どうするの新人弁護士の就職

 私が京都大学時代に「ニワ子でドン」という勉強会に参加していたことは、11月13日のブログに書きました。

 その、勉強会仲間である、谷口弁護士の2月26日のブログによると、京都弁護士会の行った修習生向けの就職説明会では、修習生参加希望者109名に対し、採用側の弁護士はわずかに4名だそうです。

 この状況で、どうして「弁護士の就職難は疑問だ」と朝日新聞が言い張れるのか(私の2月18日記載のブログ参照)、いまだに理解はできませんが、61期の修習生の就職に関しては、相当、危機的状況にあるようです。

 大阪弁護士会からも、新人弁護士を採用するようにと要請がありましたが、昨年度かなり無理して新人弁護士を採用した事務所も多いと聞いていますので、大幅に求人数を増やすことは極めて困難な状況にあると思われます。

 思い起こせば、日弁連平山現会長は、2010年まで就職は大丈夫とお考えだったのですから、当然現状の就職難に対する解決策については、平山会長が知っておられるはずです(私の11月9日付ブログをご参照下さい。)。

 61期の修習生の方に対して、日弁連の平山正剛会長は、直ちに解決策を提示すべきです。その上で会長職を退くのが筋でしょう。

 そして平山氏は、退任後は、おそらく、自ら解決できなかった弁護士過疎問題の対策として地方のゼロワン地域に向かわれることでしょう。なぜなら、平山会長は私利私欲や名誉欲のためではなく、日弁連、弁護士全体の利益のために会長選挙に立候補したはずで、自分の任期中にそれが達成できなかったのですから、残された問題について、自ら解決に向かわれるのは当然だと思われるからです。

 でも、地方に行かれる前に、逃げずに、61期の就職問題を解決して下さいね。貴方は2010年まで就職問題は大丈夫だとマスコミに声を大にして発言なさり、私達の質問にもお答えにならなかったのですから。

新司法試験考査委員へのヒアリング(商法)、質疑応答

 民事系科目の最後は商法です。

 商法の新司法試験考査委員は、次のように述べている部分があります。

 ①比較的オーソドックスな問題を中心に問うものであったため、両設問とも解答のポイントを極めて大きくはずれているという答案はあまりなかった。

→そりゃそうでしょう。あの問題で中心論点をはずすようでは、法科大学院で寝ていたとしか思えません。

 ②全体的な答案の水準については、出題者の期待に達していたとは言えない、あまりレベルは高くはないという意見と、それなりの水準には達しているのではないかという意見が分かれていた。それなりの水準に達しているというのは、いい水準にあるというよりは、昨年の経験なども踏まえて同じくらいのレベルだろうということであり、我々が想定した水準と大きくはずれたものではないということで、その程度のものである。

→それなりの水準が昨年と同程度というのであれば、問題ですね。昨年度の合格者でも、あとで勉強するくらいでは追いつけないほどの基礎的知識不足の者がいると指摘されているのですから。

 ③議論の幅が非常に狭い、一つの点だけしか論じない、そういう答案が結構あるのは未習者の影響かもしれないという意見が若干あるものの、全体的には、未修者が受験したことの影響については、商法分野ではハッキリしないという意見が一般である。

→全くの未修の方が3年で基礎的知識と要件事実の基礎、リーガルマインドが身に付けることは大変です。よほど頭の良い人でないと困難でしょう。既修者は2年の法科大学院ですから、単純に考えれば大学法学部の4年間分の勉強を1年でやらなければならないからです。

 ④本件問題で、企業提携とシナジーの分配であるとか、ファイナンスの側面の知識もある程度織り込みながら議論している答案も少数ながらあったわけで、それなりに法科大学院における商法科目の教育効果が上がっているという意見がある一方で、昨年もそういう傾向があったと思うが、新株発行無効事由とか取締役の任務懈怠責任、経営判断原則などの抽象的な法的命題はそこそこ書けているとしても、具体的な事実関係にそれらを当てはめる際に、事実関係の特質を踏まえた検討が十分にされているかについては、先ほどご指摘があったとおり、まだまだ改善の余地が商法に関してもあるというのが圧倒的な多数意見であった。

→法科大学院の教育効果であれば、相当多数者がシナジー、ファイナンスなどの知識を織り込んで答案を書いてもおかしくありません。むしろ、企業などでの実務経験者の方が書かれた答案だと考えるのが素直でしょう。そもそも、事実関係の特質を踏まえた検討を十分できる法律家を養成するのが法科大学院ではなかったのでしょうか。それもできていないのでは、問題ありでしょうね。

