法科大学院と奨学金~その2

 (法科大学院と奨学金~その1からの続き)

 そうでなくても、現在過払い金訴訟を除けば、民事訴訟は減少の一途ですし、倒産処理案件も横ばいです。企業も不況のためか、なかなか弁護士を採用しません。法律問題は当初の予測(近いうちに欧米並みに法律問題が多発する社会になるという予測)よりも大幅に下回っているのです。国民にさほど必要とされていないかも知れない法曹を育てるために法科大学院に手厚い給付を行うのは、果たして正しいのかとすら思えます。

 簡単に言えば、旧司法試験+司法修習という制度は、誰もが受験できる(丙案を除けば)公平な司法試験に頑張って合格した人を、お金をかけて一人前の法曹になるよう、司法修習を受けさせてきたようなものでした。試験に合格するまでの実力は、自分で身につけてもらい、その実力を身につけた人を育てる方式です。

 例えとして適切かどうか分かりませんが、誰もが公平に参加できる田んぼに籾をまいて、自力で育った稲の内、上位数%の育ちの良い稲だけを司法試験で選別して残し、その稲に十分な肥料と水(費用と時間)を与えて、実がなるまで育てる(司法修習)ような方式でしょう。

 ところが法科大学院方式は、入学時点でのある程度の選別こそありますが、田んぼに籾をまいて、育つかどうか分からない時点から肥料と水(費用と時間)を与えて育て、そのうち約30%の育ちの良い稲を新司法試験で選別し、さらに肥料と水を与えて育てる(司法修習)方式です。新司法試験受験時点で、せっかく育てたものの、水準に達しなかった70~80%の稲は(法務博士としての知識は認められるかも知れませんが、社会がそれを評価しないのであれば)無駄になる危険性があります。また、そうなれば、水準に達しなかった稲に与えた水と肥料は馬鹿になりません(さらに、実ろうと頑張った稲にも相当の負担~法科大学院費用と時間~がかかっています)。

 このようなことを書くと、それでは、プロセス重視の教育という趣旨に反するのではないかとの、反論が法科大学院を支持する方からありそうです。しかし、プロセス重視の教育とはどんなもので、どれだけ有用なのか明らかになっているのでしょうか。なんとなく、プロセスによる教育が良いと思いこんでいるだけではないのでしょうか。司法試験予備校の弊害を指摘してプロセスによる教育充実した教育を目指したのが ロースクール制度だっのでしょう。しかし、ロースクール制度が長期間運用されているアメリカでも、司法試験予備校は存在するそうです。

 私は、プロセス重視の教育がどんなものか分からなかったため、大阪での日弁連会長候補公聴会で、ある候補者に聞いてみました。お答えは、勉強と併行して法律相談などの実地体験を積ませることなどを、プロセス重視の教育の例として説明を受けました。通常の講義による教育に比べて費用も時間もかかるようです。

 でも、実際の法律相談なんて、私達旧司法試験合格者も司法修習時代にやっています。弁護修習時代にそれこそ本当に事件に直面している依頼者の方に対し、指導弁護士と一緒に必死で解決を考えることを私達もやってきました。これまでの制度でも、旧司法試験合格後、法曹になる前の段階で十分プロセス重視の教育は行われてきていたのです。

  プロセスによる教育が必要と仮定して、①ほぼ確実に法曹になる力を身につけた人間を選抜してその人材にプロセス重視の教育を与えるのが私達の時代の旧司法試験制度、②とりあえず結果が出るかどうかを考慮せずプロセスによる教育を与えてそこから選別しようとするのが、現在の法科大学院制度である、とも言えるかも知れません。

 プロセスによる教育に時間も費用もかかることを考えれば、いずれの方が無駄が多いかは、明白です。

 誰かの援助か、返済不要の奨学金を得ない限り、受験生に奨学金という名の借金を負わせる現行制度が、本当に多様な人材を、一定の水準を保って法曹界に供給するに相応しいものなのか、私には分かりません。

 確かに、法科大学院側の先生は功成り名を遂げた学者の方が多く、その発言に重みがあることも事実です。しかし、これまでの教育とプロセス重視の教育が違うものであるならば、いくらエライ学者さんでも、法科大学院での教育については、まだ始まったばかりの素人です。

 既に猫専用のドアを自宅に取り付けていたにもかかわらず、子猫が生まれた際に、アインシュタインは、子猫用のドアを作るように指示したという笑い話があります。この話にもあるように、エライ学者さんでも間違うことはあります。絶対と言うことはありません。

