ロースクールと法曹の未来を創る会の要請文について~2

(つづき)

第2 要請の理由
1 崩壊の危機にある法曹養成制度と日本社会の危機
(1)半数が「廃校」に
貴職らもご承知のとおり、本年5月に、立教大学と青山学院大学、そして桐蔭横浜大学が法科大学院の募集を停止した。2004年に法科大学院制度が発足した直後に74校あった法科大学院は、この3校の募集停止により、合計35校が実質的に「廃校」になったことになる。東京、大阪、名古屋、福岡などの大都市圏以外の地域にあった法科大学院は、琉球大学や金沢大学など一部の法科大学院を除いてそのほとんどが廃校となった。また、大宮法科大学院や成蹊大学など、社会人経験者を多く受け入れてきた法科大学院の多くも廃校になっている。残っているのは、東京大学、京都大学、一橋大学などの旧帝大(専門大学)系の国立大学や早稲田大学、慶應義塾大学などの有力私大など、もともと旧司法試験でも合格者を出してきた大学である。しかも、旧司法試験のように、法科大学院を経ないで司法試験に合格する「予備試験組」も増加している。法科大学院制度の発足以来10余年を経た今、法曹養成制度という観点からすると、「先祖がえり」の状況が現出している。

→(ここから坂野の雑駁な突っ込みです)

 法科大学院の廃校を問題視しているようだが、そもそも、大量に法科大学院を認可した時点で、このことは予測されていたはずだ。しかも、これまで司法試験合格者をほとんど輩出したことがない大学までが、法曹養成能力があると主張して大挙して法科大学院認可申請をしたわけだから、優秀な学生を集めるあてがあるわけでもなく、法曹養成のノウハウがあったわけでもないのに、単に学者先生達が、エライ自分達が教えてやれば、司法試験くらい合格させられると安易に考えた結果だったのではないのだろうか。仮にそうでなくても、少子化の観点から大学経営上の必要性に鑑み、認可申請したのであれば、それは法曹を志願する学生を食い物にする発想と、そう代わりがないようにも思う。

 司法試験合格者を多く輩出している法科大学院が廃校していないことから考えると、廃校した法科大学院は、司法試験合格者を多く輩出できなかったため志願者が減少し、採算が取れなくなったものと考えられる。

 法科大学院協会の中心的地位にあり、法律家に対して「世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない」「人々のお役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう」と説きながら、自らは東大退官後に、おそらく高額の報酬が見込める四大法律事務所に就職した、髙橋宏志氏の言葉が仮に正しいとするのなら、飢え死にしそうだからといって廃校した法科大学院は世の中の人々のお役に立つ仕事をしていなかった、ということになりそうだ。

 さらにいわせてもらえば、法科大学院が本当に法律家として必要な素養をきちんと教育して学生に身に付けさせ、厳格な修了認定をして、学生に法的素養が身についたことを本当にしっかりと確認して卒業させているのであれば、法科大学院卒業生は、仮に司法試験に合格しなくても、しっかりとした知識とリーガルマインドが身についているはずだから、社会では相当貴重な戦力になるはずだ。したがって、法科大学院が理念どおりに機能していれば、そして、社会が本当に法的素養のある人物を求めているのであれば、法科大学院卒業生は、法科大学院を卒業していること自体が価値になるはずで、一般の学生よりも遥かに就職に有利であり、企業の法務部などから高給で引く手あまたであってもおかしくはないのだ。

 そうなっていれば、法科大学院を出ることは就職に極めて有利に働くはずなので、法科大学院志願者が減少する事態など起きるはずがないのである。しかし、現実には、法科大学院卒業生にそこまでの評価がなされているようには見受けられない。ということは、法科大学院教育が社会にとって有為の人材を生み出すことについて、さして意味がないのか、あるいは社会には法的素養のある人物に対する需要がさほどないということだ。いずれにしても、法科大学院は必要とはいえないことになる。

 次に久保利弁護士は、「法曹養成制度という観点からすると、「先祖がえり」の状況が現出している。」と主張するが、予備試験合格者が極めて絞られていることから見ても分かるように、未だ法科大学院制度は、法曹志願者にとって大きな関門となって残っており、到底先祖帰りなどという状況にはない。

