プロセスはもう聞き飽きた~番外編(司法試験問題漏洩?!)

 昨夜から今朝にかけて、法曹関係者に衝撃的なニュースが届いた。

(NHKニュースWEBより引用)

司法試験の問題内容 教え子に漏らした疑い
9月7日 21時03分

司法試験の問題内容 教え子に漏らした疑い

ことしの司法試験で、問題の作成などを担当した明治大学法科大学院の教授が、教え子だった受験生に試験問題の内容を漏らしていた疑いがあるとして、法務省が調査を行っていることが関係者への取材で分かりました。教授は関係者に対し、漏えいを認める趣旨の説明をしているということで、法務省は詳しいいきさつについて調査を進めています。

関係者によりますと、明治大学法科大学院の60代の男性教授は、ことし5月に行われた司法試験で試験問題の作成などを担当する「考査委員」を務めていましたが、試験前、教え子の20代の女性に試験問題の内容を漏らした疑いがあるということです。
漏えいした疑いがあるのは、この教授が問題の作成に関わった憲法の論文試験などの内容とみられ、法務省は教授や受験生から事情を聴くなど、調査を行っているということです。教授は関係者に対し、漏えいを認める趣旨の説明をしているということで、法務省は詳しいいきさつについて調査を進めています。
NHKが教授への取材を申し込んだのに対し、教授の家族は「本人は体調が悪いので応じられない」と話しています。
「考査委員」は法務大臣が任命する非常勤の国家公務員で、ことしは法科大学院の教授や裁判官、それに弁護士など、合わせて131人が担当しましたが、試験問題の内容などについて守秘義務が課せられています。
司法試験を巡っては平成19年、考査委員を務めた慶應大学法科大学院の教授が試験前に学生を集めて開いた勉強会で、実際の出題と関連するテーマを教えていたことが明らかになりました。これを受けて法務省は考査委員のうち、法科大学院の教授の数を大幅に減らしたほか、問題の作成に関わる考査委員については受験資格のある学生らに一切指導しないことなどを義務づけていました。
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合格率は年々低下

法科大学院は知識の詰め込みだけではなく、幅広い教養や人間性を兼ね備えた質の高い法律の専門家を養成しようと、司法制度改革の一環として設けられ、平成18年から法科大学院を修了した人などを対象にした新しい司法試験が始まりました。
当初は法科大学院の学生の7、8割が司法試験に合格することを想定していましたが、全国に70以上もの法科大学院が設立されたことで競争が激化しました。その結果、法科大学院を修了した人の合格率は、平成18年は48%でしたが、年々下がり続け去年は22.6%と過去最低となりました。
この教授が在籍していた明治大学の法科大学院も9年前の最初の合格率は、45.3%でしたが、その後下がり続け、去年は17.3%に落ち込んでいました。

(NHKニュースWEBよりの引用ここまで)

 もうお忘れかも知れないが、2007年にも慶應義塾大学の法科大学院で、試験委員が、試験前の答案練習会で試験問題と類似の論点を学生に教えていたことが発覚し、法務省が当該試験委員を解任した事件があった。司法試験の論文試験は問題数が少ないため、直前の問題練習できちんと復習していた受験生は、ほかの受験生よりも極めて有利な立場に立つことができたはずだ。
これだけでも、法科大学院の信頼を失うに十分な行為であった。
 この問題で、当該試験委員が職を失って、学会等からも追放されていたのなら話は分かるが、どうも、この司法試験委員は、後に他の法科大学院の教授に就任したらしいから、学者さんの世界は身内に甘いのか。

 そんな方々が、幅広い教養や豊かな人間性を、法科大学院でどうやって教えておられるのかとても興味がある。

 本件も事実なら、試験問題そのものを漏洩したようだから、2007年よりもはるかに悪質だ。司法試験委員の解任は当然だろうし、守秘義務違反での告発も当然だろう。

 大学の先生方は、司法試験に関して予備校を蔑視し、自分達の方が上だと思っておられるようだが、少なくとも司法試験予備校は試験対策も教えていたが、こんな、ど汚いズルはしなかったぞ。

 以前も述べたように、旧司法試験は例えてみれば、田んぼ一面にまかれた籾の中から自力で成長する可能性を見せた苗を(司法試験で)ピックアップして、(合格者に対して)大切に税金をかけて一人前に育てる方式。
 法科大学院制度は、田んぼ一面にまかれた、芽が出るかどうかも分からない籾の全てに、税金をかけてプロセスによる教育とやらを施して育てようとする方式。そして、プロセスによる教育とやらを施す農家(法科大学院)には、税金が投入され、その結果、お金をかけた籾のうち20%位しかものにならない(司法試験に合格しない)。

きつい言い方で極論すれば農家(法科大学院)にかけた税金のうち20%以外は無駄なお金と言えなくもない。

 限られた財源で優秀な法律家を育てようとするならどちらが効率的かは一目瞭然だ。しかも今回は、その農家が自分の苗を優秀に見せようとして、2度目のひどいズルをしたのだから、国民の皆様は、ただでさえ税金食いの当該農家(法科大学院)との契約は、もう打ち切るべきなんじゃないか。

