福島原発事故

 福島原発の事故のニュースが連日続いている。現場で頑張っておられる方々の真摯な努力には本当に頭が下がる思いだ。

 しかし、未だに実態が分からない。「基準値を超えているが、大丈夫だ」とか、「直ちに健康に被害はない」とか、 「冷静な対応を」とか言われても、国民には対処のしようないように思う。

 そもそも、基準値を超えているのであれば、大丈夫じゃないのが普通であって、基準値を超えていても大丈夫とは基準値を決めた意味がないように思う。

 直ちに、人体への影響がないと言ったって、事後的にゆっくり影響が出てくるという意味なのか、取り敢えずそのままで大丈夫なのか、さっぱり分からない。

 「冷静な対応を」といわれても、直ちに待避するのが冷静な対応というべきなのか、政府が避難するよう指示するまで待っているのが冷静な対応なのかも分からない。

 あとになって、被爆被害が出たときに、政府に文句を行っても、『「直ちに」人体に被害が出ないといっただけで、あとからも出ないとは言ってません』、とか、『「冷静な対応」とは、自分で放射能数値を測定して考えて冷静に判断してくれといっているだけで、逃げなくても良いとは言っていない』と言い訳されても困るのだ。

 政府は、生じる可能性が1%でもあるのなら、その最悪のシナリオを考え、そのシナリオにどう対処するかを明確に示すべきだし、そうでないと国民は行動の指針が立てられない。

 私は時々CNNスチューデントニュースを見ているが、かなり深刻な事態であると報道されている。

 確かにパニックを避けるために、情報隠蔽は一つの手段だ。しかし、その手段は、隠蔽しきればパニックを避けられるかもしれないというだけで、もし隠蔽しきれなければ国民はもう二度と政府を信用してくれなくなるだろう。

 危険な賭かもしれないのだ。

 私は、政府は一刻も早く正確な情報を十分国民に提供すべきだと思うし、マスコミで健康被害について大丈夫と断言している学者の言質を、マスコミの方は、きちんととっておく必要があると思う。もし嘘だったり、いい加減な解説だったら、それを信じて健康被害を受けた方の権利を守るために必要があると思うからだし、それこそが国民の知る権利に資するマスコミの使命でもあるはずだ。

 現場で働いておられる方の、ご苦労は凄まじいものがあるだろう。なんとか、被害が収まることを念じてやまない。

ポンデザールの鍵のやま

 昨年末、久しぶりにパリに行く機会があった。曇って陰鬱なパリの空の下、ポン・デ・ザールを渡ってみた。フェンスに違和感を感じたので、見ていると、橋のフェンスに鍵がたくさん取り付けられている。鍵をつけても全く意味がないので、一瞬不思議に思った。

 よく鍵を見てみると、鍵に男女の名前が書いてある。縁切りを願って鍵を一緒にかけるはずもないだろうから、どうやら若いカップルがお互いを結びつける意味で(願いを込めて?)鍵をかけているようだ。フランス語・英語・日本語・中国語など様々な国の文字が、ひっかき傷で書かれたり、油性マジックなどで鍵に書き込まれている。

 イタリアのヴェローナ市にあるジュリエットの像の胸に触ると恋が成就するという言い伝えみたいなものだろう(おかげでジュリエット像の胸の部分だけいつもぴかぴかしているそうだ。)。ポンデザールを舞台にした恋愛小説・映画があったかどうかは、寡聞にして知らないが、おそらく初めは、何かの小説か映画でそのようなシーンがあったか、どこかの雑誌かサイトか何かがおまじないとして広めたものではないかと思う。

 おそらく、数年のうちに、そのうち半数以上のカップルは鍵をかけたことを後悔するか、忘れてしまうのだろう。初恋の人とゴールインして、ずっと幸せに暮らした人の数はごくわずかなのだ。だからこそ、数あるデートスポットの中には恋が成就する名所以上に、「別れの名所」は数多く存在するのである。

 この橋でも、鍵をかけて良かったという結論にまで到着するカップルは、経験上間違いなくごく少数だろう。しかし、憧れのパリまで一緒にやってきた若いカップルの考えることはそんな先のことではない。

 私も経験があるので分かるが、若いということは、ある意味、後先考えずに今を生きているということでもあるから仕方がないかもしれない。明らかに、鍵を取り付けるつもりで作ってきた、カップル名が彫り込まれた鍵まであった。

