令和2年司法試験 公法系科目第1問採点実感から

 令和2年度の司法試験採点実感が法務省のHPで公開されているが、かなり恐ろしい内容になっている。

 以前私は、いまの短答式試験では本当にどうしようもないレベルの受験生を弾く機能しかないのではないかという危惧を指摘したが、まさに私の危惧が現実化している現状を示している。

 まず、公法系第1問(憲法)では、次のような指摘がなされている。

・基本概念(経済的自由、立法裁量、積極目的・消極目的、LRAの基準な等)の理解が正確であるかどうか疑わしいものが多かった。

・審査基準の具体的内容の理解が不十分な答案が非常に多かった。

・営業の自由を(人格的価値があるというにとどまらず)精神的自由そのものとして説明するもの

・国民の福利増進を(積極目的ではなく)消極目的に分類する答案も見られた。

・審査基準と現実の手段審査が対応していない答案も相当数見られた。

・単なる「移動」が(憲法22条1項の保障する)「移転」に含まれるかは自明ではないのに特段説明なく同自由は同項で保障されるとする答案が多かった。

・移動の自由を一般的自由にとどまるとしながら、厳格な審査基準を導いている答案は学説の基本的な理解に問題がある。

 少し憲法を勉強した人間なら分かると思うが、上記の指摘を簡単に言ってしまえば、憲法の基本すら分かっていない答案が目白押しということである。

 正直言えば、営業の自由を精神的自由そのものとして説明するなど大学法学部の試験で書いてもほぼ間違いなく単位を貰えない程度の誤りであって、司法試験の答案としては絶対にあってはならないレベルの間違いであるし、国民の福利増進を消極目的に分類するなども、同様に言語道断の間違いである。おそらく私が受験していた時代であれば、その答案だけでその年は不合格になってもおかしくはない(いわゆるサヨナラ答案)レベルの誤りである。

 いくら試験中に受験生が疲労の極致で心神耗弱状態にあったとしても、そんな間違いは、あってはならない。医師に例えれば、インフルエンザを手術で治せると思い込んでいるのと同じくらい低いレベルの間違いである。

 特に問題なのは、このような論文試験の答案が、短答式試験合格者によって書かれているという点にある。

 つまり、このような低レベルの過ちを犯す受験生を、短答式試験では排除できていないということなのだ。

 そしてそのような受験生も含めて受験者が構成されている論文式試験では、受験者の2~3人に1人が合格してしまう。

 法科大学院卒業生が司法試験受験生の大半を占め、最終合格率も予備試験組に比較して低いという観点からこの採点実感の事実をみるならば、法科大学院が厳格な卒業認定をしているとは、到底認め難いというほかないではないか。

 そうであれば、司法試験できちんと実務家として必要な学識及びその応用能力を判定するほかないし、そうしてもらいたい。


 仮に閣議決定で司法試験合格者を1500人程度としよう定めたとしても、法律の明文に反することは出来ないはずだ。


 司法試験法1条1項には、司法試験の目的として「裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験とする。」と明記されているのだから、きちんと当該目的に従って試験を実施してもらいたいものである。

