今年も一年間有り難うございました。

 ウィン綜合法律事務所は、明日12月29日より、来年1月4日までお正月休みを頂きます。

 今年1年、無事に乗り切れたのも、クライアントの皆様を始め、多くの方々の御支援があってのことと、深く感謝しております。

 新たな年は、当事務所にとって更なる飛躍の年にしたいと思っておりますので、変わらぬ御支援、ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。

 皆様におかれましては、良き年末、より良き新年をお迎えされますよう、心から祈念しております。

 今年1年間、誠に有り難うございました。

   弁護士 坂 野 真 一

三浦九段の疑い晴れる~将棋

 対局中に離席し、コンピューターを使ってカンニングをしたのではないかという疑惑をかけられていた三浦九段の疑いが晴れた。
 報道によれば第三者委員会による調査では、三浦九段の不正行為は認められなかったようだ。

 昨日のインタビューで、三浦九段は、出来れば元の状態に戻して欲しいと述べていた。
 その気持ちは痛いほど分かる。
 しかし現実には無理だ。

 日本将棋連盟は、三浦九段の順位戦の地位(A級の地位)を保全すること、不戦敗ではなく不戦扱いにする等の措置を講じるようだが、挑戦者交代とならざるを得なかった竜王戦ではタイトルが取れていた可能性もあるし、挑戦者としての対局料等の問題もあって、今回の騒動で三浦九段がこれまで被った不利益を補填することは相当難しいだろう。

 よく人は過ちを犯す。そして他人に迷惑を掛けることがある。
 その場合、あんなことをしなければよかった等と後悔することになるが、時間を戻すことは誰にも出来ない。後悔しても過去に生じた事態は何ら変わらないし、変えられない。
 ただし、未来は自分の意向で変えられる。

 自らに過ちがあったのであれば、心から謝罪をして許しを請い、相手が理解してくれようがくれまいが、誠意を持って相手が被った損害以上の恩返しをしていくしかないように思う。

 上記の観点から考えると、日本将棋連盟HPに記載された谷川会長の会見要旨は、さすがによく練られていたとは思うが、「三浦九段についても、8月8日に連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を送った後は、かなり控えておられますが、7月の対久保戦についての、トータルの離席時間は長かったと報告書に記載されております。」の部分だけは不要だったのではないかと思う。

 いずれにせよ、三浦九段が疑いが晴れて対局に復帰できることは喜ばしいことである。また私は、随分前から谷川浩司九段のファンでもある。
 これまでのいきさつを水に流して、素晴らしい将棋を見せて頂けることを期待している。

日本経済新聞~福井秀夫教授へ若干の批判 ~2010.10.22掲載

 本日(10月22日)の日本経済新聞「経済教室」の欄に、福井秀夫政策研究大学院大学教授の論考が載っている。

 相も変わらず、規制緩和的発想全開で、法律専門家の資格は医師と同じで「情報の非対称」対策(資格はそれを持つ者のサービス品質をある程度保証することによって、情報の非対称を防ぐ一助となる、ということだそうだ)だから、情報を開示すればいくら(能力のない)法律専門家を増員しても良いのだと、仰っている。アメリカはそれでうまく行っているんだと主張される。

 しかし、司法制度改革審議会第5回会議に出席された藤倉教授(ハーバード大卒・英米法専攻)によると、アメリカでの弁護士選びは次の通りだそうだ。

 「それではだれが何を基準にして選ぶのか、推薦するのかということになると、もうアメリカではそういう基準もない。結局、市場で店を開いていて、これだけのお金でやりますという人を、それではこれだけのお金を払ってやってもらいましょうということで選ぶしかないという考え方が基本にあって、しかしそれは危険が大き過ぎると考える人はいろいろ問合せをしたり、友達に聞いたり、あるいは知っている法律家に聞いたりというふうなことで弁護士さんを選ぶということはもちろんあるんですけれども、そういうことができるのはある程度生活に余裕のある中産階級以上ですから、低所得者で法律問題に巻き込まれて、弁護士が要るという場合にどうするか、これはもうアメリカではちょうど医療保障制度と同じように最低限の生活保護を受けているような人のためのリーガル・サービスというのは、それは公的なものが一応あるんです(坂野注:日本にはない)。各州に任意のものもありますけれども、その部分はカバーされている。

 それから、お金持ち、あるいは大企業は選び放題ですから、十分いろんな情報を持ってて一番いいのを選ぶことができるんです。中産階級が一番問題なんです。いい弁護士を選ぶ、間違いのない弁護士を選ぶ、この問題はアメリカでもまだ解決されてないと思います。」

(司法制度改革審議会第5回議事録より引用)

 福井教授は、留学経験をお持ちのようだが、専門は行政法だし、今までの福井教授の言動の軽さ(当職の2008.11.20ブログ参照)に鑑みると、どちらのお話が真実に近いかといえば、藤倉教授の方に軍配を上げざるを得ない。

 誤導だったらいい加減やめて頂きたいものだ。

 それはさておき、福井教授は、弁護士資格についてそれはあくまで、情報の非対称対策なのだから、情報開示さえすればよく、(仮に資格者の質が下がっても)年間5000人に資格を与えても良いのだそうだ。