 例えば私は和歌山県の南部の田舎の出身であるが、旧司法試験であればバイトしながらでも独学で勉強して受験することができた。しかし法科大学院制度が作られた後は、原則は法科大学院に通って卒業しなければ司法試験を受験できない。受験資格すらないのである。この原則は予備試験がある現在も変わっていない。

 そうなると、法曹を志願した場合、まず私は、一番近い法科大学院に通学し卒業しなくてはならない。一番近い法科大学院はおそらく大阪になるだろうが、それでも特急で片道4時間近くかかる以上、通学は不可能である。2~3年の学費と下宿代を含む生活費を捻出しなければ(それとも借金できなければ)、司法試験を受験する資格すらもらえないのだ。仮に就職していたのであれば、会社を辞めなくては挑戦できない。夜間の法科大学院があるとか、適正配置だとか適当なことをいってはいたが、田舎の受験希望者のためにサテライト教室を全国各地に設置するという法科大学院はなかったはずだ(もちろん設置しても双方向授業は難しいだろうが)。法曹志願者のために等と、崇高な理念を謳いながらも、法科大学院も経営が成り立つ範囲でしかその理念を実行しようとはしないのだ。法科大学院は飢え死にしたくないのだ。結局法科大学院制度は、都会の通学できる範囲の受験生、数年間働かなくてもなんとかなる受験生をメインターゲットにするものであり、田舎の法曹志願者の職業選択の自由を実質的には大きく侵害しかねない制度でもあったのだ。

 先祖帰りなどとは、ちゃんちゃらおかしい。先祖帰りというのなら、誰もが自由に何回でも受験できる試験に戻してからいうべきだな。

(続く)

ロースクールと法曹の未来を創る会の要請文について~1

 ロースクールと法曹の未来を創る会代表理事の久保利英明弁護士が、本年7月20日に法務大臣と司法試験委員会委員長宛に、「司法試験合格者決定についての要請」という文書を発したようだ。

 久保利英明弁護士は、大宮法科大学院大学の創設に関わり、大宮法科大学院大学と大宮法科大学院大学が吸収された後の桐蔭法科大学院で、ずっと教授の座にあった人物であり、力いっぱい法科大学院側の立場の人間である。

 その久保利弁護士が代表理事を務める「ロースクールと法曹の未来を創る会」の上記要請は、平たくいえば、ただでさえ合格者の質の低下が叫ばれている司法試験において、平成29年度の司法試験合格者を昨年の1583名から、2100人程度にまで増加しろというものである。

その提言について、思いつくまま、私なりに突っ込みを入れてみたい。
思いつくまま書くため、雑駁な突っ込みになることはご容赦頂きたい。

(以下要請文より引用)

法務大臣 金 田 勝 年 殿
司法試験委員会委員長 神 田 秀 樹 殿
ロースクールと法曹の未来を創る会
代 表 理 事 久 保 利 英 明
「司法試験の合格者決定についての要請」

第1 要請の趣旨
 平成29年度の司法試験合格者の決定にあたっては、少なくとも、2100名程度を合格させるよう要請する。

→平成29年度の司法試験短答式試験受験者数は途中退席者を除いて5929名。そのうち、合格点である108点以上の者は3937人である。ちなみに平均点は125.4点。下位27.35%に入らなければ合格できる、つまり4人に1人しか落ちない試験である。

 そのうち、平均点を超える126点以上を取った者は合計1840名であり、2100名の合格者を出すとなれば短答式試験の平均点以下の者まで合格させなくてはならない。もちろん受験生のレベルが極めて高いのであればそれでも構わないのだが、果たしてそうなのか。

 私は旧司法試験時代しか知らないが、大体短答式試験の合格点は60点満点で48~45点あたりだったように思う。もちろん平均点をかなり上回る得点を挙げなければ合格できなかった。私の経験からいえば、短答式試験はきちんと勉強して、基礎的知識を固めてさえいれば得点できる試験である。しかも現行司法試験の短答式試験科目も憲民刑になり、旧司法試験と同じになってきている。もちろん、論文式試験と同時に行われるため体力的に大変だという面もあるが、それでもきちんとした基礎的知識があれば7~8割は取れなければならない試験だと思われる。

