「最高裁に告ぐ」 岡口基一著

 昨年「分限裁判」で、最高裁から戒告処分を受けた岡口判事が、自らの分限裁判に関して書いた本である。

 この本の中で岡口判事はこう語る。

「だが、バッシングを畏れて世間に迎合する判決を下すようになったら司法は終わりである。」

 かっこいい!

 建前でこう言える人は多いだろうが、本音で本心からこう言える人はそうはいない。

 分限裁判を担当した最高裁判事で、岡口判事のように身命を賭して断言できる裁判官は何人いるだろうか。

 平易な文章で書かれているため、法曹関係者以外でも十分読める。

 法曹関係者だけでなく、多くの方に是非読んでもらいたい。

「完全教祖マニュアル」

 表題の面白さから買ってみた本だったが、これは面白い。

 教祖とは人をハッピーにする素敵なお仕事だ!

 と定義づけ、教祖として、教団として、宗教として何が必要なのか、どうすればその必要なものが手に入るのかについて、既存の宗教の分析を基に軽いノリで語っていく。

 宗教教義を解釈する本や宗教を批判する本は、巷にもあるように思うが、宗教を作る側からの視点は非常に斬新だ。

 軽いおふざけ口調で、最後までおもしろおかしく話は進んでいくが、あとがきにもあるように、今まで宗教に関して不合理・理不尽と感じられていたことが、意外にも宗教にとっては(場合によっては人間にとっては)何らかの意味があり、実は機能的であったりすることに気付かされる。

 人は死んだら仏様になるといっているのに、なんで死んで仏様になった人にお経を唱えるのか?

 悪人正機説って矛盾してるんじゃないのか?

 なんで南無阿弥陀仏と唱えだけで、すくわれることになるのか?

 神社の神様はお賽銭をあげないと救ってくれないのか?

 神様って立派な存在なのにどうして、良い行いをしていないと救ってくれないの?そんなに心がせまいの?

などなど私が子供の頃に、宗教に対して漠然と抱いていた疑問にも答えてくれた部分もあり、とても興味深く読ませてもらった。。

 教祖は人をハッピーにする仕事。宗教は世界をどう解釈したらハッピーに生きていけるのかという選択肢を与えるもの。

 著者(架神恭介氏・辰巳一世氏)はそう語る。

 宗教って、そして人間って、こんなモンなんだろうな~、それでも捨てたモンじゃないな~と、少しだけ私をハッピーにしてくれたこの本は、やはりあとがきで著者が記しているように、一つの宗教と言っていいのかもしれないね。

 是非一読されることをお勧めする。

ちくま新書 本体価格800円

「銀河英雄伝説」~田中芳樹著

 銀河・英雄・伝説と広大・偉大・そして歴史を全て含んだ、えらく大上段に振りかぶった題名だが、その名に恥じぬ内容で、いわゆるスペースオペラ小説としては、実に面白い。最近再読したが、やはりその面白さは変わらなかった。

 私が知人に勧められて初めて読んだのは、40歳過ぎの頃で、約10年ほど前に出版されたと思う創元SF文庫版だったが、文庫本で10巻にわたる長編だ。その他にも外伝が5巻存在する。この小説を読み始めたときは、小説を読める通勤電車の行き帰りの時間が、とても待ち遠しかった覚えがある。

 小説の中では、実に様々な人物が、銀河帝国側と自由惑星同盟側で登場し、活躍する。

 まだ未読の方の楽しみを奪うかもしれないので、あまり内容に触れることは避けたい。また、未読の方で、興味を持たれた方は、ここでブログを読むのを止めて、銀河英雄伝説の第1巻を手に取るべきだ。

 登場人物の人気投票を行えば、おそらくトップ3は、帝国側の常勝の天才ラインハルト、同盟側の不敗の魔術師ヤン、そしてラインハルトの腹心であり親友でもあったキルヒアイスで占められるのではないかと思うが、それ以外の個性豊かな登場人物の誰かに自分をなぞらえて、作者の紡ぎ出す銀河の歴史をたどるのも楽しいものだろう。

 私が自分を登場人物になぞらえるなら、客観的な年齢からいけば、そこまで昇進できるかどうかは別として、ビュコックかメルカッツあたりになるだろう。客観面を無視して最大限に自分を美化することが許されたと考えても、主人公の器でないことは自覚しているので、僭越ながら性格的にはミッターマイヤーあたりではないかと思うのだが、実は、とても自分には真似ができないという点で秘かに憧れるのはオーベルシュタインであったりもする。

