予習不足だったかも・・・

先日、映画「プロメテウス」を見る機会がありました。

なんでも「人類はどこから来たのか」と、非常に興味を引くコピーで広告していたことと、監督が「ブレードランナー」のリドリー・スコット監督であるという2点から非常に期待して映画館に乗り込みました。

映画の内容については、まだ未見の方もいらっしゃるので、敢えて触れませんが、「エイリアン」を見ていないと「なんじゃこりゃ!あの宣伝文句は嘘でしょ!」と思われる方のほうが多いのではないかと思いました。つまり、予習が必要な映画だと思われます。

さてそのプロメテウスですが、冒頭のシーンで、原始の地球と思われるシーンがあります。ところが、どうもその光景に私は、見覚えがあったのです。
私がリドリー・スコット監督が描く原始の地球を事前に知っているはずもなく、私と監督の原始の地球のイメージが偶然一致するとも思えません。
デジャビュかなとも思ったのですが、どうやらそれは間違いで、後で撮影場所を調べてみると、やはり一度見たことがあったようです。

映画冒頭の撮影場所は、アイスランドでした。今でも、プレートが生まれつつある国土を持っており、言い換えれば、常に引き裂かれつつある大地を有する国です。都市部以外は荒涼とした景色が続いたように記憶しています。原始の地球を描くには、格好の国だったのかもしれません。

私が以前訪れたときは、金融危機も起こっておらず、当時金融立国を目指して経済も絶好調だったアイスランドの首都レイキャビクは、物凄く繁栄しているように見えました。大晦日の深夜から新年を祝うために、住民が花火を打ち上げるのですが、あまりの花火の多さに、ホテルの部屋の中まで花火の匂いがしてきたくらいです。
現在でも、アイスランドは深刻な経済危機からまだ立ち直れていないようです。

予習不足で消化不良に終わったことを残念に思いつつ、あまりに国家として虚業に力を入れすぎると、その報いが何時か来てしまうような気がするなぁ、と何となく感じてしまった映画「プロメテウス」でした。

帰り道のこと

昨日、21時過ぎ頃、S弁護士は帰宅の途に就いていた。

仕事上、若しくは今後の営業上、考えなくてはならないことをボンヤリと考えながら、S弁護士は急ぎ足で淀屋橋に向かって御堂筋を歩いていた。
立秋とは名ばかりで、生暖かい風が、妙に腹立たしい。

あ~、やってられん。音楽でも聴くか。

S弁護士は、アイポッドを取り出した。
以前、アイポッドでは、スティーブン・ジョブズの、伝説と言われたスタンフォード大学での卒業演説を繰り返し聞いていたのだが、最近は音楽がメインだ。

S弁護士はJ・POPからクラシックまで幅広く音楽は聴く方だ。しかしラップは、何が良いんだかさっぱり分からないし、浜田省吾は好きだが、実はうるさい音楽はあまり得意ではない。しかし、聖飢魔Ⅱの「Stainless Night」のようにメロディラインが美しいと感じる曲は、ヘビィメタルであっても、ときどき聞く。

気分転換のために選んだのは、「陰陽座」というヘビメタバンドの「甲賀忍法帖」だ。

「甲賀忍法帖」は、アニメの主題歌でもあったそうで、アップテンポではあるが、ボーカルである黒猫の伸びやかでつややかな声を聞いていると、どうしても人には越えられない悲しさがあり、その悲しさが曲に秘められているようにすら聞こえてくる。ついついボリュームを上げてしまった。

当初、S弁護士の気は重かった。しかし、さすがに、アニメの主題歌、大ボリュームで乗りの良いさびの部分を聞いていると、S弁護士も気分がだんだん高揚してくる。「水のように優しく、華のように激しく、震える刃(やいば)でつらぬいて」等という歌詞が、黒猫のパンチのある歌唱力で歌われると、気付いてみると、S弁護士の気分は、もう甲賀忍者だ。

