橋の上のゼブラ模様

 今日はかなり冷え込んだ。

 朝、出勤するために鴨川近くを通ると、うっすらと鴨川の岸辺に、雪が積もっているのが見えた。

 これは、橋の上も積もっているかな、と思ったところ、橋の上の歩道には雪が残っている部分と雪が溶けている部分が規則正しく並び、奇妙なゼブラ模様になっていた。

 一瞬???と思ったものの、雲から太陽が出てきてその理由が分かった。

 陽の光は、橋の欄干に遮られゼブラ模様の黒い部分にのみあたり、欄干の影と雪が残っている部分は見事に一致していたからだ。

 つまり、雪は、太陽の光で照らされた部分が溶けたが、橋の欄干部分によって日差しが遮られている部分のみ日陰となり雪が残ったため、雪の白さと、雪が溶けてアスファルトの色が出ている部分が交互に現れ、ゼブラ模様になっていたのだ。

 理由が分かれば、大したことはないのだが、おそらく、極めて限定された条件でないと起こらない現象だろう。 10年以上通勤していた初めて見た光景だった。

 通勤途上で急いでおり、写真が撮れなかったのが心残りではあるが、 寒いながらも、少しだけ得したような気分がしたのだった。

見えにくい成果

 おそらく、国民の皆様にはどうでも良いが、弁護士にとっては大事な、日弁連会長選挙が近づいている。

 他にも様々な争点があるが、私の興味がある弁護士人口の激増問題については、宇都宮・尾崎・山岸の3候補(50音順)が、まずは司法試験合格者1500人、更なる削減も視野に入れるというおおまかな公約では一致、森川候補が500人を掲げるようだ。

 旧主流派の候補(尾崎・山岸、両候補)も司法試験合格者を1500人に削減すると公約しなければ、前回の山本候補のように正直に削減目標を言えない状況となり、落選する危険が高まるため、争点つぶしの意味もあるのだろう。

 私の記憶では、日弁連法曹人口政策会議では、当初、H23年3月末までに中間答申に基づき緊急提言を行い、その後、半年ほどで、最終とりまとめを行い、宇都宮会長任期内に、実際的な活動に入る予定だったはずだ。

 しかし、未曾有の大災害が勃発し、日弁連としてもその対応に追われたため、法曹人口政策会議も大幅に予定が遅延することになった。

 震災の対応を先に行ったことそれ自体は、日弁連として正しい対応だったのだが、その結果、「法曹人口問題で、宇都宮候補は大した成果を上げられなかった」と、弁護士一般には誤解されているようだ。 

 しかし私自身は、宇都宮会長でなければ、現在各単位会に意見照会されている司法試験合格者1500人の提言案すらまとめられなかっただろうと思う。

 司法試験合格者減少を公約にして、大阪弁護士会会長選挙を勝利した上野元会長の下で作られた法曹人口問題PTが、その次の会長の際につぶされ、その後、何度か常議員会で、同様のPTを作るべきと進言したが、一顧だにされなかったことからも分かるように、トップにやる気がなければ、その問題自体を討議しないことも出来るし、宇都宮会長以前の日弁連の法曹人口問題に関する会議のようにイエスマンばかり集めて形だけの会議を構成し、実質的には何もやらないことも、実は出来てしまうのだ。

 そうやって実質的に公約をサボタージュしても、実際には非難されにくい。任期はわずか2年(大阪の会長は1年)だから、時間がかかって出来なかったという言い訳が可能だからだ。

 会議が紛糾することも厭わず、広く、公平に委員を選抜し、集中的に議論させたのは、執行部としても相当な労力を費やさざるをえない仕事だったはずだ。

 旧主流派の会長であったなら、司法試験合格者減少提言は、旧主流派の推進してきた司法改革万歳路線の変更だから、これまで日弁連の主流であった派閥の重鎮たちに対し、「あなたのとった施策は間違っていました」と、面と向かっていうようなものである。しかし、実際には、とても言えなかっただろう。選挙は派閥の力で勝たせてもらっていた面も当然あり、その結果、派閥の重鎮に頭が上がらないはずだからだ。