 以前アニメ化もされており、クラシック音楽をBGMとした銀河英雄伝説のアニメーションを深夜に御覧になった方も多いはずだ。

 最近、新しく「銀河英雄伝説 Die Neue These」が製作されており、深夜に放映されている。旧アニメ版と比較すると、キャラクターのデザインは旧アニメ版の方に分があるように思うが、艦隊どうしの戦闘シーンなどはおそらくCGを駆使した、新アニメ版の方が遥かに良いように思う。

 大ベストセラー小説であるが、ベストセラーだからと毛嫌いせずに、ご一読をお薦めする。

中学生にも分かる新自由主義3

中学生にも分かる新自由主義3
菊池英博著「新自由主義の自滅」(文春新書)を教科書として

O:トリクルダウンとは、もともと「滴り落ちる」、という意味なんだ。富裕層に富を集中させれば富裕層がどんどんお金を使ってくれるから、世の中にお金がまわり、中間層以下の人々はその「おこぼれ」に預かれる。その結果、経済が活性化して万事うまく行く、そういう理屈なんだ。富裕層に富を集中させるには、所得税と法人税を減税して、これまで大きい政府のために集められていた税金を政府ではなく富裕層に集中すればいい、という考えさ。トリクルダウン「理論」と言われているが、歴史上そのようなことが起きたことはないようだし、現実には誰もそのようなことが起きるか分からないから、実際には理論というより学者が言い出した単なる仮説に過ぎないのだとの指摘もあるけれどね・・・・。

N:ちょっと待って下さいよ。それ、何かおかしくないですか。お金持ちを更にお金持ちにしたらみんながハッピーになれるんですか?お金持ちのところにお金が集まったら、他の人はそれだけ貧乏になっちゃうんじゃないですか?会社だって従業員にたくさん給料を払ったら、儲けが減りますよね。納得いかないなぁ。
それに、政府に税金としてお金が入っていれば、そのお金は、いずれみんなのために使ってくれそうだけど、お金持ちにお金が集まっても、そのお金を、お金持ちは確実にみんなのために使ってくれるんですか?
僕なら、自分のためにしか使わないかもしれないなぁ。
それに、おこぼれってのが一番嫌だなぁ。プライドが傷ついちゃう。

O:N君はお金の話になると元気が出るな。それに正直だ(笑)。まあ、おこぼれはともかく、トリクルダウンとはそういう理屈(仮説)さ。

N:う~ん、トリクルダウン理論って怪しい気がしますよ。僕の印象からすれば、その昔、王様や貴族が富を圧倒的に握っていた時代に、一般人が経済的に豊かでハッピーだったとは到底思えないんですけどね。現代なら、そして、企業活動が自由になれば、それが可能になるんでしょうか。本当に学者が、そんな理屈を言い出したんですか?

O:まあ、これは経済に関する仮説のようだし、素直に考えればN君の疑問はもっともだ。でも、新自由主義者は確かにトリクルダウン理論を主張していたようだよ。それだけじゃない。所得税の減税を正当化する理論として「ラッファー理論」も用いられているとの話もある。

N:また理論ですかぁ。変な理屈じゃないといいんだけど。今度は、一体どんな理論なんですか?

O:簡単にいえば、最適な税率を設定することにより政府は最大の税収を得ることができるという理屈だね。

N:よく分かりませんが。

O:そうだね。例えば、税率0%だったら政府に税金の収入はないよね。そんな国で生活したいかい?

N:そんなの当たり前ですよ~。税金がかからないってことですから。

O:でも、政府にお金が無いとしたら、警察も消防も動かないかもしれないよ。道路も管理されないだろうし、犯罪者がいても誰も咎められないかもしれない。ゴミの収集だってできない。揉め事が起こっても裁判することもできない・・・・。

N:あ、そうか。それは嫌だなぁ。やっぱりやめておきます。多少税金がかかっても、ちゃんとした国に住みたいです。

O:では、税率100%の国があったとしたら、そこに住んでみたいかい?

