「なんやこの書面は!」
「ご指示通り、訂正しました」
「全然直ってへんやないか!」
その日の半年ほど前から、このような会話の後に、私は、
「申し訳ありません、やり直します」
と答えていた。
しかし、その日は、私の我慢も限界に来ていた・・・・。
もう20年近くも前になるだろうか。
私がイソ弁時代のことである。
私はボス弁3人の事務所に一人目のイソ弁(勤務弁護士)として入所したのだが、ボス3人がそれぞれ独立して事件をこなしている中、3人からあれこれ仕事を振られる状況だった。3人ともやり方が違う上に、それぞれが急ぎだといってくるので、1人のボスの仕事を片付けていると、他のボスが頼んだ仕事はまだかとせっつくなど、対応がとても困難だった。
そこで要領悪くバタバタしていた私が気に食わなかったのか、ある時期から、1人のボスから何かにつけて(私から見ればだが)過度に叱られるようになった。
もちろん相手はベテラン弁護士なので、新米弁護士のアラなど、探せばいくらでも出てくる。
それをいちいち取り上げて、叱られるようになったのだ。叱られていないときはたいてい無視である。
ボスの書面を指示通りに直せば、「工夫がない、事務員で足りる」と言われ、指示を私なりにより良いと思う表現に変更すれば「指示を守らんで、何をしている」と言われ、そのくせボスが提出する書面には私が変更・訂正した表現や理屈を使っていたりする場合が何度もあるなど、私はどうすれば良いか分からなくなり、相当精神的に疲弊していた。1人のボスは同情してくれて優しい言葉を掛けてくれたが、それでストレスが解消されるものでもなかった。
今の時代であれば、パワーハラスメントに近いボスの行為だったと思うが、正直言って、事務所に出ること、通勤電車に乗ること、朝起きること、そして朝起きるために寝ること、その全てが辛く、そして嫌になっていた。
ある日、駅の階段の上り下りもきつくなり、医者に行くと、肝臓の検査結果の数値が相当悪くなっているということで、強く入院を勧められた。原因はストレスではないかということだった。
私はもう限界に近づいていた。
もちろん、私の人間としての未熟さがあったとは思うし、社会人としては失格だったかもしれないが、ついに言ってはいけない言葉を返してしまったのだ。
私は、ボスに対し「申し訳ありません、やり直します」と答えず、
「いいえ、これが先生のご指示通りの訂正です」
と答えてしまったのだ。
思いがけない反応だったのか、ボスの顔色がさっと赤くなり、「そんな指示、わしが出すはずない!」と怒気を孕んだ大きな声が返ってきた。迫力はあった。
しかし私も限界に来ており、もう引くに引けなかった。私は、ボスが私に渡した訂正指示の書面を、「これがご指示です」とボスの目の前に突き出した。
その後のやり取りは、良く覚えていないが、立ったままでボスから叱責を受け続けていると、猛烈な吐き気を催してきたので、「スミマセン、ちょっと吐いてきます」とトイレに向かい、さんざん吐いた記憶は残っている。
もう私は、疲れ切っていた。もう弁護士としては、やっていけないかもしれないと思った。苦労して司法試験に合格したのに、今の現実がとても悲しかった。
人間とは不思議なもので、そんなときでも、理性は働く。事務所を出たあと、食欲はなくとも食べなければ、もっとダメになるという思いが私にはあった。
私は、帰宅時に立ち寄った、いかにも職人さんという感じの店長さんがやっている中華の店のカウンターで、ジンギスカンとご飯を注文し、出てきた定食を食べていた。
店長さんは、店長と呼ぶより大将と呼ぶ方が似合うような、また、そう呼びたくなるような方だった。私が黙ってお店のドアを押し開けたときは、学生に人気の店とはいえ、決して綺麗とはいえないお店であり、時間も遅めだったこともあり、客はそう多くはなかったと記憶している。
普段は好きなジンギスカンもあまり味が感じられない気がしたが、薬のつもりで私は食べ始めた。
半分くらい食べた頃だったろうか、俯いて、ぼそぼそと定食を食べていた私の前で、コトッと小さな音がした。
顔を上げて見てみると、揚げたてで湯気の立っている唐揚げが2個、小皿に載っておかれていた。
もちろん私が注文したものではなかった。
「あの・・・」
「あ~、ええから。ええから食べ。」
注文の間違いではないか、と言おうとした私に、大将は、片頬で笑みを一瞬だけ浮かべただけで、それ以上何も言わず、いつもの職人さんのような顔で、次の調理作業に戻っていった。
おそらく、はたから見ても私は、相当しょぼくれて、消耗していたのだろう。
大将は、そんな私を、私が一介の客であるにも関わらず、見過ごすことができなかったのだろう。
そんな大将の優しさは、そのときの私には、とても、とても大きく有り難いものだった。私は、本当に久しぶりに、人には優しさがあるのだということを思いだした気がして、唐揚げを頬張りながら、他の客に見られないように嗚咽をこらえて、鼻をすすり、小さく涙を拭った。
そして、少しだけ頑張ってみようという気持ちを、心の中になんとか、小さいながらもかき立てることができたような気がした。
支払いのときに、私は「有り難うございます。お陰様で、もうちょっとだけ頑張れそうな気がします。」と少し鼻声になりながら、正直に感謝の気持ちを伝えた。
大将は小さく頷いて、「がんばりや」とだけ言ってくれた。
そのお店が、「餃子の王将」出町店である。
お金の無い学生さんに、30分皿洗いすればお腹いっぱい食べさせてくれる制度をずっと続けていたお店であり、私の知っている限りずっと大将は同じ方だった。
そのお店が、今年の10月末で閉店するという報道を新聞で読んだ。
大将のお名前が井上定博さんである、ということもその記事で初めて知った。
閉店までにもう一度行ってみたい。
行って、ジンギスカンを注文し(今では、餃子もつけても良いかな、という不敵な考えもある)、「お陰様でなんとか頑張れています」と伝えたい。
こういう気持ちは私の中で強くあるのだが、また、あのときのように大人げもなく涙ぐんでしまうのではないかという、他人には言いにくい恥ずかしい気持ちもあって、私の心は揺れている。
後記:「出町柳店」ではなく、「出町店」が正しいようなので訂正しました。