 そこを敢えて、実行できたのは、やはり旧主流派というしがらみに全く縛られない宇都宮会長だったからだろう。

 確かに宇都宮会長の法曹人口問題に関する行動は、見えにくい成果ではある。しかし、これからも一歩ずつ日弁連を変え続けていくには、派閥などのしがらみに縛られない必要は、やはり最低条件として、あるのかもしれない。

「6時間後に君は死ぬ」 高野和明著

 「13階段」で江戸川乱歩賞を受賞した、高野和明氏の短編集である。

 未来を突然見てしまう能力を持った、山葉圭史を軸に、5つの短編が織り込まれている。

 とはいっても、山葉圭史が中心的な役割を果たすのは、第1短編「君は6時間後に死ぬ」と、最後の短編「僕は3時間後に死ぬ」だけであり、あいだに挟まれた3編の主人公は、プロットライター、女子大生、ダンサー志望のアルバイトである。

 せっかくの題名なのだが、私は中間に挟まれた3編が気に入った。

 特に、第4短編「ドールハウスのダンサー」は、私のお気に入りになりそうだ。先の見えない競争を続けながらも、競争相手を陥れることなく、きれいに生きていきたい、と考える主人公。そしてデジャビュのようによぎる光景。夢を失った女性がたった1人のゲストのために作った美術館。

 これ以上は、その作品については触れずに、実際に手にとってお読み頂く方が良いかと思う。

 私の拙い文章のせいで、せっかくの作品を台無しにしてしまうのが怖いから。

 そして夢を追いかけたことのある方なら、きっとお分かりいただける部分があると思うから。

講談社文庫 676円(税別)

「陽だまりの彼女」  越谷オサム著 

 仕事で訪れた他社で中学時代の幼なじみに、偶然再会した「僕」。彼女は、素敵な女性に成長していた。僕たちの関係はトントン拍子に進み、彼女の押しもあって、あっという間に結婚まで。
 しかし、彼女には何か秘密があるようで、僕には腑に落ちないことが。

 また、些細なことから僕に忍び寄る、喪失への不安。
 その彼女に秘められていた秘密とは・・・・?

(以下の文章を読む前に、まず原作をお読みになることをお勧めします。)

 冒頭から始まる話において、「まあ、幼なじみと大きくなってから偶然再会して恋に落ちるというパターンは、使い古された手法だし、だからなに?」という、ある程度冷めた目で読み始めた。非常に読みやすい文章であり、しばらく読み進めば、私と同じで、おそらくどなたも、主人公とヒロインの話に微妙なズレが生じていることに気付かれるはずだ。

 そのかすかなズレに、かすかな違和感を感じつつ読み進めると、それらは、ラスト30ページでの展開に直結する伏線であったことが分かる。

 「鮮やかだ」と、私には思えた。

 途中の大甘べたべたの展開に少し辟易するかもしれないが、よくよく考えれば誰だって若い時の恋愛ってのは、周りも見えておらず、そんなものでもあったはず。
 是非、先入観なしに、読んで頂きたい。

 まだお読みでない方のために、内容に触れることは可能な限り避けるが、著者の張った伏線は、そう深いものではない。だから、最初からミステリーの要素があるかもしれない、という予断を持って読めば、オチは分かってしまうだろう。

 しかし、べた甘な恋愛模様の中に巧妙に張られているので、普通に読めば、看破しにくい。

 どんなに相思相愛の関係であったとしてもおとぎ話のように「2人は、いつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」ということは現実にはあり得ない。仮に2人の関係が壊れなくても、人はいずれ死すべき存在でもあるからだ。

 だから、いかなる恋愛関係についても、心の奥底で、微妙なズレや喪失への不安については、誰もが意識的にか無意識的にかは別として、本能的に感じていることでもあるはずだ。

 その恋愛関係(人間関係)に不可避な不安感に絡めて伏線が張られているため、さっと読んでしまえば伏線に気付かず、ラストで、「ああそういうことだったのか」と、唸らされることになる。

