森本会長、考え直して頂けませんか?! ~その2

 私が噛みついた、もう一つの執行部提案(正確には報告議案)は、次のような内容だった。

【人権擁護活動奨励賞】
 人権擁護活動を行う大阪弁護士会会員、大阪弁護士会会員が参加する団体に対して、大阪弁護士会が表章し支援することにより、当該人権擁護活動を社会に知らしめ、広範な人権活動を高揚させるとともに社会正義を実現することを目的とする。
 財源として事業戦略費(予算200万円)を用いるとのことだ。

 これまで、大阪弁護士会会員以外の人権活動について、大阪弁護士会は「大阪弁護士会人権賞」を制定して、表章と金一封・記念品の贈呈を行っている。

 それと同様の制度を作って、弁護士も表彰の対象にしようという制度だ。

 私としても「大阪弁護士会人権賞」の意義は分かるが、そもそも、20年以上実施しているものの世間にはあまり(殆ど)知られていないことから、目的である人権活動の高揚と社会正義の実現についての効果は明確ではないと感じており、費用対効果の観点からも、人権賞に関する会費支出についても、基本的には賛成ではない。

 さらに、弁護士に対してもそのような賞を設けて表彰しようというのが今回の森本会長の意向なのだが、私は真っ向から反対意見を述べた。

 理由は、既に人権保障活動をされている方は、人権保障の信念に基づいてその活動をされているのであり、そのような賞が創設されて弁護士会から表彰されようがされまいが、その活動に揺るぎはないと思われる。弁護士会が表彰してくれないなら人権保障活動を止めちまうぞ、というような功利的な人なら、そもそも人権保証活動に従事していないだろう。


 また、これまで人権保障活動をしてこなかった方が、このような賞が設けられたからといって、その賞を目当てに人権保障活動を突然やり出すという状況も考えにくい。何時表彰されるか(選んでもらえるか)分からない賞(しかも世間的に評価されるかさえも不明確な賞)を目当てに、基本的にはペイしない人権保障活動に注力するとは考えられないからである。

 だとすれば、こんな賞を設けても、多分現状は何ら変わらないのである。

 人権保障活動に従事しようという弁護士が増えるとも思えないし、社会正義の実現につながるとも思えないのである。

 法律でいうところの立法事実が見出せないのである。

 そればかりではない。
 事業戦略費を用いるというのも、引っかかるところである。

 事業戦略費は、その名前からすれば、大阪弁護士会が戦略的に事業を行う為の費用だと考えられる。事業戦略費を使うのであれば、非弁活動の取り締まり強化など、大阪弁護士会や会員に直接プラスになる見込みが高い事項に使うべきなのではないか。会長のやりたいことをやるために自由に使って良いお金なのか。

 また、他会でも似たような制度を実施しているというような資料も添付されていたように記憶しているが、他会を参考にするのなら、他会で徴収されていない国選・管財人・LACなどの負担金制度を止めるのが先じゃないのか。

 確かにこれまで、陽の光が当たりにくかった、人権保障活動に対して、努力されている方々の活動に光を当てたい、という森本会長の意図も分からなくはない。
 また、人権保障活動に尽力されてこられた方としては、表彰されれば評価されたということもあり嬉しいだろうということも否定はしない。

 ただ、そもそも大阪弁護士会は、人権保障活動に熱心に取り組んでいる委員会も多く、どの会員(団体)を選択するのかという点についても問題が生じかねない点を指摘する常議員の先生もいた。俺たちはA団体より絶対人権保障に関して頑張っているのに、どうしてA団体が表彰されて金一封もらい、俺たちには何もないのか、という思いを生じさせかねないということである。

 一応、自薦・他薦で応募する制度にはなっているが、選考委員会としても選考委員が良く知っている団体や会員を高く評価しがちになるだろうということは避けられないと思われる。

 私は、この制度を森本会長がどうしてもやりたいのなら、個人のポケットマネーでやるべきだと考えた。

 そうすれば、どの弁護士・団体が表彰されようと、会長の個人的な評価ということで済むので選考の問題もクリアできるし、会長のポケットマネーから金一封(事業戦略費200万円を、全額使いたいような説明だった)が支払われるのであれば、大阪弁護士会の会費の無駄遣いも避けられる。大阪弁護士会からの表彰であろうが、大阪弁護士会会長個人からの表彰であろうが、表彰された方が嬉しいのは、特に変わらないと思われる。そして、その表彰の結果、仮に人権保障活動の新たな展開がなくても、会長のポケットマネーなら弁護士会の財政にも影響しないので誰も文句は言わないだろう。

 

 実際、森本会長は、「確かに御指摘のとおり、選考の問題はあるが、私はやりたいと考えています。」という趣旨のお話しをしていたので、そんなに森本会長がやりたいなら、個人の負担ででやれば良いだけではないかと考え、反対意見に付け加えて、私は「そんなにやりたいのなら、会長のポケットマネーでやればいいじゃないですか。」と申し上げた。

