日弁連会長選挙に関する事前の雑感~2

(まず、私は公聴会に出席しておらず、選挙公報だけしか見ていないので、極めて雑駁な感想に過ぎないことを事前にご了解下さい。)

渕上候補者の選挙公報は、
はじめに
第1 立憲主義と恒久平和主義を守る
第2 市民の人権を守る
第3 司法の未来-裁判手続を中心に
第4 法の支配を社会のすみずみに
第5 弁護士自治を守り新たな弁護士会の未来を築く
終わりに

 と区分けされ、種々雑多な主張がなされているようであるが、ほぼこれまでの日弁連の政策の継承といってもよいと思われ、特段目新しい主張は見当たらないように読める。

 弁護士の仕事の安定等については、第4の中で、若手支援・活動領域の拡充のさらなる推進の項目で少し触れられているくらいである。
 一方、渕上候補は、司法過疎・偏在の解消を目指すこと、司法試験合格者1500名を当面維持することを明言しており、弁護士の生活の安定に向けた施策はあまり考えていないように思われる。

 若手の支援も明記されているが、そもそも弁護士業が安定して収入を上げられる職業であり、右肩上がりなら、若手の支援など敢えて主張する必要はないのである。現に私が弁護士に成り立ての頃は、若手支援を声高に主張する役員は1人もいなかったと記憶している。
 つまり、若手支援の必要性を主張することは、実際には弁護士業がそう安定しておらず、見通しが明るくはないという現状の裏返しなのである

 この点に関して、渕上候補の主張として弁護士業を安定させる方向性の施策には、中小企業支援や自治体連携など、たいして目新しいモノはない。
 私が弁護士になった、四半世紀近くも前の頃から中小企業支援や自治体連携による業務拡大はずっといわれ続けてきている。しかし、実際には、大して実現されていない(実現されていれば渕上候補が敢えて業務拡大策として主張するはずがない)のである。

 だから私に言わせれば、渕上候補の主張する業務拡大施策は、絵に描いた餅でしかないのである。

 そもそも、日弁連執行部などは、無料法律相談の希望者が、たくさんいるから潜在的弁護士需要はたくさんある、等というわけの分からん理屈を振り回すこともあったと記憶している。
 そもそもタクシー会社で、取締役が、「たくさんの人がバス停に並んでいるし、駅にも電車に乗る人がたくさん並んでいるからから、タクシー需要はある。」と主張したら、アホかと言われ、クビになるだろう。
 タクシー料金を支払ってでもタクシーを利用する人が、タクシー需要なのであり、無料や、タクシーがペイしないバス料金・電車の料金と同じくらいの安さならタクシーに乗りたいという人については、タクシー需要ではないのである。

 弁護士の需要だって同じである。

 もっとひどい言い方をすれば、先行する弁護士たちが肥沃な大地や金鉱を先に押さえてしまってから、若手に対して、(自分はやらんけど)荒れ地でもやり方次第で商売になると思うから少し支援する、(ペイしないから自分はやらんけど)海には大量の金が溶け込んでいるから取り出せば儲かるかもしれんので少し支援する、等といっているように聞こえて仕方がない。

 以上から、渕上候補は、弁護士の需要、弁護士の生活の安定について、キチンと把握・対応せずに、今後2年間の、日弁連のかじ取りをしようとしていることは明らかではないかと考えられる。

 それでいて、渕上候補は法曹志願者を増やす必要があるとして、仕事のやり甲斐をアピールするなどの方策を掲げるが、その施策は弁護士会費の無駄使いだと私は思う。

 旧司法試験は、合格率が2%を切ることもあったが、ほぼ一貫して志願者は増え続けていた。旧司法試験合格は人生のプラチナチケットと呼ばれたこともあったが、その頃に、日弁連や裁判所が法律家の仕事のやり甲斐をアピールして、志願者を増やそうとしていたことなどないのである(少なくとも私は知らない)。

 ところが、新司法試験は合格者を増やし合格率が桁違いに跳ね上がったにもかかわらず、志願者の減少傾向がなかなか止まらない。

 その原因は簡単だ。資格の濫発により、法曹資格の価値が下がったことから、人気が失われたのである。それだけの合格者を出さないと法科大学院が維持できないという裏の理由もあったのであろう。