 ⑤例えば非常に高額の賠償責任があるという結論を、ごく簡単に下してしまっているものがあり、このようなもので実務家になるのはいかがなものかと思われる。つまり検討すべき事が検討されていない。あるいは、もうちょっと考えればいろいろな解決の手段があるのに、そこに思い至ろうとしない。こういったことが問題ではないかという指摘もあった。

→そのような受験生は、まさか合格させていないのでしょうね。合格率がそこそこ高いので、私としては心配です。

 続いて質疑応答です。

①新司法試験委員から、「旧司法試験では問題文も短く、金太郎飴的といわれる論点丸暗記のような答案が多いのが問題になっていたが、新司法試験の問題は画期的な改善がなされている」と自画自賛した上で、「法律の基本をしっかり習得した上で、更に具体的事実の当てはめ応用ができる能力が、法科大学院で養成できているか」との質問が考査委員になされました。

→無論新司法試験委員ですから、旧司法試験に批判的な立場の方のご発言でしょう。旧司法試験の答案が金太郎飴的答案というのは、よく使われる表現ですが、それは旧司法試験の試験問題に対する答案としては、やむを得ない点はあったと思います。同じ問題にいくつも違う解答がある方がむしろおかしい場合もあるはずです。しかし、受験経験者として断言しますが、丸暗記で合格できる試験では絶対にありませんでしたし、その中でも歴然と実力差によって優劣はつきました。

・理想と現実にギャップがあるのは確かである。(中略)工夫はしているしある程度の効果は上がっていると自負もしているが、一方でちょっと難しい試験をすると、私の教えている法科大学院の学生でも半分くらいの学生はよいが、それよりすこし下になると大丈夫かなと思う部分は正直ある。

→だったら何故、半分以上の院生が法科大学院を修了して、法務博士になっているのでしょうね?恐ろしくないのでしょうか。また、理想と現実にギャップがあるということは、既に理想の実現が困難ということではないのでしょうか。

・商法についていうと、私の教えている法科大学院では法学既修者で会社法の必修は2単位だけである。そこで何が教えられるかというあたりになると、担当していて限界を感じるところである。(中略)具体的な事例に即することにしても、必ずしも紋切り型の答案ばかりではなく、ある程度は事実関係を見ようとしている努力の跡はうかがえると言えるようになっているのではないかと思う。

→豊富な事実や情報が問題文に出るようになったのですから、当然でしょう。それより、あの膨大な会社法について、わずか2単位だけで何が教えられるのでしょうか。結局受験生の自助努力に任せているのではないでしょうか。

②未修者が初めて新司法試験を受けた点についてはいかがか?とも質問がありました。

・(未修者の)1割から1割強ぐらいの人は、法律以外のことをやってもおそらくできたんだろうと思われるような極めて広く深い理解力を持っていて、この人達は本当に純粋な未修者であっても3年間で既修者に追いつくし、一部の既習者を追いこすところまできている。ただ、やはり法律の議論ないしは、法律の理屈の立て方に慣れるのに少し時間のかかる人が全体としては多く、3年生になってもどうも基本的なところに弱みがある。また1割から2割くらいは、進路を間違えているのではないかといわざるを得ない人が混じっており、それが既習者よりは数が多いという印象である。

→未修者は法律の基本的な部分で弱い方が多いそうですが、それをきちんと克服した人を修了認定しているのでしょうね?進路を間違えたような人を修了認定していないでしょうね?修了率の高さから危険を感じます。

③今年の試験の平均点が低いが、未修者受験の影響はあると思うか、という質問もありました。

・今年の問題は意識的に基本を聞くということにしているため、問題の難易度は下がっている。にもかかわらず、実感として、出来は去年より少し悪いという実感を持っている。(中略)未修者に基本的な理解が十分ではない人が相対的には多いと思うので、結果的に全体の答案の出来が悪くなっているということに結びついている可能性は高いと思う。

・問題の難易度はそんなに変わらないのではないかと思う。そうだとすると平均点が下がった要因として、そういうこともあり得るのではないかと思う。

・何とも言えない。問題内容も違うのでなかなか比較は難しいと思う。

→基本的な理解が十分でない者を修了させていることは、これらの発言で明らかです。全体として合格者のレベルダウンが生じていることも明白ですよね。

④旧司法試験の時には、答案がみな紋切り型であり、その出来映えも良くないということが指摘されてきていたが、新司法試験になってその点はどうなのか。(中略)法科大学院教育の成果は徐々にでも上がっているという見方ができるのか、という質問もあります。

