一枚の写真から~2

15年以上前に、中秋のベネティアで宿の窓からの撮影だったと記憶している。

ご存じのとおりベネティアは、自動車が入れないので遠くからゴーッという走行音は聞こえない。夜も更ければ、バポレット(乗り合い船)のエンジン音と水の音しか聞こえないときもある。

被写体は観光客と思われる女性と、地元の働いている女性。

地元の女性は、どのような思いで観光客を見ていたのだろう。

正解のない課題

 私は、関西学院大学の法学部と、大学院法学研究科で非常勤講師を勤めさせていただいている。

 法学部では司法実践演習という科目名で演習を担当している。個人的趣味もあるのだが、動物(ペット)と法律の関係などを題材に使って、演習を行っている。

 この司法実践演習では、出席して議論してもらうのが主眼なので、出席点がメインとなるが、それでは点数が足りない人の救済の意味も込めて、レポート課題を毎年課している。

 課題内容は、最高裁判例解説に掲載されている、ある判例について書かれた最高裁調査官の解説内容に対して、貴方なりに批判的に論評せよ、というものであり、10年以上前から同じ形式で課題にしている。

 ご存じのとおり、最高裁調査官は、裁判官の中でも相当エリートに属する優秀な方が務めるものとされており、裁判官出身の最高裁判事にはその経験者が多いといわれている。

 そのような切れ者の調査官が書いた解説に対して、一介の学生に批判させるなんて、いわゆる無茶ぶりのような課題じゃないか、と思われる方も多いだろう。

 もちろん、「貴方なりに」と記載してあげていることからわかるように、それぞれの学生さんが、自分なりにきちんと筋道立てて論評していればそれでよいのであって、正解は存在しない。

 正解の存在しない課題に意味があるのか?と考える人もいるかもしれないが、私には、正解などなくても、学生さんに敢えて最高裁調査官の解説について立ち向かってもらうことに、狙いがある。

 相手の権威や肩書にとらわれることなく、自分で考え、自分で判断してほしいという狙い(願い)である。

 相手が高名な学者であるとか、政府関係の有識者であるなど、何らかの権威を持つ人(いわゆる偉い人)が発言したような場合には、人間は弱いもので、自分で考えることを放棄して、その人の言うことを鵜呑みにする場合がある(多い)のだ。考えることを放棄して他人の言うことに唯々諾々と従っていたのでは、何が正しいのかも分からなくなり、何の是正もできなくなり、大げさに言えば民主主義は崩壊する。

 特にこれからの未来を担う学生さんには、肩書に惑わされることなく、自分自身で考え、自分の内的基準に照らし、是は是、非は非として判断できるようになってもらいたいのだ。

 そもそも、政府の有識者会議だって、私から見ればの話だが、かなりのものが茶番である。最初の人選の場面から、政府の意向を実現する方向の委員が選ばれる傾向にあるのだから、有識者会議の結論などほとんど、政府の意向通りになることは、目に見えている。

 時折、最初の見込みと違って、政府の意向に真っ向から反対する委員が混じってしまう場合もあるようだが、そのような場合でも、安全弁がちゃんとある。 

 多くの委員会では期限が設けられていたり、委員の任期が決められているから、その期限が来ればその委員会は終了したものとして解散させたり、委員の任期が来るまで我慢すればいいのである。そして、ほとんど同じような名称で違う委員会を立ち上げたり、再任する委員から反抗的な委員を外すなどして、政府の意向に沿わない委員を排除してしまえばいいのである。

 法科大学院に関する法務省・文科省の会議などにおいても、法科大学院擁護派がずらりと顔をそろえていて、反対派といえる委員の方は、私の見る限り一人もいないように思う。

 かつて、和田吉弘弁護士(元裁判官・元青山学院大学法科大学院教授)が、法曹養成制度検討会議で明確に法科大学院制度を批判されたが(批判内容は、「緊急提言 法曹養成制度の問題点と解決策」~花伝社)、和田先生は、その後委員として再任されることはなかったはずだ。

 法科大学院を維持する決意を持った人だけで議論すれば、現実には、どれだけ法科大学院に問題があろうと、法科大学院制度維持の結論になるに決まっているではないか。

 そもそも、有識者会議の本来の目的は、政府の意向にエビデンスを提供するためのものではなく、賛成派・反対派も含めて議論を重ね、より良い解決を目指すものではないのか、と私は思うのだが、どうも現実は違うようなのだ。

