真夏の怪談

ある弁護団会議で、会議終了後の雑談時に恐ろしいお話を聞いた。

大々的に広告をしている某債務整理系法律事務所から過払い金請求を受けた、消費者金融側の代理人に就かれた、X弁護士のお話だ。

弁護士には守秘義務もあるし、詳細にお聞きしたわけではないので、聞き違えた部分があるかもしれないが、某法律事務所は、同じビルに入っている金融機関について法人格が異なっていても全て同一視したうえで、ビル単位で過払い金を計算し、1000万円近くの過払金返還訴訟を提起してきたのだそうだ。
X弁護士が、訴訟の際に法廷でどういう法的根拠で、ビル単位での過払い金請求という主張ができるのだと聞いたところ、相手方弁護士は、法人格否認の法理であると、堂々と主張したのだそうだ。少しでも会社法をかじった方なら、いかにとんでもない主張かは、すぐお分かりだろう。
裁判所もあきれ果てていたそうだ。

これだけでも恐ろしいが、更に恐ろしいのはこれから後の話だ。

X弁護士が代理人に就いた消費者金融は、貸金業法で求められる見なし弁済の要件をきちんと充足していた業者であったため、X弁護士は貸金業法43条の見なし弁済を主張した。見なし弁済が認められれば、過払い金は発生していないことになる。

X弁護士がその主張をしたとたん、某法律事務所の弁護士は、1000万円近くの過払い金請求をしていたにもかかわらず、手のひらを返すように、債務者側が何十万円かを支払う内容で和解に応じたというのだ。1000万円近くを請求していたはずの債務者は、逆に借金を払う内容で和解せざるを得なかったのだ。

某法律事務所のやり方は、もし私が聞いたお話が事実であるならば、弁護過誤に近いものではないかと私は考えるし、決して許されていいやり方だとは思わない。

しかし、某法律事務所のやり方は、違法とまでは言えない可能性がある。
裁判所が某法律事務所の突拍子もない主張を、認める可能性が完全にゼロかといえば、限りなくゼロに近いと思うが、ゼロと断言できない場合も想定しうる。
したがって、某法律事務所が、1000万円取り返せる「可能性がある」と債務者を説得することは、妥当ではないと私は思うが、決して嘘ではないし、某法律事務所が儲けることだけを考えれば、某法律事務所にとっては1000万円の過払い金請求訴訟を債務者に勧めて多額の着手金をせしめることは、自由競争のもとでは、おかしな選択ではない。
そして、X弁護士から見なし弁済の主張を受けた某法律事務所としては、X弁護士の主張に付き合って時間を浪費するくらいなら、さっさと和解してもっと儲かる案件に力を注ごうと考えても、儲けた者勝ちの自由競争下では、決しておかしなこととは言い難いのだ。
依頼者とすれば、1000万円近くのお金が返ってくる可能性があると思って、某法律事務所に着手金を支払って依頼したのに、逆にお金を支払うはめになったのだから、もう踏んだり蹴ったりだ。
しかし、依頼者としては、弁護士の仕事の優劣が分からない。弁護士が儲け主義かどうかも分からない。弁護士が、「相手が思ってもいない証拠を持っていました。このままでは負けますから、和解した方が得です」と説得された場合に、その弁護士が儲けるためにさっさと訴訟を終わらせたいと思っているのか、それとも本当に想定外の証拠が出されてきてこれ以上戦うと却ってキズを深める危険があるのか、依頼者には分からない。その弁護士の言い分を信じるしかないのが実情だろう。

このように、弁護士は、やろうと思えば一般の方を食い物にすることができてしまう恐ろしい職業でもあるのだ。そのような悪徳弁護士は懲戒処分をすればいいと主張する人もいるが、果たして、弁護士が下した、専門的と称する判断に、きちんと異議を唱え、その問題点を見抜くことができる人が、いったいどれだけいるだろうか。懲戒処分によってそのような弁護士を排除することは、理論的には不可能ではないが、実際には相当困難であるといわざるを得ないだろう。

弁護士業務も、自由競争しろとマスコミは騒ぐが、このように、弁護士業界が自由競争至上主義になった場合、そしてその中で弁護士が稼ぐことだけしか考えなくなった場合、多くの一般の国民の方への犠牲が生じかねない。

弁護士をもっと増やそう、弁護士はもっと自由競争すべきである、という人は、そういう危険な社会を、招き寄せている可能性があることを自覚する必要があるのではないだろうか。

ある、エアメール

ある方から、エアメールを頂戴した。
プラハからのエアメールだった。

差出人は、5年ほど前、プラハの小さなお店で偶然お会いしたKさんだ。
何度もご夫婦で、プラハに来ておられるとのことで、非常に旅慣れておられた。
残念なことに、ご主人は、ご病気になり亡くなられてしまった。

