ある未練

 かつて、ミッドナイトランディングという名の、シミュレーションゲームがゲームセンターにあった。

 夜間飛行の航空機を操縦して着陸をするというシミュレーションゲームで、京大グライダー部の仲間と百万石ゲームセンターや、北白川バッティングセンターで腕前を競ったものだ。

 点数はかなりシビアで、2面くらいから横風が吹いてくるので、相当うまくやっても減点されてしまう。さらに進むと、ひどい横風になったりして、主翼が接地するくらいまで機体を傾けたままランディングしないと着陸できないという、非現実的なところもあるゲームでもあったように記憶している。

 以上のお話しは、あくまでシミュレーターゲームのことだが、実は私は学生の頃、伊丹空港で、全日空の、本物のシミュレーターに乗せてもらったことがある。

 私が学生だった当時、今後のパイロットの不足が見込まれていた時期でもあり、全日空の方からのリクルートを兼ねて、グライダー部の連中何人かと、ご招待を受けたのだった。既に視力の点でパイロットになる可能性がなかった私も、連絡係であることを良いことに、便乗させて頂いたように思う。

 もちろん本物のパイロットが訓練するときのように、油圧?で姿勢を稼働させると、とんでもなく費用がかかるということで、姿勢稼働なしのシミュレーターだったが、現実のパイロットが訓練に使用するそのままのシミュレータをいじらせてもらったのはとても貴重な体験だった。

 当時、まだ現役で飛んでいた、トライスターL1011のシミュレーターが、私たちが乗せてもらったものだった。全日空の方が、トライスターと呼ばずに「エル・テン・イレブン」と呼ぶのが格好良かった。

 グライダー部の連中は、グライダー操縦の練習をしているだけあって、ラダーやエルロンの使い方がやはり普通の素人さんよりは上手かったらしい。

 案内してくれた方々が、「みんな、普通に飛んじゃうので、面白くないよな~」と漏らしていたのが印象的だった。

 そのうち退屈してきたのか、火災演習用の煙をコックピット内に吹き出させたりして(むせたりはしなかったが、本当に煙が出るし、緊急警報も鳴るのである)、私たちを驚かすなど、結構お茶目なイタズラもして頂いた。

 滅多にない機会であることは分かっていたので、私はその際に写真を撮りまくったのだが、間抜けなことに、後で見るとフィルムがきちんと装填されておらず、記念写真は全て幻となってしまった。あとで、一緒に行った友人達に大いに残念がられ、恨まれたことは覚えている。

 このようなことがあったからかもしれないが、1年後輩のS君は、確か日航の国際線パイロットになったと記憶している。

 旅客機に乗って旅をする際には、可能な限り窓側を指定し、未だに飽きもせずに窓の外を眺めやることが多い。

 もう一回人生があるのなら、目を大事にして、今度こそパイロットを目指してみたい、という未練は、残念ながら、いまだに私の中にあったりする。

ワナカ湖の木

 私が写真家、マイケル・ケンナのファンであることは以前ブログに書いたところだ。

 昨年12月に東京でマイケル・ケンナの写真展が開催されていたときに、たまたま東京に用事があった事務員さんにお願いして図録を買ってきてもらっていた。

 その図録の中に、私にも見覚えのある風景があった。

 「Wanaka Lake Tree Study1」と題された、そのモノクロの写真は、ワナカ湖の一本の木が主題の作品だった。

 私がコンパクトデジカメで撮影すると、ブログ末尾のような写真になるのだが、これがマイケル・ケンナの手にかかると、全く違うのだ。

 もはや、湖面というよりも、果てしなく続く雪原に唯一の生命の証のような木が佇んでいるようだ。

 その木は作品に切り取られた世界の中で、唯一、命を感じさせる存在でありながら、永遠の静寂の中に封じ込められているようにも見える。

 生命は不断に老いへと向かって変化を続ける存在であり、永遠や不変という概念とは相容れない存在のはずなのだが、この矛盾する感覚が、なぜかマイケル・ケンナの作品では矛盾なく、さもそれが当たり前であるかのように同居しているのだ。

  どこかで読んだ気がするのだが、マイケル・ケンナは超絶技巧を駆使するテクニシャンであるとの見方もあるそうだ。

 しかし、私には、単なるテクニックだけで描き出せるものではないと感じられる。

 上手く言えないのだが、芸術家の極めて鋭敏なる感覚が、対象と共鳴して初めて生じうる、微かでもあり又大きくもある、コンサートで奏者が演奏を終えた直後に一瞬訪れる、静寂に似た余韻のような何かに、私たちの心は動かされるのではないかとも思うのだ。

フェリーの旅

 高2の秋、修学旅行で東京から帰るときにフェリーに初めて乗った。当時は、東京港から紀伊勝浦の宇久井港までフェリーが運航されていたのだ。

 その路線は既に廃止となって久しいが、大学時代に日本海航路を利用して北海道にバイクツーリングに出かけた経験もあるせいか、私は今でもときどきフェリーを旅の手段として使う。