 短答式試験が旧司法試験から大幅に難化したとの情報は聞いていないから、仮に同程度の難易度と考えた場合、かなり甘く見積もっても7割程度の得点が取れないと、法曹になる基礎的知識は不足しているといってもいいだろう。

 仮に基礎的知識の合格点が短答式で7割の得点であると考えると131.25点だから、131点と考えても平成29年度の受験者では1256名程度しか、基礎的知識の合格者はいないことになる。

 そこに2100名の合格者を出すと、単純に考えれば約900名の基礎的知識に問題のある法曹が生まれる可能性があるということだ。

 もちろん論文試験で選抜機能が働けばよいのだが、3937名で争われる論文式試験となるので、2100名合格させるとなると、下位47%に入らなければ合格ということになってしまう。これでは選抜機能は果たせないだろう。

 確かに、新自由主義者のように知識不足でもなんでも良いから資格を与えて競争させれば良い弁護士が残る、という脳天気な発想もあるかも知れないが、それは机上の空論だ。そもそも一般の人には弁護士の力量は見抜けない。したがって、選ぶ側が良し悪しが分からない以上、判断のしようがないので全く競争原理が働かない。また、藪弁護士が弁護過誤を頻発させて退場するにあたっても、退場するまでに相当の被害が出るだろう。さらに、幾人かの藪弁護士が弁護過誤を起こして退場しても、知識不足でも資格を与える前提だから、それを上回る藪弁護士予備軍が毎年追加されてくることになり、淘汰なんぞいつまで経っても終わるはずがないのである。

 この点、大企業・お金持ちは情報もお金もあるから良い弁護士を選べる。ところが、一般の人達はそうではない。あれだけ弁護士があふれているアメリカでも同じ問題がある、という指摘が司法制度改革審議会でもなされていた。

 お金持ちでない一般の人達も、安心して弁護士に依頼できるためには、やはり弁護士資格を有する者にある程度の実力がないと困るのである。(医師免許とパラレルにお考え頂ければ、理解してもらいやすいかもしれない。知識不足でもなんでも良いから大量に医師免許を与えろとは誰もいわないだろう。)

 もちろん、久保利弁護士もそれくらいは分かっているだろうから、知識不足の人間も含めて2100人も合格させろという要請を敢えてするのは、おそらく法科大学院制度維持のための要請だと見るべきだろう。

 しかし、そもそもは国民のために優秀で頼りがいのある法曹を養成するための制度改革だったはずだ。法科大学院が生き残るために司法試験合格者を増加させても、結果的に国民の不利益になるのであれば、その主張は本末転倒なのである。

 ただでさえ税金食いの法科大学院を維持するために、知識不足の人間にもどんどん法曹資格を与えるのがよいのか、法科大学院が維持できなくても国民が本当に頼れる、実力のある人にしか資格を与えるべきではないのか、どちらが良いのかは最終的には国民が決めることだ。

 いずれにしても法科大学院の利益を優先するべき場面ではないように思う。

(つづく)

一度素直に言ってみて欲しい。

 某銀行の口座から振込をしたら以前は振込手数料がかからなかったものが、振込手数料がかかるようになった。

 不思議に思って、窓口で聞いてみると、振込手数料がかからない特典に関する条件が変わったのだそうだ。

 条件を見てみると、かなり適用条件が厳しくなっていた。窓口の人の説明によれば、私の場合は、まずはインターネットの登録をして下さいとのことだった。

 もらった説明資料を見てみると、インターネット関係の登録の他、預金の月末残高基準値が10万円→30万円に引き上げられ、30万円以上の預金がないと手数料がかかる仕組みになっているらしい(他にも手数料がかからない条件はあるが)。

 つまり、品の悪い言い方をすれば、預金がたくさんある人は優遇するけど、そうじゃない人はダメだよってことだ。銀行も営利社団法人だし、預金口座の管理等にも費用がかかるからある程度は仕方ないとはいえるが、銀行預金の少ない人の方が振込手数料は痛い。

