最高裁判所は、法科大学院、法務省に対して怒っている??

法曹養成制度改革顧問会議の第3回議事録が公開されている。

その中で、吉戒顧問の発言で気になる部分があった。

吉戒顧問は、現在は弁護士であるが元東京高裁長官であり、裁判所内部での出世として考えれば、ほぼ頂点まで上り詰めた方である。当然、最高裁判所にも太いパイプをお持ちだろうし、顧問会議のメンバーから見て最高裁の意向を反映させるために選出された方であることはほぼ間違いないだろう。

顧問会議の中で、司法試験に合格しても、実務修習を受けるだけの実力がない者がいるという話が出た後で、導入修習が必要だろう、どれくらいの期間が必要かとの議論に入っている際に、吉戒顧問から次のような発言が出ている。

これは私たちが受けた制度ですけれども、旧制度のときには司法試験という点の選抜を経て、いわば教科書的な知識しかない司法修習生に2年という長い期間をかけて実務教育をしたわけなのです。ですから、司法修習の最初におきまして、実務の基礎教育として前期修習をする必要がありました。

しかし、新しい法曹養成制度の下では、2年から3年の法科大学院の教育、司法試験、1年間の司法修習というプロセスとしての法曹養成になったわけなのです。それで、法科大学院では法理論教育を中心としながら実務教育の導入部分をも併せて実施することとし、実務との関係を強く意識した教育を行うべきであるとされたのです。そして、法科大学院において充実した教育が行われ、かつ厳格な成績評価や修了認定が行われることを前提として、新司法試験は法科大学院の教育内容を踏まえたものとするとされたわけであります。

つまり、法科大学院で実務基礎教育が行われて、それが司法試験で試されて、法律実務の基礎的知識があるという前提で司法修習が開始されることになったわけです。したがいまして、従来の座学を行う前期修習は廃止されて、司法修習生はそれぞれの実務修習庁において、そこで直ちに生の事件、生の当事者に接する実務修習を開始するというのが司法修習の制度設計であったはずなのです。

それが今般、こういう事態になったのは、やはり一部の司法修習生を見ますと、私もそう感じますけれども、修習の当初におきまして、例えば、民事でいいますと、要件事実とか、あるいは立証責任とか、訴訟物についての理解が欠けている者がいることは事実なのです。そういう知識・能力の不足があるのは、ある意味で一部の法科大学院で本来の実務教育が行われていないということではないかなと思います。率直にいえば、問題は一部の法科大学院の教育でありまして、そのツケを実務修習に持ち込んでいるのではないかなと思います。本来の対処の仕方としては、先ほど申し上げましたけれども、法科大学院の実務基礎教育の充実を図るべきであると思います。

おそらく最高裁の意向を受けている、吉戒顧問がここまでいうのだから、最高裁はきちんとした教育と卒業生の質の担保ができていない法科大学院、そして能力不足の受験生を合格させている司法試験、の双方に対して、相当怒っていると見ていいのではないだろうか。

法科大学院は、「理論と実務の架橋を行います。双方向授業でプロセスによる教育を行います。また、実務基礎教育をきちんと施します。厳格な修了認定もします。」と約束したのに、できていないじゃないか。

司法試験は「裁判官、検察官または弁護士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とした国家試験」(司法試験法1条)であるはずなのに、合格してきた者に司法修習を受けるための知識・能力すら不足がある者が存在するとはどういうことなんだ。

吉戒顧問そして最高裁は、本当はそのように言いたいのかもしれない。

法曹養成制度改革顧問会議第2回議事録から~その4

(だいぶ遅くなってしまいましたが続きです。)

日弁連の司法修習に関するアンケートの解説は鈴木事務次長からである。

・司法研修所による統一的な導入的修習がなくなり、弁護実務修習開始時に修習生に弁護実務修習を行う上で支障となるほどに不足している知識・能力があると思ったことがあるかという問いをしております。この点については、弁護士会の方で「思ったことがある」が31会、個別指導担当弁護士では「思ったことがある」は34%、逆に「思ったことがない」は48%と、弁護士会と担当弁護士との間に少し認識の違いが出てきております。

続きまして、問4、先の問いで「思ったことがある」と回答した場合のみ、支障となるほどに不足しているのはどのような知識・能力なのかという質問をしております。弁護士会では、「実務科目についての基本的知識・理解」「当事者法曹としての視点・姿勢の理解」「法曹三者の立場の違いに基づく視点・姿勢の理解」、それから「書面表現能力」といったところが割合的には高くなっているように見受けられます。また、個別指導弁護士を見ると、「書面表現能力」が不足していると回答している人が多くなってございます。

(坂野のコメント)

実務家として必要な知識と司法修習を受けるために必要は知識を比較すればおそらく後者の方がレベルは低いと思います。実際に手術をするために必要な知識と手術を学ぶために必要な知識との比較を考えれば明らかだと思います。

しかし、その低い方のレベルにすら私の受け持った司法修習生は達していなかったと考える弁護士が、3人に1人以上いたということです。

特に書面表現能力の低さは、答案練習の不足との因果関係は否定できないでしょう。思ったこと考えたことを文章に表現することは意外に難しいものです。文科省は法科大学院の予備校化を避けるためという理由で、答案練習に否定的ですが、我が国の民法学の巨人、我妻栄先生が、答案練習の効用を民法案内のはしがきで述べています。答案練習を否定する法科大学院や文科省は、まず、我妻先生を超えてから、答案練習の効用を否定しろ!と言いたくなりますね。

・法科大学院で教育できない知識・能力があると思うかという問を個別指導担当弁護士にしております。64%の681人から、教育できない知識・能力があると思うと返ってきております。

その中身はどのようなものかということに関して、11番でございますが、「法曹三者の立場の違いに基づく視点・姿勢の理解」「社会人としてのマナー」「事実調査に関する基礎的知識・理解」「当事者法曹としての視点・姿勢の理解」「事実認定に関する基礎的知識・理解」といったものが、それぞれほとんど同じような人数で挙がってきてございます。

(坂野のコメント)

アンケートで指摘されている、要素はいずれも法曹実務家に必須ものであると思われますが、法科大学院では教育できない知識・能力であろうと司法修習生を担当した弁護士のうち3人に2人が感じているようです。あんまり法科大学院って理論と実務の架橋に関しては、意味がないようにも思えるんですけど、私の気のせいでしょうか。

・弁護実務修習終了時において、司法修習生に必要な知識・能力を修得させられたと思いますかという問に対して、指導担当弁護士は、「思う」が32%、「思わない」が31%、「分からない」が37%と、ほとんど3分の1ずつということになってございます。

(坂野のコメント)

簡単にいえば、自分の教えた司法修習生は実務家になっても大丈夫だ、と断言できる指導担当弁護士は、3人に1人未満であるということです。こいつは弁護士にしたらまずいんじゃないのという人材が3人に2人の割合でいるのに、現在の2回試験はザルですから、そのまま2回試験に合格して、弁護士として社会にどんどん出て行っているということになりそうです。

医師に例えてみるならば、指導する医師から見て、こいつは医師となるだけの力はないなと思う医師免許保持者が、3人に2人医師として社会に出て行く状況なのです。つまり藪医者率67%以上!怖くてお医者さんに行けませんね。

でも、弁護士ならそれと同じでいいのでしょうか。そんな社会を国民の皆様が本当に望んだのでしょうか?私にはよく分かりません。