 法科大学院側の言い分ばかりを(報道したり)聞くのではなく、きちんと冷静に何が一番国民のために必要なのか、という視点で考え直す必要があるのではないでしょうか。

法科大学院と奨学金~その1

 かつて、法科大学院制度を導入する際に、高額な学費を支払えるお金持ちしか弁護士・裁判官・検察官になれなくなってしまうのではないか、という危惧があったと聞きます。

 これに対し、法科大学院制度を推進する方々は、奨学金制度を充実させるから大丈夫だと、仰っていたように記憶しています。

 果たして、本当に大丈夫なのでしょうか。奨学金は確かに返済しなくて良いものもありますが、多くは返済義務があるものです。また日本学生支援機構の奨学金は、無利子の奨学金もありますが、当然有利子(固定利率ですと年利約1.4~1.8%)のものもあります。

 つまり、親の援助のない人は、借金して法科大学院に通ってね、というのが学生の金銭面から見た法科大学院制度です。当然裕福な親御さんばかりではないので、法科大学院を卒業した時点で、奨学金という名の借金を背負った卒業生が多数出ます。その卒業生が、新司法試験に合格すれば、司法修習生となり弁護士・裁判官・検察官への道を歩き始めます。

 新司法試験に合格できなければ、法科大学院を卒業した法務博士の称号と借金だけが残ります。一方、新司法試験に合格したからといって奨学金の返済が免除になるわけではないので、借金を背負って司法修習生活を1年間送ることになります。

 奨学金という名の借金をどれだけ背負って、司法修習生になっているかについて、日弁連はアンケート調査を行っていますが、公開はされていません。私は、その内容を見せて頂いたのですが、結構ショッキングなデータが載っていました。

 さらに、2010年11月採用の司法修習生からは、司法修習中の給与もなくなりますので、司法修習をしている1年間は誰かの援助か借金をして生活しなければなりません。司法修習生には修習専念義務があり、アルバイトすらできないからです。

 法科大学院で借金をし、さらに司法修習で借金をする。おそらく、相当多額の借金(人によっては1000万円を超えると思われます。)を抱えて弁護士になる人が、今後多く見られるようになるでしょう。そのような弁護士達に、社会正義や人権のために仕事をしろ、といっても無理です。誰だって自分の生活がまず大事だからです。家族がいればなおさら借金の返済を優先的に考えるはずです。

 弁護士の仕事には、他人のお金を扱う仕事も当然入ります。その場合に(制度変更の犠牲になった)弁護士が、儲け第一主義に走っても、責めることはできないように思います。働いて、まず借金を返さなければならないからです。

 借金返済に必死にならざるをえない弁護士が巷にあふれかえることは、本当に国民の皆様のためになるとは私には思えません。私は少なくとも、司法修習中は給与を与えるべきではないかと思います。

 この点、厳しい国家財政の中で、司法修習生に給与などとても出せないという御意見があるかも知れません。しかし、法科大学院に対して手厚い給付をしているのであれば、その給付を回せば足るのではないでしょうか。

(続く) 

街灯

 夜に空港に着き、市内に向かう交通機関に乗っているときに、あ~海外に来ているな、と一番実感させてくれるのは、私の場合、街灯の明かりである。

 どういうわけか、ヨーロッパの街ではオレンジ色のナトリウム灯が街灯に使われていることが多い。もちろんドイツなどでは水銀灯も目立つが、私の少ない訪欧経験では、繁華街はともかく市井の人々が暮らすような地域には、ナトリウム灯が街灯に使われていることが圧倒的に多かったように思う。

 この街中にともるナトリウム灯が、寂しいというか切ないというか、故郷を遠く離れているんだなぁということを、何故か私に感じさせてくるのである。

 高校の文化祭の準備などで帰宅が遅れ、がらんとした4人がけの夜汽車の椅子に一人座り、窓枠にほおづえをついてボンヤリと外を見ているときに、どこかの民家で、蛍光灯ではなく白熱灯の明かりがともっている。私は、自分の将来に対する、漠然としているがどうにも拭いきれない不安の大きさを感じながら、窓の外を流れ去る、誰の家のものとも知れぬ白熱灯の明かりに少し暖かさと優しさを感じ、わけもなく切なくなっていく。

 どうして切なくなるのか、私にもはっきりと分からない。不安があったせいなのか、誰とも知らぬ人が一生懸命に暮らしていることを高校生なりに感じていたのか、それすらも分からない。