 それはさておくとしても、問題はその告知方法だ。

 その銀行の、条件引き上げに関するニュースリリースにはこう書いてある。

お客さまの利便性向上に努めながら、「サービス提供力No.1」の実現に向け
て魅力ある商品・サービスの提供に努めていきます。

 振込手数料がかかりやすい仕組みに変更しておいて、利便性向上に努めてますって、どんだけ厚かましいんだろう。

 素直に、当銀行の利益の観点から、当銀行により多くの利益をもたらしてくれる預金金額の多い方のみを優遇します、と本音を言ってみたらどうなんだ。

 他にも、「よりよいサービス提供のため」といいつつ、制度を変更して実質的にはサービス縮小を行うカード会社、金融機関も多いように思う。

 ただ、その多くは富裕層については手厚いサービスが残されていることがほとんどだ。

「よりよいサービスのため」なんてお為ごかしを言うのではなく、素直に「富裕層向けのよりよいサービス維持のため」「うちの会社の利益保護のため」、と言ってみたらどうなんだろう。

それが真実っぽいんだからさ。

最近ストレスが多くて、ちょっとそう思ってしまいました。

日弁連副会長の女性枠について

 日弁連副会長は現在13名だったと思うが、2名増員して、その2名の枠は必ず女性が就任するようにしようという案が持ち上がっている。現在、各単位会に意見照会がなされている段階だ。

 日弁連執行部の説明だと、これは男女共同参画の一環で、ポジティブアクションとして相当だ、ということのようである。

 大阪弁護士会の常議員会で、以前もこの議論が持ち上がったときに、男女共同参画委員会の方が説明に来られていた。

 私は、説明委員の方に、これまで日弁連は男女共同参画について積極的に推進してきたはずであり、特に女性の会員が副会長になれないような不都合な状況が存在するのか、女性で日弁連副会長になりたいのに日弁連の制度等の問題でなれないという人が現実に何人も存在しているのか、と聞いてみた。

 説明委員によれば、そのいずれもない(少なくとも説明員は聞いたことはない)とのお答えだった。

 だとすれば、ポジティブアクションとしての副会長女性枠というのはおかしいのではないだろうか。

 そもそもポジティブアクションとは、「一般的には、社会的・構造的な差別によって不利益を被っている者に対して、一定の範囲で特別の機会を提供することなどにより、実質的な機会均等を実現することを目的として講じる暫定的な措置のことをいいます。」(内閣府男女共同参画局のホームページより)というのが一般的な定義だろう。

 そうだとすると、大阪弁護士会の男女共同参画委員会の委員の方ですら、制度面で女性が副会長になりにくいという問題は無いと認めているし(つまり社会的・構造的差別は存在しないし、機会不均等という問題もない。)、現実に日弁連副会長になりたいがなれないという方も存在しない(つまり不利益を被っている人もいない)と認めていることになる。

 したがって、ポジティブアクションの前提たる、社会的構造的差別によって不利益を被っているという状況が存在しないのだから、一定の特別の機会を提供する必要はないはずだ。

 ということであれば、日弁連副会長に助成枠を設けるというポジティブアクションを導入することは、その前提を欠き、その特別な暫定的措置は、他のものに対する逆差別になってしまうだろう。

 また女性の参画にきちんと制度を設けて機会を保証しているにもかかわらず、立候補者が少ない(ほぼいない)ということは、日弁連副会長にならなくてもいいというのが立候補しない女性の意向であって、その意向についてはきちんと尊重できているということになるのではないのだろうか。

 そればかりか、仮に女性枠を設定してしまえば、その枠を女性で埋めなくてはならないから、日弁連副会長に相応しい人格・識見を有しながらも、副会長になるつもりがない女性に、他に候補者がいないから、という理由で周囲が副会長職を押しつけることにもなりかねないだろう。

 さらに女性副会長枠について、経済的理由もあるだろうからということで、月額数十万円の支援をするという案もあるようだが、経済的理由で日弁連副会長になれないという事情をもつ弁護士がいるとしても、それは男女を問わない。経済的理由で立候補しにくい男性にだって支援はすべきだ。女性だけが経済的に困っている(傾向にある)という発想こそが、男女共同参画の理念に反しているのではないだろうか。

