法曹養成制度改革顧問会議はなにやってんの?~その2

 法曹養成制度改革顧問会議が、一部の顧問を除いて、なぜか法科大学院の太鼓持ちのような会議を続けていることは、先日のブログでも記載したが、さらに、追加して法科大学院卒業者の弁護士さんからのヒアリングを行う予定と聞いた。

 しかも日弁連が協力して行うのだそうだ。

 もう一度いう。

 改善するなら問題点を徹底的に追及する必要があるのだ。問題が生じている部分を取り上げ、なぜその問題が生じているのか、どうすればその問題を解決できるのか、について真剣に検討して初めて改善への道が開けるはずである。

 あるうなぎ屋さんが、不味い蒲焼きしか出せない場合、不味い蒲焼きになってしまう原因を徹底追及して、その原因を改めない限り、永遠に不味いうなぎ屋さんから抜けだせない。いくら美味い鰻の蒲焼きを作るという理念があって、その理念が正しくとも、理念は実現できて初めて意味がある。たとえどんなに正しくとも実現出来ない理念など、お客にとってなんの意味もないのである。
 そのうなぎ屋さんが、ごく希に運良く非常に良い質の鰻に巡り逢い、たまたま不味くない蒲焼きができたとする。そして、そのたまたまできた不味くない蒲焼きの味を、わしの理念通りだと、自画自賛することに終始していたとする。このうなぎ屋さんは、その後、美味しい蒲焼きを焼けるようになるだろうか。おそらく普通に営業する限り、無理だ。将来にわたって不味い蒲焼きを焼き続けることになるだろう。

 問題点から目を背け、全く改善しようとしていないのだから当然である。

 以上の例からも、わかるように、法科大学院制度の問題点を探るなら、厳格な認定を受けて法科大学院を卒業しながら司法試験に合格できなかった方々、法科大学院から実力を身に付けてもらったとは到底感じられない方々からヒアリングを行い、原因を追及して、その原因を改めるしかないはずだ。

 法曹養成制度改革顧問会議・日弁連は、そんな簡単なこともやらないで、いつまで、法科大学院制度の問題点から目を背け続けるのだろうか。

「民法改正の真実」 鈴木仁志著(講談社)

 鈴木仁志弁護士の「民法改正の真実」(講談社)を読んでいる。

 非常に面白い。

 私も法曹の端くれとして、民法に携わってはいるものの、実は、どうして民法改正が必要なのか、さっぱりわからずにいた。確か、大阪弁護士会の常議員会で、民法改正に関する弁護士会の意見書を決議するときに、「改正を必要とする立法事実があるのか」と質問したことがあるが、「立法事実はない」という回答だったようにも記憶している。

 立法事実がないということは簡単にいえば、民法を改正する必要性がないということである。どうして改正の必要性のないものを改正するという話になっているのだろうか。

 私も、大学や大学院で講義している際に、学生に対する雑談として民法改正に触れ、立法事実がないのに民法改正をしようとしているのは、学者の自己満足ではないかと冗談で話したことがある。

 つまり、こうである。

 民法学者として最高峰ともいうべき我妻榮が構築した民法理論、体系についてこれを超えるだけの業績を上げた民法学者は見当たらない(例えば、私が司法修習中に見学した民事部の裁判官室には必ず我妻榮の民法講義~岩波書店刊~が常備してあった。このように、実務界に於いても我妻民法の影響は巨大なものである。)。 つまり、今の民法学者はどうあがいても、40年前に亡くなった巨星・我妻榮に対して正面からはかなわない。そうとなれば、自分が民法の第一人者として歴史に名を残すためには、我妻の構築した民法理論・体系と違うところで勝負するしかない。それなら、我妻が構築した民法理論の前提たる民法自体を変えてしまえば良いのではないか、そうなれば我妻の影響のない新民法の下で、自らが第一人者となることも可能であるし、新民法制定に尽力した者としても名前が残る。
 そうとでも考えないと、民法改正を必要とする理由もないのに、敢えて一部の学者が膨大な時間と労力をかけて民法改正をするわけがないのではないか。

 あくまで冗談だと前置きしてであるが、概ねこのような雑談をしたことがある。
 学生の反応は、そんな、わがままな子供のようなことをエライ学者の先生がするはずはないんじゃないの、というものであったし、私も冗談なので深く考えて話したというわけでもなかった。

 ただ、「民法改正の真実」を読むと、上記の雑談での冗談が、冗談とは言い切れない可能性がどうやらあるかもしれない。

 本書の著者である鈴木仁志弁護士は、その著書「司法占領」(講談社文庫)で、司法改革の問題点を指摘し、荒唐無稽な指摘といわれたらしい。しかし、鈴木弁護士が指摘した問題点のうちいくつかは、そんな問題は生じない(考える必要はない)という有識者の無責任な判断に反して、不幸にも現実化してしまった。脳天気な有識者よりも、よほど先を見通す目をお持ちの方のようである。

 その著者がまた、警鐘を、しかも大きな音で鳴らしているのだ。

 本当に民法改正を行ってしまって良いのか、少なくとも法曹実務家の方々には、本書を是非読んで頂きたいと強く願う。

ゴルゴ13,危機一髪?

 先日、深夜番組で「ゴルゴ13」のアニメーションをやっていた。

 休日前ということもあり、ボンヤリ見ていた。

 内容は、ゴルゴを倒そうとする女性スナイパーが、色仕掛けで信用させてゴルゴを罠にはめるというものだった。罠にかかったゴルゴは、数多くの敵に包囲され、絶体絶命のピンチに陥る。ゴルゴは、上半身裸でなんとか、包囲網をかいくぐり、銃弾が雨あられと降り注ぐ中、かろうじて自動車に乗り込み逃走する。
 もちろん、敵も数にまかせて、多数の車両でゴルゴを追う。

 ゴルゴ逃げ切れるか!?

 緊迫の場面で、CM。

 そしてCM後、ゴルゴは相変わらずカーチェイスしながら敵からの逃走を続けていた。しかし、その場面に違和感、それもかなり強烈な違和感が。

 理由は簡単・・・・・力いっぱい逃走中のはずのゴルゴは、しっかりと、シートベルトをしていたのだ。もちろん上半身は裸のままだ。

 そもそも、違法な仕事を請負うゴルゴにどこまで遵法精神があるか不明だが、とにかく銃撃を受け自らの命が危険にさらされているような緊急時である。シートベルトをしていては敵に殺されてしまうだろう。

 この場面だけで、リアリティはゼロまで落ちた。

 確かに、法律は守らなければならないんだが、エンディングで必ず「このお話はフィクションです」と表示されるのだから、フィクションの中だけでもリアリティを追求して欲しかった。
 私がいうのも何だが、最近のテレビメディアは理不尽な批判を怖がる余り、表現の本質を見失っているような気もしないではない。