未必の故意を分かっていない修習生が8割超え?!

 弁護士会の委員会で、最高裁司法修習委員会の第46回議事録を頂いた。

https://www.courts.go.jp/saikosai/vc-files/saikosai/2025/20240827_46gijiroku.pdf

 新人弁護士の全体的なレベルダウンについて(もちろん私としても優秀な修習生の存在は否定しない。あくまで全体的なレベルダウンである。)、何人も新人弁護士を雇用してきた同期の弁護士からも聞いていたが、さすがにマズイだろうという内容が司法修習委員会の議事録に記載されていた。

 議事録に記載されていたあまりにも「ひどい事例」は次のとおりである(議事録13頁参照)。

 導入修習の、刑事裁判の起案(記述式テストと思ってもらえれば良いです)において、盗品等有償譲り受けの事案で、被告人が盗品であることを分からずに買い受けたのか、つまり、買い受けた物品が盗品であるという認識を争点とする事案を出題したとのことである。


 対象物が盗品であると知って買い受けたのであれば、盗品等有償譲り受け罪の故意があると認定できるのは当然であるが、故意には確定的故意だけではなく、未必の故意というものがある。つまり、盗品等有償譲受け罪の場合、対象物が盗品であるかもしれないとの認識があれば、故意責任を問えるということは確定した判例であり、学説的にも反対説は、ほぼないところである。

 また未必の故意など、大学2年生でも知っている基礎中の基礎の知識であり、法学部を出ていなくても、ちょっと法律に詳しい人なら、誰でも知っている知識でもある。
 

 ところが、上記の起案において未必の故意に関して、修習生がきちんと事実認定ができたのかというと、この教官が担当していたクラスの司法修習生76名のうちわずか15名しか未必の故意について、分かっていなかったとのことである。

 実に81%もの修習生が未必の故意について分かっていなかったということになる。

 この教官が担当したクラスだけに司法試験の成績が悪かった修習生を集合させたなどという特殊事情はないだろうから、おそらく、この77期司法修習生の8割近くが未必の故意について正確な知識を有していないおそれがあるとみても、大きな誤りではないだろう。

 全受験生の平均点より26点以上低い得点でも合格できてしまう司法試験(令和6年度)では、そのような基礎知識を有しない受験者を弾く機能も、もはや有していないと評価できよう。

 更に恐ろしいのは、未必の故意について分かっていなかった77期修習生に関して、多くの教官が、76期(1年前)修習生と比べて実力はさほど変わらないと、この議事録で述べていることである。

 要するに、このような基礎的な知識すらきちんと身についていない受験生が、司法試験に合格して修習生となり、司法修習を受けて、法曹実務家になりつつある状況が、ここ何年も継続している可能性が高いということなのだ。

 このように極めて恐ろしい時代になっていることを、多くの国民の皆様はご存じないし、法科大学院推進派・司法試験合格者増員派は決して言わないだろうから、敢えてお伝えする次第である。

中之島公会堂付近(写真と記事は関係ありません)

嬉しい知らせ

今日は嬉しい知らせが届いた。

 昨年、少年事件で担当した少年が、大学に合格して、この春から一人暮らしをするのだという。

 私の記憶では、少年事件を起こすようには到底見えなかったシャイな少年だったが、少年本人の反省の手助けをさせて頂き、ご両親とも今回の事件についての対応について、何度か話した。

 以前にも書いたかもしれないが、反省とは二度と同じ失敗をしないために行うものだ。そのためには、どうしてそのような行動を取ってしまったのかということの分析が欠かせない。

 ほとんどの少年は、事件を起こす際にそのような行動を取ってはダメなんだということは頭では分かっている。それでも、何らかの理由をつけて自らの良心の障壁を乗り越え、事件を起こしてしまうのだ。
 だから本当に反省するためには、良心の障壁を乗り越えた言い訳はなんなのか、その不当な言い訳はどこから来ているのかは最低限考えてもらわないと前に進まない。

 私の経験上、鑑別所内の少年に初めて面会した際に、「今回の事件について、反省しているの?」と問うと、「もちろん反省しています!!もう2度としません!!」との答えが返ってくる。
 しかし、「どうして2度としないの?」と重ねて聞くと、多くの場合「こんな辛い目にあっているから」「親や学校にに迷惑をかけたりしているから」との返答が返ってくる。
 私は、さらに、「それなら、こんな辛い目に遭わなくて、親や学校に迷惑かけないのなら、君はまたやるの?」と聞くと、答えられない少年が多い。