 私は、恋愛小説だろうと高をくくっていたため、著者の策略にまんまと嵌ってしまい、だからこそ「ちょっと強引だけど、鮮やかだ、正直いって、やられちゃったな」との感想を抱いた。

 私の勝手な想像だが、ラスト30ページの「僕」の彷徨の描写から考えて、著者には、それこそ本気で恋をし、その恋が成就することもなく、今でも忘れられない、ファムファタール的存在の女性がいたのかもしれない、と感じた。

The Beach Boys の Wouldnt it be nice  を、きっと聞きたくなるはず。

 文庫の帯に「女子が男子に読んで欲しい恋愛小説№1」と、こっぱずかしいコピーが書かれているが、めげずに一読されることをお勧めする。

 新潮文庫514円(税別)

新司法試験に関する雑感について

 私が司法試験を受験していて、困ったのは、試験委員が求めている合格答案がどういうものかイメージがなかなかつかめないことだった。

 その点、新司法試験になってから、法務省のHPで、考査委員(採点者)に対するヒアリングなどが公表されるようになったので、今の受験生は、合格答案のイメージという点では恵まれていると思う。

 ところが、その採点者に関するヒアリングの公表内容だが、何度も指摘しているとおり、年々受験生の答案レベルがひどい内容になりつつあることが、明らかに指摘されている。近年の採点者の意見によると法律答案の体をなしていない答案も相当数にのぼるらしい。

関連条文から解釈論を論述・展開することなく,問題文中の事実をただ書き写しているかのような解答もあり,法律試験答案の体をなしていないものも見受けられた(H22刑訴法)。

全く理解や知識がないためか,「他国に損害を与えてはならない」という「常識論」しか記載されていない答案も目立った(H22国際公法)。

 など、極めて辛辣な意見が記載されている場合もある。

 しかし、そういう受験生への批判こそ、受験生が注意し、気をつけるべき宝の山なのだ。こうやれば合格したという方法は人それぞれ千差万別であるが、こうやれば失敗するという方法は結構似通ったものである。

 受験生の皆さんは、よくよく採点雑感を読んだ上で、こうやれば失敗するという方法に陥らないように気をつけるだけで、ずいぶんと違ってくるはずだ。

 十分活用されることをお勧めする次第である。

 ※H23年度の採点雑感が見当たらないと思っていたが、法務省のHP中、司法試験の試験結果の欄に発見できました。是非ご参照下さい。

太地町のこと

 私の出身は、和歌山県の太地町だ。

 とは言っても、両親の仕事の関係で、乳児期は白浜町、幼児期初期は伊勢市で暮らし、保育園の年長組の時に、太地町に引っ越し、そこから大学受験で浪人するまで、太地町で過ごしてきたのだ。

 その当時、太地町では、商店に子供が入るときは、「こんにちわ~!」ではなく、「は~い~!」と言って入っていったように記憶している。なかなかイントネーションが難しくて、苦労したので多分間違いないだろう。

 また、とうふのことを「とふ」と呼んだり、「~~した方が良いですよ」ということを「~~しやませ」と言ったり、何か失敗したときの間投詞として「あいや~」と言ったり、結構、子供ながらに言葉は難しいものだと、カルチャーショックを受けたものだった。

 お店の呼び方もいろいろだった。

 例えば、私のいた森浦地区には、駅前に商店兼タバコ屋の通称「タバコ屋」。酒屋は「林」、お隣でパンなどを売っていたお店は「橋本」(私の家では単に「となり」と言っていた)、食料品などを普通の家の玄関先の土間で売っていたのは、「花子おばさんとこ」、森本商店は昔、馬を飼っていたということで「うまや」と呼ばれていた。

 私はよく、おつかいで、「花子おばさんとこ」に、とうふを買いに行かされ、卵を泡立てたりするのに使う金属製のボールを抱えて歩いて行き、そこで、お店に置かれている水を張ったポリバケツの中に何丁か沈んでいる豆腐を慎重にすくい上げ、一丁買ってきたものだった。乱暴に扱うと、売り物の豆腐がかけてしまったりするので、子供ながらにゆっくりと豆腐をサルベージしたものだ。

