児童ポルノ所持と自首

 児童ポルノ大手販売サイトの摘発報道がなされてから、児童ポルノ所持罪が心配になって相談に来られる方が、当事務所にも複数いらっしゃる。

 そのような方から聞いた話だが、児童ポルノ所持について相談すると、逮捕される可能性があるなどと相談者をビビらせて、自首を勧め、自首に同行する費用として高額の弁護士費用を要求する弁護士がいるとのことだ。

 ある相談者の方は、捜索差押や逮捕を避けるには自首したほうがいい、自首のための上申書作成と自首のための弁護士同行で、あわせて80万円もの弁護士費用が必要だと弁護士にいわれ、とてもそんなに払えないということで当事務所に相談に来られていた。

 確かに、児童ポルノ所持とはいえ犯罪態様によっては、自首を選択したほうがいい場合もあるだろう。しかし、児童ポルノ所持にも様々な態様がある。私のお聞きした相談者の方の事件内容であれば、あえて自首をする必要までは認められないと思われるものだった。

 また、自首したから絶対に逮捕されないとか捜索差押えを受けないという保証はないし、正式に自首として受理されれば、自首の手続きは告訴に準じるから、自首を受理した場合、刑訴法245条・同242条により司法警察員は速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に送付しなければならないことになり、却って捜索差押を誘発する契機にもなりかねなかったりもするのである。

 もちろん、TV番組でもよくあるように弁護士によって判断・意見が異なることはありうるから、私の見立てが絶対に正しいとは言わない。
 しかし、少なくとも私が相談に応じた事案は、自首する意義がほとんどないと思われるような事案であった。

 私に言わせれば、このような事案で自首を勧めることは、一般の方に分かりやすいように病気に例えるならば、まったく虫垂炎の気配もなく、今後も特に問題は生じるとは思えない状態であるにもかかわらず、敢えて将来的に虫垂炎になる可能性を医師が指摘し、それを聞いて、「虫垂炎も手遅れになれば死にますよね」、と必要以上にビビっている相談者に対して、健康保険が適用されない自費診療での高額な予防的虫垂摘除手術を勧めるようなものである。

 とはいえ、このような手術を勧めても、違法ではないだろう。

 医師としては屋上屋を架すことになっても、念には念を入れて虫垂炎の心配を取り除くほうが良いと考える場合もあるだろうし、虫垂炎になってから手術をしても十分間に合うものの、高額の手術料を支払っても虫垂炎になる心配を失くしておいたほうが気が楽だという人も、ひょっとしたらいるかもしれないからだ。

 しかし、全くの健康体でありながらあえて高額の費用を支払ってほとんど意味のない手術をするかといえば、通常は、そのような手術を希望する人はいないだろう。虫垂炎になって手遅れになったら死ぬかもしれない、と必要以上に怖がっている人の恐怖に付け込んで手術を勧めているのからだ。したがって、この虫垂摘出手術のような例は、違法ではなくても、妥当な医療行為かと問われれば、そうではない、と私は考える。

 話を児童ポルノ所持に戻せば、逮捕される可能性や捜索差し押さえを受ける可能性がゼロであるとは、誰にも断定できない。したがって、「逮捕される可能性はあります」「捜索差押えを受ける可能性もありますよ」と伝えること自体は、嘘でも違法でも何でもない。

 しかし、弁護士から「逮捕される可能性がある」「捜索差押えを受ける可能性がある」と指摘されれば、そのような方面に知識が乏しい一般の方々は、相当な高確率で、逮捕・ガサ入れの事態が生じると誤解する可能性が高いのではないだろうか。

 だとすれば、その誤解に乗じて、健康な人に虫垂摘出手術を行うように、実質的にはわずかな意味しか持たないサービスを(相当高額な費用を取って)売りつけることが、果たして正当な弁護サービスの提供と評価してよいのだろうかという疑問が私にはぬぐえない。

