2回試験近づく~弁護士の就職難

 新司法試験に合格し、1年間の司法修習生活を送った最後に待ち受けているのが、司法修習生考試、通称2回試験だ。

 私の時代は、ほぼ全員が就職が内定した状態で、2回試験の心配だけしていれば良かった。幸い、検察教官の「どうせ高く飛べはしないんだから、低空飛行でも良いから、とにかく地面から浮いていろ!」という激励の言葉が良かったのか、私のクラスは全員が2回試験に合格できた。

 しかし今は、2回試験合格の心配に加えて、多くの修習生が、弁護士激増のあおりを受けて就職の心配を抱えているはずだ。

 聞くところによると、今年の2回試験の合格発表は12月14日、弁護士会への一括登録日は12月15日だが、一括登録日に登録請求をしている人数は、最新の情報では、1400人に満たないといわれているそうだ。

 新64期の修習生が2023名、2回試験再チャレンジ組が24名ほどいるはずだ。仮に2回試験に95%が合格するとして、約1945名が法曹資格を得る計算だ。

 そのうち、裁判所・検察庁への採用が各々100名程度とすると、弁護士登録を希望する司法修習生の数は、1745名ほどとなる。

 仮に1400名が一括登録希望しているとしても、約350名が一括登録時に登録できない計算になる。

 弁護士志望が1745名としてそのうち350名が一括登録できない状況だから、弁護士志望者のうち20%は計算上、一括登録時点で就職がないことになる。

 就職超氷河期といわれている昨今だが、大卒の内定率は昨年4月時点では、91%だ。

 弁護士資格を得てから就職するより、普通の大学生の法が遥かに就職率は高いのだ。しかも弁護士資格を得るためには、法科大学院に高い授業を払い、司法修習生活も借金生活に変更された。これでは優秀な人材が法曹界を目指すはずがないだろう。

 公認会計士試験は、資格の魅力が失われかねない等の理由で大幅に合格者を減少させ、一時は3000人以上もあった合格者を1500人程度まで減少させた。正しい判断だろうと思う。公認会計士の数がアメリカに比べて遥かに少ないにもかかわらず、私の知る限りマスコミは全く非難しなかった。

 国民の皆様が、いざというときに、依頼する弁護士が優秀でなくても仕方がないというならやむを得ない。しかし、本当にそうなのだろうか。一生に一度の裁判で、裁判官がボンクラでも良いという人はいないだろう。いざというときに依頼する医者が藪医者でも良いという人も、まずいないはずだ。

 優秀な人材を、法曹界に招き入れるという点において、現在の制度はリスクが高すぎるし、合格者数(以前の4倍)はあまりにも多すぎる。合格者が多いということは同時に、質の問題も発生する。

 乱暴な言い方になるが、現在定員3000名の東大の合格者を4倍の1万2000人にしたときに、今まで通りの東大合格者の質を維持できるのかと聞かれれば、誰だって無理だというに決まっている。

 しかし、法科大学院維持派の大学教授達、マスコミだけは、無理ではないと言い張る。

 一体、いつになったら、こんな簡単なことに気付いて、目が覚めてくれるのだろうか。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

夢が逃げる

 こんな夢を見た(実話)。

 どこか薄暗い、大学の研究施設のようなところに私はいる。

 そこへ、少し手足の不自由な年老いた仙人のような学者(研究者?)が現れ、芸術(「この世の理」だったかもしれない)について教えてくれるという。

 最初に、その学者は、楕円形の不思議な色をした鉱物を見せてくれ、これが最初の段階だという。

 私は、その学者の示す意味があまり分からないものの、ありのままに見て・感じ・表現することが大事ということかと考える。

 次に、その学者は、その不思議な鉱物を透明なガラスに閉じ込めたモニュメントを見せて、これが第2の段階だという。

 私は、やはり良く理解できないものの、ただ単に見える部分だけを見るのではなく、あらゆる方向から事実を見つめ・感じること(場合によってはそのことを表現すること)も大事なのだということか、と夢の中で考える。

