裁判は事実を明らかにするとは限らない

 今回の都知事選の結果、石丸伸二候補の得票数の多さに驚いたのか、メディアでは石丸バッシングが開始されているように、私には見える。

 その中には、市長時代の裁判でも負けているのに、とか、裁判で負けても最高裁まで争っている、等という批判も見受けられるようだ。

 上記のような批判をする方は、裁判は事実を明らかにしているはずだ、それに反する主張を石丸氏が続けて、最高裁まで争うのは問題がある、という前提に立っているのではないか、と私には感じられる部分がある。

 しかし、裁判は事実を明らかにするとは限らないのである。

 例えば、民事裁判において、
 原告が「事実はAだ。だから被告は損害賠償すべきだ。」と主張して訴えを起こし、
 訴えられた被告が「事実はAではなくBだ。だから損害賠償する必要がない。」と反論した場合を例にして、極めて簡単に考えて見る。

 この場合、裁判官が事実を映し出す魔法の鏡でも持っているなら話は簡単だ。
 魔法の鏡を見れば、事実がAだったのか、Bだったのかがはっきりするので、そのはっきりとした過去の事実に対して法律を適用して判決すれば足りるからだ。

 しかし、現実には、そんな魔法の鏡は存在しないし、時間を巻き戻して観察することもできない。
 もちろん、裁判官がなんの根拠もなく適当に、良く分かりませんが事実はこっちにしましょう、と勝手に判断されたら当事者としては、たまったものではない。

 そこで、原告に対しては「原告が事実をAだと主張するのであればそれを証明する証拠を出して下さい。」、被告に対しては「被告が事実をBだと主張するのであればそれを証明する証拠を出して下さい。」として、それぞれ証拠を出させて判断するしかないのである。

 仮に、原告がa b c d、被告がe f g hの証拠を提出した場合には、裁判所としては、それらの証拠のなかで信頼出来ると思われる証拠を選別し、信頼出来る証拠からみれば、「原告と被告との争いに関しては、こういう事実があった」と判断するのである。

 より簡単に言えば、「信頼出来る証拠をレゴのブロックのように考えて、そのブロックを組み合わせて、どういう事実があったのかを判断(構築)する」のだ。

 つまり、(本当の事実は分からないのだが)提出された証拠等から、「この裁判では、こういう事実があったことにする」、と判断し(この結果を「認定事実」という。)、この認定事実に法律を適用して結論(判決)を出すのである。

 だから、何らかの事情で事実がBであることを証明する証拠が不足し、事実がAであったような証拠の方が多い場合は、本当の事実がBであっても、裁判所はAという事実があったものと認定して、それを前提に判決してしまう場合も当然ありうるのだ。

 そしてこれが、人間が行う裁判の限界なのである。

 裁判に負けたから、虚偽の事実を主張していたとは限らないのである。

崩壊しつつある法曹養成制度2

法科大学院協会の令和元年度アンケート付記意見から


p108
・ 法科大学院に行かず、予備校で勉強したいわゆる予備試験組が学部在学中に合格したり、卒業してすぐに合格しています。法科大学院の教育は試験の合格のためには不要ということが改めて示されています。これらの合格者が何か問題があるのかというと、採用した事務所からは優秀であり評判が良いと聞きます。私のゼミでも、本当に頭がいいと思われる者は皆、予備試験から合格しています。司法修習を廃止して、2年次の3月に司法試験を行い、3年次は実務修習とし卒業を法曹資格取得の要件にし、卒業認定を厳しくするなど抜本的な改革が必要だと思いました。
→(坂野のコメント):司法試験に合格するには法科大学院での教育は不要であること、また法科大学院を経ずに司法試験に合格して実務家になっても何も問題が生じていないばかりか、むしろ、採用した事務所からは優秀であり評判が良いとの指摘があること、という法科大学院側としては認めたくない事実を明確に指摘した意見である。この事実からすれば法科大学院側がいつも振り回す「プロセスによる教育」という理念が、現実には全く意味がないお題目であることが理解できる。そもそもプロセスによる教育が法曹養成に必要だとか、効果があるなどと法科大学院側は主張するが、プロセスによる教育がなんであり、どれだけの効果があるかなど誰も実証できておらず、法科大学院賛成論者が単にそう言い張っているだけの状況なのである。だとすれば、法科大学院制度を高額な税金を投与してまで維持する必要があるのか、大いに疑問があるということになろう。