 しかし、ナトリウム灯に照らされた街では、その頃の気分が、街中どこを見ても感じられるような気がするのだ。

 だから、私の気分は、ナトリウム灯のあかりに、めっぽう弱い。

日弁連会長候補近畿地区公聴会

 日弁連会長候補者の近畿地区公聴会が、本日大阪弁護士会2階で開催されました。

 事前に質問状を出していたこと等から、初めて参加してみましたが、思ったより参加者が少なくて驚きました。4人がけの机にも、一人か二人がせいぜいでした。特に若手の方の参加が少なかったのが残念です。多分お仕事でお忙しいのだとは思いますが、自分たちの将来を左右しかねない機会ですから、もう少し候補者の意見を直接聞いてみた方が後悔しなくて済むような気がします。

 弁護士は(少なくとも私は)、法廷・交渉等の仕事の場では、相手が日弁連会長であれ、有名弁護士であれ、全く臆することなく対等に張り合うものです。

 しかし、こと、各弁護士会・日弁連の方針を決定する際に限れば、各弁護士会の会長や日弁連会長の意向が大きく影響します。私はここ1年間、常議員会に出席させて頂いて、ようやくその事実が少し理解できるようになりました。

 日弁連会長選挙は日弁連の舵を誰に任せるかという点に関するものであるばかりではなく、会員の意思を反映できる極めて貴重な機会であって、真剣に考えなければならない場面である、ということも、併せてだんだん分かってきました。

 だからこそ、仕事で忙しいことは百も承知ですが、若手の弁護士の参加が少ないことが残念に思えたのです(もちろん私とて暇ではありませんが。)。

 さて、私の質問は、両候補に対する質問で、多岐にわたるものでしたが、あまり詳細に紹介すると私の私見も入りますし、選挙違反だといわれても両候補にご迷惑をおかけするので、私の質問の中でおそらく両候補ともほぼ同じ回答をされたと思われる質問を一つだけを紹介させて頂きます。

☆弁護士過疎偏在対策についての質問
・弁護士過疎・偏在対策について対応されるということですが、事実上、経済的に支援するから過疎地に行ってきなさいと主に若手に勧める施策のように受け取れます。そのような施策が弁護士過疎偏在対策の切り札にならなかったのは、これまでの歴史が証明しています。候補は自らの利益ではなく弁護士全体の利益を願って立候補されたはずですから、当選された後、万一任期中に執行部が想定する弁護士過疎・偏在の解消が実現しなかった場合は、自らの執行部の責任として、執行部理事が数年間過疎地に直接赴任するよう義務づけるとか、執行部理事自らが数年間過疎地に事務所の支部を設けて直接過疎対策に当たることを義務づけるなどすれば、弁護士過疎などあっという間に解消されるように思われますが、そのお覚悟はありますか。そうでなくても、この考えにつきどうお考えですか。

 両候補とも覚悟はあると明言されましたが、(仮定の話でもありますし)実際に任期終了後に過疎地に行って頂けるのか、上記のような制度を日弁連執行部理事に義務づけることができるのか、ということについては、なんやらかんやら仰って、抽象論でかわされてしまい、あまり明確なお答えを頂くことはできなかったように記憶しています。

 候補者は、大抵、選挙公報どおりの回答になりますが、直接質問すれば思わぬ一面が見られて、投票の参考になるはずです。まだ公聴会が開かれていない地域の若手の方は、是非直接候補者に疑問をぶつけて、いずれの候補者に日弁連の舵取りを任せるべきか、(他人の薦めや情実による投票ではなく)自分の意思で判断し、投票されることをお勧めします。 

日弁連会長選挙~その4

☆ 隣接士業の問題

 弁護士の隣接士業とは、司法書士、税理士、弁理士、行政書士、社会保険労務士、土地家屋調査士など、いわゆる隣接法律専門職を意味するといわれます。もともと、海外先進国では隣接士業が発達していないことも多いので、そこでの弁護士は、日本では隣接士業が担当している職務を生業としている者も多いと聞きます。
 ですから、海外先進国と異なり隣接士業が発達した日本では、国民への法的サービスを提供する専門家が不足しているかどうかを判断する際には、弁護士の数の比較だけをしても意味がないのです。元法務副大臣の河井克行衆議院議員によると、隣接士業や企業法務部(アメリカでは弁護士が担当している)を加えると、日本は既に、アメリカに次いで法律家の多い国になっているそうです。

 ところで、弁護士には、弁護士自治と、法律に特別の定めがある場合を除き法律事務の独占が認められています。

 弁護士自治が仮に認められておらず、国や法務省に弁護士が監督されていた場合、もし薬害肝炎訴訟のように国の判断に間違いがあったりした場合、国を相手に訴訟をする弁護士はおそらくいなかったかもしれません。監督者である国に刃向かって、資格を剥奪されては、訴訟も継続できませんし、その後の生活もできなくなるからです。

