猫の挑発?

 S弁護士は、犬派か猫派かと聞かれると、断然犬派である。

 S弁護士は、犬の、嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい、楽しいときは楽しい、というストレートな感情表現、主人に一途、裏表がないところ等が大好きなのである。

 一方、猫に関していえば、何を考えているのか分からない・主人はむしろ自分だと思っていそうである・爪でひっかく・春になると、さかりがついて妙な鳴き声を上げる等という点があまり気にくわない。自分が怖がっているくせに妙に余裕を見せようとするあたりが特にS弁護士の気にくわない点である。

 さて、ある週末の深夜のことである。S弁護士は自動車で行きつけのラーメン屋に行き、夜食のラーメンを食べていた。相手方の弁護士から、矛盾一杯かつ失礼な内容の書面が届いていたので、反論を考えていた。食べながら反論を考えていると、ついつい、あまりの失礼な内容に腹が立ってくる。明日は休日なので事務所に出ないが、反論のことを考えると、どうも気分がよくない。

 弁護士であれば誰しも経験するところであるが、悪意に満ちた文章を読むと心が荒む。その文章に対して反論を考えていると、なおさら心が荒むものだ。心なしかラーメンもいつもより美味くないようである。せっかくの夜食ではあったが、S弁護士はため息をつきながらラーメン屋を出ることになった。

 S弁護士は、心が晴れないまま、下宿近くの駐車場に車を置き、下宿に帰ろうとしていた。すると何かがやってくる。猫だ。全身白い猫だ。

 深夜にもかかわらず白い野良猫が堂々と道の真ん中を、とっとこ・とっとこ駆け足でこちらへ走ってくる。大体1.5車線くらいしかない路地である。こっちはもし車が来たらと思って道の端を歩いているのに、堂々と真ん中を駆け足している。

 欧米では黒猫に前を横切られると縁起が悪いということで、とにかく視野に入る黒猫を追い払う人もいると聞いたことがある。だが、今、こっちへ向かってくるのは白猫だ。縁起の問題は関係ない。

 しかし、普段はそんなことは滅多にないのだが、やはり心は荒んでいたのかもしれない。S弁護士は、ちょっとした、悪戯心で、さっと通せんぼするふりをしてみた。すると、猫も本心ではビクビクもんだったのだろう、一瞬で身を翻し全力疾走で走り去り、近くの駐車場に猫は駆け込んでいった。

 ふっ、チョロイもんだぜ、所詮は猫、通りの真ん中なんか歩くんじゃねえ。これからは、もっと猫らしく端を歩くモンだ。と荒んだ心で猫に毒づきながら、S弁護士は猫の逃げ込んだ駐車場を何の気なしに覗いてみた。

 すると、猫がいた。まごう事なきさっきの白猫である。顔は横を向いており、こっちを無視しているようである。

 腹が立つことに、駐車場のど真ん中に堂々と寝そべっている。わずか5秒ほど前に全力で逃げ去った猫である。それが寝そべる必要もないのに、30分も前から暇つぶしをしていたかのように、手足を大きく伸ばして寝そべっている。しかもこちら横目で見ながら、挑発するかのごとく尻尾で地面をビタン・ビタンと叩いておるではないか。

 そのとき、S弁護士には、聞き耳頭巾もないのに、猫の次のような声が聞こえたという。

 「おや、今頃、通らはるんですか。大分長いことかかりますなぁ。あんさんみたいに、中年太りで足の遅いお方、ちっとも怖いことおまへんで。」

 白猫が余裕を見せたがっているのは分かっている。ポーズだけ余裕を見せても奴は今でも、内心ビクビクしているはずだ。常に横目でこちらを見ていることからも分かる。多分、駐車場に向かって走り出す構えを見せただけで猫は、すっ飛んで逃げるだろう。

