ロースクール授業参観記~その2

さて、授業時間も迫ってきた。
問題は、どの授業を見学するか、である。

4限目(14:40~16:10)に授業参観を許されたのは、会社法の授業だ。
新入生13名の参加するクラスと、再履修者10名の参加するクラスのいずれかが見学可能だ。

S弁護士としては、法科大学院がやたら強調する「プロセスによる教育」とやらが、半年間でどれだけ新入生に威力を発揮して教育効果を上げているのか知りたいと思ったので、迷わず新入生クラスを希望した。

なんでも教室は地下にあるそうだ。京大在学中に、勉強会でJ(法学部)地下といえば薄暗い雰囲気があったので、地下の教室とはどんなところや??まさか薄暗くって変なとことちゃうやろな、と自問自答しつつ、弁護士会のエライ先生に続いて、S弁護士は階段を下りる。

地下とはいえ、蛍光灯が煌々と灯り、明るい。
未だ節電状態継続中で、蛍光灯が間引きされ、まっ昼間でも薄暗~い大坂地裁や高裁の廊下とは打って変わって、非常に明るい雰囲気である。
ただ、何となく司法研修所の「いずみ寮」のように、妙に真っ白で病院的な雰囲気が漂っていなくもない。なにもそこまで、司法研修所っぽい雰囲気を出さなくても良いのにと、S弁護士としては思うのだが、教室の中に入ってさらに驚いた。

教壇に向かって、半円形状にまた階段状に机が並べられている。50~60名は優に座れるだろう。机の広さや椅子の間隔から考えれば、司法研修所の教室よりも立派かも。教壇の後ろには巨大なホワイトボード。机のフタを開けてみるとノートパソコンが入っている。盗難防止用にワイヤーでしっかりとつながれているのが、将来の、優秀で人格高潔な法曹を養成する法科大学院としては泣けるところだ。
教員の方が、教壇のどこかをいじると、ガイィーン・・・と音を立てて、巨大スクリーンが降りてくる。パワーポイントで作ったと思われるレジュメがその巨大スクリーンに投影される。
おおっ、なんだか、ガルマ・ザビの葬儀の時みたいでかっこいいぞ。昔はガンダムファンだったS弁護士は、心の中でジーク・ジオンとつぶやいてみたりする。

でも、生徒は少ない。約13~14名程度しかいない。

だから、せっかくの教室も、がっらがらに空いている。貧乏性のS弁護士から見ると、こんな立派な教室・設備は、無駄な施設なんじゃないの、と思えてしまう。だって教室の5分の1も使ってないんだから、仮に今日の授業でパソコンを使うとしても40台以上のノートパソコンがむなしく眠っているのだから、そう思っても無理はない。

だが、それはそれで仕方がない。
法科大学院教育は少人数制・双方向教育が目玉なんだから、60名用の教室でも13名なんだ。それでいいんだ。それが売りなんだから。授業料だってそれを前提に設定しているはずなんだろうし、税金だって投入されている。無駄なんていうと、逆に崇高な法科大学院の理想とやらに、罰を当てられる危険があるかもしれない。

考え直して、教壇の真正面最後列の机にS弁護士は腰掛ける。

ありがたいことに、教員の方から、パワーポイントのスライド4枚分を一枚のB4判に印刷したレジュメ(4頁×2、第7回と第8回の分)を頂くことができた。

いよいよ、授業の開始である。

(続く)

ロースクール授業参観記~その1

大阪弁護士会からの案内で、某法科大学院の授業を見学する機会に恵まれた。
私は、これまで法科大学院制度反対の態度を取ってきた。時折誤解される方がおられるので念のため申しあげておくが、私は確かに、関西学院大学大学院法学研究科の非常勤講師も務めさせて頂いてはいるが、この大学院は法科大学院ではなく、修士課程の方なのだ。
その点ではきちんと、態度としては一貫しているつもりだ。