 乗船手続きから、普段と違う世界が感じられて楽しいし、船内の食事も楽しみだ。もちろんお金が無かった学生時代はカップ麺を買い込んでお湯だけもらって凌いでいたが、それはそれで楽しかった。

 フェリーの仲で知り合った、トラックの運ちゃん達に誘われて、麻雀大会になってしまったこともあった。幸い、大きく負けることもなく、旅の資金を失うことは避けられたように記憶している。

 バイクや自動車をそのまま運べることも嬉しい。

 私は、主に九州・四国に出かける際にもフェリーを利用するし、海外でもバルト海のシリアラインなどを利用して、ストックホルムからタリンへ移動したこともある。ストックホルムのターミナルでは、どでかいムーミンのぬいぐるみがガラスケースないに飾られていたはずだ。

 確かに時間はかかるが、その分ノンビリ出来るし、少し贅沢して良い個室を取れば、ちょっとしたホテル並みの装備がついている場合もある。ホテル並みの部屋で寝ているうちに、自動車と一緒に目的地まで運んでもらえるので、かなり重宝する。

 豪華客船でのクルージングは、富裕層向けの娯楽であって、旅という感じがしないのではないかと勝手に想像しているが、フェリーでの船旅は富裕層でなくったって十分楽しめる。

 もっと評価されて良いのではないかと何時も思うのだが。

トルチェッロ島

 20年ほど前に訪れたときに撮影したトルチェッロ島のサンタ・マリア・アッスンタ教会。

 トルチェッロ島は、ベネチアからヴァポレットに乗って小一時間。

 ブラーノ島の近くにある。

 僅かな人しか住んでいないと聞いていた。

 当時は今ほど観光地化されておらず、冬場で、しかも夕方でもあったため、見学者は私1人であり、こんな静かな風景に恵まれた。

 日々の仕事に疲れたときには、このような静かな風景のなかで刻を過ごしてみたくなったりする。

ホンダエンジン、F1で勝利

 ホンダエンジンを積んだ、レッドブルチームのF1マシンが、フェルスタッペンのドライブにより昨日のオーストリアグランプリで優勝した。

 ホンダは、F1復帰後初優勝で、13年ぶりだということだ。

 思えば、日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中島悟氏のロータスホンダを、鈴鹿サーキットに見に行ってから(確か中嶋悟は6位。)、もう30年以上が経っている。

 まだ当時の鈴鹿サーキットは、スタンドの整備も大してされていなされておらず、しかもお金が無い学生時代だったものだから、チケットは自由席という名の立ち見席、しかも雨が降ったか何かでぬかるんでいた地面に背伸びして立ちながら、人の頭の間の隙間から見える僅かな視界からサーキットを垣間見るといった案配だった。

 もちろん宿に泊まるような贅沢ができるはずもなく、一緒に行った友人の車の中で寝るといった強行軍だった。運営側も、駐車場の出入りや車両規制、交通整理にも慣れていなかったせいか、レース終了後は、ものすごい渋滞にはまって辟易した思い出が残っている。

 その後、F1は大ブームになり、バブル期には日本で2回開催されたこともあったはずだが、バブル崩壊後、次第にブームは下火になった。TV放送も地上波放送でやらなくなり、BSでも無料放送がなくなり、いまやF1を見ようとすれば、有料のBSかネットTVしかないという寒い時代だ。

 ただ、エンジンから発せられるものすごい爆音と、本戦の前日の予選時にバックストレートで見たF1のスピードから感じた、車がこんなに速く走れていいのか!という単純な、しかし、新鮮な驚きは今でも記憶に残っている。

 ホンダエンジンは、その後マクラーレンなどと組んで、アイルトン・セナ、アラン・プロストを擁して、年間通して優勝を逃したのは1度だけという快挙も成し遂げていたはずだ。

 そのせいもあってか、私もホンダエンジンのファンになり、社会人になってから初めて買った車はホンダのアコードユーロR(CL7)だった。

 K20A iVTECエンジンを積んだユーロRは、レッドゾーン8400回転という超高回転型エンジンに6速MTを組み合わせており、外見はいじらなかったが、私は吸排気系に無限パーツを組み込んで、VTECサウンドを響かせては喜んでいたものだった。

 もし、いま、ユーロRが新車で手に入るなら、また買っても良いと思うくらい、良い車だった。

 F1復帰後、ホンダは苦難の道のりを歩み続け、以前黄金時代を築いたマクラーレンと組んでも結果が出せず、マクラーレンからはシャシー(車体)は良いのに、エンジンがダメと酷評されたりもした。実際にはマクラーレンのシャシーにも問題があったようで、ホンダエンジンだけが問題であったわけではなかったことが後に明らかになるが、ホンダは歯を食いしばってその理不尽な批判に耐えて努力を重ねてきたのだ。

 まだ、メルセデスやフェラーリとの差はあるように一般にいわれているが、きっと追いつく日は近いように思う。

 ガンバレ、ホンダ!

 今はホンダの車には乗っていないが、ホンダのF1でのさらなる活躍を願ってやまない。