最近まで知らなかったのだが、法科大学院協会が司法試験に関して、法科大学院に対してアンケートを行い、その結果を公表している。
これは、法科大学院協会が法科大学院に対して行うアンケートに答えるものである。
法科大学院制度が維持できなければ職を失うかもしれない法科大学院教員にすれば、法科大学院は維持して欲しい制度であろうから、
法科大学院の教育はうまくいっている、
法科大学院のおかげで生徒はみんな優秀に育っている、
法科大学院では厳格な修了認定も実施して、レベルの低い受験生は送り出していない、
等の現状の法科大学院制度万歳!という意見ばかりかと思っていた(確かにそのような意見も多い)。
しかし、意外にも、付記意見の中には、こんなレベルで合格させても良いのか、という現状を憂えた勇気ある意見もわずかながら見出せるのである。
法科大学院制度教育の当事者でもあり、本来ならきちんと教育できていると主張すべき立場にあるはずの法科大学院の教員などから、「こんな学生のレベルで合格させても良いのか」といわんばかりの意見が出るということは、今の法科大学院制度下の司法試験合格レベルは、現状では相当やばいレベルまで下がっている、ということではないかと思われる。
以下、令和5年度法科大学院協会、司法試験に関するアンケート調査結果報告書の付記意見からいくつか引用する。
(法科大学院側の意見)
・本年は合格者が増加したこともあるが、皆がそれに見合った水準に到達しているのだろうか。周囲を見る限り、個々の分野である程度のミスをしても問題ないと考えているものが多い。受験生としては「ある程度のミス」でも、専門家の目には「致命的なミス」のように見えるものでも、最低ライン点を下回ることはないように思われる。 医師国家試験のように、一発アウトとする関門(論文試験でそういうポイントを設定できるかはわからないが)を設定しても良いのではないだろうか。(p53)
→(坂野のコメント)
司法試験において、専門家から見れば致命的なミスを犯していても合格できてしまっているようだ、せめて最低基準を設定しその最低基準をクリアできない受験生は落とすべきではないか、との意見である。おそらくこの教員の方から見れば、どう考えても合格できない、合格すべきでない受験生までもが、現在の司法試験で合格してしまっているということなのだろうと思われる。
(法科大学院側の意見)
・現状は、出題趣旨や意見に沿った答案・解答になっていなくても、問題なく合格できる状況にあるのではないかと想像します。(p68)
→(坂野のコメント)
要するに出題趣旨や採点者の意見に沿わないトンチンカンな答案であっても、問題なく司法試験に合格してしまっている状況にある、との意見である。司法試験問題の法的意味すら把握できなくても、出題の趣旨に沿わない答案しか書けない学生でも、司法試験に楽々合格できてしまっている現状を見てこられたのだろう。
(法科大学院側の意見)
・行政法担当者の中には、基礎的知識の確実な修得のために短答式を導入すべきという意見もある。(p74)
→(坂野のコメント)
基礎的知識が不足したままの受験生ばかりであり、基礎的知識を身に付けさせるためには短答式試験を課すなどして勉強する契機を作らないと、基礎的知識すら身に付けられないまま司法試験に合格し実務家になってしまうということだろう。裏を返せば、それだけ基礎的知識に欠けていても司法試験に合格してしまっている実情があるということである。
(法科大学院側の意見)
・試験科目が多く、とりわけ在学中受験者にとっては負担が増す一方で、試験合格の水準が薄く広くという表面的な処理能力・理解力のチェックとなり、合格水準は下がっていると感じている。(p84)
→(坂野のコメント)
ずばり、合格水準は下がっていると明言している。法科大学院教員から見ても、きちんとした理解ができず、表面的な理解しかしていないため、合格できないだろう、合格させてはダメだろう、と思われる学生がどんどん合格していく状況を目の当たりにしているから、このような感想になったものと思われる。
(法科大学院側の意見)
・受験生・司法試験合格者の法的資質の向上という観点からは、間違った勉強法・思考法を身につけた者はきちんとはじくことが必要である。誰も書けないがゆえに「赤信号みんなでわたれば怖くない」という状態で、できない学生であっても相対的にはそれほどマイナスにならないという事態はなるべく避けることが求められる。そのためには、出題形式の工夫のほか、出題の趣旨・採点実感を通じて、あるべき勉強方法を示し続ける必要があると思われる。当局においては既にその努力をしていただいているところではあり、またそう容易なことでもなく、一朝一夕にできることでもないが、今後も工夫を加えながらも引き続き上記の観点からの取組みをしていただけるようお願い申し上げる。学生が、出口である司法試験で「それができなくても不利益を受けない」と考えるなら、法科大学院の一教員が教室でいくら言ってもそれを真剣に受け取ってもらうことは難しいためである。(p89)
→(坂野のコメント)
司法試験の問題なんて、どうせみんなきちんと解答できないから、きちんと解答できるだけの勉強までしなくても、自分なりの勝手な方法でいいや、受験者の中で上の方にいれば合格できるからそれでいいや、という学生がどんどん合格してしまっていることに危機感を抱いているということであろう。
いくら法科大学院教員が、この点についてはきちんと理解しておかないと実務家になった時に弁護過誤で甚大な被害を顧客に引き起こす危険がある、と考えて熱心に解説しても、「そんなこと知らなくても司法試験には受かるじゃん」、という認識が広まれば、人は易きに流れるので、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくてもいいや、と考える者が大半となっていくであろう。
そして、いくら教員が「~という考え方・思考方法が大事だ」、と説明しても、正しい考え方・思考法に至るまで苦労して勉強しなくても司法試験に受かるなら、人はそこまで勉強しないのだ。だからこそ、考え方・思考方法がダメな奴は、司法試験でしっかり落として欲しいという見解であろう。
つまり裏を返せば、しっかり勉強せずに、間違った勉強法・思考法を身に付け、本来司法試験で落ちるべき受験生でも、楽々合格している現状があるということである。
京都本満時の枝垂れ桜(2018)