「疑惑 JAL123便墜落事故」       角田四郎 著

 その事件を、私は、千葉県関宿町(現在野田市)の河川敷にある関宿滑空場で知ることになる。

 1985年8月当時、私は京都大学体育会グライダー部に所属する大学1回生で、関宿滑空場でのグライダー部夏合宿中に、日航ジャンボ機の墜落事故を知った。
 ムッとする熱気の立ちこめる盛夏の河川敷で、班長から指示されて車座に座り、教官から事故の発生について伝えられた。その日の西に傾く夕陽の光が、やけに赤く感じられたような記憶がある。

 本書は、その日航ジャンボ機事故について、運輸省(当時)事故調査委員会の報告である、圧力隔壁破壊原因説の結論に異を唱え、その真相に迫ろうとする本である。
 絶版になっていたそうだが、現在は、Amazonのオンデマンド出版で入手が可能となっている(kindle版もある)。

 若干誤植が多いのが残念であるが、著者の角田さんの熱い想いに貫かれていて一気に読ませる力があり、説得力も相当ある。詳しい内容は、私などが述べるより、本書を読んで角田さんの語りに耳を傾けるべきであろう。

 近時この事件に関して、青山透子さんが多くの本を出されている。私は青山さんの本を多く読んだわけではないが、青山さんの主張も、四半世紀前に出されたこの本に影響を受けているのではないかと感じられる部分が少なからずあるような気がした。

 この事件に少しでも興味を持たれた(持っていた)方には、是非一読されることを、お勧めする。

シベリア上空(写真はブログ本文と関係ありません)

一枚の写真から~103

 最近は円高などもあり、海外に出かけることがなくなっているが、海外旅行は嫌いではない。

 旅行社が主催するパック旅行ではなく、勝手に出かける個人旅行なので、普通なら当然押さえているはずの、名所・旧跡を見落としていることも多くあるように思う。

 もちろん美術館は好きだが、それ以外にも動物園とか、人形劇場とか、墓地とか、一般的な観光客があまり興味を持たないところを見て回ることも多い。

 若い頃は、観光名所なんてものは、歳をとってパック旅行しか行けなくなってからでも良いではないかという思いもあったが、今の京都のオーバーツーリズムを目の当たりにすると、引率して連れて行ってもらう観光名所は、人の群れを見に行くようなものかも知れない、と残念ながら少し億劫に感じてしまう。

 写真は、プラハの人形劇場の出口から歩道方面をみたところ。

 おんなじテントウ虫の帽子を被った子供たちが人形劇を見たあと、帰ろうとしていた。

 みんな、楽しそうにわいわい話していたので、満足していたのだろう。こちらもついニコニコしながら見送った。

 子供たちの楽しそうな姿は、どこで見ても、素晴らしい。

 この子は、男の子と手をつないで、子供たちの一団の一番最後を歩いていた。

 敢えて逆向きに少し斜めに帽子を被ったところに、こんなに小さくてもお洒落に気を配っている様子が窺える。

 この子のさらに後ろに、引率の先生の一人がいたと記憶している。

プラハの人形劇場前にて。

GW休暇

 このGWに、久しぶりに休暇を頂いて、北海道を車で走ってきた。

 名古屋から仙台経由で苫小牧までフェリーで移動。

 北海道内は、旭岳温泉、丸瀬布温泉、知床、十勝岳温泉、白老温泉など、温泉宿ばかりめぐった。

 学生時代、大型バイクで何度か北海道を走りに出かけたことはあり、その頃はユースホステルや、「とほ宿」を中心に宿泊していた事を想い出した。北海道には桃岩荘(礼文島)・岩尾別ユース(知床)・襟裳岬ユース(襟裳岬)と3大キチガ○ユースがあるといわれていた時代だ。今は、この3つの内、桃岩荘しか残っていないようだ。

 若い頃は、温泉なんて見向きもしなかったが、今では温泉にゆっくり浸かり、身体を休めることができるのは、有り難いものだとしみじみ感じる。大体一日に200キロ以上走ったが、4日目くらいには、自動車なのに少しくたびれた気がしたものだ。

 バイクで一日300キロ以上、10日くらい走っても、どうってこと無かった学生時代に比べれば、なかなか自覚できていないが、やはりそれだけ、歳をとってしまったということなのだろう。

 バイクで全身に風を受けながら走り回る爽快さも捨てがたいが、多分、いま、バイクでツーリングに出かければ、爽快さよりも、疲労困憊してしまうリスクの方が高いように感じる。

 オープンカーとはいえ、バイクに比べれば、爽快さと開放感は1/5くらいだろうか。それでも、屋根付きの車に比べれば、外気の温度や鳥の鳴き声など、外界の変化を感じながら走れたのは楽しかった。

大雪山系を望む一本道

法科大学院側から見ても司法試験合格水準はレベルダウン?!