一枚の写真から~11

ベネチアで見た猫。

猫って奴はどうも良く分からない。

逃げている途中、立ち止まって耳を掻いてみせたりするのだ。

もちろん耳をかいている途中で、こちらがさらに追いかける素振りを見せると、すっ飛んで逃げるのだが(笑)。

ベネチアのお土産屋さんのウィンドウに、実によくおさまっていたので、つい撮影。

一枚の写真から~10

先日掲載した、ストックホルムの鐘楼の遠景。

ストックホルムは港町でもあり、高台から見るとそれを強く感じられる。

シリアラインなどのフェリーを使えば、ヘルシンキ(フィンランド)、タリン(エストニア)、リガ(ラトビア)等にも行ける。

実際に、タリンとリガには、飛行機ではなくここからフェリーで出かけたことがある。

ちょっとさみしげな雰囲気と水の都という感じがして、気に入っている一枚である。

一枚の写真から~9

これも何年か前の年賀状に使った写真である(と思う)。

毎年、年賀状は自分が撮影した写真を使っているのだが、以前の年賀状を保存していないので、これまでの年賀状にどの写真を使ったのか、ちょっと記憶が曖昧になっている。

・・・・黄昏時に街歩きをしていたら、橋のあたりから鐘楼が見えた。

鐘楼を左右対称に撮ろうと思って望遠で狙ったものだが、左右で少しずれていた(星のような飾りでズレが分かる)のがちょっと残念。

でも背景の雲が良い感じで、不思議な雰囲気は出せたように思う。

場所はストックホルム。

第10期 「法科大学院等特別委員会終了」によせて

 令和3年2月3日、文科省中教審の第10期法科大学院等特別委員会が終了したようだ。
 法科大学院の在り方や教育方法、試験受験資格等に関して様々な議論がなされてきたようだ。

 しかし、法科大学院等特別委員会では法科大学院の教育の在り方についても議論しているはずだと思われるのに、現時点の法科大学院の教育能力の問題について、具体的に検討している様子は私には伺えなかった。

 法科大学院の教育能力がどの程度あるかを評価する場合に、もちろん司法試験の合格率は一つの指標である。
 しかし、旧司法試験時代のように合格率2%(50人に1人合格)の時代ならともかく、現在のように合格率がほぼ40%(2~3人に1人合格)にもなり、選別能力がほぼなくなっている現行司法試験においては、法科大学院の教育能力が実を挙げているかについて、どの程度の答案が実際の司法試験で書けているかについても当然検討が必要であろう。

 どの程度の答案が書かれていてどのような問題点が生じているかについては、司法試験の採点実感等が司法試験委員会から公表されている。まあ誰でも手に入る資料なのだ。

 私は、概ね目を通すようにしているが、正直申し上げて、司法試験の採点実感等は、答案の全体のレベルがとんでもなく低いことが丸わかりの資料である。

 未遂犯の問題なのに理由もなく因果関係の記載をしている答案が多いとか、相続に関する基本的知識がほぼないとか、所有権留保が担保のためであることが理解できていない答案ばかりだとか、問題文の事情を拾うだけで突然結論が出てくる答案があるだとか、まあ普通の実務家から見れば恐ろしい記述が並んでいる。

 はっきり言わせてもらえば、もし法科大学院等特別委員会でこの問題を取り上げたら、「法科大学院には、まともな教育能力がないからもうダメだ」と結論を出しても良いくらいではないかという内容が実は目白押しである。

 さらに言わせてもらえば、法科大学院導入の際に学者達が散々非難していた論証パターンの記述も、いまの司法試験受験生の多くが法科大学院卒業生であるにも関わらず、なくなるどころか、未だに大隆盛である。しかも論証パターンを守ろうとして、書く必要のない論点を無自覚に書いているような答案が目立つとの実感も多くある。

 ところが、私が見た限りであるが令和に入ってから一度も(おそらくそれ以前も)司法試験の採点実感等について、法科大学院等特別委員会が検討した様子は見られない。令和以降に法科大学院等特別委員会で配付された資料をざっと見たが、司法試験の採点実感等について配布された様子はない(私が見落としていなければだが)。

 要するに、法科大学院等特別委員会はなんだかんだと議論してきたが、現状の司法試験での答案レベルのダウンという、教育内容に関連する本質的な問題については全~~~く無視して進行したといっても良いように思う。

 法科大学院を改善するにしても、まず問題点を現実に即して正確に把握する必要があるだろう。

 学者の先生達は、どう足掻いても合格率で叶わない予備試験を敵視するのも結構だが、自分たちが法科大学院で教育結果をきちんと出せているのか、虚心坦懐、見直してから議論すべきだったのではなかろうか。