→これも、新司法試験委員の発言であり、旧司法試験に対する批判的立場の方の質問です。どなたか知りませんが、旧司法試験を採点したことがある方かどうか疑問です。なぜなら、旧司法試験と新司法試験では問われている内容が異なるのに、無理矢理同じ土俵にのせて比較しようとしているからです。考査委員から法科大学院と新司法試験を遠回しに批判されて、ヒステリックになっちゃったのではないかと思ってしまいます。この質問に対する考査委員の返答は次の通り、冷静です。

・論点を拾い上げるだけではなく、さらに、事実への当てはめを求める部分は旧司法試験ではあまりなかったので比較できない点があるが、数はそれほど多くはないものの、現に、事実への当てはめの部分についてきちんと書いてある答案もあるので法科大学院教育の成果が出つつあるのではないかと思う。

・旧試験と新試験では、問われている内容がすこし違うので明確に申しあげられないが、今高い水準にまでは届いていないのは確かである。しかし、だからといって全く成果がないかというとそうではなくて、少なくとも法科大学院の学生は、事例に即して自分で考えて答えを出さなければならないという意識は十分できつつあると思う。

→いずれも、事例に即して考える傾向が出てきたことは、法科大学院の成果であるとお考えのようです。しかし私の意見は違います。短い問題文で論点を拾い出させ、基礎的知識と論理力を試していた旧司法試験から、豊富な情報を与えて事案に即した解答を可能にした新司法試験へと、試験問題自体が大きく変わったからです。受験生は問題に応じた答案を作成します。情報を豊富に与えられ、その解決を求められれば当然事例に即して自分なりに考えて答えを出す方向に解答は傾くでしょう。

 しかし事案に即した解答を書けるかという以前に、大きく問題視されなければならないのは、法的解決を行う大前提である基礎的知識が不足している合格者が増加していることです。この点に関して新司法試験委員はなんら深く指摘することもなく、対策を取ろうともしていないようです。

 これまで、民事系科目の新司法試験考査委員のヒアリングを見てきましたが、思った通り、法科大学院制度は相当やばいのではないかというのが私の感想です。

 時間があれば、刑事系についても、新司法試験考査委員のヒアリングを検討してみたいと思っています。

新司法試験考査委員へのヒアリング2(民事訴訟法)

  昨日の続きになります。

  民事訴訟法は、少なくとも弁護士にとっては非常に大切な法律です。民事事件を処理せずに生活できる弁護士はそういないからです。民事事件で訴訟を起こす際に基本となる法律です。

 新司法試験委員のヒアリングを抜粋しますと、次のような内容となります。

 「→」の後の記載は私のコメントです。

①良く書けた答案もごく少数あったものの、残念ながらほとんどの答案の出来映えは芳しいものではなかった。

②この文書には押印がないわけで、いわゆる二重の推定の適用は、その前提を欠くにもかかわらず、それが適用されるとした者が相当多数あった。

→これって、結構基本ではないでしょうか?大丈夫?

③予定していた解答水準よりかなり低い水準の答案が多かった。その原因であるが、これは事例に即して考えるというところまで行き着くことができなかったからではないか、つまり、基礎知識というか、基礎理論の理解が極めて不十分であったからではないかと思われる。

→やはり基礎的知識の欠如は大問題のようですね。

④一般的・抽象的なところはかなり書かれていたわけで、その点ではまずまずという出来栄えだったが、やはり、事案に即して論じると言うことについては、物足りないものが多かったように思う。

→これは旧司法試験でもいわれていたように思います。

⑤昨年のヒアリングにおいても指摘があったところであるが、法科大学院においては、一般的な理論を具体的な事例に即して展開・応用する能力を涵養する教育が望まれるという意見が多数寄せられた。それとともに、基礎的知識の不正確さが目立ったが、法科大学院教育でこれが改善できるのか、疑問であるといった、法科大学院教育に対する悲観的意見が昨年より目立った。

→基礎的知識が不正確な修了者が多くいることは非常に問題なのではないでしょうか。

⑥法科大学院の修了生の多くは、融合問題を問うだけの水準に達していないのではないか、むしろ、個別分野の重要な制度を確実に理解しているかを試す問題を出題すべきではないかという意見が複数あった。

→これって旧司法試験のような問題の方が良いということでしょうか?