P112
・ もっとじっくり腰を据えて法律学を習得することに期待するが、試験制度全体が反対の方向を向いているような気がする。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得したと言えないのではないか。仮に、このような受験スタイルが主流になるのであれば、従来よりもさらに充実した司法修習(期間+内容)を用意する必要があるように思う。そうでなければ、ますます司法制度が弱体化してしまうのではないかと懸念する。

→(坂野のコメント):法科大学院在学中受験制度に対する危機感を示した意見である。3+2年+在学中の試験では、法律学を十分に修得できないのが普通なのに、その状態で司法試験を受験させ合格させると、レベルの低い合格者がどんどん増加してしまい、司法制度がますます弱体化するとの懸念を示してもいる。既にこの意見を述べた人から見た司法制度は、レベルの低い合格者があふれかえって弱体化が進んでおり、これに加えて在学中受験制度によるレベルダウンによって、さらなる司法の弱体化が進むおそれがあるということである。ちなみに、令和5年度司法試験では、レベル低下が懸念されている状況にありながら合格者数は増加している。さらに、合格者1781名中在学中受験合格者数は637名であった。

本当に大丈夫なのだろうか。

崩壊しつつある法曹養成制度

 法科大学院協会が行っている、法科大学院に対する司法試験に関するアンケート付記意見から、現在の法曹養成制度が崩壊しつつあることが看て取れる。

法科大学院協会平成30年度アンケート付記意見

p89
・3 年次に司法試験を受験できるようにして、卒業と同時に司法修習が 4 月から開始するように変更してもらいたい。合格者の人数は 1000~1200 人程度が適正ではないかと思います。
→(坂野のコメント):平成30年度は1525名が合格したが、この意見を記載した法科大学院教員から見れば、あまりにレベルの低い学生が合格してしまうので、合格者数を減らすべきではないかと提言している。

p92
・ロースクールへの入学者数、受験者数が極めて減少傾向にあるなか、現在の合格者1,500 人の枠は、法曹の質の維持の観点からみて、大いに問題がある。この傾向にあっては、合格者数を 1,000 人程度に制限することが望ましいものと考えられる。
→(坂野のコメント):1500名の合格者では法曹の質の維持ができないことを明言しているコメントである。もはや、1000名程度まで合格者を絞らないと法曹の質が維持できないと考えられるほど、合格者の質の低下は進行しているのである。経営上の観点からいえば、司法試験合格者を増やして欲しいという傾向が強い法科大学院関係者から、このような発言が出ること自体、事態は深刻ということである。

p92
予備試験に関しては、国家試験の公平性、優秀な人材の確保、法曹の質の維持の観点から、今後、さらに合格者枠を増大することが必要である。
→(坂野のコメント):法科大学院関係者が基本的に敵視し続けている、予備試験合格者を増やさないと、優秀な人材も確保できないし、法曹の質も維持できないとのコメントである。法科大学院制度維持だけを念頭に置けば、合格率でどの法科大学院よりも圧倒的に上回る予備試験合格者を制限せよとの立場を取ることになるのが普通であり、多くの法科大学院教員はその立場を取る。しかし、法科大学院制度は優秀な法曹を排出するあくまで手段にすぎないのであり、目的はあくまで優秀な法曹を世に送り出すことなのだから、優秀な法曹を世に送り出すために法科大学院制度が桎梏となっているのなら、予備試験ルートの門戸を広げるべきであるとする大局を見据えた意見である。法科大学院維持に傾きがちな法科大学院関係者から、このような発言が出されていることは注目すべきであろう。

p96
・近い将来、在校生に受験資格を与える制度改革がなされるようであるが、法科大学院制度を根底から覆しかねない制度改革であると思料する。一方で、5 年先の効果を見越した取組を要求され(文科省)、他方で、5 年先に抜本的なカリキュラム改正が必要となる制度改革を行う(法務省)という、両立不能な対応を、教育現場である法科大学院に一方的に押し付けているという認識を持って頂きたい。
一部の法科大学院を中心に、そこのみが受け入れ可能な司法試験制度改革を行い、他の法科大学院には自主撤退せざるを得ない状況に追い込み、制度設計者が責任を負わずに各法科大学院に責任をとらせるようなやり方には、およそ納得がいかない。
責任の所在を曖昧にするような制度改革をするくらいなら、制度設計のミスを認め、「法科大学院+現行司法試験」という現行制度を廃止し、「法学部+旧司法試験」という旧体制に戻す方が、崩壊しかけている法曹養成システムの立て直しに資すると思料する。