 最近まで知らなかったのだが、法科大学院協会が司法試験に関して、法科大学院に対してアンケートを行い、その結果を公表している。

 これは、法科大学院協会が法科大学院に対して行うアンケートに答えるものである。

 法科大学院制度が維持できなければ職を失うかもしれない法科大学院教員にすれば、法科大学院は維持して欲しい制度であろうから、

 法科大学院の教育はうまくいっている、
 法科大学院のおかげで生徒はみんな優秀に育っている、
 法科大学院では厳格な修了認定も実施して、レベルの低い受験生は送り出していない、

等の現状の法科大学院制度万歳!という意見ばかりかと思っていた(確かにそのような意見も多い)。

 しかし、意外にも、付記意見の中には、こんなレベルで合格させても良いのか、という現状を憂えた勇気ある意見もわずかながら見出せるのである。

 法科大学院制度教育の当事者でもあり、本来ならきちんと教育できていると主張すべき立場にあるはずの法科大学院の教員などから、「こんな学生のレベルで合格させても良いのか」といわんばかりの意見が出るということは、今の法科大学院制度下の司法試験合格レベルは、現状では相当やばいレベルまで下がっている、ということではないかと思われる。

 以下、令和5年度法科大学院協会、司法試験に関するアンケート調査結果報告書の付記意見からいくつか引用する。

(法科大学院側の意見)
・本年は合格者が増加したこともあるが、皆がそれに見合った水準に到達しているのだろうか。周囲を見る限り、個々の分野である程度のミスをしても問題ないと考えているものが多い。受験生としては「ある程度のミス」でも、専門家の目には「致命的なミス」のように見えるものでも、最低ライン点を下回ることはないように思われる。 医師国家試験のように、一発アウトとする関門(論文試験でそういうポイントを設定できるかはわからないが)を設定しても良いのではないだろうか。(p53)
→(坂野のコメント)
 司法試験において、専門家から見れば致命的なミスを犯していても合格できてしまっているようだ、せめて最低基準を設定しその最低基準をクリアできない受験生は落とすべきではないか、との意見である。おそらくこの教員の方から見れば、どう考えても合格できない、合格すべきでない受験生までもが、現在の司法試験で合格してしまっているということなのだろうと思われる。

(法科大学院側の意見)
現状は、出題趣旨や意見に沿った答案・解答になっていなくても、問題なく合格できる状況にあるのではないかと想像します。(p68)
→(坂野のコメント)
 要するに出題趣旨や採点者の意見に沿わないトンチンカンな答案であっても、問題なく司法試験に合格してしまっている状況にある、との意見である。司法試験問題の法的意味すら把握できなくても、出題の趣旨に沿わない答案しか書けない学生でも、司法試験に楽々合格できてしまっている現状を見てこられたのだろう。

(法科大学院側の意見)
行政法担当者の中には、基礎的知識の確実な修得のために短答式を導入すべきという意見もある。(p74)
→(坂野のコメント)
 基礎的知識が不足したままの受験生ばかりであり、基礎的知識を身に付けさせるためには短答式試験を課すなどして勉強する契機を作らないと、基礎的知識すら身に付けられないまま司法試験に合格し実務家になってしまうということだろう。裏を返せば、それだけ基礎的知識に欠けていても司法試験に合格してしまっている実情があるということである。

(法科大学院側の意見)
・試験科目が多く、とりわけ在学中受験者にとっては負担が増す一方で、試験合格の水準が薄く広くという表面的な処理能力・理解力のチェックとなり、合格水準は下がっていると感じている。(p84)
→(坂野のコメント)
 ずばり、合格水準は下がっていると明言している。法科大学院教員から見ても、きちんとした理解ができず、表面的な理解しかしていないため、合格できないだろう、合格させてはダメだろう、と思われる学生がどんどん合格していく状況を目の当たりにしているから、このような感想になったものと思われる。