 これでも法科大学院は優秀な法律家を育てている制度だと言えますか?ここまで基礎的知識の欠如が言われるのですから、かなり危険な水準まできているのではないでしょうか。

 (続く)

新司法試験考査委員へのヒアリング1(民法)

 昨年度の新司法試験を採点した、新司法試験考査委員へのヒアリングが、法務省のHPで公開されています。

 民法の考査委員からの発言について、次のような内容の発言がありました。

 ①合格すべき水準に達していない答案の割合が過半数を上回っており、実務修習を受けるに至る能力を備えていないような合格者が多数出てしまうのではないか、こういう厳しい意見も複数あった。

 ②事案の分析あるいはあてはめの能力が極めて弱い。

 ③長い問題文を丁寧に読むという出発点において、まだ十分な力がついていない者が多い。

 ④法科大学院では要件事実の基礎の教育が行われるべきものとなっているが、その点、やはり十分出来ていないように思われる。

 ⑤受験生が個人個人の頭の中で得た知識が十分ネットワーク化・体系化できていないということであり、従来から指摘されている論点主義的で、論点がバラバラに浮かんでいる浅薄な理解がまだまだ少なくない。

 ⑥答案のバランスが悪さが指摘できる。

 ⑦文章が箇条書きのようにぶつ切りで、論理に脈絡のないものもあり、また、誤字が非常に多かったり、極めて読みにくい略字を使ったり、あるいは走り書きになっている答案もあった。およそ他人に読んでもらう文章を書くという試験以前の常識にかけている答案が少なくないと感じており、このことは非常に大きな問題である。

 ⑧法科大学院に求めるものは、今、述べたことの裏返しになる。境界領域や発展的な問題の理解も大事であるが、それよりも、事案の分析力を磨き、基本的な理解を確実に得させることに重点を置くべきであろう。

 ⑨出題形式として大大問には限界があるという意見が、圧倒的多数といえないとしても、相当多数になってきている。

 民法は、基本中の基本であり、この理解なくしては法律家をやっていくことは出来ません。

 それなのに、実務修習に耐えられないような理解しかない者が多数輩出してしまうのが(①)、法科大学院といえそうです。また、論点主義を批判して出発したはずの法科大学院でも相変わらず論点主義的な学習しかできない者もいます(⑤)。なにより、基本的理解を確実に得させるべきであると酷評されている点は重大です(⑧)。少なくとも、旧司法試験では、基本的理解が欠けている者が合格する可能性は極めて低いものでした。何故なら競争率が高いので、基本的理解が欠けている者はどんどん落ちていったからです。

 この司法試験考査委員の話を見ると、少なくとも基本的理解が欠けている者が合格する可能性が低いだけでも旧司法試験の方が良かったのではないかと思われます。無論、旧司法試験の問題点について、後の質疑応答で述べられていますので、後ほど紹介することになると思いますが。

 何度も言いますが、法科大学院卒業の方でも上位の方は旧司法試験合格者と同等以上の力をお持ちだと思います。しかし、全体としてみたとき、実務修習にすら耐えられないような人材を輩出している法科大学院は、本当に優秀な法律家を産み出していると言えるのでしょうか?

(続く)

広い海なのに

 イージス艦「あたご」と漁船の衝突問題が、新聞等をにぎわせています。

 フェリーに乗ったことのある人なら、誰だって、あんなに広い海なのに、どうして船同士が衝突するの?と不思議に思われるかもしれません。しかし、私には、船の衝突はそう不思議ではない出来事のように思えます。

 私は、小学校の頃から父親の小さな漁船に何度も乗せてもらったことがあり、大物を狙って潮岬の沖合まで出漁したことがあります。

 父親が仕掛けを投入するときなどは、私が舵を任されたりするのですが、これが意外と大変です。まず、まっすぐ走らせることがずいぶん大変なのです。 風や波で船の進行方向はすぐにぶれますし、舵を切ってもすぐには船は反応してくれません。エンジンを止めても惰性で相当程度進んでしまいます。また、波の具合で、思った以上に舳先がとられてしまうことも多いのです。

 しかも、船それぞれが大きさが異なるうえ、スピードを測る基準となるもの(建物など)がありませんから、遠くをゆっくり走っているように見える大きな船が見えた場合、安心してよそ見などしていると、実は漁船よりはるかに速いスピードを出していることも良くあります。そのようなときは、それこそ、あっという間に間近まで迫ってきて、どっちによけたらいいのか慌ててしまうこともあります。どれだけ私が経験を述べても、実際に体験されなければ、お分かりにはならないと思いますが、それこそ、あっという間にすぐ近くまで来てしまうのが船同士なのです。しかも、大型船は漁船が近くにいてもちっともよけようともしないのが常でした。漁船の方が小回りがきくので、勝手によけろといった感じもあり、ひょとすれば、それが悪しき慣行のようになっていたような気もします。

 おそらく漁船から見れば、イージス艦「あたご」の緑燈・赤燈が見えていても、どのくらいの大きさの船で、どのくらいの速度が出ていたかは、夜であったため分からなかったのではないかと思います。それは「あたご」から見ても同じだった可能性があります。ただ、漁船が多く往来する海域であることは分かっていたでしょうから、仮に漁船がよける慣行があったとしても、漁船より明らかに大きな船舶であるイージス艦の方がもう少し注意しておく必要があったのかもしれません。

