今年も一年間有り難うございました。

皆 様

 今年も一年間、ご指導ご鞭撻頂き、誠に有り難うございました。

 携わって下さった方、応援して下さった方、誠に有り難うございました。

 当事務所の、本年の業務は本日で終了致します。

 新年は、1月5日より、業務を開始する予定です。

 一歩一歩着実に問題を解決していく、親しみやすい法律事務所であることを目指して新年からも頑張る所存です。

 新年が皆様にとって、良き年であることを祈念して、年末のご挨拶とさせて頂きます。

 有り難うございました。

 平成29年12月28日

 ウィン綜合法律事務所 代表弁護士 坂  野  真  一

いわゆる谷間世代の弁護士会費減額問題~その2

(続き)

 大阪弁護士会では関係委員会に意見照会している。しかし、肝心の司法修習費用給費制対策緊急本部の答申が、この谷間世代会費減額制度案について反対しているのだ。

 同本部の反対意見は、概ね①給費制・給付金の意義と運動の観点から、②弁護士会内と日弁連内に混乱をきたす可能性、③統一修習の理念から、反対の結論を裏付けている。

 ①を私なりに要約すると、こういうことのようだ。つまり、給費制は国家が責任を持って法曹を養成する制度の根幹部分の一つであり、その理念から、貸与制では問題があるので給費制の復活運動を行ってきた。これに対して、貸与制で問題があるなら高額な弁護士会費を安くすればいいとの反論もあり、その無理解な発言との戦いを乗り越えてようやく、給付金制度が実現したのだ。しかし、給付金制度は金額も未だ不十分であるばかりか、貸与制も併存しており、給付金の額も法律に定められているわけではなく、いつ貸与制に近い制度に戻されてもおかしくない状況にあるといえなくもない。給費制のように確固たる制度として確立しているとはいえない状況だともいえよう。
 また、現在でも日弁連・弁護士会は給付金の増額と谷間世代の対応策を国家に求めているところなのだ。
 ところが、今回のような谷間世代の会費減額案を実行すれば、法曹養成は国家の責任だから谷間世代にも対応すべきだとの主張に矛盾を生じかねないばかりか、貸与制論者に「弁護士会費を取りすぎているから貸与制が問題視されているだけであって、高額な弁護士会費を下げれば貸与制でも良いはずだ」との論拠を与えかねない。最悪の場合、給付金制度の縮小等にもつながりかねない危険をはらんでいる可能性もあるのだ。

②についてもたくさんの理由があるが、主なものを私なりにあげると、

・昨今の厳しい状況から、弁護士会費減額を求めているのは若手世代に限らない。

・谷間世代以外の会員からの不満が醸成されかねない。

・国の責任をどうして弁護士会費で尻ぬぐいしなければならないのか筋が通らない。

・病気、出産・育児等で会費免除を受けている会員には、効果がまるでない。

・71期以降も不十分な給付金であり、その配慮を求められたらどうするのか。

・各弁護士会がそれぞれ独自に会費減額を実行するなら各弁護士会で不公平が生じ、減額制度のない弁護士会に所属する谷間世代会員らが、不満・不公平感を抱く可能性がある。

・日弁連会費の減額は限界があり、僅かな金額にしかならないから効果が低いだけではなく、その制度構築過程で様々な意見が噴出し日弁連の求心力を大きく減殺する懸念がある。
などである。

 ③については、谷間世代といえども、裁判官・検察官になった者や、法曹にならなかった者もいるなど様々で、そのうち弁護士会一般会費減額案は、貸与世代の者のうち貸与金返還期間中、弁護士会に所属している者だけを対象とすることになるから、今後、国が裁判官・検察官になったものに対して優遇策をとる口実になりかねない。そうなれば統一修習制度をぐらつかせる要因になりかねない。等の理由である。

 結論的には、問題がある思いつきであるばかりか、給費制緊急対策本部の運動にも悪影響を及ぼしかねないとする意見であろう。

 私見だが、谷間世代のために尽力してきた、給費制緊急対策本部が反対している以上、それだけで、今回の減額案は実行すべきではないように思う。

 もちろん小原会長は聡明な方であり、その小原会長が率いる大阪弁護士会執行部は、このような状況も当然分かっていて、この案を常議員会にかけたはずだ。

 だとすれば、その狙いは単純に谷間世代の不公平是正というだけではないのかもしれない。

 ここからは、全く根拠のない完全に穿った見方、おとぎ話になっていくのだが、どんどん想像を巡らせると次のようにも考えられるかもしれない。すなわち、

 ①給費制の復活や給付金の増額はもう不可能と考え、現状での手当てを優先しようと考えた?