 
 現在の国家資格で食っていける確率が最も高いのは医師資格であり、医師資格は資格の価値が高いのである。そのように価値が高い資格は、どれだけ取得難易度が上がろうと志願者は増大する傾向にあることが多い。旧司法試験の志願者増加傾向や、現在の医学部人気を見れば分かるであろう。

 人は、自らの一生をどの仕事に費やすかについては、慎重に検討することが多い。

 ある仕事に、どれだけのやり甲斐があっても、やり甲斐だけでは生活できないから、その仕事の将来性も検討することになる。
 その検討中に、裁判件数の減少、今後の人口減少、弁護士数の激増等という状況が揃えば、弁護士業界が右肩上がりであるとは、とてもいえまい。

 このように、法曹志願者減少問題は、仕事のやり甲斐などをアピールするだけで解消される問題ではない。むしろそのようなアピールに騙されて法律家を目指すようでは、現状把握能力に問題ありと言われても仕方がない。
 既に、大学も、法科大学院も、文科省も、日弁連も、法曹志願者が減少してから、何年もそのようなアピール活動を実施しては、失敗し続けているのである。

 弁護士会員の貴重な会費を、そのような無駄な自己満足的な施策に用いて欲しくはないのである。

(続く)

日弁連会長選挙に関する事前の雑感~1

 来る2月9日に、令和6年度・7年度の日弁連会長選挙が行われる。

 立候補者は、2名。
 東京弁護士会の渕上玲子氏、千葉県弁護士会所属の及川智志氏だ。

 一言で言えば、渕上氏は旧来の日弁連主流派であり、渕上氏が日弁連会長になっても、これまでの日弁連と何~にも変わらない2年間となるだろう。
 及川氏は、日弁連主流派ではないので、及川氏が日弁連会長になれば、これまでと違う日弁連が誕生する可能性はある。

 選挙結果の予想としては、おそらく、主流派の渕上氏が勝利する可能性が高いだろうが、どこまで及川氏が得票できるかは一つの見所である。

 私の見たところ、これまで日弁連の会長選挙で反主流派として勝利を収め日弁連会長に就いたのは、宇都宮健児元会長だけではないかと思う(もちろん主流派内部での争いはあっただろう)。

 宇都宮元会長は、弁護士の貧困につながる弁護士人口激増問題にも誠実に向き合い、各地から意見を求めるための会合を開き、できるだけ公平に意見を容れて検討していた。
 私も委員として何度も東京に出かけたが、極めて活発な議論が交わされていた。

 日弁連主流派弁護士たちの、
 「弁護士が食うに困るはずがないだろう。現にオレは困っていないし、弁護士を激増させても問題ない。法科大学院制度を否定したら、日弁連執行部が間違った判断をしたことを認めることになるじゃないか・・・」
 という現実無視の極めて自己中心的な超楽観論に対し、及川氏も委員として、裁判件数の減少、弁護士の所得減少の実態など、客観的な証拠を根拠に積極的に反論していた。

 結局、宇都宮元会長は、日弁連改革のために再選を目指したが大激戦の末、敗れ、再度主流派が日弁連執行部を把握した。

 私にいわせれば、その後、主流派は、旧来の日弁連主流派(執行部)の施策を当然のように無批判かつ盲目的に実行し続けてきたようにしか見えない。

 例えていうなら、近年は気温が低く、近くまで氷山が流れてきている可能性があるし、現にいくつか氷山が見えているくらいだから、南側航路を選ぶべきだし、せめて速度を落として航行すべきじゃないのか、と豪華客船(日弁連)の多くの船員が感じている状況であるにもかかわらず、船長(日弁連主流派)は、北側航路を運航することは以前に決めたことだし、氷山なんてどうせたいしたことない、とその意見に取り合わず、猛スピードで氷山の漂う海をばく進している状況に見えるのである。
 タイタニックがその後どうなったかは、皆さんご存知のとおりである。

 その間、民事裁判件数は減少し、刑事少年事件も激減している。それにも関わらず、弁護士数の激増は止まらず、弁護士の所得の下落傾向も止まらず、弁護士の資格の価値下落を生じさせ、法曹志願者の激減を招いていることは、現に生じているところである。

 弁護士といえども、職業である。
 職業は、自らの価値を実現する場であると同時に、生活の糧を得る場でもある。弁護士業によって、自らと家族の生活を支えなければならないのである。