その後、縁あって何度か連絡を頂いたことがあったが、Kさんは、ご主人と一緒に行かれた場所などには、なかなか、出向く気がしない、と仰っておられた。

あれだけ仲が良かったご夫婦だからKさんの気の落としようは、当然だろうとは思いつつも、あまりに後ろ向きにお考えのようであれば少し心配だな、と私は考えていた。

今回、Kさんから頂いた、エアメールには、日本にいるよりもご主人のことを思い出す、素晴らしい想い出のつまった街でもあり、またご主人が大好きな街でもあったから・・・、と書かれていた。

きっと、プラハで、亡くなられたご主人との様々な事を想い出しておられるのだろう。そしてその想い出は、きっと胸に切ない痛みを感じさせるものでありつつも、決して辛く苦しいものではなく、冬の晴れ渡った空のように、明るく澄み切ったものなのではないかと想像する。

そして、私の勝手な想像は、おそらく、当たっているのではないだろうか。
Kさんから頂いた、エアメールの絵はがきの図柄には、晴れ渡った、川沿いのプラハ市街の写真だったのだから。

無料!裁判員裁判ゲーム!

大阪弁護士会法教育委員会作成の、裁判員裁判ゲームソフトが、かなり面白い。

私自身、裁判員裁判制度に関しては、必ずしも、もろてを挙げて賛成できる制度とは考えていないので、このゲームをお勧めすることについては、少し気が引ける部分もないではない。

しかし、その点を差し引いても、ゲーム自体が非常に良くできていて、かつ、面白いので、純粋にゲームとしてもお勧めできるのではないかと考えている。しかも完全無料だ。

おそらく、小学生高学年~中学生から、一般の方々まで、このゲームは十分楽しめるはずだが、私としては、大学法学部生・法科大学院生でも十分勉強になる点が含まれていると感じた。

刑事手続きの流れの理解、証拠からどうやって事実認定につなげていくかについての流れなどについて、刑事裁判を学ぶ方にとっても、きっと参考になる部分があるだろう。もちろん、裁判員に選ばれたらどうしようとお考えの方にも、不安を除く意味で役に立つはずだ。

弁護士が知っている本当の裁判官の姿も垣間見ることができるし、大阪地裁の書記官室・裁判官室で午後3時頃に流れる音楽の謎?についても触れられていて、大阪地裁で裁判修習を受けた身としては、ニヤリとさせられる。相当リアルな面も取り入れたゲームソフトということだ。

かといって、決してお堅いゲームというわけではない。登場人物にお笑い芸人、お好み焼き屋のおばちゃんなど、ユニークな人物がいることもあり、笑える部分も結構ある。

弁護士が作ったんだから、どうせゲームといっても、教育的でお堅くて、つまらんだろう、とお考えになるかもしれないが、ゲームを始めてみれば、それは偏見であったと、実感されるのではないだろうか。

「逆転裁判」のゲームソフトと異なり、現実の裁判員制度を下敷きにしており、しかも、裁判員という裁く側でのゲームになるので、積極的に犯行現場を探し回って証拠を見つけるとか、自ら「異議あり」等と法廷で述べることはできないが、法廷での質問や評議の席では、積極的活動もできるようになっており、そこでの活動により結論が変わるようだ。

以下のリンクから、ダウンロードできる。役に立つうえ、完全無料だし、仮に役に立たないとしても面白いので、ゲームとはいえ、やってみない手はないだろう。

http://www.osakaben.or.jp/web/saibangame/

ちなみに、私自身、このゲームをプレイしてみたが、正直ここまでよい出来だとは思わなかった。特に「裁判長、流した!」は結構ツボにはまった。

ただ、どうしても無罪側に考えたくなったのは、私の職業のせいかもしれなかった(笑)。

京都大学の法律事務所が閉鎖!?

京都大学法科大学院が、構内に設けていた弁護士法人を閉める(閉めた?)そうだ。

確か、弁護士にも常駐してもらって、法律相談も受け、法科大学院教育にも役立てると聞いたことがある。

弁護士法人を閉める理由は、伝え聞いたところによると、上質の法律相談が見込めなくなってきたから、という理由らしい。

伝聞情報からの推測で申し訳ないのだが、上記の理由が建前だとすると、法律を適用して解決する案件ではない相談が多いこと、解決したとしてもその労力に見合った報酬を頂戴できないことが、本音の閉鎖の理由なのではないだろうか。