N:税率100%ってことは、一所懸命働いても、全部税金で持って行かれるということですね。働くだけ損じゃないですか。滅相もない。お断りです。もしそんな国に生まれたら、「働いたら負け」って感じがしちゃいますね。

O:ちょっと極端な例だったけど、そのようなことから、0%-100%のうちのどこかに、最大の税収を得られる最適な税率があるはずだと考えるんだね。そして、もし現在の税率がその「最適な税率」を超える水準にあるのであれば、減税によって税率を「最適な税率」にすることで、税収を増やすことができるとする。とても簡単にして言えば、「減税したら人はやる気を出してもっと働くので、税収が増える」との考えで、所得税減税の理屈として使えるのさ。

N:本当かなぁ。自分で商売している人ならともかく、サラリーマンがやる気を出して働いても働いた分だけ給料が上がるとは限らないような気がしますが。仮にラッファー理論が正しいとすれば、逆も言えますか?「やる気を失わない程度の増税は税収が増える」とか。

O:当たり前だけど(笑)、そうも言えるだろうね。ただし、ラッファー理論はアメリカのレーガン政権下で減税の理屈として用いられたといわれている。レーガンの前のカーター政権のときは、個人の所得税は14~70%、法人税の最高税率は46%だったそうだ。レーガンはその税率を下げていき、個人の所得税の最高税率を28%まで下げ、法人税最高税率も34%に下げるなど、大胆な減税を行ったそうだ。

N:うわ~、70%から28%ですか!10億円儲けた人の税金が7億円から2億8000万円に減るんだ。4億2000万円もお得ですよ。出血大サービスじゃないですか。それで、それで?
  税収は増えたんですか?

O:累進課税だから、そう単純な計算にはならないけどね。さて肝心の税収の方なんだが、この減税によってアメリカの税収は激減したといわれている。

N:なにそれ・・・。大失敗じゃないですか。とすれば、ラッファー理論によれば、減税前の税率だって、最適な税率を超えていなかったことになりますよね。失敗したのなら、どうして税率を戻さないんでしょうか。都合のいいところだけラッファー理論を使っているように感じちゃいますね。

O:アメリカの事情には詳しくないけど、一般に増税は選挙の際にはなかなかプラスに働かないからね。一旦下げた税率を上げていくのは相当難しいのかもしれないね。君だって一度下がった税金がまた上がるのは嫌だろう?消費税を上げると言っていても、選挙の前に増税は延期しますといってくれる政党があったら、支持したくなるだろ(笑)。

N:確かにそうですね、最近どこかの国の選挙で聞いたような気もしますが(笑)・・・・・。でもそれだと、まずいんですよね。税収が激減したんだから・・・・。国はどんどん借金が増えることになるんですよね。結局、国の借金が増えて、その中で一番得したのはお金持ちってことになるのかな・・・。
 あ、そうだ。さっき言ってたトリクルダウン理論はどうなったんですか。富裕層の最高税率を下げたんだから、トリクルダウンからすれば経済がうまく回ってみんなが豊かになるんでしょ。

O:ところが、トリクルダウン理論は機能しなかったといわれている。アメリカの財政収支は大幅な赤字に陥った。

N:げー、最悪じゃん。

(不定期ですが、連載する予定)

中学生にも分かる新自由主義2

中学生にも分かる新自由主義2
菊池英博著「新自由主義の自滅」(文春新書)を教科書として

N:前回、フリードマンのお話を聞きましたが、実際の新自由主義はどんな感じになっているのですか?
O:う~ん漠然と新自由主義の「感じ」を聞かれてもね~。そうだ、新自由主義というイデオロギー(思想)を支えるキーワードをきちんと見ていくと、はっきりするかもしれないね。

N:支えるキーワード?
O:新自由主義がどういうものを目指しているのか分かりやすい部分もあるからね。主なものを言うと、「市場万能主義」「小さい政府」「緊縮財政」「トリクルダウン」「フラット税制」「累進課税の廃止」「福祉国家の否定」「金融万能主義(マネタリズム)」「規制緩和」「財政政策の否定」等があげられそうだ。

N:うう。いきなり難しくなっちゃった。本当に中学生にも分かる話なんですか?看板を疑っちゃうなぁ。でも「規制緩和」は聞いたことがありますよ。「小さい政府」も何となく分かる気がします。「福祉国家の否定」は何となく、やばそうな感じを受けますね。他は分かりにくいですね~。なんだか眠くなりそうだ。今日は帰っていいですか?
O:まあ、そうびびるなよ。君たちの年代じゃあ、背伸びして難しい言葉を使いたがる奴もいるんだろ?全てが分からなくても良いんだから。順を追って説明していこうか。