さて、授業参観当日、S弁護士は、集合場所と指定された法科大学院の建物に向かっていた。関西では誰もが知っている有名な大学だ。

近くの駅を降りると、いきなり、黄色に輝く伊藤塾伊藤真塾長の笑顔ドアップの大看板が立っていたりする。正門近くにはLECもあるようだ。営利社団法人の予備校が需要がないところに広告を出すはずがないので、この大学は伊藤塾やLECからは相当な需要が見込まれると判断された大学なのだろう。有名大学だし当然といえば当然だけど。懐かしいことに、大学浪人時代に足繁く通っていたゲーセンも数軒、まだこの界隈では生き残っているようだ。

秋とはいえ、あなどれない日差しを浴びて坂道を上る。途中、100円の自動販売機でお茶を買おうとしたら、売り切ればかりで、仕方なく130円で「綾鷹」を買うはめになった不運を嘆きながら、集合場所とされた法科大学院の建物へ急ぐ。

今ひとつ分かりにくい学内地図を見てようやく待ち合わせ場所の建物を発見した。

入ってみて驚いた。
ずいぶんと、立派なのだ。
シックな椅子が置かれた待合?の天井にはステンドグラスのような美しいガラス装飾が施されており、天井も高い。張り紙などもなく、清潔な印象だ。学生の密度が少ないのか、大学特有のがやがやした雰囲気もない。

私が在籍していた当時、外部の講師の方が「(教養部について)宇宙一汚い大学じゃないの」と宣った京都大学なんかよりも、はるかに学問の香りが漂っているんじゃなかろうか。
学究の塔は、こうでなくっちゃ、という感じである。

S弁護士は、そこで、大阪弁護士会の授業参観希望の先生方と合流する。
ところが、意外な事実が。
S弁護士は、大学までの、だらだら坂を汗をかきかき登ってきたのだが、何とエスカレーターがあったというのだ。多くの先生方は、当然そちらを利用したとのことだった。

完全に予習不足、情報不足だった。

誰もが認める人格者でいらっしゃる、森恵一先生が、Sさんは真っ正直だからと慰めて下さったが、S弁護士の気持ちは収まらない。

これでは、古文で習った、仁和寺を見学しようとして、末社などだけ見て満足して帰ってしまった僧のようではないか。

すこしのことにも先達は、あらまほしきことなり、吉田兼好は偉かった。

(続く)

65期修習生の採用お願いについて

また、弁護士会から、65期修習生を採用してやって欲しいというお願い文書がレターケースに届いている。

何度も言っているが、弁護士のニーズがあればどこの事務所も新人弁護士を雇用したくてたまらないはずなのだ。

しかし現実は違う。弁護士会が頭を下げて、どうか新人弁護士を採用してやって下さいと何度も何度もお願いしているのだ。

理由は明らかだ。弁護士のニーズがないからだ。

私は、この手のお願いが来る度に何時も思うのだが、この問題は、潜在的ニーズがある、弁護士はまだまだ不足している、と仰る(仰ってきた)弁護士の名前を公表してやれば良いと思う。それだけで、すぐに解決する問題のはずなのだ。

だって、ニーズがあるなら弁護士を雇用して、真っ先にそのニーズを開拓すれば良いだけだ。弁護士だって自由競争だというならば、その潜在的需要を真っ先に開拓したものが優位に立てるのは、子供だって分かるはずだ。弁護士が不足しているというのであれば、雇用したくても雇用できないからそういっているのだろう。だったら雇用すればいいじゃないか。

潜在的需要はホントはあるかどうか分からんがあるはずだ、自分で新人弁護士を雇用する必要はないがまだまだ弁護士は不足している、というのでは、あまりにも無責任な発言だ。

これまで潜在的ニーズ論や増員論を唱え続けてきた弁護士は、直ちに「私の事務所に来れば職はある。一緒に潜在的ニーズを開拓して、弁護士不足を解消しよう!」と、声を上げるべきだし、そうでないとおかしいだろう。
だとしたら、そのような弁護士を紹介してあげるだけで事は足りる。就職させてやってくれ、なんてわざわざ頭を下げる必要なんてないじゃないか。

潜在的ニーズ論弁護士、増員派弁護士、司法修習生、みんなハッピーじゃないか。

以前から日弁連や大阪弁護士会などでこの意見を何度か言ってきたが、日弁連会長も、大阪弁護士会会長もそうしてくれない。
最も効果的な就職対策だろうに、何をためらっているのか、私にはさっぱり分からない(皮肉です)。