私から見れば、少なくとも関西では絶大ともいえる京大ブランドを背景にした法律事務所であるうえ、経営が軌道に乗るまでは京大法科大学院の支援があるだろうし、さらに法科大学院の先生方は潜在的ニーズはいくらでもあるというお立場の方が多いので、当然、法科大学院の先生方が指摘されている潜在的ニーズ(とやら)を、順調に開拓して経営も右肩上がり、経営悪化が一般に叫ばれている法科大学院の運営にも資金面で役立っていると思っていた。

もともと、法律相談には、身の上相談のような案件も多く、そのような相談者といかにお話しできるかは、法律家としても必要な資質の一つであり、上質な法律相談しか相談に応じないという敷居の高い法律事務所は自由競争下では生き残れないだろう。
京大の法律事務所が、潜在的ニーズを掘り起こして大儲けできており、法科大学院の経営にも役立っているのであれば、閉鎖などするとも思えない。

弁護士に相談してみたいと考えている人全てが弁護士ニーズではない。弁護士に相談して解決できる案件を、弁護士にお金を払って依頼して解決してもらおうと考える人が、弁護士のニーズなのだ。

皮肉なことだが、潜在的ニーズがあると主張している法科大学院側が、そのニーズが虚像であったことにようやく気付いたのではないかと推測する。

京都大学法学部は私の母校でもあり、素晴らしい大学だっただけに、仮に私の推測が当たっていて、皮肉な結果となっているのであれば、残念でしょうがない。

司法過疎対策用弁護士会費徴収に反対

司法過疎対策用に徴収されていた弁護士会費の期限が切れたが、再度、徴収するという日弁連からの意見に対して、大阪弁護士会として賛成しようとする議案が常議員会に提案された。

私は、反対した。

司法過疎対策をどう考えるんだという非難を浴びそうだが、私には反論がある。

そもそも、司法過疎対策は、国家ないし地方公共団体が取るべき対策だ。無医村問題と、おんなじだ。医師がいなくて困る自治体は、多額の給与を提示して医師を招いているじゃないか。自治医大という大学を作って、医者を育てているじゃないか。本当に弁護士が過疎地に必要なら、弁護士に対しても自治体は同じような扱いをするはずだ。それがないってことは、自治体は本当は弁護士がいなくても困っていないということではないのだろうか。

それに、医師会だって、「医療財源の確保を前提に」、地域における医療を推進すると、事業計画で述べている。 つまり、食っていける状況があるなら、そのような状況を作ってくれるなら、医療過疎を解消しましょう、ということだ。

医師だって職業なんだし、その仕事で生活をしなければならないから、当たり前のことだ。ところが、こと弁護士過疎になると、弁護士がその地域で食えるかどうかなど全く関係なしに、司法過疎解消は弁護士会の責務だと、非難され続ける。特にマスコミにはその傾向が強い。

これまで、日弁連は、会員からの強制徴収する会費を司法過疎解消のためにつぎ込んできた。何十億円かの自腹を切って、司法過疎の解消を行ってきたのだ。
誉められこそすれ、貶されるいわれなどないはずだ。むしろ、マスコミは、医師会は弁護士会を見習って自腹で、医師を過疎地に派遣せよ、とわめいてくれても良いくらいだ。

世の中の弁護士が、全員金のなる木を持っているお金持ちなら、司法過疎は弁護士会の責任と言われても仕方ないかもしれない。しかし、所得70万円以下の弁護士が平成22年度には、6,000人弱になろうとしている。弁護士は、ごく一部の方は大もうけしているかもしれないが、多くはつつましい生活をしているのだ。

だから、日弁連は司法過疎解消のために会員に対して、もっと金を出せと言うのではなく、「これまで司法過疎解消のために、会員に自腹を切らせて、何十億円も司法過疎対策にお金を出してきました。そもそも国家の仕事なのですし、ここまで弁護士会は頑張ったのですから、あとは、国家で代わりにやって下さい。国民の皆様もご理解下さい。」と、国家や国民の皆様に対して本当のことをいうべきなのだ。

私の意見に対して、「そもそも必要だけれど国家がやってくれないのだから、弁護士会が頑張るべきだ。そのうち国家が支援してくれるようになる。被疑者国選だってそうだった。」との御意見もあるようだが、それは弁護士数が少なくてまだ弁護士に余裕があった時代の話だ。国の援助を受けている法テラスだって、採算の取れない地域に事務所を出すことに反対しているという話を聞いた。

弁護士を激増させ、弁護士にも自由競争をさせようとマスコミは盛んに主張する。仮に、弁護士も完全な自由競争というのなら、「赤字の仕事は全てやらない。後進の指導も商売敵を増やすことになるから、もうやらない。司法過疎解消なんて俺たちの責任じゃない。だって競争して、儲けたものが生き残る世の中なんだから。」これが自由競争の自然な帰結だ。