O:最初に「市場万能主義」、これがフリードマンの基本理念とされている。簡単に言えば、自由に商売させれば経済が最もうまく回るという考えだ。経済活動の中心である企業にどんどん自由に活動させれば、失業問題だって解決すると考える。とにかく企業活動を自由にさせることが一番大事で、そのためには様々な規制は緩和していくべきだし、企業を減税して、企業を強くすればいい、と考える訳だね。
N:う~ん。会社がどんどん活発になれば確かに活気づくような気がしますね。その点では正しそうな気がしますが。

O:じゃあ、企業活動が自由になると、良いことづくめと言って良いだろうか?そもそも会社というものは、法律上は営利社団法人といって、儲け(営利)を目的としている団体なんだ。それをヒントに考えてごらん。
N:え~っと、そうですね。まず、世の中は会社務めの人ばかりじゃないですよ。学校の帰り道にある本屋も、最近閉めちゃいましたよ。そこのおばちゃんが、「ネットで買えちゃうんで本が売れなくなっちゃったからね・・・」と寂しそうに言ってました。こんな人どうすればいいんでしょうか。
 それに、全て会社の自由にさせて儲ける競争をさせたら、それこそ、この間の産地偽装のように儲けが全て、儲かるなら多少ズルをしてもいいって感じになってしまうかもしれませんね。仁義なき戦いって奴ですか(笑)。
 会社が儲けるために安い給料でこき使われる人も多く出てきそうですね。

O:さらに、活動をどんどん自由にして企業に儲けさせておきながら、その企業を減税したらどうなるだろうか。
N:え~と、新自由主義には、さらに会社の減税もあったんですよね?儲かっていても会社が減税されるってことは、会社は税金をちょっとしか払わなくていいってことですよね。会社は儲かるから、会社のオーナーは嬉しいでしょうね。
 ん?でも待てよ、確かこの間学校で、日本の国の税収は、所得税15%、消費税15%、法人税10%位だって聞いたように思いますよ。法人税も儲かった会社からじゃないと入らないと聞きました。それでも日本では税金が足りなくて国債を出しているんでしたよね。
 儲かっている会社が税金を支払わないでいいとしたら、だれが税金を払うんでしょうか。税金が足りなくなりませんか?

O:そこで出てくるのが、「小さな政府」「緊縮財政」論だ。規制を緩和して企業に自由にやらせることによって全てがうまく行くのなら、政府が財政政策といって公共事業で仕事を創り出してあげる必要はないし、政府はできるだけ小さくして、政府の支出もできるだけ少なくしようという話だね。
N:「小さな政府」は、分かる気がします。政府を小さくするんですよね。おっきな政府にすれば公務員の給料がたくさんかかるから、政府は小さくても良いような気がしますね。うちの親父なんか、公務員になれば良かったかなぁ~、なんてぼやいていたりしますけど(笑)。それに日本の国の借金は凄いらしいから政府の支出も少なくなれば、それでいいんじゃないですか?

O:そう簡単な話にはならないので問題なんだ。小さな政府と緊縮財政は政府機能と政府支出を縮小させることになるから、不景気になって仕事がないときに公共事業を使って仕事を増やしたりすることはできないし、社会保障の否定にもつながりかねないとの指摘もある。

N:そもそも社会保障って何となくは分かるんですけど、あまり実感わかないですね。
O:社会保障とは、難しく言うなら、最低生活の維持を目的として、国民所得の再分配機能を利用し、国家がすべての国民に最低水準を確保させる政策をいう、とされているよ。具体的には、日本の社会保障体系は、社会保険(医療、年金、雇用、災害補償、介護)、児童手当、公的扶助、社会福祉、公衆衛生、戦争犠牲者援護などからなると言って良いだろうね。年をとった人への年金、障害を受けた人への年金、離婚した母子家庭への援助、失業保険、健康保険など無くなったら困る人が大勢出てくるはずだ。
N君だって、病気になって病院に行ったことあるだろう?そのとき、病院にいくら払ったか覚えているかい?