「引け! 引かねば、斬る!」等というやりとりが本当にあったのかは不明だが、S弁護士は、心なしか足を速めて、御堂筋通りを南下していた。

ところが、大江橋手前の交差点にさしかかったとき、何人かのオッチャンが、キャリーバックを引きながら突然横から現れた。音楽に集中して、甲賀忍者になりきっていたS弁護士は危うく、オッチャン達にぶつかりそうになった。せっかくの甲賀忍者気分に水を差されたS弁護士は、心の中でこう叫ぶ。
「運が良かったな、世が世であれば、切って捨てるところよ!」だって、気分はすでに、無敵の甲賀忍者になっているんだから、しょうがない。

ところが、そのキャリーバックを引っ張ってS弁護士の通行を邪魔した狼藉者達の方から「あっ!Sさん」と、S弁護士の本名を呼ぶ声が、S弁護士の頭を支配している黒猫のボーカルの隅から聞こえた。

S弁護士は一瞬で、現実に引き戻され、慌ててイヤホンを外す。

この近辺でS弁護士のことを「Sさん」と呼ぶのは、同期の弁護士か、かなり修習期が上の弁護士先生のことが多い。何故だか分からないが、修習期にかなりの差がある場合、年輩の弁護士は若手の弁護士を「○○先生」とは呼ばず、「○○さん」、と呼ぶことが多い。だから、S弁護士が「Sさん」と呼ばれた際には、大先輩の弁護士からの呼びかけであることが多いのだ。

慌てて振り返ったS弁護士の目に飛び込んできたのは、S弁護士が(妄想の中で)切って捨てようとした不埒な狼藉者、ではなかった。

にこにこ笑いながら手を振っていたのは、Y先生だった。現大阪弁護士会の会長である。S弁護士は常議員会や懇親会等の機会に、Y会長に直接意見を何度も申しあげたことがあるので、面識があるのだ。

狼藉者達は、一瞬で、大阪弁護士会の重鎮の先生方へと変化した。

S弁護士は弁護士会の重鎮の方々については、意見は異なることはあっても、弁護士としては尊敬している。それは、気分が無敵の甲賀忍者であっても変わらない。「あ~、切って捨てなくて良かった・・・」。

先生方に気付かなかったのが、こちらの落ち度か、メロディラインの美しさのせいか、黒猫の美しいボーカルのせいかは分からないが、とにかく、S弁護士は挨拶をしてお別れした。

ただ、S弁護士も慌てていたのだろう。会長以外の方にも、きちんと挨拶することを忘れていたことに、京阪c特急の中で気がつくことになる。

「姉刺殺大坂地裁判決」に関する大阪弁護士会会長談話~その2

(前の記事の続き)

おそらく昨日挙げたA・Bの万引きの例であれば、Bを(場合によっては最大限)重く処罰するのはおかしいと多くの方がお考えになったのではないだろうか。もちろん昨日挙げたA・Bの例は、極端な例ではあるが、今回の姉刺殺事件大坂地裁判決と本質的には、類似する問題を孕んでいるように思われる。

それは、やってしまった行為以上の責任を、本人の属性(しかも今回の裁判では、自分の努力ではどうにもならない発達障害)を考慮して社会防衛の観点から負わせてしまって良いのかという問題(刑法の責任主義の原則に反しないかという問題)だ。

もちろん社会秩序維持のために、危険性のある人には処分が必要だとする考えもないではない。いわゆる保安処分の導入を求める考えだ。
誤解を恐れずに簡単にいえば「この人は社会にとって危険だから危険な行為をする前に規制してしまえ」、として処分を下してしまう制度を保安処分という。戦前の日本でも、治安維持法改正によって「予防拘禁」という名の保安処分が導入され、なにも犯罪をしていなくても、「こいつの思想は危険だから拘禁してしまえ」、として身柄を拘束することができ、思想弾圧の道具として利用されていたという。第2次大戦前のドイツ、ヒットラー政権下でも保安処分が導入されていたことは良く知られているところだ。