 日弁連会長は、理想を語りその実現を目指すのも良いが、それにはまず、理想の実現をになう働き手たる日弁連会員(弁護士)の生活が安定してからのことだろう。

 ちなみに、裁判所データブック2023(法曹会)によれば、
 令和4年の地方裁判所の民事通常訴訟事件の新受件数は126,664件にすぎない。この数字は、平成4年の同じ事件の新受件数(129,437件)以降の30年間で最低の数である。
 端的に言えば、地方裁判所に1年間で持ち込まれる民事裁判の数は、30年前よりも少なくなっているのである。

 ちなみに平成4年の弁護士数は14,706人、令和4年の弁護士数は42,937名である。

 弁護士一人あたりの事件数にすると、平成4年では8.8件、令和4年では2.95件であり、約76%の減少になっているのだ。

 さらにいえば、刑事事件(人)は、平成4年1,701,470(人)→令和4年で812,872(人)と人数にして53%減少。弁護士一人あたりにすれば、84%の減少だ。

 家事事件は増加しているものの、少年事件(人)については、平成4年402,231人→令和4年45,740人と、人数にして88.6%の減少。弁護士一人あたりにすれば96%の減少だ。

 さて、この現状を踏まえたうえで、渕上候補者、及川候補者が選挙公報で、どう言っているのかをみてみたい。

(続く)

サモトラケのニケ(ルーブル美術館)

※写真は記事とは関係ありません。

法科大学院は非効率!?~2

(続きです)

 まず、法科大学院推進論者は、やたらめったら、「プロセスによる教育」が法曹養成に必要不可欠だと主張するが、「プロセスによる教育」が具体的に何を意味するものであるかについてあまり明確にされていないし、また、本当に法曹養成に必要不可欠なのかについては、推進論者が適当且つ勝手に主張しているだけで、誰も証明できていない。

 それどころか、日本の大手法律事務所は、法科大学院におけるプロセスによる教育を経ていない、予備試験合格ルートの司法試験合格者を優先して採用している。裁判官、検察官にも予備試験合格ルートの司法試験合格者がかなりの数で採用されている。


 仮に、プロセスによる教育が本当に法律実務家養成に必要不可欠なのであれば、実務界が、プロセスによる教育を経ていない予備試験ルートの司法試験合格者を奪い合うはずがないではないか。
 このような実情から見ても、法曹養成にプロセスによる教育が必要不可欠だとの主張は根拠が全くないどころか、実務界では法科大学院の主張するプロセスによる教育は、全く評価されていないといわれても仕方がない。

 その点を措くとしても、仮に「プロセスによる教育」が、手間暇かけた双方向性の小人数教育を意味するのであれば、私の受けた旧司法試験制度下の司法修習制度はまさに「プロセスによる教育」だった。


 60人程度のクラスに5名の担当教官がつき、起案の添削や講評など、一体教官はいつ寝ているのかと思うほど、丁寧かつ双方向性を維持しつつ手塩にかけた教育を施してくれた。各実務庁でも丁寧に双方向性の高い実務教育をして頂いた。
 この司法修習制度は、当初2年だったが、途中で1年半となり、現在は1年に短縮されている。

 仮に上記の意味での「プロセスによる教育」が、法曹養成に必要不可欠であったとしても、それは司法修習制度でも実現出来ていた教育なのであるから、法科大学院教育の専売特許ではないのである。

 近時、法科大学院を修了させることなく、法科大学院在学中の司法試験受験を認める制度改正が行われたが、これは、法科大学院によるプロセスによる教育が完了していない状態で司法試験を受験させることであり、法科大学院が主張してきた「プロセスによる教育」それ自体が大して意味がないことを自ら認めていることと同義である。

 さらにいえば、法科大学院卒業生が多数を占める司法試験受験者の中で、いまだに論点暗記勉強しかしていないと思われる答案が続出していることが、司法試験の採点実感等において明らかにされている。法科大学院の主張する、プロセスによる教育の結果が、司法制度改革時に避けるべきと強調された論点暗記勉強として結実していることは、実に皮肉である。

 そうだとすれば、法科大学院の存在意義はどこにあるのか。

 法曹教育に関与する権限を得た文科省の既得権の維持、少子高齢化のなかで将来的な学生の確保に汲々としていた大学側及びその関係者の権益の維持、くらいしか考えられないのではないか。