 自分達に不都合な結果は無視して議論できるなら楽でしょうがないが、おそらくそのような議論では、正しい結論は導けまい。

 次に法科大学院等特別委員会がまたあるのなら、委員になられる学者の先生達に言っておきたい。

 今度こそ、法科大学院礼賛から入るのではなく、まず司法試験採点実感等をきちんとお読み頂いて、法科大学院の現時点の教育能力をきちんと確認した上で、議論を始めて頂きたい。そうでないと、法科大学院等特別委員会が、法曹養成制度自体を崩壊させる一因となる可能性が十二分にあると私には思われる。

離婚事件を手がけて感じる男女差~3

<男性は基本、鈍感である>

 離婚調停などで、女性側から離婚を希望する理由を主張された場合に、よく男性側がいうのが、「そのようなことが不満だったのなら、ちゃんと言ってくれれば、いくらでも解決できていたのに。」というものである。

 つまり、女性側は不満を男性に伝えているつもりになっていても、男性は女性からの不満の訴えを、ただのお話しだ、などと思ってしまっている場合が結構多いように思われる。

 例えば、「この間、あなたの実家に帰ったときに、あなたのお兄さんの奥さんから~~ということを言われたの」と、あなたの妻から言われた場合、女性の本心としては、兄嫁の発言や実家での対応について妻としては不満があって、その不満を訴えている場合もあるのだ。

 しかし、それを聞いた男性側は、兄嫁の発言が相当ひどい発言であったとすぐ分かる場合を除き、「ふ~んそんなことがあったのか」と女性の訴えを、ただのお話としてしか聞いていない場合も多い。

 このような場合、女性側としては不満を伝えたと思っているのに、男性側としては事実を聞いただけと感じているため聞くだけで終わってしまうから、女性としては男性に対して、私の不満に対して何らの対策を取ってくれない人だと感じる。
 そして、そのような男性側の態度に対して、女性側が夫は兄嫁の味方なのか、私の味方をしてくれないのか、とさらに不満を募らせるというパターンも多そうなのだ。

 とはいえ、これは男性の鈍感さだけが問題ではないようにも思う。

 女性の発言も、常に不満を解決して欲しい場合になされるわけではなく、なんとなく共感して欲しくて話している場合もかなりの頻度であるからだ。そしてその区別は、話している女性にとっては当然なのであるが、聞いている男性にとってはその区別が難しいことが多いのだ。

 かといって、女性が単に共感して欲しくて話している場合にも、常に問題解決を依頼されていると感じてしまう夫が仮にいたとしたら、家庭内では逆にうっとうしい存在となる可能性が高く、それはそれで問題が大きいだろう。

 ただ、女性の不満を伝えている発言と、普通のお話しとを区別するだけの敏感さが男性には欠けている場合が多い、つまり女性の視点から見れば、男性は鈍感な存在であることを、男女双方が意識しておいたほうが、良いのかもしれない。

 つまり、女性は男性が鈍感であることを認識して、何かに不満があって男性に問題解決を希望する場合はその旨をきちんと男性に明確に伝える方が良いのだろうし、男性も自らが鈍感であることを自覚して、女性の話に何らかの解決を求める意思が含まれていないのかという点について、少しは気を配るよう心掛けると、お互いの行き違いは少なくできる可能性があるようにも思う。

 結局、一言で言えば、男女間のコミュニケーションをしっかりとろう、ということに尽きるのだが、現実は長年一緒に暮らしてきている夫婦にとっても、そう簡単ではないところが、実際の現場だったりするのである。

(この項終わり)

一枚の写真から~8

以前のブログに掲載したときの題名は「空中ブランコ」だった。

私は、海外旅行に出かけた際にサーカスにも行きたがる癖がある。

これはミュンヘンのクローネ・サーカスでのもの。

劇場もテントではなくちゃんとした建物で、正統派のサーカスという印象があり、何度も観覧しているが、飽きないし、その度に楽しい。

ミュンヘンの子供達は、クローネ・サーカスを見ることができるというだけでも幸せなのだろうと思う。

一枚の写真から~7

2020年の年賀状に用いた写真。

晩秋に、阿蘇周辺の瀬の本高原から、久住高原に向けて車で走行中に撮影した。

写っているのは、ライダーで、この近くにバイクが止めてあった。

ライダーを入れない構図も考えられたが、ライダーを入れた方が雲海の壮大さが伝わるように感じ、結果的にそれは正解だったように思う。

40年前の修学旅行(和歌山県立新宮高校)

 机の引き出しの奥から、なんとほぼ40年前(1982年)の修学旅行の行程表が出てきた!

