私が広隆寺の弥勒菩薩と並んで大好きな仏像の一つであるのが、この興福寺の阿修羅像(国宝)です。
阿修羅については、お釈迦様の説法にニワトリをぶら下げて乱入したなど、様々なお話があるそうですが、私が一番好きな阿修羅のお話は、そして興福寺の阿修羅像に最もぴったり合ったものと感じられるお話は、中学時代に読んだ光瀬龍氏の「百億の昼と千億の夜」というSF小説の後書きにあったお話です。
光瀬龍氏の「百億の昼と千億の夜」それ自体が、日本SF史に残る傑作だと思いますが、その世界に圧倒された後に読んだ、「あと書き」に、光瀬龍氏の大好きな阿修羅王のお話が記載されていました(昨年本屋で見かけた文庫本では後書きが変わっており、私が読んだ頃の後書きではなくなっていました)。
光瀬氏によると次のように阿修羅は描かれていました(以下の文章は、「あとがき」の一部分ですが、私の記憶なので細部は違うかも知れません)。
(前略)
阿修羅王は、乾脱婆(がんだるば)王の美しい一人娘に、心を奪われ妻にと乞うのです。しかし、仏教徒ではない異教徒であった阿修羅王の願いは容れられません。阿修羅王は一度はあきらめるのですが、どうしてもその美しい娘のことがあきらめきれず、ついに精鋭を率いて乾脱婆王のもとに攻め込みます。
仏教徒である乾脱婆王は、仏界の最高の王である天輪王に助けを求め、天輪王は帝釈天に阿修羅王を討伐するよう命じるのです。
阿修羅王の軍勢は、魔力まで備えた比類なき精強な軍隊ですが、帝釈天の率いているのは天兵です。天兵を率いている以上、帝釈天は決して負けることはないのです。
ついに阿修羅王は、決して勝つことの出来ない相手に対して、永遠に戦い続けることになりました。もはや決して得られることのないたった一人の美しい娘を得るために、彼は永遠に戦い続けなければならなくなったのです。
興福寺の阿修羅王像のあの憂愁に閉ざされた眉をご覧なさい。泣き出すこともできず、自嘲の笑いとてなく、絶望を越えた向こうからひたすらに見つめるそのまなざしは、絶対者に向かって「なぜ」と問いかけているのです。
その瞳の奥には、密かに愛した一人の美しい少女の面影も既になく、己の命運を掌握するものへの尽きることのない問いかけだけがあるのです。
(後略)
私個人の思い入れかも知れませんが、興福寺の阿修羅像は、かつて美しい少女に恋をし、阿修羅王と同じような思いをしたことのある仏師が、この悲しくも壮絶な物語を知り、大好きな阿修羅王を形にしたくてたまらなくなって、自らの思いのほとばしるままに作り上げたもののように思われてなりません。
そして、おそらくその仏師は、その後、同じように美しくも悲しい阿修羅像は作れなくなってしまったのではないでしょうか。阿修羅のあまりにも深い憂愁に触れてしまう機会を得てしまったが故に。
私が、興福寺の阿修羅像に最後に会ったのはもう、10年くらい前になると思います。そのときは興福寺の国宝館におかれていました。阿修羅像の視線の真っ正面先には、帝釈天像が配置されていました。これが興福寺の意図的な配置であれば、なかなか粋な計らいではないかと思った記憶があります。
奈良にお出での際は、是非ともご覧頂きたい仏像の一つです。