ダッハウ強制収容所

 司法試験合格後、司法修習が開始されるまでの間の冬に、ヨーロッパ旅行ができたことについては、8月31日のブログでも書きましたが、 その旅行でミュンヘンを経由した際に、訪れたのがダッハウ強制収容所です。

 その旅行では、ミュンヘンであまり時間がとれなかったことから、見たいと思っていた、ミヒャエルエンデのお墓orダッハウ強制収容所のいずれかを選択しなければなりませんでした。

 私は、後者を選択しました。エンデのお墓であれば、年を取って再訪する機会があれば見ることができましょう。しかし、ダッハウについては、出来るだけ早い時期に見ておかなければならないような気がしたのです。

 ミュンヘンから近郊電車でダッハウの駅まで。そこからバスで強制収容所跡に向かいました。非常に寒い日で、粉雪が舞っていたことを覚えています。2月のしかも非常に寒い日でしたので、訪れる人はそう多くはありませんでした。また、訪れる人も、敷地内を歩いてまわる人は少なく、博物館の中に足早に向かって行く人が多くいました。

 ダッハウ強制収容所ではガス室での殺戮はなかったとのことのようでしたが、シャワー室は残っており、まるで虚無が口を開けたかのようなそのたたずまいは、記録はどうであれ、真の事実はどうであったのか、それを見る者が考えることすら拒絶しているかのようでした。

 非常に強い寒気にふるえつつ、雪煙が上がる中を、歩いてみて私が感じたのは、「なにもない。本当になにもない。」という感覚でした。収容所の建物やその跡は残っています。木々も見えます。普通であれば、昔の収容所の様子を想像してもおかしくないシチュエーションです。しかし、なぜだか分かりませんが、「なにもない。」としか私には感じられませんでした。 上手く説明が出来ないのが残念ですが、何かが次第に滅びていって結果的になにもなくなってしまったというのとは少し違い、何かを全て奪い去った後で更になにもなかったように塗り固めたような空々しい空っぽの印象がそこに横たわっている、そんな感じでした。

 本来そこにあるべき生命、生命感が、まるで誰かに無理矢理そぎ落とされてしまったような、無地の何かに覆われてしまったかのような、空っぽの、感覚しかそこに感じることが出来ませんでした。

 強制された無。

 誤解を恐れずに一言で言うならば、そのように感じられました。

「弁護士のため息」と必読の論文

 私は2月1日のブログで「早すぎた天才」と弁護士武本夕香子先生をご紹介させて頂きました。そして、武本先生の、論文「法曹人口問題についての一考察」は必読の文献であると述べたと思います。

 私も何とかして、多くの方に武本先生の論文を読んで頂こうと思っていたのですが、パソコン音痴で難渋していました。そこへ、名古屋で弁護士をされている寺本ますみ先生が、武本先生の了解の下、PDFファイルで公開して下さいました。寺本先生の下記のブログから、PDFファイルを見ることができます。

http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/

(寺本先生には無断でリンクしてしまいましたが、ご容赦頂けると幸いです)。

 なお、上記の寺本先生のブログは、「弁護士のため息」という名前で公開されていますが、非常に鋭い視点と、切れ味抜群の文章で、重い内容であっても、読んでいてスカッとすることが多いブログです。

 実は密かに、先生のブログを楽しみにしていたりします。

更にもっと恐ろしい朝日新聞の社説

 朝日新聞2月17日朝刊に、弁護士増員~抵抗するのは身勝手だ~と題した社説が載っていました。
 またもや、弁護士増員が必要であると一方的に決めつける内容で、あきれかえるしかありません。特に小泉政権が濫用した「抵抗勢力」を彷彿させる「抵抗」という文字を用いているだけで社説氏のこの問題に関する偏向ぶりが分かります。

 詳しい社説の内容は、朝日新聞のHPで読めるはずですので、まずその社説をお読み頂きたいと思います。

 司法改革に何も関心がない方が一読されれば、おそらくふむふむ弁護士は身勝手なんだと思わせる内容かもしれません。さすがに朝日新聞の社説氏と言えるかもしれません。

 しかし、私から見れば、これはもう悪質な世論操作(増員反対の立場の弁護士バッシング)を行おうとしているとしか思えない内容です。

 あまりに、ひどい社説だから、全てに反論していくと、とてつもない長文になりそうなので、敢えて、何点かに限定して反論することにします。

 社説氏は、「弁護士の質が低下するので増員に反対する」という主張に対して、どのくらいの弁護士の質が求められるかは時代によって違うと切り捨てます。おそらく、社説氏によると現代では弁護士の質は高くなくてもいいというご主張のようです。