→(坂野のコメント):もともと法務省・最高裁が関与していた法曹養成制度に、文科省が関係するようになったことから、省庁間の権力争いもあって、法科大学院が憂き目に遭い、法曹養成システムが崩壊しかけていることの指摘である。法曹養成制度に法科大学院制度を導入した制度設計がミスであると堂々と喝破し、旧司法試験制度にもどした方が、法曹養成システムの崩壊を止められるとまで述べている。それほど現在の法科大学院を中心とした法曹養成制度の現状は崩壊していることの証左であろう。

 以上のような付記意見が、法科大学院関係者から出ていることに注目すべきだ。

 法科大学院関係者であるということは、法科大学院が維持されないと困るから、法科大学院制度万歳、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、と主張していてもおかしくはない立場にある人たちである。

 現に、中教審の法科大学院等特別委員会の委員である法科大学院教員のほぼ全ては、法科大学院による法曹養成制度は全くもって素晴らしい、となんの根拠もなく主張を続け、素晴らしい制度といいながらも、改善が必要であるとして15年以上も改善の主張を継続し続けるも成果が上がらず、予備試験ルート受験生に惨敗を続け、弥縫策に終始しているように私には見える。

 法曹養成という大局的な面から見て、手段としての法科大学院が成果をあげられないのなら、法曹の質の低下という国民の利益を損ないかねない問題を解決すべく法科大学院制度廃止を含めた大胆な手術が必要なのではないか。

 私は上記の付記意見を提出した、法科大学院関係者の方の慧眼に敬服する。

「疑惑 JAL123便墜落事故」       角田四郎 著

 その事件を、私は、千葉県関宿町(現在野田市)の河川敷にある関宿滑空場で知ることになる。

 1985年8月当時、私は京都大学体育会グライダー部に所属する大学1回生で、関宿滑空場でのグライダー部夏合宿中に、日航ジャンボ機の墜落事故を知った。
 ムッとする熱気の立ちこめる盛夏の河川敷で、班長から指示されて車座に座り、教官から事故の発生について伝えられた。その日の西に傾く夕陽の光が、やけに赤く感じられたような記憶がある。

 本書は、その日航ジャンボ機事故について、運輸省(当時)事故調査委員会の報告である、圧力隔壁破壊原因説の結論に異を唱え、その真相に迫ろうとする本である。
 絶版になっていたそうだが、現在は、Amazonのオンデマンド出版で入手が可能となっている(kindle版もある)。

 若干誤植が多いのが残念であるが、著者の角田さんの熱い想いに貫かれていて一気に読ませる力があり、説得力も相当ある。詳しい内容は、私などが述べるより、本書を読んで角田さんの語りに耳を傾けるべきであろう。

 近時この事件に関して、青山透子さんが多くの本を出されている。私は青山さんの本を多く読んだわけではないが、青山さんの主張も、四半世紀前に出されたこの本に影響を受けているのではないかと感じられる部分が少なからずあるような気がした。

 この事件に少しでも興味を持たれた(持っていた)方には、是非一読されることを、お勧めする。

シベリア上空(写真はブログ本文と関係ありません)

一枚の写真から~103

 最近は円高などもあり、海外に出かけることがなくなっているが、海外旅行は嫌いではない。

 旅行社が主催するパック旅行ではなく、勝手に出かける個人旅行なので、普通なら当然押さえているはずの、名所・旧跡を見落としていることも多くあるように思う。

 もちろん美術館は好きだが、それ以外にも動物園とか、人形劇場とか、墓地とか、一般的な観光客があまり興味を持たないところを見て回ることも多い。

 若い頃は、観光名所なんてものは、歳をとってパック旅行しか行けなくなってからでも良いではないかという思いもあったが、今の京都のオーバーツーリズムを目の当たりにすると、引率して連れて行ってもらう観光名所は、人の群れを見に行くようなものかも知れない、と残念ながら少し億劫に感じてしまう。