 ここで白猫を無視するのは相手の余裕を認めてしまったようで悔しい。しかし、追いかける構えを見せることは、実は、猫の挑発に乗せられたことになるのではないか。

 S弁護士の頭の中で一瞬思考が交錯する。

・・・・・しかし、挑発は乗ってしまった方の負けである。

 ええい、ここは無視してやる。ありがたく思えよ。

 結局S弁護士は、そう思って、その場を歩き去ったのである。しかし後で考えてみると、白猫はそこまで予測してあのような態度を取っていたのではないかとも思えてきた。

 猫の仕掛けた心理的わなに、S弁護士は、まんまと引っかかってしまったようである。

 S弁護士が猫派の人の気持ちが分かるのは、まだ遠い先のことのようである。

裁判所の温度

 今日の大阪は最高気温が32℃ほどあったようです。そうはいっても、気温の測定は確か、昔は白色の百葉箱(地上1.2~1.5mに設置された、屋根付き全面鎧戸で風通し良好の箱)で観測されていたはずです。私の通っていた小学校・中学校にも設置されていたと思います。最近あまり見なくなったと思っていたところ、どうも現在は 別の方法で測定されているようです。ただ、やはり日陰で風通しをよくして測定していることには変わりないようです。

 発表される最高気温は、このように日陰且つ風通しのよいところで測定されているため、実際の体感気温とは大きくずれているように思われます。大阪はアスファルト地獄ですから、今日のように32℃が最高気温でも、カンカン照りの日には、地面からの熱気と直射日光でクラッとなるくらい、熱せられる気がします。

 一方この時期、裁判所はお役所ですから、どうも28℃に空調の温度設定をしているようです。ですから、この時期でも、晴天の日の午後1時頃に裁判があって、裁判所に行った際には、外の気温より低いので少しだけ涼しさを感じることができます。しかし汗がすぐ引くことはないので、汗っかきの私はハンカチかタオルが必需品になってしまいます。

 しかし、たまにではありますが、曇りの日で、風が吹いていたりする日の午前中に裁判があったりすると、外は気持ちがいいのに、空調が効いているはずの裁判所の中に入った方がムッと暑く感じる場合もあります。

 今日の午前は、珍しく、裁判所の中の方が暑く感じる日でした。

 確かに地球環境も大事ではありますが、ただでさえ、人生の一大事ともいうべき大変な事件をかかえた方が来られる可能性があるのが裁判所です。心配事をかかえてやってくる人に、せめて涼しさくらい与えられるように、もう少し柔軟に温度調節できないものかと、私は思ってしまうのですが・・・・・。

5教科7科目でも(共通一次)

 共通一次試験というと歳がばれるのですが、私が高校生の頃は共通一次を受験しなければ国公立大学を受験することはできませんでした。

 しかも私が受験していた頃の共通一次試験は、5教科7科目が必須とされていましたので、英語・国語・社会一科目の合計3科目だけで足りる、私立文系大学の受験生が羨ましく思えたこともありました。

 共通一次の5教科7科目とは、

 英語                          200点

 数学Ⅰ                        200点

 国語(現代国語・古文・漢文)           200点

 理科(物理Ⅰ・化学Ⅰ・生物Ⅰ・地学Ⅰなどより2科目選択) 100点×2

 社会(政治経済・倫理社会・日本史・世界史・地理Aなどより2科目) 100点×2

 合計1000点満点

というもので、平均点は600~630点くらいだったと思います。

 私は、理科の科目として物理Ⅰ・地学Ⅰを選択し、社会の科目としては倫理社会・日本史を選択していました。

 理科科目選択の理由は、単純でした。化学Ⅰに関しては、モル・アボガドロ数という概念がよく分からなかったのと、生物Ⅰに関しては遺伝は面白かったものの、TCA回路あたりがよく分からなかったので、消去法的に物理Ⅰと地学Ⅰを選択することになっただけなのです。

 しかし、物理は自然現象を物理法則で説明するということが面白く、非常に興味を持って勉強できました。地学についても星を眺めることが好きだったので結構抵抗がなく取り組めました。ただ、ひとつの問題は、私の通っていた高校では、地学を教えてくれる先生が一人もいなかったということでした。

 仕方なく地学は、予備校の夏期集中講習を受けて、その後、独学で勉強することになりました。地学は、私にとっては非常に面白かったものですから、そんなに苦にもなりませんでした。ですが、模擬試験では学校内で地学選択者が私しかおらず、いつ受験しても、地学に関しては校内順位1位/1人中、校内偏差値50、という時期が続いたように思います。