 その権益維持のために、文科省、法科大学院等特別委員会、法務省は、小手先で制度をあれこれいじることに20年も注力し続け(いまだに法科大学院の教育方法、教育内容等について改善が必要であることは、司法試験の採点実感で指摘され続けている。)、法曹志願者に不安を与え続けてきたのである。

 日弁連執行部は、未だ法科大学院礼賛の意見のようだが、導入に賛成した以前の執行部の失態を糊塗するために、法科大学院教育の問題点を無視するのではなく、現実を見て正しい判断をすべきと考える。

 君子は豹変す、というではないか。

 正しい道に戻れないのであれば、日弁連執行部は少なくとも君子ではないというほかない。

(この項終わり)

法科大学院は非効率!?~1

一つ例え話をする。

 あなたが費用を出して、農家の方に、稲の栽培を依頼すると仮定する。

a 種もみを一面、田んぼに撒いて、芽を出すか分からない全ての種もみに対して手間とお金をかけて育てさせる、
b 種もみを苗代に播いて、芽を出してきた中から生育の良い稲を選んで、その稲を田んぼに植えて、手間とお金をかけて育てさせる、

 どちらが効率的だろうか。

 こんな簡単な問題、馬鹿にするな、とお考えかもしれない。
 まあ、おそらく99%以上の方は、bの方が効率的だと考えるだろう。

 aのように、全ての種もみに手間とお金をかけて育てようとすることは当然費用は高くつく。発芽しなかった種もみにかけた手間とお金は、完全に無駄になるうえ、発芽してきた稲に対してもbと同様の手間と費用がかかるからだ。
 したがって、bのように、自ら発芽し、より成長する能力を見せた稲を選抜して、その稲に手間とお金をかけた方が、より効率的に優れた稲を育てることが可能と考えられるはずである。

 ところが、これを法曹養成制度に当てはめて考えると、次のようになる。

① 法律実務家として十分な法的能力を身に付けられるかどうか全く未知数の学生に対して、税金を投じた法科大学院に入学させて教育を施し司法試験合格を目指す。さらに合格後に短い司法修習を行う。
② 司法試験を実施し、法律実務家として耐えうる法的能力を身に付けたことをはっきり示した合格者を、司法修習制度で税金をかけてじっくり丁寧に育てる。

 かなり図式化しているが、①は現状の法科大学院制度であり、②は、旧司法試験制度と考えていい。

 日本のように限られた財政のもとで、優秀な法律家を効率的に養成しようと思えば、法科大学院に税金を投入する①の方法よりも、司法試験合格者に税金を投入する②の方策の方がはるかに有効且つ妥当であろう。

 この点、法科大学院推進者からは、「法曹養成にはプロセスによる教育が必要不可欠であり、法科大学院はそのプロセスなのだ」との反論がくるだろうから、一言述べる。

〔続く〕

無駄無駄無駄無駄・・・・

 ある会社の取締役が、こういう機械を導入して製造すれば、これまで以上に優秀な製品をたくさん生産できると豪語したので、費用を投入して取締役の主張する機械を導入した。ところが、導入した機械は、その取締役の豪語するような性能を発揮するどころか機能不全を起こし、機械の半数以上が壊れた状態になっている。
 しかもその取締役は、機械導入から20年近く経っても成果が上がらず惨状が明らかになっているにも関わらず、機械が上手く動けば上手く行くはずだと言って、機械をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 さて、このような取締役はどう扱われるのが正しいだろうか。

 会社の話であれば、このような取締役は、当然責任を取らされて、クビになっているはずだ。会社のお金を無駄に使われれば、株主だって黙っていないだろう。

 ところで、この話を法科大学院制度に変えて見るとこうなる。

 法科大学院導入(推進)論者が、法科大学院制度を導入して法曹養成を行えばこれまで以上に優秀な法曹をたくさん生み出せると豪語したので、国は、多額の税金を投入して法科大学院導入論者が主張する法科大学院制度を導入した。ところが、法科大学院制度は、導入論者が豪語したような効果を発揮できず(司法試験合格率に関して、予備試験ルートは約95%、法科大学院卒業者は約40%未満)、半数以上の法科大学院が潰れている。
 しかも、法科大学院導入論者は、法科大学院制度導入から20年近く経っても優秀な法曹を生み出すという成果をあげられず(司法試験合格率で予備試験ルートに大差をつけられ惨敗状態)、惨状が明らかになっているにもかかわらず、制度をいじれば上手く行くはずだと言って、法科大学院制度をあれこれいじるだけで何ら結果を出せていない。