 写真は、プラハの人形劇場の出口から歩道方面をみたところ。

 おんなじテントウ虫の帽子を被った子供たちが人形劇を見たあと、帰ろうとしていた。

 みんな、楽しそうにわいわい話していたので、満足していたのだろう。こちらもついニコニコしながら見送った。

 子供たちの楽しそうな姿は、どこで見ても、素晴らしい。

 この子は、男の子と手をつないで、子供たちの一団の一番最後を歩いていた。

 敢えて逆向きに少し斜めに帽子を被ったところに、こんなに小さくてもお洒落に気を配っている様子が窺える。

 この子のさらに後ろに、引率の先生の一人がいたと記憶している。

プラハの人形劇場前にて。

GW休暇

 このGWに、久しぶりに休暇を頂いて、北海道を車で走ってきた。

 名古屋から仙台経由で苫小牧までフェリーで移動。

 北海道内は、旭岳温泉、丸瀬布温泉、知床、十勝岳温泉、白老温泉など、温泉宿ばかりめぐった。

 学生時代、大型バイクで何度か北海道を走りに出かけたことはあり、その頃はユースホステルや、「とほ宿」を中心に宿泊していた事を想い出した。北海道には桃岩荘(礼文島)・岩尾別ユース(知床)・襟裳岬ユース(襟裳岬)と3大キチガ○ユースがあるといわれていた時代だ。今は、この3つの内、桃岩荘しか残っていないようだ。

 若い頃は、温泉なんて見向きもしなかったが、今では温泉にゆっくり浸かり、身体を休めることができるのは、有り難いものだとしみじみ感じる。大体一日に200キロ以上走ったが、4日目くらいには、自動車なのに少しくたびれた気がしたものだ。

 バイクで一日300キロ以上、10日くらい走っても、どうってこと無かった学生時代に比べれば、なかなか自覚できていないが、やはりそれだけ、歳をとってしまったということなのだろう。

 バイクで全身に風を受けながら走り回る爽快さも捨てがたいが、多分、いま、バイクでツーリングに出かければ、爽快さよりも、疲労困憊してしまうリスクの方が高いように感じる。

 オープンカーとはいえ、バイクに比べれば、爽快さと開放感は1/5くらいだろうか。それでも、屋根付きの車に比べれば、外気の温度や鳥の鳴き声など、外界の変化を感じながら走れたのは楽しかった。

大雪山系を望む一本道

法科大学院側から見ても司法試験合格水準はレベルダウン?!

 最近まで知らなかったのだが、法科大学院協会が司法試験に関して、法科大学院に対してアンケートを行い、その結果を公表している。

 これは、法科大学院協会が法科大学院に対して行うアンケートに答えるものである。

 法科大学院制度が維持できなければ職を失うかもしれない法科大学院教員にすれば、法科大学院は維持して欲しい制度であろうから、

 法科大学院の教育はうまくいっている、
 法科大学院のおかげで生徒はみんな優秀に育っている、
 法科大学院では厳格な修了認定も実施して、レベルの低い受験生は送り出していない、

等の現状の法科大学院制度万歳!という意見ばかりかと思っていた(確かにそのような意見も多い)。

 しかし、意外にも、付記意見の中には、こんなレベルで合格させても良いのか、という現状を憂えた勇気ある意見もわずかながら見出せるのである。

 法科大学院制度教育の当事者でもあり、本来ならきちんと教育できていると主張すべき立場にあるはずの法科大学院の教員などから、「こんな学生のレベルで合格させても良いのか」といわんばかりの意見が出るということは、今の法科大学院制度下の司法試験合格レベルは、現状では相当やばいレベルまで下がっている、ということではないかと思われる。

 以下、令和5年度法科大学院協会、司法試験に関するアンケート調査結果報告書の付記意見からいくつか引用する。

(法科大学院側の意見)
・本年は合格者が増加したこともあるが、皆がそれに見合った水準に到達しているのだろうか。周囲を見る限り、個々の分野である程度のミスをしても問題ないと考えているものが多い。受験生としては「ある程度のミス」でも、専門家の目には「致命的なミス」のように見えるものでも、最低ライン点を下回ることはないように思われる。 医師国家試験のように、一発アウトとする関門(論文試験でそういうポイントを設定できるかはわからないが)を設定しても良いのではないだろうか。(p53)
→(坂野のコメント)
 司法試験において、専門家から見れば致命的なミスを犯していても合格できてしまっているようだ、せめて最低基準を設定しその最低基準をクリアできない受験生は落とすべきではないか、との意見である。おそらくこの教員の方から見れば、どう考えても合格できない、合格すべきでない受験生までもが、現在の司法試験で合格してしまっているということなのだろうと思われる。

(法科大学院側の意見)
現状は、出題趣旨や意見に沿った答案・解答になっていなくても、問題なく合格できる状況にあるのではないかと想像します。(p68)
→(坂野のコメント)
 要するに出題趣旨や採点者の意見に沿わないトンチンカンな答案であっても、問題なく司法試験に合格してしまっている状況にある、との意見である。司法試験問題の法的意味すら把握できなくても、出題の趣旨に沿わない答案しか書けない学生でも、司法試験に楽々合格できてしまっている現状を見てこられたのだろう。