 しかし、福井教授は、同じく医師の資格は情報の非対称対策だといいながら、医師については、資格者の質が下がってもいいから大量に資格を与えよとは、述べていない。

 当たり前だろう。医師の質が下がれば我々の健康に直結するからだ。質を落として医師を大量生産し、自由競争させた場合、藪医者と評判が立ってその医師が淘汰されるまで、何人の被害者が出るか分からないし、その被害は看過できない。さすがの福井教授でも、そこまでの暴言を吐くまでは出来なかったのだろう。また、質を落として医師の大量生産を続ければ、藪医者が淘汰されても、次々と新しく藪医者が社会に放出され続けるのだから、いつまでたっても淘汰など終わりはしないのだ。

 そこで福井教授は医師の問題を無視して、弁護士資格にのみ文句をつける。しかし、弁護士が扱う事件だって我々の社会生活に直結するものだ。一生に一度の事件を弁護士に依頼する人も多いのだ。医師が扱う仕事と重要性において、違いはない。

 福井教授がいうように、弁護士資格が情報の非対称対策なのであれば、なおさら質の維持は必要になるはずだ。つまり、質の高い合格者が必要になるということだ。それがどうして、逆の結論になるのか。福井教授の論はアメリカでうまく行っているのだからという(思い込み?の)他は、情報開示すればうまく行くはずだという机上の空論でしかないように思われる。

 なお、福井教授は、結構あちこちで波紋を呼んでいる方らしく、国会でも疑問視されたことがあるらしい。かなり長くなるが、引用する。詳しくは原典にも当たってみて欲しい。 (中略・前略・下線部・着色は、坂野が行っています。)

(引用開始)

166-参-厚生労働委員会-23号 平成19年05月29日

○櫻井充君 おはようございます。民主党・新緑風会の櫻井でございます。
 (中略)はっきり申し上げまして、規制改革会議の問題は今回に限ったことではなく、この暴走をいい加減に止めないと、この国のその政治の在り方そのもの自体がおかしくなるんじゃないのかなと、私はこれはもうどこの委員会でもずうっと続けて申し上げているところでございます。(中略)我々は、国会議員は選挙というものを経て国民の代表者としてこの場に立っております。国家公務員の方々は、国家公務員法というその縛りがあって、そこの中で自分たちもちゃんと責任を負って働いているわけでございます。そこの中で、規制改革会議の方々は、そういうその選挙も経ていない、それからある種の責任をきちんとした形で負うようなシステムになっていない。もう少し言えば、何か不適切なことがあったとしても社会的な地位まで失墜するわけではないという方が、余りに今の構造の中でいうと権力を持ち過ぎているんではないんだろうか、私はそのように感じていて、今の政治の在り方そのものを変えていかないといけないんではないのかなと、そう思っておりますが、大臣そして副大臣としてはいかがお考えでございましょう。

○国務大臣(柳澤伯夫君) 
 (前略)改革を行う場合に、ボトムアップでできるかということになると、なかなかボトムアップでは改革というのはうまくいかないというのが通例でございまして、(中略)トップダウンのやり方が、時として、また場合によっては多用されるというような、そういうことにあると思います。
 そういうことで、いろいろ内閣の中にトップダウンのための装置と申しますか、そういうものができまして、そこでいろいろ識者が改革を進めるための、意見を言われるということが行われておりまして、(中略)いずれにしても、そうであったとしても、最終の我が国の意思決定というのはこの立法機関でございますし、また内閣としての提案というのは閣議に諮って提案がまとまって出てくるわけでありますので、その過程でかなりいろんな意見を闘わせて、昔のように役人が準備をしてきたものをボトムアップするということでなく出てきたとしても、最終のところでは内閣の閣議決定、それから立法府における法律の制定ということで進んでまいりますので、大きな枠組みは十分維持されておる(後略)。

○副大臣(林芳正君) 今、柳澤大臣から御答弁があったとおりだと私も思っておりまして、この規制改革会議の委員というのは、あくまでそれぞれの識見を持たれた方が答申をいただくと。しかし、その答申を受け止めてどうしていくかというのは、最終的には選挙で選ばれた我々、また議院内閣制における政府というものが政策決定を内閣の責任において行っているものでございます。
 櫻井委員から大変優しい言葉を掛けていただいたわけでございますが、与野党問わず、これはやっぱりどういう政策の決定をしていくのかということ、そして最終的にだれがどういうふうに国民に対して責任を取るのかということは大変大事な問題だと私も思っておるところでございまして、この審議の、規制改革会議のプロセスの中でどうしてもタスクフォース的なものの存在が、私もちょっと言葉に気を付けなければなりませんけれども、必要以上にクローズアップされているんではないかということを感じることが正直言ってございます。(中略)きちっと最終的には、今、柳澤大臣がおっしゃられましたように、内閣として最終的なものを責任を持って決めて、その上で国会にお諮りをして審議をいただくと、この原則はきちっと担保してまいる、このことが基本であろうというふうに考えておるところでございます。