刑罰は社会にとって許されない行為をしてしまったことに対して下される制裁だが、保安処分は社会にとって危険性があるというだけで(犯罪行為をしていなくても)下されるおそれのある処分だ。

なるほど社会秩序を維持するためには、保安処分は有効かもしれない。しかし、保安処分は思想弾圧に用いられる危険(歴史上明らか)もあるばかりか、社会的少数者、社会的弱者の人権を侵害する危険性が高い制度でもあり、導入・実施には極めて慎重な配慮が必要なのだ。しかも思想弾圧目的で導入された場合、思想を表明する前に弾圧されてしまう危険もあるから、思想の自由市場での評価を受ける機会すら失われるおそれもあり、民主政の過程での是正が困難かもしれないのだ。

国民的議論を経て保安処分を導入するなら、それはそれで国民の選択かもしれない。しかしあくまで、犯罪行為に対して責任を問うことを前提とする既存の刑事裁判の過程で、保安処分の思想を取り込み、刑罰の形をとりつつ保安処分的行為を行うことは慎むべきではないのだろうか。

したがって、私はこの問題に関する大阪弁護士会の迅速な会長談話発表については、評価している。それと同時に、日弁連も同様な意見を表明し、問題点を(私のブログなどよりも)分かりやすく国民の皆様にお伝えする必要があるのではないかとも考えている。

だが、私の懸念は、実はもう一つある。
それは、この保安処分的発想の判決は、裁判員裁判で下された判決だということだ。評議の内容は非公開なので全く分からないが、司法試験や司法修習で責任主義の原則をきちんと勉強したはずの裁判官が評議に同席していながら、責任主義に反するおそれのある量刑内容・理由の判決を下してしまっている点だ。

裁判官が、裁判員の意見に迎合してしまった危険性はないか、国民の意見を取り入れる目的の裁判員制度で国民側が全員一致して重い量刑にすべきだというなら仕方がないということを言い訳にして、裁判官としての責務を放棄しなかったか、という疑問がぬぐえない点で、この判決にはさらに大きな問題が潜んでいるように思われる。

国民の皆様も、裁判員裁判についても、国民の参加だから歓迎だと単純に考えるのではなく、自分が裁かれる立場になった場合、果たして本心から裁判員裁判で裁かれたいといえるか、もしそう思わないとしたらどうしてなのか、という観点から再考して頂いても良いのかもしれない。

「姉刺殺大坂地裁判決」に関する大阪弁護士会会長談話

発達障害を有する男性が、実姉を刺殺した殺人被告事件(裁判員裁判事件)において、平成24年7月30日に大坂地裁は、検察官が求刑した懲役16年を上回る懲役20年の判決を下した。

これに対して、大阪弁護士会は、重大な問題があるとの会長談話を同年8月7日に公表している。

大阪弁護士会の会長談話によれば、同判決の要旨は量刑理由として次の理由を挙げたそうだ。

同判決は、検察官の求刑を超える量刑をした理由として、被告人が十分に反省する態度を示すことができないことにはアスペルガー症候群の影響があり、通常人と同様の倫理的非難を加えることはできないとしながら、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば同様の犯行に及ぶことが心配され、社会内でアスペルガー症候群という障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現状の下では更に強く心配されるとした。そのうえで、被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資するとして、検察官の求刑を超える上記の量刑を行った。

上記の情報を元にして、誤解を恐れずに簡単に言い換えれば、判決は、こう言ったということだ。

「あなたが発達障害の影響もあって殺人を起こしてしまったことはわかりますが、その発達障害の影響もあって、私達にはあなたが十分に反省しているかちょっと分かりにくいのです。もしも、十分な反省ができていなければ、社会に出たときに、あなたは、また殺人をするかもしれない。残念だけど今の社会ではあなたの発達障害について治療したり、あなたを受け入れてくれる体制はないし、その見込みもない。したがって、あなたは、また殺人を犯すことが強く心配されるのです。だから、可能な限り長期間刑務所に入れて反省してもらうことにするし、そうすることで私達を含め、みんなが安全になるので、最大限重い懲役にします。」