(法科大学院側の意見)
・受験生・司法試験合格者の法的資質の向上という観点からは、間違った勉強法・思考法を身につけた者はきちんとはじくことが必要である。誰も書けないがゆえに「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状態で、できない学生であっても相対的にはそれほどマイナスにならないという事態はなるべく避けることが求められる。そのためには、出題形式の工夫のほか、出題の趣旨・採点実感を通じて、あるべき勉強方法を示し続ける必要があると思われる。当局においては既にその努力をしていただいているところではあり、またそう容易なことでもなく、一朝一夕にできることでもないが、今後も工夫を加えながらも引き続き上記の観点からの取組みをしていただけるようお願い申し上げる。学生が、出口である司法試験で「それができなくても不利益を受けない」と考えるなら、法科大学院の一教員が教室でいくら言ってもそれを真剣に受け取ってもらうことは難しいためである。(p89)
→(坂野のコメント)
 司法試験の問題なんて、どうせみんなきちんと解答できないから、きちんと解答できるだけの勉強までしなくても、自分なりの勝手な方法でいいや、受験者の中で上の方にいれば合格できるからそれでいいや、という学生がどんどん合格してしまっていることに危機感を抱いているということであろう。
 いくら法科大学院教員が、この点についてはきちんと理解しておかないと実務家になった時に弁護過誤で甚大な被害を顧客に引き起こす危険がある、と考えて熱心に解説しても、「そんなこと知らなくても司法試験には受かるじゃん」、という認識が広まれば、人は易きに流れるので、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくてもいいや、と考える者が大半となっていくであろう。
 そして、いくら教員が「~という考え方・思考方法が大事だ」、と説明しても、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくても司法試験に受かるなら、人はそこまで勉強しないのだ。だからこそ、考え方・思考方法がダメな奴は、司法試験でしっかり落として欲しいという見解であろう。
 つまり裏を返せば、しっかり勉強せずに、間違った勉強法・思考法を身に付け、本来司法試験で落ちるべき受験生でも、楽々合格している現状があるということである。

京都本満時の枝垂れ桜(2018)

日弁連の感覚はズレまくっている?!

 日弁連委員会ニュースによれば、日弁連が近年の法曹(裁判官・検察官・弁護士)志願者の減少対策として、(法曹の)魅力発信PT(プロジェクトチーム)を設置し、積極的に活動しているとのことだ。

 最近の司法試験受験者数は、概ね5000人未満であり、私が受験していた頃の受験者数約3万人に比べると約80%も減少している。
 日弁連は、この法曹志願者減少の原因を法曹の魅力が伝わっていないと考え、様々な対応を行っているとのことだが、そんなことで法曹志願者が増えるなどあり得ないと、私は思っている。

 私が受験していた頃は、法曹の魅力なんて誰も、学生なんかに伝えてくれなかった。


 だが、当時の司法試験は、誰でも何回でも受験でき、司法試験に合格すれば、人生の一発逆転をもたらす切符と見る向きもあり、一部では人生のプラチナチケットと呼ばれており、10年以上司法浪人してでも合格を目指す人もいた。


 旧司法試験では合格率2%前後の極めて狭き門(最近の司法試験は合格率は40%を超えている。)であったが、法曹の魅力なんか宣伝されなくても、年々受験者は増加していたのである。

 それは、司法試験に合格して得られる、法曹資格の価値が高く、資格に魅力があったからだ。

 現在の司法試験は、前述したとおり合格率で言うと、20倍以上合格しやすくなっている。同じ資格を20倍以上合格しやすい試験で手に入れられるなら、受験者が増えそうなものだが、むしろ受験者は減っている。

 その理由としては、原則として法科大学院を卒業しなければ受験できないという、大学側の利権に阿った制度改悪も大きな原因の一つだが、それよりも、端的に言えば、法曹資格濫発により、資格の価値が下がったから目指す人が少なくなったと考えるのが最も合理的である。

 現実を見てみると、司法制度改革により弁護士の数は激増したが、裁判所に持ち込まれる事件の数(全裁判所の新受全事件数)は増えていない。
 全裁判所の新受全事件数は、約35年前の平成元年に約440万件であったが、令和4年には約337万件に減少している。
 この間に弁護士数は約14000人から約43000人へと3倍以上に増えている。

 わかりやすく言えば、年々減っていくパイを、年々増える(激増する)競争者達と奪い合う業界構図なのである。

 このように、仕事は増えていないのに競争相手は3倍になった(資格濫発した)ことから、弁護士も「資格で食える」資格から、「食える保証がない」資格に格落ちしたのである(月刊プレジデントだったと思うが、ずいぶん前から弁護士資格をブラック資格と正しく評価していた記憶がある。)。
 しかも、誰でも何回でも受けられた旧司法試験と違い、いまの司法試験を受験するためには原則として法科大学院を卒業しなくてはならず、費用も時間もかかってしまう。