相続税に関するセミナー講師をしました。

本日、11:40~13:10まで、インテックス大阪で行われていた、全国賃貸住宅新聞社主催の「賃貸住宅フェア2012IN大阪」で、セミナーをさせて頂きました。

ともに相続税還付のサイト(http://forest-souzokuzeikanpu.idealaw.jp/)を運営している、税理士の内田誠先生と一緒に、相続税還付の実態というタイトルで、前半を内田先生、後半を私が担当させて頂きました。

賃貸住宅フェアは初めてだったのですが、大きな会場の一部を区切ってセミナー会場にしており、7種類のセミナーが同時並行で実施されているため、会場全体がわ~~んとなっている状況でした。

税務面については主に内田先生にお願いし、私は、相続税関連の判例紹介などを行いました。特に最近までトレンドであった、広大地補正に関して、納税者側に厳しい裁判例が相次いでいること、広大地補正だけではなく、その他の手段も組み合わせて総合的に相続税対策を行う必要があること等を交えて、お話させて頂いたつもりです。

裁判例の紹介になると、事案をある程度説明しなくてはならず、口頭での事案説明ではどうしても不十分になりがちなので、スライドの数が増えても、事案も含めてパワーポイントに入れておけばよかったと、少し反省すべき点もありました。

セミナー修了後、少年鑑別所での接見が控えていたので、多くの方とお話ができなかったのが残念ですが、私としても大勢の方の前で、お話ができるという機会を頂戴し、貴重な体験ができました。

夜想

今朝、通勤途中に鴨川の橋を渡ると、金木犀が香っていた。
これからが、一番私の好きな季節だ。
朝夕とても過ごしやすくなり、空を舞うトンビが何となく寂しそうに見え、青空は透けていき、夕暮れは深くなる。
夕方になると何故だか、心細さが増してくる。

金木犀には、2度ほど香る時期があるように思う。
しっかり観察しているわけではないが、樹によって違うのだろう、10月初旬と、中下旬に香りのピークがあるように感じる。

私が賃借りしている自宅の裏に、古い家があり大きな金木犀が植わっている。その古い家から、あまり人の気配がしなくなったと感じてから数年経って今に至るが、金木犀は毎年秋になると、素敵な香りを忘れずに届けてくれた。深夜ベッドに横たわりながら窓を開け、建物の隙間から見える星をぼんやり眺めつつ、ときによい香りのする秋の空気を楽しむことは、私の秘かな楽しみだ。深夜に不意に通り過ぎる金木犀の香りは、私にとっては、何故か若かった頃の少し切ない、しかし振り返ればよき想い出といえる記憶を呼び覚ます気がする。

不思議なことに、その金木犀の樹は、1本なのに、10月には2度ほど強く香ってくれているように、私は感じていた。

先日、工事会社からのチラシが郵便受けに入れられていた。

金木犀のある裏の古い家が取り壊され、駐車場を造成する工事のお知らせだった。

きっと、あの金木犀も伐られてしまうことになるのだろう。
毎年、金木犀から当たり前のようにその匂いをかぎ、これからもずっと毎年香ってくれると、なんの疑いもなく考えていた、あの金木犀の樹からの香りのプレゼントが突然今年で終わってしまうことが分かった。

いつも感じてしまうのだが、なくすことが分かってから、もしくは、なくしてしまってから、なくしたことの大事さに気付くことが、私には多すぎる、そんなふうに思えるときがある。

人として成長すれば何時かそういうことはなくなるのだろうか。

お詫び

前回のブログで「続く」と記載しましたが、その続きを書いたはずの文書ファイルが見つからなくなってしまいました(泣)。
ちょっと内容の再現ができなくなってしまいましたので、続きのお話は、「なし」になります。

お詫び申しあげます。

ただし、未だに法科大学院擁護者が仰る、「プロセスによる教育」万歳論に対して、以前のブログで、書いておりますので、是非ご参照下さい。

(プロセスによる教育ってなんなんだ1~4)
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/14.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/16.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/17.html
http://www.idea-law.jp/sakano/blog/archives/2011/06/20.html