弁護士ポータルサイトに関する雑感

 ポータルサイトとは、一般には、インターネットを利用する際に入り口となる商用のウェブサイトと定義される。

 弁護士に関して言えば、かつては借金問題に強い弁護士、過払いに強い弁護士などの表記がとても多く、何を根拠にしたのか全く不明な怪しい都道府県別ランキングなども出ていたように思うが、それら借金関係のポータルサイトは、過払いバブルの崩壊であまり見なくなった。

 それでも、現在、離婚に強い弁護士とか、刑事に強い弁護士、相続に強い弁護士などの表示で、各種の弁護士ポータルサイトが存在する。

 しかし、例えば、あるポータルサイトが○○に強い弁護士を掲載していますとか、○○に強い弁護士を厳選しましたと記載していたとしても、それはまず、正確な表示ではない。

 サイト運営者が、弁護士に離婚に関する解決事案を提出させて審査するわけでもないし、そもそも弁護士の真の実力は実際に戦ってみないとなかなか分からないからだ。つまり、現実問題として、○○に強い弁護士かどうかは、サイト運営者には判断できないわけで、○○に強い弁護士かどうかは、実際に依頼してみないと分からないのだ。

 それにも関わらず、なぜ、弁護士のポータルサイトが花盛りかというと、それは弁護士がサイト運営会社のターゲットとして美味しい鴨にされているからだと思われる。

 裁判所の新受件数は激減しているにも関わらず、弁護士は激増しており、一部の弁護士を除いて、弁護士としては仕事を探すのに苦労するという時代が到来しつつある。もちろん営業の才能に長けている弁護士もいるが、営業の才能と弁護士としての実力は必ずしも両立するとは限らない。

 そこで、ポータルサイト運営者としては、市民の方々の検索傾向を調査して検索ワードで上位に表示されるようなサイトを構築し、そこに弁護士情報を掲載して、仕事につなげる可能性を高める見返りに、弁護士から掲載料を取るというビジネスを行っている。

 私のところにもいくつか営業の連絡が来たが、検索順位が1位・2位の実績を掲げて、1ヶ月相当な費用を要求するサイト運営者もあり、それでも何人もの弁護士が登録しているという事実を目の当たりにしている。

 もちろん、掲載するために何件の実績があるか、その解決が依頼者の為になっていたかなどは、全く関係がない。

 要するにサイト運営者の決めた金額を払うかどうかだけが、有料ポータルサイトの掲載の基準となっている。

 だから、(有料掲載の)ポータルサイトにおける、「○○に強い弁護士」との表記は、正確には「○○に強い弁護士を掲載するサイトにお金を払って、情報を掲載している弁護士」ということであり、いわば、「自称○○に強い弁護士」というに過ぎない。

 必ずしも客観的に○○に強いという保証はないのだ。

 まあ、どの業界も似たり寄ったりではあるだろうし、私もそのうち掲載するかもしれないが、ポータルサイトで○○に強い弁護士という記載がなされていたとしても、あまり期待しすぎない方が良いとは思う。

諏訪敦 絵画作品集 Blue 発売開始!

 諏訪敦先生の、待望の作品集Blueが本日発売された。

 本音を言えば、すぐにでも手に入れてじっくり見てみたい。

 だが、まだ私は、敢えて、手に入れていないのだ。

 普通の絵画集なら、アマゾンなどのインターネットで買えば済むのだが、諏訪先生の絵画集に限っては、自分できちんと確かめて買いたいのだ。というのも、以前、インターネットで写真集を買ったところ、小さな破れなどが見つかりとてもがっかりした覚えがあるからだ。

 諏訪先生の作品群を、そのようながっかりした気分引きずりながら味わいたくはない。私なりに、まっさらな気持ちで対峙してみたいのだ。

 それに、嬉しいことに現在福岡で開催中の諏訪先生の個展、「2011年以降 未完」

http://artium.jp/exhibition/2017/17-05-suwa/

を見に行けるめどがつきそうなのだ。

 Blueには、個展に展示されている作品も収録されているようなので、諏訪先生の本物の作品を見た上で、その作品から受けた想いや作品から感じる雰囲気を、私の中で反芻するために、Blueを買いたいと、私は考えている。

 つまり個展に展示された絵が、絵画集に掲載されているのなら、絵画集を見て得られる感動よりも、先に本物の作品からより強烈な感動を得ておいて、それをblueを使って何度も味わいたいというムシの良いたくらみを持っているということだ。

 もちろん、「先に買っておいてBlueを見ずに、個展に行けばいいだけじゃないか」との御意見もあるだろう。しかし、もしBlueを手に入れてしまったら、個展に出かけるまでにBlueを見ないで我慢できるという自信が、どうしても私の中で持てないのだ。

 だから私は、自分の中で回りくどい贅沢を企みつつ、子供のようにワクワクしながら、Blueを手に入れる日を楽しみにしている。

 ただ、それまでに売り切れてしまわないかが、私の唯一の心配である。

「広げよう!司法の輪 日弁連の会」ってなにもの?