 
 仮に会長のポケットマネーで始めて、この奨励賞の設置により人権保障活動が活発になることが分かったのなら、会費を使う正当性も出てくるだろう。

 私の意見に対して、別の常議員の先生から、「そういう問題じゃない」との反論もあったが、私はそういう問題だと思っている。

 弁護士会費は、支払わねば弁護士会から懲戒処分を受け、最後には退会させられるという弁護士にとって極めて重いくびきである。
 そうやって無慈悲に集めた会費を、使うのであれば、費用対効果も考えて会員にとってプラスになる可能性が高い使い方をするのが、会員の信任を受けた執行部の役目なのではないか。

 

 結局この案件は、報告案件として常議員会に上程されただけなので、私がどれだけ反対しようが、あくまでそれは意見ということで、森本会長の意向で実現されてしまう可能性が高い。

 さらに危険だと思うのは、森本会長が、この制度を次年度以降も恒常的に行うことを目指すと実施要領に記載していることである。
 次年度以降も事業戦略費から200万円(最大)が効果も分からない制度に、毎年毎年支出されるというのは、私から見れば納得できない。


 弁護士が全員それなりの余裕のある生活が出来ているのなら、構わないが、そのような状況にはないはずである。

 日弁連や弁護士会の執行部に入られる方々、特に会長職に就かれる方は、弁護士業でも成功しており(森本会長も大阪の超有名大手事務所のトップの方である。)、ご自身ないしご自身の事務所にいる弁護士を基準に、弁護士の状況を考えている可能性が高い。

 前々回(だったかな?)の日弁連会長選挙で、法テラスの弁護士報酬増額を目指すと候補者全てが述べていたが、実際に法テラス案件を自ら処理したことがあるのは及川先生(千葉)、お一人だけで、他3人は法テラス案件を自ら処理した経験がない人たちだった。


 経営がうまくいっている事務所の上層部だった日弁連会長候補者達は、人権保障・社会正義などといいながら、法テラス案件などやっていなかったのである。

 実際に法テラスの弁護士報酬の理不尽な低さを経験していない人たち、市井の弁護士の辛さを何ら理解していない人たちに、その改善に関して真剣に取り組めるとは思えない。

 森本会長、あなたの事務所の弁護士さんだけでなく、もう一度、市井の弁護士の実情をよく見て下さい。

 君子は豹変す、といいます。間違っていたなら正すことが出来るのが君子です。

 一度決めた制度であっても、本当に会費を出すだけの効果が見込めるのかをよく考えて頂き、勇気を持って考え直すべきではないかと、私は考えます。

(この項終わり)

ラトビアで見かけた柴犬(記事とは関係ありません)

森本会長、考え直して頂けませんか?!~その1

 先だって、8月5日の大阪弁護士会常議員会で、生活保護者破産管財事件予納金に関して、法テラスが出してくれない部分を、弁護士会が自腹を切って負担する制度が提案され、私は猛反対したが、採決の結果、賛成多数で可決された(若手の常議員の方は何名か反対して下さった)。

 この件に関して、X(元ツイッター)で呟いたところ、約19万回も表示され、コメントのほとんどが「信じられない」「全国に広まったら迷惑」などであり、賛成するコメントはなかったように思う。

 ちなみに、大阪弁護士会会館のエアコン交換に関連してだと思うが、常議員会資料では令和7年度予算において、会館積立金を17億円以上取り崩す予定になっている。その結果、今年の会館積立金(約4900万円)が入金されても、会館積立預金残高はわずか1950万円しか残らないことが予想されている。
 しかも、常議員会での執行部の報告によると、大林組の施工費見積もりが、大阪弁護士会の当初の見積もり予測よりも、はるかに高額になっているらしい。 
 そのため、17億円支出しても交換必要な状態にある会館エアコンの全てが交換できるかは微妙であり、場合によれば、エアコン交換用の特別会費を会員から徴収しないとエアコンが交換できない危険すら生じかねない状態だと私は考えている。

 このような状況では、どんなに額が低い支出でも、弁護士会費の無駄使いはするべきではない。

 大阪弁護士会館が機能しなくなれば、大阪弁護士会事務局ひいては大阪弁護士会自体も機能しないので、いくら生活保護者の人権保障に必要だといっても、大阪弁護士会の十全たる活動と比較すれば、どちらを優先すべきかは明白である。

 更に言えば、生活保護者の人権に役立つとしても、本来法テラス(国)が負担すべき費用を、法テラス(国)が出さないからといって、どうして弁護士会が自腹を切る形で負担しなければならないのか、全く理解が出来ない。

 確かに、弁護士の生活が国から完全に保障されていて、どんなにボランティアをしようが生活に苦しむおそれがないのであれば別かもしれない。しかし、弁護士は基本的には個人事業主であり、人間である。

 人間である以上、ボランティア活動の前に生活を立てなければならないし、家族も守らなくてはならない。

 しかも、司法改革の際にマスコミや法科大学院推進派の学者は、弁護士も資格に甘えず競争しろといっていたではないか。国民の皆様も特に反対せず、弁護士の激増が決められてしまったではないか。

 市場で競争しろということは、儲けられなければ市場から撤退しろということである。生き残るためには稼げということである。
 そのような社会に放り込まれた状況で、更に日弁連・大阪弁護士会も弁護士の激増に歯止めをかけようともしていない状況下で、いまさら、生活保護者の人権のために自腹を切れと言われても納得が出来るはずがないではないか。