 つまり、この時点での少年の「反省している」という言葉は、「悪いことをしたことは分かっている」という意味に過ぎず、同じ失敗を二度繰り返さないためには何が原因でどう対処すべきなのかという点についてまで、ほとんど考察が及んでいないのである。
 このような反省をいくら重ねても、少年は自分の内部にある問題点に気づけないので、2度と同じ失敗を繰り返さないだけの反省まで至れない。私の経験から言わせてもらえば、少年の心のガン細胞は、少年が「事件当時の自分は、人として最低だった」と自覚するような辛い思いをして、自ら切除しないと取りきれないものだと思う。

 そこを手助けするのが、親であり付添人弁護士・家裁調査官等の仕事でもあるのだ。
 これはかなり手間も時間もかかる。
 手間暇かけても上手く行くとは限らない。
 だから、少年事件はペイしないと言って敬遠する弁護士も多い。
 

 しかし、私には、ときおり、担当した少年が大学に入学した、家庭を持って良い母親になっているなどの知らせが届いた経験があり、そのような知らせがまた届くかもしれないという淡い希望が、いまだに少年事件を受任している理由なのかもしれない。

 今日の知らせは、久々に届いた、良い知らせだった。
 頬を緩めて帰宅できそうな気がする。

(京都市川端通沿いの桜並木)

ロースクール教育を受けると司法試験に合格しなくなる??

 法科大学院等特別委員会第118回で、菊間委員が久しぶりに良い指摘をしているので紹介しようと思う。

 まず、この委員会では、令和6年度の司法試験について、早渕宏毅委員から報告がなされた。ちなみに早渕委員は、私と司法修習同期・同クラスであり、和光の司法研修所で同じ教室で授業を受けていた。優秀なだけでなくかなりの男前だった記憶がある。司法修習終了後に検察官になったので、法務省関係の委員として入っているのだろう。

 早渕委員の報告の後、名古屋大学の佐久間委員が、最も長期間プロセスによる教育を受けたはずの法科大学院修了者の司法試験合格率が22.7%と30%を切っている(ちなみに予備試験合格者の司法試験合格率は92.8%であった)ことを指摘して、どう説明するのかという問題があるとの発言がなされたあと、弁護士の菊間千乃委員が、次のように発言している。

【菊間委員】  ありがとうございます。
 私も同じような質問なのですけれども、今、御紹介はいただかなかったのですが、各ロースクールの合格者数が書いてある一覧の資料があると思うのですけれども、それを見ると、ほとんどのロースクールで、在学中受験のほうの合格率が高くて、修了生とか2回目以降の合格者数が非常に少ないという結果が見て取れます。これを各ロースクールがどういうふうに分析しているのかということを、どなたかにお伺いしたいなと思いました。在学中受験というのは、どうしてもカリキュラムを一生懸命詰め込んで、試験が終わった後にもう一回、後半のカリキュラムをやるみたいな感じで、でも、これだけの方が受かってしまってというか、受かっていて、きっちり修了している人たちが受からないというのは、どういうことなのだろうと。ロースクールの教育をきちっと受けて合格するということからいうと、本来、修了者も相当受からないとおかしいのではないかと。在学中で受かるということは、むしろそうではない、ロースクールだけではないところで、もともと勉強していた方たちが受かっているというふうにも見えるので、これでロースクールの成果だと言うことができるのだろうかというのも思ったんですけど、ここの違いをどういうふうに捉えたらいいのかということを、お話しいただける方がいたら教えていただければと思います。

(部分的強調は坂野が行っています。)

この会議の議事録は下記のリンクを参照されたい。

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/041/gijiroku/1415416_00031.htm

 つまり、これまで、ロースクールは、法律家を育てるためにはプロセスによる教育が大事だとなんの根拠もなく言い続けてきた。

 しかし、ロースクールでのプロセスによる教育を受ければ受けるだけ司法試験の合格率が下がっているのが現状なのである。

 司法試験受験生には、予備試験合格者、ロースクール在学中受験者、ロースクール修了(卒業)受験者の3種類があるが、ロースクールでのプロセスによる教育を受けた度合いは、