(法科大学院側の意見)
行政法担当者の中には、基礎的知識の確実な修得のために短答式を導入すべきという意見もある。(p74)
→(坂野のコメント)
 基礎的知識が不足したままの受験生ばかりであり、基礎的知識を身に付けさせるためには短答式試験を課すなどして勉強する契機を作らないと、基礎的知識すら身に付けられないまま司法試験に合格し実務家になってしまうということだろう。裏を返せば、それだけ基礎的知識に欠けていても司法試験に合格してしまっている実情があるということである。

(法科大学院側の意見)
・試験科目が多く、とりわけ在学中受験者にとっては負担が増す一方で、試験合格の水準が薄く広くという表面的な処理能力・理解力のチェックとなり、合格水準は下がっていると感じている。(p84)
→(坂野のコメント)
 ずばり、合格水準は下がっていると明言している。法科大学院教員から見ても、きちんとした理解ができず、表面的な理解しかしていないため、合格できないだろう、合格させてはダメだろう、と思われる学生がどんどん合格していく状況を目の当たりにしているから、このような感想になったものと思われる。

(法科大学院側の意見)
・受験生・司法試験合格者の法的資質の向上という観点からは、間違った勉強法・思考法を身につけた者はきちんとはじくことが必要である。誰も書けないがゆえに「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状態で、できない学生であっても相対的にはそれほどマイナスにならないという事態はなるべく避けることが求められる。そのためには、出題形式の工夫のほか、出題の趣旨・採点実感を通じて、あるべき勉強方法を示し続ける必要があると思われる。当局においては既にその努力をしていただいているところではあり、またそう容易なことでもなく、一朝一夕にできることでもないが、今後も工夫を加えながらも引き続き上記の観点からの取組みをしていただけるようお願い申し上げる。学生が、出口である司法試験で「それができなくても不利益を受けない」と考えるなら、法科大学院の一教員が教室でいくら言ってもそれを真剣に受け取ってもらうことは難しいためである。(p89)
→(坂野のコメント)
 司法試験の問題なんて、どうせみんなきちんと解答できないから、きちんと解答できるだけの勉強までしなくても、自分なりの勝手な方法でいいや、受験者の中で上の方にいれば合格できるからそれでいいや、という学生がどんどん合格してしまっていることに危機感を抱いているということであろう。
 いくら法科大学院教員が、この点についてはきちんと理解しておかないと実務家になった時に弁護過誤で甚大な被害を顧客に引き起こす危険がある、と考えて熱心に解説しても、「そんなこと知らなくても司法試験には受かるじゃん」、という認識が広まれば、人は易きに流れるので、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくてもいいや、と考える者が大半となっていくであろう。
 そして、いくら教員が「~という考え方・思考方法が大事だ」、と説明しても、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくても司法試験に受かるなら、人はそこまで勉強しないのだ。だからこそ、考え方・思考方法がダメな奴は、司法試験でしっかり落として欲しいという見解であろう。
 つまり裏を返せば、しっかり勉強せずに、間違った勉強法・思考法を身に付け、本来司法試験で落ちるべき受験生でも、楽々合格している現状があるということである。

京都本満時の枝垂れ桜(2018)

日弁連の感覚はズレまくっている?!

 日弁連委員会ニュースによれば、日弁連が近年の法曹(裁判官・検察官・弁護士)志願者の減少対策として、(法曹の)魅力発信PT(プロジェクトチーム)を設置し、積極的に活動しているとのことだ。

 最近の司法試験受験者数は、概ね5000人未満であり、私が受験していた頃の受験者数約3万人に比べると約80%も減少している。
 日弁連は、この法曹志願者減少の原因を法曹の魅力が伝わっていないと考え、様々な対応を行っているとのことだが、そんなことで法曹志願者が増えるなどあり得ないと、私は思っている。

 私が受験していた頃は、法曹の魅力なんて誰も、学生なんかに伝えてくれなかった。


 だが、当時の司法試験は、誰でも何回でも受験でき、司法試験に合格すれば、人生の一発逆転をもたらす切符と見る向きもあり、一部では人生のプラチナチケットと呼ばれており、10年以上司法浪人してでも合格を目指す人もいた。


 旧司法試験では合格率2%前後の極めて狭き門(最近の司法試験は合格率は40%を超えている。)であったが、法曹の魅力なんか宣伝されなくても、年々受験者は増加していたのである。