 ところで、以前盛んに叫ばれた、「弁護士も自由競争しろ」、とのマスコミや法科大学院支持の学者の主張(大合唱)は、一見正しそうに見えなくもない。大新聞や偉い学者が何度もそう言っていたのだから、なおさらだろう。

 しかし、自由競争原理を弁護士業にも全面的に導入すべきだとすれば、自由競争社会では利益を上げることが最優先課題になる。利益を上げられない者は、競争に敗れるわけだから、退場するほかないからである。

 したがって、自由競争信奉者の人たちからすれば、例えわずかしか意味がないサービスであっても、(意味はゼロではないかもしれないので)そのサービスを売りつけ、高額の利益を上げる弁護士が自由市場で生き残り、その一方で、意味がほとんどない弁護サービスは敢えて行うべきではないとして相談料しか受けとらない弁護士が利益を上げられずに自由市場から退場することになっても、それは自由競争の結果として当然である、ということになるのだろう。

 しかし、上記のどちらの弁護士が、国民の皆様にとって良い弁護士、生き残ってほしい弁護士というべきなのだろうかという点から考えると、果たしてどうだろうか。

 自由競争により経済的に勝者となった弁護士が良い弁護士(国民の皆様にとって望ましい弁護士)であると即断してよいはずがない、と私は思っていたりもするのである。

新型コロナウイルス特措法案と日弁連~2

(昨日のブログの続きです。)

 ここで話を戻すのだが、新型コロナウイルス特措法案で、法テラス適用要件を緩和するということは、経済的にさほど困っていない人でも法テラスを利用できるようにしようということだ。

 法テラスを利用することにより弁護士費用が抑えられるのであれば、多くの人は健全なそろばん勘定をした上で、利用可能であれば法テラスを利用するはずだ。現に「弁護士費用を安くする裏技」などとして、法テラス利用がインターネットで紹介されていたりすることからも、法テラス利用者が激増することはほぼ間違いあるまい。

 これは、弁護士業界に、提供する法的サービスに応じた報酬が得られない仕事が激増することと、同義である。また、多くの国民の皆様に弁護士費用の内的参照価格を大きく引き下げてしまう(弁護士費用は法テラス基準が普通であり、通常の弁護士費用の方を常に高価だと多くの方が感じてしまうようになる)というデメリットもある。

 野党の新型コロナ特措法において、法テラス基準の緩和を日弁連の方から申し出たという情報が事実なら、日弁連は、新型コロナウイルスで打撃を受けた人は被害者であり、被害者は救済してあげなければならない、とお人好しにも考えたのであろう。その意気やよし、である。
 しかしその考えは、裏を返せば弁護士業界にペイしない仕事を大量に導入させ、かつ将来の顧客の減少にもつながる愚策でもある。

 もっと解りやすい言い方をすれば、日弁連は、新型コロナウイルスで打撃を受けた人の生活や財布は心配してあげようとしたが、高い会費を支払って日弁連を支えている弁護士それぞれの生活や財布は心配しなかったのだ。

 もちろん弁護士が、特権的に保護され、全員が経済的に豊かであり、老後も含めて生活していくのに何の心配もない、という牧歌的な状況であれば、そのような夢物語を語っても許される場合があるのかもしれない。

 しかし現実は違う。

 法曹需要が伸びない現状を無視して弁護士の激増政策を継続した結果、弁護士の所得は減少の一途をたどっている。

 日弁連の弁護士白書によれば、2006年と比較して、2018年の弁護士の所得の平均値・中央値とも半減している。最も多い所得層は、所得200万円以上500万円未満である。弁護士には退職金もない。健康保険は国民健康保険で、年金も国民年金(平均支給額月額5万5千円)だ。もちろん会社が半額負担してくれるわけでもない。
 そして、今後、急に訴訟社会が到来する等、弁護士需要が激増するとの見込みも全くない。