 前回のブログにも書いたが、20年前に比べて、裁判件数は4割減、弁護士数は2.25倍に激増している。弁護士一人あたりの裁判件数は、20年前の約27%しかないのである(裁判所データブックからの計算)。弁護士の所得水準もずいぶん落ちている。
 実際の数値から、なぜ判断できないのか。

 確かに森本会長は、弁護士としては素晴らしい能力をお持ちだと伺っているし、弁護士としては尊敬している。


 しかし、弁護士の支払う弁護士会費で成り立っている弁護士会なのだから、弁護士会や弁護士会会長は、まず会員である弁護士を大事にする施策を考えるべきではないのか。

 一度決まったとしても、勇気を持って考え直すべきだと私は思う。

 

実は、この常議員会で、私は、もう一つの執行部提案にも噛みつくことになる。

(続く)

上高地の星空(山腹の灯りは、登山者のテントの灯り)

大阪弁護士会の大ピンチ?!

 大阪弁護士会の刑事当番弁護士制度が登録者が激減し、ピンチだとのことだ(PDFファイル参照)。メールでの通知の他に、レターケースにもお願いチラシが投函されている。

 当番弁護士制度は、各地の弁護士会が運営主体となり、毎日担当の当番を決め、被疑者等からの依頼により、被疑者の留置・勾留されている場所に弁護士が出向き、無料で、接見の上、相談に応じる制度です。
 同制度は、1990年、被疑者段階の国選弁護制度がない中で、被疑者国選弁護の充実化と被疑者国選弁護制度創設の足がかりとして、弁護士会が独自に始めました。初回の接見費用や外国人被疑者のための初回通訳費用などは、被疑者に負担を求めることなく、弁護士会が費用を負担して制度を運営しています。(日弁連HPより)

 まあ、要するに、逮捕されたら1回に限り無料で弁護士に来てもらって、今後どうなるか、どう対応すべきか、などについて教えてもらえる制度ということだ。

 逮捕された人で、法律知識の十分な人はほとんどいないから、確かに、人権保障には大いに役立つし、無料なので気兼ねなく依頼できる。

 国が、逮捕された人に、今後の対応や権利を説明するところまで人権保障しなくても良いと判断して手当てをしていない部分について、人権保障の観点から手当てするべきだと考えて、弁護士会が、自腹でやり始めた制度なのである。

 例えは悪いが、まあ、人権保障の使命感に駈られたタコが、自分の足を食べながら逮捕された人の人権を守ろうとしているような感じだ。

 もちろん、弁護士会としても、自分の足を食べているような状況だから、当番弁護を担当する弁護士に十分は報酬は与えられない

 当番弁護士を依頼する多くの人は、医療保険のように国が相当な(労力に見合った)お金を出していると勘違いしているが、当番弁護制度に国がお金を出してくれているわけではない。
 各弁護士会が、所属する弁護士から無慈悲に取り立てる弁護士会費と、労力に見合わないわずかな見返りでも人権保障に役立つのならやむを得ないと考える、担当弁護士のボランティア精神で成り立っている制度なのである。

 さて、大阪弁護士会は、ここ10年で878人も弁護士が増加した。
 それにも関わらず、当番弁護制度登録者が激減(3年間で500名減少)しているのだという。

 私の見たところだが、当番弁護制度登録者の激減は、大阪弁護士会会員のボランティア精神がどんどん減退したわけではないと考えている。
 ボランティア活動を行うだけの経済的、精神的余裕が失われている状況なのだろうと考えている。

 弁護士激増にもかかわらず日本の裁判件数は増加していない。全裁判所が新たに受理した事件数は、約20年前には610万件以上あったが、令和5年では357万件と4割減なのである。その間に弁護士数は約20,000人から約45,000人まで2.25倍に増加している。


 4割減って60%しかないパイを2.25倍の人数で奪い合えば、弁護士一人あたりの裁判件数は20年前に比べれば、3割未満しかないことになる。弁護士費用が3~4倍に値上げ出来るのならともかく、弁護士費用は私が弁護士になった四半世紀前からほとんど上がっていない。
 そりゃあ経済的に苦しくなるはずだろう。

 弁護士だって人間だ。人間である以上、自らの(家族の)生活が安定して維持できるかが最も重要な関心事であっておかしくない。他人の人権に配慮できるのは、その後だ。

 経済界やマスコミが、弁護士も競争しろと無責任に言い続け、弁護士の激増を招いてきた結果、弁護士の経済的土台を不安定にし、弁護士のボランティア精神に依存してきた人権活動に支障が出始めているということなのだろう。

 30年ほど前の、弁護士が普通に仕事をしていれば自分の生活にまだ余裕が持てた時代であればともかく、現在のような弁護士界の状況からすれば、いくら森本会長のお願いであっても、お願いレベルで今の窮状が直ちに回復するとは考えにくい。

 経済的に苦境に立つ弁護士が増えている中で、頑張ってボランティアをして下さいとお願いしても、ほとんど効果はないと思われるからだ。

今は参政党を叩くときではない

 参政党がTVや新聞等で専門家などから、選挙公約のことなどを突っ込まれ、批判されているようだ。この点について雑駁な感想を述べる。

 確かに参政党の選挙公約には詰め切れていない点もあるだろう。


 しかし、通常、選挙公約は細部まで詰め切った公約であるとは限らないし、その党や候補者の、当選後の活動方針の大綱と見るべきだろう。選挙公約作成時には、どれだけの候補者が当選するかも分からず、選挙後の政界の勢力分布も分からない状態だから、今後の目指すべき政治活動の方向性を打ち出すしかないからだ。