 一番悪いのは、どんな対価を提供されたとしても秘密を守る義務を負っていながら、問題を漏洩した委員であることには間違いないと思う。しかし、どちらが先に申し出たのか分からないが、試験問題を教えてもらった女子学生にも問題が隠されている可能性もあるだろう。
 私など合格率2%台の旧司法試験には随分苦労させられたから、確かにズルしてでも合格したいという気持ちは理解できなくはない。
 しかし、何度も不合格にされているうちに、今のこの実力で仮に間違って合格しても、実務家になったときに依頼者の方に迷惑をかけるかも知れない、と私は思うようになった。そして、司法試験では背伸びせずに今の実力を見てもらって、「実務家の卵としての実力が足りないのなら仕方がない、でも私は良き実務家になりたい気持ちを強く持っており、合格させて頂ければ努力して必ず良き実務家になります。」という心持ちになれた年に合格できた。
 ズルしてでも合格したいという気持ちがあり、その気持ちのまま,本当にズルができて合格してしまっていたら、どうなっていただろうか。
 ズルしてでも自分の利益を考えることを正当化したまま、法曹になってしまう方が本当はもっと怖いのではないか。

 幅広い教養と豊かな人間性を育むという法科大学院のスローガンがこれほどむなしく響く日はないように思う。

プロセスはもう聞き飽きた~2

(続き)

 もちろん法科大学院協会のこの意見書にも、プロセスによる教育とはどういうもので、どうしてプロセスによる教育でなければならないのかという点については、明確にされていない。9回もその言葉を用いるにも関わらず、内容が全くもって不明確である。

 言い方は悪くなるが、まるで何とかの一つ覚えのようである。

 唯一それっぽい点があるのは次の記述である。
「・・・・司法試験に合格する能力に到達していれば足りるという発想を転換して、法科大学院における教育を経ることにより、試験では確認できない能力を涵養するというのが、教育プロセスを重視し、法科大学院制度を導入した根本理念である・・・・」

 なるほど、教育プロセスを重視した法科大学院を出れば、司法試験では確認できない何か凄い能力が身につくのか(大したことのない能力ならわざわざ多額の税金を投入する意味はないでしょ)。法科大学院協会が言っているんだから、間違いないだろう。
 じゃあその能力って何なんだ。

 それは本当に実務で必要な能力なのか。
 仮にそのような能力が存在したとして、本当にその能力を身に付けさせることができているのか。
 明確に説明できないのなら、嘘か思い込みかのいずれかではないのか。
 

 そのような能力が身についていないと思われる、予備試験合格者に対して、大手法律事務所が(司法試験に合格していない段階でも)予備試験合格者だけを対象とした就職説明会を多数開催している(つまり大手法律事務所は、法科大学院で身につくかも知れない、そのような計り知れない能力など意に介していない。)ことは、どう説明するのか。
・・・と疑問は尽きない。

 でもその前に、司法試験は「裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とする国家試験」とされているぞ(司法試験法1条1項)。つまり、司法試験に落ちるということは、「法曹として必要な学識と応用能力はまだ足りないね、もう少し勉強してきてね」、という試験委員の判断だ。このように、法曹になるために最低限必要な学識と能力を判定するのが司法試験なのだ。

 仮に司法試験に合格するだけの学識と能力を身に付けても、それは法曹として最低限度必要とされる学識と能力にすぎない。

 そもそも、法科大学院は法曹を養成する目的で設置されたのだから、司法試験に合格するだけの実力を学生に身に付けさせるだけの教育を行うことは当然のことで、それができないのなら債務不履行か詐欺的商法だ。
 そして、最低限司法試験合格の実力をつけさせたうえで、初めて、(正体不明の)試験で図れない能力とやらを身に付けさせるべきだろう。なんたって、法科大学院は法曹養成が目的なんだから。どんな素晴らしい能力か知らないが、試験で図れない能力を身に付けさせるよりも、まず、法曹として必要とされる最低限度の知識と能力を身に付けさせるのが最優先のはずだ。
 法科大学院制度は、少子高齢化の中での、大学側の生き残りの手段なんかじゃないんだろ。

 司法試験に合格するだけの実力を身に付けられない法科大学院生が、仮に司法試験では計り知れない能力を法科大学院で身に付けてもらったところで、合格できないのなら、結局法曹としてその計り知れない能力を発揮できないことは当然だ。法曹として最低限の学識と応用能力があって初めて司法試験に合格できるのだし、それ以上の能力を生かす場面にたどり着けるからだ。
 普通の仕事を普通にこなせた上で、仕事に個性や能力を発揮していくならまだしも、そこまで到達できていない段階で、えらそうに個性・能力なんていえないだろ。

 仮に、法曹の世界で能力を発揮できなくても、法科大学院で身についたその計り知れない能力は一般社会で十分意味がある、というのなら、わざわざ法科大学院だけで教えるなんてセコイことせずに、普通の大学でプロセスによる教育を取り入れて教えてやればいいじゃないか。その方がよほど学生も多いし、世の中のためになるんじゃないのか。