 国が神様のように絶対に間違いを犯さないのであれば、それでも良いのでしょうが、薬害肝炎の他、消された年金事件のように国にも間違いや不正は生じ得ます。そのような場合、誰が国を訴えて損害を回復してくれるのでしょうか。この点、加害者に刑事責任を問えば良いという方もいるかもしれません。確かに刑事責任を検察が追及してくれれば刑事責任は問えるでしょう。しかし、被害者は、加害者が懲役になってもなんら被害の回復にはなりません。民事責任をどうしても追及する必要があるのです。

 分かりやすく言えば、交通事故でケガをさせられた場合、加害者が罰金刑になったからといって被害者の方は、その罰金がもらえるわけではありません。被害者としては、きちんと治療費や慰謝料などを加害者に支払ってもらわないと(民事責任を果たしてもらわないと)被害が回復できないのと同じです。

 誤解を恐れずに簡単に説明すれば、国という最大の存在に人権・権利を脅かされたときに、最後の砦として、憲法・法律を武器に被害者と一緒に、国と戦うことを可能にするために、弁護士自治があるのです。

 次に、法律事務は国民の権利義務に直接関わるものです。司法試験に合格したからといって必ずしも優秀な人材とは断言できませんが、少なくとも司法試験に合格するだけの勉強をしてきた法律家に任せた方が、国民の利益になると考えられているからです。看護婦の資格試験にしか合格していない人(又は獣医さんでも良いかもしれません)に、医師のような人間の診断や手術を任せるべきではないという考えに近いと思います。
 

しかし、隣接士業からすれば、自分たちの活動領域が広い方が暮らしやすいのは当然です。したがって、隣接士業から、弁護士の職域を解放しろとの要求が強まりつつあるのが現状なのです。

 私からすれば、新司法試験は合格率にして旧司法試験の10倍合格しやすくなっているのだから、堂々と新司法試験を受けて合格すればいいのにと思うのですが、各士業は政治献金やロビー活動などを積極的に行って、法律を改正させようと頑張っており、ある程度成功を収めつつあることを良く耳にします。しかし、果たして法律を改正して、隣接士業に法律事務を解放するのが本当に国民の皆様のためになるのでしょうか。私は疑問だと思います。

 前置きが大分長くなりましたが、隣接士業との関係について、両候補はどう考えているのでしょうか。

山本候補は、
隣接士業に現在認められている訴訟(一部)代理権や、訴訟手続への関与は、司法制度改革審議会意見が指摘するとおり、あくまでも「当面の法的需要を充足させるため」の過渡的措置に過ぎず、「法の支配」を確立する役割は法曹としての弁護士が本来負うべきであって、弁護士人口が休息に拡充し、弁護士に対するアクセス障害が解消していく現状に鑑みれば、隣接士業の理念なき権限拡大(家事事件の代理権、行政不服手続の代理権等)は、国民の利益を疎外するものとして阻止しなければなりません。国民の利益・便益の観点から、隣接士業との協働ないし連携をその限りにおいて計ることは必要ですが、業際の厳格化と非弁取り締まりの強化は重要だと考えます。
と主張されます(若干文章を修正しています)。

宇都宮候補は、
公認会計士・税理士など隣接士業との協働を通じて依頼者に対するサービスの質を相乗的に高めるとともに(中略)各業務領域について適切な棲み分けを確立していくことを計ります。市民にとって弁護士こそ「頼もしい権利の護り手」「信頼しうる正義の担い手」であるという立場から、多重債務事件での司法書士との適切な棲み分けの問題について、司法書士会との協議に積極的に取り組みます。司法書士の「制約なき法律相談権」、行政書士の「行政不服審査の申立代理権」、社会保険労務士の「簡裁訴訟代理権」及び「労働審判代理権」等の職域拡大要求は認められるべきではありません。
と主張されます(若干文章を修正しています)。

 一見して、隣接士業との関係について、山本候補は対決、宇都宮候補は棲み分け、という対応を取ることが分かります。

 この問題に関する山本候補の主張は、本来法律事務は、裁判官や検察官と同じ司法試験に合格した、弁護士が行うべきものである。それが国民にとっての利益のはずだ。弁護士の数が増加しつつある現状では隣接士業に頼らずとも本来法律事務を担う弁護士が対応することができつつあるし、対応するべきだ、とする非常に明確で力強いものです。