 弁護士といえども仕事であり、職業である。自らの仕事で収入を得て、生活を支え、家族を養っていく必要がある。いくら仕事にやりがいがあっても、その仕事で食っていけないのなら(食っていけないリスクが増大しているのなら)、その仕事を目指す人間は確実に減っていく。

 終身雇用が原則だった高度経済成長時代よりも、将来の見通しが難しく未来が不安視される昨今、今後の長い人生を生きていかねばならない若者達にとって、ほぼ確実に食える可能性が高い資格に人気が集中することは明らかだ。

 現在の医学部人気を見ても明らかだろう。
 医師の仕事のやりがいが特に宣伝されているわけでもないのに、現在の医学部人気は凄まじく、医師になる道はどんどん狭く(競争率が高く)なっている。しかし、それでも医学部人気は衰える兆しが一向に見えない。

 少なくとも現時点で、資格で食っていける可能性が一番高い資格は、医師免許資格であることはおそらく異論がないだろう。このように、現時点では医師資格の価値が高いからこそ、苦労してでも手に入れる値打ちがあるし、だからこそ厳しい道でも多くの若い人材がその資格を目指しているのだろう。

 仕事が生計の手段でもある以上、仕事のやりがいだけで将来の仕事を選ぶことは、滅多にない(できない)。

 だから、日弁連がやろうとしているように、いまさら法曹の仕事の魅力を伝えたところで、法曹志願者が激増するなんてことはあり得ないだろう。

 むしろ、日弁連の宣伝に乗っかって、現実の収入面も考えずに、やりがいのある仕事だからと安易に志願する人たちが、どんどん法曹になっていく世界の方が恐ろしい気がする。

 以上から、私から端的に言わせれば、法曹志願者を増やす最も単純で効果的な手段は、資格の価値を上げることに尽きる。
 しかし、法科大学院制度維持のために、司法試験合格者を減らすことができず、ここまで資格を濫発してしまった以上、もはや法曹資格の価値を上げることは不可能に近いだろう。

 日弁連執行部は、現実をしっかり見て、法曹志願者を増やすために法曹の魅力を発信するなどという馬鹿らしいことに、我々の会費を突っ込むことは、もう止めてもらいたい。
 どうしてもやってみたければ、法曹の魅力を発信すれば法曹志願者が増加すると信じ込んでいる脳天気な人たちで基金を募ってやってもらいたい。

夜の駅(おそらくボーツェンだと思うけど記憶がはっきりしません・・・)

準備書面に認否はいらない?!

 数年前、登録4~5年目くらいの、ある若手弁護士が原告側、私が被告側で訴訟で戦うことになった際の話である。

 その、若手弁護士さんがこちらの準備書面の主張に対して、何ら認否せずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけを反論するという書面ばかり出してくることがあった。

 ちょっと話がそれるが、その若手弁護士さんの準備書面は、法的な主張や、証拠に基づいた主張をほとんどしないくせに、原告・被告間の個人的な問題などを執拗に攻撃し、こちらの準備書面のごく一部分だけを取り上げて、「被告の主張は失当である」と連呼する書面でもあり、読むのがストレスになる書面だった。
 ちなみに、訴状でも、法定果実であるにも関わらず日割り計算をせずに請求してきていた箇所があったので、第1回期日で、私から、「これは法定果実だから日割り計算に訂正して下さい」とお願いしたところ、黙り込んでしまい、「後で確認してから書面で出します」といって、3ヶ月後くらいの次々回期日でようやく訂正してくる始末だった。

 まさか大学2年生でも知っている、天然果実と法定果実の取得規定を知らなかったとまでは思いたくないが、それはさておき、こちらの準備書面に対して、認否もせずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけ記載し、裏付け証拠もほぼ皆無の準備書面ばかり出されても、双方の対立点、真の争点も明確にならず、訴訟が前に進まない。

 ただでさえ、原告側は請求側だから、訴訟を早く進行させたい側であることが多いだろうに、原告代理人がそのような行動を取る意味が、私には全く理解できなかった。

 期日において、口頭で認否するよう促しても一向にその若手弁護士は改めないので、止むをえず、私は準備書面で、「原告は、被告の主張・立証に対して、きちんと認否した上で反論されたい。」と明記して出した。

 すると、その弁護士は、次の準備書面で、このように記載してきたのである。

「認否は答弁書に対してだけすればよいのであって、準備書面に対しては、認否する必要はない。」
 

 裁判所に提出する準備書面で、ここまで自信たっぷりに「準備書面に対して認否をする必要がない。」と記載されたので、逆に、私の方が、「私が間違っているのか?!」、「いまの司法研修所教育はそうなっているのか?!」と、わずかな不安を感じてしまうくらいだった。