 更にその学者は、先ほどのモニュメントから、不思議な鉱物が取り除かれた状態(しかし鉱物が嵌っていた痕跡は分かる)を示し、これが第3段階だという。

 私は、更に理解できないものの、表現や対象物が見えなくなっても、それを感じ取れること、感じ取れるように表現することが大事なことなのかもしれないと考える。

 そして第4段階。

 学者にあるものを見せられ、「ああ、そういうことか」と、私は夢の中でついに、最終段階について理解する。

 しかし、理解し、納得した瞬間に、目が覚めてしまった。

 そこで研究者の方が私に教えてくれようとした最終段階、確かに本当に大事なことを理解したはずなのに、しかも、理解した感触は確かにあるのに、目覚めた瞬間、私は、何を見たのか、何を理解したのか、その内容を思い出せなくなっていた。

 あ~、確かに分かったのに、なんだったんだろう、と思っている間に、わずかに残っていた第4段階に関する夢の痕跡も、私の記憶の中で猛烈なスピードで薄れて行ってしまった。

 夢が逃げる。

 まさにそういう感覚だった。 

 今でも気になって仕方がない。

 どなたか、第4段階が解る方がいらっしゃったら是非教えて下さいませんか?

消費税の数字のトリック??

 報道によれば、民主党内閣は消費税を10%まで段階的にあげる構想だそうだ。確かに、現在の日本の消費税率は5%、イギリスは一般消費税率20%だから消費税率だけから見れば、日本にはまだまだ増税の余地があるように見えなくもない。

 ところが、食料品に関しては、実際に支払う税金の額は、日本の方が高いのだ。

 例えば、今朝の日経新聞「景気指標」では、日本のエンゲル係数(家計支出のうち食費の占める割合)は何故高いのか、との記事が載っている。日経新聞によると日本の食料品は、他の先進国に比較してかなり割高なのだそうだ。

 日経新聞によると例えば、豚肉1キログラムは、英米では約800円だが、日本では2400円と3倍もかかる。牛乳は1リットル英米では約100円だが、日本では約216円と2倍以上だ。

 では、豚肉1キログラムと、牛乳1㍑を買った場合、日本とイギリスとでどれだけ消費税がかかるだろうか。

 日本の場合  (2400円+216円)×0.05=130.8円

 英国の場合  (800円+100円)×0.2=180円・・・・・・となりそうである。

 しかし、イギリスでは食料品に関して消費税はゼロなのだ(菓子・外食等は除く)。

 したがって、日本は130.8円の消費税支払い、英国では0円の消費税支払いとなる。生存に不可欠な食料品にかかる消費税は弱者を直撃するからだろう。

 仮に、前述の例で日本の消費税が10%となった場合は、日本人の支払うべき消費税は261.6円となる。仮に、英国が食料品にも20%の消費税をかけていたとしても支払うべき消費税は180円に過ぎないから、消費税率20%の国の方が納めるべき税金が少なくて済むという事態が生じるのだ。

 このように、消費税率だけからみれば、税率10%がイギリスの半分であったとしても、税率をかける物品の値段が異なれば納めるべき税金の額が逆転することもある。消費税率だけを強調する政府やマスコミの数字のトリックに引っかかってはならない。

 なお、EUの多くの消費税導入国の中で食料品と一般物資の消費税を同じにしている国は極めて少数だ。

 ちなみに、消費税(付加価値税)が国税収入に占める割合は、日本の場合消費税率4%(5%のうち1%は地方消費税)で、国税収入の20.7%を賄っている。5%として考えれば国税の24.6%を賄っているそうだ。

 一方、イタリアは、消費税(付加価値税)税率20%でありながら、国税収入の27.5%を賄っているに過ぎない。

 国税収入に占める消費税割合で乱暴に比較するならば、日本の実質上の消費税の重さは、既にイタリアの消費税率20%と大差ない、といっても言いすぎではないように思う。

 JAFによれば、自動車取得・保有にかかる税金も諸外国の2~36倍といわれているし、本当に、日本は、巷で言われているように中福祉、中負担の国なのだろうか。

 秘かに高負担、中福祉の国になっていて、さらに国民に負担を求められているとすれば、誰かが国民を欺いているとしか考えられない。

 どなたか、本当のことを教えて頂けませんか??