予備試験合格者<ロースクール在学中<ロースクール修了(卒業)者

であることは、明白である。

それにも関わらず、

予備試験合格者の司法試験合格率92.8%

ロースクール在学中受験者の司法試験合格率55.19%

ロースクール修了者の司法試験合格率22.7%

司法試験の結果から素直にみれば、ロースクールで行われている、プロセスによる教育って、受ければ受けるだけ司法試験に受からなくなる、実に変な教育ってことになる

サヴィニャック展で

(記事と写真は関係ありません。)

IT導入補助金不正受給について

 IT導入補助金とは、中小企業・小規模事業者等の労働生産性の向上を目的として、業務効率化やDX等に向けた ITツール(ソフトウェア、サービス等)の導入を支援する補助金であり、中小企業庁が行っている事業である。

 コロナ補助金の場合もそうであったが、残念ながら、補助金等の事業が行われると、その事業を利用して不正に儲けようと企む輩は、ほぼ確実に出てくる。

 近時、「IT導入補助金は不正行為を絶対に許さない」との記載が公式HPにもなされ、随時調査が行われているようで、調査を受けた方からの相談も見られるようになってきた。

 なお、詐欺グループはさらに上をいっているようで、調査をかたった詐欺(「あなたの受給は不正だから直ちに返金せよ、そうでないと刑事事件になる」等と脅して送金させる詐欺)も頻発しているようである。
 公式HPには、「IT導入補助金事務局からの送信をかたった、なりすましメールが確認されています。メールアドレスのドメインをご確認いただき、各種補助金等の返還手続きを装った詐欺にはご注意ください。」との記載があるので、注意が必要だ。

 さて、補助金を不正に受給した場合、どのようなことになるのかだが、基本的には「補助金等に係る予算執行の適正化に関する法律」に基づくことになる。
 同法によれば、交付決定が取り消され、補助金の返還、加算金及び延滞金の支払いを求められることに加え、罰則もある。5年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金又はこれを併科することになっている(同法29条1項)。補助金を他の用途に用いた場合も同様の返還規定や罰則(同法30条:3年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金又はこれを併科)もある。
 これに留まらず、詐欺罪(刑法246条1項:10年以下の拘禁刑)も成立しうることは、最高裁が認めている(最決R3.6.23)。

 このように、不正受給に関するペナルティは、きつめなのだ。

 ただ、不正調査を行っている調査事務局も、事案数が多いためか事情をきちんと把握しきれずに、その受給は不正の可能性が高い、と判断してしまうこともあるようだ。

 私が相談を受けた事業者の方の中の1人の方は、別途、某独立行政法人から長期運転資金の融資を受けていたことを咎められ、「IT補助金受給は不正受給と思われるので返還等を考えるように」との指示を受けていた。

 確かに、IT補助金交付規程の第10条には
「国及び中小機構その他の独立行政法人の他の補助金等と重複する事業については、
補助事業の対象として認めないものとする。」
との記載があり、形式的には独立行政法人から何らかの補助金、融資等を受けていた場合は、IT補助金の補助事業対象外とも読めなくはない。

 しかし、この方の受けた融資はIT導入目的だったのではなく長期運転資金のための融資であった。IT補助金の目的である、中小企業・小規模事業者等の労働生産性の向上の目的とは違っていたのだ。

 相談を受けた私は、現事務局、補助金受給時の事務局双方に、問い合わせの電話をかけた。電話も混み合っておりなかなか繋がらなかったが、どちらの事務局も丁寧に対応してくれた。
 ただ、いずれの事務局もきちんと内部で検討してから回答するので、追って電話で回答するとのことだった。後日ちゃんと返答を頂き、いずれの事務局も私が相談した件に関しては不正受給にあたらないとの回答を示してくれた。

 以上から、不正受給ではないかと調査事務局から指摘された場合は、まず弁護士に相談することだ。ご自身で事務局に相談することも可能だろうが、ご自身の現状について、きちんと必要な点を伝えることはそう簡単ではなく、弁護士に事情を話して納得のいく内容の文案を作成してもらった方が確実だからである。


 不正受給ではない可能性が高いのなら、その旨の書面を作ってもらって調査事務局に送るとか、弁護士に委任して事務局に調査をかけたり、事務局と交渉してもらうこともできる。
 その上で、残念ながら不正受給に該当してしまうのであれば、早急に返金し、その後、どうすべきか弁護士に相談することが一番良いと思われる。

 