 それは、司法試験に合格して得られる、法曹資格の価値が高く、資格に魅力があったからだ。

 現在の司法試験は、前述したとおり合格率で言うと、20倍以上合格しやすくなっている。同じ資格を20倍以上合格しやすい試験で手に入れられるなら、受験者が増えそうなものだが、むしろ受験者は減っている。

 その理由としては、原則として法科大学院を卒業しなければ受験できないという、大学側の利権に阿った制度改悪も大きな原因の一つだが、それよりも、端的に言えば、法曹資格濫発により、資格の価値が下がったから目指す人が少なくなったと考えるのが最も合理的である。

 現実を見てみると、司法制度改革により弁護士の数は激増したが、裁判所に持ち込まれる事件の数(全裁判所の新受全事件数)は増えていない。
 全裁判所の新受全事件数は、約35年前の平成元年に約440万件であったが、令和4年には約337万件に減少している。
 この間に弁護士数は約14000人から約43000人へと3倍以上に増えている。

 わかりやすく言えば、年々減っていくパイを、年々増える(激増する)競争者達と奪い合う業界構図なのである。

 このように、仕事は増えていないのに競争相手は3倍になった(資格濫発した)ことから、弁護士も「資格で食える」資格から、「食える保証がない」資格に格落ちしたのである(月刊プレジデントだったと思うが、ずいぶん前から弁護士資格をブラック資格と正しく評価していた記憶がある。)。
 しかも、誰でも何回でも受けられた旧司法試験と違い、いまの司法試験を受験するためには原則として法科大学院を卒業しなくてはならず、費用も時間もかかってしまう。

 弁護士といえども仕事であり、職業である。自らの仕事で収入を得て、生活を支え、家族を養っていく必要がある。いくら仕事にやりがいがあっても、その仕事で食っていけないのなら(食っていけないリスクが増大しているのなら)、その仕事を目指す人間は確実に減っていく。

 終身雇用が原則だった高度経済成長時代よりも、将来の見通しが難しく未来が不安視される昨今、今後の長い人生を生きていかねばならない若者達にとって、ほぼ確実に食える可能性が高い資格に人気が集中することは明らかだ。

 現在の医学部人気を見ても明らかだろう。
 医師の仕事のやりがいが特に宣伝されているわけでもないのに、現在の医学部人気は凄まじく、医師になる道はどんどん狭く(競争率が高く)なっている。しかし、それでも医学部人気は衰える兆しが一向に見えない。

 少なくとも現時点で、資格で食っていける可能性が一番高い資格は、医師免許資格であることはおそらく異論がないだろう。このように、現時点では医師資格の価値が高いからこそ、苦労してでも手に入れる値打ちがあるし、だからこそ厳しい道でも多くの若い人材がその資格を目指しているのだろう。

 仕事が生計の手段でもある以上、仕事のやりがいだけで将来の仕事を選ぶことは、滅多にない(できない)。

 だから、日弁連がやろうとしているように、いまさら法曹の仕事の魅力を伝えたところで、法曹志願者が激増するなんてことはあり得ないだろう。

 むしろ、日弁連の宣伝に乗っかって、現実の収入面も考えずに、やりがいのある仕事だからと安易に志願する人たちが、どんどん法曹になっていく世界の方が恐ろしい気がする。

 以上から、私から端的に言わせれば、法曹志願者を増やす最も単純で効果的な手段は、資格の価値を上げることに尽きる。
 しかし、法科大学院制度維持のために、司法試験合格者を減らすことができず、ここまで資格を濫発してしまった以上、もはや法曹資格の価値を上げることは不可能に近いだろう。

 日弁連執行部は、現実をしっかり見て、法曹志願者を増やすために法曹の魅力を発信するなどという馬鹿らしいことに、我々の会費を突っ込むことは、もう止めてもらいたい。
 どうしてもやってみたければ、法曹の魅力を発信すれば法曹志願者が増加すると信じ込んでいる脳天気な人たちで基金を募ってやってもらいたい。

夜の駅(おそらくボーツェンだと思うけど記憶がはっきりしません・・・)

準備書面に認否はいらない?!

