予備試験について、雑駁な感想

 マスコミ報道では、予備試験はよく「抜け道」と表現されているが、それはあくまでマスコミにとってお客様である法科大学院に阿った(おもねった)表現であり、法律の規定上は抜け道でもなんでもない。

 司法試験法第五条には、(司法試験予備試験)として次のように規定されている。
第五条 司法試験予備試験(以下「予備試験」という。)は、司法試験を受けようとする者が前条第一項第一号に掲げる者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定することを目的とし、短答式及び論文式による筆記並びに口述の方法により行う。

 このように規定上明らかに、司法試験予備試験は、例外的に受験を認められるものではなく、また、正規ルートの抜け道という位置づけでもない。

 この規定の「前条第一項第一号に掲げる者」とは、司法試験法第4条に規定された法科大学院修了者(と終了後5年以内の者)を指している。

 このような条文の構造からすれば、司法試験予備試験は、予備試験ルートで司法試験を受験しようとする者が、学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養において、法科大学院修了者と同等のものを有していると司法試験委員会(同法7条)によって判断されれば、合格できる試験ということになる。

 裏を返せば、司法試験委員会が予定する法科大学院修了者の学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養のレベルは、予備試験合格者と同一レベルでなくてはならないということになる。

 そうだとすれば、法科大学院修了者と予備試験合格者のいずれであっても、同等の能力がある受験者が受験するはずだから、司法試験合格率は、多少の誤差はあれ、ほぼ同じにならないとおかしい。

 仮に、合格率の数字に大きな差があるとすれば、その原因は、予備試験の合格者を不当に絞って優秀な上位者しか合格させていないのか、法科大学院の修了認定が甘すぎ、本当はきちんと教育できておらす、本来卒業させるべきでない実力不足の学生をどんどん卒業させているかの、いずれかしか原因は考えられない。

 平成29年度の司法試験合格率は、法科大学院修了者が19.86%、予備試験合格者は71.07%だ。

 法科大学院側は、優秀な学生が予備試験に流れてしまったと主張する場合もあるようだが、それはほぼ言い訳にはならないだろう。そもそも、法科大学院は法曹実務家を養成する専門職大学院である上、厳格な修了認定をしていると主張しているから、司法試験委員会が法科大学院修了時に必要と考える学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養を身につけた者のみを卒業させていないとおかしい。
 そして本当に厳格な修了認定がなされていれば、いくら優秀層が予備試験に流れても、厳格な修了認定をうけた法科大学院修了者にも相当な実力が認められているはずであり、ここまで合格率に差が開くはずがないからだ。

 短答式の合格率をみるとさらに法科大学院の教育に問題があることは明確になる。
 私が見る限り近時の短答式試験は、論文式と引き続いて実施されるためか、かなり易しい問題や部分点を与える問題もあり、作業量も知識の量も旧司法試験時代に比べれば相当軽減されているように見える。
 しかも合格基準は175点満点で、受験者平均点が125.4点(得点率約71%)のところ、108点以上で合格だ。
 実務家からみれば、この問題なら最低80%以上、論文式と引き続き実施される負担を最大限考えても75%は得点して欲しいと思うところだが、合格点は約61.7%に設定されている。

 実受験者ベースで、予備試験組の短答式合格率は98.25%、不合格者は僅か7名である。
 一方、法科大学院修了者では、ここまで甘い合格基準でも合格率は63.66%、不合格者は2023名である。

 マスコミから抜け道と揶揄されるルートを通った者が、マスコミがいうところの本道を歩んだ者よりも圧倒的に優秀だという現実は、本道とされる法科大学院の教育能力、修了認定能力の欠如を如実に示しているものではないのだろうか。

 
 それなのに、なぜ、法科大学院制度を残そうとするのか、結局文科省・大学側の少子高齢化対策として、税金を投入させられた国民の皆様が食い物にされただけではないのか、利害関係にどっぷりはまったマスコミや学者の戯れ言に惑わされずに、現実を直視して、冷静に判断しなくてはならない場面にきていると私は思っている。

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