 また、真に日弁連に女性の意見・視点が必要なのであれば、日弁連会長だってポジティブアクションを導入するという意見があってもおかしくはないが、そのような意見・提案は聞いたことがない。
 副会長だけポジティブアクションが必要で、会長にはポジティブアクションが不要だとする合理的根拠もないだろう。
 私の穿った見方からすれば、会長職を除いていることは、日弁連会長の座を狙っている男性の重鎮がたくさんおられることもあって、その方々への配慮であってもおかしくない。仮に私のこの邪推が正しいとすれば、会長職は男性重鎮達の争いに任せて男性に独占させ、副会長職で男女共同参画を実現したかのように見せかけてお茶を濁すものであり、それこそ男女共同参画の理念に反しているように思うのだが。

 男女共同参画と言われれば、弁護士はあっさり賛同する傾向にある。男女共同参画という言葉に弁護士はとても弱いが、この問題はよくよく考えてみる必要があるように私は思っている。

日中韓FTAシンポジウムの旅日記~その11

(続き)

5月22日

 午前11時30分に、空港までの送迎お迎えが来るとGさんから聞いていたので、その15分前にロビーに集合しましょうという話になる。Y弁護士とは9時には朝食に一緒にいこうと話しており、9時に部屋まで呼びに来てくれることになっていた。なんと、Y弁護士の部屋にはバスタブがあったそうだ。これは、ホテルの部屋のくじ引きで、Y弁護士が1等、S弁護士が2等を引き当てたのかもしれない。

 朝になり、カーテンを開けて青島市街を一望しようとしたところ、スモッグか雲かわからないが、真っ白で視界が効かない。昨日は、視界の端の方に見えていた海も今日は見えない。一面真っ白の世界だ。

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(朝の部屋~真っ白でまるで外が見えない)

 朝食は、ビュッフェ形式。初めて洋食系の料理がある朝食となる。生野菜と目玉焼きと野菜炒め、ベーコン、春巻きなどを食べる。結構おいしくて何度かお代わりしてしまう。嬉しいことに、コーヒーやジュースがおいてあった。やはり朝はコーヒーが飲みたいものだ。

 あとからビュッフェにやって来たGさんにお礼を言ってしばらくお話しをする。X教授のご指摘どおり自ら認める面食いらしい。美人系がすきなのだそうだ。自動車も好きでシボレーがいいと言っている。

 部屋に戻る際に、エレベーターのところで、Y弁護士が、Gさんに、杜甫の春望(国破れて山河あり・・・)は日本でも有名だ、と話しかけているが、Gさんは原文がわからないので、ちょっとわからないと返していた。日本人のイメージする中国・中国国民と現実のそれとは、当然ギャップがある。もちろん逆もそうだろう。こういうことは実際に中国の方とお話ししないと分からないものだ。

 部屋に戻って荷造りをする。行きの飛行機に乗った際、エコノミー席でも足下が少し広い席を見つけておいたので、アイパッドミニを経由したオンラインチェックインで、その席の窓側を押さえる。そういえば、電気のスイッチが壁の穴と少しずれている部分があるなど、微妙に杜撰な設備もあったが、ホテルのwi-fiは、しっかり使えた。

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(微妙にずれたスイッチ群。)

 荷造りを終えて、少し時間があるので部屋で、ぼーっとする。未だに、霧は晴れず視界が効かないが、寝やすいベッドだったので、もっとゆっくりできたらよかったのにと思ってしまう。

 11時15分ジャストにロビーに到着。すでにY弁護士とX教授がいる。
 珍しくGさんが遅れてきた。

 チェックアウトして、有力弁護士さんのイソ弁さんがレンジローバーで待っているところへ荷物を運ぶ。イソ弁さんが、昨日の大トラさんからのお土産だと言って大きな貝殻を2種類ずつ持ってきたくれた。