 念のため書いておくが、司法研修所編7訂版「民事弁護の手引」には、準備書面の要素の欄には、民訴規則を引用するなどして
 準備書面の要素として
 ① 攻撃又は防御の方法の記載
 ② 相手方の請求及び攻撃又は防御の方法(161条2項1号)に対する陳述
 ③ 証拠の引用、証拠抗弁、証拠弁論、引用文書
 があげられており、

「攻撃または防御の方法に対する陳述とは、相手方の主張する個々の攻撃又は防御の方法、すなわち、請求を理由づける事実、抗弁、再抗弁、等として主張された事実に対する認否の陳述をいう」

 と明記されている。
 
 

 別に私は(勝訴的和解もできたし)、この弁護士を非難したいわけではない。

 先だって、内田貴東大名誉教授が、「弁護士資格を持つことは(中略)競争する資格を得たにすぎないんだという発想の転換もしなければいけないでしょう。」と弁護士ドットコムのインタビューで述べていたことに反論したいのだ。

 おそらく、内田氏の述べる「競争する」ということは、競争することにより、良い弁護士が生き残るという理想的な競争状態を念頭に置いているものと思われる。
「悪貨は良貨を駆逐する」競争状態では、司法は衰退するばかりだろうから、さすがに民法で名をなした東大名誉教授であれば、そのような競争状態が良いとは主張しないだろうと推測するからである。

 仮に内田氏が念頭に置いているような理想的な競争状態が、弁護士業界において可能ならば、私の戦った若手弁護士さんは、民法の基礎的条文、民事訴訟の基礎すら把握できていないのだから、当然淘汰の対象にされていなければならないはずであろう。
 しかし現実にはそうはなっていない。

 以前から、「弁護士も競争しろ」とマスコミも学者も主張するが、弁護士業界において、良い仕事をする弁護士が必ず生き残るという理想的な競争状態は、私に言わせればあり得ない。

 理由は簡単だ。

 依頼者(顧客)に、弁護士の仕事の質が判断できる能力がほとんど無いからである。香水のコンクールで、審査員が嗅覚が効かない人ばかりだとしたら、本当に優れた香水が優勝するとは限らないのと同じである。


 依頼者(原告)からすれば、何ら法的主張を具体的にしておらず、訴訟では実質的に意味のない書面であっても、被告をなじる内容が記載されていれば、被告に対する不満が裁判所に伝えられたと感じて、良い仕事をしてくれる弁護士だと判断してしまう場合も往々にしてあるのだ。
 
 確かに内田氏や大企業であれば、弁護士の良し悪しも判断可能であろう。
 しかし、大多数の国民は、内田氏のような弁護士の能力を判断する術を持たないのである。

 その状況下で、どんどん資格を与えて競争しろとは、あまりにも現実無視の無責任な発言としか思えない。

 

 それなら、医師についても同様に言ってみたらどうだ。

 医師も資格に甘えるな。
 医師資格は競争する資格を得たに過ぎない。
 医師になりたい人には、医学部卒でなくても、どんどん医師資格を与えて競争させれば、良い医師が残るはずだ。競争過程で医療過誤などで犠牲になった人がいても、それは仕方がない。その医師を選んだ人の自己責任だ。

 例えていうならこういう内容になるだろう。

 

 このような社会が正しいとは、私には到底思えないが。

(多分)夜のボーツェン駅、20年ほど前。

詐欺被害の返金請求についての雑感

 一つ考えて頂きたい問題がある。

 あなたは、残念ながら投資詐欺に引っかかり大金を相手に振り込んでしまった。

 急いで弁護士を探し、A・B弁護士2名に相談した。
 それぞれの弁護士の回答は次のとおりだった。

 A:「返金を受けられる可能性はあります。一緒に頑張りましょう!」

 B:「ご依頼されれば返金を受けられる可能性が若干高くなると思いますが、実際にお金が返ってくる可能性はそう高くはないですよ。」

 どちらの弁護士を信頼するべきであろうか。
 追って解説していく。

 先日、ロマンス詐欺の返金請求が出来るとして、広告会社に弁護士名義を貸して業務をさせた疑いで、大阪の某事務所が検察庁から家宅捜索を受けたとの報道があった。

 詳しい業務形態は知らないが、おそらく、


 ①広告会社が、弁護士名義を利用して「ロマンス詐欺返金に強い!」「多数の返金実績!」「相談無料!」等とインターネットで大々的に広告を行って集客する。場合によっては、○○法律事務所に依頼してみた、○○法律事務所は信頼出来るのか、等の体験談を偽造することもあるだろう。
 ②相談してきた顧客に、現実には殆ど返金可能性のない事案であっても「返金を受けられる可能性はあります」と説明して、契約させる。
 ③契約の着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払わせて、その着手金の大部分を広告会社がピンハネする。
 ④弁護士としては、形作りとして簡単な請求を行う(当然ほとんど返金されない)。
という方法だったのではないかと思われる。