 弁護士の質が相当程度高い水準に維持されなければならない理由は既に、以前のブログで書きました。結論だけ述べれば、弁護士の質を維持しないと一般の国民の方が迷惑を被るからです。それは、弁護士の仕事内容を正確に判断することは難しいし、他の弁護士の仕事と比較もしづらいので、結局、その弁護士がきちんと処理してくれることを信じるしかないことが多いのです。そうだとすれば、弁護士という以上相当程度の質が維持されている必要があるはずです。ところが、社説氏は、一般国民の方が質の低い弁護士にひどい目に遭わされてもかまわないとお考えのようです。確かに、朝日新聞は膨大な取材能力があるから、質の低い弁護士に依頼しないでしょう。しかし、一般の国民の方はそうではありません。一般国民のためにこそ、弁護士の質の維持は必要不可欠なのです。

 ところが、実際に司法試験合格後に合格者が司法修習を受ける、司法研修所の教官によれば、最も優秀な学生が集まったとされる法科大学院第1期生(新60期)すらも、「全般的な実体法の理解が不足している。単なる知識不足であればその後の勉強で補えると思うが、そういう知識不足にとどまらない理解不足、実体法を事案に当てはめて法的な思考をする能力が足りない」、そういう修習生がいると酷評されています。

 あとで勉強したくらいでは、とても補えないほどの理解不足・法的思考能力不足の法律家を大量生産しているのが法科大学院なのです。
 私は朝日新聞が、法科大学院の記事を書く際に、ほとんどと言っていいほど「質の良い(優秀な)法律家を育てるための」と枕詞をつけていたことを覚えており、朝日新聞を読んでこられた方は、無意識のうちに法科大学院は優秀な法律家を育てていると思いこまされているかもしれませんが、実際の結果は惨憺たるものです。最も優秀な第1期ですら、この有様なのです。その後は、学生のレベルがダウンしていきますから推して知るべし。法科大学院はすぐにでも廃止しないと、えらいことになるはずです。

 とはいえ、一般の国民の大多数が、藪医者のレベルでもいい、知識不足でもいい、とにかく弁護士に依頼したいというのであれば、朝日新聞の主張も分からないではありません。しかし、一般の方が弁護士に依頼することはそれこそ一生に一度くらいしかない場合がほとんどです。例えていえば、手術を受けるようなものかもしれません。その大事な手術を、藪医者かもしれない医師に任す人がいるでしょうか。命に関わるのですから、出来る限り質の高い医師に執刀してもらいたいのではないでしょうか。そのときに誰が藪医者か分からないとしたら、どうなるでしょうか。おそらく、多くの犠牲が出てしまうのではないかと思います。しかし、逆に、医師免許を持っている者は、全員が相当程度の質を維持しているのであれば、ずいぶん事情は異なってくるはずです。
 また一般国民のニーズが、本当に、質が低くてもいいから弁護士にとにかく依頼したいというのであれば、弁護士は引く手あまたであり、就職難(後述)や、食えない弁護士が発生するはずがありません。
 根拠もなく勝手に、国民のニーズを仮定して、その誤った仮定の下に社説を組み立てているのが、今回の社説のようです。

 次に、弁護士の就職難は疑問だという点です。社説氏の根拠は弁護士白書の弁護士年間所得平均です。一見説得力がありそうです。しかしここも、社説氏のトリックが潜んでいます。

 まず、就職難かどうかは、昨年就職活動した60期の弁護士に聞くか、現在就職活動中の61期の司法修習生に聞くか、日弁連に現在の就職希望者と求人数を問い合わせれば分かるはずであり、それ以外に就職難か否かを判断する根拠はないはずです。例えば、大学生が就職難かどうかを論じるときに、大企業の社員の平均年収が中小企業より高いので就職難ではないと論じたら、見識を疑われると思います。

 この点だけからも、社説氏のトリックが明らかだと思われます。仮に、社説氏が故意に結論をねじ曲げるためではなく、真剣に就職難と平均所得に関係があると考えているのであれば、論理的思考すら出来ない方が社説を書いておられることになりましょう。そんな人物に会社が公表する意見を書かせる朝日新聞の見識すら疑われることになるでしょう。

 さらに、弁護士白書の年間所得は一部の弁護士しか回答していないアンケート結果に基づくものであり、すべての弁護士の所得を反映していません。また、厚労省賃金構造基本調査に基づく統計では弁護士所得は772万円との見解もあります。
 そもそも平均所得という概念を持ち出すのがおかしなことです。仮に、9億1000万円の所得がある新聞記者1名と、1000万円の所得がある新聞記者9名がいた場合、この10名の新聞記者の平均所得は1億円になります。このような場合に、新聞記者の平均所得は1億円なのだから、一人2000万円を慈善事業に寄付してもいいだろうと言われたら、到底納得できないでしょう。このように、そもそも使うべきではない概念を用いて自説を補強している点からも、社説氏の強引かつ杜撰な論理展開がお分かりになると思います。

 次に弁護士過疎の問題です。社説氏は、「弁護士過疎の問題を解決してから増員反対を言え」と主張されます。しかし、翻って考えると、弁護士過疎の問題はそもそも弁護士会が解決すべき問題なのでしょうか?