○櫻井充君 お二人がおっしゃったとおりになっていれば全く問題ないんですよ。言っているようになっていないから問題なんです。これは、今与野党がというお話がありましたが、私は自民党の議員の方々と話をしても、良識のある方々は皆おかしいと、そういうふうにおっしゃっていますよ。(発言する者あり)ですよね。
 ですから、そういう点から考えると、もう一度僕は原理原則に返ってやっていただきたいんです。別にボトムアップ方式をずっとやれと言っているわけでもありません。トップダウン方式が悪いと言っているわけでも何でもありません。これは、規制改革会議というのは国家行政組織法の中のいわゆる八条に定められている八条委員会ですね。八条委員会の役割は一体何なのかというと、この人たちは意見を言うことができるということだけの話であって、その後に対してこの自分たちが言ったことをどうやって通していこうかとか、どうやって反映させていこうかとか、そういうところまで僕は権限としてないんだろうと思うんですよ。
 その点について、まず改めて林副大臣に確認しておきたいと思いますが、私のその認識でよろしいんでしょうか。

○副大臣(林芳正君) 先ほど申し上げましたように、規制改革会議は答申を出すというのが仕事でございますので、その意見を出した後、今度は我々が政府として受けてそれを決定するということでございますので、この規制改革会議のお仕事は答申を作るということであろうというふうに思っております。

○櫻井充君 そうすると、これは第九回の規制改革・民間開放推進会議の中で、福井委員が、労働契約法制の中身について、きちんと協議を受けて、細部にわたって答申の趣旨が具体的に反映されているかどうかを事前にチェックするという手続が極めて重要だと思いますと、まずこういう発言もされているんですね。つまり、自分たちの意見がちゃんと通っているかどうかもチェックしていこうじゃないかと。そして、その場合に、駄目だった場合には、要するに、いずれにしろ、労政審で決まって閣議決定され、国会に提出されると、それ以降の段階でこの答申とは違う法案ができたことが仮に判明したからといって、事後的に修正を求めるということは、多大な労力、時間等の取引コストが掛かりますので、やはり法案を出す前に、内閣として決める時点でちゃんと事前にコミットすることが手続的に極めて重要ではないかと思いますと、そういうふうにコメントされているんです。越権行為も甚だしい。
 私は、まず一つ申し上げておきたいのは、このような委員が本当に適切なのかどうかということであって、改めて求めておきますが、当委員会に規制改革会議の福井委員の参考人としての招致を求めておきたいと思います。
 そして、その上で、今のコメントに対して林副大臣としていかがお考えか、その点について御答弁いただきたいと思います。
(中略)

○櫻井充君 そういう話になると、基本的に言うと全部やれることになりますね、多分。
 教育委員会制度についても規制改革会議の中で実は議論されているわけです。ただし、これは規制改革会議の中でではないんですよ。調べてみると、規制改革会議の委員が決定される前に、新しい委員が決定される前にワーキングチームと称した会合が持たれているわけです。
 これはしかも、要するに、郵船かな、まあ草刈議長のところの会議室なんだろうと思いますが、そこで教育ワーキンググループという名前を付けられておりますが、自由討議をされるわけですね。自由討議されている内容を原案として、たたき台として、あとはメールの持ち回りで一応承認してもらって、規制改革会議の名前でこのことについても発表しているわけですよ。これは手続、全くのっとっておりません。渡辺大臣はこれは合法だというようなお話をされていましたが、大臣がそういうようなことで認めてしまうから、認めてしまうから、このようなことが何でもありでやられていっているんだろうと私は思っているんですよ。
 これは、教育再生会議の第一次報告について、それは問題があるんじゃないかということで、規制改革会議のある一部の人間が自由討議をしたんです。その上で、今度はその内容をたたき台にして、あとはメールの持ち回りの中で、会議もせずに、会議もせずに規制改革会議の一応意見として報告がされているわけですよ。なぜ彼らがそういう議論までしなきゃいけないんでしょう。
 そして、そこの中で、また、要するに我々の意見をどうやって反映させるのかということを言及しているわけですよ。これは草刈会長が、総理との見解相違があるとたたかれる可能性もあるので、渡辺大臣との会合を持ち、意見を合わせる必要があると、大臣に意見を言わせた上で、それをサポートする形がよいのではないかと。福井委員は、大臣との意見調整が利けば、流れを変えてくれる可能性もあると、まとめた見解を大臣経由で総理に訴えて山谷補佐官へ指示させる流れがよいのではないかと。大臣を経由して規制改革会議の名で出すのもいいが、逆効果になることも考えられると、こんなことまでいろいろ意見が交換されているわけですよ。こういう人たちを、こういう人たちを今までのようにやらせていいのかどうかということです。特にこの福井さんという方は、いろんな場面で顔を出してきて、いろんなことを自由に物を言ってめちゃめちゃにしていく方です。
 もっと申し上げると、彼は驚くべきことを言っているわけですよ。今のワーキンググループは、これ、公開されておりません。彼は「官の詭弁学」という本を書かれていて、そこの中で何と言っているかというと、要するに情報公開しないということ、官僚の情報公開が不足していることが最も問題なんだということを彼は言っているわけですが、彼の会議そのもの自体が実は情報公開なんかされていないんです。しかも、番記者を引き連れていって、さも規制改革会議で議論されたかのようにそのことを、たまたま番記者にその情報を提供して、それを有り難く書くマスコミがいるということが私は一番情けないことだと思いますけどね。しかし、こういう人に本当に何で委員をやらせるんですか。だから、ゆがめられていくんですよ。
 私からすれば、憲法四十一条に、国会は要するに国権の最高機関であると定められているわけでしょう。それが完全にゆがめられていますよ、この人たちによって。ですから、私はこの福井さんという方ははっきり申し上げて委員にふさわしくない、罷免させるべきではないのかなと、そう考えておりますが、副大臣としていかがでしょう。