N:ええっと、この間体調が悪かったときにお医者さんに見てもらいました。確か、体温を測って、5分くらい診察受けて、「風邪ですね。」って言われて多分1500円くらいでしたよ。
O:健康保険は小学生から70歳未満までは確か、3割が個人負担だから、本当の診療費は5000円なんだね。健康保険制度がなければN君は5000円支払う必要があったってことになる。健康保険制度があって、君のお父さんがちゃんと保険料を納めているから1500円で済んでいるのさ。
N:5000円なんですか!お医者さんに診てもらうのは本当は高いんですね。風邪で5000円支払うくらいなら、我慢しちゃうかもしれませんね。そういえば、再放送されていたアニメの「母を訪ねて三千里」でマルコが友達をお医者さんに診てもらおうとするんだけど、お金がないからといって断られていたのを思い出しましたよ。もし、健康保険が無くなったら、お金持ちしかお医者さんに診てもらえないことになるかもしれない・・・・マルコの時代に逆戻りですか?

O:このように社会保障制度は、多くの人にとって大事なものと言えるだろう。この社会保障制度を否定してしまったとするなら、いざというときに国は何にもしてくれなくなるということにもなりかねない。
N:う~んそれは、いけない気がします。困りますよ。僕だってお菓子を買ったら、いやいや消費税払ってますけど、せっかく税金払っていても、いざというとき何にもしてくれないのなら、他所の国に行きたくなりますもん。
O:オーバーだなぁ。大人になると(働き出すと)消費税だけでは済まないんだぜ(笑)。
 話を元に戻すけど、新自由主義論者の「小さな政府」論は、さっき出てきた「市場万能主義」を実現するために政府の機能を小さくして、企業や富裕層から取る税金を減らして、社会保障制度を否定すればいいという主張(福祉国家の否定の主張)にもつながると指摘されている。それでも、新自由主義論者は市場万能主義が実現出来れば、富裕層に富が集中して経済が成長するから、結果的に国家が栄えるはずだと唱える。

N:え~!本当かなぁ。経済が成長したとして、お金持ちはどんどんお金持ちになるから良いんでしょうけど、社会保障が無くなったら普通の人は困りますよね。「小さな政府」でも大丈夫なくらいみんなが栄えるんでしょうか?
O:そこで、新自由主義者が唱えているのが、お金持ちを、もっともっとお金持ちにした方が国が栄えるからいいんだ、という「トリクルダウン理論」だ。

N:トリクルダウン・・・理論?変な名前。
O:変な名前かどうかは人それぞれだけど(笑)、なかなか興味深い理屈だよ。

(続く~不定期ですが連載の予定)

中学生にも分かる新自由主義1

中学生にも分かる新自由主義1
 (菊池英博著「新自由主義の自滅」(文春新書)を教科書として)

N:おじさん、最近新聞で「新自由主義」って言葉を見たんだけど、どういうこと?
O:最近って(笑)。随分前からいわれていたと思うよ。それでも、新聞を読むのは良いことだ。さて、質問に答えていくと、新自由主義という考え方を創りだしたのは、1912年生まれのミルトン・フリードマンという経済学者だといわれているよ。

N:へ~。経済学者が言い出したのが「新自由主義」かぁ。言い出したフリードマンって学者なんだ。エライ人なの?
O:フリードマンの両親はハンガリー出身のユダヤ人なんだそうだ。両親はヨーロッパのユダヤ人迫害を逃れて米国に渡り、下積みの仕事などをして生計を立てていたようだよ。フリードマン自身も苦学して奨学金を受けて大学を卒業し、シカゴ大学で修士号、コロンビア大学で博士号を取り、シカゴ大学の教授になったんだ。

N:ふ~ん頑張ったんだね、フリードマンは。えらいじゃん。
O:ところが、フリードマン経済学とその思想は、実現していくと自然と、富が1%の富裕層に集中するよう仕組まれていたんだ。しかもその思想の信奉者は政治と結びついて、それを一生懸命に現実化しようとしてきたと評価する人もいる。

N:えっ!なにそれ。フリードマンは苦労してたんじゃないの。
O:苦労した人が、今も苦労している人を配慮するとは限らないのが人間の難しいところだね。フリードマンがそうかどうかは分からないけれどね。でも、1965年の国際通貨危機の際に、フリードマンがイギリス通貨のポンドを空売りして儲けようとしたが銀行に断られ、真っ赤になって激怒したと伝えられている。

N:空売りってなんだかよく分からないけれどなに?
O:空売りとは、難しくいえば、投資対象である現物を所有せずに、対象物を将来的に売る契約を結ぶ行為だね。分かりやすくしてみようか。例えば、今はチョコレートを手元に持っていないんだけれど、コンビニで100円で売っているAチョコレートを1週間後に友達に100円で売ってあげるという約束をしたとしよう。ところが約束の3日後にAチョコレートが80円に値下がりしたとしたら、どうなる?