 このような法科大学院推進論者は、当然責任を取らされてクビになっていなければならないのではないか。多額の税金を使われた国民だって、事実を知れば黙っていないだろう。
 しかし、現実には、法科大学院推進派の学者と実務家が雁首揃えて、法科大学院制度をあれこれいじることに注力し、司法試験受験生に不安を与え続けている(文科省、法科大学院等特別委員会など。)

 ちなみに、司法試験予備試験は、法科大学院課程を修了した者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する目的で実施されている(司法試験法5条参照)。
 つまり、司法試験予備試験合格レベルは、国が想定する法科大学院修了者と同レベルなのであり、法科大学院教育がキチンとなされているのであれば、司法試験の合格率において、予備試験組と法科大学院修了者組とで大きな差が生じるはずがないのである。

 荒木飛呂彦先生の漫画ではないが、「無駄無駄無駄無駄・・・・」と言いたくなるときもある。

ブログ復旧のお知らせ

ワードプレスの予期せぬエラーから、当事務所HPと私のブログの表示と更新が出来なくなっておりました。

インターネットやサイト関連でいつもお世話になっている、Creative Firm EFFECTの北村さんのご尽力により、復旧致しましたので、ご報告させて頂きます。

北村さん、遅くまで、大変な作業を、有り難うございました。

初冬の上高地

今年も1年間、有り難うございました。

 私が代表を務めております、ウィン綜合法律事務所は、本年の業務を本日(12月28日)で終了致します。

 思い返せば、今年は1月に、府中市美術館での諏訪先生の展覧会の会場にて、先生とツーショット写真を撮らせて頂けるという望外の幸運に恵まれ、3月には日本循環器学会学術集会で講演と法律相談を担当させて頂きました。弁護士業の傍ら、大学、大学院での演習も担当し、来年に出版される予定の、共著の書籍もなんとか原稿を仕上げるところまで、到達できました。

 プライベートでは、春には京大での恩師である中森喜彦先生(京大名誉教授)と中森ゼミの同期の仲間の方々と奈良の山の辺の道を散策(中森先生お元気で何よりです!)、夏にはコロナで延期されていた司法修習53期の20周年記念会とゴルフコンペ(スコアは悪かったのですがダブルペリアで優勝!)に参加。秋にはゴルフ仲間の方に誘って頂き、川奈ゴルフ倶楽部富士コースを回る機会に恵まれるなど、楽しい時間を過ごすことも出来ました。

 今年もなんとか無事に一年間を過ごすことが出来たのも、ひとえに、当事務所をご支持、ご支援頂いた方々のおかげであり、皆様方には、厚く御礼申し上げます。

 当事務所は、新年は1月5日より営業を開始致します。

 皆様におかれましても、健やかで心温まる新年をお迎えされますよう、当事務所のスタッフ一同祈念しております。

今年1年間本当に有り難うございました。

(NZテカポ湖畔~バウンダリー犬の彫像)

法科大学院教育の敗北

 司法制度改革の、起点となった司法制度改革審議会意見書には次のような記載がある。

 「司法試験という「点」のみによる選抜ではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備することが不可欠である。そして、その中核を成すものとして、大要、以下のような法曹養成に特化した教育を行うプロフェッショナル・スクールである法科大学院を設けることが必要かつ有効であると考えられる。」

 要するに、上記意見書は、法曹養成にはプロセスによる教育が不可欠で、その中核として法科大学院教育が必要かつ有効、と断言しているわけだ。

 法曹養成にプロセスによる教育がなぜ不可欠であるのかについて、これまで誰一人説得的な理由を述べてくれたことはないし、司法制度改革審議会意見書にもその明確な理由は書かれていない。

 それでも百歩譲って、法曹養成にプロセスによる教育が不可欠だと仮定して考えた場合、法曹になるために不可欠なプロセスによる教育を一番たくさん受けてきた者が、最も司法試験に合格しやすくなければおかしいはずである。

 今年の司法試験受験生を見ると、つぎの3ルートからの受験生が考えられる。

 予備試験ルート組(法科大学院を経由していないか、中退したプロセスによる教育が及んでいない組)、
 法科大学院在学組(法科大学院を経由しているが、実際の教育課程2年のほぼ半分しかプロセスによる教育を受けていない組)、
 法科大学院卒業組(法科大学院の教育課程を修了し、法科大学院を卒業した、最もプロセスによる教育を受けた組)、