 対して、宇都宮候補は、少なくともこの問題に関する限り、明確とは言い難い主張に読めます。

 例えば、司法書士に対して認められるべきでないのは「制約なき法律相談権」だけなのか、家事代理権を認めても良いという主張なのかはっきりしません。過払い金訴訟で地方裁判所において本人に訴訟させ傍聴席から指示を送るという脱法行為に近い活動を行う司法書士や、派手な広告などで多重債務者をかき集め、契約金をたっぷり払わせておきながら、債務整理の途中でうまく行かなくなると弁護士会へ行け、契約金は返せないと放り出したりする司法書士も報告され、問題化しつつある中、果たして、多重債務事件について適切な棲み分けが可能なのか、司法書士会と協議するだけでよいのか疑問があります。

 宇都宮候補は、多重債務者問題に世間の関心が薄い頃から、司法書士と連携してその救済に当たる活動をされてきたと聞いており、その関係から司法書士会に対して明確な対決姿勢を出し難いのかもしれません。しかし現在最も弁護士の職域に食い込もうとしているは司法書士であることは、まぎれもない事実ですから、この問題で弱腰になることは大いに問題が生じうると言うべきでしょう。弁護士の数が全く増えていないのであればいざ知らず、1990年頃から弁護士は2倍に増えているのです。病気の人は、本来お医者に診せるべきです。看護婦さんや獣医さんに診断してもらうべきではないように思います。

 ただ宇都宮候補も、棲み分けと記載しているだけで、その内実は対決なのかもしれません。また、山本候補の文章は、相当力強いものの、読み方によれば理念なき権限拡大でなければ認める趣旨と受け取れないこともありません。また、文章の表現だけから両候補の真意を汲み取ることは必ずしも容易ではなく、私の誤解もあるかもしれません。

 今後の両候補の、見解が注目されます。

※この文章は、あくまで両候補の「政策及び意見」として公表されたものをベースに作成したものであり、その後の両候補の言動から私の見解が的はずれになることも十分あり得ます。両候補の最新の主張を是非ご参照下さい。また、この文章が両候補のいずれを支持するものでもないことは先に述べたとおりです。あしからずご了承下さい。 

日弁連会長選挙~その3

☆予備試験問題について

 まず予備試験とはなんであるかについて簡単に説明します。現在行われている新司法試験は、法科大学院卒業者しか受験できません。そういう制度に作ってあるのです。

 ところが、法科大学院に通うことができない人や、高額な法科大学院の費用をまかなえない人は、法科大学院を卒業できないのですから、当然、新司法試験を受験することすらできず、弁護士・裁判官・検察官になりたくてもあきらめて下さいということになります。

 これでは、能力がありながら経済的理由で法曹になれない、平たく言えば、お金持ちしか弁護士・裁判官・検察官になれないという結果を招きます。そこで、予備試験というルートを設け、予備試験に合格すれば、新司法試験を受験する資格を与えようという制度が作られています(2011年~平成23年より実施予定)。
ところが、その内容については、殆ど白紙状態です。

この点について、日弁連会長候補者も見解が分かれます。

・山本候補は、この問題に関して、「法科大学院が新たな法曹養成制度の中核的教育機関であることを踏まえ、あくまでごく例外的な法曹資格取得の途として運用されるべきです。」と主張されます。

・宇都宮候補は、この問題に関して、「法科大学院の現状は、多様な人材を法曹に迎え入れるという理想通りになっているのか、そして、今後、法科大学院教育が質的に優れていいることは、別ルートからの受験者との競争によっても検証できるのではないか、等の視点から、司法試験予備試験を「例外的・補完的なもの」として位置づけるのが適切であるのか、再検討します。」と主張されます。

 予備試験に関して「例外的・補完的」な手段としようとする山本候補の立場の方が、位置づけに関して再検討するべきとする宇都宮候補よりは明確です。

 しかし、その明確な立場が、果たして妥当なのか、そこが問題です。

 予備試験について、これまで法科大学院側は一貫して、合格者を極めて限定的にすべきであると主張してきました。これは山本候補と同じ主張です。その主張の根拠は、暗記重視と批判された旧司法試験から、プロセスによる教育を重視する法科大学院教育になったのだから、プロセスによる教育を経ていない予備試験合格者は極めて少なくするべきだという、一見もっともな理由です。

 ところが私は、予備試験合格者を極めて限定しようとする見解については、
① まず、法科大学院の従来の立場と矛盾すること。
② 新司法試験の機能を完全に無視しています。
③ サービスの受け手である、国民を無視しています。
④ 予備試験合格者を広げた方が多様な人材の登用につながる。
⑤ 法科大学院制度は、司法過疎の解消につながらない。
という点から反対です。