とにかく、法科大学院が振り回す「プロセス」という言葉には、謎が多すぎる。

本当は自分でも説明できないんじゃないのか?と思われても仕方ない面もあるような気がする。

 仮に、プロセスによる教育が、少人数双方向の密度の濃い教育を意味するのなら、私の受けた司法研修所・配属地での司法修習は、まさにプロセスによる教育だった。司法試験に合格し一定の能力が担保された実務家の卵に対して、一流の実務家がそれこそ心血を注いで教育をしてくれた。起案の添削なども信じられないくらい丁寧で、教官はいつ寝ているのだろうと不思議に思ったくらいだった。法曹としてのあるべき姿勢などについても、大きく影響を受けたと思っている。

 プロセスによる教育が上記の意味なら、プロセスによる教育は法科大学院の専売特許ではない。むしろ司法修習の方が、適切なプロセスによる教育が可能であるし、司法修習で実務家が行う方がより適切であると私は断言する。

 考えて見れば、当たり前だ。自動車の運転を習うのであれば現実に自動車を運転している人から習うべきだ。いくら大学でエンジンやブレーキの研究をし、自動車について知識が豊富であったとしても運転の経験がない人から、運転の勘所は習うことはできないからだ。

 法科大学院の教員の多くが実務経験者であるのならともかく、むしろ学者さんが多い現状では、法科大学院がいくらプロセスによる教育を標榜したところで、たかが知れているように思う。

(続く)

プロセスはもう聞き飽きた!~1

 9月1日に、法科大学院協会が「『法曹養成制度改革の更なる推進について』に対する意見」を公表している。

 要するに、①法曹有資格者の活動領域はもっとありそうだ、②今後の法曹人口は増やしていかねばならず、それが法曹養成制度改革の理念に沿う、③法科大学院は組織見直し、教育の質の向上、経済的時間的負担軽減させれば制度として正しい、④予備試験は抜け道だから規制するか負担を重くすべき、司法試験の科目を少なくしろ、法科大学院卒業水準まで司法試験の合格水準を下げてくれ、と法科大学院側は言っているようだ。

 ①については、学者さんが絵に描いた餅はもう見飽きたので、さっさと食べられる餅を示してもらいたいところだ。民事一般事件、刑事事件、少年事件、破産事件など軒並み減少している中で、本当に活動領域の拡大を明確に示して頂けるのならそれは素晴らしい。
 ただ、今のところ、学者さんは抽象的に需要はあるはず、あるはず、と言いつのるばかりで、何一つ実のあるお話しは頂いていないような気がするけどね。

 ②については、法曹養成制度改革の前提に司法制度改革があって、司法制度改革は法曹への需要が飛躍的に拡大するという完全に誤った予測の下に改革を開始した、という点を忘れてしまっているようだ。法曹への需要は飛躍的に拡大していない(むしろ減少している)のだから、そもそも司法制度改革も誤った前提の下に行われたものだし、その一環としてなされた法曹養成制度改革も、正しかったと盲信してよいものではなかろう。
 学者ならそれくらいわかるんとちがうかな。

 ③については、10年もかかって未だに改革をし続けなければならない制度なら、制度自体に無理があったんじゃないの、と足下を見直してみる必要があるだろう。法科大学院にとって最も重要なはずの教育の質について、10年経っても解決できずに未だに改革し続けなきゃならんとは、失笑モンだ。そんなモンに税金を投入させられる国民の皆様にとっては、百害あって一利無しなんじゃないのか。

 ④については、ちょっと図々しすぎないか?
 法科大学院がお金を取って時間もかけさせて、看板通りの素晴らしい教育をしているのなら、司法試験合格率において予備試験組に遅れをとるはずがないじゃないか(実際には完敗)。予備試験合格者がいくら増えても、プロセスによる法科大学院教育は素晴らしいんだから、本来なら負けるはずがないだろ。予備試験の負担を増やして予備試験組を減らそうなんて姑息な手段をとらずとも、正々堂々と司法試験で勝てばいいだけじゃないか。なぜそうしないんだ。
 法科大学院の方が幅広い教育をしていると豪語するのなら、司法試験科目をもっと増やしてもらいたいと要望するのが筋じゃないのか。逆に司法試験の試験科目を減らしてくれ、法科大学院卒業レベルまで司法試験レベルを下げてくれ、というのは、法科大学院には、きちんとした法曹の基礎レベル(司法試験合格レベル)まで教育する能力がないことを認めちゃってると受け取っていいんですかね。

 そもそも、法科大学院のための司法試験じゃありません。国民の皆様のために、受験生に法曹としての基礎的素養があるかどうかを判定するのが司法試験です。どこの医学部が、うちの医学部生の医師国家試験合格率が低いので、医師国家試験を簡単にしてくれなんて図々しい提言をしますかね。

 とまあ、ざっと見ただけで突っ込み処が満載で困ってしまう。

 さて、ようやく本題だが、この意見書の中ではプロセスとしての法曹養成制度、プロセスとしての法科大学院教育という言葉が頻繁に出てくる。プロセスという言葉だけ勘定しても9箇所に出てくる(数え間違いがなければ)。

 ところがその実態は何なのか一向に分からない。

(続く)