 私に言わせれば、発足以来20年近くたっても、未だにその教育内容の改善を議論しなければならない法科大学院制度など、失敗の最たるものだと思うし、同じような顔ぶれの委員が雁首揃えて何年も議論しても、まだ改善ができないという有様なのだから、(学者や実務家としての能力はともかく)当該委員たちが少なくとも法曹養成制度の改善という問題に関して無能であることは、既に明らかだと思うのだ。

 例えば、民間の企業で大規模な改革が必要だと主張して、何名かの幹部が鳴り物入りで改革に着手したものの、20年近くたっても成果は出せず、未だにその改革方法について改善すればうまくいく、と言い張って、制度をいじろうとしていても、その言葉を誰が信じてくれるのだ。

 その幹部を全員、さっさと首にして、現実をきちんと把握でき、現実に対して本当に対処できる人間を代わりの幹部に据えるほうが、よほど健全な企業といえるだろう。

 話が少し脱線してしまったが、なぜこのようなお話をブログに書いたのかというと、瀧本哲史氏の「2020年6月30日にまたここで会おう」(星海社新書)を先日読んだからである。

 私は、瀧本氏ほど優秀明晰な頭脳はないし、明確に若者に伝える術も持たない。もちろん瀧本氏と何の面識も持っていないが、大変僭越な話なのだが、私がゼミの学生さんに伝えたいと考えていたことは、瀧本氏が新書で熱く語っておられる内容と一部重なる部分があるようにも感じられた。

 なお瀧本氏は、昨年8月に病没されたとのことである。

 若い方だけでなく、教育に携わる方、若い人と話す機会が多い方には、是非一読されるようお勧めする新書である。

 私も今年の6月30日には、もう一度、上記の新書を読み直してみようと思っている。

1枚の写真から-1

ブダペスト子供鉄道で、前の席に座っていた子供の写真です。

こんな小さな子供でもピアスのお洒落をしていました。

日本ではピアスは思春期以降というイメージを私は持っていたので、早すぎるんじゃないかと感じたこと、それと矛盾するようですが、実によく似合っていたことに驚いた記憶があります。

ブダペスト子供鉄道

ブダペストには何度か観光旅行で行ったことがあるが、私は、必ずと言っていいほど、子供鉄道に乗っている。 

そもそも、私自身鉄道が好きだということもあるが、海外旅行では、自然以外には、動物園・サーカス・人形劇場など、少し変わった施設を好んで見て回るくせがあるからだ。

ブダペスト子供鉄道は、社会主義国家であった頃から、青少年の育成の目的で設置されていたようで、子供鉄道で働ける子供達は選ばれた子供達であったともいわれているようだ。私が訪れた際にも、列車の運転以外はほぼ子供達が行っていた。

子供達からは、内心嬉しそうな、誇らしそうな気持ちを抱いているような感じを受けるのだが、それを顔に出さないように、少しおすまし気味に勤務している様子が微笑ましい。

今年の当事務所の年賀状はこの子供鉄道の最後尾の客車に1人乗って撮影した写真を使った。お客が少ないこともあり最後尾の車両には暖房を入れておらず、私以外誰も乗ってこなかったので、撮影できた写真だった。

残念ながら、今年のお正月のご挨拶のブログ記事も吹っ飛んでしまったので、年賀状の写真も飛んでしまったが、おって、再掲したいと考えている。

ブダペスト子供鉄道(ハンガリー)

ブログ写真

現在のブログの表紙写真はどこの写真だという、質問を受けたのでお答えしておきます。

初夏のブダペストでの写真となります。たしかGWに出かけた際の写真で、おそらく10年以上前の写真のはずなので、写っているお嬢さんは、今ではきっと素敵なレディになっているでしょうね。

しばらくは、この写真を表示していようと思っています。

私は、スギとヒノキの花粉症をもっていますが、GWのヨーロッパでも何かの花粉?が飛んでいたようで、花粉症の症状が出まくって、とても辛い思いをした記憶があります。

とはいえ、他所の国を見てくることはとても楽しい経験であることは間違いないので、新型コロナウイルスがおさまって、また皆様が安心して行き来できる日が早く来ることを、切に祈っております。