 基本的人権を擁護し社会正義の実現を旨とする弁護士、そして弁護士とともに司法の中核を担う裁判官・検察官は特に、公平・公正な試験で合否を判断されるべきであり、お金がないから法曹(弁護士・裁判官・検察官)になることをあきらめた、という人を可能な限り、なくす必要があると思うからです。
(この点に関する私の意見は2009.3.28付けブログ、「予備試験は狭き門とするべきか」に詳しく記載していますので、是非ご一読下さい。)

 ただ、予備試験合格者を増大させようとする見解は、新司法試験合格者の更なる増員を招く危険があると主張される方もおられます。しかしそれは、問題を混同しているだけではないでしょうか。合格者の数の問題は、国民の、社会のニーズの問題であり、予備試験の問題は新司法試験を受験する資格を誰に与えるかという問題だからです。予備試験を広く認めて新司法試験受験者が増えても、国民のニーズがなければ新司法試験合格者数を増やす必要はないのです。公認会計士も就職難に陥っており、社会のニーズがないということで公認会計士試験の合格者を減らすことになったそうです。需要がないところに無理して合格者を増やし続けることに、大きな弊害があることを、合格者減を決めた方達はよく分かっているのでしょう。そのような迅速な対応が、新司法試験では何故できないのでしょうか。

日弁連会長選挙~その2

~お断り~

 まずお断りしておきたいのは、各論点について論じ始めればきりがないので、簡単にまとめてしまっている部分が相当あるということです。また、この記事は、両候補の政策・意見に対する個人的感想を述べたものであり、いずれかの候補を応援するものではないということです。両候補の正確な御主張については、日弁連HPを是非ご参照下さい。

☆法曹人口問題について

・宇都宮候補は、この問題について、弁護士の質が低下すれば被害を最も受けることになるのは市民であるという見地、実務教育・実地訓練(OJT)のキャパシティの観点から、「司法試験合格者数を減らす。」と明言されています。
 しかも、現状維持路線ではなく、「合格者数を1500~1000人まで減らすという各弁護士会・ブロック弁連の決議など地方の声にも耳を傾け、法科大学院生や卒業生にも配慮しつつ、現状よりも司法試験合格者数を減らします。」と主張されます。

・山本候補は、この問題について、社会の経済的要因からこれまでの合格者増員は、司法に様々な「ひずみ」を発生させており、その是正のために必要な修正は行うべきという観点から、かつて掲げられた「司法試験合格者数年間3000人の目標は現実的でも妥当でもない」として見直しを提言します。また、司法試験の合格者数について日弁連が主張することについて「(前略)法科大学院制度や未だ途上の司法改革の実践に大きな影響を与える虞があるので慎重であるべき」としつつ、「「ひずみ」の是正に必要であれば、現状の合格者数にこだわらず更なる削減の方向の提言も含めて対応すべき」と主張されます。

まず一見して、お分かりでしょうが、宇都宮候補の方が主張が、より明確です。

宇都宮候補は、司法試験合格者数を減らす必要性の根拠を、まず合格者の質を維持する必要(優秀な人材確保)、次に実務教育や実地訓練(OJT)のキャパシティを(確保した人材を一人前に育てるために)超えない人数にすることが、弁護士の質の維持のために必要であり、それは市民の利益のためにこそ必要であると主張して、現状の司法試験合格者数より減らすことを明言しています。さらに、従前の予想ほど法的需要が増大していないことを指摘して、「日本でも潜在的に他の先進国並みの法的需要が存在する→先進国並みに法曹人口を増加させれば潜在的な法的需要は顕在化する(=それが国民の幸せになる)」という、これまでの前提が適切なのか再検証すべきと主張します。

一方、山本候補は、現状の司法試験合格者数より減少させることについて明言は避けています。また、昨年の司法試験合格者数が閣議決定の目標値を下回っていることから、司法試験合格者3000人の目標は、既に大きく揺らいでいますが、敢えてその揺らいだ目標をもう一度持ち出して、その目標を見直すことを提言されており、この部分がどれだけの意味を持つか明確ではありません。さらに、「ひずみの是正に必要があれば」という条件付きで「現状の合格者数にこだわらず更なる削減の方向の提言も含めて」対応すべきというものですから、仮に現状の合格者数より削減する提言をするにしても、相当な留保が付されていると考えるべきでしょう。さらに、「更なる削減の方向の提言も含めて対応する」とは、具体的にどのようなことをされるのか分かりません。おそらく、これまでの日弁連執行部が推進してきた従前の司法改革路線をできるだけ忠実に踏襲しようとお考えのようです。