 若いカップル達の、今を生きているその証をいくつも眺めながら、「気持ちは分かる。大抵ダメになっちゃうけど、頑張れよ。」という気持ちと同時に、「こんなに景観を台無しにすることをしやがって・・・。」という気持ちが湧いた。

 それは、私に分別がついたということだけではなく、失うまで気付かない若さという宝物を、彼らが今まさに持っている、ということに対する無意識な嫉妬が混じっているからかもしれない。

 鍵の山を見て、そんなどうしようもないことを考えながら、寒々しい装いを見せるパリとセーヌ川に負けて心まで冷たくならぬよう、せめてコートのポケットに手を突っ込み、そのときの私は、ポンデザールを足早に渡っていたのだった。

日弁連の意見って誰の意見?~2

 2月22日のブログhttp://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/02/22.htmlにも書いたのだが、日弁連が、法曹養成制度に関する緊急提言を出す方向で、最終調整に入っているということで、弁護士のMLなどでさんざん酷評されている。

 日弁連執行部曰く、「法曹養成問題に関するフォーラムが出来るのに丸腰では参加できない。せめて日弁連として提言をしてそれをもとに乗り込むべきだ。」とのことであるが、会内で大きく意見が分かれるこの問題について、10年も前の臨時総会決議の範囲内だということで、このような意見を一方的に出すのはあまりにも執行部の身勝手である。

 フォーラムのような組織が出来ることは既に、給費制が1年延長された時点で分かりきっていたのに、それへの対応を放置してフォーラム直前に火事場泥棒的に、会内合意もとらずに押し切ろうとするのだから、会内民主主義もへったくれも、執行部は考えちゃくれないってことだ。

 10年間で大きく状況が変わったにもかかわらず、10年前の主張にしがみつくお馬鹿さんのやり方としか思えない。10年前といえば、2001年といえば、北京でオリンピックをすることが決まった年だし、ギリシャがユーロに加盟した年でもある。

 ロースクールの設計も馬鹿みたいにバラ色の設計図だった。

 その頃に決めたことを、何とかの一つ覚えのように墨守しようとすることの方が愚かだ。

 しかも、司法試験の問題ををロースクールの授業に合わせろという内容も入っているらしい。また、ロースクール卒業生の受験資格制限(いわゆる三振制度)を5年で5回にするべきという内容も入っているらしい。さらに、予備試験組の参入を狭めるよう求める内容も入っているらしい。

 言いたかないが、この意見をまとめた日弁連の委員会は、あほか?

と思ってしまう。

 司法試験は司法試験法という法律(しかもその法律の一番最初の条文)によって「裁判官、検察官又は弁護士になろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定すことを目的とする国家試験とする。」と明記されている。

 新司法試験は、「ロースクールでの授業をまともにこなしたかどうかを判定する」という試験ではない。法律でそう明記されているのだ。

 ただでさえ、ロースクールの機能不全が叫ばれている。新司法試験の採点雑感を見ればいい。(上位の受験生はともかく)こんな程度で実務家にして良いのかという採点者の嘆きが聞こえてくる。

 採点者から、毎年毎年ロースクールに求められているのは、「法律の基礎を理解させてくれ、せめて基本概念を理解させてくれ」という悲痛な叫びである。答案が日本語の文章としてなっていないという指摘も年々増加しており、あまつさえ国際関係法(公法系)の採点雑感には、(答案に)問題文を書き写しても得点にならないし意味がない(そんな答案が少なからずあった)、という指摘さえされている。

 答案に問題文を書き写すなど、いまどき、高校の受験生でもやらないぞ。

 確かにこれまでの司法ではいけないと考え、改革を目指した理想はよかったのかもしれない。署名運動など大変な思いをされた方も多いだろう。

 しかし、理想はあくまで理想だ。いくら素晴らしい夢を描いても、実現したのが荒廃ならそれが事実だ。現状なんだ。理想にしがみついて夢を見続けるのではなく、現状を見るべきだ。署名運動でかいた汗を無駄にしたくない気持ちも分かるが、それを無駄にしたくない気持ちと、現実の惨状を比較してどちらが大事か考えるべきだ。