 ②東京などでは谷間世代に対する救済策として会館特別会費の減額40~50万円程度を実行しているようだし、近畿でも京都弁護士会が救済策を実施しているようなので、大阪弁護士会として放置することは執行部のプライドが許さなかった?

 ③谷間世代の弁護士数は大阪弁護士会では約20%であり、将来の(主流派)執行部支持のための布石を打った?

 ④これは完全なおとぎ話になるのだが、弁護士会が谷間世代の救済に当たるようになれば、国家としてはいくら谷間世代から不公平是正を求められ、世論が同調しても、弁護士会が既に救済しているのだから救済不要、と言いやすくなる。そこまで国が大問題として捉えているのか疑問があるし、大人の事情は分からないが、何らかの条件と引き替えに、谷間世代の不満を抑えるような話が出たとも限らない。東京3会と大阪を合わせれば弁護士数のほぼ6割になるから、大規模会の谷間世代の不満を抑えれば、過半数は抑えられる。現在の日弁連会長である中本先生は小原会長と同じ大阪弁護士会の同一会派の盟友であったはずだから、そんなお話しがあったのかもしれない?

 おそらく谷間世代は不公平感をもっている人もいるだろう。私も制度に振り回された経験があるから、その不公平感はかなり切実に分かるつもりであり、何らかの救済を求める気持ちも分からなくはない。だがその救済を求める先は、やはり制度を迷走させた国である。

 確かに、弁護士全てに余裕がある時代なら、理想のために身銭を切ることもできなくはなかった。仲間(谷間世代)の現実的救済のために自腹を切ることもできなくはなかっただろう。しかし、今はそうではない。昨今の新聞報道にあるように低所得の弁護士が大量に増加し、極めて苛酷な生活を送る者もいる。収入があがらずに税金の還付を受ける弁護士も、ここ7年間でほぼ倍増しているのだ(2008年と2015年の比較で11604人→19176人)。

 その状況で、理想のために身銭を切るという考えは、悪い言い方をすれば、収入が悪化しても生活水準を落とすことができないようなもので、破産に繋がる発想である。
 
 日本の人口は既に減少傾向にあり、裁判所に持ち込まれる事件も増える見込みも、今のところ全く見えない。

 執行部にはもっと身の丈にあった、弁護士会活動を行って欲しいと私は思っている。
 

 最後に一つ素朴な疑問がある。

 彼らの現実的な救済を本当に願うのであれば、弁護士会の財布をあてにせずとも、救済を願う有志で基金を作って谷間世代の返済に充当してあげればいいのだ。

 何故それをやらないのだろうか。

(この項終わり)

いわゆる谷間世代の弁護士会費減額問題~その1

 おそらく大阪弁護士会の多くの方はご存じないと思うが、現在、大阪弁護士会執行部は、いわゆる谷間世代(修習中の給費制ももらえず、新たに認められた修習給付金ももらえず、自費で修習期間を生活せざるを得なかった世代)の弁護士会費(大阪弁護士会の一般会費)を減額する案を総会に提出しようと画策している。

 現在、大阪弁護士会では既に65期から70期の会員に対して5年間の一般会費の減額措置はとられており、その額は修習期によって若干違うものの、5年間で総額252000円から284000円が減額されている。

 これに加えて、谷間世代には、さらに月額7000円で10年間、合計840000円分の減額を一律に認めたらどうか、という案だ。

 その理由として執行部は、谷間世代の会員の多くは300万円もの貸与を受けているものが多く、その三分の一の負担を軽減して、不公平を是正したい、と主張しているようだ。

 確かに、貸与金の返済が開始される予定の時期が近いことから、谷間世代の弁護士にとっては歓迎すべき施策かもしれない。
 しかし、残念ながら私は賛成出来ない。

 まず第一に、同じ弁護士会に所属しその弁護士会を経済的に支えなくてはならず、また、同じ弁護士会館との施設を使用できる限り、会費は平等に負担するのが筋である。谷間世代の弁護士が弁護士会の制度や設備を制限的にしか利用出来ないのであればともかく、弁護士会の経済基盤は全会員が支えなくてはならず、かつ、通常の会費を支払っている会員と同等に弁護士会の制度や施設を利用可能なのであるから、当然であろう。