 プロセスによる教育を受けた度合いを比較すれば、当然

 法科大学院卒業組>法科大学院在学組>予備試験ルート組

 となるはずだ。

 そうだとすれば、仮に法曹養成にプロセスによる教育が必要なのであれば、司法試験は法曹となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかを判定する試験なのだから(司法試験法1条)、司法試験合格率も上記のプロセスによる教育を受けた度合いに比例しなければおかしいだろう。

 しかし、今年の司法試験合格率は以下のとおりである。
 予備試験ルート組92.6%
 法科大学院在学組59.5%
 法科大学院卒業組32.6%

 予備試験ルート組>>法科大学院在学組>>法科大学院卒業組

 つまり、プロセスによる教育を最も長期にわたり受けてきたはずの法科大学院卒業組が最も合格率が低いのである。


 すなわち、法科大学院のプロセスによる教育が、法曹養成に関して意味をなしていないということであり、それ以外の理由が見出しがたい。


 優秀な学生は、予備試験や在学中受験に流れるので、やむを得ないとの法科大学院側の反論もありうるかも知れない。しかし、そもそも法科大学院入試時に、法科大学院教育を施せば法曹になる見込みのある人材を選抜している(法科大学院で教育しても合格不可能な学生を入学させているのであれば、詐欺的であろう。)以上、法科大学院がキチンと教育すれば合格レベルになるはずで、教育成果が身についているかについても厳格な修了認定をしていると自認しているのだから、何ら反論にはならないだろう。

 つまり、一言で言えば、


 法科大学院のプロセスによる教育は、法曹養成に関して、実に見事に敗北しているのである。

「司法試験合格者の質は落ちているのか?」論争の参考資料:平成13年度司法試験(旧司法試験)

 某サイトで、司法試験合格者の質の問題が議論になっていたようなので、昔のデータを参考までに示そうと思う。

法務省HPで手に入る最も古いデータは、平成13年である。

平成13年度司法試験は、
総出願者数38,840名
最終合格者990名
だった。
 これでも平成元年の2倍ほどの合格者数であり、合格者を増加させた結果の最終合格者だった。

 なお、論文試験合格者に関して、「おおよそ5/7は受験回数に関係なく合格させ、残り2/7は受験回数3回以内の受験生からしか合格させない」という丙案が実施されており、受験回数の少ない受験生が圧倒的に有利な状況下で実施されていた。

最終合格者の多い大学トップ10
東京大学   206名
早稲田大学  187名
慶應義塾大学 100名
京都大学    90名
中央大学    76名
一橋大学    36名
大阪大学    34名
明治大学    27名
上智大学    19名
同志社大学   17名
である。

上記トップ10の大学の出願者数は
東京大学   2764名
早稲田大学  4949名
慶應義塾大学 2535名
京都大学   1515名
中央大学   4863名
一橋大学    719名
大阪大学    630名
明治大学   1941名
上智大学    585名
同志社大学  1157名
である。

最終合格者数÷出願者数で単純合格率を計算すると
東京大学   7.45%(13.4人に1人合格)
早稲田大学  3.78%(26.5人に1人合格)
慶應義塾大学 3.94%(25.4人に1人合格)
京都大学   5.94%(16.8人に1人合格)
中央大学   1.56%(64.1人に1人合格)
一橋大学   5.01%(20.0人に1人合格)
大阪大学   5.40%(18.5人に1人合格)
明治大学   1.39%(71.9人に1人合格)
上智大学   3.24%(30.9人に1人合格)
同志社大学  1.47%(68.0人に1人合格)

この計算からすれば、
東大・京大卒(在学中も含む)の受験生でも、14~15人に1人しか合格しない、
早大・慶大卒(在学中も含む)の受験生でも、25~26人に1人しか合格しない計算になる。

 もちろん、出願者全員が受験したわけではないだろうし、記念受験者もいたので、真剣に法曹を目指していた者の実質上の合格率は上記の数字より多少落ちるだろうが、今年の司法試験のように合格率42.8%(ほぼ2.3人に1人合格)と比較すれば隔世の感がある。

 ちなみに平成元年の(旧)司法試験一発合格者数は僅か4名。
 令和5年度司法試験の一発合格者数は1584名である。