法曹養成フォーラムの岡田委員の誤解?~その2

(前回の続きです。)

 弁護士は、これまでの経験から、消費者被害事件では、事件化しても被害回復が困難であることが事前に予想できることが多く、そのような場合、既に消費者被害にあった方に、更に、被害回復につながりにくい弁護士費用の負担をさせることが忍びないので、消費者被害を事件化することが少ないのだ。

 弱者切り捨てではなく、弱者をさらに辛い場面に追い込まないために、敢えて事件化を勧めないのだ。

 前述のような事態を避け、消費者被害の回復を可能にするには、資力がない者でも必死になって被害回復しなければならない法制度・資産の隠匿を許さない法制度を作るか、クラスアクションを導入するなど費用対効果をプラスにできる訴訟制度を法律で作るか、資力に乏しい人の弁護士費用を税金・保険制度で負担するか、などの方法以外には、ないように思う。

 これまで消費者系と呼ばれる弁護士の方は、手弁当で多くの事件を解決してこられた。ほとんどがボランティアに近い自己犠牲的活動だったはずだ。

 自己犠牲的とまでいかなくても良心的な弁護士は、被害額・回収見込みがあるかどうかも含めて検討し、費用倒れになる可能性が高い場合は、その旨を正直に伝えて依頼者の方に判断して頂いているはずだ。私は、10年以上弁護士をしているが費用倒れになっても良いから提訴して欲しいと言われたことは、わずか数回だ。

 だから弁護士を増やしても、それだけでは、消費者被害は一向に解決しないのだ。

 自由競争すべきだとの理由で弁護士を激増させると、消費者系の弁護士の方もボランティアをする余裕がなくなるため、手弁当で消費者のために戦う弁護士さんは激減するだろう。そればかりではなく、食うに困った弁護士が、自分の儲けだけを考えて、被害者に対して、勝訴可能性をちらつかせ、無理筋の事件を事件化して弁護士報酬を得る方向に向かう危険性の方が遙かに高いのだ。なぜなら自由競争社会とは、儲けた者勝ちの社会だからだ。

 まず、消費者被害も救済できる法制度、資力に乏しい人でも安心して弁護士に依頼できる制度、勝訴判決によって賠償を命じられたら何が何でも支払うよう頑張らせる制度、これらの制度を整備することが先なのだ。

 そこのところを、岡田委員は誤解されているのではないだろうか。

法曹養成フォーラムの岡田委員の誤解?~その1

 法曹養成フォーラムで、消費者問題関連の岡田委員が、弁護士不足を主張していると聞いた。

 新人弁護士の就職難からすれば弁護士は明らかに過剰になっている。過払い事件のように弁護士の生活の糧になるなら、弁護士は広告を展開し、争って受任する状況だ。

 しかし、弁護士の現状と岡田委員の感覚とは、大きくずれている。

 何故そのようなずれが生じるのか。

 私見ではあるが、おそらく、消費者問題を抱えた方を弁護士に紹介しても、弁護士が事件化して相手を訴える等の行動をとらない場合が多いからではないだろうか。

 事件化しないということは、結果的に、消費者被害事件の被害者が泣き寝入りせざるを得ないということで、一見、弁護士が、弱者切り捨てをしているのではないかと思われる方もいるかもしれない。しかし、現実は逆である。

 消費者被害事件では、詐欺的商法を行った加害会社が倒産している場合や、加害会社代表者が逃亡している場合も少なくない。また、被害が少額である場合がほとんどである。

 このような場合に、仮に訴訟にして相手を訴えて勝訴しても、日本の法制度では相手に資力(財産)がなければ回収できず、被害を回復できる可能性は、まずない。つまり勝訴判決をとっても絵に描いた餅で、その判決によって消費者被害の回復ができないこと極めて多いということだ。

 また訴訟を提起してもらう以上、当然弁護士費用はかかる。公務員のように、弁護士の生活が国により保証されているならともかく、弁護士は法的サービスを提供し、その報酬で生計を立てているから当然だ。タクシーに乗ったらタクシー料金がかかるのと全く同じだ。この点、消費者被害では被害が少額であることも多く、その場合、弁護士費用が、被害額を超えてしまう場合も多くなる。わずか10メートルの移動にタクシーを使う人がいないのと同じで、費用対効果の観点から5万円の被害を回復するのに10万円の弁護士費用をかける人は、まずいない。

 弁護士も、自分の儲けだけを考えるならば、上記のような回収困難・費用倒れが明らかな消費者被害案件でも、「勝訴できる可能性はあります」と伝えて、弁護士費用を頂戴して事件化することはやろうと思えば、当然できる。しかしその結果、仮に勝訴しても現実には被害金額が回収ができないから被害は当然回復できないし、勝訴のための弁護士費用までも(消費者被害を受けた)依頼者に負わせる結果になってしまう。