 とはいえ、刑事処罰の危険性を過度に指摘して、相談者の恐怖を煽り、自首を勧めて、高額の弁護士費用をとろうとする弁護士も残念ながらいる。刑事事件になる可能性が極めて低い事案であるにも関わらず、自首すべきといわれ、100万円以上の弁護士費用を持ってこいといわれた方の相談を、何件か実際に受けたことがある。

 弁護士に相談した際に、捜査機関への自首を勧められた場合は、別の弁護士にセカンドオピニオンをとった方が安心だと思われる。

上高地・大正池(写真とブログ内容は関係ありません)

ある懲戒処分に関する雑感

 先日、弁護士の某先生が懲戒処分を受けたことを会報で知った。

 私はその先生と特別に懇意にしていたわけではないが、

私の知る限り、

 自分のことよりも依頼者の利益を真剣に考える先生であり、
 知識も経験も倫理観も、十分備わった優秀な先生であり、
 さらに消費者問題など、殆ど経済的利益がない公益活動にも全力で尽力される先生であった。

最初は懲戒処分の記事が間違っているのではないか、と思ったくらいだ。

 詳細は不明だが、事案の概要等からみると、事務所の運転資金に行き詰まった結果の不祥事だったように思われる。
 その先生のことだから、安易に不祥事に手を出したわけではなく、物凄い心理的葛藤があったはずだ。被害金員については、知人に借り入れて弁償が済んでおり、知人に対しても自宅を売却した代金で返済されているようだ。

 このように優秀で、公益活動に熱心な先生でも、事務所運営に行き詰まることがあるのが、今の弁護士界である。(ちなみに、私の元ボスの一人も、弁護士資格と公認会計士資格を持ち、大会社の社外取締役をも務めていたが、「仕事がこない」とのことで5年ほど前に引退している。)

 これまでマスコミや、学者達は、公益活動で自腹を切りながら国民のために働いている弁護士の存在も知らず、安易に、弁護士は資格に甘えるな、弁護士を増やして弁護士も競争しろ、と世論を煽ってきた。
 彼らの理屈は、弁護士にも自由競争をさせれば、より良い弁護士が繁栄して生き残り、悪質な弁護士は淘汰できるというものだった。

 仮にその理屈が正しいとすれば、今回懲戒を受けた某先生は、優秀かつ公益活動にも熱心だったので、社会が求める「よい弁護士像」に合致する方であり、繁栄していないとおかしい。私の元ボスも法務面に加え会計面にも明るく、大会社の社外取締役の経験もある弁護士だから、仕事の面だけから見ると、仕事が集まって来なくてはおかしいということになる。

しかし、現実はむしろ逆だった、ということである。

 そもそも、自由競争は、経済的には、儲けた者(利益を上げた者)が勝つ仕組みである。良い仕事をする弁護士には顧客が集まり経済的に繁栄するであろうし、そうでない弁護士には顧客が来ず衰退し淘汰されるであろう、という仮定のもとに、「自由競争させればより良い弁護士が生き残る」、という理屈は成り立っている。

 だが、弁護士の仕事は極めて専門的であり、依頼者の意向も絡むことから、弁護士の仕事の良し悪しを見抜くことは同業者でも簡単ではない。一般の国民の皆様にとっては、その判断は、なおさら困難だ。また、依頼した弁護士が実際にどのように処理を行うのかについても、依頼の段階では分からない場合も多い。
 だから、依頼者側に弁護士の仕事の良し悪しが判断できない以上、弁護士業に関しては、自由競争の前提が崩れており、自由競争が成り立たない場面なのだ。

 もう少し分かりやすく例えて言えば、
 味の分からない人ばかりの街で、美味い蕎麦屋を生き残らせることができるのか、という状況に近いといってもよいだろう。
 このような状況で、「蕎麦屋をどんどん増やして競争させれば美味い蕎麦屋が生き残るはずだ」とは、到底いえまい。
 このような状況で、蕎麦屋をどんどん増やして競争させた場合、蕎麦の味とは関係なく顧客を集めるのが上手い蕎麦屋が繁栄するだろう。その反面、顧客が集まらなければ、どんなに美味い蕎麦を出していても、その蕎麦屋は潰れてしまうのだ。

 弁護士の仕事に関しても、その良し悪しを依頼者が殆ど判断できない現状では、蕎麦屋の例とよく似た状況と言って良い。

 某先生の記事から、優秀で公益活動にも熱心という、本来国民から求められるべき弁護士像に近い弁護士の先生であっても、経営に行き詰まりかねないという、現在の弁護士界の異常な状況を改めて痛感した次第である。

