和歌山市

 私は和歌山県南部の出身だが、和歌山市とは実は縁が薄い。

 確かに和歌山市は県庁所在地ではあるが、私の田舎からは特急で約3時間かかるため、あと少し我慢すればもう大阪なので、用事があっても大抵は素通りして大阪まで出てしまう。

 和歌山市を訪れたことは、共通一次試験を泊まりがけで和歌山大学で受験した事(このときの大学受験とも思えないとんでもない出来事は、前の事務所時代のブログにも記載したと思う。)を除けば、小学校の修学旅行くらいの時くらいしかなかった。

 先日、和歌山地裁に用事があって、出かけたのだが、平日のお昼過ぎだというのに、裁判所近辺はかなり人通りが少なかった。裁判所の駐車場もがらがらだった。

 裁判所からそう遠くはない和歌山市ぶらくり丁も、かつてはTV和歌山などで見ていた頃は、相当な繁華街だったという記憶があるのだが、シャッターの降りている店もそこここにあり、活気が余り感じられないのが残念だった。

 高齢者・介護等の看板や、お葬式関連の看板が目についた気がして、おそらくそちら方面の需要が高まりつつあることが窺えた。

 あくまで、私の勝手な印象ではあるが、かなり高齢化も進んでいる可能性がある。

 和歌山県出身者としては残念だが、これも時代の流れなのだろうか。

 他の地方の県庁所在地は、果たしてどうなのだろうか。

エリック・ハイドシェック大阪公演

 昨日、ザ・シンフォニーホールで、ハイドシェック(ピアニスト)の大阪公演があった。

 既に80歳を超えているハイドシェックの来日50周年記念ということらしいが、私としては、次の機会がもうないかもしれないとも思われたので、是非とも聞いておきたいと考えたのだ。

 たまたま最前列中央よりの席がとれたので、5メートル以内くらいで演奏するハイドシェックの姿をながめ、音を聞くことができた。

 オープニングの曲で少しひっかかり、やり直すというハプニングもあったが、鼻歌を歌いながら演奏するハイドシェックは、とても楽しそうだった。

 音楽を、心の底から愛している人なんだなぁ~ということが、何も飾ることなく直球で聴衆に伝わってくる。真っ直ぐな、しかし、一切押しつけがましさのない、素直さがあたりを充たしていく。

 あくまで音楽についてはど素人の私の印象だが、良い感じに枯れていて、ハイドシェックに演奏されて生まれ出る音、それ自体に鮮やかな色はついていないように聞こえるが、その奥底には、音楽や人、そして人生への愛情という彩りが実に豊かに存在している、そんな演奏に感じられた。(あくまで、ド素人の感想としてお受け取り下さい。)

 プログラム終了後も、拍手に答えて、アンコール曲(おそらく自分の好きな曲)を5曲ほど演奏しているハイドシェックは終始笑顔で、とても楽しそうだった。

 最後には、指揮者からそれ以上の演奏を止められているような様子まで見えた。放っておいたら、ハイドシェックは、大好きな音楽を地球の東の果ての国の聴衆と一緒に、何曲でも共有しようとしたのではないか、とすら思えた。

 大阪での公演は終わったのではないかと思うが、まだ他の場所での公演で若干の空きもあるようだ。

 機会に恵まれる方がいらっしゃれば、少々の忙しさを押してでも、聞く価値はある、と私は思っている。

6月18日の地震について

 多くの皆様方からご心配の連絡を頂き、大変恐縮しております。

 当事務所には幸い、人的被害はありませんでした。

 物的な被害は多少あったものの、本日の片付けでほぼ復旧致しました。

 今回の地震により、地震国日本においては、いつ、どこで地震に遭うのかわからないこと、都市直下型地震に大都市は脆いことを、再認識致しました。今後にこの経験を生かしていこうと考えております。

 ご心配下さった方、誠に有り難うございました。

予備試験について、雑駁な感想

 マスコミ報道では、予備試験はよく「抜け道」と表現されているが、それはあくまでマスコミにとってお客様である法科大学院に阿った(おもねった)表現であり、法律の規定上は抜け道でもなんでもない。