 相談者に対する説明や契約についても、弁護士が行わず広告会社が行っていた可能性もあるだろう。

 詐欺にも、投資詐欺、オレオレ詐欺、ロマンス詐欺などいろいろあるが、以前ブログに書いたが、詐欺に遭った際に詐欺犯から返金をうけられる可能性は相当低いと言っていい。

投資詐欺の相談 – 弁護士坂野真一のブログ (win-law.jp)

 ただ、詐欺に強いとネットやHP等で大々的にうたっている弁護士に相談してみると、

 「返金を受けられる可能性はありますよ。」

 と説明され、藁にもすがりたい依頼者の方は、「可能性があるのなら、、、」と契約して、着手金(契約時に弁護士に事件に入ってもらうために支払うお金)を支払ってしまう場合もあるのだろう。

 

 しかし、ちょっと待って欲しい。

 

 確かに、どんな事件でも、勝つ可能性がゼロということは、ほぼできない。

 したがって、詐欺案件で、弁護士から見て、ほとんどお金が帰ってくる可能性がない場合でも、返金を受けられる可能性がゼロではない以上、
弁護士としては

 A:「返金を受けられる可能性はあります。」
 B:「お金が返ってくる可能性は高くないですよ。」

 という2パターンの説明が可能なのだ。

 どちらが正直な回答かは、言うまでもないだろう。

 前述の、家宅捜索を受けた法律事務所はかなり多くの件数の依頼を受けていたそうだから、おそらくAの説明をしていたのだと考えられる。

 以上から、依頼者としてはA・Bどちらの説明をする弁護士を信頼すべきかといえば、正直な回答をしているBの弁護士だろうと、私は考える。

 とはいえ、本当にその弁護士が、詐欺犯から多額の金銭を取り戻す特殊なノウハウを有しており、実際に取り戻せる可能性が極めて高いのであれば、(かつての一部の過払金事務所が成功報酬制を取っていたように)着手金を取らなくても、完全成功報酬制で事件を受任していても十分ペイするはずである。
 したがって、仮にAの回答をしていても、完全成功報酬制を取っている弁護士・法律事務所であるならば、依頼してみるのもアリだとは思う。

 ただし、私がざっと見たところ、そのような弁護士・法律事務所は、見当たらないようであるが。

ベネチアの街角

「自由と正義」の不公平な提案?!

 先日、日弁連から、「自由と正義」(弁護士会員に毎月配布される雑誌)2月号が届いた。

 9頁から36頁まで、27頁にわたり特集記事が掲載されている。

 今回の特集記事は、題して、「弁護士のシニアライフプランを考える~日本弁護士国民年金基金のいま~」である。

 一読すれば分かるが、弁護士の老後の不安をあおり、日本弁護士国民年金基金(以下「弁護士年金基金」と略する。)への加入勧誘を行っている特集記事である。掛金が上がる可能性がある(実際に今年4月から掛金が上がるようである)ので、早期加入を心からお勧めする次第である、との記載もある。

 確かに自営業者である弁護士には、基本的には国民年金しかないし、退職金制度もない。老後に備えて、何らかの準備はどうしても必要である。しかも、ここ10年間で弁護士所得の中央値は25%以上下落している(本記事のp34参照)
 それにも関わらず、日弁連は弁護士人口に関しては、弁護士ニーズはたくさんあるので、司法試験合格者の減員を主張する必要はないと矛盾したことを述べていたようにも思うが、それはさておき、制度的にも弁護士業には老後の不安があることは、多くの普通の弁護士の悩みの種でもあるだろう。

 ただ、弁護士年金基金は、不平等な制度でもある。
 当初加入した弁護士の予定利率が5.5%
 現在加入する弁護士の予定利率は1.5%

 なのである。

 誤解を恐れず簡単に言えば、掛金が同じでも、当初加入した弁護士は5.5%で計算した利率を加算して年金をもらえるが、現在加入する弁護士は1.5%で計算した利率を加算した年金しかもらえないということだろう。

 本来であれば、同じ基金に加入している以上、同じ利率で年金をもらうのが公平なはずである。しかし、当初の高い予定利率を変更できないという説明が、フォントが小さくて読みにくい注釈19に目立たぬよう、記載されている。