 これでは、勝訴したところで、被害回復が出来ず泣き寝入り、弁護士費用もかかって泣きっ面に蜂、ということになり、被害者救済にならないばかりか、却って被害者の経済的負担が増すことは誰の目にも明らかだろう。

 これは弁護士が悪いわけではない。弁護士は受任してきちんと勝訴しているからだ。資力のない者(資産を巧妙に隠匿する者)から賠償を得ることが極めて困難な日本の法制度、資力に乏しい人の弁護士費用を税金や保険で負担できない現代日本の制度上の問題なのだ(法律扶助制度はあっても原則償還制であり、後で返済する必要がある)。

(続く)

日弁連の異例な意見交換会~その2

11月1日に行われたこの意見交換会は、日弁連の会議室で行われた。

 部屋の奥に執行部が陣取り、執行部を左側に見ながら法科大学院センターが、執行部を右に見ながら法曹人口政策会議が、それぞれ向かい合って陣を敷き、入り口側に司法修習委員会が法科大学院制度により弁護士となった方々と一緒に座るという配置だった。

 一見して、法科大学院センターと法曹人口政策会議の対決?っぽい座席配置だった。

 開会の挨拶の後、法科大学院センターの委員長から、法科大学院導入の経緯など、もうわかりきっている説明が延々なされ、その後、法科大学院出身者からの発言があり、法曹人口政策会議から問題提起を行い、意見交換という段取りだった。

 法科大学院センターの話は、正直あまり説得的ではなかった。多様な人材を招き入れる理想を散々述べていたが、結局、非法学部出身者の割合は、旧司法試験時代と変わらないデータを否定できなかった。

 また、現在定員削減などで改善中だとのことだったが、幾ら改善したところで法科大学院志願者が圧倒的に減少している現状では、質の維持は現実問題として無理だ。合格者の平均年齢だって、下がっている訳じゃない。社会人に配慮すると言いつつ夜間コースのある法科大学院はわずかだ。各地域に法科大学院を配置するといっても私の郷里のような、ど田舎の法曹過疎地には法科大学院分校すら設置しない。

 その上で、お金も時間もかかる法科大学院を卒業しなけりゃ、原則司法試験を受けさせないとは、悪い言い方をすれば司法試験受験資格を人質に取った法科大学院による搾取ではないか。この疑問に的確に答えられる反論は法科大学院センター側からはなかったように思う。

 ちなみに法科大学院適性試験((独)大学入試センター)の志願者数は、制度が発足した平成15年度は39,350人であったが、減少傾向にあり、22年度は8,650人と78%減少・法科大学院の入学志願者数は、制度が発足した平成16年度は延べ72,800人であったが、減少傾向にあり、22年度は延べ24,014人と67%減少している。志願者が減れば、全体としての法科大学院入学者の質は当然下がる。競争率1.1倍の高校と競争率50倍の高校では、おそらく生徒の質に相当の差が出るだろう。

 言っちゃ悪いが、いわゆる3流高校の生徒が東大の授業を受けてもおそらく理解できないのと同じで、いくら、法科大学院がその教育内容を改善しようとしても、万一仮に法科大学院の教育が良いものだとしても、入学者の質が低ければ、そもそも教育の実はあげられないのだ。

 一方、法科大学院には多額の税金が投入されている。H16年からH22年まで、法科大学院に投入された税金は、毎年71~99億円である。法科大学院対象の日本学生支援機構の奨学金は、上記期間中に68~129億円の予算が組まれているのだ。きちんと法律家を養成する頃ができない法科大学院とそれに嘉陽奨学金のために毎年200億円前後の税金を投入するくらいなら、法科大学院を廃止して、司法試験一本勝負に戻し、合格した人間に給費制を復活させて育てる方がよほど税金の無駄遣いにならないし、日本の将来のためになるだろう。

  大分、話がそれてしまったが、法科大学院センター側は、新制度で合格された超優秀なスーパーエリート弁護士を連れてきて、「法科大学院制度がなければ私は弁護士になっていない」、と語らせ、多様な人材が新制度で弁護士になっていると述べようとしていたが、仮にそのような事実があったとしてもそれは、「新制度導入によって一部の方が弁護士志望の決断ができたことの言い換えにすぎない」ということは、既に私の11月2日のブログに書いたとおりだ。