N:そりゃあ、80円でコンビニで買って、約束通り100円で友達に売ったら20円儲かるよね。
O:簡単にいえば、それが空売りの儲ける仕組みさ。特に君が、友達と約束するときに、かなりの確率でAチョコレートの値段が下がると知っていたらどうだろう。

N:なるほど。それならいっぱいAチョコレートを100円で売る約束をしておけばそれだけ儲かるよね。友達には悪いけど。
O:なんだ、悪い奴だなぁ(笑)。まあ、実際には、そう読み通りには行かないこともあるんだけど、投資家はこうやって儲けていたりもするんだね。話を戻すと、フリードマンは、ポンドを空売りしようと銀行に行ったんだが銀行からは断られたんだ。

N:なんでなんで?
O:当時は、通貨の売買に空売りのような儲けるためだけの投機的な取引は禁止されていたのさ。フリードマンに空売りを申し込まれた、シカゴのコンティネンタル・イリノイ銀行は「我々はジェントルマンだから、そういうことはやらない。」と断ったそうだ。

N:へ~。銀行もなかなかやるね。かっこいいじゃん。
O:ところが、フリードマンは相当頭に来たらしく、シカゴ大学に戻ってランチの席で「資本主義の世界では、儲かるときに儲けるのがジェントルマンなのだ!」と演説をぶったらしい。

N:でも、儲かるけど禁止されていたことなんだよね。それができないからって怒るのは筋が違うような気がするんだけど。
O:その通りなんだね。しかし、フリードマンは激怒した。儲け損ねたからだ。ここから分かるように、社会での決まり事や道徳的なことを尊重しようとする考えはフリードマンにはなかったとも評価できる。儲かることが正義で、儲けることだけが全てだという発想がその背景にはあるかもしれない。このようなフリードマンが創始したのが新自由主義なんだ。

N:う~ん。確かに、最近は儲かりさえすればいい、ばれなきゃいい、というようなことがあるようにも思うよ。レストランのエビの表示が嘘だったり、自動車の燃費が嘘だったり・・・。
ん?ちょっと待てよ。おじさん、新自由主義ってもう日本の中に入り込んでるんじゃないの?。

O:そうだね、新自由主義についてちょっと勉強してみるかい?
N:うん。ちょっと興味出てきた。

(不定期ですが連載予定)

「ときには星の下で眠る」 片岡義男著~2007.8.21掲載~

 信州のある秋、よく世話になっていたバイク屋の親父さんの葬儀に高校時代の仲間が集まる。それぞれが、普段の生活では思い出すことのない高校時代の様々な想い出を胸に抱いている。決して止まることがない時間の流れを感じ、次第に色を失い透明になっていく想い出を引き留めるかのように旧交を温め、そしてまた普段の生活へと戻っていく。

 私は、大学時代はバイク乗りでした。京都の免許試験場で、何度も挑戦してようやく中型2輪免許を限定解除し(自慢じゃありませんが、限定解除試験は司法試験より当時は難関と言われていました。)、中古ではありましたがスズキのGSX-1100S(通称刀イレブン)を手に入れ、北海道から九州までユースホステルを利用しながら良くツーリングに出たものです。

 その頃、片岡義男の小説が角川文庫からたくさん出ていました。お読みになればお分かりだと思いますが、この小説も淡々と物語が始まり淡々と進行し、淡々と終わる、いつもの片岡ワールドです。読むにもそう時間はかかりません。ただ、随所にほんとうにバイクに乗ってツーリングをしたことのある人でないと分からない経験が織り込まれていて、頷かされる箇所もあります。

 バイクを売却することになった際、ほとんどの片岡義男の小説は処分してしまいましたが、この本は処分しませんでした。処分するには何かが引っかかったようです。「想い出」という、将来においては、宝物でありながら処分に困る場合もある、やっかいな財産と、登場人物達が上手につきあっているように思えたのかも知れません。