弁護士に対して自由競争をしろと言いつつ、弁護士に司法過疎解消の義務を負わせることは、矛盾を含む主張であることを、少なくともマスコミは理解すべきだ。話は少しずれるが、弁護士は社会的インフラだから増やすべきといいつつ、弁護士に自由競争をせよとか、司法修習生への給費制は自分のための資格取得だから不要とか主張するのも、マスコミは辞めた方が良いように思う。インフラの意味を知らないことがばれちゃうぞ。

それはともかく、日弁連としても、理想に燃えるのも結構だが、あまりにお人好しすぎると、利用されるだけで終わってしまうんじゃないか。被疑者国選だって、結局は、赤字の仕事が増えただけなんだから。
どんなに弁護士が人権擁護に必要な仕事だと力説しても、国民の皆様が不要だと思っているから予算が付かないんじゃないのか。その意味では、弁護士会はお人好しすぎることを反省すると同時に、自分をあまりに高く買いかぶりすぎていないか(弁護士の関与が増えると世の中が良くなると思い込んでいないか)についても反省すべき点があるようにも思う。

映画 スープ~生まれ変わりの物語

(ストーリー:映画HPより引用)
うだつのあがらない中年男性の渋谷健一は、何をやるにも生気が感じられない。
妻とは5年前に離婚し、それがきっかけで娘の美加とはギクシャクする日々を送っていた。
美加が15歳の誕生日を迎えた翌日、出張中の渋谷と、上司の綾瀬由美の頭上に突如、落雷が直撃。
目を覚ました二人が立っていたのは死後の世界だった…。
この世界には伝説のスープというものがあり、そのスープを飲めば来世に別人として生まれ変わることが出来るというが、その代わり、前世の記憶はなくなってしまうのだという。
死んだ今でも娘のことが気がかりな渋谷は、前世の記憶が失われるというスープを飲むことをかたくなに拒否するのだが…。
(引用ここまで)

主演は生瀬勝久さん。トリックやサラリーマンNEOでおなじみの個性派俳優だ。

実はこの映画については、よく知らず、生瀬さんが主演なら見ておこうと思って映画館に出かけたというのが正直なところだった。
この映画は、大々的にロードショウが行われている映画ではない。私の住む京都市でも、この映画が公開されている映画館は1館だけ。大阪でも2館だけ。

ネタバレになるので、映画の内容に触れることは避ける。おそらく、好き嫌いは分かれるかもしれないし、若干強引な点もないではないが、私は見て良かったと思った。とても小さいかもしれないが、希望の灯火を心にともしてくれるような映画だったからだ。

インターネットでは、原作者の方のレビューもあり、その原作者の方も、一点だけ残念な点があるものの、映画は原作を越えていた、と表現されている。
せっかくの連休が控えている。ハリウッド映画の大作も悪くはないが、ときには、こんな映画も良いのでは・・・・。

産経新聞~金曜討論(2)

かなり時期遅れになってしまいましたが、前回に引き続いて安念氏の、発言に突っ込みを入れます。

■今のままなら早晩消滅…

--法科大学院の入学者減に歯止めがかからない
「新司法試験の合格率が年々低下し、昨年のように23・5%にまで落ち込んでいる現状では当然のことだ。今のままでは法科大学院への進学はハイリスク・ローリターンでしかない。先行きのないものに人は集まらない」
→高い学費を支払って、合格率23.5%の試験を目指し、合格しても食っていけるか分からない。そういう資格を目指す人が減少するのは当たり前のことです。この点では安念氏の指摘は正しいと思われます。しかしこれは、新司法試験を受験するためには法科大学院卒業を必須条件(例外的に予備試験あり)としたためです。働きながら受験しようとしても、勤務先のすぐ近くに法科大学院がなければアウト、仮にすぐ近くに法科大学院があっても夜間コースがなければアウト、夜間コースを設けた法科大学院があっても通学する時間と費用がなければアウト、いずれも新司法試験すら受験できません。これでは、多彩な人材を法曹界に導けるはずがありません。旧司法試験では働きながらじっくりと実力を貯えて合格する人もたくさんおられました。結局法科大学院制度は、新司法試験受験の資格を盾に取って、大学延命のために法曹志願者を食い物にする制度に成り下がっているのです。(坂野)