 遠い受験時代の勉強なので、当時の記憶は殆ど忘却の彼方にかすんではいるのですが、ときおりTVなどで、物理に関係する番組や、地学に関係する番組に接すると、当時の知識が蘇ってきて、結構興味深く見ることができますし、理解も早いように思うのです。普通だとあっさり聞き流して分かったつもりになってしまう番組でも、違って感じられるのです。

  共通一次は、5教科7科目と受験生にとっては結構大変な負担ですし、マークシート方式なので画一的な人間を作ってしまうのではないかという批判もあったようです。しかし、その批判の一方で、若者に敢えて多くの科目を勉強させ、将来にわたって多方面に興味を持つ可能性を残すという、別の効果があったのかもしれません。

 受験地獄、受験生の過重な負担などと、いろいろ言われますが、私はゆとり教育には反対で、若者に可能性を残す意味でも、多少辛くても、若者にはできるだけ幅広く多くのことを勉強させた方がよいように思っています。

最も簡単に懲戒処分を受ける方法

 私が以前勤務していた法律事務所で、ボスだった先生から冗談で、「坂野君、最も簡単に弁護士会の懲戒を受ける方法を知ってるか?」と聞かれたことがあります。

 そのとき私がどう答えたのか忘れましたが、先生の仰る正解は、「会費の滞納」ということでした。

 弁護士は弁護士会費を毎月納める義務があり、その額は馬鹿になりません。大阪では、現在、日弁連会費と合わせると毎月5万円弱の弁護士会費が必要になり、滞納すると懲戒処分を受ける危険があります。

 ただ、病気で仕事のできない方や出産で休業されるなどの方にまで、弁護士会費を納めるよう強く求めることは問題があるので 、申請により会費減額・免除をしてもらえる場合があります。

 大阪弁護士会会則161条の運営準則一、(一)、(1)には、会費の減額・免除が可能な場合(のひとつ)として、こう書かれています。

「会員が疾病その他やむを得ない事情により、弁護士業務の執務不能等となり、会費の支払いをなすことが経済的に困難であると認められるとき。」

 つまり、長年弁護士をやってこられてある程度の資産も形成されたA弁護士が、病気で執務不能となった場合に会費減免を申告すれば、A弁護士は会費減免が認められる可能性が高いことになります。

 一方、苦学して合格し即独された新人弁護士Bさんが、どんなに仕事をしても営業努力しても赤字であり、受験時代にこさえた借金もあり、弁護士会費の捻出が困難であるとします。B弁護士のような方も今後は出てこられる可能性は否定できないでしょう。

 さて、B弁護士さんは上記の規定で、月額5万円弱もの弁護士会費を減免されるのでしょうか。

 運営準則を素直に読めば、会費減免が認められる要件は①疾病その他やむを得ない事情により、②弁護士業務の執務不能等となり、③会費の支払いをなすことが経済的に困難であると認められるとき、の3要件です。

 仮に即独して一生懸命努力しても赤字経営の方の場合、③は明らかに満たすでしょう。①は一生懸命に営業しても仕事がないのであれば、それは即独弁護士Bさんのせいではないので、「やむを得ない事情」に読み込むことは不可能ではないかもしれません。

 最もクリアーしにくいのは②の要件です。①を受けてやむを得ない事情により弁護士業務の執務不能等にならなくてはなりません。執務不能ではなく、執務不能等ですから、ちょっと無理かもしれませんが、仕事不足も仕事をしたくてもできないという面で執務不能と同じだからと理屈をこねて、執務不能等に読み込んでしまえば、条件クリアーとなる可能性は(極めて低いですが)ゼロではないかもしれません。しかし、おそらくそこまでは解釈を拡大することは困難でしょう。

 確かにA弁護士は弁護士としての業務ができない状態ですから弁護士としての活動はほとんどないでしょうし、弁護士会も利用しないでしょう。これに対して、B弁護士は、弁護士としての活動を一生懸命していますから、弁護士会費を払うべきだという考えにも一理あるでしょう。