 また、会費が潤沢に余っているのであれば会員全員に対して会費を減額するのが筋である。仮に、谷間世代減額案が現在の一般会費を増額せずに実現可能だとしても、谷間世代の会費を減額するということは、谷間世代以外に対し、本来減額を受けられる会費を減額しない、という犠牲を強いた上で、成立しうるものなのだ。

 次に、そもそも給費制度→貸与制度→修習給付金と制度が変遷し、修習期別の不公平を生んだのは、国家の制度設計の迷走が原因であり、不公平を是正する必要があるのなら国家がやるべきことであって弁護士会がやるべきことではない。

 また、谷間世代の弁護士も制度設計を迷走させた国家に対する不満はあるだろうが、その不満を、他の弁護士の犠牲の上で我々を優遇せよ等と弁護士会に対する不満にすり替えたりするような非論理的な思考をするとは思えない。また、そのようなことを潔しとしない弁護士も多数いるはずだ。

 また、言っちゃあ悪いが、不公平は制度変更がある場合に不可避的に生じるものでもある。私からいわせれば、受験回数が多いというだけで私は不合格になり、私よりも司法試験の点数が低かった人間が200人以上も合格した司法試験合格者若手優遇策の丙案などは、貸与制よりも、遥かにひどい不公平だった。
 仮に大学受験で現役生は競争倍率5倍で合格させるが、浪人生は競争倍率10倍を突破しないと合格させない、などと制度変更をしたら世論が許さなかったはずだが、私が受験していた時代の司法試験では、それがまかり通っていた。
 貸与制なら一応成績どおりに合格させてくれて、法曹資格は得られるが、丙案では法曹資格すら与えられなかったのだ。その差は果てしなく大きかった。

(つづく)

すみません。HPの表示が・・・。

 つい先程気付いたのですが、当事務所のHPのアドレス

トップページ

をクリックして頂くと、「相続サポートパートナーズ」という現在作成中のHP

http://souzoku.housou.org/

につながってしまう状態になっていたことが判明しました。

 現在は復旧しておりますが、しばらくは、キャッシュなどで表示されてしまうかもしれません。

 大変申し訳ありませんでした。

 原因は、HPについては、私がHPビルダーというソフトを使用して自作しているのですが、その転送設定を、どうやら誤って設定しまったことのようです。

 ついさっきまで気付かず、おそらく2週間近く?妙な表示になったままだったのではないかと思います。

 パニクりながら修復したはずですので、現在は復旧しているはずです。

 もし当事務所のHPアドレスをクリックしても、当事務所のHPが表示されない場合は、お手数ですがF5ボタンで再読み込みをして頂けますようお願い致します。

 不手際、大変申し訳ありませんでした。

 皆様が、良きクリスマスをお迎えになれるよう、祈念しております。

ロシア語のこと

 NHKのEテレを見ていて思い出したことがある。

 30年以上前の話だが、大学に進学する際には第2外国語の選択が必要だった(今もそうだろうが)。

 私の進学した京都大学法学部は、当時ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語が選択可能だった。
 当時は、アメリカとソビエトがまだ冷戦を継続している時代で、2大強国とされていた。そこで、英語は受験で少しは勉強したから、もう一つの大国でありながら謎めいた存在であるソビエトのロシア語でもとってみようかな・・・。というほとんど理由になってない理由で私はロシア語を選択したのだった。

 当時の京都大学法学部は、第2外国語の選択によってクラス分けがなされており、私は確か5組に配属された。
 5組は中国語選択者とロシア語選択者を中心としたクラスだったが、一部にフランス語かドイツ語選択者がいたような気もする。クラス分けのあとに知ったのだが、ロシア語選択者は私ともう1人だけだった。

 330人強の法学部1回生のうち、ロシア語選択は僅か2名。しかも、残りの1人も、単位を取れずに中国語に変わったと、風の噂で知った。

 ロシア語の先生は、山口巌先生と植野修司先生だった。法学部生だけでは生徒が少なすぎるため他の学部のロシア語選択者も一緒に授業を受けていたはずだ。お二人とも人格的には穏やかな先生だったが、植野先生の授業は出席すると容赦なくあてて答えさせられた。植野先生からは、出席と試験が良くないと落としますから、と言われていたため出席せざるを得なかった。