 また、法科大学院制度を通じて弁護士になった方であっても、法科大学院不要論を述べる方も何人もいた。法科大学院に通える人間は、本当に経済的に恵まれた人間であって、そのことを忘れてはいけない。経済的理由で、優秀でありながら法曹志望をあきらめる多くの人間がいることをに目を向けるべきであるという、渡部弁護士の発言は重かった。

 また、法科大学院センター側から、旧司法試験でも金太郎飴的答案や受験生が同じような間違いをしているとの指摘があり、その弊害を除去を目的とした制度でもあるとの主張もあった。

 しかし、法科大学院での教育を受けた人間が受験した最近の新司法試験の採点実感において、パターン化した答案が目につくとされている点、基本的知識に欠落があり法律試験の答案の体をなしていないとされている点、法的三段論法すらできている答案がわずかである等、法科大学院制度によっても答案のパターン化は改善できず、むしろこんなレベルで実務家にして良いのかというくらい受験生のレベルダウンが甚だしいという事実が指摘されていることに対して、有効な反論はなかったように思う。

 意見交換の中で、感じたのは、日弁連の法科大学院センターは、法科大学院の理想は素晴らしいという点だけにすがって、現実をあまり見ていないのではないか、ということだった。どんなに理想は素晴らしくても現実に失敗となっているのであれば、直ちに改めるのが、正しいのではないか。

 法科大学院を卒業しなくても司法試験の受験資格を与える、予備試験の最終合格者が先日発表されたが、法科大学院を卒業して司法試験を受けるだけの素養があるかを判断するはずの試験でありながら、法科大学院修了者は336人受けて19人しか合格しなかったと聞いている。元来法科大学院は厳格な卒業認定をすると国民に約束しているので、卒業者は当然相当の実力を持っているはずだし、卒業者の実力を法科大学院が保証していることになるはずだ。

 しかし、この予備試験結果からみれば、本来法科大学院を卒業していれば全員合格して当然の試験に5~6%しか合格しないのだから、明らかに、法科大学院を守るために合格者を絞っている制度といわざるをえないだろう。

 こんな不公正なことをやっていて、優秀な人材が法曹界に来るはずがない。

 散漫な記事になってしまったことをお詫びします。

※なお当ブログの記載は、当職の個人的意見であり、当事務所の他のいかなる弁護士にも関係はございません。

職業講話に行ってきました

 大阪市立南港北中学校から、ご依頼を頂戴して、職業講話を行ってきました。

 何度か中学校での職業講話をしたことはありますが、南港北中学校は、確か初めてでした。

 講師は、私の他、

 バンジョー奏者の 吉崎ひろし さん

 大阪女子短期大学 准教授 沖山圭子 さん

 (有)こだま製作所代表取締役、大阪テクノマイスター認定者 笹尾恭三 さん

 の3人の方でした。

 30分講義して5分質問を受ける形で、2クラスで講義させて頂きました。

 大急ぎで弁護士の仕事を説明して、中学校の勉強の方法を少し説明していると、あっという間に30分が過ぎてしまいました。もう少し時間があればじっくり説明できるのですが、年だからでしょうか、あらゆる可能性も持っている中学生の方に、いろいろ伝えたいことがあったため、早口・駆け足になってしまったのが残念です。

 講義の後、控え室まで講師を送り迎えしてくれた学級委員の生徒さんに、僕の話は分かりましたか?とお聞きしたところ、所々難しいところもあったけど、分かったつもりですと言って頂きました。

 講義後、バンジョー奏者の吉崎さんに校長室で特別に演奏して頂いて、かなり満足して帰途につきました。吉崎さんは、NHKの生活笑百科のテーマソングを作曲・演奏もされているそうです。