 寝る前に、安楽椅子にでも座って気楽に読むには、とても良い本だと思います。 

角川文庫 絶版(古本屋で探してみて下さい。)

今こそ読むべき「こん日」~

 3月11日の日弁連臨時総会に向けて、総会招集者と執行部との委任状獲得合戦が激化しつつある。

 双方の陣営からFAXが届いて困惑している方々も多いのではないだろうか。

 しかも、かなりぶつかり合っているけれど、なんだかよく分からないなぁという印象をお持ちの方も多いと思う。

 そんな今こそ、私は小林正啓先生の「こんな日弁連に誰がした?」(平凡社新書:821円~略称こん日)を読むべきではないかと私は思う。

 著者の小林先生(弁護士)は、日弁連会長選挙で主流派の陣営に入られたことなどから誤解をされている面もあるが、実に健全な視点をお持ちの方だと私は個人的に尊敬している。

 「こん日」のあとがきには、次のようなことが書かれている。

(以下部分的に引用)

・・・弁護士が全然足りないというなら、寝ていても仕事が来るはずなのに、弁護士会は地方公共団体や企業に、弁護士を使って欲しいと頭を下げてまわっていて、しかも成果を上げられずにいた。

 事件数は増えるといいながら、やっていることは少額事件を司法書士や行政書士と奪い合うことだった。多額の国費をかけて弁護士を増やして、司法書士や行政書士との仕事の奪い合いをさせるなら、はじめから司法書士や行政書士を増やせばよいのだ。しかも弁護士会は、ボランティアでしかできない赤字事件の範囲をどんどん増やし、若手にしわよせが及んでいた。そんなことが続くはずがないのに。全てがちぐはぐだった。・・・

・・・主流派の中核となる弁護士たちは、司法改革を連呼するばかりで、それがなぜ現在のちぐはぐな状況を生んでいるのか、全く説明してくれなかった。疑問を差し挟むとお前は司法改革を否定するのかといわれた。全部否定するのでなければ全部肯定せよとは、まるで宗教だ。

 他方、反主流派の弁護士たちは、政府は弁護士達を大増員して困窮させ、戦争を始める準備をしているのだと大まじめに主張していて、とてもついて行けなかった。

 両派にはさまれた若手弁護士たちは、歴史を知らないまま10年前に終わった議論を蒸し返していた。・・・・・

・・・・この歴史的事実は、先輩弁護士の恥部でもある・・・・・

(引用ここまで)

 3月11日の臨時総会の意味を考えるためにも、態度を決定するためにもとても参考になる本である。是非、意思決定される前に一読されることをお勧めする。

 なお、ちょっとした自慢だが、こん日のサイン入り献呈1号本は、私が小林先生から頂いている。有り難うございました。

「民法改正の真実」 鈴木仁志著(講談社)

 鈴木仁志弁護士の「民法改正の真実」(講談社)を読んでいる。

 非常に面白い。

 私も法曹の端くれとして、民法に携わってはいるものの、実は、どうして民法改正が必要なのか、さっぱりわからずにいた。確か、大阪弁護士会の常議員会で、民法改正に関する弁護士会の意見書を決議するときに、「改正を必要とする立法事実があるのか」と質問したことがあるが、「立法事実はない」という回答だったようにも記憶している。

 立法事実がないということは簡単にいえば、民法を改正する必要性がないということである。どうして改正の必要性のないものを改正するという話になっているのだろうか。

 私も、大学や大学院で講義している際に、学生に対する雑談として民法改正に触れ、立法事実がないのに民法改正をしようとしているのは、学者の自己満足ではないかと冗談で話したことがある。

 つまり、こうである。

 民法学者として最高峰ともいうべき我妻榮が構築した民法理論、体系についてこれを超えるだけの業績を上げた民法学者は見当たらない(例えば、私が司法修習中に見学した民事部の裁判官室には必ず我妻榮の民法講義~岩波書店刊~が常備してあった。このように、実務界に於いても我妻民法の影響は巨大なものである。)。 つまり、今の民法学者はどうあがいても、40年前に亡くなった巨星・我妻榮に対して正面からはかなわない。そうとなれば、自分が民法の第一人者として歴史に名を残すためには、我妻の構築した民法理論・体系と違うところで勝負するしかない。それなら、我妻が構築した民法理論の前提たる民法自体を変えてしまえば良いのではないか、そうなれば我妻の影響のない新民法の下で、自らが第一人者となることも可能であるし、新民法制定に尽力した者としても名前が残る。
 そうとでも考えないと、民法改正を必要とする理由もないのに、敢えて一部の学者が膨大な時間と労力をかけて民法改正をするわけがないのではないか。