 世間では、来週末の衆議院選挙に向けて選挙戦が激化しているようだが、今日、事務所に出てみると、「広げよう!司法の輪 日弁連の会」なる団体から、「政策要綱」のフルカラーパンフレットが届いていた。

 豪華なパンフレットを開いて、最初にどーんと現れるのが、この団体の代表である菊地裕太郎弁護士のプロフィールだ。

 それを見ただけで、

 あ~なるほど、はいはい。もうそんな季節なんですかね~。

 と多くの弁護士は思っただろう。

 確かに日弁連は様々な課題を抱えており、菊地裕太郎弁護士が中心とする有志が私財を投じて自主的且つ本格的に、その指摘する問題点の解決を適切に行う活動をしてくれるのであれば、それは有難いことである(但し、当該団体が指摘する問題点が、日弁連全体の問題意識として本当に正しいという保証はないということに注意。わたしがざっと見ただけでも突っ込み処はそこそこありそうだ。)。

 しかし、私の推測が万一違っていた場合は大変申し訳ないのだが、おそらく、これは、来年の日弁連会長選挙に向けた事前活動なのである。よほどの事情がない限り、次回の日弁連会長選挙には菊地裕太郎弁護士が出馬してくるとみて間違いないだろう。

 もちろん、日弁連会長選挙の規定には、「立候補の届け出が受理されたときから、投票日の前日まで」、と選挙運動期間は明記されている(日弁連会長選挙規程53条)。

 誰が始めたのか知らないが、会長選挙規程の選挙運動期間の制限を合法的に潜脱するために、「○○の会」などという団体を立ち上げ、団体の意思表明のように装って、自らと自らの公約を宣伝しておくのだ。

 そして選挙の前には、いろいろと良いことを言ってくれていたその「○○の会」もその代表者も、会長選挙が終わってしまえば、指摘してきた問題点が解決したわけでもないのに何故だか自然に消滅していき、結局いろいろぶち上げてくれたものの何一つその団体も実行に向けて活動はしてくれないのが、今までの通例だ。

 選挙が終われば消えていくダミー団体の政策要項にお金を投じるくらいなら、被災地に寄付するなど他にもっと有効なお金の使い道があるようにも思うんだがどうなんだろう。

 私としては、「広げよう!司法の輪 日弁連の会」と菊地裕太郎弁護士が、今までのような団体と違って日弁連会長選挙終了後でも(勝敗に関係なく)、私的な団体とその代表者として、正しい問題意識の下で、永続的に積極的な活動を行ってくれることを強く希望するものである。

予備試験ルート制限論は、利害関係者のポジショントーク?

 法科大学院とその支持者達が、予備試験ルートの司法試験受験生を可能な限り排除しようと動いているようだ。大体において法科大学院支持者は、大学関係者や学者、法科大学院で教鞭をとっている弁護士等のように法科大学院制度がなくなると何らかの不利益を受けかねない人々が多いように私には見受けられる。

 法科大学院支持者側の主張は、法科大学院を経由しない予備試験合格者が多数司法試験を受験するようになれば、当初のプロセスによる教育という法曹養成の理念に反する、というこの一点に尽きているように思われる。
 私に言わせれば、おそらく本音は、せっかくお金をかけて作った法科大学院制度の維持と自らの利権の維持だと思われる。しかし、そんな自己中心的な理由では誰も賛同してくれないだろうから、理念を持ち出さざるを得ないのだろう。

 理念とは、ある出来事についてこうあるべきだとする根本の考えを意味するが、プロセスによる教育が優れているという保証も、法曹養成の理念として法科大学院を中心とすることが正しいという保証も、実はどこにもないのである。少なくとも私は、プロセスによる教育がなぜ法曹養成に不可欠なのか、いろいろな方に尋ねたが、納得のいく回答は一度も得られていない。

 つまり法科大学院支持者は、何の根拠も、何の保証もないまま、プロセスによる教育が正しい、法科大学院での教育が正しいと言い張って、それを維持するために、予備試験ルートを狭めるべきだと主張しているのと同じなのだ。

 法曹養成制度は利用者である国民の利便に資するためのものだ。国民が利用する上で問題がないのであれば、プロセスによる教育・法科大学院教育を経由しなくても、何ら問題は無いことになる。むしろ、法科大学院に税金を投入する必要がないだけ国家財政の危機回避に役立つというものである。

 では現実として、予備試験ルートの法曹は何か問題を抱えているのだろうか。
 直接調査することはできないが、大手法律事務所が予備試験ルートの法曹を優先的に採用していることや、裁判所・検察庁でも予備試験ルートの法曹の採用が徐々に増加していることに鑑みれば、予備試験ルートの法曹に問題があるどころか、むしろ逆に実務界では高く評価されているとも評価できよう。
 プロセスによる教育が重要だ・法科大学院制度は絶対維持すべきと叫び続ける弁護士が所属する事務所でも、予備試験ルートの法曹を排除していないどころか、現実に採用しているところもある、という笑い話まであるくらいだ。

 予備試験ルートを狭めるかどうかについては、理念がどうとかといった抽象的な議論ではなく、現実に新たに法曹になった者達の調査を行って、予備試験ルートで法曹になった者が、法科大学院ルートで法曹になった者と比較して現実に問題を生じさせているのかを、厳格に検証した上で判断するべき問題だ。これが一番、簡単且つ確実に判断する方法だろう。
 その上で、法科大学院ルートで法曹になった者の方が優れており、予備試験ルートの法曹には国民が利用する上で看過しがたい弊害がある、というのであれば、胸を張って法科大学院は法曹養成に不可欠だと主張すればいいではないか。
 このような検証を敢えてやらず、理念だけを振り回して法科大学院制度の維持を主張する事は、見てるだけで恥ずかしいから、もうやめて欲しい。

 正しいかどうか分からない理念に殉じるなんて、思考停止も甚だしい。
 利害関係人としてはともかく、学者としても実務家としても失格なんじゃないだろうか。