●旧司法試験より過酷
--明治学院大学(東京)が全国で3校目となる法科大学院生の募集停止を決めた。志願者減の中、法科大学院の淘汰(とうた)は進むか
「淘汰は進む。それどころか、ほとんどの法科大学院が機能しなくなり、早晩なくなるだろう。現在の新司法試験合格者数は約2千人だが、減らした方がよいとする声もある。そうした方向に進むならば、法科大学院の魅力は一層乏しくなり、凋落(ちょうらく)はさらに早い」
→法曹(裁判官・検察官・弁護士)資格の価値が下がれば下がるほど、法曹の職業としての魅力は下がり、法科大学院に高い学費を支払って、リスクを負ってまで手に入れるべき資格(目指すべき職業)ではなくなります。ちなみに法科大学院の魅力に言及されていますが、法科大学院教育そのものに魅力があるわけではありません。もし法科大学院教育そのものに魅力と価値があるならば、法科大学院入学希望者は減少するはずがありませんし、法科大学院卒業者は仮に司法試験に合格しなくても、社会で引く手あまたのはずです。しかし、現実はいずれも違います。法科大学院の先にある法曹資格が、魅力の源泉であったことは再確認しておく必要があるでしょう。(坂野)

--社会人や法学未修者など、多様な人材を法曹にする理念は実現できているか
「全くできていない。新司法試験はこの合格率で、法科大学院修了後5年以内に3回の受験資格。社会人どころか、学生も二の足を踏み、優秀な人材が法曹を目指さなくなるリスクが極めて大きくなっている。学部卒で法科大学院に入り、“三振”したら30歳ぐらいになって何も残らず、就職も難しい。学生は必死で勉強しているが、ストレスは旧司法試験よりも大きく、むごさを感じる」
→法科大学院制度が、当初の触れ込みと大きく異なって、多用な人材を法曹界に導くことが全くできていない点を認めておられるだけ、現実無視の後藤氏よりは評価できます。
ストレスの面に関しては、合格率数%だった旧司法試験でもかなりのものであり、新司法試験のストレスの方が大きいと勝手に断言されたくありません。ただ、図書館で独学して実力をつけてもよかった旧司法試験とは異なり、法科大学院に高額の学費を支払わなければならない点で、金銭面の負担は明らかに新司法試験の方が大きいのですから、この経済的な負担の点に鑑みれば、一応安念氏の発言も首肯できなくもありません。つまり旧司法試験では、お金をかけずに何回でも受験でき、仮に受験に失敗しても借金漬けということはありませんでした。しかし、新司法試験では否応なく法科大学院を受験・進学し、卒業しなくてはならず、三回しか受験できません。また、受験資格を得るためには結局高額の学費を納める必要があるので、仮に受験に失敗すれば、法科大学院費用分の借金が、ずっしりとのしかかってくる制度設計になっています。(坂野)

--法科大学院制度や新司法試験は、旧司法試験の知識の詰め込みを否定し、柔軟な思考力を持つ法曹を養成をする理念がある
「試験が難しくて、それどころではない。私も法科大学院で教えているが、学生は『まず、受からなければ話にならない』という意識だ。試験でどのような答案を書けば合格できるのか、そこに関心が集中するのは仕方ない。実態は旧司法試験と変わっていない」
→つまりは、法科大学院自体が受験予備校化しつつあるということの指摘のようです。よく法科大学院維持論者が旧司法試験では知識の詰め込み、法科大学院では柔軟な思考力を持つ法曹を養成する理念がある(注:「理念がある」というだけで養成できると断言していないようですね。)、と胸を張っていいますが、理念だけ正しくても現実に機能していなければ意味がありません。また、柔軟な思考力も最低限の知識を保有した上でなければ活用できません。因数分解の知識がなければ微分・積分は分かりません。医者だって、病気の知識がなければその病気の治療に工夫を凝らすことができないのと同じです。日本は成文法の国です。実務家にとって必要な最低限の法律の知識でも、相当の量になります。いくら思考力を鍛えたところで、必要最低限の知識がない実務家では実務上使いものにならないのです。
近時の新司法試験採点雑感等では基礎的知識の不足が盛んに指摘されており、そればかりではなく、パターン化された思考力が感じられない答案が見られるという指摘も、一向に減る気配がありません。この点、空疎な法科大学院の理念を一蹴している安念氏の指摘は、当たり前ではありますが現実に目を向けているなと感じさせます。(坂野)