 数年前、登録4~5年目くらいの、ある若手弁護士が原告側、私が被告側で訴訟で戦うことになった際の話である。

 その、若手弁護士さんがこちらの準備書面の主張に対して、何ら認否せずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけを反論するという書面ばかり出してくることがあった。

 ちょっと話がそれるが、その若手弁護士さんの準備書面は、法的な主張や、証拠に基づいた主張をほとんどしないくせに、原告・被告間の個人的な問題などを執拗に攻撃し、こちらの準備書面のごく一部分だけを取り上げて、「被告の主張は失当である」と連呼する書面でもあり、読むのがストレスになる書面だった。
 ちなみに、訴状でも、法定果実であるにも関わらず日割り計算をせずに請求してきていた箇所があったので、第1回期日で、私から、「これは法定果実だから日割り計算に訂正して下さい」とお願いしたところ、黙り込んでしまい、「後で確認してから書面で出します」といって、3ヶ月後くらいの次々回期日でようやく訂正してくる始末だった。

 まさか大学2年生でも知っている、天然果実と法定果実の取得規定を知らなかったとまでは思いたくないが、それはさておき、こちらの準備書面に対して、認否もせずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけ記載し、裏付け証拠もほぼ皆無の準備書面ばかり出されても、双方の対立点、真の争点も明確にならず、訴訟が前に進まない。

 ただでさえ、原告側は請求側だから、訴訟を早く進行させたい側であることが多いだろうに、原告代理人がそのような行動を取る意味が、私には全く理解できなかった。

 期日において、口頭で認否するよう促しても一向にその若手弁護士は改めないので、止むをえず、私は準備書面で、「原告は、被告の主張・立証に対して、きちんと認否した上で反論されたい。」と明記して出した。

 すると、その弁護士は、次の準備書面で、このように記載してきたのである。

「認否は答弁書に対してだけすればよいのであって、準備書面に対しては、認否する必要はない。」
 

 裁判所に提出する準備書面で、ここまで自信たっぷりに「準備書面に対して認否をする必要がない。」と記載されたので、逆に、私の方が、「私が間違っているのか?!」、「いまの司法研修所教育はそうなっているのか?!」と、わずかな不安を感じてしまうくらいだった。

 念のため書いておくが、司法研修所編7訂版「民事弁護の手引」には、準備書面の要素の欄には、民訴規則を引用するなどして
 準備書面の要素として
 ① 攻撃又は防御の方法の記載
 ② 相手方の請求及び攻撃又は防御の方法(161条2項1号)に対する陳述
 ③ 証拠の引用、証拠抗弁、証拠弁論、引用文書
 があげられており、

「攻撃または防御の方法に対する陳述とは、相手方の主張する個々の攻撃又は防御の方法、すなわち、請求を理由づける事実、抗弁、再抗弁、等として主張された事実に対する認否の陳述をいう」

 と明記されている。
 
 

 別に私は(勝訴的和解もできたし)、この弁護士を非難したいわけではない。

 先だって、内田貴東大名誉教授が、「弁護士資格を持つことは(中略)競争する資格を得たにすぎないんだという発想の転換もしなければいけないでしょう。」と弁護士ドットコムのインタビューで述べていたことに反論したいのだ。

 おそらく、内田氏の述べる「競争する」ということは、競争することにより、良い弁護士が生き残るという理想的な競争状態を念頭に置いているものと思われる。
「悪貨は良貨を駆逐する」競争状態では、司法は衰退するばかりだろうから、さすがに民法で名をなした東大名誉教授であれば、そのような競争状態が良いとは主張しないだろうと推測するからである。

 仮に内田氏が念頭に置いているような理想的な競争状態が、弁護士業界において可能ならば、私の戦った若手弁護士さんは、民法の基礎的条文、民事訴訟の基礎すら把握できていないのだから、当然淘汰の対象にされていなければならないはずであろう。
 しかし現実にはそうはなっていない。

 以前から、「弁護士も競争しろ」とマスコミも学者も主張するが、弁護士業界において、良い仕事をする弁護士が必ず生き残るという理想的な競争状態は、私に言わせればあり得ない。

 理由は簡単だ。

 依頼者(顧客)に、弁護士の仕事の質が判断できる能力がほとんど無いからである。香水のコンクールで、審査員が嗅覚が効かない人ばかりだとしたら、本当に優れた香水が優勝するとは限らないのと同じである。


 依頼者(原告)からすれば、何ら法的主張を具体的にしておらず、訴訟では実質的に意味のない書面であっても、被告をなじる内容が記載されていれば、被告に対する不満が裁判所に伝えられたと感じて、良い仕事をしてくれる弁護士だと判断してしまう場合も往々にしてあるのだ。
 
 確かに内田氏や大企業であれば、弁護士の良し悪しも判断可能であろう。
 しかし、大多数の国民は、内田氏のような弁護士の能力を判断する術を持たないのである。

 その状況下で、どんどん資格を与えて競争しろとは、あまりにも現実無視の無責任な発言としか思えない。

 