 このように、自らの将来の生活を見通すことすら大変な状況で、日弁連執行部は、なお、弁護士は弱者を救えと言い張ったということなのだ。

 私にいわせれば、アホとしかいいようがない。

 やってることが完全に逆だからだ。

 他人の財布を心配できるのに、日弁連を支えている、所得急減中の会員達の財布を心配できないのは愚の骨頂である。日弁連執行部は、弁護士が金のなる木を持っていると勘違いしているのかもしれないが、日弁連執行部にお勤めのエライ先生方と違って、普通の弁護士は金のなる木などもっていないのである。

 日弁連は弁護士から会費を取って運営しているのだから会員である弁護士を守らなくてどうするというのだ。

 理想を追うのも結構だが、きちんと足下(会員の状況)を見た上で、できれば多くの国民の皆様の利益に沿う方向で、かつ、弁護士にとって利益のある提言をするべきだ。
 いくら弱者救済の理想を掲げても、経済的裏付けのないボランティア仕事を増やすことは弁護士制度の将来的な維持存続にとっても百害あって一利無しである。

 また、日弁連や弁護士会が掲げる理想が国民の皆様の意向に沿っていない可能性だってある。これまでも日弁連は理想に燃えて人権のため、社会正義のためと称して弁護士に負担をかけてきた。市民のためにと、大阪弁護士会が公設事務所として設けた大阪パブリック法律事務所(通称大パブ)もその一つである。

 私とて大パブの意義を否定するものではないが、これら弁護士らの努力が国民の皆様方の意向に沿っていて評価を受け、弁護士・日弁連等に感謝してくれているのであれば、もっと一般社会から日弁連や大パブに寄付が集まってもおかしくないはずだ。大学などに何十億円も寄付する実業家が存在するのだから、現実に社会のお役に立つ行動をとっていたのなら日弁連だって、大パブだって寄付の対象になってもおかしくはないだろう。

 ちなみに大パブは15年間で5億8800万円の自腹を大阪弁護士会に切らせたが、人権擁護などを主張するマスコミや、実業家などから大パブに高額の寄付金支援があったという話は、私は聞いたことがない。

 それでも、日弁連執行部が特措法を推進するなら、提案がある。特措法推進によって、仮に法テラス適用要件が緩和されたのであれば、日弁連執行部にいらっしゃる先生方、およびその賛同者の方々で、その仕事を(もちろん法テラス基準で)担当してもらいたい。

 口が悪い私に言わせてもらうなら、執行部の先生方は、勝手に理想をぶち上げておきながら、その理想実現という困難な問題を若手など他の弁護士に丸投げしているように思えることがある。

 その昔、弁護士過疎の問題が出た時に、若手に過疎地に行けと号令をかけたり、過疎地に行ってくれる弁護士の援助方法を検討している執行部の先生方はたくさんいたが、自ら過疎地に行こうとする先生はいなかった。

 私も、かなり前であるが、大阪弁護士会の常議員会で、弁護士過疎の対策が必要と力説する某会長に向かって「そんなに過疎対策が必要なら、会長や会長経験者が出向けば解決するでしょう。過疎地も会長まで務めた立派な先生が来てくれたらとても喜ぶでしょう。」と申しあげたこともあるが、結局、過疎地対策の必要性を力説する会長経験者が過疎解消のため自ら過疎地に出向いた例を、寡聞ながら知らない。
 

 日弁連は理想を追う前に、まず足元をきちんと見るべきだ。業界全体で見たときに、わずか10年ほどで所得が半減し、さらに弁護士増員が止められず、新たな需要も見いだせていないという危機的状況に目を瞑った状態で、どんなに気高き理想を唱えそれを追っても、現実は(そして会員も)、日弁連執行部の後に、ついていけないのである。

 いい加減に目を覚ましてもらいたい。

 あなた方と違って、普通の弁護士は金のなる木を持ってはいないのだ。
 会員のための施策を行わないのであれば、いずれ日弁連は瓦解する可能性が高いだろう。

 賢明な方には、既にその足音が聞こえているはずだ。

新型コロナウイルス特措法案と日弁連~1

 新型コロナウイルスに関連して野党が特別措置法を提案しているようだ。特別措置法の中に、法テラスの適用要件緩和が盛り込まれており、しかもその適用要件緩和について、日弁連が提案したという情報が流れており、弁護士の中で問題視されているように思う。