 そして、当初の予定利率が高すぎることから、低い予定利率の新規加入弁護士が増えないと5.5%もの高率の予定利率を維持することはできない(仮に当初の予定利率5.5%が維持できるのであれば、新規加入弁護士の予定利率が1.5%に引き下げられるはずがない)状況のようである

 同じ大阪弁護士会の山中理司弁護士も、ブログでずいぶん前からこの問題点を詳細に指摘していた。

 弁護士年金基金への加入を勧めるということは、私なりに、口悪く言わせてもらえば、
 「先輩弁護士の高い年金を維持するために、若手弁護士は安い年金しかもらえない基金にどんどん加入して犠牲になってね」
ということではないのか。

 もちろん、特集を組んだ弁護士年金基金の理事者達は、おそらく高率の予定利率で弁護士年金基金に加入している方々であろうが、山中弁護士の指摘を気にしているらしく、国民年金基金も予定利率が不公平になっている点で同じだから致し方ないとの言い訳も記載されている。

 しかし、本当に弁護士の老後(シニア・ライフプラン)を心配しているのなら、新規加入者の犠牲もやむを得ないと開き直るのではなく、この不公平を改めるよう努力すること、不公平を改めた上で(若しくは不公平ではない制度で)加入を勧誘することを考えるか、年金基金について制度上公平に出来ないのなら、弁護士年金基金だけを紹介して勧誘するのではなく、他の老後資金の確保方法についても説明することではないのか。

 いくら弁護士の老後の心配を配慮するように見えても、新規加入者が不利な弁護士年金基金への加入を勧めるという日弁連の裏には、ご自身(及び先行者達)の高率の年金基金を維持したい、という狙いがあるように思えてならない。
 

とべ動物園のシロクマ「ピース」

※記事と写真は関係ありません。

吉田神社の節分祭~2024

 

 今年の2月2日~4日の間、吉田神社で節分祭が開催された。

 

 昨年もブログに記載したが、私は、ほぼ毎年吉田神社の節分祭でご祈祷を受けている。
 

 その際に、少しわがままだが可能な場合は、ご祈祷を担当されている方のうち、「鈴鹿さん」にご祈祷をお願いしている。

 幸運にも、今年も、鈴鹿さんにご祈祷をお願いすることが出来た。
 

 鈴鹿さんのご祈祷の素晴らしさは、2023年2月のブログに記載したので、そちらを参照されたい。

 弁護士という仕事は、他人様の社会生活で生じた不都合が飯の種であり、訴訟になったら、勝てば相手に恨まれ、負ければ味方に恨まれることが多い、かなり因果な商売でもある。
 因果な商売だけに、次第に、人の念や、何らかの塵芥(ちり・あくた)等の穢れが、まとわりついてしまっていても、おかしくはない。

 吉田神社の大元宮において、鈴鹿さんのお祓いで清めて頂くと、お祓い後の清々しい心持ちの大きさから、やっぱり、知らず知らずのうちに1年分の穢れが染みついてしまっていたのだな・・・ということを実感する。

 それと同時に、1年間の穢れを、一気に祓ってしまう鈴鹿さんのお祓いの効果の凄さに、私は、感じ入るのである。

 今年も鈴鹿さんに、穢れを祓って清めて頂き、素の自分に戻れたような清々しい心持ちを嬉しく思いつつ、私は、多くの参拝者で混雑している吉田神社を後にしたのだった。

雪の鴨川デルタ

※写真は記事とは関係ありません。

日弁連会長選挙に関する事前の雑感~3

 次に及川候補の選挙公報を見てみる。

 及川候補の選挙公報


 なぜ立候補したのか
 「司法改革」の誤りを正す!
 弁護士の仕事と生活を守る!
 第1 司法改革の誤りを正す!
 第2 会員の意見を汲み取る
 第3 人権を守る
 6つの重要政策 実現に向けて
 及川智志の経歴・活動

 と区分けして記載されている。

 弁護士の所得の中央値が2006年に1200万円だったものが、わずか8年後の2014年には600万円に半減しており、回復していないこと、
 2000年に約17000人だった弁護士数は、2022年には44000人に増加しているが、現在の司法試験合格者数を維持すれば、さらに弁護士数が増加して6万4000人を超えてしまうこと
 国選弁護制度や民事法律扶助(法テラス案件)のように、赤字案件を弁護士の善意に頼って実施させている政策の問題点などを指摘している。