(中略)

○櫻井充君 
 (前略)それから、今回の規制改革会議の中でおかしいと私は思うのは、本来であれば今回の規制改革会議はどういうものなんだというまず方向性が決まってから人選されるべきなのに、まず十二月にはもう内々に人選されているんですね。そして、そのまだ正式なメンバーでもない人たちが決まってから、じゃ今度は規制改革会議はどういうことなんだという方向性をこれ決めているんですよ。ですから、やり方そのものがめちゃくちゃなんです、すべてが。だから、おかしいというふうに申し上げているんです。
 (中略)そして、しかも、これは持ち回りでその見解を出されましたが、今度はその後の規制改革会議の中で、ほかの委員の方からどういうことか十分によく分からないのでちゃんと補足の説明をしてほしいということを求められて、規制改革会議の会合の中で補足説明をしております。やっていることがでたらめなんです。
 こういうことをやられたら、まじめにやっている官僚はばかばかしくなりますよ、本当に。それから、我々国会議員だって、我々は国民の代表者ですよ。我々だってばかばかしくなるじゃないですか、こんなこと勝手にやられて。そして、今の流れでいえば、この人たちが正義であって、特に御苦労されているのは歴代の厚生労働大臣ですが、さも抵抗勢力のように言われて袋だたきに遭うと。これは大臣として心労がたまるのはこれもう当然のことだと思いますね。
 ですから、そういう点でいったら、まずここの組織そのもの自体をちゃんと見直さなきゃいけないですよ。今、有識者というお話がありましたが、福井さんはなぜ有識者として認めるんですか。その根拠を挙げていただけますか。

(中略)

○櫻井充君 苦しいのはよく分かりますから、もう一度とにかく、僕はおかしいと思っているのは、規制改革会議の中の一部なんですよ、暴走しているのは、多分。それから、経済財政諮問会議もたった一人暴走している人がいてね、この人が民間委員という名前を称して四人の名前で全部出しているけれども、あれ四人じゃないでしょう、多分後ろで一人絵をかいているの、八代さんだけだと思いますがね。
 そういうことをやっていいのかということです。彼らは何の権限もないですからね、はっきり言っておきますけれどもね。何の代表者でも何でもなくて、それは皆さんが有識者だというふうにお決めになって、その有識者だと名のっているだけの話であって、例えばそれじゃ、これからその議論しなければいけない話になるんですけれども、年齢制限を撤廃しろというふうに今政府は進めているわけでしょう。じゃ、その当時、規制改革会議のメンバーだった、規制改革会議のメンバーだった、しかも今、労働政策審議会のメンバーの奥谷さんの会社のザ・アールという会社、じゃ、これは年齢制限撤廃していますか。

○政府参考人(高橋満君) 今、櫻井委員御指摘の個別の企業にかかわる状況については、今の時点では把握はいたしておりません。したがいまして、お答えは控えさせていただきます。

○櫻井充君 何言っているんだよ。あのね、ホームページ上にちゃんと掲載されていますよ、堂々と。じゃ、私がお話ししてどう思われるか、コメントを求めましょうか、そこまでおっしゃるのであれば。
 二十五歳から三十五歳って資格制限のところにちゃんと書かれていますよ、二十五歳から三十五歳と、堂々とホームページに掲載されていますよ。この方が労働政策審議会のメンバーですね、ホワイトカラーエグゼンプションをどんどん進めていって、やられている方ですね。この方は、規制改革会議のメンバーでしたね。過労死は自己責任と言った人ですよ。こういう人が本当に有識者ですか。

○政府参考人(高橋満君) 今の募集、採用にかかわって二十五歳から三十五歳という年齢を限って募集を行っておるということにつきまして、(中略)もし一定の合理的な理由というものが示されていないということになりますと、正に雇用対策法で定めております努力義務規定の趣旨に反するのではないかというふうには理解をいたしております。

