諏訪 敦  個展 2011年以降/未完

 10月7日から11月5日まで、福岡市の三菱地所アルティアム(イムズ8F)で、開催されていた、諏訪先生の個展を11月3日に見ることができた。

 できるだけ人が少ない時間に見たいと思ったため、当日、開館前から入り口前で待ち、午前10時の開館と同時にイムズに入った。
 エレベーターで8階まで上がると、すぐに場所が分かった。
 おそらく一番乗りで会場には入れたはずだ。なんと、写真撮影も許されていた。かつて訪れたルーブル美術館でもフラッシュを焚かなければ写真撮影は許されていたし、この配慮は有難い。

 思ったよりもたくさんの作品が展示されているようだ。諏訪先生の作品を、たくさん鑑賞できるので、遠かったけれども来て良かったと思う。
 しかしそれと同時に、一度に鑑賞しきれるか自信が持てない。

 もちろん昨今は、印刷技術の向上で素晴らしい画集ができるようにはなっている。しかし、本物の作品が持つ力は、やはり本物を直接見ないと感じにくい気がする。

 星にたとえるなら、画家が直接描いた作品は、恒星だ。直接対峙すると、画家が作品に込めた様々な想いをエネルギーにして、作品が自ら青白く輝きつつ外部へと、何かを放射し続ける何らかの力を秘めているかのように、感じられるときがある。
 画集に収録された作品は、美しいものであっても、そこまでの力を感じることはあまり無い。月や惑星が恒星の光を反射するように、美しい光を放ちながらも自ら輝く力までは感じにくく、自らの光の元となっている恒星の燃焼を想像させる、いわば間接的な輝きを感じさせることが多い気がする。

 今回の個展で、私が強い印象を受けたのは、一番奥に展示されていた「HARBIN 1945 WINTER」 と、それと対になって展示されていた「Yorishiro」、山本美香の肖像画、「日本人は木を植えた」だった。

「HARBIN 1945 WINTER」は、NHKのETV特集
【忘れられた人々の肖像 ~画家・諏訪敦 ”満州難民”を描く~】
で作成過程を特集されていた作品だ。
TVで、ご覧になった方も多いと思うので、後は、機会があればTV番組と、直接作品をご覧になって下さいと申しあげるしかない。

「Yorishiro」は、「HARBIN 1945 WINTER」と似た構図であるが、「HARBIN 1945 WINTER」と異なり、女性らしい柔らかな肉体が描かれている。女性は目を閉じており、通常であれば眠っている女性を描いた作品と捉えるのが素直かもしれない。

 しかし、私には生命を有している女性を描いた作品なのかどうか、分からなかった。

 モノトーンの画面の中に女性が横たえられ、目は閉じている。女性らしい柔らかな肉体が描かれているが、手や足等に描かれた白い紡錘状のなにかは、天に向かって肉体から、何らかの気配が抜け出ようとしているようにも見える。逆に(はっきりとは知らないが、私が勝手にイメージしている)キリスト教でいうところの聖痕が、女性の肉体に刻印されつつあるようにも見えなくもない。

 そして、この女性の肉体は、おそらく限りない静寂の下におかれているように感じられる。

 思うに、生きている間の人間の肉体は、全身の細胞で有機的に関連した精緻な生命活動が行われている。そして、生命を失った瞬間に精緻な生命活動は終わりを告げ、人間の身体はタンパク質の集合体に化し、緩やかに腐敗しつつ無に向かう。

 その死の瞬間の前後で、肉体の組成自体はほぼ変わらないのだろう。しかし、死の瞬間に、肉体の意味は全く変わってしまう。

 作者の意図とは全く異なるかもしれない、私の勝手な想像だが、「Yorishiro」は、命が失われる瞬間、若しくはその前後の時間を凝縮して、画面に封じ込めたのではないかと感じられた。

 しかし、それはこの女性の個体としての生命の終わりを意味するが、女性の生み出した生命の終わりまでをも意味するものではない。この女性を依り代として、生まれ出た生命はこの後も続いていくのだ。この女性はいずれ無に帰るが、その生きた証は、新たな生命によって受け継がれていく。

 「HARBIN 1945 WINTER」と対になって展示されていたことから、さらに深読みすれば、作者は、終戦直後の満州で飢餓状態で病死した自らの祖母に対し無念の気持ちと、祖母が依り代となって生命をつなげてくれた事実の重さに限りない感謝の気持ちを持っていたのではないか。

 そして、既に亡くなった祖母の、死の瞬間にまで時間を遡って、健康な状態で祖母が本来有していたはずの美しい肉体を取り戻させ、この絵によって、再度祖母の死の瞬間をやり直そうとしたのかもしれない。

 私の邪推が、万が一に的を射ていたとして、それを作者の自慰行為に過ぎないと、評価することも不可能ではないだろう。

 しかし、それでも私は、作者の、祖母に対する敬虔な祈りにも似た澄みきった想いを作品から感じ、その想いに心を打たれるのである。

 「Yorishiro」を見ながら、そして「Yorishiro」の前に置かれたソファにすわり、「Yorishiro」を見ずに、作品の存在感を感じながら、私は、そのようなことをボンヤリと考えていた。

(続くかも)

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