ブログ復旧状況

 これまで、結構な数のブログ記事を書いてきていたので、「坂野 ブログ」で検索すると、結構上位に出ていました。

 タレントのダンディ坂野さんのブログの近くに表示されていたこともありました。

 ただし、今回、ブログ記事が飛んでしまい、手元に残されたブログ記事を再アップしているところですが、どうやら検索エンジンで上位には出なくなってしまったようです。不正をしたわけではありませんが、そのように判断されたのかもしれません。

 残念ですが仕方がありません。

 また、フェイスブックで情報を頂いてwebarchiveも探したのですが、全記事が保存されているわけではなく、どうやら一部しか残っていないようです。最後にサーバーからFTPに入って探す手段もあるようですが、1頁だけコピーして一太郎に落としてみたら900頁以上にもなるので、気が遠くなりそうです(笑)。検索してもブログの頁が出ない方で、まだ読んで下さる方は、お手数ですが

弁護士坂野真一のブログ – 気付いたことなど不定期にアップしていきます。 (win-law.jp)

をクリックして読んで下さいませ。

 

変わった相談

 現在、温泉に関する権利の相談を受けたので、大阪弁護士会図書館から温泉権に関する専門書を3冊借りて、調査中です。

 図書館から借りてきた本も新品同様に新しいものなので、おそらく本を借りた先生も僅かなのでしょう。温泉に関する権利についての相談は、私も20年以上弁護士をやってきて初めてですから、相当珍しいのではないかと思います。

 その他、私が相談を受けた中で、変わっているなぁと自分でも思ったものとしては、バンドウイルカの返還請求を退けた件、自称霊能力者に対して、お金を返すよう請求した件などがあります。

 特に後者については、気味悪がって他の弁護士さんが何人か、受任を拒否されたと聞きました。私自身も受任後に何もないところで転んだことが一度あり、ちょっと怖くなったこともありましたが、今のところ無事なので、まあ大丈夫なのでしょうね。

 

 

残念なお知らせ

 いつも、お世話になっております。

 残念ながら、諸般の事情により、これまでの私のブログ記事が全て飛んでしまいました。

 幸い、2007年から2019年の途中までの記事は、写真は失われたものの、記事だけなら再現可能だと思います。順次再度アップしていきたいと考えております。

 私自身も大ショックなのですが、今後は、データベースから読み出すことができたり、何らかの情報が得られれば、それ以外の記事も再度アップしていきたいと考えております。

無理して弁護士数を増やす必要はない

 日弁連や大阪弁護士会は、弁護士の利用が浸透しない理由として、弁護士数が少ないとか偏在があるなどという点を上げたりすることが多いように思う。

 しかし現場の感覚としては、既に弁護士は多すぎるように思う。

 当事務所に来られたお客様にお聞きしても、ネットで調べたら弁護士がたくさんありすぎて、困ったと仰る方が多いのだ。

 つまり、弁護士数が足りないから選べないのではなく、弁護士の情報がありすぎるし、基本的にどの弁護士もインターネットでは良いことばかり書いているので、結局どの弁護士を選んだら良いのか分からないという状況だったという方が多い。

 これまで弁護士をどんどん増やして自由競争させろと、規制改革会議やマスコミも言ってきたが、自由競争とは、お客が提供されるサービスの質を的確に判断できることが大前提である。そうでなければ自由競争によってよい弁護士が選ばれて生き残るということにならないからである。

 そして、弁護士の質は正直言って一般の方には判断できないと思われる。我々同業者であっても、書面を一見しただけでは、弁護士の質を判断することは容易ではない。
 一見ひどい内容の準備書面しか提出してない弁護士であっても、無理筋の事件をボスから命じられるなどして引き受けさせられてしまい、止む無く内容のない書面しか提出できない場合だってあるからだ。

 これまで、マスコミや学者は、弁護士資格をどんどん与えて弁護士も自由競争すべきだと主張し、一般国民の方もその論調に流されてきたように思う。

 しかし、マスコミも学者も、医師だって資格に甘えるべきではないから、医師資格をもどんどん与えて自由競争すべきだ、とは言わない。

 それは、医師資格を濫発して医師にも自由競争を持ち込めば、実力不足の医師が淘汰されるためには、当該医師が医療過誤を頻発して多数の被害者を出さなければ淘汰に至らない。つまり自由競争が成立する過程で多くの被害が出ることが、一般の国民の皆様にも容易に分かるからである。