 基本的に及川候補の主張は、客観的データを用いた主張であり、抽象的概括的な主張に過ぎない渕上候補の主張に比べると、現実の問題点を把握したうえで、それに対処しようとする説得的な主張が見受けられる。

 弁護士は基本的に見栄っ張りな人が多いので、なかなか本音を言わないが、年間所得が600万円程度に過ぎないのなら、大企業に就職していた方がよほど安心・安全な生活を送れる見込みが高い。資格取得に苦労と費用と時間がかかったあげく、弁護士の仕事は、他人の喧嘩を代わりにやる面もあるので、ストレスフルなものが多い。

 仮にうつ病になってしまえば収入はゼロ。収入がゼロでも、生きていくための生活費は当然かかる。ここまでは給与所得者の方と同じだが、さらに、経営者弁護士だと生活費に加えて事務所の経費が年間2000万円位は平気でぶっ飛んでいく。
 近年、企業内弁護士の志望者が多くなっていることには、弁護士業のリスクに対する不安の大きさも一つの理由だと考えられる。

 弁護士には、基本的には国民年金しかないし、健康保険も東京など健康保険組合を立ち上げている一部の弁護士会などを除けば、国民健康保険である。退職金制度もない。その分を貯蓄しておかなければ、余生は生活保護の危険すらあるのだ。

 それにも関わらず、日弁連主流派(大阪弁護士会執行部もそうだが)は、人権を守るために必要なら、本来国がやるべき制度であっても、その制度をとにかく実行したがる。そして、その制度が全くペイせず、弁護士会員に負担を押しつけるものであってもお構いなしなのである。
 そもそも国選弁護だって、国からもらえる報酬は諸外国よりも相当低く、私選弁護の1/5~1/10位しか支払われず、全くペイしない制度である。日弁連は、長年ずっと値上げを求めているが殆ど無視されており、弁護士の犠牲で成り立っている制度なのである。
 民事法律扶助(法テラス案件)、被疑者国選も同様である。

 医師会だって、無医村への医師派遣には、経済的にペイするかどうかをまず考える。医師だって職業だから当然である。私は、人権保障に必要でもまず経済的に成り立つかどうか考えてから実行すべきだと、いつも大阪弁護士会の常議員会で主張するのだが、とにかく、「人権保障に必要なら苦しくても日弁連や弁護士会が、自腹を切ってでもはじめるべきだ。いずれ国が分かってくれて制度化してくれる。法テラスや被疑者国選だってそうじゃないか。」と日弁連・大阪弁護士会執行部などは主張するのである。
 しかし、被疑者国選も法テラス案件も、制度化はされたものの、弁護士に支払われる対価は極めて安く抑えられており、全くペイしないのだ。人権保障には役立つが、経済的に見れば、弁護士に赤字と分かっている仕事を、さらなる犠牲を、押しつけただけなのである。

 日弁連や執行部が、「私たちは人権保障のためにこんなに素晴らしい制度を国民の皆様の為に実行しています!」と良い格好する裏で、実際に担当させられる弁護士は赤字案件をやらされることになるのである。

 確か前回の日弁連会長選挙の際に、法テラス案件を自ら担当して処理した経験があったのは、及川候補だけだった。日弁連主流派の候補者は、人権保障に役立つがペイしない法テラス案件を自ら処理した経験がなかったのである。

 おそらく、日弁連主流派や大阪弁護士会執行部等に所属してええ格好している弁護士の先生方の多くは、「弁護士が生活に困ることなどあり得ない。人権のために会費を使ってしまって不足しても、会費を値上げすれば良いのだ。」と現状を把握できずに旧来の弁護士像がいまだに維持されていると安易に考えているようにしか思えないのだ。

 渕上候補のことはよく知らないが、日弁連主流派が推している候補者であるし、これまでの日弁連主流派の政策を引き継ぐようなので、おそらく上記の方々と同様に考えている可能性が高いのかもしれない。
 及川候補は、弁護士の仕事と生活を守ることを公約に掲げているので、このような点についても切り込んでくれる可能性を秘めている。

 日弁連会長選挙は究極のどぶ板選挙で、例えば、「A弁護士はB弁護士に頭が上がらないからB弁護士から説得すればおちる。だからB弁護士に電話で説得させればいい。」というようなことが常時行われている。


 組織力だけでみれば、これまで日弁連の中枢を握ってきた主流派の圧勝である。
 そうであっても、主流派の圧倒的牙城の中で、弁護士の仕事と生活を守る点を掲げた及川候補がどれだけ得票できるか、私は注目している。

(この項終わり)

森の墓地(世界遺産~ストックホルム郊外)

※写真は記事とは関係ありません。