 この中学校は、4階建てでかなり大きな校舎だったのですが、生徒数が減少しており、一学年2~3クラスほどしかない様子でした。

 学校を出た後は、笹尾さんや沖山さんと、大阪南港の都市計画の失敗状況や、ゆとり教育の問題点など論じながら帰途につきました。

 生徒さんの反応が良ければ、来年も呼んでもらえる、かもしれません。

今朝(11月8日)の日経新聞TPP関連の記事について

今朝(11月8日)の日経新聞は、TPP参加賛成の、記事で満載だ。
 一面には、論説委員長芹川氏の「国を開かないでどうする」との記事。経済面では、TPP参加による日本の利点が多いなどとの記事がある。
 しかし、論説委員長の記事も、読んでみるとよく分からない。
 芹川氏は、今後最適の判断が必要とのべ、参考例を2つあげる。
 一つは、韓国がFTAをEU・アメリカと締結していること、もう一つは明治維新である。
 しかし、例に出されている韓国は、私の記憶ではTPPに参加する意向を示していないのではないだろうか。一見説得的に見える芹川氏の記事だが、卑近な例にたとえれば、韓国隊が周到な準備の上でゴビ砂漠の探検に成功したのだから、日本隊がもっと恐ろしいかもしれないサハラ砂漠に事前の準備・検討もろくにせずに探検に出るべきだと主張するのと同じではないか。(私の素人考えとしては韓国の輸出競争力は、国を挙げてのウォン安政策によるところが大きいと思うが。)
 関税面では日本はすでに相当開かれた国であるのに、鎖国していた江戸時代に例えること自体が、かなりの無理がある。そこまで無理する以上、かなりの誤導が入っている危険性が高いだろう。江戸時代から明治維新にかけての拙速な開国によって、どれだけ不平等条約改正に苦労したのか、まさか日経新聞の論説委員長様が知らないわけがあるまい。
 同じく、今朝の日経の記事には、中国がTPPが経済ブロック化することを警戒していると書かれている。中国を敵に回す格好でのアジアの取り込みなど考えにくいのではないだろうか。アジアを取り込むといいつつ、TPPで中国に対する安全保障を考えるということは本当に可能なのだろうか。
 TPP交渉に参加しても、日本の国益にならない場合は参加見合わせが可能であれば、大きな問題はないだろう。しかし、TPPの中身を決める会合に参加してさんざん意見を述べた上で、「やっぱりやめます」では通らないだろう。TPP交渉への参加は、一度参加すれば逃げられない片道切符とみるべきだ。
 一番の国益を考えるならば、TPPの中身が明確になった時点で、日本の国益に合うならば参加、合わないのであれば参加見合わせでよいはずだ。
 グローバリゼーションの名の下、アメリカ的経済思考が全世界に蔓延し、貧富の差がこれまで以上に拡大していったこと、そして、アメリカ社会においてすら、格差社会への不満が噴出し始めていることを忘れてはならないように思う。
 芹川氏自身も書いているように、日本の2011年度GDPは1991年度GDPと同水準だそうだ。日経新聞は、これまで「大幅な規制緩和・自由競争によって、良い社会がくる」とあおったことはなかったか。マスコミは、そのように国民をあおった責任を一度でもとったことがあるのだろうか。
 大幅な規制緩和・自由競争よってもたらされた現在の閉塞状況を顧みるに、マスコミのお気楽な論調を鵜呑みにすることは、私には到底できない。
 

日弁連での異例な意見交換会~その1

 日弁連の委員会に出たことがある方でないと、おそらくご存じないと思うのだけれど、日弁連は極めて強烈な縦割り行政に近い運営がなされている。

 具体的には、法曹人口問題は法曹人口問題政策会議、法曹養成問題は法曹養成制度検討会議、法科大学院関係は法科大学院支援センター、で議論されており、相互に密接に関連するはずなのに、ほとんど具体的な意見交換はなされない(若干の委員の兼任はある)。

 だから、法曹人口問題政策会議が司法試験合格者減員(増員のペースダウン)の緊急提言を採択しても、同時に法曹養成検討会議が「法科大学院を中核とする法曹養成制度の堅持」に関する緊急提言などを行って、一方の緊急提言の意味を減殺し、平たく言えば足を引っ張ることが可能となっている。

 法曹人口問題政策会議では、これまで1年以上にわたり、法曹養成検討会議や法科大学院支援センターと意見交換させろと何人もの委員が申し入れてきたが、法曹人口問題政策会議の委員のうち数名を、別の委員会に派遣するから意見交流はできているという論法で、その申入れが拒否されてきた。せめて傍聴をさせて欲しいと、直接会長に某委員がお願いし、会長の了承が出たにもかかわらず、その後、理事会の決定か委員会の反対か、理由ははっきりとは分からないが、その日弁連会長の了承すら反故にされてしまったこともあるくらいだ。