--現状を打開する手段は?
「毎年の合格者数をどんどん増やせばよい。平均的な法曹の質は当然低下するが、誰が困るというのか。上位合格者の質は変わらないだろうし、良い弁護士に相談したければ、医者や歯医者と同じように、自分で探せばよい」
→たとえば、「薬害の生じる可能性のある薬品でもどんどん認可すべきだ。それで誰が困るんだ。自分で薬害の発生しない薬品を探せばいいのだ。」と安念氏が発言したとしたら、誰も安念氏の発言を支持しないでしょう。
「あの薬は薬害があるようだからやばい」と、一般の方に評判が広まるまでには相当多くの薬害犠牲者が生じます。それらの方は救われません。
法曹の質を低下させてもよいから合格者を増やすべきだという安念氏の指摘は、上記の薬品の認可と同じ問題を孕んでいます。ただ、一般の方は弁護士に依頼する状況をあまり具体的に想像できないので、安念氏にそう断言されると、何となく困らないような気になっているだけなのです。
仮に法曹の質が全体的に低下し、て弁護士・検察官・裁判官の質、全てが低下してしまった場合、起訴してきた検察官がハズレ、依頼した弁護士がハズレ、裁判官もハズレ、となれば救われるべき方が、救われない事態が生じ得ます。本来救われるべき方が救われていない場合等に、是正する最後の機会がハズレの担当者ばかりでよいのでしょうか。仮に安念氏がいうように良い弁護士を自分で探しても、検察官・裁判官がハズレであった場合、本当に司法を全面的に頼って良いものでしょうか。安念氏のいう「法曹の質の低下、問題なし論」は、あまりにも現実無視の暴論のように思えます。(坂野)

●弁護士も実力主義に
--弁護士も就職難だが
「事務所を設けて顧客の相談に乗る従来と同じ弁護士業務をやろうとすれば、当然そうなる。旧司法試験は毎年の合格者が約500人の時代が長く、今も国内の弁護士業界のパイはそれに応じた大きさだ。法曹資格だけで食べていける時代ではないということだ」
→弁護士ニーズ論に関連する問題ですね。弁護士のニーズとは、国民の皆様方が、お金を出してまで弁護士に解決を依頼したい問題がどれほどあるのか、ということであり、無料で相談したいという希望は弁護士ニーズではありません。タダで、法科大学院の正規の授業を受けたい人が100万人いても、法科大学院のニーズがあるといわないのと同じです。食べていけないかもしれない資格を取得する試験を受験するために、どうして法科大学院卒業が必要なのか、そのために高いお金を法科大学院に支払わなければならないのか、私には全く理解できません。
法曹資格だけで食べていけないのであれば、弁護士も仕事を開拓しろということなのかもしれません。弁護士が仕事を開拓するということは、誰かに対して法的責任を追及することがメインになりそうです。その矛先が、大企業だけに向いていればいいのかもしれませんが、一般市民の方に向くかもしれません。そうなればアメリカのような訴訟社会の到来の危険性は相当高まります。また、弁護士も職業ですから仕事をした以上、報酬を取ります。したがって、当然リーガルコストは高くなっていくでしょうし、訴訟のリスクに備えて各種保険料も高騰していくでしょう。しかし、本当にそのような訴訟社会を国民の皆様は望んでいるのでしょうか。極論すれば弁護士が活躍しない社会の方が望ましい社会なのではないでしょうか。弁護士を無闇に増やして競争させよという主張には、その点に対する配慮が全くないように思えてなりません。(坂野)

--法科大学院は不要か
「今のままでは、誰も行かなくなるだろう。教育内容などから法科大学院を出たことを世間が高く評価するようになれば、自然と入学志望者は集まってくる」
→この点は安念氏の意見に賛成です。但し現状では、教育内容や卒業生のレベルにおいて、社会では評価されていない状況ですから、現状の法科大学院は存続させておく価値は社会的にはない(税金の無駄)ということになると思われます。(坂野)

産経新聞~金曜討論

産経新聞の金曜討論で、法科大学院の問題が取り上げられている。

討論者(といっても、インタビューだが)は、一橋大学法科大学院教授・法科大学院協会専務理事の後藤昭氏と中央大法科大学院教授安念潤司氏だ。

いずれも法科大学院関係者という、利害関係者によるインタビュー記事だが、毛色は若干違う。

後藤氏は、法科大学院協会専務理事という役職から、法科大学院維持・司法試験合格者の更なる増加を求めるというポジショントーク全開だ。
安念氏は(合格者の更なる質の低下はやむを得ないという前提ではあるが)司法試験合格者の更なる増加を求めている点で後藤氏と共通する。しかし法科大学院の理念(多様な人材を法曹にする理念)は全く実現出来ていない、と現状を正しく把握している点ではまだ、後藤氏よりマシだ。

後藤氏のインタビューは下記の通り(産経新聞HPより引用~コメントは坂野個人の意見です。)

■人材輩出に貢献している
--制度の現状をどうみるか
「社会人の入学が少ないなど理想とはズレがあるが、優れた法曹育成などの成果は着実に出ている。問題の答えを暗記するのではなく、自分で考えて法的問題を解決できる人材を輩出できている」
→まず、嘘をつくなと申しあげたい。もし後藤氏が指摘しているように自分で考えて法的問題を解決できる人間を輩出できているのであれば、法務省が公開している司法試験の採点雑感等に関する意見(司法試験採点者の意見)に、次のような指摘がなされる事態はあり得ないはずでしょう。公法系科目1頁目だけでも以下のような指摘がなされています。(坂野)