 あくまで冗談だと前置きしてであるが、概ねこのような雑談をしたことがある。
 学生の反応は、そんな、わがままな子供のようなことをエライ学者の先生がするはずはないんじゃないの、というものであったし、私も冗談なので深く考えて話したというわけでもなかった。

 ただ、「民法改正の真実」を読むと、上記の雑談での冗談が、冗談とは言い切れない可能性がどうやらあるかもしれない。

 本書の著者である鈴木仁志弁護士は、その著書「司法占領」(講談社文庫)で、司法改革の問題点を指摘し、荒唐無稽な指摘といわれたらしい。しかし、鈴木弁護士が指摘した問題点のうちいくつかは、そんな問題は生じない(考える必要はない)という有識者の無責任な判断に反して、不幸にも現実化してしまった。脳天気な有識者よりも、よほど先を見通す目をお持ちの方のようである。

 その著者がまた、警鐘を、しかも大きな音で鳴らしているのだ。

 本当に民法改正を行ってしまって良いのか、少なくとも法曹実務家の方々には、本書を是非読んで頂きたいと強く願う。

「いろはにほへと」~鎌倉円覚寺横田南嶺管長ある日の法話より

先日、私が郷里の和歌山県に帰省した際に、母親が「この人同級生とかじゃないの」と新聞記事の切り抜きを見せてくれた。

記事には、私の母校である新宮高等学校出身の横田南嶺老師が、鎌倉円覚寺の管長になられたとの内容が書かれていた。

「横田さんってのは、同級生では知らないなぁ・・・、しかもこんなエライ人なんて・・・・・いたかなぁ・・・・。」と、せんべいをかじりつつ記事の写真を見てみると、そこに写された人影に見覚えがあった。

生徒会で一緒に活動させていただいた、あの横田さんじゃないか。確か、私の1年上の学年だった。ずいぶん穏やかになった感じはうけるが、眼鏡の奥の優しそうなまなざしは変わらない。

当時生徒会は、文化祭・体育祭の企画などもしており、雑用係的なところもあった。そのせいか、生徒会の事務などのように面倒なことを引き受ける人がいなくて大変だった。また定かな記憶とは言い難いが、横田さんが中心になって長らく廃刊になっていた生徒の文芸作品を載せる文芸誌の復刊を果たした記憶もある。

そのような生徒会を横田さんとお友達が支えておられて、どういうわけか私もお手伝いさせていただいていた。(私は片道1時間くらいの汽車通学をしていたが、23時発の夜行で自宅に帰り、翌日の始発で学校に出向き学校の窓から入りこんで作業をしたことも今では良い思い出だ。)

横田さんのお友達から、横田さんがずっと瞑想し、気が充実するや一気に書を書くことがあるとか、武士のように切れ味が鋭いところがあるなど、いろいろ聞かされて結構びびっていたのだが、実際にお話ししてみると怖い方ではなく、一言で言えば真っ直ぐな方だったように思う。

私は、生徒会のかなり下っ端の方だったので、おそらく横田さんの記憶にはもう残っていないだろうが、確かに当時から高校生離れしたなにかを持っていた方だった。当時の私の記憶からしても、横田さんの今のお立場は納得である。

その横田南嶺管長の法話をまとめた本が、「いろはにほへと」だ。

法話と言うからには堅苦しいのかと思えばそうではない。美しい写真とともに分かりやすい言葉で、迷いがちな私達へのヒントが優しく綴られている。

好評らしく、この6月に第2弾も出版されたようだ。

せわしない現代社会で、疲れたなぁ、と思ったときにどの頁でも良いので開いて見て欲しい。

忙しさのあまり、自分は大事なことを見失っていた、そればかりか、自分が大事なことを見失っていたことすら忘れていたようだ、と気付かせていただけるのではないだろうか。

一度お読みになることをお勧め致します。

発行 円覚寺

発売 インターブックス

定価 700円(税別)