 しかし、現実の問題として、A・Bのいずれの弁護士が弁護士会費免除を受けるに相応しいかというと、素朴な疑問が生じます。A弁護士は長年弁護士資格を用いて資産形成もできており、(病気は心配ではありますが)今後の生活はそう不安はありません。一方、B弁護士の方が今まさに現実の生活において明らかに困窮しているからです。

 私は個人的には、若手会員の会費減免という、その場しのぎの策では事態の根本的解決にならないという意味で、若手の会費減免には反対です。

 しかし、私の個人的意見とは別に、上記のとおり、純粋にどちらが困っているかという観点からA・Bを見たときに、免除すべきなのはB弁護士の会費なのかもしれない、という素朴な疑問が生じてしまいます。

 その疑問が生じる理由は、会費減免規定が、弁護士は食うに困ることはないという前提で作成されているからではないかと考えられます。「弁護士稼業を一生懸命にやっていれば生活に困ることはないだろう。だから、弁護士稼業を行っている以上弁護士会費を払うべきである。」という考えがこれまでの弁護士達の根底にあるのではないでしょうか。

 また、弁護士会費が増大の一途をたどり、月額5万円弱までふくらんでしまったのも、「弁護士会の費用が不足するならば、会費を値上げすればいい。弁護士が食うに困ることはないはずだから。」という考えが根底にあったような気がしてなりません。強制加入団体でこれほどまで高額の費用を徴収する団体はおそらく他にはないでしょう。

 もし、私の考えが当たっているとするならば、弁護士をさらに増員し、もっと競争を激化させようとされる先生方は、会費大幅削減・会費徴収に関する手当も提案していく必要があるように思うのです。どうも弁護士の潜在的需要はある、今までの増員ペースで問題がないと仰る方は、何故か時代(状況)の変化を、ある意味で無視し続けているような気がするのです。

 早く気付いて下さい。「自分は裸の王様かもしれない。」、と。

ニューズウイーク日本版 6.24

 ニューズウイーク日本語版6.24号の、「新資本主義宣言~モラルある強欲こそ」という記事を読んだ。

 ニューズウイーク国際版編集長ファリード・ザカリア氏が書いた記事であり、アメリカ発の今回の世界経済危機の本質を問い、法的に許されることであっても道徳的とは限らない、規制強化や制度改革も必要だが最も大切なのは個人の倫理観を取り戻すことだ、と述べる。

 この記事の中に、気になる記載があった。

「この10年、世界で起こったことの大半は合法的なものだった。(中略)だが、責任を持って誠実に気高く行動したものは殆どいなかった。どうでも良いことに聞こえるかもしれないがそうではない。資本主義であれ社会主義であれ、どんな体制もその核に倫理や価値観がなければ機能しない。常識や正しい判断、倫理規範がなければどんな改革も不十分となってしまう。」
「アメリカ社会で起きている大きな変化の一つは、自主規制をする同業者組合のようなシステムが消えつつあることだ。かつて弁護士と医者、会計士は自らを公的責任を伴う民間プロフェッショナルとみなしていた。自分の事務所のためだけでなく、社会全体にとって善か否かを考えながら責任感を持って行動していた。弁護士は、時間を浪費する訴訟ややみくもな買収を考え直すよう依頼人に助言することさえあった。今や弁護士だけではなく、あらゆる専門家が変わってしまった。」

 つまり、ザカリア氏の書き方によれば、アメリカにおいては、社会全体にとって善かどうかという観点で責任感を持って行動する専門家はもはやおらず、(おそらく)弁護士が最も先陣を切って無責任な専門家へと変貌を遂げた、と読むことができる。

アメリカでのお話
(A弁護士のオフィスで)

