法テラスの弁護士報酬削減案

※ツイッター等でご指摘を受けましたとおり、以下の記事は誤解を含んでおります。

 少年事件の広告に関しては、日弁連委託援助事業のようです。

 お詫び致します。

 なお、記事については後日訂正ないし削除する予定ですが、公開した以上、それまでは掲載致します。

 月間大阪弁護士会の記事によると、法テラスが法律援助事業に関する弁護士報酬の改定案を出しているようだ。改定案と聞けば聞こえは良いが、要するに弁護士報酬の削減を目的としたものだ。

 現在の改定案の項目で、援助金額の大幅な切り下げになるのは次の2項目であるとのことだ。

①家裁段階の付添人が、抗告(審判に対する不服申立。大人の事件でいえば、判決に対する控訴などと同じと考えて頂ければ分かりやすい。)を受任する場合の援助金額を7万円に減額
②抗告段階の付添人が再抗告を受任する場合の援助金額を5万円に減額

 ただでさえ、国選弁護制度、国選付添人制度は、経営者弁護士には完全な赤字案件というべき費用しか出ていないのに、法テラスは援助金額をさらに削減しようとする気のようだ。
 法テラスはどこまで、弁護士の善意に寄りかかった運営を行うのか。それとも、どんなに赤字でも仕事がないよりマシだろうから、どれだけ安くても仕事を受けるだろうと、足下を見ているのか。

 どこの世界でも、サービスに見合った対価は必要だ。それが保たれてこそサービス業が成り立っているはずだ。

 私の感覚からすれば、経営者弁護士であれば1人事務所であっても、家賃・事務員の給与・リース料等から、時給20000円以上で仕事をしなければ、赤字になる可能性が高い。費用に見合った仕事をするとなれば、経営者弁護士は少年事件抗告審には3時間半以上かけられないことになる。しかし、手抜きをしても、少年事件抗告審は3時間半で終わるような仕事ではない。仮に手抜きをして3時間半で終えられたとしても、事務所維持のための経費に1時間20000円以上かかっているので、実質上所得は0円だ。

 少年事件の抗告は、大人の刑事事件と異なり、取り敢えず控訴期間(14日)中に控訴状だけ出してあとは控訴趣意書をゆっくり作成すればいいというものではない。抗告の理由も含めて14日以内に書面を作成して提出する必要があるため時間的には極めてタイトである。しかも、家裁がどういう理由でその処分を下したかについての審判書が、大抵出来上がっておらず、出来上がって謄写できるのが抗告期間切れの3日前、という状況だってありうる世界だ。判決文を見て初めて裁判官の判断の過程が分かるのと同様、審判書が出来上がっていなければ、どの部分で審判官が何を評価してこの処分にしたのか、そのどの部分が誤っており、抗告審で正されなければならないのか明確にならないのだ。
 しかも、予め準備しておけばその書面がそのまま使えるわけではない。事案が違うから当たり前だが、一つ一つがそれぞれの弁護士が苦労して身に付けた職人技を駆使したオーダーメイドの書面なのだ。

 
 以前、知り合いの医師に、弁護士がどれだけボランティア精神で、どれだけ割に合わない仕事をしているのかについて説明したところ、帰ってきた感想は「弁護士ってそんなに余裕があるンや」というものだった。世間の見方は、おそらく同じなのではないか。
 弁護士や弁護士会が、人権のためだと理想に燃えてやせ我慢したところで、世間は理解してくれず、むしろ、それだけ余裕があるならもっとボランティアをしても良いだろうと考えても不思議ではない。だから、堂々とただでさえ赤字程度しか出さない弁護士費用を、法テラスはさらに削減すると提案してきているのではないか。

 悪いが、弁護士がストライキでもしない限り、法テラスはさらに足下を見てくる可能性が高いだろう。
 なお、法テラスは自前で弁護士を雇用して、仕事をさせてもいるから、民業圧迫きわまれり、といった状況にもある。

 私は、6~7年ほど前ある会合で、もと大阪弁護士会会長の方で、法テラス導入に尽力した方に、「法テラスは弁護士費用の立て替えをする機関であって、弁護士費用を下げるものではないはずだ。さらに自前で弁護士を雇用して事件解決にあたるとは民業圧迫ではないか。」と意見したことがあるが、お答えは「仕事が増えたんやから良かったやないか。これから仕事に見合うお金を出すように言っていけばいい。」というものだった。