○櫻井充君 じゃ、それはちゃんと調べていただけますか。
 つまり、労働政策審議会のメンバーなんですよ。そのメンバーとして適切なのかどうかということを私は問うているんですから、ですからこういうやり方をされている方、それから何回も、いつもこの委員会で問題になっていますけれども、過労死は自己責任だとか、そういうことをおっしゃっている方が適切なのかどうかということですよ。
 私は、様々な意見を持たれている方がその会議に出られることそのもの自体を否定しているわけではなくて、すべての人が同じ意見の人が集まればいいとは思っていませんよ。それは、今総理がつくられている自分のところの勉強会のあの集団的自衛権なんというのはまさしく自分の趣味、自分の意見と同じような人たちだけ集めてやっている、これがいいとは思いませんよ。
 しかし、一般的な社会常識から逸脱するような発言をされているような方からしてみると、本当にそれでいいのかどうか、きちんとした議論ができるのかどうかということを改めて考えていただきたいと思いますし、規制改革会議というのは福井さんに見られるだけでなくて、例えばいろんな規制を緩和しろと自分たちはほかの人たちに向かって言うけれども、自分たちのところはちゃんとやらない人たちが多いんですよ。宮内さんがその典型でしたけれどもね。プロ野球球団ができるときに一番反対したのは宮内さんですからね。おかげで仙台に楽天という球団ができて仙台としては良かったですけれども、結果的に見れば。ですが、ですが、あのときだって十球団にしてどうしてという、もっと一杯参入してきたらいいじゃないか、規制緩和して何とかだっておっしゃっている方ならそう言うのかなと思ったら全然違って、自分のところの利益を最優先されると。
 そういう人たちが民間委員として集まって制度をつくっているということが問題なんですよ。我々は、有権者の代表として、国民の代表としてちゃんと議論していますよ、これは。国家公務員だって、みんなどうやったら平等でというか、ちゃんと全体を見てやっていますよ。この人たちは自分たちの利益だけ考えているような人たち、やからが多過ぎるから、私は問題じゃないかなというふうに思っているわけですよ。
 ですから、そこら辺のところを、ここはお願いです。とにかく、林副大臣、改めてもう一度全部検討してみてください。そして、その上で、この規制改革会議の在り方、特にメンバーの構成、そして今までやってきているような内容について、余りに今の法制度上から逸脱しているところがあるんじゃないか、あったらそこをちゃんと是正していただくと、そういうことのまず御決意だけいただきたいと思います。

(引用ここまで)

 但し、一点だけ福井教授と同意見の箇所がある。

 法科大学院修了を司法試験の受験資格を撤廃することだ。

 そして、福井教授はこういう。

 「司法試験合格至上主義がはびこり、実務そのものを経験しない今の教育プロセスで質を保証するのは無理がある。」

 この部分は全く同感だ。

・・・・・・でも、司法試験合格者の質を問題にしないのが福井先生だったよね??

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

読売新聞「論点スペシャル」~福井秀夫氏の主張について

 2016.12.23の読売新聞論点スペシャルでは、司法修習生の給費復活の是非についての記事だった。マスコミは自分の意向に沿って取材内容を編集することがあるので、本当に福井教授が新聞に掲載された内容を話したかどうかは不明であるが、掲載前に内容の確認くらいはするだろうから、福井教授の御主張が記載されたものという前提で、若干批判しておきたい。

 福井秀夫氏は、司法修習生給費復活に反対の立場だ。

 その理屈は、「給費を復活させれば予算の関係で給費を支給するべき司法試験合格者をどんどん増やすことは出来なくなる。それは法曹人口を増加させようとした司法制度改革に反する」というもののようだ。

 相変わらず、法曹人口増加による競争で迅速且つ確実な司法サービスの提供等が可能となるかのような主張を繰り返している。また、20年ほど前に主張された司法過疎をいまだに振り回し、それに加えて弁護士コストが高いとも主張する。

 規制緩和して競争させれば良いサービスが残るという思考で、福井氏は凝り固まってしまい、現実を見ることができなくなっているように、私には見える。
 現実に日本は、規制緩和の方向に舵を切ったが、結局、貧富の差を拡大させ多くの中間層の国民を貧困に追いやっただけではないかとも思われる。痛みに耐えて構造改革に着手したけれど、成長の果実はごく一部の者に独占され、多くの国民は痛みだけ強いられ生活はさらに困窮する方向に流れているようにすら見えるのだ。

 それはさておき、そもそも司法制度改革は、今後の法的需要が飛躍的に拡大するとの見込みから始まっていたはずだ。

「今後の社会・経済の進展に伴い、法曹に対する需要は、量的に増大するとともに、質的にも一層多様化・高度化していくことが予想される。現在の我が国の法曹を見ると、いずれの面においても、社会の法的需要に十分対応できているとは言い難い状況にあり、前記の種々の制度改革を実りある形で実現する上でも、その直接の担い手となる法曹の質・量を大幅に拡充することは不可欠である。」(司法制度改革審議会意見書H13.6.12より)

 そして司法制度改革の結果、弁護士人口は、平成13年の18243名から平成28年には37680名へと、僅か15年で2倍以上に増加した。

 その一方、法的需要はどうなったか。
 民事・行政・刑事・家事・少年事件を併せて、全裁判所が1年間に受理した事件の総数は、平成15年の3,520,500件をピークに平成25年には1,524,029件となっている(裁判所データブック2014より)。
 わずか10年で裁判所に持ち込まれる事件数は約57%減少している(平たく言えば半分以下になっている)のだ。
 ちなみに、平成25年と同じくらいの受理事件総数を見てみると、昭和55年に1,469,848件だったことが分かる。乱暴に言えば、一年間で、35年ほど前と同じくらいの数の事件しか、裁判所には持ち込まれていないことになる。
 裁判所の事件受理数が全ての法的需要であるとはいえないが、法的需要を推し量る重要な物差しとなることには、異論はないと思う。