 そして、仮に多くの犠牲の上に実力不足の医師が淘汰されたとしても、自由競争の名目で医師資格が濫発され続けた場合は、実力不足の医師がさらに医師界にどんどん入り込んでくるから、いつまで経っても淘汰など終わりはしないのである。

 医師と同様に、実力不足の弁護士を大量に生み出せば、一般国民の皆様に与える被害は甚大となる。

 しかし、一般の国民の皆様は、自分が弁護士を利用する機会を容易に想像できない、若しくは自分が弁護士を利用することになる事態に陥ることがあるなどとは思ってもいないため、マスコミや学者がいうところの、弁護士も自由競争すべきだとの主張に流されてしまって、現在の状況に至っているように思う。

 そこが、マスコミなどの狡いところでもある。

 一般の国民の皆様が判断が困難な場面においては、国が資格を与える際にきちんとその実力を計り、国民の皆様にご迷惑をおかけしない実力を持った者しか資格を与えるべきではないのである。

 そうだとすれば、司法試験受験者(途中欠席せず最後まで受験した者)が僅か3664名にすぎないのに、閣議決定で示された1500名に近い1450名も最終合格させている(受験者の平均点以下の得点でも合格できる)司法試験委員会は、資格を与える時点での選別をきちんと行っていないと言われても仕方がないであろう。

 そんなはずはないと仰る方は、現状の短答式試験と平成元年以降の短答式試験を比較してみれば分かるだろう。

 法務省が明らかにしているように、現状の短答式試験は基礎的な問題に限定されて出題されている。
 「その出題に当たっては,法科大学院における教育内容を十分に踏まえた上,基本的事項に関する内容を中心とし,過度に複雑な形式による出題は行わない。」と明言されているのだ(平成30年8月3日 司法試験委員会決定)。

 つまり昔の短答式試験問題よりも簡単にしているのだ。

 そして昔の短答式試験では、ほぼ75~80%以上の得点をしなければ合格できない試験であり、そこで5人に1人くらいに絞られ、その短答式試験に合格した者達だけで競う論文式試験でさらに6~7人に1人に絞られたのである。

 確かに、現在の短答式試験は論文式試験と同時に行われるから、現行受験生の方が負担としては大きいともいえる。とはいえ、出題が基礎的な問題に限定されているのなら、やはり75~80%は得点して欲しいところだ。

 175点満点で80%の得点率なら、140点、これを上回った受験生は270人にすぎない。

 同じく75%の得点率なら131.25点、これを上回った受験生は566名しかいない。

 しかし、昨年度の司法試験最終合格者は、1450名なのである。

 もはや、弁護士バッジを当てにすることができない時代が来ているのかもしれない。

 それでも、弁護士数の増加が必要なのだろうか。

これでいいのか?日弁連法曹人口検証本部。

ずいぶん昔にブログに書いた記憶があるのだが、次の簡単な問題を考えて頂きたい。

 ある船に4万人が乗っていた。
 今年1500人乗船し、500人が下船した。
 船に乗っている人の数は増えただろうか、減っただろうか?

 さらにその翌年、同じ船に1000人乗船し、500人が下船した。
 船に乗っている人の数は増えただろうか、減っただろうか?

 答えはいうまでもなく、今年も、その翌年も、その船に乗っている人の数は増えている。
 こんな簡単な問題、馬鹿にするのもいい加減にしろ、と仰る方も多いだろう。

 ところが、同じ問題を司法試験合格者として考えて見ると、この簡単な問題の答えを誤る人が続出するのだ。

 よく司法試験合格者を減らせば、弁護士数(法曹人口)も減少してしまうから、合格者を減らすべきではないという議論を、マスコミや学者から聞いたことがある人も多いと思う。

 しかし、その議論は完全な間違いだ。間違いと知って、敢えて上記のように主張しているのなら、誤導であってさらに罪深い。

 つまり、長年司法試験合格者数は年間500人程度だった(少なくとも平成3年度あたりまで)。そのうち裁判官・検察官になる人を除き、弁護士に300人ほどがなっていたと仮定すると、平成3年に合格し平成5年頃に法曹になった人でも、まだ30年弱程度しか働いていないから、毎年弁護士をやめていく人の数は、おおよそ300人程度と考えることができる。