 また、受験回数制限を緩和するという方向性は、悪くはないと思うし、本来受験回数制限をするべきではないと個人的には思うが、受験回数制限も、司法試験法という法律で定められたことである。当然当時の日弁連は(反対者も多くいたが多数決でやむなく)その法律に賛成する立場に立っていたのだから、厳格に解すれば、この受験回数制限緩和の主張はこれまでの日弁連の立場と矛盾するともいえる。

 どうしてこの提言が、これまでの日弁連の立場の範囲内に収まるのか私には直ちには理解できない。

 しかも、予備試験ルートを狭める提言内容など言語道断だ。ロースクールに通えないが優秀な方は沢山いるはずであり、多彩な経験をお持ちの方の法曹界入りを可能にする制度が予備試験だからだ。予備試験合格組の方が成績優秀であるならば、それはすなわちロースクールが無用の長物であったことの証明だ。ロースクール側が言うように、ロースクールが本当に素晴らしい教育をして、生徒がそれを身につけ、厳格な基準で卒業させているのであれば、予備試験など課さずに受験資格を撤廃して、一般受験者と堂々と渡り合って勝負したらどうなんだ。言ってることが本当なら、絶対ロースクール生が勝つはずだ。言ってることが本当なら勝てないはずがない。万一、それで勝てなきゃロースクールの意味はないはずだろう。

簡単なことだ。

どうしてそれが出来ないんだ。

 今の日弁連の法曹養成問題を担当している委員会は、手段(ロースクール)を守るために平気で目的(法曹に必要な学識・応用能力の有無)をねじ曲げようとしているとしか思えない。

 少し品を書いた表現になったことはお詫びします。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

ps 災害支援ボランティアサイトhttp://saigaisien.idealaw.jp/を少し充実させました。

  さらに充実させていく予定です。

災害関係の法的知識

 現在入手できる、震災関係の法律問題解説書は、「災害対策マニュアル」(商事法務刊)くらいです。

 少しでも被災された方のためにお役に立てないかと、上記マニュアルを参考に、震災関連の法的知識を提供するHPを作成しました(一部まだ工事中ですが、下記のURLをご参照下さい。自由にリンクして頂いて結構です)。

 なお、震災後からの突貫工事で作成したHPでもあるため、内容的に不備があるかもしれませんし、内容を簡単にまとめてしまっている場合もありますので、詳しくは専門家にご相談されるか、上記「災害対策マニュアル」をご参照下さい。

http://saigaisien.idealaw.jp/index.html

 このHPは、急ごしらえで、情報の正確性・確実性まで保証するものではありませんが、被災された方の参考に少しでもなれば幸いです。弁護士の方でも、参考になる部分が大いにあるので、是非「災害対策マニュアル」(商事法務刊)をご参照下さい。

 取り急ぎご報告までにて。

ある事件の顛末~4

 具体的な弁護内容は分からない。

 また、Aさんの記憶が完全に正しいとも限らない。

 私の推測と違って、実は国選の弁護士は起訴を回避するために示談に向けて必死に活動していたのかもしれない。

 しかし、仮にAさんの記憶が正しいとするなら、国選の弁護士は、刑訴法237条1項を知らなかったか、勘違いしていた可能性が高い。告訴は公訴提起までに限り取り消せるのであり、起訴後は告訴の取り消しはできないのだ。だから、起訴後に示談しても被害者が告訴の取り消しができない以上、一度起訴されてしまった事件がさかのぼって取り消されるはずもない。大げさに言えば、起訴されてしまってからでは、(情状面では示談の意味があるが)全てが遅すぎるのだ。

 また、気になるのは、示談に動くよりもAさんへの接見(面会)を優先させていた国選の弁護士の行動だ。

国選弁護の報酬を考えれば少しは理解できる。起訴されるまでの被疑者国選の段階では、上限はあるものの接見を重ねるごとに国選報酬が少しずつ上乗せされるのだ。弁護士の激増により、ボスから給与をもらうイソ弁の待遇は急激に悪くなっている。事務所経費がかからないイソ弁からすれば、少し時間を掛けても手取りが増える方が良いという人もいるだろう。Aさんも、留置場で同室の被疑者から意味もなく接見に来る弁護士が最近増えていると聞いたそうだ。