 2種類の貝殻を一つずつ各自が頂くが、本当に持ち帰って大丈夫な貝殻なのか、よく分からんけど、ワシントン条約かなんかで引っかかるのではないか、と3人とも結構心配になる。しかも、リュックに入れてみると結構でかいため、貝殻の尖った部分がリュックの生地を突き破って出てくるではないか。

 「怪しいものでも持っていませんか?」と関空で税関に聞かれて、満面の笑顔で「いいえ」と答えても、リュックの生地を突き破って出ている象牙色の突起を税関職員に見られたら、「ちょっとあちらでお話ししましょうね~」と別室に連れ去られるような予感がする。う~んホンマに大丈夫なんやろうか。。。

 敢えて、「相手も弁護士だからそれくらいは考えてくれてるんじゃないですかね~」、と独り言っぽく希望的観測をいってみたところ、X教授とY弁護士から、そろって、「それはない!」と瞬殺されてしまった。・・・やはりね。大トラさんでしたものね、そうですよね・・・。

 空港に向かう車内の中でGさんの電話が鳴り、Gさんが何かしゃべっている。なんと、昨日の大トラさんが空港近くのお店に、出来立ての青島ビールを運ばせることができるので、そこでお昼と一緒に食べないかと誘っているとのこと。

 S弁護士は中華料理は結構好きだし、特にランチに必須と思われるチャーハンなんぞ血糖値に悪いことは分かっていても大好きである。しかし、今回は、フライトまで時間があまりない。

 なにより、トラが出てくるのは夜だけとは限らない。昼間に大トラに襲われたら、それこそ今日中に日本には帰れまい。

 そこはX教授が、「また今度お願いしますと伝えておいて」、と即座にGさんに賢明な指令を出し、お断りする。まさに「虎口を脱する」とはこのことか。

 そういえば大トラはX教授のことを昨日、兄貴と呼んでいたりしたから、かなり気に入られていたのではないだろうか。X教授によると、中国人は友人となったらとにかく歓待してくれるのだそうだ。半分冗談かもしれないが、「日中戦争になっても、あの弁護士さんに助けてくれと言えばきっと助けてくれますよ。」とまで言っている。

 確かに、その話が冗談ではないように思えるほど、私達は献身的な歓待を受けていたように思う。徹底した反日教育がなされ、中国国民はみんな感化されているかのようイメージを日本のマスコミは報道しているが、一体どうなっているんだろうか。

 青島空港の入り口で、Gさんに御礼をいってお別れし、その後は、出国手続きを行うまで自由行動となった。本当にGさんが何もかもお膳立てしてくれたから、楽しく中国を満喫できたのであり、単独の旅行であればとても、こんなにお気楽に過ごせることはなかっただろう。感謝の極みである。

 チンタオ空港でS弁護士は、中国のナショナルジオグラフィックのような雑誌と、中国の自然景観100選だと思われる本を買った。ファストフードに造詣の深いY弁護士は、中国のマクドナルドで、チキンのバーガーを買って実地検証していたようだった。う~んでも、世界のどこでも同じ味を提供するのがマクドナルドじゃなかったっけかな~。

 出国手続きも、入国のときと同じく人民軍のような制服を着た係官がいて、無表情でパスポートをチェックしている。昨日の宴会のときに粗相をしなかったこともあって、幸いにもパスポートに「恥」という漢字は押されていなかった。

 搭乗までの間に、免税店で事務員さんには小さな香水のセット、喫煙者のイソ弁君にはタバコ。父親には烏龍茶、母親には美人の店員さんに翻弄されつつスカーフを買った。X教授が昨日、味付のピーナッツを買っていたことに影響されて、豆のお菓子も買ってみたが、これは帰国後に開けて見ると、ものすごい上げ底仕様で、やられた感が半端ない商品だった。

 上げ底という手段は、昔の日本のお土産でも良くあった手口だが、勝った方の「がっかり度」は、かなりでかい。もう二度と買わねえぞ!と固く決意してしまうくらいだから、長い目で見ると、きっと損なのだろうと、あとで思った。

 記憶がはっきりしないのだが、搭乗前にX教授は、パスタ入りミートソース?を食べたといっていた。なんでもパスタとミートソースの比率が通常の逆だったそうだ。それならそれで食べてみたかったという気もするが、聞いたのが搭乗直前であり断念。