 仮に今年の司法試験で1500人が合格し、1300人が弁護士になるとすると、弁護士数の増加は1300人。
 今年1年で換算すると、1300人増加し、300人やめるから、年間1000人の弁護士の増加だ。

 では、来年の司法試験合格者を1500人から1000人に減らすと弁護士数は減るのだろうか。

 つまり、司法試験に1000人合格し、そのうち裁判官と検察官になる人を除き800人が弁護士になるとすると、弁護士数は減るのだろうかという問題だ。
 前述したとおり、毎年弁護士をやめていく人の数はおおよそ300人程度と考えることができるから、来年1年で換算すると、800人の弁護士が増加し、300人やめる。

つまり、500人の弁護士が増加するということだ。

 確かに、司法試験の合格者を500人未満にすれば、ほぼ弁護士数は横ばいから減少に転じるだろうが、現在1500人程度の司法試験合格者を1000人に減らしたところで、弁護士数は増え続けるのである。

 ところが、弁護士業をやめる弁護士数を隠したまま、司法試験合格者を1000人に減らせば弁護士数が減ってしまうと主張されると、何となくそうかな~と思えてしまうところが、マスコミや学者の狡いところだ。

 現在、日弁連で法曹人口検証本部が、法曹人口の検証を行っているが、その第6回全体会議取りまとめにおいて、某K副本部長が、上記と同じ誤導を含んだ所見を述べている。

 ご紹介したいが、会員限りの資料なので公表ができないのが残念だ。

 とはいえ、弁護士の方なら、アクセス可能な情報なので、一度確認された方が良いだろうと私は思う。

 K副本部長が冒頭の簡単な問題を誤答するレベルの思考力しかないとは考えにくいから、おそらくK副本部長、そして日弁連執行部は、誤導をしてまで司法試験合格者の減少を阻止しようと考えているのだと思われる。

 合格者増加により、弁護士資格の価値は相当下落している。今の現状を踏まえて、優秀な法曹志願者を増やそうとするなら、資格の価値を上げるほかないだろう。

 優秀な人材を得るには、富か権力か、名誉(地位)を与えるくらいしかない。ヘッドハンティング等でも分かるように、優秀な人材を得るために、やりがいだけでは限界があり、相応のリターンが必要であるのは当然である。人は、自らの仕事で家族を養い、生活していかなければならないからだ。

 日弁連執行部は、さらに弁護士資格の濫発に手を貸して資格の価値を下げ、何をしようと考えているのだろうか。

 一つ考えられるとすれば、法科大学院制度の維持だ。法科大学院制度維持のために予備試験制度をさらに制限する提言までやりかねないだろう。
 

 私に言わせれば、一度法科大学院制度導入に賛成してしまった日弁連執行部が、自らの過ちを認めることができずに、理念という名の竹槍を振りかざしたまま自爆に向かって暴走しているようなものである。

 しかし、そもそも法科大学院制度は、優秀な法曹を輩出するための制度(手段)であって、目的ではない。極論すれば、優秀な法曹が輩出できるのであれば、法科大学院制度など不要なのだ。目的を達成できるなら、手段はどうだっていいのである。

 現実には、司法試験合格率は圧倒的に予備試験組が法科大学院卒業生を上回っているし、大手法律事務所や、裁判所・検察庁でも、予備試験ルートの法曹が多く採用されている。そして、予備試験ルートの法曹に何らかの問題があるなどという話は聞いたことがないばかりか、年々予備試験ルート合格者を囲い込もうとする動きは強まっているように見える。

 つまり、法科大学院やマスコミが「プロセスによる教育」などと、実態のない理念をいくら振り回そうが、実務では法科大学院教育なんてものに価値など置いていないのだ。大手法律事務所が、予備試験ルートの合格者を囲い込もうとしていることからも明らかなように、法科大学院など出ていなくても、しっかり勉強していれば法曹実務家として十分使いものになるのである。

 前述したK副本部長の所見からすれば、日弁連の法曹人口検証本部が、日弁連執行部の意向により、法科大学院維持のために暴走する可能性は相当程度高いと私は見ている。

 いったい何時になったら、日弁連は目が覚めるのだろうか。

 いくら理念を振り回し、万歩譲って仮にその理念に何らかの意味があったとしても、弁護士業界を焼け野原にしてしまえば、意味などないではないか。