 画像ではちょっと分かりにくいようなので、日程を以下に書いておく。

(行程表ここから)

信州

黒部・志賀高原・草津・白樺湖方面

昭和57年度和歌山県立新宮高等学校修学旅行行程表

ご旅行期間 昭和57年9月25日(土)~9月30日(木) 5泊6日(船車泊2泊・旅館3泊)

9月25日(土) 新宮20:18(※19:00駅前集合)-修学旅行専用列車・・・名古屋経由→

9月26日(日)→松本6:01=ドライブインマツモト6:30(朝食)7:20=新島々=上高地 散策コース9:00(昼食)12:00※大正池~河童橋まで=信濃大町=扇沢14:40=トロリーバス15:00→15:16=黒部ダム=16:33トロリーバス→16:49扇沢=白樺乗鞍高原18:20 白馬アルプスホテル泊

9月27日(月)白馬乗鞍高原8:00=笹平経由=長野善光寺10:20(昼食)~11:30=須坂りんご園12:00~13:00=志賀草津高原ルート=14:30・・・白根火山・・・16:00=16:40草津温泉 ホテルヴィレッジ泊

9月28日(火)草津温泉8:30=9:20・・鬼押出し園・・10:10=11:00・・軽井沢ドライブイン(買物と昼食)・・12:20=女神湖=14:00蓼科牧場自由プラン(3Hコース) 白樺高原ホテル泊 夜キャンプファイヤー

9月29日(水)蓼科牧場8:00=茅野=9:30・・甲府ぶどう園・・10:30=11:30・・富士急ハイランド(昼食)・・14:30=河口湖IC=中央高速~首都高速=東京IC=17:30東京有明港(夕食)18:20~~日本高速フェリー(船中泊)

9月30日(木)~~宇久井港7:40~8:00=8:30新宮高校(各方面へ)

(行程表ここまで)

 時代としては、国鉄民営化が閣議決定されたものの、まだ実現していない時期だった。

 第1日夜、国鉄の修学旅行専用列車で新宮駅を出発し(紀勢本線の新宮より三重側は電化されていないため、ディーゼル機関車が牽引車であった)、就寝用に着替える際には女子生徒側を見えないように先生方が毛布などで目隠ししていたことがあったような記憶があるが、私の中学校(太地中学校)の修学旅行も確か国鉄の列車で東京方面に向かったような気もするので、中学校のときの列車と記憶の混乱があるかもしれない。

 いずれにしてももちろん、興奮して殆ど眠れなかったはずなので、翌朝松本駅に到着したときは眠かったのだろうと思う。

 第2日目はそこで、早すぎる朝食を取ってバスに乗って上高地・黒部ダム方面へ向かったようだ。

 上高地の記憶が余り残っていないが紅葉の時期でもあり河童橋周辺はかなりの人であったような記憶だけは残っている。トロリーバスで黒部ダムを往復して扇沢に戻ったが、かなり黒部ダムは寒かった記憶が残っている。その後、白馬白樺高原で宿泊したようだ。どうやって部屋割りしたのか覚えておらず、どのクラスメートと一緒だったのかも、今になっては、ちょっと思い出せない。

第3日の善光寺、須坂りんご園は良く覚えていないが、善光寺では精進料理っぽい昼食を食わされたように思う。白根火山はある程度山道を登って大きな火口が湖になっているのを見たのが印象として残っている。確か天気はあまり良くなかったはずである。バス移動が多かったので、担任の道上徹先生は、バスの後部座席にどっかと座り、ビールを呑みながら暇そうに知恵の輪をやっていたように記憶している。今の時代、修学旅行で引率の先生が飲酒したら大問題になりそうだが、当時は大らかなものだったのだろう。宿泊は草津温泉だったが、温泉を堪能したかどうかは記憶にない。