 司法試験法第五条には、(司法試験予備試験)として次のように規定されている。
第五条 司法試験予備試験(以下「予備試験」という。)は、司法試験を受けようとする者が前条第一項第一号に掲げる者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定することを目的とし、短答式及び論文式による筆記並びに口述の方法により行う。

 このように規定上明らかに、司法試験予備試験は、例外的に受験を認められるものではなく、また、正規ルートの抜け道という位置づけでもない。

 この規定の「前条第一項第一号に掲げる者」とは、司法試験法第4条に規定された法科大学院修了者(と終了後5年以内の者)を指している。

 このような条文の構造からすれば、司法試験予備試験は、予備試験ルートで司法試験を受験しようとする者が、学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養において、法科大学院修了者と同等のものを有していると司法試験委員会(同法7条)によって判断されれば、合格できる試験ということになる。

 裏を返せば、司法試験委員会が予定する法科大学院修了者の学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養のレベルは、予備試験合格者と同一レベルでなくてはならないということになる。

 そうだとすれば、法科大学院修了者と予備試験合格者のいずれであっても、同等の能力がある受験者が受験するはずだから、司法試験合格率は、多少の誤差はあれ、ほぼ同じにならないとおかしい。

 仮に、合格率の数字に大きな差があるとすれば、その原因は、予備試験の合格者を不当に絞って優秀な上位者しか合格させていないのか、法科大学院の修了認定が甘すぎ、本当はきちんと教育できておらす、本来卒業させるべきでない実力不足の学生をどんどん卒業させているかの、いずれかしか原因は考えられない。

 平成29年度の司法試験合格率は、法科大学院修了者が19.86%、予備試験合格者は71.07%だ。

 法科大学院側は、優秀な学生が予備試験に流れてしまったと主張する場合もあるようだが、それはほぼ言い訳にはならないだろう。そもそも、法科大学院は法曹実務家を養成する専門職大学院である上、厳格な修了認定をしていると主張しているから、司法試験委員会が法科大学院修了時に必要と考える学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養を身につけた者のみを卒業させていないとおかしい。
 そして本当に厳格な修了認定がなされていれば、いくら優秀層が予備試験に流れても、厳格な修了認定をうけた法科大学院修了者にも相当な実力が認められているはずであり、ここまで合格率に差が開くはずがないからだ。

 短答式の合格率をみるとさらに法科大学院の教育に問題があることは明確になる。
 私が見る限り近時の短答式試験は、論文式と引き続いて実施されるためか、かなり易しい問題や部分点を与える問題もあり、作業量も知識の量も旧司法試験時代に比べれば相当軽減されているように見える。
 しかも合格基準は175点満点で、受験者平均点が125.4点(得点率約71%)のところ、108点以上で合格だ。
 実務家からみれば、この問題なら最低80%以上、論文式と引き続き実施される負担を最大限考えても75%は得点して欲しいと思うところだが、合格点は約61.7%に設定されている。

 実受験者ベースで、予備試験組の短答式合格率は98.25%、不合格者は僅か7名である。
 一方、法科大学院修了者では、ここまで甘い合格基準でも合格率は63.66%、不合格者は2023名である。

 マスコミから抜け道と揶揄されるルートを通った者が、マスコミがいうところの本道を歩んだ者よりも圧倒的に優秀だという現実は、本道とされる法科大学院の教育能力、修了認定能力の欠如を如実に示しているものではないのだろうか。

 
 それなのに、なぜ、法科大学院制度を残そうとするのか、結局文科省・大学側の少子高齢化対策として、税金を投入させられた国民の皆様が食い物にされただけではないのか、利害関係にどっぷりはまったマスコミや学者の戯れ言に惑わされずに、現実を直視して、冷静に判断しなくてはならない場面にきていると私は思っている。

藤井七段、棋聖挑戦まであと1勝

 最近、将棋観戦を楽しむ人が増えているようだ。

 私自身、小さい頃に父親に教わってから、将棋のルールくらいは知っている。
 もちろん、ヘボ将棋で実際の実力は5級程度あればいい方だが、故米長永世棋聖の将棋ソフトを使って初段の認定をして頂いた。
 嬉しくて、将棋連盟に初段の免状を申請したら、確か3万円くらいかかったように思う。