 しかし、出席してもあてられて、トンチンカンな返答で恥をかくことも私は多く、ロシア語のある日は憂鬱だったという記憶しか残っていない。
 ロシア語には変な(?)アルファベットもあり、なじめず苦労したが、アルファベットさえ知っておけばローマ字読みの要領でなんとか読めることは新鮮だった。

 とはいえ、元もとロシア語を勉強したいという強い動機もなかったうえに、ソビエトに旅行することも当時はまず考えられなかったことから、私としては、ロシア語を身に付けるというよりも、最低点で良いのでなんとか単位を取ることだけに集中していたように記憶している。

 あとになって知ったのだが、お二人とも凄い先生だったので、もっとロシア文学などについて勉強して、いろいろお話しをお伺いすれば良かったと悔やまれる。それと同時に、そのような先生からロシア語を学べる環境にいたことは、実に恵まれていたのだと、今さらながら思うのだ。

 ただ、その環境の素晴らしさに当時は気づくことができなかった。

 それが悔しい。

目標を立てるだけでは・・・

中学校で講演をさせて頂くときに、よく、

「目標を立てることは大事だけど、それだけじゃあ~ダメなんだよね~。」

ということもお話しさせてもらいます。それを聞くと中学生は「えっ!どうして!?目標はたてんとアカンのと違うの?」という顔をすることが多いのです。

学校の先生や親御さんは、目標が好きなのか、「目標を立てなさい」、「計画を立てなさい」、としょっちゅう言ってくれたりしますが、目標を立てただけではダメなんだ、ということまでは、あまり言ってはくれません。

 目標を立てることは確かに大事ですが、目標を立てても目標からやって来てくれて、自然に目標が達成出来ることなど、ありません。

 「俺は大学に行きたいんだ~」と思っていれば遊んでいても大学に合格出来るなんて、楽な話が世の中に転がっているはずがありません。

 このように、大学に進学しようという目標があるのであれば、その目標に向けて必要な学力を自分で貯えないと合格出来ません。

 目標に向かって自分から近づいていかない限り、永遠に目標には届かないのですね。当たり前のことですが、つい忘れがちになる肝心な点です。

 そこまではっきり言ってあげないと、なかなか中学生は、目標を立てる意味が理解出来ないように思います。

 そして目標を決めたら、すぐに歩き始めること。歩き始めたら続けること。努力を続けている間に他の人にいろいろ言われても負けないこと。

 そのようなことを、中学生にお話しさせて頂きます。

 私としては、できるだけ早い時期に、未来を担う子供達に話しておきたい事項が多いので、できれば中学1年生にお話し出来るほうが、いいなと思っています。

幸い、毎年講演に呼んで下さる中学校もあり、来年1月に講演の依頼を頂きました。

また、前途洋々たる中学生諸君にお会い出来ることが楽しみです。

親の小言と茄子の花

 よく、「親の小言と茄子の花は千に一つも仇がない。」と言われますが、私の両親も小言が多いという自覚があったのか、何度か言い訳のように、私にそう言っていた記憶があります。
 親の小言は、子供への愛情から出た、子供のことを思ってのものだから、親の言うことを聞いておけと言うくらいの意味だと思います。

 まあ、私の両親の場合は「万に一つも無駄がない」と10倍誇張して私に言っておりましたが・・・(笑)。

 私は、小学校から帰るなり、ランドセルを放り出して釣り竿をもって海に出かけたりしていましたから、かなり両親から小言を言われて育った記憶があります。小中学生の頃によく親から言われたのは、「いま、努力しておいたら(しっかり勉強しておいたら)あとで楽になるから」という言葉でした。
 
 
 その言葉は、残念ながら、一部誤りだったのではないか、と今は思っています。

 勉強などの努力を重ねて大学に進学しても、そこでは更に勉強が待っています。私のように司法試験に合格してもそれで勉強は終わりではありません。新たな法律の制定や、最高裁判例の出現、進歩する法律解釈等について行かなくてはなりませんから、ずっと勉強なのです。会社員になられても地位に応じて更なる勉強が必要でしょうから、同じ状況だと思います。
 結局どこまで勉強してもその先があり、先に進むほど専門的で難しい勉強が必要となりますから、「あとで楽になる」等というお気楽な休憩所は、結局は存在しないのではないか、と思っています。