 意見交流が拒否されてきたのは、法曹人口問題政策会議がこれまでの日弁連の委員会と異なり、極めて異質な構成を取っていることがまず理由に挙げられるだろう。

 これまでの日弁連の委員会は、日弁連の意向に沿った委員が(各弁護士会などから)選定され、日弁連執行部向きの結論ありきで委員会が運営されていたように見える。

 宇都宮会長が設置した法曹人口問題政策会議以前の、つまり宮﨑誠会長時代の法曹人口問題に関する委員会を傍聴したことがあるが、あれだけ新人弁護士の就職難など、増員の弊害が出ているのに、現状維持で十分大丈夫だよね、という極めて危機感もなく、議論にもならない発言が相次いでいたので驚愕した覚えがある。

 あまりの危機感のなさに、傍聴者ではあるが、休憩時間に議長に説明を求めてしまったくらいだ。

 ところが、宇都宮会長が設置した、法曹人口問題政策会議は、従来から法曹人口問題について懸念を表明していた各地方の弁護士も委員に加え、公平・公正な委員構成を取った、極めて画期的な会議だ。この会議では、法曹人口問題について、ペース維持派とペースダウン派が相当激しく議論しあってきた。これまでの日弁連イエスマンばかりではなく、本当に真剣に法曹人口問題を考える委員がたくさんいる。増員ペース維持派が論破されることも多いように思う。

 逆に言えば、会議で真剣に議論がなされるため、執行部としては、運営や意見をまとめるのに相当苦労する会議であることは間違いない。そのため、法曹人口問題政策会議と、他の委員会との意見交換をやれば、かなりの紛糾可能性があることを執行部としては危惧していたのだろう。

 しかし、11月1日、ようやく、意見交換会が開催された。これは宇都宮執行部の英断であり、他の会長では実現できなかった可能性が高い。それだけ、日弁連の縦割りは強烈なのだ。

(続く)

法科大学院制度がなければ弁護士になれなかった?

 法科大学院を擁護する立場の方が良く強調したがるのが、「法科大学院がなければ弁護士になっていない」と主張される方の存在です。

 果たして本当にそうなのでしょうか。

 本当に法科大学院ができただけで、司法試験受験を決意されたのでしょうか。

 法科大学院ができたから法曹を目指したという主張が文字通り正しいのであれば、法科大学院卒業+合格率が3%であっても法曹を目指す人が増えていなければおかしいように思います。

おそらく

①法科大学院の指導に沿って勉強すればいいという指針が見えた。

②合格率が跳ね上がると聞かされた。

③弁護士の就職難(弁護士が食えない)などあり得ない(ニーズは無限にある?)と、当時は考えられていた。

等の理由から、

法曹への道を決断された方が多いのであって、主な理由はおそらく②・③だと思います。(東洋経済等、マスコミがこぞって、合格率が上がることを指摘しながら「貴方も弁護士になれる」等の特集を組んでいましたので。)

理由が①だけの方は、旧試験制度でも自分が決断さえすれば、法曹を目指すことができた方だと思います。今は、法科大学院乱立とむちゃくちゃな弁護士増員のせいで②どころか、③まで危うくなってきており、現に志願者は物凄く減少しています。①の理由だけなら法曹志願者が減少する理由付けにならないようにも思われます。

 つまり、法科大学院制度ができたから弁護士になれたというのは、かなりミスリーディングな言い方であるように思われます。

 大阪の南和行弁護士(法科大学院卒)は、この点について、次のように指摘されています。

「法科大学院制度がなかったら弁護士になれなかった」

という言い方は本当に誤導です。

「法科大学院制度があったから,弁護士になる最後の決断ができた」

と言うべきなのです。

法科大学院制度がなくても,その人が「決断」さえすれば,

旧司法試験制度でも,弁護士にはなれたのです。

ただし,

「法科大学院があるから弁護士になれない」

というのは真実として存在します。

弁護士になる「決意」「決心」はいくらでもあっても,

地域の偏在や,経済事情や,

自分以外の要素のせいで法曹養成の道に,

乗っかることもできない人がいることが,

法曹の将来にとって深刻だと思うのです。

極めて明確な指摘であり、現状の法科大学院の問題点をずばり指摘しているように思えます。