・内容的には,判例の言及,引用がなされない(少なくともそれを想起したり,念頭に置いたりしていない)答案が多いことに驚かされる。答案構成の段階では,重要ないし基本判例を想起しても,それを上手に持ち込み,論述ないし主張することができないとしたら,判例を学んでいる意味・意義が失われてしまう。
→実務の基本である判例について、言及・説明できない答案が多いという指摘です。法科大学院の判例の教え方に大きな問題点があるということだということでしょう。(坂野)

・まず何よりも,答案作成は,問題文をよく読むことから始まる。問題文を素直に読まない答案,問題文にあるヒントに気付かない答案,問題と関係のないことを長々と論じる答案が多い。
→自分の頭で考えるということは、問題と無関係なことを書いて良いということとは異なります。たとえば、民事裁判で争点と全く無関係な点を、自分の考えだからといって書き連ねても全く意味がないばかりか、かえって有害です。自分の頭で考えるということは、きちんと問に答えられないことへの言い訳であってはならないはずですが。(坂野)

・答案構成としては,「自由ないし権利は憲法上保障されている,しかしそれも絶対無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,そこで問題はその制約の違憲審査基準だ。」式のステレオタイプ的なものが,依然として目に付く。このような観念的でパターン化した答案は,考えることを放棄しているに等しく,「有害」である。
→自分の頭で考えることのできる人材が書いた答案なら、どうして観念的でパターン化した、考えることを放棄したに等しい答案が目につくのでしょうか?後藤氏に説明して頂きたい。(坂野)

・憲法を,具体的な事例の中でどのように適用するか(活用するか)という観点からの答案が少なく,一般的,抽象的な憲法の知識を書き表しただけの(地に足が着いておらず,何が問題であるかを見抜けていない)答案が多かった。
→仮に(百歩譲って)自分の頭で考えることができても、何が問題であるのか全く分からないのであれば、法律家として意味がないのでは?法科大学院の厳格な修了認定をくぐり抜けて卒業し、初めて司法試験が受けられるのですから、法科大学院教育に問題があることは明白ではないでしょうか。(坂野)

・今年の問題は,日頃から日常生活を取り巻く法的問題に関心を持って自分でいろいろと考えをめぐらせていれば,特に難しい問題ではなかったはずだが,答案を見ていると,受験者は紙の上の勉強に偏しているのではないかという印象を持つ。
→法科大学院が実践するはずの法と実務の架橋、プロセスによる教育って一体なんですか?自分で考えれば分かるはずと採点委員が言っている問題にきちんと解答もできずに、法科大学院が卒業を認めて良いんでしょうか。(坂野)

◯合格率上げれば増加
--入学者の定員割れが相次ぎ法科大学院離れが指摘されている
「(法科大学院修了者が受けられる)新司法試験の合格率が低く、頑張っても法曹資格を取れる見通しが低いことが最大の要因だ。受験者全体の単年度合格率を50%程度に上げれば、上位校では80~90%の合格率に達する。本質的に法律を学ぶ姿勢が一般的になり、会社を辞めてでも法曹を目指そうとする人が増える」
→法科大学院側がいつも持ち出す責任転嫁論です。どんなに甘く採点しても合格させるだけの実力がないので落とされているのです。
また、法曹資格を取得しても就職難もあるし、生活が苦しい可能性があるのであれば、誰が、会社を辞め、馬鹿高いお金を法科大学院に払って、人生に役立たない資格を取得しようと考えるでしょうか。後藤氏の論は、法曹資格を取得すれば食いっぱぐれがなかった昔の時代だけに通用したお話です。つまり後藤氏の頭の中では20年以上前の実務家の姿が前提となっているのです。ちなみに、その時代は合格率数%でしたが年々受験生は増加する傾向にありました。その時代の志願者増加傾向を考えると、法科大学院離れの最大の要因は、需要もないのに法曹資格を濫発させてしまい、職業としての法曹の魅力を失わせてしまった点にあると考えるのが相当でしょう。(坂野)

