昨日の続きになるが、旧司法試験批判として、予備校の存在が大きくなっていたという事実を指摘する声が大きかったのは事実だろう。
しかし、本当に予備校通いをすることが、弊害になっていたのだろうか。大学入試だって予備校がある。司法試験予備校で受験勉強をすることが、それ自体で問題視されるなら、大学受験予備校だって同じ問題が指摘されても不思議ではない。
上記の通り、素朴な疑問もあるが、本当に、旧司法試験時代における受験生の予備校通いに問題があったかどうかについては、司法研修所教官が最もよく分かっているはずだ。
なぜなら司法研修所教官は、司法試験合格後に合格者が司法修習を行う司法研修所の教官であり、一流の実務家(裁判官・検察官・弁護士)がその任に当たっているからである。司法試験合格直後の司法修習生を、一流の実務家が担任制で半年以上も直接様子を見ているのだから、司法研修所教官以上の確かな回答をできる立場の人はいないはずだ。
残念ながら、司法研修所教官らの声はなかなか外に洩れることはない。もちろん司法制度改革審議会も新たな法曹教育のあり方を検討するうえで、最前線でその任に当たっている司法研修所教官から事情を聴取したはずだ(昨日記載した佐藤教授のように直接聴取していない可能性は否定できないが、まさかそこまでひどく偏向した審議会であったとは思いたくはない・・・・。)。
ところで、日弁連法務研究財団が10年前に行っていた、次世代法曹教育フォーラムでは、司法研修所教官の貴重な声が、垣間見える。下記のリンクを参照されたい。
http://www.jlf.or.jp/jlfnews/vol6_1.shtml
リンク切れの虞もあるので、そのフォーラムに参加された、東大教授(当時)の高橋宏司教授の「次世代法曹教育フォーラムに出席して」から、引用させて頂く(アンダーライン、字句の色の変更は、坂野が行っています)。
大学人と司法研修所教官経験者との認識のずれが明確化(第1回)
3月22日に開かれた第1回は、委員がお互いを知り合う顔合わせを兼ねて、次世代の法律家のあるべき姿は何かの自由な意見交換に当てられた。結果として、参加委員全員がなんらかの発言をし、相互の理解は深まったように思われる。しかし、内容面では、どちらかと言えば現行の司法研修所修了者に照準を合わせ、そこが次世代でもあるべき姿だと捉える見解と、次世代の法律家はそれでは足りず更に上の質を目指すべきだという見解に分かれたようである。ともあれ、第1回の大きな収穫は、大学人が現在の司法試験合格者が暗記に走り法的思考能力が劣ると批判するのに対して、司法研修所教官経験者側から司法研修所の教育によってその程度のマイナスは十分に矯正されている、司法研修所修了者の質が劣化していることはない、との反論があったことであろう。大学人側の認識と司法研修所側の認識のずれが、明確になったのである。関連して、司法研修所教官経験者の一部から、大学は司法試験予備校に教育において負けたのである、その点を大学人は見ようとしないし認めようとしない、そこに大きな問題があるという指摘もなされ、議論は白熱した。第1回は、相互の親睦を深めるため、地下の桂で親睦会を開き、盛会であった。
出席者の語る司法試験予備校の実態(第2回)
4月20日の第2回は、大学での法学教育の問題点を探ることに当てられたが、司法試験予備校の実態を探ることから始められた。最近、司法研修所を修了した、ということは数年前に予備校を利用して司法試験に合格した若手弁護士2名から自己の予備校体験談、および他の予備校の探察談が語られた。大学人は予備校を常に批判するけれども、どれだけ予備校の実態を見て批判しているのか危ういところがあるとの感想も付け加えられた。弁護士委員の一部からは、今や日本では予備校でこそ体系的法学教育がなされている、大学においてではない、という強い声も飛び出した。若手弁護士へのアンケート結果でも、大学教育は役に立たなかったという割合の方が高いという大学人にはショッキングな報告もなされた。公平に見て、大学人からの反論は十分ではなかったというべきであろう。
司法研修所の本当の問題点は?(第3回)
5月24日の第3回のフォーラムは、大学の法学教育の問題点の補論と、司法研修所での修習に問題点があるかに向けられた。前半では、大学側委員の一人から、大学人は真剣に反省しなければならない、予備校に教えに行く大学教師も少なくないが、そういう者が大学教師としては予備校批判を口にする、これは奇妙ではないか、という発言があったのが印象深い。司法研修所に問題点があるかの本題では、スキル教育に偏重している、法哲学や法社会学を教えないのはおかしいという批判が弁護士委員からなされたが、裁判官委員その他から、司法研修所は司法試験合格後の修習であるからスキル教育でよいとの反論があり、大学人委員の多くもそちらに同調した。続けて、本当の司法研修所の問題点は、裁判官のリクルートの道具となり「官僚裁判官の養成場と化していると主張されていること」ではないか、それを討議しなければフォーラムの意味がないのではないかという発言があり、そこに討議が向けられることになったが、残念ながら、裁判官リクルート批判を強度に展開する委員が少なく、やや不完全燃焼の感が残ったようにも思われる。
さて、現状についての相互認識の開陳は終わり、第4回、第5回は、いよいよ近未来のあるべき法律家養成に焦点が向けられる。法科大学院の構想、実務教育のあり方、司法研修所の存置等が、直接の話題となるであろう。これまでの3回でよい意味での本音がかなり出されたので、深みのある討議がなされると期待しているところである。
(引用終わり)
このような当時の現場の声を聞いてみると、いかに予備校教育が流行しようが、むしろ体系的理解を与えてくれて実務に役立つのであれば、大学より良いわけだ。大学受験予備校だって大学に入学できるだけの学力を身につけてくれるのであれば、それで大成功であるはずだ。
昨日の佐藤教授の発言が明確に示していたように「予備校=悪」とみなして進められた法科大学院構想が、大学側の勝手な思い込み(若しくは学生を奪い返すための姑息な手段)であった可能性は極めて高い。
いくら大学教授が、予備校教育によって丸暗記の弊害があると言い張っても、現場の一流の実務家が(仮にそのような弊害があっても)司法研修所での教育で十分矯正され、実務家としてのレベルは落ちていないと言っているのだから、後者の評価が正しいことは明白だ。
なぜなら、殆どの大学教授は、実務家ではないし、司法研修所の教育を受けたこともないからである。実務家の評価は、実務家が一番分かっている。それにも関わらず、佐藤教授を会長とする司法制度改革審議会は、実務家教育について、実務家の意見を聞き入れたのかどうか明確ではない。むしろ、昨日のブログに引用した枝野vs佐藤論争からみれば、佐藤教授は明らかに、「予備校=悪」の観念に凝り固まったまま審議会を主催されていた様子が伺える。
このフォーラム第1回で司法研修所教官経験者が語ったように、大学は法曹教育において予備校に負けたのである。しかし大学は、その事実を頑なに認めようとせず、法科大学院制度を導入する、制度変更という手段によって予備校を駆逐しようとしたのだろう。しかし、大学側はもう一度敗北したのだ。仮に、法科大学院が本当に素晴らしい教育をしているのであれば、今も司法試験予備校が隆盛しているはずがないではないか。つまり、枝野vs佐藤論争で、いみじくも佐藤教授が予備校のような教育をやろうと思えば出来ると豪語していたが、実は、それすらも出来なかったということになりはしないか。
さらに、法科大学院側は、予備試験合格者を減らすよう要望しているという。また、法科大学院志願者が激減していることを、新司法試験の合格率のせいにして、新司法試験の合格率を上げるように要求しているそうだ。
ちょっと厚かましすぎるんじゃないだろうか?