 (但しこの点につき、たまたま立候補前に、大阪に来られた山本候補に質問する機会があり、そのときのお返事から考えると、山本候補ご自身は、法曹人口問題に相当危機感をお持ちのようでした。しかし、これは全くの推測ですが、これまで司法改革路線で突っ走ってきた主流派からの立候補なので、各種しがらみから、思い切った提言ができない状況におかれているのではないか、という印象を(私個人は)受けました。残念ながら宇都宮候補に直接お話を聞く機会がこれまでなかったので、宇都宮候補の印象については全くの白紙です。)

 なお、山本候補のいう、様々な「ひずみ」とは、①弁護士人口の増大と国民のニーズの結びつきが十分でないこと、②新人弁護士の就職難などからOJTが困難になりかつ、経済的に困窮する弁護士の相当数の出現、③法曹養成制度未成熟による、法曹の「質」に対する懸念であると説明されます。②・③については宇都宮候補とほぼ同じ内容です。
 ①については、宇都宮候補は、国民のニーズ自体を検証すべきとするのに対し、山本候補は国民のニーズ自体は間違いなく存在するものという前提で考えられているようです。この点でも両者のとらえ方に違いがあります。

 以上見てきたとおり、法曹人口問題に関する政策意見では、宇都宮候補の意見の方が山本候補と比較してより明確に方針を示している(さらに法曹人口問題についての専門会議の設置も公約している)という点では、評価できるのではないでしょうか。

 かといって、宇都宮候補としても、具体的にどれくらい司法試験合格者を削減すれば良いかについて明確な具体的数字があげられているわけではありません。また、山本候補が仮に当選した場合に、しがらみを断ち切って大化けする可能性も絶無ではないかもしれません。

 今後の両候補の御意見を十分聞く必要があるかと思われます。

日弁連会長選挙~その1

 主流派の山本弁護士と知名度抜群の宇都宮弁護士が立候補された、日弁連会長選挙であるが、今のところ、どちらが有利という情報も入ってきてはいない。まさしくガップリヨツの状態ではないかという声が一番多く聞かれている。

 両候補の選挙公報はまだ掲載されていないが、両候補者の挨拶、政策及び意見については、既に日弁連HP会員専用サイトにおいてPDFファイルで公表されているので、弁護士であれば誰でも容易に読むことができる。

 日弁連の対外的政策については、両候補とも、市民の方が使いやすい司法を目指す、法律扶助制度を拡充・改善しお金のない人でも、弁護士の利用をし易くするよう予算措置を求めるなど、大体同じような内容であり、大きな違いは、ざっと見たところ見当たらないように思われる。

 オン・ザ・ジョブ・トレーニング(お医者さんでいえば研修医の先生が仕事をしながら技術を磨くこと)さえ、満足に受けることができなくなりつつある若手会員の現状を放置できないとして、若手会員に対するサポートについても政策で明言されており、両候補とも、対応されるおつもりのようである。

 しかし、その若手会員のサポートが必要になったのは何故なのだろう。私の見解は、需要もないのに弁護士数を爆発的に増やしたのがその原因の最たるものであり、おそらくこの見解は間違っていないと思う。弁護士の需要があれば、法律事務所は新人弁護士を雇うだろうし、若手弁護士が仕事にあぶれることもないはずだからだ。つまるところ弁護士増員が叫ばれた際に、マスコミや経済界は、需要はあるのに弁護士不足である(採用したいが弁護士が採用に応じてくれない)と嫌というほど言いつのっていたように記憶するが、結局、企業は弁護士を爆発的に大量に採用することはついぞなかった。

 したがって、当時の「弁護士需要の存在と、それと比較した弁護士不足」という経済界とマスコミの大キャンペーンは嘘であったか、そうでなければ大きく事情が変わったのだろう。

 経済界ばかりではない。私の手元に、市民の方が法律相談に来られる大阪弁護士会総合法律相談センターの取扱件数(自治体法律相談件数を含む)が手元にあるが、平成14年の82303件をピークに法律相談件数は減少の一途をたどり、平成19年は68575件であり、約17%の減少である(平成20年は少し増加して70259件になっているがそれでも約15%減である)。法律相談の減少については、司法書士の一部に簡裁代理権を付与したことも影響しているのだろうが、この間に弁護士の数は、ほぼ150%に増加している。 まともな状況ではないだろう。