この結論は、特に問題がないように一般の方はお考えになるかもしれない。だって悪いことをした人だし、そんな人はできるだけ刑務所に長く入れておいて欲しいと思うことは自然な感情だ。何を弁護士会は反論しているんだ、とお思いの方も当然いらっしゃるだろう。

だが、そもそも刑罰とは、過去の違法な行為に対する責任非難・代償として個人の法益を剥奪することが中心的役割だ。つまり悪いことをやった(非難されるべき行為をした)のだから、その悪いことに応じた罰を受けなさい、ということだ。その刑罰に値する行為をしたのかを認定し、そのやってしまった行為について刑の重さを決めるのが刑事裁判というものだ。

しかし、今回の判決は、すこしちがう部分があるような気がする。非難される行為について責任を問うだけではなく、発達障害による再犯の危険性が高いという理由で、量刑を重くしているようにも読めるからだ。

例えば、一緒にコンビニで同じ100円のお菓子を万引きをしたA・Bがいたとする。Aは裕福な家庭で育った裕福な人、Bが余裕のない家庭で育った余裕のない人、どちらも初めての万引きだったと仮定してみよう。
単純に考えれば、A・Bがどんな素性のものであれ、同じ100円のお菓子を盗んだのだから、同じ刑で処罰すべきだと考えるのが普通ではないだろうか。
それにも関わらず、「Bは生活に余裕がないし、余裕のない家庭で育っているので物への欲望が強いかもしれない。かといって、全ての人を裕福にする体制はできないし、その見込みもない現状では、Bはまた万引きするかもしれない(Bの再犯可能性が高い)と強く心配される。だから、Bは、Aより重く(最大限重く)処罰するべきだ、そうすることによって私達の社会が安全になるのだから良いだろう」、こういう理屈が許されても良いのだろうか。

(続く)

法律事務所の名称~その2

(続き)

・法の抜け道法律事務所
・裏技法律事務所
→違法行為、脱法行為を示唆するものの例。

・○○法律事務所遺言相談室
→組織上の一区分のような表示であり、法律事務所自体の名称であることが判然とせず、他にも当該法律事務所の組織上の区分が存在するかのごとく表示し、外観上二重事務所の禁止に抵触するおそれがあるものの例。

・○○銀行法律事務所
・○○生命保険法律事務所
・○○株式会社法律事務所
→法令で制限された文字を用いる等法令に違反し、または違反するおそれのあるものの例。

・東京都法律事務所
・日本弁護士会法律事務所
・○○商事法律事務所
・○○大学法律事務所
・○○公設法律事務所
・○○パブリック法律事務所(弁護士会または弁護士連合会が設立、運営等に関与しているものを除く。)
・○○法律相談センター法律事務所
・○○法務支援センター法律事務所
→公的機関若しくは著名な組織または弁護士会若しくは弁護士会が実施する法律相談事業との関係を誤認させ、その他誤認・混同を生じさせるものの例。

他にもいろいろありますが、「あまりに奇抜な名称や、公的機関を思わせるような名称で弁護士は営業するんじゃない!品位を持て!」ということなのでしょう。それと同時に、実際に公的な機関を思わせるような名称を使って見せかけの信頼を与え、顧客を獲得しようとする動きが既にあるのかもしれません。

このように弁護士には、品位を求め続けるのが日弁連です。確かに弁護士法2条には、弁護士は高い品位の陶冶に努めなければならないと記載されています。それを日弁連が実現しようとすることは、決して間違いではありません。しかし、弁護士だって経営に行き詰まれば、少しでもお客を集めようとして、品位を無視する弁護士も出てくるかも知れません。また、その行為は一つの経営戦略であり、その名称に騙された顧客を獲得しても、自由競争下では不当とまでは言えない行為なのかもしれません。