依頼者「A弁護士さんでいらっしゃいますか?」

A弁護士「はいそうです。」

依頼者「料金はおいくらですか?」

A弁護士「簡単な質問3つで100ドルです。」

依頼者「それって高くはないですか?」

A弁護士「ちょっとは高いかもしれないね。・・・それでは100ドルになります。」

 このように冗談で揶揄されるほど、アメリカの弁護士は法律をビジネスの道具にすることに長けているようだし、そうでないと、厳しい競争下では生き残っていけないのだろう。弁護士だって、職業だし仕事をすることによって生計を立てなければならないからである。先だってブログにも書いたが、弁護士の需要は拡大していないにもかかわらず、弁護士の人口は爆発的に増加しつつある。早晩、食うにも困る弁護士があふれかえるだろう。その日は遠くない。そうなった場合、食うにも困る弁護士に、社会にとって何が善か考えて行動しろと言っても無理だろう。とにかく稼がないと明日の生活にも困るのだし、稼ぐためには法律問題を解決するしかないのだから、本来争うべきではない事件でも法律問題として争いにする他なくなってくる。

 そのように生存競争を弁護士に強いて、無責任な専門家を大量生産することが、本当に日本にとって良いことなのか。

 アメリカが訴訟社会だから大量の弁護士を必要としたのではなく、大量の弁護士の食い扶持を賄うためアメリカが訴訟社会に変わってしまった可能性は否定できまい。

 国民は無責任な専門家である弁護士を大量に求めているのか、それとも社会にとって善かどうかという観点で責任感を持って行動する需要に応じた数の弁護士を求めているのか、需要を無視して弁護士を増やせば無責任な弁護士が必然的に増加するという事実を念頭に置いたうえで、本当に求められている弁護士像を改めて問い直す必要があるのではないだろうか。

天空の鏡 ~ボリビア・ウユニ塩原~

 昨日の深夜、NHKのワンダーワンダーという番組の再放送で見ました。

 題名は「アンデス・天空の鏡」というもので、ボリビアのウユニ塩原で撮影された、地面が一面鏡のようになっている風景の映像が映し出されていました。

 その光景には、私は、見覚えがありました。

 何年も前に、どこかの写真で一度見た光景で、そのときは、一体どうやって撮った写真なのだろうと、ずっと心に引っかかっていた光景でした。あまりの光景に驚いて、撮影場所などをチェックするのを忘れてしまっていました。その後、何年間もその光景を写した映像や写真を見ることがなかったので、ひょっとしたらあの写真は合成写真だったのかと自分を納得させていたようにも思います。

 番組内の解説によると、ウユニ塩原は、四国の半分くらいの大きさでありながら、高低差わずか50㎝なので、雨が降ると水深1㎝くらいでほぼ均等に水が広がるのだそうです。また、水深も僅かなので水面には、ほとんど波も立たず、塩原一帯がまるで天を写すために作られた巨大な鏡のようになるということでした。

 その巨大な天空を映す鏡に空や星が映るのです。まるで全てが重力から解き放たれたかのような圧倒的な光景が画面に映し出されました。

 「世界は本当に素晴らしい」と実感させるに十分なものでした。

 ちょっと夜更かしになりますが、NHKの別番組でも紹介されるようなので、是非ご覧になることをお薦めします。

ハイビジョン特集 アンデス 天空の鏡 ~ボリビア ウユニ塩原~
BShi 6月21日(日) 午後10:00~11:30

大阪弁護士会就職説明会

 本日の常議員会で、耳にした情報なのですが、近日中に行われる予定の、大阪弁護士会就職説明会について、次のような状況だそうです。

 現段階で就職説明会にブースを設置する予定の法律事務所14、ブースを設置する予定の企業4、資料配付を予定している法律事務所8(よくききとれなかったので多分)。

 これに対し、参加予定司法修習生は、現状で、182名。

 どうやって就職先を見つけるのでしょうか・・・・・。

 弁護士の需要があるのであれば、どの事務所も弁護士が欲しくてたまらないはずです。誰が見ても弁護士の需要はないという状況でしょう。

 「まだまだ、弁護士の需要はある」、「潜在的需要はある」と日弁連や各弁護士会執行部は言い続けていますが、潜在的需要があるといわれ出して何十年経っているのでしょうか。一向に増員に見合うだけの弁護士需要は見えてきません。

 自分で美味しそうに絵に描いた餅を、他人に見せて、「おいしそうだろう、そのうち食べられるから頑張れよ。(俺はたらふく食べたけどな)」といわれても、実際に食べられない状況では、どんなに我慢強い人でも頑張れません。

 現実を見て下さい!!執行部の方達!!