 それなら、医師についても同様に言ってみたらどうだ。

 医師も資格に甘えるな。
 医師資格は競争する資格を得たに過ぎない。
 医師になりたい人には、医学部卒でなくても、どんどん医師資格を与えて競争させれば、良い医師が残るはずだ。競争過程で医療過誤などで犠牲になった人がいても、それは仕方がない。その医師を選んだ人の自己責任だ。

 例えていうならこういう内容になるだろう。

 

 このような社会が正しいとは、私には到底思えないが。

(多分)夜のボーツェン駅、20年ほど前。

詐欺被害の返金請求についての雑感

 一つ考えて頂きたい問題がある。

 あなたは、残念ながら投資詐欺に引っかかり大金を相手に振り込んでしまった。

 急いで弁護士を探し、A・B弁護士2名に相談した。
 それぞれの弁護士の回答は次のとおりだった。

 A:「返金を受けられる可能性はあります。一緒に頑張りましょう!」

 B:「ご依頼されれば返金を受けられる可能性が若干高くなると思いますが、実際にお金が返ってくる可能性はそう高くはないですよ。」

 どちらの弁護士を信頼するべきであろうか。
 追って解説していく。

 先日、ロマンス詐欺の返金請求が出来るとして、広告会社に弁護士名義を貸して業務をさせた疑いで、大阪の某事務所が検察庁から家宅捜索を受けたとの報道があった。

 詳しい業務形態は知らないが、おそらく、


 ①広告会社が、弁護士名義を利用して「ロマンス詐欺返金に強い!」「多数の返金実績!」「相談無料!」等とインターネットで大々的に広告を行って集客する。場合によっては、○○法律事務所に依頼してみた、○○法律事務所は信頼出来るのか、等の体験談を偽造することもあるだろう。
 ②相談してきた顧客に、現実には殆ど返金可能性のない事案であっても「返金を受けられる可能性はあります」と説明して、契約させる。
 ③契約の着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払わせて、その着手金の大部分を広告会社がピンハネする。
 ④弁護士としては、形作りとして簡単な請求を行う(当然ほとんど返金されない)。
という方法だったのではないかと思われる。

 相談者に対する説明や契約についても、弁護士が行わず広告会社が行っていた可能性もあるだろう。

 詐欺にも、投資詐欺、オレオレ詐欺、ロマンス詐欺などいろいろあるが、以前ブログに書いたが、詐欺に遭った際に詐欺犯から返金をうけられる可能性は相当低いと言っていい。

投資詐欺の相談 – 弁護士坂野真一のブログ (win-law.jp)

 ただ、詐欺に強いとネットやHP等で大々的にうたっている弁護士に相談してみると、

 「返金を受けられる可能性はありますよ。」

 と説明され、藁にもすがりたい依頼者の方は、「可能性があるのなら、、、」と契約して、着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払ってしまう場合もあるのだろう。

 

 しかし、ちょっと待って欲しい。

 

 確かに、どんな事件でも、勝つ可能性がゼロということは、ほぼできない。

 したがって、詐欺案件で、弁護士から見て、ほとんどお金が帰ってくる可能性がない場合でも、返金を受けられる可能性がゼロではない以上、
弁護士としては

 A:「返金を受けられる可能性はあります。」
 B:「お金が返ってくる可能性は高くないですよ。」

 という2パターンの説明が可能なのだ。

 どちらが正直な回答かは、言うまでもないだろう。

 前述の、家宅捜索を受けた法律事務所はかなり多くの件数の依頼を受けていたそうだから、おそらくAの説明をしていたのだと考えられる。

 以上から、依頼者としてはA・Bどちらの説明をする弁護士を信頼すべきかといえば、正直な回答をしているBの弁護士だろうと、私は考える。

 とはいえ、本当にその弁護士が、詐欺犯から多額の金銭を取り戻す特殊なノウハウを有しており、実際に取り戻せる可能性が極めて高いのであれば、(かつての一部の過払金事務所が成功報酬制を取っていたように)着手金を取らなくても、完全成功報酬制で事件を受任していても十分ペイするはずである。
 したがって、仮にAの回答をしていても、完全成功報酬制を取っている弁護士・法律事務所であるならば、依頼してみるのもアリだとは思う。

 ただし、私がざっと見たところ、そのような弁護士・法律事務所は、見当たらないようであるが。

ベネチアの街角