確かに、起訴翌日に保釈を申請し保釈させた行動は迅速ともいえるが、これも、国選弁護での報酬上乗せ要素だ。保釈の準備をするくらいならどうして被害者と示談して告訴の取り消しをさせなかったのだろうか。

 また、あれだけAさんのことを心配していたAさんの奥さんは、どうして離婚を言い出したのだろうか。私がそのことに触れると、Aさんは、「何より犯罪をしてしまった私が悪いのですが、執行猶予がついたとしても有罪判決ですから社会的には犯罪者であることは間違いありません。子供にその重荷を負わせることは妻にはできなかったようなのです。」といって俯いた。

私は、本当に残念だった。私が無理矢理にでも私選に変更させ、最もうまく進んだとすれば、示談→告訴取り消し→事件終了で、Aさんの家庭が破壊されることもなかったかもしれない。しかし、その当時Aさん家族は、Aさんが国選の弁護士に抱いていた「良く動いてくれる弁護士」という印象を信じ、国選の弁護士がきちんと弁護してくれていると信じて、別の選択肢を選ばなかったのだ。

 この案件は、フィクションとしておく。しかし、限りなく事実に近いフィクションだ。

 決して完全なフィクションではない。

 現実に起こりうる問題だ。

 この案件から分かることは、弁護士がきちんとした知識と実力を備えていないと、一般の方に大きな不利益を与える危険性が高いということだ。そして、残念なことに、一般の方には弁護士の仕事の内容・質は、なかなか分からない、ということだ。

その結果、完全に自由競争させた場合、基本方針を完全に誤っていた弁護士であっても、顧客の目に見えるところだけ一生懸命にやっていれば、その弁護士の問題を見抜けず結果的に国民の皆様が損をする危険があるということだ。

 全ての弁護士が知識不足というわけではなく、勉強熱心な弁護士の方が圧倒的に多いと私は思っている。しかし、新司法試験の採点雑感を見る限り、基礎的な知識不足が年々悪化しているように指摘されており、大きな問題が起きる危険は毎年増大しつつあるように思われる。それでも、ほとんどの国民の皆様には弁護士の質など分からない。

 そのような状況下で、自由競争させる弁護士制度が、真に望ましいものなのだろうか??

ある事件の顛末~3

その後、この件に関しては、2ヶ月くらい連絡がなかった。

 私としては、ここまで完全に無料で活動してあげたこともあり、もし結果が出たなら報告くらいするのが人の道だろうと考えていた。ちっとも連絡をよこさないので、すこし、Aさんの奥さんとご両親は、礼儀知らずだな、という思いも正直あった。

 しかし、こちらから連絡するのも、お礼を強要しているように受け取られかねず、いやらしいので連絡せずに放っておいた。

 ところが、である。

 私が、最後にTさんご夫妻(Aさんの両親)にお会いしてから、2ヶ月以上経過した後、Tさんから是非会いたいとの連絡があった。Aさんは起訴され、その翌日に保釈されたが、現在結審して判決待ちということだった。国選の弁護士を通じて被害者と示談したが、総額350万円になり、とりあえず200万円、執行猶予がついたらさらに150万円という示談になっているとのことだった。

 それはさておき、Aさん夫妻が離婚の話になっており、その条件について相談したいからということだった。

 どうして当初の額よりも高額の示談になっているんだ。それに示談したのなら、どうして起訴されているんだ。Aさんの奥さんはあれほどAさんのために頑張っていたのに、どうして離婚の話になっているんだ?私には全く理由が分からなかった。

 一度、Tさんとお話ししてから、離婚に関する事情を聞かせてもらいたいので保釈を受けて判決待ちのAさんに来てもらった。

 お話を聞いて驚いた。

 どうも国選の弁護士は、Aさんが示談はどうなっているかと聞いたにもかかわらず、起訴されるまでに示談を積極的に進めている様子はなく、起訴されても保釈ができるからということをのべ、保釈によりお正月を家族と過ごせて良かったですねという感じだったそうだ。

 その後、正式裁判の情状面として示談を行い、当初申し出ていた金額に保釈金が返ってくる額を上乗せして示談していたようなのだ。

しかし、高額の示談金を出すのは、高額の示談をしてでも告訴取り消しにより正式裁判を避けることに大きな意味があるからだ。正式裁判に持ち込まれてから示談しても情状に影響する程度であり、相場よりも相当高額の示談金を出す意味はあまり考えられない。