司法改革推進本部に出てみました

 法曹人口問題について、PTを作って欲しいと常議員会で大阪弁護士会畑会長に要望したところ、司法改革推進本部の法曹人口部会で同じことをやっているので、そちらに特別委職で入れて頂けるよう配慮して下さることになりました。

 その後、畑会長など執行部の方のご尽力で、司法制度改革推進本部、法曹人口部会に入れて頂いたので、ようやく今日、司法改革推進本部の会合に出てみました。

 出席して最初に感じたのは、若い方が少ない(と言うより殆どいない)なぁという感想でした。まあ、若手は現在生活基盤すら安定していないので、委員会活動に時間を掛ける余裕が全くない方も多いからやむを得ない面もあります。しかし、弁護士会の将来について重大な影響を及ぼす司法改革推進本部に若手の姿が見あたらないのは、かなり問題が大きいようにも思いました。

 こういうところで遠慮しないのが私の長所兼短所ですので、気付いたことをいくつか発言させて頂きました。法曹一元なんて現実には無理じゃないかということまで言ってしまったので、ひょっとしたら気分を害された先生もいらしたかもしれません。

 私が感じたのは、司法改革推進本部の方達は、本当に司法制度の改革について一生懸命考えている方が多いのだということですが、同時に、一生懸命すぎるあまり理想に走りすぎ、周囲が見えない裸の王様状態になってしまっていないかという危惧を抱きました。

 法曹人口部会でも、昨年の大阪弁護士会決議、日弁連緊急提言などから考えるそうですが、日々状況は変わっています。新人弁護士の就職難は、極めて深刻であり、新62期は4月段階で就職が内定している者は、約3割程度という情報も出ていました。日弁連平山元会長がほんの1年半余り前、2010年まで就職は大丈夫と大見得を切っていたのに、このていたらくです。

 常議員会に加えて、司法改革推進本部・法曹人口部会と時間を取られるのは大変ですが、できるだけ出席して、素直におかしいと思うことを、間違っていても恥ずかしがらずに述べていこうと思っています。

時代劇の悪役

 S弁護士の父親は、S弁護士から見ても、あきれるくらい時代劇が好きである。

 NHK大河ドラマは当然として、定番の水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍、ちょっとテーマ曲が寂しい感じの大岡越前、お~と~こだった~らの銭形平次、死して屍(しかばね)拾う者なしの大江戸捜査網などなど、まあよく見ていた。今も年末やお盆に実家に帰ると、年末特集の白虎隊やら何やらよく見ている。

 時代劇は、話としては単純である。

 大抵の時代劇は、善良な商人(茶屋の娘の場合もあり)が悪代官(悪徳商人の場合もあり)にひどい目に遭わされ、「神も仏もあるものか・・・・・」と悲嘆にくれる。しかも、悪役は悪役面の俳優さんが必ずと言っていいほど演じており、一目で悪い奴かどうか分かる仕組みになっていて、番組の途中から見ても、どっちが悪役かすぐ分かるようになっている。

 そして、悪代官と悪徳商人が

「そちも、相当の悪よのう。○○屋」、

「いえいえ△△様にはかないませぬ。これで△△様も××様のあとを襲うてお奉行様に・・・」、

「これ滅多なことを言うでない。」

「いえいえ、もうお奉行様になられたも同然。これはそのときのお支度にお使い頂きたいと思うて、お持ちいたしました山吹色の菓子でございます。なに、ほんのお口汚しに・・・・」

「困るな、○○屋。まあしかし、菓子をくさらせるのももったいない。預かっておこう。」

「△△様、これで二人は同じ穴のむじな。今後とも、どうぞよしなに・・・・」

「うっしゃっしゃっしゃ・・・・」「ほほほほほ・・・・」

・・・・・・・てな具合で、悪役達が自らの首尾に酔いしれているところを、主人公やその仲間(水戸黄門の場合は風車の弥七)が目撃する。そして、弥七役のご注進を受けた主人公が真相を解明し、印籠やら桜吹雪を駆使して悪役を成敗し、めでたしめでたしである。