 再度医師の例えを用いますが、無医村が多く存在したとしても医師や医師会はなぜ、非難されないのでしょうか。社説氏の論理から行けば、診療報酬の値上げをいうなら、まず無医村の問題を解決しろということになりはしないのでしょうか。

 それでも日弁連・弁護士会は弁護士過疎対策に相当程度のお金を割いています。それらは個々の弁護士が支払う弁護士会費から捻出されているはずです。医師や医師会がお金を出して無医村対策をしたでしょうか。勉強不足の私はそのような事例を知りませんが、もしそのような対策を医師会がしていたら、誉められてしかるべき行為でしょう。医師や医師会がお金を出すなどして無医村対策に努力していながら、なお無医村が生じていたとしても、それだけで非難されるべきなのでしょうか。そうは思えません。

 しかし、それが弁護士の過疎問題となると何故、そこまで社説氏に批判されなければならないのか全く理解が出来ません。

 さらに、社説氏は、裁判員制度の導入や被疑者国選弁護の拡大がなされるので、弁護士不足になるはずだと述べています。これに関しても、生活できるだけの報酬を裁判員裁判や被疑者国選弁護で出してくれるのであれば、一気に解決します。
 被疑者国選弁護などの範囲が拡大しても、赤字でやらなければならない仕事(持ち出しでやるボランティア)が増えるだけです。
 時間と手間をかければかけるだけ赤字になる、つまりほぼ確実に損をする仕事を弁護士に押しつけ、その赤字の仕事を増やしておきながら、弁護士の生活は弁護士が勝手に努力しろでは、筋が通らないでしょう。

 例えば(本当は1回だってやるとは思えませんが)朝日新聞が、どうしても人権擁護に必要だから、年3回は特定の日の新聞の広告欄を全て、通常の10分の1の値段でやれといわれて、新聞社の使命として仮にやっていたとします(報道の独立性はこの際考えずに、純粋に経済的問題として考えて下さい。)。
 新聞社の使命だから、その回数を年10回にする、今までのような収入は見込めなくても新聞社のやるべき仕事だろうと言われて、朝日新聞は黙って従うのでしょうか、社説氏は黙っているのでしょうか。

 最後に、社説氏は司法改革は市民のためであり法律家の既得権のためではない。と結んでいます。社説氏のいう法律家(弁護士)の既得権とはいったい何なのでしょうか。

 弁護士の法律事務の独占については、近時、司法書士の簡裁代理権を認めたり、サービサー制度、弁理士の特定訴訟事件代理権、行政書士の書類作成代理権など、完全に崩壊しつつあります。弁護士の法律事務独占を既得権というのであれば、むしろ弁護士はいくつも既得権を放棄してきています。弁護士の数が増加しつつあるのにもかかわらず、です。

 安定した収入を得られる地位という意味であれば、そんな既得権は、弁護士稼業のどこを探したってありません。弁護士には、扶養者手当、住居手当等も一切ありませんし、自分が病気してしまえば何も収入が得られません。しかも、収入がない月であっても事務所を構えている以上は、毎月事務所経費が出ていくのですから、大変なのです。退職金制度もないし、もちろん年金は国民年金です。従業員は政府管掌保険で厚生年金であっても、自らは国民年金だけです。従業員の社会保険料の半額を負担させられるのに、自らには極めてわずかな保障しかありません。

 社説氏が何をもって、法律家の既得権というのか、私には理解が出来ません。使用する語句の意味を明確にしてから論じてもらいたいと思います。

 論じる際には、用いる言葉の意味を明確にしてから論じるべきはずだ。その原点を忘れてもらっては困る(朝日新聞社説調)。

 他にもたくさん言いたいことはありますが、これくらいにしておきます。

 ただ、この社説は全く思いこみから事実を確かめずに書かれたものである上、論理的にもおかしな点が多いので、私としてはわざと増員反対の弁護士をバッシングするために書かれたものだと考えています。もし本当に社説氏が弁護士バッシングの意図でなく書かれたのであれば、あまりにも能力のない若しくは思いこみだけで社説を書かれる社説氏であり、朝日新聞の見識を疑わざるを得ません。

もっと恐ろしい行政書士?