マドリッドの動物園で。(写真と記事は関係ありません)。

吉田神社節分祭(鈴鹿さんのご祈祷)

 昨年、一昨年のブログにも記載したが、私は、数え年で42歳の時にご祈祷を受けてから、ほぼ毎年、母校の京都大学の近くにある吉田神社の節分祭で、大元宮でのご祈祷をして頂いている。
 今年は、私がパートナーを務める事務所の繁栄と、自身の災難除けをご祈祷の趣旨とさせて頂いた。

 ご祈祷をして下さる神職の方は何人かいらっしゃるが、幸いなことに今年も、鈴鹿さんにお願いすることができた。
 私が特に鈴鹿さんのご祈祷を気に入っている理由の詳細については、2023年2月3日付のブログに記載しているので参照して頂きたい。

一部だけ引用すると、

「(前略)うまくたとえることができないのが残念だが、鈴鹿さんの祝詞がはじまると、まるで、現世の雑音や世俗の様々な出来事を遮断する、神様の清浄な領域が鈴鹿さんを中心にして現れ、本殿を満たし清めていくようにも感じられる。
 そして、その清浄な領域で響く鈴鹿さんのお声は、どこまでも、よどみなく清んでいるのである。(後略)」

 今年のご祈祷では、幸いにも単独でご祈祷頂くことが出来た。参拝するにも長い列が出来る程混雑していた大元宮で、単独でご祈祷いただけたのは幸運と言うほかない。

 更に言えば、鈴鹿さんのご祈祷は、私の期待を裏切ることがない。

 じつは、これは、簡単なようで、非常に難しいことなのだ。

 例えば、初めて行ってみた飲食店の料理が凄く美味しかったので、しばらくしてもう一回行ったところ、同じ料理なのに思ったほど美味しく感じなかった、という人は多い。
 「このお店の料理は美味しかった」という経験があった場合、客としては、「美味しかった、あの美味しさをまた経験したい」、という期待がどんどん膨らんでしまう。そして、その結果、お店の料理が前回と全く同じレベルでも、お客側が勝手に膨らませた期待を満たすことができず、以前ほど美味しく感じないということが主な原因だろうと思われる。
 逆に言えば、期待を裏切らないということは、お客が勝手に膨らませる期待よりも、提供側が進化していないと実現出来ないのだ。

 このように、期待を裏切らないこと、すなわち、「お客が勝手に膨らませる期待を上回る進化を、提供側が常に実現していなければならないこと」は、実は、並大抵のことではないのである。

 私の期待を裏切ることのないご祈祷をしてくださる鈴鹿さんも(きっと他の神職の方々もそうだろうが)、おそらく、神様に願い事を届けたい人々の想いを実現するために、日々の生活等において、たゆむことなく、常に進化し続けておられるのだろう

 今年の吉田神社の節分祭は、本日の後日祭で終わりである。参道を埋め尽くす露店は昨日までなので、落ち着いた雰囲気がかなり戻っているのではないかと思う。
 吉田神社では、節分の期間に限って、特別な梔色(くちなしいろ~厄除けの色とされている)のお札などが授与されているし、大元宮内院の特別参拝も可能なので、機会があるのなら参詣されることを、お薦めする。

コロナ渦だった2011年の吉田神社節分祭(露店もなく閑散としていた)

もう廃止で良いんじゃないですか?

2009年 「教育の質の向上のための改善方策について(報告)」
2012年 「教育の更なる充実に向けた改善方策について(提言)」
2013年 「今後検討すべき教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」
2014年 「教育の抜本的かつ総合的な改善・充実方策について(提言)」
2018年 「抜本的な教育の改善・充実に向けた基本的な方向性」
2022年 「教育の更なる充実と魅力・特色の積極的発信について」