 この統計からも明らかなように、司法制度改革審議会は、法的需要に関して、数年先は予測できたものの、その後の長期的見通しを完全に誤っていたと言わざるを得ない。
 その誤った見通しに立脚して構築されたのが司法制度改革なのである。
 法的需要の予測に対応するために始めた司法制度改革であるならば、予測が誤っている以上、当然その改革も誤りとならざるを得ない。
 したがって、司法制度改革それ自体が、少なくとも法的需要に対応する法曹人口増大という面に関しては、結果的には誤りであり、現実に合わせて変更されるべきものであると言っても過言ではないだろう。

 だからこそ、政府も司法試験3,000人合格という目標を撤回したのだ。その背景には当然法的需要が伸びていないことがあるはずだ。

 前述したとおり司法制度改革審議会の意見書も、今後の法的需要の増大・複雑化が見込まれるから法曹人口が不足なのだと主張していたはずだ。あくまで、法的需要が増えるから(増えるはずだから)法曹人口の増加が必要なのであって、法的需要を無視して、法曹人口の増加が目的があったわけではない。少なくとも私の記憶では、司法制度改革審議会意見書に、弁護士を増員させ競争させることによってサービスの向上が図られるから、そのために増員するという意見はなかったように思う。

 しかし、今回の記事で福井氏は、司法制度改革の理念として法曹人口の増加に極めて重点を置いた主張をされているようであり、法曹人口の増加という手段を、目的とすり替えて述べているように読める。

 
 そればかりではない。

 司法過疎に関しては、既に弁護士ゼロワン地域は解消されているから事実誤認の主張だろう。医師会だって、医療過疎地への医師の派遣は経済的な裏付けが必要と述べているし、それと同じく弁護士だって個人事業者だから、生計が成り立たない場所では開業できない。離島に福井教授の授業を受けたいと切望する生徒がいても、そのために福井氏の勤める政策研究大学院大学が離島に大学を建設してくれないのと同じである。少なくとも日弁連は、大学と違って、会員から会費を集めて司法過疎対策に相当の支出をしてきている。
 弁護士コストの問題を見ても、人口それ自体にしても人口比にしても弁護士人口が日本より圧倒的に多いアメリカで、競争によって弁護士コストが激安になっているとの報告はないはずだ。むしろ、アメリカの法律事務所のリーガルフィーは日本の法律事務所のそれより遥かに高いということはグローバル企業の法務部の方にとっては常識であろう。

 さらに福井氏は、法曹人口が増加し一部弁護士の質が低下したとしても、それぞれの適性や「品質」を依頼者が吟味し、納得した上で依頼するなら問題は無いと主張する。
 確かに理屈の上ではそうかもしれないが、それは現実を無視した、完全な机上の空論に過ぎない。
 蕎麦屋の蕎麦の味ならともかく、弁護士の仕事の質が分かる人間がどれだけいるのだろうか。新人弁護士だって、書面の良し悪しなどすぐには分からない。
 これは私の感覚だが、準備書面で民訴規則を殆ど無視し、法的主張とは言い難く訴訟上殆ど意味がないと思われる、揚げ足取りに終始するような散文的な書面を出してくる困った弁護士も増えてきているが、相手方の依頼者がその書面はおかしいと相手方弁護士に文句をつけているようには見えない。依頼者が書面の良し悪しについて理解できないからだと思われる。
 上記の例は論外としても、逆に一見筋の悪い書面に見えても、依頼者がどうしても主張して欲しいと突っぱれば、弁護士としては主張しなくてはならない場合もある。書面だけで分かる実力不足もあるが、書面だけでは分からない事情も当然あるのだ。
 同じ弁護士であっても、実際に訴訟で戦ってみないとなかなか弁護士の実力・質は分からない場合が多いのだ。

 だから法律知識もなく一生に1度か2度しか弁護士に相談しないような一般の依頼者が、弁護士に依頼する前に、その弁護士の適性や品質を吟味することなどできるはずがないのである。
 これは、同じ世界に身を置く者として断言してもいい。
 むしろ、弁護士に依頼する前にその弁護士の適性や品質が吟味でき、依頼すべきかどうか適切な判断が出来る、と断言する者がいるならば、それは占い師か予言者くらいだろう。

 そもそも福井氏自体、2008.12.11の週間東洋経済の記事では、
『政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は「ボンクラでも増やせばいい」と言う。「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい」。』
と主張していたようだ。

 弁護士業務が9割9分定型業務と述べたというのが事実であればそれだけで、福井氏が弁護士業務に関しては、全く分かっていないド素人であり、単純に思い込みだけで主張していたことが明白だ。
 ある離婚事件で使った書面が、そのまま別の人の離婚事件で使えるわけがないではないか。事件一つ一つが異なる事情の下で発生しており、当然主張する論点やその重点の置き方は、変わってくる。債務整理事件など一部特殊な事件を除けば、弁護士の仕事は全てがオーダーメイドなのである。
 そんなことも知らない方が、弁護士業務はこんなもの等と、わけしり顔で主張して頂きたくはない。

