるんだがなぁ。

一抹の不安をS弁護士は抱えながらも、とにかく授業は開始された。

ご存じの通り、会社法には様々な制度が規定されており、会社の基本構造を学んだ後は、そのような制度への理解を深めていく必要がある。特に初学者には会社の基本構造は大事なところだ。

教員の説明は、この制度がある、という点に関しては、丁寧な口調だ。
だけど、結構早口だ。
それに、ある制度の説明の具体例を口頭でいうので、分かりにくい。

例えば、会社法349条5項(株式会社の代表取締役の権限に加える制限)について、

「代表取締役の包括的な代表権を制限しても(例えば食品部門にはA代取、薬品部門にはB代取の担当とする等)、善意の第三者には対抗できない。このように不可制限的な権限なんですね。」とレジュメ記載通りで説明が終わってしまう。

果たしてこの説明だけで、法科大学院生は理解できるのか?
多分、学生時代のS弁護士なら無理だ。
具体的に問題となる場面が即座に、頭の中に浮かばないからだ。

『349条4項を見ても分かるとおり、法律上、代表取締役は株式会社の業務に関する一切の裁判上裁判外の行為をする権限を有するとされている。
だから、例えばX社と食品を取引しようとするY社からすれば、X社の代表取締役といえばX社の業務に関する一切の権限を持っていると考えるはずである。その結果、Y社としてはX社代取AをX社の代表として扱って取引すれば安心だ、と考えるのが普通だろう。
ところが、じつはX社の中に内部規定があって、代取AはX社の扱う商品のうち薬品のみの担当であり、食品については代取Bという別の代表取締役の担当とされていて、代取Aには食品を取り扱う権限がないとされていた場合どうだろうか。
Y社とX社代取Aで締結した食品に関する契約はAにその権限がなかったということで無権代表行為や権限濫用などの瑕疵があるものになるとして良いだろうか?法律上、代表取締役には、一切の裁判上裁判外の行為をする権限を与えられているにもかかわらず、X社の都合だけでその権限を制限し、その制限を対外的にも主張できるとして扱って良いだろうかという問題だ。
それでは、あまりにもX社と取引するY社の取引の安全を侵害する。なぜなら、Y社からすればX社内の代表取締役の権限の制限など知りようもないはずなのだ。それなのに、X社から、取引後に「実は、うちの代取Aには食品を扱う権限がなかったので、代取Aの権限濫用行為でした。申し訳ありませんが、その取引はなかったことにして下さい」等といわれても困る。
だから、349条5項は、取引安全の見地から、代表取締役の代表権の制限をしても第三者に対抗できないとして規定しているのだ。
ただし、この規定はあくまで、取引安全のための規定だから、代表取締役の権限濫用行為まで知っていた相手方まで保護する必要はない・・・・・。』

と説明して、最判S38年9月5日の判例(代表取締役の権限濫用行為に民法93条但書を類推適用した判例)へと結びつける。

大体これくらいまで説明してもらわないと、多分、学生時代のS弁護士は理解できなかったと思う。

大学院生の反応も、極めて希薄だ。後ろから見ているせいもあろうが、分かってるんだか分かってないんだか、さっぱり分からない。なんだか必死にノートを取っていたりするけど、ホントに分かってるんだろうか。

S弁護士はだんだん不安になってきた。

(続く)