 そして、参政党に限らず、政党や政治家と有権者との関係で言えば、政党や政治家は公約に従った政治活動を行うことを約束して選挙に出て有権者に支持をお願いするのだから、選挙後において選挙時の公約に沿った政治活動を、その勢力に応じて、実際に、どこまで、どのように行ったかが、政党や政治家の評価基準となるべきだ。

 このように、今回の選挙公約を、今後の政治活動の中でどれだけ誠実に果たそうと努力するかという点を、政党や政治家に対する評価・判断基準とすべきであり、選挙直後の今は、参政党・参政党議員の国会での活動がどうなるか分からない段階なのだから、安易に参政党を叩くときではない。

 したがって、参政党の今回の選挙公約などが現時点で詰め切れていないものであるという点を参政党の欠点として批判すること、「極右政党」・「外国人嫌悪」とレッテル張りすること、このいずれもが、旧勢力からの参政党バッシングにすぎないと私は考えている

 参政党への評価は、今後の参政党の政治活動を見てから行うべきであり、選挙直後の今は、参政党を叩くときではない。

 ただ、選挙公約を明らかに守ろうとしない政党を叩くことは、なんらおかしなことではない。


 特に政権を保持する与党政党については、政権を保持しながら選挙公約を守らないというのであれば、当然批判に値するだろう。

 ちなみに2024年衆議院選挙での自民党の政権公約は、次のとおりだった。

(ここから)
何よりもまず、自民党への信頼を取り戻す。
そして、いま日本が置かれた現実にしっかりと向き合い、
確かな道を、確かな政策と実行力で歩んでいく。

納得と共感のもとで、安全と安心を支え抜く。
私たちが目指すのは、謙虚で誠実で温かい政治です。

透明性を高める徹底的な政治改革を。
経済成長を力に、物価の上昇を上回る所得向上を。
激動の世界を見据えた外交・安全保障、万全の災害対策を。
加速する人口減少へ抜本的な対策を。
地方の振興を加速させ、農林水産業を更なる成長産業へ。
そして、国民の皆様とともに憲法改正を。

日本を守る。成長を力に。
自民党は必ず変わります。
そして、総力で日本を守り抜き、新しい時代を創ります。

あなたの一票を、ぜひ自民党へお願いいたします。

自由民主党総裁 石破 茂
(ここまで)

 さて、上記の選挙公約をした自民党は、大敗したが、公明党との連立与党内閣で、この1年でどれだけ公約を守る努力をしてきたのか。

 企業献金・裏金の問題を含め、政治と金の問題は未だくすぶっており、透明性を高める政治改革は何ら実現されていない。
 物価高は進行し実質賃金は下がり、実質的所得向上は何ら実現出来ていない。
 外交・安全保障については、国際会議で、外国の元首が握手に来ても座ったまま対応するなど首相のマナーの悪さなどが目立つが、特筆すべき成果は見出せない。
 万全の災害対策もしかりだ。
 こども家庭庁に予算を出すものの、出生率が更に下がっており人口減少への抜本的対策が見えない。
 地方の振興と言われるが、東京一極集中は更に進行しているように感じられるし、農林水産業が発展した様子も、私には伺えない。

 ここまで公約を果たせないのなら、そりゃぁ大敗(頽廃・・笑)しちゃうでしょ。小説ではない現実世界で、綺麗事だけ言われても、実行できない絵空事なら、聞くだけ意味がない。

 やっぱり自民党は世代交代でもして生まれ変わらないと、ダメなんじゃないだろうか・・・。


 

夏空

消費税減税議論に対する雑感

 参院選が近くなり、消費税に関する各党の姿勢もだいぶ明らかになってきた。この点に関して雑駁な感想を述べておきたい。

 自由民主党は、消費税減税・廃止に反対とのことであり、石破総理も社会保障維持のために消費税は必要と主張しているようであるし、消費税を守り抜くと森山幹事長も発言している。

 消費税に関して、自民党HPには次のような記載がある。

 【わが党は暮らしと安心を支える社会保障の重要な安定財源として、消費税率引き下げや廃止を行うことは適当ではないと考えます。具体的には年金・医療・介護・子育てなどの財源に充てられており、国民の暮らしと安心を支えています。国民が広く享受する社会保障の財源として、あらゆる世代が公平に負担を分かち合う消費税を活用することで、社会保障制度を次世代へと引き継いでいきます。】
(自民党HP 意見書キーワード参照)


https://www.jimin.jp/news/information/209367.html

 消費税は税収が変動しにくいこともあり、自民党が言うように、社会保障の「安定財源」として位置づけることは、可能かもしれない。昨今の物価高騰により、消費税収もかなり増えているようだ(国民の皆様には、物価高騰と、高騰した物価に比例した消費税増税のダブルパンチとなっているが・・・そこのあたりを自民党がどう考えているのかは、はっきりしない。)。