 その先生がどれだけ法テラス案件をこなしていらっしゃるか知らないが、仕事に見合うお金が出てくるどころか弁護士費用切り下げとは、どこまで弁護士に負担を押しつければ気が済むのだろうか。

 このような状況下で、日弁連は法曹志願者の減少対策として、法曹の魅力を訴えていくそうだが、法曹志願者がそれで回復するのか。

どこか間違っているような気がしてならない。

プロセスはもう聞き飽きた~番外編2.2(ある弁護士の考えた法科大学院生き残り方法2)

(前回の続きです)

 K弁護士によると、法科大学院を卒業しながら司法試験に合格できなかった人は、企業から見れば、実務家養成に特化したプロセスによる教育を2~3年も受けておきながら、旧司法試験よりも10倍以上合格率が高くなり間違いなく合格しやすくなった司法試験すら合格できなかった、というマイナスのスティグマを押されている可能性があるという。
 かつて、東大・京大の卒業生が、合格率2%の旧司法試験にチャレンジして合格できなかったからといって、就職の際に東大・京大卒業生がマイナスのスティグマをおされることはなかったはずだ。それは、旧司法試験の合格率が極めて低かったから、合格できなくても当たり前という共通認識ができていたからではないのか。
 そうだとすれば、現行司法試験の合格率を極端に下げれば、法科大学院を卒業して司法試験に合格できなくても、それは試験の合格率が低すぎるせいで、法科大学院生のせいではない、合格できなくて当たり前、と企業は受け取ってくれるのではないか。そうなれば、司法試験不合格のスティグマは回避できる。

 K弁護士は概ねそのように語ってくれた。

 これに対して、確かにK弁護士のいうとおりである面はあるが、そうなると、法科大学院を卒業しても司法試験に合格できなくて当たり前となるため、わざわざ高いお金と長い時間をかけて法科大学院に通う意味が無くなり、誰も法科大学院に行かなくなるのではないか、との指摘を私はした。

 K弁護士は、それでも法科大学院の生き残るみちはあるという。

 それは、法科大学院は、実務に精通した教員(一流の実務家教員)を大幅に増員した上で、外国語を含めて本当に企業の法務に役立つ知識、企業が法務面で現実に求めている能力を、法科大学院生に叩き込み、真に即戦力たり得る人材を育成することに注力すればいい、ということだった。
 もちろんその前提として、法科大学院卒業を司法試験受験の要件としてはならない。法科大学院卒業を司法試験受験要件とする限り、その裏返しとして法科大学院は、司法試験の合格者を出さなければならない役割を負い続けることになり、司法試験のくびきから逃れられないからだ。

 そもそも、法科大学院ではプロセスによる教育によって、理論と実務の架橋もできるはずなんだから(少なくとも法科大学院はそう主張している)、当然実務に直接役立つ教育だって可能なはずだ。
 但し、真に社会で役に立つ人材を生み出そうとすれば、その教育の大部分は、理論だけを研究している学者ではなく、現実に社会で活躍している一流の実務家によってなされなければだめだ。実務を知らない者に実務の勘所、実務で役立つのはどのような知識であるかなど、わかりようもないからである。法科大学院は国民のために創られた制度であるはずで、学者の安易な就職先開拓事業であってはならない。

 そして、一流の実務家を中心に、法科大学院で実務で真に役立つ教育が本当になされ、厳格な卒業認定の下、素晴らしい人材が法科大学院から輩出されるのであれば、自然と企業からの評価は高まり、法科大学院卒業というだけでかえって高品質を保証するブランドになるはずだ。その中でさらに法曹資格を取りたいと思えばさらに勉強を重ねて司法試験に合格すればいいだけだ。
 そのようなブランドが法科大学院に構築できれば、司法試験受験資格を人質にとるとか、予備試験を制限せよなどと姑息な主張をしなくても、学生はこぞって法科大学院を目指すことになるだろう。素晴らしい教育を受けられて即戦力を身に付けられる上、法科大学院卒業自体がスティグマではなくブランドとなり、人生の成功へのパスポートになり得るからだ。