 搭乗してみると機体は、行きと同じくボーイング737型。座席は狙いどおり足下が少し広いエコノミーで一番前の席の窓側。幸いにも3人掛けの真ん中には誰も乗ってこない様子だ。
 

 機内では、専らポメラを使って今回の旅日記を書いていた。通路側の席に座っていたのは、ツアコンと思われる青年で、たくさんの入国用書類を1人で黙々と仕上げていた。ときどきちらっとこっちを見るのが気になったが、飛行機が着陸態勢に入り、S弁護士がポメラを仕舞おうとしたところ、「ソレハナンデスカ?」と興味津々で聞いてきた。なんだ、ポメラが気になっていたのか。

 ポメラはデジタルメモ専用機で、パソコンとつながる機能はないこと、しかし即起動、即メモが可能であること、乾電池電源で場所を選ばないこと、SDカードに記録すればパソコンなどにデータは移せることなどを説明する。「中国語ノハ、ナイノデショウカ?」と聞かれるが、あいにく知らないが、電気量販店で聞いてみたらどうだろうと返事をしておく。

 ちなみに、S弁護士が愛用するポメラは、5年ほど前に安くなっていたところをアマゾンで6,200円で買った、ガンダムコラボシリーズのランバラル仕様(限定品)である。元値が3万円程度と書いてあった上に、今でも15,000円位の値段のようだから、ほぼ底値で買えたという点でも嬉しい一品であった。

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(帰路の軌跡)

 関空に着陸後、モノレールに乗り、入国審査場の方まで到着するが、X教授とY弁護士がやってこない。仕方がないので、入国審査場の前で待っていると、3分ほどしてX教授とY弁護士がやってくるようだ。X教授が「Sさんはねぇ~・・・」とY弁護士に話しているのが聞こえる。

 X教授に「また、僕の悪口でも言っていたんでしょ・・・?」と鎌をかけると、「いやいや、Sさんプレミアムエコノミーに乗ったようだよ、お金持ちだね~と話していたんです、、、」とのこと。
 確かに、よそから見れば足下が少し広いあの席は、エコノミーの中でもラッキーな席に見えたのかもしれない。

 「でも、その認識、間違ってます。第一、私がお金持ちだという点が大きく間違ってますし。それよりなにより、この便にプレミアムエコノミーの設定がないですし・・・・。」とソクラテスの弁明よろしく説明するも、X教授は、笑顔で「まあ、いいじゃないですか」でまとめてしまった。確かに、まあいいことなんだけど、Y弁護士が変な誤解していないかだけが、ちょっと心配だ。

 荷物をターンテーブルから受け取って、ここで解散しましょうということになる。X教授とY弁護士に御礼をいって、税関に向かう。貝殻の突起は無理矢理ビニールを噛ませて、リュックの生地から出ないように細工しておいたが、いつその細工も破れるか分かったモンじゃない。若干ひやひやしながらの税関検査になったが、あっさり、「どうぞ」で終わってしまった。考えて見れば象牙でもないし、生きた貝でもないから、そこまで神経質になる必要もなかったかもしれない。

 関空構内で、多分しばらく使うことがないだろう人民元を日本円に両替する。ところが100元札が一枚だけどうしても機械を通らない。両替屋さんから、偽札とは断言できないけど、本物と確認できないからうちでは両替できないといわれてしまった。さすが中国、最後まで何があるのか分からないところだった。

 それでも、人々のパワーはものすごく感じられる国だった。人々の潜在的パワーだけで考えると、多分日本は、いろいろな面で適わないようにも感じた。
 Gさん、X教授のおかげで、とても歓待して頂いたこともあるが、今までの中国の人に対して抱いていたイメージが、かなり変わった。

 やはり、勝手に想像しているだけではなく、実際に会ってみることは大事だと強く感じた、貴重な体験であった。

 改めて、このような貴重な機会を与えて下さった、X教授と、Gさんに感謝したいと思います。
 本当に有り難うございました。

(このシリーズはこれで終了です。)