 しかし、自民党や石破総理などの消費税に関する発言は、あまりにも消費税と社会保障が直結しているかのような印象を与えやすい発言であり、「消費税を上げないと社会保障が維持できない」とか、「消費税を減税・廃止すれば社会保障が当然削減されてしまう」、という誤解を国民の皆様に与えかねない表現に思えるときがある。

 例えば、仮に消費税が特別会計として独立しており、消費税が唯一の社会保障制度の財源であり、ほかの財源から補填もできないというのであれば、消費税の減税は社会保障費の削減に直結する危険性があるだろう。
 
 この点、消費税法1条2項には、「消費税の収入については、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てるものとする。」と記載されている。
 この記載から素直に考えれば、消費税の収入は全額社会保障費にまわすべきであることは分かる。ただし、上記の記載は、自民党政権下ではなく、消費税増税を閣議決定した当時の民主党・野田政権が加筆した部分だったと記憶している。

 しかし法律には、社会保障支出に関して、消費税収以外の税収を使用してはならないとは記載されていないはずである。
 つまり、社会保障費に消費税収以外の税収を使える(現に使っている)のだから、消費税の減税があっても社会保障の削減には直結しない。

 さらに、実際の消費税収入を見てみると、特別会計として独立しておらず、一般会計の歳入として扱われている。
 つまり、所得税・法人税・消費税・その他の収入・公債金は一般会計の歳入として扱われ、社会保障費も一般会計の歳出として扱われ支出されている。

https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/a02.htm

 少しわかりやすく言えば、所得税・法人税・消費税・その他の収入・公債金は、国のひとつの財布に入り、そのひとつの財布の中から、社会保障費・防衛費・公共事業費等々が支出されているのである。
 消費税の税収だけを特別の財布にとっておいて、その特別の財布から全額社会保障費に用いるという扱いにはなっていないのである。

 したがって、消費税減税・廃止を行ったとしても、他(所得税・法人税・その他)から税収が得られるのであれば社会保障を維持することは十分可能だということになるし、その意味では、所得税も法人税も社会保障を維持するための重要な財源なのだ。つまり、消費税だけが社会保障の重要な財源というわけではないのである。社会保障制度の維持・充実に税収・財源が必要だと言い張るなら、法人税だって重要な財源なのだから減税するわけにはいかないというのが筋だ。だが自民・公明の与党は法人税の減税を敢行してきた。


 このように、消費税減税反対・現状維持を主張する自民・公明両党は、弱者にも優しくと口では語りつつも、結局は、現状の税制(財政)を維持したいという主張に他ならないように思える。
 現状の財政の中では、ごく一部の富裕層と大多数の貧困層が存在し、貧富の格差が拡大しているのだから、現状維持をすれば、この格差の拡大は止まることはないだろう。


 しかしこのような格差の拡大は、多くの人にとって生活の困窮を意味するものではないか。生活の困窮は不満を呼び、不満の蓄積は暴力に発展する危険性もある。

 政治家は、国政を分かりやすく国民に説明する義務があると、私は考えている。

 したがって、自民党・石破総理などの消費税=社会保障費といわんばかりの発言は、
「消費税を上げないと社会保障が維持できない」
とか、
「消費税を減税・廃止すれば社会保障が当然削減されてしまう」
といった誤解を国民に与えるものであり、
妥当ではない
と考えている。

盛夏

未必の故意を分かっていない修習生が8割超え?!

 弁護士会の委員会で、最高裁司法修習委員会の第46回議事録を頂いた。

https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/2025/20240827_46gijiroku.pdf

 新人弁護士の全体的なレベルダウンについて(もちろん私としても優秀な修習生の存在は否定しない。あくまで全体的なレベルダウンである。)、何人も新人弁護士を雇用してきた同期の弁護士からも聞いていたが、さすがにマズイだろうという内容が司法修習委員会の議事録に記載されていた。

 議事録に記載されていたあまりにも「ひどい事例」は次のとおりである(議事録13頁参照)。

 導入修習の、刑事裁判の起案(記述式テストと思ってもらえれば良いです)において、盗品等有償譲り受けの事案で、被告人が盗品であることを分からずに買い受けたのか、つまり、買い受けた物品が盗品であるという認識を争点とする事案を出題したとのことである。


 対象物が盗品であると知って買い受けたのであれば、盗品等有償譲り受け罪の故意があると認定できるのは当然であるが、故意には確定的故意だけではなく、未必の故意というものがある。つまり、盗品等有償譲受け罪の場合、対象物が盗品であるかもしれないとの認識があれば、故意責任を問えるということは確定した判例であり、学説的にも反対説は、ほぼないところである。

 また未必の故意など、大学2年生でも知っている基礎中の基礎の知識であり、法学部を出ていなくても、ちょっと法律に詳しい人なら、誰でも知っている知識でもある。
 

 ところが、上記の起案において未必の故意に関して、修習生がきちんと事実認定ができたのかというと、この教官が担当していたクラスの司法修習生76名のうちわずか15名しか未必の故意について、分かっていなかったとのことである。

 実に81%もの修習生が未必の故意について分かっていなかったということになる。

 この教官が担当したクラスだけに司法試験の成績が悪かった修習生を集合させたなどという特殊事情はないだろうから、おそらく、この77期司法修習生の8割近くが未必の故意について正確な知識を有していないおそれがあるとみても、大きな誤りではないだろう。