 勉強なんてものは、頂上の見えない山を登るようなもので、おそらく終わりなどありませんし、楽な下り坂もありません。頂上を極めたと思った瞬間、そのさらに先が見えたりするものではないかと思います。

 そうすると、私の両親の小言は、そもそも勉強を重ねても到達できない、楽な境地が勉強の先にあるかのように述べた点では、誤りだったということになりそうです。

 しかし、そうであっても、勉強や努力はつらいことだけではありません。勉強や努力を重ねることにより、自分に力がつけば、より高度で大きな仕事ができるようになるなど、普通の生活をしていればなかなか目にすることができない場所からの景色を見ることを可能にする場合もあるように思います。

 私も、中学校で講演する際などには、「先生とか、ご両親は、『いま勉強しておけばあとで楽になる』というかもしれません。でもそれは、私は間違っていると思っています。私の経験からすれば、勉強すればもっと勉強する必要が出てきたりもします。」と正直にお話しします。

 ただ、こういうお話しをすると中学生は素直ですから、「なーんだ、努力してもしんどいだけか。だったら勉強しなくても良いよね~。」という顔になります。
 
 無限の可能性を持つ中学生を前にして、講演者としては、そこで終わらせるわけにはいきません。

 ですから、私は続けて「でも努力を重ねて自分に力をつけて行けば、いままで見えなかったことが見えてくることもあるし、これまで、できなかったことが出来るようになったりします。自分の力で自分の世界を広げることができるのです。自分の知らなかった世界を冒険できるようになるのです。ドラクエとかでも冒険は楽しいよね。狭い世界よりも広い世界を冒険できる方がきっと楽しい。だから、これはとても素晴らしいことですから、是非努力してみて下さいね。」とお話ししています。

 私が中学・高校時代にやっていた勉強法もお伝えして、参考にしてもらいます。

 確かに「いま努力すればあとで楽になる」という私の両親の小言は、一部誤っていたように思います。しかし、私に勉強させることで、私の世界を広げる可能性につなげてくれたという点では、大いに意味があったように思います。

 やはり、親の小言は全体的に見れば、茄子の花と同じく、無駄ではなかったのかもしれませんね。

大小の火消し

 弁護士の友人と話していて一致したのが、問題が小さいうちに問題の本質を見抜いて解決すると、本当は依頼者の利益はとても大きいのにあまり感謝されないね、ということだ。

 確かに、火事でも小さな火元を見つけて素早く消火した場合は、被害は最小限に収まる。つまり消火活動によって得られる利益は多大だ。しかし、その消火活動は大きく評価されない場合も多い。

 これに対して、大火事になって相当燃え上がってから消防車が多数出て鎮火させた場合、ほとんど消火活動で救われる財産は残っていないかもしれない。ところが、この場合の方が感謝される度合いは強いように思われる。

 このように、人は自分が現実にリスクに直面してみないと、問題となっている状況のリスクを感じ取れない(潜在的リスクを理解できない)傾向にあるようなのだ。

 それどころか、弁護士が問題の本質を見抜いて素早く解決した場合、依頼者は、自分でもそれくらい解決できたと思いこむ傾向もあるように思う。

 現に、先だって、自分で解決しようとして数年がかりで解決できなかった案件を持ち込まれ、数ヶ月で解決に持ち込んだ際に、依頼者から、「こんなものですか、自分でもできましたね。」と感想を言われたことがある。

 そういう依頼者だったので、弁護士費用についても、「数ヶ月しか働いていないではないか」と払い渋りをされた。

 その案件も、別の弁護士がやり方を間違えて訴訟などになり、数年がかりで解決すれば、おそらく感謝されただろうし弁護士費用も頂きやすいだろう。

 依頼者は、弁護士があっさり解決してしまうと、簡単な問題だったのだと誤解しやすい。その場合には自分で解決しようとしてできなかったことなどもう忘れているのだ。

 人間は全てを理解できているわけではないが、早い解決は依頼者にとって多大な利益をもたらしていることが多いこと、解決できたことに弁護士の能力が関係していることも多々あること、を忘れてもらいたくないな、と思うときもときにはあるのですね。