果たして、この場合、日弁連・弁護士会は営業のために品位を無視する弁護士に対して、品位を求めることができるのでしょうか。片方で大幅な弁護士増員による自由競争化を容認しつつ、片方でそれと矛盾する危険をはらむ品位を弁護士に求め続ける日弁連は、いずれ弁護士から見捨てられる日が来るのではないかという懸念を私は捨てきれません。

法律事務所の名称

弁護士の事務所のことを弁護士事務所と呼ばれる方もいますが、実際には「法律事務所」と名乗らなければなりません。これは、弁護士法20条1項に定められているものです。

そればかりではなく、日弁連では、法律事務所等の名称に関する規程があり、他の弁護士と誤認されるおそれのある名称を使ってはいけないとか、品位を損なう名称をつけてはならない、等の禁止規定があります。弁護士過剰時代となった現在では、法律事務所の名称でクライアントに覚えてもらおうという営業戦略をとる弁護士もいると聞いています。

現在、日弁連の方から、この名称規程に関する改訂についての意見照会が各単位会に来ているはずです。この意見照会には、以下に見るように多くの禁止項目があります。

・勝訴確実法律事務所
・格安法律事務所
・元特捜検事法律事務所
・日本一法律事務所
→奇異、低俗または過度の期待を抱かせるものであり、品位を損なうものと認められる例

・えんたーていめんと法律事務所
→ひらがな表記により不真面目な印象を与え、かつ、法律事務所にそぐわない意味を有するから望ましくないと認められる例

・まいどおおきに法律事務所
→営業を行うものではない弁護士の法律事務所名称としては相応しくなく、弁護士が商売優先であるかのような印象を与え、事務所名称としては奇異または低俗であり、品位を損なうものと認められる例

【例】 地獄、悪魔、死神などの語句を用いた法律事務所
【例】 差別用語、性的な用語などを用いた法律事務所
→上記の例に掲げる用語を用い、事務所名称としては奇異または低俗であり、品位を損なうと認められる例

・織田信長法律事務所(自己の氏名が織田信長である場合は可)
→自己の氏名以外の氏または氏名を用いると混乱を生じることから品位を損なうと認められるもの。

・交通事故法律事務所
・相続・遺言法律事務所
・債務整理法律事務所
・経営再生法律事務所
→固有部分が付加されていても、当該特定の取扱業務の専門化の法律事務所であるとの外観を生じるおそれがあるため望ましくない例。

・刑事法律事務所(氏名、地名等の固有部分がある場合を除く)
・特許法律事務所(氏名、地名等の固有部分がある場合を除く)
・知財法律事務所(氏名、地名等の固有部分がある場合を除く)
・遺言相続法律事務所(氏名、地名等の固有部分がある場合を除く)
→氏名、地名等の文言を付加せずに取扱分野の文字と、法律事務所の文字のみで構成され、当該分野の専門家であるとの外観を生じるおそれが高いこと、および特別な種類の法律事務所であるかのような名称であり、弁護士会がそのような種類の法律事務所を認めているかのような外観が生じることから相当でないこと、他の会員の名称使用制限される範囲が広くなりすぎること等に鑑み品位を損なうものと認められる例。

(続く)

真夏の怪談~その2

前回のブログでも相当ひどい債務整理系弁護士法人の実態の一部をご紹介したが、知人の弁護士の方から更にひどい事案があることを教えて頂いた。伝聞なので、若干事実と異なる部分があるのかもしれないが、大体次のようなお話だった。

1000万円ほどの、会社の過払い金請求事案で、TVCMをバンバン流している(いた?)東京の某債務整理系弁護士法人との訴訟のお話だ。

金融機関側は、既に取引履歴を全て開示していたため、何時いくら金融機関が貸付を行い、会社が何時いくら返済したか明らかになっていた。そのうえで、1000万円ほどの過払い金が生じていることが明白な事案だったそうだ。