 全受験生の平均点より26点以上低い得点でも合格できてしまう司法試験(令和6年度)では、そのような基礎知識を有しない受験者を弾く機能も、もはや有していないと評価できよう。

 更に恐ろしいのは、未必の故意について分かっていなかった77期修習生に関して、多くの教官が、76期(1年前)修習生と比べて実力はさほど変わらないと、この議事録で述べていることである。

 要するに、このような基礎的な知識すらきちんと身についていない受験生が、司法試験に合格して修習生となり、司法修習を受けて、法曹実務家になりつつある状況が、ここ何年も継続している可能性が高いということなのだ。

 このように極めて恐ろしい時代になっていることを、多くの国民の皆様はご存じないし、法科大学院推進派・司法試験合格者増員派は決して言わないだろうから、敢えてお伝えする次第である。

中之島公会堂付近(写真と記事は関係ありません)

嬉しい知らせ

今日は嬉しい知らせが届いた。

 昨年、少年事件で担当した少年が、大学に合格して、この春から一人暮らしをするのだという。

 私の記憶では、少年事件を起こすようには到底見えなかったシャイな少年だったが、少年本人の反省の手助けをさせて頂き、ご両親とも今回の事件についての対応について、何度か話した。

 以前にも書いたかもしれないが、反省とは二度と同じ失敗をしないために行うものだ。そのためには、どうしてそのような行動を取ってしまったのかということの分析が欠かせない。

 ほとんどの少年は、事件を起こす際にそのような行動を取ってはダメなんだということは頭では分かっている。それでも、何らかの理由をつけて自らの良心の障壁を乗り越え、事件を起こしてしまうのだ。
 だから本当に反省するためには、良心の障壁を乗り越えた言い訳はなんなのか、その不当な言い訳はどこから来ているのかは最低限考えてもらわないと前に進まない。

 私の経験上、鑑別所内の少年に初めて面会した際に、「今回の事件について、反省しているの?」と問うと、「もちろん反省しています!!もう2度としません!!」との答えが返ってくる。
 しかし、「どうして2度としないの?」と重ねて聞くと、多くの場合「こんな辛い目にあっているから」「親や学校にに迷惑をかけたりしているから」との返答が返ってくる。
 私は、さらに、「それなら、こんな辛い目に遭わなくて、親や学校に迷惑かけないのなら、君はまたやるの?」と聞くと、答えられない少年が多い。

 つまり、この時点での少年の「反省している」という言葉は、「悪いことをしたことは分かっている」という意味に過ぎず、同じ失敗を二度繰り返さないためには何が原因でどう対処すべきなのかという点についてまで、ほとんど考察が及んでいないのである。
 このような反省をいくら重ねても、少年は自分の内部にある問題点に気づけないので、2度と同じ失敗を繰り返さないだけの反省まで至れない。私の経験から言わせてもらえば、少年の心のガン細胞は、少年が「事件当時の自分は、人として最低だった」と自覚するような辛い思いをして、自ら切除しないと取りきれないものだと思う。

 そこを手助けするのが、親であり付添人弁護士・家裁調査官等の仕事でもあるのだ。
 これはかなり手間も時間もかかる。
 手間暇かけても上手く行くとは限らない。
 だから、少年事件はペイしないと言って敬遠する弁護士も多い。
 

 しかし、私には、ときおり、担当した少年が大学に入学した、家庭を持って良い母親になっているなどの知らせが届いた経験があり、そのような知らせがまた届くかもしれないという淡い希望が、いまだに少年事件を受任している理由なのかもしれない。

 今日の知らせは、久々に届いた、良い知らせだった。
 頬を緩めて帰宅できそうな気がする。

(京都市川端通沿いの桜並木)

ロースクール教育を受けると司法試験に合格しなくなる??

 法科大学院等特別委員会第118回で、菊間委員が久しぶりに良い指摘をしているので紹介しようと思う。

 まず、この委員会では、令和6年度の司法試験について、早渕宏毅委員から報告がなされた。ちなみに早渕委員は、私と司法修習同期・同クラスであり、和光の司法研修所で同じ教室で授業を受けていた。優秀なだけでなくかなりの男前だった記憶がある。司法修習終了後に検察官になったので、法務省関係の委員として入っているのだろう。

 早渕委員の報告の後、名古屋大学の佐久間委員が、最も長期間プロセスによる教育を受けたはずの法科大学院修了者の司法試験合格率が22.7%と30%を切っている(ちなみに予備試験合格者の司法試験合格率は92.8%であった)ことを指摘して、どう説明するのかという問題があるとの発言がなされたあと、弁護士の菊間千乃委員が、次のように発言している。