 昨日のブログで、司法書士の話を少ししましたが、知り合いの司法書士さんから、「行政書士はもっとえげつないですよ。ネットで見て下さい」とのご指摘を受けました。

 そこでネットで見てみたのですが・・・・・・・・・・・・・・・。絶句です。

 まず、行政書士は、本来は①官公署に提出する書類その他権利義務又は事実証明に関する書類の作成、②①の規定で作成できる官公署への提出する書類を提出する手続について代理すること、③①の規定により作成できる契約その他に関する書類を代理作成すること、④①の規定によって行政書士が作成する事が出来る書類の作成について相談を受けること。について、報酬を得ることが出来ます。

 簡単に言えば、行政書士は行政手続きのスペシャリストであって、法律家ではないはずです。行政書士法1条も「この法律は、行政書士の制度を定め(中略)行政に関する手続の円滑な実施に寄与し、あわせて、国民の利便に資することを目的とする。」と定めています。監督官庁も司法書士は法務省ですが、行政書士は総務省です。

 ところが、離婚専門行政書士、相続専門行政書士など、でるわでるわ、違法行為乃至違法スレスレのことを明らかにやっているように思われます。離婚も相続も法律問題であり、お金を取って相談に乗ったり、相手方と交渉したり、立ち会ったりすることは明らかに弁護士法72条違反の非弁行為に該当するのではないかと私は思います。

 これだけネット広告に熱心な行政書士をみると、弁護士法72条をホントに知ってるの?と言いたくなります。参考までに、弁護士法72条を載せておきます。

 第七十二条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

 ちなみに、弁護士法72条違反は、2年以下の懲役または300万円以下の罰金です。仮に弁護士法72条の「法律事件」について(私は事件性不要説に立ちますが、)事件性があるものに限る説に仮に立ったとしても、事件性があるから相談にくるはずでしょう?

 堂々と離婚専門を掲げ、立会料などを明記している行政書士は本当に、検挙されるのを覚悟でネット広告を出しているとしか思えません。しかも、ネットでの印象ですが、司法書士よりも行政書士の方が「町の法律家」を名乗っている場合が多そうです。違法行為(乃至違法スレスレの行為)をしていながら、本来法律家ではない行政書士が法律家を名乗るのですから、このようなことが続けば国民が司法(法律家)を信頼しなくなっても当然ですよね。

 司法書士さんが怒るのも無理はありません。

町の法律家の法律違反?

 先日、東海地方に勤務する、同期の裁判官と話すことがあったのですが、「過払い金180万円を司法書士に取り返してもらって、過払いについて60万円の報酬を支払った人がいたけど、そんなにかかるの?」と聞かれました。

 大阪弁護士会基準では、過払金取戻し額の20%が弁護士報酬ですから、上の例であれば、大阪弁護士会経由での事件であれば、報酬は36万円+消費税ですんだはずです。話を聞く限り、恐ろしくぼったくりをしている司法書士なのです。司法書士の報酬がどうなっているのか分かりませんが、自由化されていれば、仕方がないのかもしれません。

 しかし、問題は実は別の所にあります。

 簡裁代理権認定を受けた司法書士が、代理人として交渉できるのは140万円までです(認定を受けていない司法書士はそもそも債務整理の代理人になれません。)。140万円を超えてしまうと、司法書士では法律上代理人になれず、代わりに交渉することは法律違反なのです。それを無視して司法書士さんに代わりに交渉をまとめてもらったりすると、公序良俗違反となり、その交渉による契約自体が無効とされてしまうのです。これは、遺言や相続でも変わりません。せっかく司法書士にお金を払って相続問題をまとめてもらっても、140万円を超える案件だと、あとから公序良俗違反で無効だと主張されてしまう危険が大きいのです。

 司法書士は、町の法律家を名乗って法律事務を行っていますが、その司法書士が法律違反をしているのは全くもって不可解としか言いようがありません。以前、私は東京のあるマルチ商法の詐欺集団と交渉したときに、司法書士資格を有する人が加入していました。私は東京の司法書士会に、Eメールで取り締まるよう通報しましたが、返答はありません。当事務所の別の弁護士も、違法行為をしていた司法書士を司法書士会に通報しましたが、司法書士会は法務省が監督庁なのでそちらに言って下さいという対応だったそうです。

 もちろん、法律上許された範囲で仕事をやっておられる司法書士の方が大部分でしょうし、私の知り合いの司法書士さんは全てキチンとされています。

 しかし、一部には法律違反をする町の法律家がいるのです。このような一部の方の暴走が、司法への信頼を揺るがせなければいいのですが。