 ちょっと外出するときも、自宅に鍵をかけることなどなく、子供が遊んでいる際に勝手に他所の家の庭や土間を走り抜けたりするなど、今から考えてみれば、本当にのどかな牧歌的な時代と街だった。

 あれからもう40年近くが過ぎ、街はより便利になった。

 しかし、今と違って、何故かあの頃の方が、「街が、人々が、確かに生きていた。」と、思うのは、理由は分からないものの、決して、単なる私の感傷だけではないように思う。

御意見募集!

 私が入れて頂いていた、日弁連の法曹人口政策会議が、日弁連執行部宛に提出しようとしている

 『 「法曹人口に関する日弁連の基本政策」についての提言案 』

 について、現在、各単位会に意見照会がなされている。

 大阪弁護士会は、当初、関連委員会にのみ意見照会を行おうとしていたが、一部の方々の指摘を受けて、全会員に対して意見照会を行うことに変更したようだ。

 先日から 【 重 要 】と、明記された意見照会に関するチラシがレターケースに投函されているので、気をつけておられる方はご存じだと思う。

 おそらく、大阪弁護士会全体での意見表明をまとめるのは大変だろうから、結果的には、このような委員会・会員の意見があったという回答になる可能性が高いと思われる。

 それでも、この提言案は、激増容認派の委員と激増反対(漸増)派の物凄い議論の中で、ようやく形になってきたものだ。日弁連として、公式には初めて数値目標も入れて具体的に司法試験合格者の減員を主張する提言の元になるものだ。

 是非多くの方に、御意見を頂ければと考えている。

 会員専用HPから提言案の案文はダウンロードできるし、弁護士会にいえば印刷物でももらえる。メールで意見も言えるし、匿名での意見も弁護士会1階の回収箱に投函すればよいようだ。

 上記意見照会に関しては、大阪弁護士会の構成員の意見をまず聞く必要がある問題であることは異論がないだろう。しかし、裏話になるが、大阪弁護士会の司法改革検証推進本部では、突然一部の司法改革推進派(激増容認派)の委員から、弁護士はユーザーの意見を聞くべきだとの声が上がり、常議員に対して、司法改革万歳路線の有識者を呼んでレクチャーを行い、大阪弁護士会常議員会での上記意見照会に関する決議に影響させようとする動きもあったそうだ。

 会員の意見を聞く会員アンケートについては、何度提案しても、全て無視してきたにもかかわらず、司法改革推進派の提案であればあっさり承認する委員会も委員会だ。

 大阪弁護士会執行部も、12月22日付けで日弁連から意見照会を受けていながら、関連委員会だけへの照会で済まそうとしていた節もあり、穿った見方をすれば、何らかの意図があったのか、と勘ぐれなくもない。

 結局、良識ある委員の先生のご尽力で、会員向けの有識者パネルディスカッション?は、日程だけは、意見照会に関する常議員会の後にずらされることになったため、増員派の、本件提言案決議に関する常議員会に、影響を与えようとする意図は実現しにくくはなった。

 このような攻防は、大阪弁護士会内だけではなく、当然日弁連内にもある。

 しかし、このような目に見えない様々な攻防を経ながらも、今回の提言案を各単位会に意見照会させるところまで持ち込めたのは、紛れもなく宇都宮会長が派閥に縛られていなかったからだろうと思う。

 皆様の忌憚のない意見を、大阪弁護士会や日弁連に届けるチャンスだ。

 再度、皆様の御意見を頂戴できますようお願い申しあげます。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

大阪弁護士会の若手会員の方、常議員になってみて!