概ねこのような話をK弁護士から聞かせて頂いた。

 K弁護士の構想する法科大学院は、企業法務を念頭に置いた教育を想定しているため、果たしていわゆる人権派弁護士や企業側でなく個人の側に立ついわゆる街弁的な弁護士が育つかどうかについては若干疑問もないではない。しかし、法科大学院がなかった旧司法試験の時代でも人権派弁護士や街弁は生まれてきたし、法科大学院卒業を司法試験受験要件から外せば、法科大学院以外からの司法試験合格者も増えるだろうから、その心配も薄らぐだろう。
 そうだとすれば、社会に直接役立つための教育という観点からは、K弁護士のお話しも一理ある、と私は思った。

 ただ、残念ながら、現時点で法科大学院卒業者にブランド力があるかといえば、そのような話は聞かれない。社会に直接役立つ教育を法科大学院が行えていないということなのだろう。

 となると、問題は、K弁護士が指摘するような教育が、学者教員の方が多数を占めちゃってる法科大学院で果たして本当に可能なのか、そういうことに文科省・大学側・学者教員が納得するのか、ということなのかもしれないね。

プロセスはもう聞き飽きた~番外編2.1(ある弁護士の考えた法科大学院生き残り方法1)

 先日、会社法分野で、かなりの成功を収めている弁護士の方と食事をする機会があった。

 その先生(K弁護士とする)と食事をしながら法科大学院の話になったときに、K弁護士は、法科大学院が司法試験の合格者を増やせば人気(志願者)が回復すると主張しているのは本当なのかと、私に聞いてきた。

 私は、中教審の法科大学院協会や法科大学院制度維持・推進を主張する弁護士がそのように主張しており、さらには司法試験を簡単にしろとまで主張していることを説明した。

 K弁護士は、そんなことで法科大学院の人気が回復すると本気で信じているとしたら、そのこと自体が信じられないと言った。

 私が聞き取ったK弁護士の考えは概ね次のようなものである(間違っていたらごめんなさい)。

 そもそも法科大学院制度のように時間もお金もかかる制度に敢えて志願者が来るとすれば、それは法科大学院を出た先にある法曹資格が目当てではないか。
 「法曹資格は人気も価値もあるから、お金や時間を馬鹿みたいにかけさせる制度にしても、志願者は減少しないし、法科大学院は採算が取れる。」と大学側が判断したからこそ法科大学院を設立したのだろう(もし、当初から採算を度外視して、プロセスによる教育とやらの法曹育成の理想だけで設立されたのであれば、今のように次々撤退なんかしないだろう。)。

 簡単に言えば、法曹資格の人気・魅力にぶら下がって、大学側が商売をしようとしたわけだ。

 確かに司法試験の合格者を増やせば、法科大学院修了生の合格率は上がるから、「うちの法科大学院からこれだけ司法試験に合格した!」と宣伝しやすい面はあるだろう。しかし、少し長い目で見れば、司法試験の合格者を増やせば、全体としてのレベルは下がるし法曹資格の価値は当然下落する。昔の司法試験は合格率2%程度で、東大・京大卒でも15~16人に1人しか合格できない試験だったし、それだけの難関であればこそ、突破した際の世間の評価や自己の満足度も大きかった。志願者もほぼ一貫して増加傾向だった。

 司法試験合格者を増やしたことは、そのような資格を濫発して、法曹資格の人気・魅力・価値を失わせただけではないか。また、全体としての法曹の質を下げて、結局は国民の皆様に不利益を与える危険性を増やし、その結果、司法による解決から逆に遠ざける危険性を増やしただけなのではないか。
 
 つまり、法科大学院は法曹資格の人気・魅力にぶら下がって志願者を集めておきながら、合格者増を叫んで、その根本にある法曹資格の人気・価値・魅力の下落に直結する主張を行うのは、自家撞着ではないか。というものであった。

 そこで私が、「法科大学院側は、プロセスやらなんちゃら言ってるけど、結局は司法試験合格率によって価値を判断されると思っている部分があり、その目先のことから、司法試験合格率を上げろと言っているようなので、バカだとは思うけど、自家撞着だろうが自己矛盾だろうが構っちゃいられないんじゃないか。」と話した。

 K弁護士は、その考えもおかしいと指摘した。

 K弁護士によると、むしろ司法試験合格率を極端に下げる方が、法科大学院の生き残りにメリットが出るのではないかというのである。

(続く)