 大抵の悪役は、それまでに助さん・格さんや吉宗のみねうちや、平次の銭投げで痛めつけられているので、決めの印籠やら桜吹雪にめっぽう弱い。(最初から勝負は付いているのだが)印籠や桜吹雪が出た時点で「勝負あり!」である。

 つまり、時代劇は、どうしても代えようのないワンパターンであり、決して悪が勝つことはないお約束である。だからこそ安心してみていられるという面もある。

 ところが、これが、遺伝のせいかどうか分からないが、悔しいことに、S弁護士にも心地良いのである。仕事の関係で、そんなに早く家に戻らないので滅多に見ることはないが、TV番組で見かけると、結論が分かっていながらついつい見てしまうことがある。

 しかし、S弁護士の楽しみはそのワンパターンに乗った安心感だけではない。本当に希ではあるが、ワンパターンにおまけが付くことがある。

 散々痛い目に遭わされた上に、印籠を示され、いつもならへへーっとなり、命乞いする悪役が、ごく希に

 「ええい、こんなくそじじいが黄門様であるはずがない。切れっ!切ってしまえ!」

 「ええい、かくなるうえは・・・・・・」

 などと開き直って、襲いかかってくることがあるのだ。いつもなら印籠だけで勝負が付くので、開き直られて主人公が慌てれば面白いのだが、大抵はそんな反撃も想定の範囲内とばかりに、主人公達によって、あっさり悪役はやられてしまう。

 しかし、印籠という絶対に逆らえない正義を示された途端、直ちにこれまで行ってきた悪逆非道な行動を忘れたかのように命乞いをする悪代官より、実力でも権力でも、そして正義の面でも絶対に勝てないことを知りつつも最後まで悪役に徹しきる悪代官の方が、筋が通っているような気がして、なぜだかS弁護士は少しばかり好きなのである(悪人が好きというわけではないので念のため)。

 たまに時代劇を見ると、悪役が最後まで悪役で踏ん張らないかなぁ、とS弁護士はいつも少しだけ「おまけ」を期待しているという。

日経新聞スポーツ欄コラム

 今、私が取っている新聞は、日本経済新聞である。当然、経済の記事が多く、テレビ欄も裏表紙ではない。テレビ欄については一般紙のように裏表紙のほうが便利だと思うが、日経新聞は頑なにテレビ欄を裏表紙にしない。

 日経新聞は名前通り経済に関する新聞であるため、スポーツ欄も小さめである。しかし、その小さなスポーツ欄の中に、往年の名選手のコラム欄があり、私は密かに楽しみにしていたりする。

 特に気に入っているのが、野球の豊田泰光さんとゴルフの杉原輝雄さんの文章だ。お二人とも、文章から豊富な経験に基づいた深い人間洞察が伺えたりして、非常に参考になる。

 今日のコラムは、豊田泰光さんの文章だった。

 題名は「9回2死に現れる人間性」。

 豊田さんはこう書いている。

 9回2死で回ってくる打席は一種の極限状況であり、様々な人間模様が現れる。そして、いい打者ほど見栄や外聞と無縁で、死に物狂いになれるのだという。

 敗戦は27個のアウトの積み重ねであり、27個目の最後のアウトも、それまでの26個のアウトと等分の罪しかないという思考では決して土壇場の力は生まれないそうだ。

 ・・・今年は、昨年にも増して、司法修習生の就職が困難を極めているという情報が流れている。弁護士会・弁護士全体にとって、それこそ極限状況が迫っている、土壇場の力を発揮しなければならない状況とも言えるだろう。

 この場合、最も先頭に立って行動すべき日弁連執行部、各弁護士会執行部は果たして、見栄や外聞と無縁で死に物狂いになれているのだろうか。憂慮すべき現状を引き起こしたのは、これまでの執行部の路線であり、その路線を継続して何が悪いという、26個目のアウトも27個目のアウトも同じ罪だという意識に陥っていないだろうか。

 豊田さんによれば、この土壇場での態度で、優れた執行部か否か、明らかにされるはずなのだ・・・・・・・・・。