 新年にあたり、この新しい年が、皆様にとって必ずや良き年になりますよう、祈念申しあげます。

 当職も、他のパートナー・アソシエイト同様、皆様のお役に少しでも立てるよう頑張る所存です。

 よろしくお願いいたします。

 さて、弁護士会には常議員会という機関がある。

 私が、大阪弁護士会の常議員を務めさせて頂くようになって、もうすぐ3年である。

 常議員会は、概ね隔週火曜日15:00~17:00に開催され、執務時間が分断される点で、結構辛い部分も確かにある。登録換え希望の方の審査をする必要など、雑事も負わされる。

 しかし、常議員会に出席すれば、弁護士会内の情報について、ほんの一部しか一般会員に開示されていないという事実に気づけるはずだ。

 常議員でありながらほとんど常議員会でお目に掛かれない(つまりほとんど出席しない?)先生がいたり、イソ弁さんの初任給が下がりつつあるにもかかわらず、大阪弁護士会の職員さんの給与が、これまで公務員の給与上昇水準を踏襲しており、さほど労使の対立もなく決まってきていた、という衝撃の事実を知ったのも、常議員会に出席して実際に見分し、質問したからだった。

 出席しておられる先生方は、確かに重鎮クラスや超実力者の方も多く、気後れすることも正直いって、ないではない。しかし、私がトンチンカンな意見具申をしても、そこは弁護士、一応こちらの主張や質問も無碍にすることなく、きちんと対応してくれるだけの度量はある。(残念ながら、こちらの意見を取り入れてくれるかどうかは、きちんとした対応とは全く別問題だ。)

 私が、いつも残念に思うのは、常議員の構成だ。本来若手の方が会員数が多いはずなのに、年輩の弁護士の数が圧倒的だし、根本的な方針などについては、余り活発な議論にならない場合が多いし、結論が決まってしまっているということだ。

 大阪弁護士会の常議員の定数は、会規によると60人だが、無所属は私だけで、他の方々は全て大阪弁護士会の会派に割り振られ、会派内で選出されて会議に出る。したがって、大阪弁護士会の根本方針に関わる問題では、会派から選出された常議員の方は、会派の意向に逆らえないだろうから、余り活発な議論にならないのも当たり前なのだ。仮に活発な議論になって、「おっ、この議案はひょっとして否決されるかも」と思っても、採決ではあっさり決まることが多い。

 大阪弁護士会の副会長は、例外的な場合を除き、各会派が1人ずつ出すのが慣例になっており、各会派は執行部への影響力をどう維持しようか苦心しているように見える。したがって、執行部が重要な議案を通そうとした場合に、各会派の副会長を通して会派に根回しを行い、圧倒的多数の賛成で執行部の思惑通りの議案を通過させることが、おそらく可能なのだ。

 ただ、このような弁護士会が求心力を失いつつある状況で、今まで通りの常議員会ではダメだと思う。若手の意見を取り入れ、若手が希望を持てる弁護士会にしないと、弁護士会制度の崩壊は止まらない。

 だから私は、もっと若手に、常議員になって常議員会でおかしいと思うことをどんどん発言して欲しいと思っている。立候補するのは簡単だ。立候補用紙に署名捺印して、選挙費用概算金2万円を支払えば足りる。

 しかも、常議員は制度上選挙で公選されることになっているが、各会派は常議員の選挙を嫌う。会派のバランスが崩れるかもしれないし、重鎮クラスが落っこちてみっともないかもしれないからだ。

 多分何人かの若手の方が立候補すれば、その数が多くなりすぎないのであれば、常議員選挙をせずに済むように各会派で調整してくる可能性が高い。

 現代の日本では、政治家が選挙権のない若者よりも老人を優遇した結果、若者達の疲弊を産んでいるように見える。

 しかし、弁護士会内では、誰もが常議員として参加出来るのだ。年輩の弁護士さんが、若手の10倍弁護士費用を払ってくれているわけでもない。

 年輩の方々、会派のエライさんだけに任せておいて本当に大丈夫なのだろうか。

 私は、もっと多くの若手の先生方に、常議員になって頂いて、若手の意見を反映した、大阪弁護士会にしていかなければと思うのだが、いかがだろうか。