 これらは、2004年に創設された文科省所管のある教育機関について、その機関に関する文科省特別委員会が発信してきた、提言等の名称の一部抜粋である。

 上記の提言等の名称から、素直に考えれば、

 この教育機関では、

 創設の5年後には、当初の目的に比べて教育の質が低いという問題が生じており、その問題に対応するための改善策についての報告がなされている。

 更にその3年後においても、教育を更に充実させなければならない事態が生じている(もしくは改善されていない)ことが分かる。

 その1年後においても、教育の改善・充実が必要な事態は解消されておらず対応が求められている状況が分かる。

 更にその1年後には、もはや抜本的・総合的な教育の改善と充実が必要な状況にまで陥っていることが窺える。

 抜本的というのであるから、さすがに、これで改善したのかと思っていたら、

 更にその4年後にも、抜本的な改善と充実が必要であることが示され、

 その4年後においても、教育の更なる充実が必要であることが示されている。

 あくまで提言等の名称からの推測に過ぎないが、この教育機関における教育の質に関する問題は20年も改善のために様々な議論をし、策を講じてきたものの、結局、何ら解決していないように見える。

 この教育機関は、法科大学院であり、提言等を行っているのは文科省中央教育審議会大学分科会法科大学院等特別委員会である。

 20年かけても改善できないのであれば、制度自体に大きな問題があると考えるのが最も合理的だ。
 改善します、改善します、といいながら一向に成果が上がらないのであれば、民間なら、さっさと主導者をクビにし、これまでの制度を廃止して、新たな方策を取るはずだ。無駄な制度に投資する余裕など、どこにもないからである。

 制度導入時に導入賛成側の学者は、具体的な根拠も示さず、法科大学院におけるプロセスによる教育が大事などと言っていた。しかし、それなら、実際の司法試験において、予備試験合格者、法科大学院在学中受験者に比べて、プロセスによる教育を最も長期間受けてきたはずの法科大学院卒業者の合格率が、一番低い(しかも圧倒的に低い)のは、なぜなんだ。

 予備試験経由の実務家が法科大学院卒業の実務家に比べて劣っている証拠はどこにもないし、それどころか、大手法律事務所の多くは、プロセスによる教育と関連が最も低い予備試験経由の司法試験合格者を、むしろ優先的に雇用している。
 これと逆に、「予備試験経由の合格者は、プロセスによる教育を受けていないので、採用しません」などという事務所を、少なくとも私は見たことがない。

 このように、実務では、プロセスによる教育の必要性・優位性などは、どこにも見出せないのである。つまり、実務においてプロセスによる教育は全く評価されていないし、意味がないといっても良いくらいの状況にある。

 法科大学院制度の最も重要な売りの一つであった「プロセスによる教育」に意味が見出せないのだから、文科省の権益や大学の権益、見栄もあるだろうが、もう廃止で良いじゃないか。

 

 国民の皆様から多額の税金を投入してもらって、何やってんだ。

 多額の税金を投入しても成果が出せず、実社会でも評価されていないのであれば、税金の無駄としか言いようがないではないか。

遅ればせながら、今年のご挨拶を申し上げます。

 毎年、新年にはご挨拶を申し上げているのですが、ワードプレスの不調により、ご挨拶が遅れました。

 昨年は、ワードプレスにトロイの木馬が侵入してHPも表示できなくなるなど、ひどい目に遭いましたが、今回の不調は私のブログだけだったようです。

 大変遅くなりましたが、今年もウィン綜合法律事務所は、皆様のご依頼に対して最良の結論を目指して、努力して行く所存です。

 御指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。

今年の年賀状は、北海道で撮影した月を用いました。

司法試験の選抜機能の低下の懸念

 今年の司法試験合格者数は1592名とのことだ。

 最高裁判所の令和7年度概算要求には、司法修習78期(令和7年修習開始)のテキスト部数として1535部が予定されていたことから、合格者は1500~1550人くらいではないかと私は予想していたが、予想を少し上回った結果が出た。

 昨年、法科大学院在学中受験制度開始に配慮して1781名の合格者を出してしまったことから、司法試験委員会としては、各所におもんばかって、合格者の急減という印象をできるだけ抑えたかったのだろうと推測する。

 とはいえ、今の司法試験は、ほぼ4人に3人が合格できる短答式試験を突破すれば、2人に1人以上が最終合格してしまうし、総合点で受験者平均点を26点下回っても合格できてしまう試験なので、今の司法試験が選抜機能をきちんと果たしているのかについては、疑念が拭えない

 この点、受験者の質が向上しているから、構わないとの反論もあるだろう。

 