 届いた免状は、立派な桐箱に入っており、当時の将棋連盟会長二上達也さん、当時の竜王藤井猛さん、当時の名人(現将棋連盟会長)佐藤康光さん、の直筆署名がなされており、それを眺めて、にやにやしていると、なんだか将棋がうまくなったような気がしたものだ。

 何故だか、私の好きな谷川九段が将棋連盟の会長を務めていたときの免状でもなく、竜王や名人を取っていた時のものではない。また、あれだけタイトルを獲得した羽生九段が名人にも竜王にもなっていない時期であるため、お二人の直筆署名を免状にいただくことはできなかった。

 それはさておき、私も将棋の観戦は好きである。といってもペーパー初段の私にはプロの棋士が指す一手の意味など分かるはずがない。かつては将棋連盟のHPで勝ち負けを確認し、主な対局の内容や様子は、週間将棋新聞を買って、通勤電車の中で確認するという方法をとっていた。谷川九段がタイトル戦に出ているときは、将棋世界を買って対局の様子を読んだりしたものだ。

 今では、インターネットを用いてリアルタイムで対局と解説を同時に楽しむことができるので、とてもありがたい。

 マスコミでも話題になっているが、天才棋士藤井聡太七段が、昨日、佐藤天彦九段を破り棋聖戦の挑戦者まであと1勝と迫っている。

 次の相手は、永瀬拓矢二冠だ。

 私はこれまで谷川九段のファンであることを公言しているが、谷川九段以外にもファンとまではいかなくても、注目あるいは応援している棋士というものはある。

 奨励会時代に次点を二度獲得すればフリークラス四段になれるという権利を得ながら、その権利を行使せず堂々と実力で奨励会を突破した佐藤天彦九段も注目している棋士の一人だったが、昨日の対局で藤井七段に敗れてしまった。

 棋聖戦挑戦者決定戦で戦う、藤井聡太七段と永瀬拓矢二冠も、いずれも、心の中で注目乃至応援している棋士である。

 その二人が棋聖戦の挑戦者決定戦でぶつかる。

 藤井七段には、最年少タイトル挑戦という記録がかかる。一方、永瀬二冠にもタイトル保持者としての矜持がある。

 応援している棋士が挑戦者決定戦でぶつかるというのは、必ずどちらかは挑戦者になることは決まっているので、うれしく思う反面、勝手ながら、どちらをより応援するか悩ましいという問題が付きまとう。
 

 天邪鬼で、アンチヒーローを好む傾向のある私からすれば、マスコミが藤井七段をこぞって取り上げて注目しているので、今回は永瀬二冠に肩入れしてしまいそうな気もする。

 どちらを応援するかは、ぜいたくな悩みだと思いつつも、お二人の素晴らしい盤上の戦いを期待している。

野良牛?

 私がNZを旅行する際には、レンタカーでまわることが多い。

 これは、NZでは、日本とほぼ同じく右ハンドル左側通行であること、公共交通機関が余り発達しておらず、自由に観光することを考えた場合レンタカーが最も便利であること、が主な理由だ。

 とはいえ、人間よりも羊の方が多い国なので、かつて何度か、牧場から逃げ出して、とっとこ道路を歩き回っている野良羊を何度かみたことがあった。牧場近辺には牧草が生えているような土地も多いため、牧場から逃げ出しても十分食べていけるのだろう。

 野犬もそんなにいないのかもしれないが、羊ものんびりしたもので、一匹で気ままに歩き回っているように見えた。

 今回は、野良牛が道路をふさいでいた。しかも母牛と子牛2頭の合計3頭だ。

 私は、牛が移動するまで待とうと路側帯に車を駐めたが、後ろから来たBMWが牛を躱して前に出ようとした途端、母牛に威嚇され、睨まれていた。

 どんな生き物でも、子連れの母親は強いものだと、妙に感心した覚えがある。