ところが、某債務整理系弁護士法人は、保証人が2人いるので、会社の分1000万円、保証人各1000万円の合計3000万円を訴訟で請求してきたのだそうだ。その理屈は、弁済は誰がしたものか分からない、保証人も支払っている可能性があるから過払い金の計算が1000万円なら3000万円を請求できるはずだ、という理解不能な主張だったそうだ。誰が支払っていようが合計1000万円しかない過払い金に対して、3000万円返せという理屈が成り立たないことは、常識的に見ても分かるだろう。

しかし、このような異常な請求を行っても、某債務整理系弁護士法人にはメリットがある。それは、弁護士報酬の一部である着手金を3倍とることが可能になるからだ。
弁護士報酬には、着手金・報酬金との区分があり、着手金は成功・失敗関係なく依頼時に弁護士に支払うお金、報酬は弁護士の仕事の成果に対して支払うお金だ。ボクシングに例えれば、着手金はファイトマネーでリングに立つだけでもらえるお金。報酬金は、勝者に送られる賞金と考えることもできそうだ。
ちなみに、着手金は、請求金額によって定められることが多い。つまり、この某債務整理系弁護士法人は、請求金額で着手金を設定していたのであれば、本来1000万円分の着手金しか取れないところを、保証人2人を巻き込むことによって、着手金を3倍にして受け取ることになるはずだ。

裁判所や相手方弁護士から、この弁護士アホちゃうか?ホンマに法律知ってんのか?と思われても、依頼者に実質的に損失を与えようとも、そんなことはどこ吹く風。自由競争なんだから、儲けた者勝ちの世の中なんだから、儲けをとる俺たちの何が悪い、という姿勢だろう。
上記の主張は法的に見て、限りなく認められる余地はないと思われる主張だが、絶対に無理とはいえない(私は無理と思うが)。その主張が認められる可能性がゼロかというと、ゼロとは誰も断言できない。
だから、その某弁護士法人が、「提訴すれば認められる可能性があります。だから3000万円で提訴しましょう。」と勧めたりすることは、不当ではあるが違法とまでは言い切れない可能性がある。もともと素人である依頼者が1000万円の過払い金に対して3000万円で請求してくれと依頼するはずもないだろう。そうであれば、某弁護士法人がその訴訟を勧めた可能性は相当に高いと思われる。

もちろん、大々的にTVCMを流す経費は、依頼者の支払う弁護士費用に上乗せして回収する。損するためにTVCMを流しているわけではないからだ。

これぞ自由競争、儲けた者勝ちの世界だ。

しかし、このような某弁護士法人は自由競争だけでは淘汰されない。
なぜなら、全く同じ案件を別の弁護士に依頼して比較することができない。全く同じ条件で内容まで全く同じ事件というものはまず存在しないからだ。
次に、自由競争は儲けることに長けたものが生き残る社会だから、圧倒的な宣伝力で顧客をかき集め、儲かる案件だけ食い物にすることは、某弁護士法人くらい大きくなればできてしまうのだ。
むしろ、良心的にやっている弁護士の方が自由競争下では淘汰される可能性は高いだろう。

社会にとって、弁護士は劇薬のようなものだ。上手に使えば劇的に効果を発揮するが、使い方を間違えれば本人に大きなキズを負わせかねない。弁護士資格を濫発して自由競争せよという発想は、「どんな劇薬でも効果がありそうなら認可して販売すればいい。自己責任で選ばせておけば、そのうち駄目な薬は淘汰されてなくなるだろう。」、という発想に近い。私はその発想は極めて危険だと思う。

司法書士さんの債務整理にも相当問題があるとの話も、弁護士以上によく耳にはさむ。
これでは、過払い金請求を依頼した司法書士・弁護士の仕事が正しかったのか、チェックする仕事(弁護士・司法書士バスターズ?)が必要になってくるかもしれない。