【菊間委員】  ありがとうございます。
 私も同じような質問なのですけれども、今、御紹介はいただかなかったのですが、各ロースクールの合格者数が書いてある一覧の資料があると思うのですけれども、それを見ると、ほとんどのロースクールで、在学中受験のほうの合格率が高くて、修了生とか2回目以降の合格者数が非常に少ないという結果が見て取れます。これを各ロースクールがどういうふうに分析しているのかということを、どなたかにお伺いしたいなと思いました。在学中受験というのは、どうしてもカリキュラムを一生懸命詰め込んで、試験が終わった後にもう一回、後半のカリキュラムをやるみたいな感じで、でも、これだけの方が受かってしまってというか、受かっていて、きっちり修了している人たちが受からないというのは、どういうことなのだろうと。ロースクールの教育をきちっと受けて合格するということからいうと、本来、修了者も相当受からないとおかしいのではないかと。在学中で受かるということは、むしろそうではない、ロースクールだけではないところで、もともと勉強していた方たちが受かっているというふうにも見えるので、これでロースクールの成果だと言うことができるのだろうかというのも思ったんですけど、ここの違いをどういうふうに捉えたらいいのかということを、お話しいただける方がいたら教えていただければと思います。

(部分的強調は坂野が行っています。)

この会議の議事録は下記のリンクを参照されたい。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/gijiroku/1415416_00031.htm

 つまり、これまで、ロースクールは、法律家を育てるためにはプロセスによる教育が大事だとなんの根拠もなく言い続けてきた。

 しかし、ロースクールでのプロセスによる教育を受ければ受けるだけ司法試験の合格率が下がっているのが現状なのである。

 司法試験受験生には、予備試験合格者、ロースクール在学中受験者、ロースクール修了(卒業)受験者の3種類があるが、ロースクールでのプロセスによる教育を受けた度合いは、

予備試験合格者<ロースクール在学中<ロースクール修了(卒業)者

であることは、明白である。

それにも関わらず、

予備試験合格者の司法試験合格率92.8%

ロースクール在学中受験者の司法試験合格率55.19%

ロースクール修了者の司法試験合格率22.7%

司法試験の結果から素直にみれば、ロースクールで行われている、プロセスによる教育って、受ければ受けるだけ司法試験に受からなくなる、実に変な教育ってことになる

サヴィニャック展で

(記事と写真は関係ありません。)

IT導入補助金不正受給について

 IT導入補助金とは、中小企業・小規模事業者等の労働生産性の向上を目的として、業務効率化やDX等に向けた ITツール(ソフトウェア、サービス等)の導入を支援する補助金であり、中小企業庁が行っている事業である。

 コロナ補助金の場合もそうであったが、残念ながら、補助金等の事業が行われると、その事業を利用して不正に儲けようと企む輩は、ほぼ確実に出てくる。

 近時、「IT導入補助金は不正行為を絶対に許さない」との記載が公式HPにもなされ、随時調査が行われているようで、調査を受けた方からの相談も見られるようになってきた。

 なお、詐欺グループはさらに上をいっているようで、調査をかたった詐欺(「あなたの受給は不正だから直ちに返金せよ、そうでないと刑事事件になる」等と脅して送金させる詐欺)も頻発しているようである。
 公式HPには、「IT導入補助金事務局からの送信をかたった、なりすましメールが確認されています。メールアドレスのドメインをご確認いただき、各種補助金等の返還手続きを装った詐欺にはご注意ください。」との記載があるので、注意が必要だ。

 さて、補助金を不正に受給した場合、どのようなことになるのかだが、基本的には「補助金等に係る予算執行の適正化に関する法律」に基づくことになる。
 同法によれば、交付決定が取り消され、補助金の返還、加算金及び延滞金の支払いを求められることに加え、罰則もある。5年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はこれを併科することになっている(同法29条1項)。補助金を他の用途に用いた場合も同様の返還規定や罰則(同法30条:3年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金又はこれを併科)もある。
 これに留まらず、詐欺罪(刑法246条1項:10年以下の拘禁刑)も成立しうることは、最高裁が認めている(最決R3.6.23)。

 このように、不正受給に関するペナルティは、きつめなのだ。

 ただ、不正調査を行っている調査事務局も、事案数が多いためか事情をきちんと把握しきれずに、その受給は不正の可能性が高い、と判断してしまうこともあるようだ。

 私が相談を受けた事業者の方の中の1人の方は、別途、某独立行政法人から長期運転資金の融資を受けていたことを咎められ、「IT補助金受給は不正受給と思われるので返還等を考えるように」との指示を受けていた。

 確かに、IT補助金交付規程の第10条には
「国及び中小機構その他の独立行政法人の他の補助金等と重複する事業については、
補助事業の対象として認めないものとする。」
との記載があり、形式的には独立行政法人から何らかの補助金、融資等を受けていた場合は、IT補助金の補助事業対象外とも読めなくはない。

 しかし、この方の受けた融資はIT導入目的だったのではなく長期運転資金のための融資であった。IT補助金の目的である、中小企業・小規模事業者等の労働生産性の向上の目的とは違っていたのだ。

 相談を受けた私は、現事務局、補助金受給時の事務局双方に、問い合わせの電話をかけた。電話も混み合っておりなかなか繋がらなかったが、どちらの事務局も丁寧に対応してくれた。
 ただ、いずれの事務局もきちんと内部で検討してから回答するので、追って電話で回答するとのことだった。後日ちゃんと返答を頂き、いずれの事務局も私が相談した件に関しては不正受給にあたらないとの回答を示してくれた。