以前も私はブログで、何度か福井教授の御主張には反論を書いている。
このブログのあと再掲する。

今年の二回試験不合格について

 司法試験合格後に、合格者は司法修習を受けることになる。そして、その修習の最後に受ける修了試験のことを、一般に二回試験と呼んでいる。

 今年の二回試験の不合格者は、54名だったそうだが、そのうち40名以上が民事弁護の科目で落第点をとってしまったとのことだ。

 裁判科目、刑事弁護科目での落第点ならまだ理解は出来るが、民事弁護科目で落第点をとるとはちょっと想定しにくい事態であり、どうやったらそんなに民事弁護で落ちるのか、不思議に思っていた。

 ところが、先程ある方から、ほぼ確かな情報ということで聞いたのだが、民事弁護科目の落第者の多くは、民法94条2項の類推適用が書けなかったらしい。

 仮にそのお話しが事実だとするととんでもないことだ。

 一般の方には分かりにくいとは思うが、民法94条2項の類推適用は、超弩級のメジャー論点であり、法律家を志すものであれば理解していないはずがない、ほぼ常識と言ってもいいくらいの論点である。

 94条2項の類推適用が可能(必要)な場面でそれに気づけないとは、どのくらいとんでもない理解不足かについて、分かりやすく医師に例えていえば次のような感じだろうか。

母:「先生、うちの子が熱を出しているのですが大丈夫でしょうか?」

医師:「どれどれ、ははあ、これは風邪ですね。薬を出しておきましょう。」

(翌日)

母:「先生、子供の熱が下がらないのですが。」

医師:「それはいけませんね。手術しましょう。」

母:「え、手術ですか!?ただの風邪だって聞いていたのに。大丈夫なんでしょうね。。。」

医師:「もちろん全力を尽くしますよ。」

(手術後)

母:「先生、手術は成功したのでしょうか。うちの子は大丈夫なのでしょうか。」

医師:「残念ですが、手術では直せませんでした。残念ですが、これが、現代医学の限界です。。。」

母:「そんな、ただの風邪だって言ってたのに。。。」

医師:「いや、病名は風邪ですよ。風邪を手術で治すことはやはり出来ませんでしたね。ははは。。」

 例えていうなれば、上記の例に匹敵するほど信じがたい理解不足なのである。

 これでは、どんなに合格させたくても、実務家として世に出すわけにはいかないだろう。

 しかし、問題は二回試験にとどまらない。

 二回試験は、法科大学院を卒業し、司法試験に合格し、司法修習を経たものが受験しているのだ。逆に言えば、94条2項類推適用がきちんと書けないレベルでも法科大学院を卒業し、司法試験に合格してしまえるということだ。

 医師に例えれば、風邪を手術で直してみようと思うレベルの人間を医師国家試験に合格させるほどの恐ろしさなのである。

 確かに問題を見ていないので、断言しきれない部分はある。

 また、二回試験は、長時間に及ぶ苛酷な試験であり、受験生が心身ともに疲れ切っていた可能性はある。

 しかしそのような場面でも、民法94条2項類推適用は、最低限抑えておかなければならない超基本論点であり、書けなくてはならない。

 もし本当に、民事弁護の落第理由が情報どおりなら、上位合格者はともかく、司法試験の合格最低レベルは、危機的状況まで落ちていると言わざるを得ないだろう。

 既に恐ろしいところまで事態は進行してしまっているのかもしれない。

大学受験の秘訣

 私の京大グライダー部時代の友人に、灘中・灘高を経て京大医学部に来ていたT君がいる。運動神経も良く、性格も朗らかで、なんでもそつなくできるが、決して偉ぶることのない面白い男である。

 T君とは、奈良女子大・体育会主催のオープンスキーに一緒に参加し、夜の宴会では二人で一緒に、当時流行っていた少年隊の「仮面舞踏会」などを歌って、盛り上げたりしたこともある。

 あるとき、私は、T君の誘いで、夜食のラーメンを食っていた。寒い時期で、新聞には前日に行われた大学入試問題が掲載されている。京大の国語と阪大理系の数学が掲載されていたようだった。

 T君は、ラーメンを注文したあと、新聞を手に取ると阪大の数学の問題を、目を輝かせて見つめていた。珍しくしゃべらんなぁ~と私が思っていると、店員がラーメンを運んできて、テーブルのうえにゴトリと置くのと殆ど同時にT君が呟いた。

T:「なるほどな~。」
私:「なるほどな~って、なんやの」
T:「解けた。」
私:「え!全部かいな。うそやろ。」
T:「おう。全部。計算は要るから解答書くなら時間かかるけど、間違いなく解けた。」
私:「おうって、ラーメン来るまで10分ちょいやで」
T:「まあな、意外に面白い問題やったで」