Aさんの親族はそれでも、裁判で有利になるからと国選の弁護士に言われて払う約束をしたのだということだった。

 「それでも、国選の弁護士さんはよく動いてくれるとおっしゃっていたんじゃないのですか?」

 私としては当然の疑問だった。

 「その先生はよく、面会に来てくれたんです。2~3日に一度くらいは来てくれたので、良く動いてくれるいい先生だと思っていました。」

 とAさんは答えた。

 「そんなに頻繁にやってくるとは・・・。あなたが呼んだのですか?どんな話をしていたのですか。」

 「家族と面会した後に示談をしてほしいということで一度だけ呼んだことはあります。それ以外は、私は呼んでいませんし、来られても、たいしたことは話していません。様子はどうだとか、取り調べはどんな状況かとか、何か家族に伝えたいことはあるかというくらいで、そんなに時間もかかりません。私も特に話すことはないのですが、良く会いに来てくれるので、いい先生だと思っていたのです。」

「保釈後は、頻繁に連絡を取り合いましたか?」

「いいえ、示談のお金の件で連絡はありましたが、保釈後は裁判直前に1度会ったくらいです。」

 「示談して告訴取り下げをするというような話は聞きましたか?」

 「告訴の件は、確かに国選の先生もおっしゃっていました。でもそれは、保釈してもらった後に聞きました。」

 私は天を仰いだ。

(続く)

ある事件の顛末~2

 よく動くはずの国選弁護士がどうして、被害者からの連絡待ちなんだろう。連絡待ちなんてしているうちに起訴されたら、告訴取り下げができなくなるじゃないか。やり方なら色々ある。この事件で示談と告訴取り消しは最重要なはずだ。少し国選の弁護士に疑問を感じた。

 しかし、私に費用を掛けるくらいなら示談のお金に回した方が示談可能性が高まるし、仮に国選弁護士がきちんと行動していた場合に、私が横やりを入れて示談を壊したら元も子もない。なによりAさんは国選の弁護士で良いといっているのだ。

このように、Aさんは国選弁護士を信頼して変更を拒否している以上、私としては、弁護人でもなく、Aさんの代理人でもない。Tさん夫妻、Aさんの奥さんから依頼を受けているわけでもない。Yさんの紹介だから、無料で相談に応じてあげていただけなのだ。何の権限もないがセカンドオピニオンを申し上げているのが私の立場なのだ。

その立場からすれば、僭越ではあるとは思ったが、あまりにAさんの奥さんが辛そうだったので、その場で出せる金額の上限を聞き、それを検事にお伝えして良いかも了解を得た上で、検察庁に電話を掛け、事情を話した上で担当検察官を調べてもらった。

そして、担当検察官に直接電話で、「まず、何の権限もないのだが、親族から相談を受けている弁護士という立場で、①親族は告訴取り下げを条件に200~250万円程度(私の感覚や慰謝料の前例からみれば同罪の慰謝料としてはやや高額という印象)は示談として出す考えはあること、②起訴後であれば示談のメリットが極度に下がるため、今提示している慰謝料を親族が出さなくなる可能性があり、そのため現段階で示談に応じる方が被害回復につながる可能性が高いこと、③親族から国選弁護士に示談するよう強く働きかけるから、起訴はなるべく勾留期限ぎりぎりまで伸ばしてほしいこと、④被疑者は会社員であり、起訴された場合に失職する危険性も高く、家庭崩壊につながりかねないこと、⑤以上を踏まえて、国選弁護士との示談に前向きな対応を検事の方から被害者に促してほしいこと」などをお願いした。

本当はこれくらいのことは、弁護人がやるべきことだし、多くの国選弁護士は当然やっているものだろうと私も信じてはいる。

受任した以上いくら赤字でも、誠実に仕事をやるべきだからである。

私の要請を受けた担当検察官は、「被害者に、告訴の取り下げを条件に示談をしろとまではいえません。しかし、加害者側で相当額での示談を考えている申し入れがあったようなので、国選弁護人に示談の件で連絡した方が良いのではないか、という位のサジェスチョンならします。」と約束してくれた。

私はさらに「勾留期限を考えると時間がそうありません、少なくとも慰謝料額は相当額以上だと考えます。そのあたりをお伝えしていただいてもかまいませんので、とにかく、被害者の方に示談に前向きに対応するよう押してください。」と念を押して、検察官との電話を切った。