--法科大学院離れに対する危機感は?
「大きい。入学志望者が増えれば、入学段階で厳しい選抜を行うことができ、優秀な学生が集まる。法科大学院に活気があり、多くの人が入学を目指すことが、法曹界のためにも重要だ。そのためには、新司法試験の合格率を上げて、法科大学院に入る魅力を高める必要がある。ただ、法科大学院は定員削減を進めてきており、現在の合格者数を維持すれば、合格率は上がっていくだろう」
→旧司法試験に比べれば、合格率は10倍以上に上がっています。新司法試験の合格率を上げても、質の低下した法曹が増えるだけで、国民の皆様のためになりません。
次に、一般社会で良い人材を得ようとする(ヘッドハンティングなど)場合に、お金を積むか、名誉や権力を与えるなどそれなりの対価が必要です。後藤氏の場合この対価を法曹資格と考えているのでしょうが、司法試験合格率を上げて、法曹資格を取りやすくすればするほど、法曹資格の価値は下がります。それにも関わらず、後藤氏は、司法試験の合格率を上げて法曹資格の価値を下げれば、その価値の下がった法曹資格を目指して優秀な人材が集まると言っているのです。よくもそんなことを堂々と言えたものです。法科大学院維持のためのポジショントークであることを割り引いても、学者さんの肩書きがなければ、なに寝ぼけたこと言ってんの、と一笑に付されても仕方ない意見ではないでしょうか。(坂野)

--官民ともに職員や社員を海外の大学院に留学させることは多いが、国内の法科大学院で学ばせることは少ない
「日本は法曹資格を取得するのが、今でも過度に難しく、企業などが社員を法科大学院に行かせるだけのメリットが見いだしにくい。同じ理由で、海外から日本の法科大学院に入る留学生が非常に少ないのも大きな問題だ。日本の法曹資格をもっと取得しやすくしなければ、こうした留学生や会社員が増えずに日本法の国際的影響力が弱まり、日本全体の国際競争力の低下にもつながりかねない」
→日本の法曹資格取得の問題で、日本全体の国際競争力が低下するなんて、どこをどう解釈すればそう言えるのでしょうか。論理の飛躍と思い上がりもたいがいにして頂きたい。大手企業の多くは、大学法学部出身者等を雇用し、きちんと法務部を組織して法務問題に対応しています。弁護士資格がなくても、きちんと法律知識を身につけて会社で活躍されている方は大勢います。
アメリカでは大学法学部がないため法的知識等についてロースクールで学ぶことになりますから、全く制度が違うのです。しかし、後藤氏の頭の中には、「法曹資格がない=法的知識がない=社会で法を扱えない」、とつながっているのでしょうか。
企業法務部の方々に、あまりにも失礼な言い方ではないでしょうか。(坂野)

--法科大学院はなぜ必要か
「試験で測れる能力は限られている。専門職としての教育をしっかり受けることが大切だ。医師と同じで国家試験にさえ合格すればよいのではない。実務感覚を備えた法学研究者の養成にも役立つ。法科大学院を経ずに新司法試験の受験資格を得られる予備試験は、経済的事情のある人などに向けた例外的な措置と考えるべきだ」
→専門職の教育をいくら立派に施しても、それが身についているかは全く別問題でしょう。試験に合格しただけでは足りないからこそ、旧試験時代でも司法修習が2年間行われていたのであって、旧制度でも十分対応できていました。また、専門職の教育をしっかりするはずの法科大学院が試験問題漏泄に近い不祥事を起こしていたのは何故でしょうか。司法試験予備校はいろいろ批判はされていましたが、試験問題漏泄等という、こずるいことはしていませんでした。また、本当に法科大学院が立派な、実務に役立つ教育をしているのであれば、予備試験合格者を制限しろなどと、せこいことを言わずに、むしろ堂々と予備試験受験者と渡り合ったらどうですか。(坂野)

◯官民で理念の推進を
--弁護士の就職難をどう考えるか
「企業や自治体に籍を置く組織内弁護士の潜在的な需要は大きいはずだが、現状では他の先進国と異なり、市場が小さいままだ。大学院を通じて法曹人口を増やし、活用の場を広げる司法制度改革の理念を官民ともに推進しなくては、国際水準から遅れた“ガラパゴス社会”化が進行してしまう」
→企業や自治体の需要が本当にあれば、既に弁護士はたくさん雇用されているはずです。日弁連アンケートでも企業の弁護士需要はほとんどありません。日弁連はずいぶん前から企業内弁護士を薦めてきましたが、需要は開拓されていません。後藤氏が仮に本当に潜在的需要が大きいとお思いなら、後藤氏が勤務されている一橋大学法科大学院で法律事務所を設立して就職難の修習生を雇用して、潜在的需要を開拓したらよいのです。ネームバリューもありますし、潜在的需要が開拓できて法律事務所の儲けが出れば、一橋大学法科大学院の経営上にもプラスになるでしょうし、卒業生に対するアフターサービスにもなりますから、志願者も増えて良いこと尽くめではないですか。法曹人口を増やせば全て解決、ガラパゴス社会化が解消されるというのなら、その根拠を具体的に示してから、ご発言して頂きたいと思います。(坂野)

(引用ここまで)

安念氏発言に対する突っ込みは、元気があれば次回行う予定です。