 京大入試の数学には苦戦した記憶のある私は、手品でも見たように呆然としながらラーメンをすすった記憶がある。

 数年前、そのT君と久しぶりにあった際に、大学受験時の勉強の話になった。T君によると、受験勉強の秘訣というものがあるらしい。

 聞いてみると、その秘訣とは驚くほど単純だった。

 「同じ参考書、同じ問題集を繰り返して完璧にすること。」

 たったこれだけだった。

 ただ私も、それには同感だった。
 私も大学受験時代に、気に入った英語・日本史・物理・地学の問題集・参考書を5~10回以上繰り返し、得点源にしていたことがあったからだ(苦手な数学は寺田の鉄則を2回繰り返すのが精一杯だったが)。さすがに現代国語の科目は別だったが、それ以外の科目では有効なやり方であると、私も感じていた方法だった。

 一見、一度解いた問題集を再度解くのは無駄なように思える。しかし、一度解いた問題集に再度挑戦しても、間違える問題は出てくる。一度解けたにも関わらず、もう一度解けないのなら、そこは自分の弱点だ。二度とも解けなかったのであれば、かなり大きな弱点だ。重点的に復習すべき箇所が明らかになる。
 また苦手ではない分野であれば、一度解いた問題はさして時間がかからずに解けるし、別の解き方がないか考えるきっかけにもなる。感覚的には、半分~2/3の時間で3倍の効果が得られるように思われた。

 ただし、やみくもに繰り返していてもダメである。
 10回も繰り返していると英語の正誤問題などでは解答を覚えてしまっている場合も出てくる。そのような場合、人間は弱いもので無意識にその覚えた解答を吐き出して「正解した」と自分を納得させたくなるものだ。しかし、それではダメだ。その誘惑に耐えて、なぜその部分が誤りなのかという理由を、頭の中でしっかり確認してから解答する必要(きちんと解く必要)がある。そうすることによって、初めて内容が身につくように思う。

 私は、自分のやり方がT君の秘訣と同じであったことを嬉しく思うと同時に、これは多くの人にも同じことではないかと感じていた。

 いま大学受験で頑張っている受験生には間に合わないかもしれないが、一つの方法として高校1・2年生の方には、参考になるのではないかと思う。

予備試験は制限されるべきか?

 先日の第77回法科大学院特別委員会で、予備試験関連の資料が大量に配布されている。

 おそらく司法試験予備試験の制限を本格的に提言するための布石ではないかと思われる。

 現在、予備試験合格者の司法試験合格率は、全ての法科大学院を上回る。法科大学院としては、屈辱的な結果のはずだ。本来、法科大学院で立派な教育を受け、厳格な卒業認定を受けているはずの法科大学院卒業生が、(法科大学院での正規?の教育を受けていないはずの)予備試験組に司法試験合格率で敵わないからだ。

 そこで法科大学院としては、予備試験がバイパスルートになっているのは問題であると指摘して、予備試験受験者乃至は合格者を、何らかのかたちで制限することを目論んでいるようだ。多くのマスコミも、予備試験が法科大学院教育を歪めていると指摘しているようで、情報がかなり操作されているような印象を私は受ける。
 

 言い方は悪くなるが、実力で敵わないから、政治力で制度を変えて自らの延命を図ろうというように見える。

 ただ私にいわせれば、法曹としての実力が身についているのであれば、どこで勉強してこようと一向に構わないと思うのだ。大手ローファームが競って予備試験組を優遇する就職説明会を行ってきたことは以前にも指摘した。現在も、弁護士法人御堂筋法律事務所、TMI総合法律事務所、森・濱田松本法律事務所、ベーカー&マッケンジー法律事務所など、有力大手法律事務所が多数、予備試験組を優遇する就職説明会を開いている。
 この事実は、法曹実務界において、法科大学院卒業生が優位性を持って見られておらず、むしろ予備試験組の方が実務において採用されやすい、つまりは世間から評価されていることを意味するといってよいだろう。
 法科大学院が標榜する、人格形成や幅広い知識、先端分野の教育などに、もしも実務における優位性があるのなら、予備試験組を就職説明会において特別扱いする必要は全くないからだ。

 行儀悪くいえば、法科大学院が大事だといっている教育は、実務界では評価されていないといっても言い過ぎではないのだ。私の経験からしても、大学などで先端の法律知識を少しかじったくらいでは、全く実務には役立たない。実務はそんなに生やさしいものではない。

 思えば、司法試験受験は、法科大学院卒業後5年で3回(現在は5年で5回)に制限されていたが、その司法試験受験制限の理由として法科大学院教育の効果は5年で失われるからと説明されていたはずだ。

 たかだか5年で失われ、実務界からも評価されていないのに、法科大学院に多額の税金を投入し続けるのは、国費の無駄ではないのか。もっともらしい理屈を述べ立てて、法科大学院や文科省が、自らの権益を守っているだけじゃないのか。
 食い物にされているのは納税者であり、被害を受けているのは法曹志願者なのだ。

 大学で研究も重ねてきたはずの学者が、法科大学院のことになると、現実を見失って理念ばかりを振り回すように見えて仕方がない。

 いい加減、現実を見据えてやり直しても良い時期なのではないだろうか。