 ちなみに、私が弁護士になった頃は、「弁護士になった以上全員平等だ。」という意識の方が強かったように思うが、今は、若手会員へのサポートが会長選挙の重要な点とされているのだから、弁護士会全体で若手をサポートしなければならないほど、若手が苦境に陥りつつあるというのが現実なのだろう。
 つまり、これまで日弁連も一緒になって推進してきた司法改革は、成果もあったのかもしれないが、若手弁護士や新しく弁護士になろうとする者を苦況に陥れる副作用を有していたことは間違いない。

 以下両候補の政策で、若干温度差があるように思われ、かつ、私が注目している①法曹人口の問題、②予備試験の問題、③隣接士業の問題について、私の勝手な見方から、簡単に考えてみたいと思う。

(続く)

日弁連法曹人口問題検討会を傍聴しました。

 日弁連が、昨年法曹人口に関する緊急提言を行ってから、日弁連内部で法曹人口(主として弁護士人口と思われますが) に関する検討がなされていると聞いていました。

 私は、大阪弁護士会の常議員会で、その進行と内容について何度か質問させていただいたことがあるのですが、畑会長もお忙しいためか、大阪弁護士会の常議員会での質問では、なかなかその検討の様子が分かりません。

 そこで、やむを得ず、どう検討会の大阪弁護士会から委員として参加しておられる小谷寛子先生に、せめて傍聴できないのかとお願いし、傍聴の申し込みをのきっかけを作っていただきました。

 傍聴の条件は、おおむね、委員会内で賛否をとって許可するかどうか決める(多分許可はされる)、配付資料は見せるが、回収する(つまり資料はくれない)、会議内で討論された内容については秘密を守る、当然交通費は自己負担、というものでした。

 本日、会議を傍聴させていただきましたが、委員の先生方が、極めて真剣に且つ熱心に討論されているので、素晴らしいと思いました。とはいえ、私の考えと違う先生もいらっしゃるようでしたので、正直言って、傍聴者として発言権が認められないのが残念でした。

 真剣な議論がなされていること以外に、討論内容に触れない範囲で、私の印象を述べると次のようなものでした。

① 法曹人口問題は、若手にとってこそ重要なのに、若手の委員の先生の比率が少ないように思われる。

② 配付資料は、法曹人口を真剣に考える弁護士全てに参考になるものが含まれているので、会員限定でも良いので公表した方が良いように思われる。

③ 何より決めようとしている内容が(諮問に対する答申ではありますが)、弁護士全体にとって影響しかねない内容なので、できれば広く議論する機会があった方が良いように思われる。

④ 合格者の質に配慮しながら2010年に司法試験合格者3000名を目指すという、あくまで努力目標を定めた閣議決定を、努力目標ではなく3000名が閣議決定であると解釈して議論している印象がある。

⑤ 法曹人口5万人に達してから、その後をどうするか(増員方向か、維持方向か、減員方向か)を考えようとしているような印象を受ける。(私の記憶では、法曹人口5万人という閣議決定はないはずですが・・・。)

⑥ せっかく答申を出しても、もし今回の日弁連会長選挙で執行部の方針が変更された場合は、答申自体の意味が減殺される危険性を孕んだものとして、認識されているような印象を受けたこと。

 自腹を切って、東京まで傍聴に行くのは、仕事にも財布にも結構応えるので、もう傍聴できないかもしれないのですが、委員会においては委員の構成と、日弁連執行部の構成が、いかに重要なものであるかということは少しは理解できました。

 今回傍聴の機会を作って下さった小谷寛子先生、傍聴を許可して下さった委員の先生方、貴重な体験を本当に有難うございました。

 それにしても・・・・・、政治的な問題は難しいものですね。

ショック・・・・・。

 日弁連会長選挙の公示があり、マスコミでも、主流派弁護士vs著名弁護士と報道されているようだ。

 両候補の政策については、「市民のための司法と日弁連をつくる会」の政策要綱、「新時代の司法と日弁連を担う会」の政策要綱を見れば明らかだ。

 ざっと見たところ、概ね似たような政策要綱を発表しているが、①法曹人口問題、②予備試験の問題、③隣接士業の問題については、多少温度差があるように思う。

 先ほどから、上記3点について、比較して論じた文書を書いていたのだが、③の結論までほぼ書いたところで、パソコンが急にフリーズして全ての文章が完全に飛んでしまった。

 あ~、もう書き直せん。

(もし気力が回復したら、近いうちに、再度挑戦するかもしれません。)

ショック・・・・・・。