しかし、短答式試験は昔に比べて簡単になっており、その得点率から見ても、上記の反論はあたらないと私は考えている

 平成30年8月3日 司法試験委員会決定
「司法試験の方式・内容等の在り方について」
には、次のように書かれている。

『4 出題の在り方
短答式試験は,裁判官,検察官又は弁護士となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とするものであるが,その出題に当たっては,法科大学院における教育内容を十分に踏まえた上,基本的事項に関する内容を中心とし,過度に複雑な形式による出題は行わない。

 今の司法試験短答式試験は、昔と違って、基本的事項に関する内容が中心で複雑な形式も取らない、要するに簡単な形式で、基本的な事項に関連する問題しか出さないと司法試験委員会は明言している。
 その短答式試験(175点満点)では、全受験者の平均点が112.1点であるところ、93点取れば合格できてしまう。

 基本的な問題でも、全受験者の平均得点率は64%しかなく、さらに53%しか得点できなくても、短答式には合格できてしまうのだ。

 仮に医師国家試験で、基本的な問題であるにもかかわらず53%しか正解できない受験者を医師にして良いか?と問われれば、国民のほぼ全てが「ダメ」と答えるのではないだろうか。

 基本的な試験問題しか出されないのであれば、64%の得点率でも、もっと実力をつけてからでないと医師になって欲しくないと考える国民は多いはずだ。

 そして前述したように、司法試験短答式試験に合格すれば、約54%、半分以上の受験生が最終合格してしまう。

 今の司法試験が適切な選抜機能を持っているのかについて、疑念を持っているのは、私だけではないはずだ。

「ミカン買占め作戦」と闇バイト

 子供だった頃、ウルトラマン・ウルトラセブンなどの円谷プロの特撮番組の他、仮面ライダー、人造人間キカイダー、超人バロム・1(ばろむ・わん)など、戦隊モノの前身とも言うべきTV番組があり、毎週楽しみに見ていたものだ。

 大体、悪の秘密組織が世界征服を狙って様々な活動を行うのだが、ヒーローに阻止されるストーリーが多かった。
 

 確か、キカイダー01(ゼロワン)で、世界犯罪組織シャドウが、世界征服のために、ものスゴイ作戦を敢行したことがあった。

 名付けて「ミカン買占め作戦」

 ミカンを買い占めることにより、ミカンを品薄にする。
 ミカンを食べたい子供たちはミカンを奪い合うようになる。
 ミカンの奪い合いにより、子供たちは友達を裏切るなどするようになり、他人を信用せず、自分のことしか考えられなくなる。
 そのような子供たちが大人になれば、他人を信用せず、自分中心の性格の大人ばかりになり、争いだらけの社会になる。
 争いだらけの社会になれば、世界は滅びに向かい、世界はシャドウの思い通りにできる。

 というのが「ミカン買占め作戦」の大体のストーリーだった記憶がある。

 「ミカン買占め」といいつつ、シャドウの怪人ハカイダーは、ミカン運搬車を襲って運搬中のミカンを強奪していたので、実際には、ミカン強奪作戦で、買占めなどやっていなかったのが少し笑える。
 しかし、社会の連帯を断ち切れば世界が滅びに向かうという点においては、着眼点としては優れていたように思う。

 キカイダー01がTV放映されていた時代から、半世紀が経過した。

 新自由主義が推し進めてきた、市場万能主義により、ごく一部の富裕層が世界の富の大部分を独占し、大多数の庶民の富を枯渇させる状況に、社会を追い込んでいるように見える。
 日本の政治家達も、選挙の際にはほぼ全員が、弱者救済、中小企業対策の重要性を唱えるが、実際には、大企業の内部留保は増大、法人税は減税、企業献金は廃止しない、その反面消費税を増税するなど、一部の富裕層に富が集中する現実を招く政治を行ってきた。

 富が枯渇している大多数の庶民としては、生活するだけでも大変な状況になれば、他人を思いやる余裕は当然失われ、自分や家族を守るために、自分中心の考えに傾いても仕方ないだろう。
 近時の闇バイト問題も、富が偏在しすぎている現実の影響から、自分中心の考えが生じて事件を起こしている可能性を捨て切れまい。

 自分中心の考えを持つ大人たちばかりになれば、争いの絶えない社会になり世界は滅びに向かうというのがシャドウの狙いだったが、シャドウの狙いが新自由主義経済の下での政治で、まさに実現しつつあるのではないか。

 社会の連帯を断ちきり、世界が滅びに向かえば、困るのは富裕層も同じじゃないか、とぼんやりと思うのだが。