 ご存じの方も多いと思うが、法テラスは経済的な理由で法的サービスを受けられない方に、その費用を立て替えたりする制度である。

 その話だけ聞けば、法テラスとは経済的弱者を救済する素晴らしい制度と思われるかもしれないが、実際に法的サービスを提供する弁護士としては、手間ばかりかかり、しかも(通常事件に比べて)弁護士報酬の減額を強いられる、ひどい制度なのである。

 何の理由か分からないが、法テラスの弁護士報酬基準は、相当低く定められている。

 しかも、法テラスの弁護士報酬が普通に生活できる水準であれば、文句もいわないのだが、実際には法テラス報酬基準が低すぎてそのような報酬で事務所を維持し、生活するのは、ほぼ無理である。仮に法テラスの報酬基準で生活しようとすれば、多くの案件を受任した上で、相当手を抜いた業務をしないと不可能であろう。

 自らが提供する法的サービスに見合った報酬が頂けないとして、法テラスと契約しない弁護士が相当数存在することからも、その事実は明らかだ。

 この点、医者だって経済的に困っている生活保護の人の医療費を無料にして診療しているじゃないかという人もいると思うが、医師がボランティアで無料にしているわけではない。後で国が医師にきちんと医療費を支払っているのだ。
 医師の方は、そもそも制度がしっかりしていて、健康保険適用の医療行為でも、十分生活できるだけの報酬が確保されている。むしろ、何か問題を起こして、健康保険適用資格を剥奪されると、たちまち死活問題になる医師の方が多いのだ。

 ぶっちゃけいえば、法テラスは経済的に困っている人に対し、正規の弁護士費用ではなく、ダンピング価格で法的サービスを提供せよ、という制度であり、弁護士の善意がなければ到底成立しえない制度なのである。

 既に弁護士は、ずいぶん前から、刑事事件に関して、国選弁護というダンピングサービスを強いられてきたが、それに加えて民事事件においても法テラスというダンピングサービスを背負い込んだのである。

 私は、ずいぶん前から法テラス基準は低すぎて、他の事件の弁護士報酬の引き下げにもつながるとして、反対してきたし、あまりにひどい支給しかされなかった場合に異議を申し立てたこともある。

 とはいえ、私自身、国選事件は100件以上こなしたはずだし、法テラス案件も少ないながら引き受けることもある。自分でもお人好しだと思うが、司法修習時代に税金で育ててもらったという思いや、困っている人のお役に立ちたいという思いが消えてしまったわけではないからだ。とはいえ、経済的に困れば、当然ながらペイしない案件を引き受けるのは無理である。

 確かに、マスコミが大好きな「弱者への配慮」という点は、弁護士の使命である「社会的正義の実現」にも関係するので、忘れてはならない。しかし、問題は提供する法的サービスに見合った適切な報酬が確保されているのかという点である。適切な報酬が見込めない仕事はいずれ破綻する。理想は現実に勝てない。継続的に適切なサービスを提供するためにも、提供する仕事に見合った報酬は必要なのだ。

 例えば、政府がマス・テラスなる制度を設け、「経済的に困っている人でも知る権利は大事である。そのためには経済的に困っている人に対して、5割引で新聞や週刊誌を販売せよ。その負担はマスコミが負うこと。」と命じたら、どのマスコミも大反対キャンペーンを展開するだろう。そして反対にも関わらず導入されたら、多くのマスコミが破綻しかねない状況に追い込まれるであろう。おそらくそれは他のどの業界でも同じである。

 このように、私に言わせれば、資本主義社会ではあり得ない話が、何故かまかり通っているのが、法テラスという制度なのである。

(続く)

私、怒ってます(ミュンヘン:クローネサーカス)