※ 以下の感想は、慣れないアイパッドミニで実況中継しながら聞いていた私の記憶に基づく印象・感想であり、誤解を含んでいる可能性も否定できません。実際の質問・討論の内容については、是非議事録をご参照下さることをお薦めします。
3月11日の臨時総会は、正直言って疲れる総会だった。
ひとつには法科大学院出身の若手の先生方が元気よく質問、討議されている姿は、悪くはなかったが、その内容が至極残念だったからだ。
ある若手の先生は、「隅々まで法の支配をという、司法改革の理念に賛同したから、法曹を志願した。(だから司法改革は悪くない)」と主張されていたようだが、隅々まで法の支配を、という理念を元もとお持ちだったのなら、なぜ、司法改革が唱えられる前、法科大学院制度が出来る前から、旧司法試験にチャレンジして自らの理想を実現するよう努力されていなかったのか。真に理想に燃えておられたのであれば、合格の可能性が飛躍的に高まる法科大学院制度の実現を待つ必要など無かったはずだ。
ある若手の先生は、「自分の周りに食うに困っている若手はいない。就職に関しても、もはや売り手市場になっていると認識している。」と発言されていたようだが、一括登録時に登録できず、その後も登録できていない若手・同期の修習生の存在を完全に無視している。少し調べれば分かる事実だ。発言者は、おそらく有力法科大学院を卒業し優秀な成績で合格され、就職には何ら苦労しなかったし、発言者の友人もそうだったのかも知れない。しかし、その事実だけから自分の周囲以外の若手の就職が、今もこれからも安泰で、就職も売り手市場であり続けると断言できるはずがないだろう。そこを敢えて断言することは、プレゼン能力でもなんでもない。単なる思い込みか、強弁にすぎない。
努力が必ず評価されるという公平な世界なら、評価されない人は努力不足なので自己責任と言われてもやむを得ない場合もあろう。しかし、人生とは不公平なもので、どんなに努力しても報われないこともある。自分は悪くなくとも、不幸な事故に巻き込まれることもある。人生の不公平さをおもんばかり、不幸にも競争に敗れた者にも敬意を払うべき場面もあるだろう。自らの現在の地位は、たまたま幸運に恵まれただけかも知れないのだから。
しかし、発言者には、残念ながらそのような配慮は感じられなかった。
また、ある先生は「独学時は、予備校で学び論点暗記主義で合格できなかったが、法科大学院で考え方を学んで合格できた(だから法科大学院は良い制度だ)。」と発言されていたようだが、もともと旧司法試験だって、論点暗記主義で合格できる試験ではないから、当たり前であり、旧司法試験時代でもダメだと言われていた論点暗記主義を採用し、考え方を身に付けなければならないと気付けなかった点にむしろ問題があるように思う。だから、この先生の発言は法科大学院を支持する理由にはならないように思う。
多くの若手の先生方は、若手の質が悪いと言うなという点に触れておられたように記憶するが、志願者が減少し、受験者層が薄くなっているのだから、上位層はともかく全体的な質は当然落ちている。旧司法試験では、合格者激増の時代を除いて、東大・京大出身者でも10~15人に1人しか合格できなかった。多数の受験者がありながら合格者を殆ど排出できない大学はたくさんあった。今は、東大・京大出身者はもっと高い確率で合格しているはずだし(既に優秀な人材は法曹界を見限って他の業種を志望している可能性も高いと思うが)、かつて合格者を殆ど出せなかった大学でも合格者を相当数輩出できているはずだ。また運動競技に例えても、同じ競技で全国大会の上位30人と、県大会の上位30名を比較すれば、全体としてどちらがより成績優秀である蓋然性が高いかは明白だろう。
最高裁が、2回試験のトンデモ答案を公表した事実や、司法試験委員の採点雑感等を読めば、年々ひどくなっていく受験生の質が明確に現れているように思われる。
採点雑感に関する意見にも、つい数年前、司法試験に合格したからといって優秀だと思わずしっかり勉強しろという趣旨の記載もあったように記憶している。採点委員からみても、これはまずいというレベルでも合格できる試験になっていることの証左ではないだろうか。
さらに、若手の先生だと思うが「年寄りの議論に付き合っている暇はない」
とヤジを飛ばしていた。元気なのは結構だが、あまりに目に余るヤジだった。
発言する度胸は良いが、発言内容は、根拠なく断言する発言が多いため到底説得的とは思えず、私にはかなり残念な内容に思えた。法科大学院はプレゼン能力も身に付けさせていると言っていたような気もするが、発言する度胸を身に付けることだけでプレゼン能力を高めたと考えているとしたら、それは完全に誤っていると思った。
私は、丙案の犠牲になったこともあり司法試験合格には苦労した。合格した際に、自分が優秀だとはもちろん思わなかった。こんな実力で合格してしまって良いのだろうか、と思った。修習時代には、他人の人生を扱う、仕事の責任の重大さに震えた。もっと勉強しなければならないと思った。そんな記憶がある。
しかし、私が若手の先生方の発言から感じたのは、おそらく私が司法試験に合格した際に感じた感覚とは異なった印象だった。
大変失礼な物言いになるかも知れないが、俺たちは、立派な法科大学院を卒業して司法試験に合格しているのだから、厳しいと言われている状況でも食っていけてるのだから、質が悪いと言うな。という、自らの未熟さを顧みない、ある種傲慢な感覚をお持ちのように感じられた。
弁護士は(そしておそらく人も)いつまでたっても勉強だ。いつまでたっても未熟な存在なのだと思う。自らの未熟さを顧みることが出来ないとすれば、それは危険な兆候ではないか、と私は思う。
私は、第2案が否決されたことを確認して会場をあとにした。
村越会長の挨拶がホールに響いていた。
村越会長が、若手の発言を心強く思った、という趣旨の発言をしているのが聞こえた。これを法科大学院制度の成果と言ったかどうかは聞き逃したが、とにかく結論として法科大学院を支持する内容の若手の発言を誉めている発言をされているように聞こえた。
私は、日弁連の自動ドアをくぐりながら、背後に聞こえる、若手の発言内容を全く考察していないと思われる村越会長の発言に愕然としながら、やはり、もう日弁連はダメなんだろうな、との思いを押さえきれずにいた。