私は、そばで聞いていたTさんご夫妻とAさんの奥さんに、「今お聞きになられたように、担当検察官に示談の件は話しておきました。すぐ、国選の先生に連絡を取ってお願いして示談のため被害者に連絡を取ってもらってください。被害者の電話番号は被害者がOKすれば、検察官が教えてくれるはずですから。」とお伝えした。Aさんの奥さんは涙を流しながら、お礼を言って帰って行かれた。

 しかし、事件はこれで終わったわけではなかった。

(続く)

ある事件の顛末~1

「済みません。多分そんなことはないと思いますが、もしその国選の弁護士さんが告訴の問題を勘違いしていたとしたら、そんな弁護士がいるのが恥ずかしいです。でも全ての弁護士がそういうわけではないことだけは分かってください。」

 事情を聞いたらそう言って謝らざるを得ない気持ちになった。

 私が以前事件を担当したYさんから紹介をうけたというTさんが、息子さん(Aさん)の刑事事件についてセカンドオピニオンを求めてこられた件だった。

 息子さんは、ある親告罪を犯して逮捕から勾留に移りつつあるということだった。国選弁護の弁護士がついてくれているが、親族に何の説明もしてくれないので不安だということだった。ご両親(Tさん夫妻)とAさんの奥さんも来られていた。皆非常に心配し、なんとかAさんを助けたいとの一心だった。

 私は、大まかな犯罪事実を聞き、刑事手続きのだいたいの流れを説明した上で、Aさんが会社員であることから、可能であれば示談により告訴を取り下げてもらう方法が最も良いはずだとアドバイスした。

 いうまでもなく、親告罪では告訴がなければ起訴できない。起訴されるまでなら告訴の取り消しは可能だ。告訴を一度取り消せば再告訴はできないから、告訴さえ取り下げ(取り消し)てもらえれば、正式裁判に持ち込まれずに済む。

 できるだけ早く、その国選の弁護士に頼んで、告訴取り下げを条件とした示談をしてもらうよう説明した。

 Aさんの奥さんから、電話で、その後、国選の弁護士の先生にお願いしたがなかなか動いてくれないとの話をされた。私は、「知り合いの弁護士に聞いたら告訴取り下げを条件とした示談をするべきだといわれた」と申し入れて、早急に動いてもらうよう粘り強くお願いするか、あまりにも動いてくれない国選の弁護士さんなら、費用はかかるし現時点では私も多忙で十分な活動ができないかもしれないが私選で私に変更する手段もあるとお話しした。

 10日後くらいに、再度どうしてもお話をお聞きしたいということで、もう一度Aさんのご両親と奥さんが来られた。

 国選の弁護士が、被害者に手紙を出してくれたようだが被害者から連絡があったらお伝えしますといったきり何も連絡してくれない、とのことだった。Aさんに弁護士を私選弁護士(つまり私)に変更しようかとも聞いたそうだが、Aさんの返事が「国選弁護士さんもよく動いてくれているし、ただでさえ犯罪をして迷惑を掛けているのに、経済的にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないから、このまま国選で良い」という返事だったそうだ。

(ちなみに私選弁護士は国選弁護士の約10倍くらいの(場合によりそれ以上の)弁護士費用がかかる。それでも経営者弁護士にとってみれば、ぎりぎりペイするくらいだ。逆に言えば経営者弁護士にとっては、国選事件は完全な赤字事件なのである。)。

(続く)

言葉にならない・・・・。

 3月11日の宮城県三陸沖を震源とした「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

 また、被災地におきましては、日夜を問わず被災者救助や災害対策に全力を尽くしていらっしゃる関係者皆様に敬意と感謝の意を表します。

 私どもに出来ることはわずかでしかありませんが、皆様のご無事を心よりお祈り申しあげます。

弁護士人口問題全国連絡会(仮称)準備会、中止について

 法曹人口問題アソシエーションのHP(http://jinkoumondai.housou.org/index.html)でもお伝えしておりました、

 3月13日に予定されていた、弁護士人口問題全国連絡会の準備会は、地震のため中止(延期)となりましたので、お伝え致します。

 地震で被災された方のご無事を祈念しております。

 取り急ぎ、お知らせまでにて。