 以上から、不正受給ではないかと調査事務局から指摘された場合は、まず弁護士に相談することだ。ご自身で事務局に相談することも可能だろうが、ご自身の現状について、きちんと必要な点を伝えることはそう簡単ではなく、弁護士に事情を話して納得のいく内容の文案を作成してもらった方が確実だからである。


 不正受給ではない可能性が高いのなら、その旨の書面を作ってもらって調査事務局に送るとか、弁護士に委任して事務局に調査をかけたり、事務局と交渉してもらうこともできる。
 その上で、残念ながら不正受給に該当してしまうのであれば、早急に返金し、その後、どうすべきか弁護士に相談することが一番良いと思われる。

 

 とはいえ、刑事処罰の危険性を過度に指摘して、相談者の恐怖を煽り、自首を勧めて、高額の弁護士費用をとろうとする弁護士も残念ながらいる。刑事事件になる可能性が極めて低い事案であるにも関わらず、自首すべきといわれ、100万円以上の弁護士費用を持ってこいといわれた方の相談を、何件か実際に受けたことがある。

 弁護士に相談した際に、捜査機関への自首を勧められた場合は、別の弁護士にセカンドオピニオンをとった方が安心だと思われる。

上高地・大正池(写真とブログ内容は関係ありません)

ある懲戒処分に関する雑感

 先日、弁護士の某先生が懲戒処分を受けたことを会報で知った。

 私はその先生と特別に懇意にしていたわけではないが、

私の知る限り、

 自分のことよりも依頼者の利益を真剣に考える先生であり、
 知識も経験も倫理観も、十分備わった優秀な先生であり、
 さらに消費者問題など、殆ど経済的利益がない公益活動にも全力で尽力される先生であった。

最初は懲戒処分の記事が間違っているのではないか、と思ったくらいだ。

 詳細は不明だが、事案の概要等からみると、事務所の運転資金に行き詰まった結果の不祥事だったように思われる。
 その先生のことだから、安易に不祥事に手を出したわけではなく、物凄い心理的葛藤があったはずだ。被害金員については、知人に借り入れて弁償が済んでおり、知人に対しても自宅を売却した代金で返済されているようだ。

 このように優秀で、公益活動に熱心な先生でも、事務所運営に行き詰まることがあるのが、今の弁護士界である。(ちなみに、私の元ボスの一人も、弁護士資格と公認会計士資格を持ち、大会社の社外取締役をも務めていたが、「仕事がこない」とのことで5年ほど前に引退している。)

 これまでマスコミや、学者達は、公益活動で自腹を切りながら国民のために働いている弁護士の存在も知らず、安易に、弁護士は資格に甘えるな、弁護士を増やして弁護士も競争しろ、と世論を煽ってきた。
 彼らの理屈は、弁護士にも自由競争をさせれば、より良い弁護士が繁栄して生き残り、悪質な弁護士は淘汰できるというものだった。

 仮にその理屈が正しいとすれば、今回懲戒を受けた某先生は、優秀かつ公益活動にも熱心だったので、社会が求める「よい弁護士像」に合致する方であり、繁栄していないとおかしい。私の元ボスも法務面に加え会計面にも明るく、大会社の社外取締役の経験もある弁護士だから、仕事の面だけから見ると、仕事が集まって来なくてはおかしいということになる。

しかし、現実はむしろ逆だった、ということである。

 そもそも、自由競争は、経済的には、儲けた者(利益を上げた者)が勝つ仕組みである。良い仕事をする弁護士には顧客が集まり経済的に繁栄するであろうし、そうでない弁護士には顧客が来ず衰退し淘汰されるであろう、という仮定のもとに、「自由競争させればより良い弁護士が生き残る」、という理屈は成り立っている。

 だが、弁護士の仕事は極めて専門的であり、依頼者の意向も絡むことから、弁護士の仕事の良し悪しを見抜くことは同業者でも簡単ではない。一般の国民の皆様にとっては、その判断は、なおさら困難だ。また、依頼した弁護士が実際にどのように処理を行うのかについても、依頼の段階では分からない場合も多い。
 だから、依頼者側に弁護士の仕事の良し悪しが判断できない以上、弁護士業に関しては、自由競争の前提が崩れており、自由競争が成り立たない場面なのだ。

 もう少し分かりやすく例えて言えば、
 味の分からない人ばかりの街で、美味い蕎麦屋を生き残らせることができるのか、という状況に近いといってもよいだろう。
 このような状況で、「蕎麦屋をどんどん増やして競争させれば美味い蕎麦屋が生き残るはずだ」とは、到底いえまい。
 このような状況で、蕎麦屋をどんどん増やして競争させた場合、蕎麦の味とは関係なく顧客を集めるのが上手い蕎麦屋が繁栄するだろう。その反面、顧客が集まらなければ、どんなに美味い蕎麦を出していても、その蕎麦屋は潰れてしまうのだ。

 弁護士の仕事に関しても、その良し悪しを依頼者が殆ど判断できない現状では、蕎麦屋の例とよく似た状況と言って良い。

 某先生の記事から、優秀で公益活動にも熱心という、本来国民から求められるべき弁護士像に近い弁護士の先生であっても、経営に行き詰まりかねないという、現在の弁護士界の異常な状況を改めて痛感した次第である。

マドリッドの動物園で。(写真と記事は関係ありません)。