第4日は鬼押出し園を見た後、女神湖・蓼科牧場でかなりの自由時間があったように思う。またその夜はキャンプファイアーも行われるということで、若い男女にとっては、なかなか青春の炎をたぎらせても良いような日程だったと思われる。しかし、私のクラスは新宮高校で1クラスだけ設けられた理数科であった。たまたま、その年に理数科を志す女子生徒が存在しなかったので、共学高校内の唯一の男子クラスという、なかなか厳しい状況下であった。キャンプファイアーの際にフォークダンスもあったように思うが、女子生徒は共学クラスにしかいないため、相当寂しい思いをしたような記憶も微かに残っている。

第5日は甲府ぶどう園に立ち寄った後、富士急ハイランドで昼食をとったが、確か出発時間を遅らせては船に乗り遅れる危険があるということで、アトラクションに乗ることは禁止されていたような記憶がある。ただ、私は中学校の修学旅行でも富士急ハイランドに来て昼食だけ食べているので記憶が混乱している可能性もある。昼食後は高速道路をひた走って東京有明港へ。

いま思えばりんご園やらぶどう園には寄ったくせに、首都東京は通過するだけで国立博物館も国立美術館も何も見学しないという、かなり(文化無視の・・・笑)思い切った選択だったようにも思われる。

当時は「フェリーさんふらわあ」が東京~那智勝浦(宇久井港)~高知と運行していた。確かその頃、オフコースが流行っていて、オフコースのライブ出演するテレビが運行当日にあったような気もするが、はっきり覚えていない。ただ、女子生徒の方が個室などを与えられている反面、男子生徒は私の知る限り全て2等の雑魚寝だったので、同じ旅行代金なら不公平じゃないか・・と思った記憶は、かなりはっきりと残っている。

第6日は、宇久井港に到着して解散となった。日程表上だと新宮高校まで移動してから解散の予定となっているが、新宮高校の生徒の通学圏は結構広く、新宮高校まで移動すると帰宅がより遅れる生徒も多かったので、新宮市の生徒以外で家族の迎えがある者は、宇久井港で解散したような記憶がある。

 多分卒業アルバムの修学旅行の写真を見たりすればもっと思い出せるかもしれないが、40年ほど前の修学旅行とはいえ、行程表を眺めて見るだけでも、旅行内容をそこそこ思い出せることは、ちょっと意外だった。

 旅行の際には、このように思い出せるきっかけや写真などを残しておくと、想い出をより長期にわたって楽しめるのかもしれないね。

PROGRESS~瀬戸優 ペン画集

私が、彫刻家の瀬戸優さんを支援していることは以前ブログに書いたと思う。

現時点で当事務所入り口には、瀬戸さんの彫刻作品が3点とペン画1点が展示されている。

水源-紀州犬

水源-紀州犬2

polaris-コウテイペンギン

の彫刻作品三点と、

ペン画のホッキョクグマである。

この度、瀬戸優さんがペン画集を発売した。

PROGRESS (瀬戸優 ペン画集 Collection of drawings by Yu Seto) | 瀬戸 優, 小山幸彦 |本 | 通販 | Amazon

3月末頃に予約し、本日届いた。

瀬戸さんの作品の魅力は、やはり彫刻なのだという私の意見は変わらないが、それでも、このペン画に描かれた動物たちの生き生きとした表情は、多くのファンを魅了するだろうと思われる。特にオオカミや、フクロウの描写は何度見ても素晴らしい。

私が以前購入させて頂いた、ホッキョクグマ(2017)のペン画や、クロッキー3点もこの画集に含まれていて、なんだかとても得した気分になっている。(事務所にお出での際はお申し出頂ければお見せします・・・・笑)

なお、このPROGRESSには、瀬戸さんの彫刻制作に関する記述も含まれているし、彫刻の写真も載せられているので、お得感は高いと思う。

是非、手に取って頂いて、見て頂きたい画集である。