日本司法書士政治連盟のこと

 週間法律新聞のサンプル(2009年6月5日号)が送られてきた。何の気なしに見ていると、司法書士界版というページがあった。

 その下の欄に、資料として日司政連(日本司法書士政治連盟)の今年度の運動・活動方針の一部が記載されていた。

 その中に、こういう記載がある。

 「司法書士の専門性といえば、不動産登記・商業登記ならびに家事関係の相談及び会社法務の相談などである。更にいえば、個人間の金銭トラブルや多重債務・消費者問題そして成年後見業務も司法書士の専門とするところである。」

 不動産登記・商業登記は、確かに司法書士の専門とするところだろう。

 ただ、家事関係・会社法務の相談まで司法書士の専門である、との主張は違うだろう。

 個人間の金銭トラブル・多重債務・消費者問題は簡裁代理権の範囲(簡単に言えば140万円の範囲内)であれば簡裁代理権認定を受けた一部の司法書士も扱うことができるが、それを超えればいかなる司法書士も代理人として扱うことはできない。

 司法書士法を見れば、司法書士の行える業務が第3条に列挙されている。

 第3条1項1号~3号は登記関係書類の作成権・登記手続などの代理権の規定であり、同項4号は裁判所などに提出する書類の作成権、同項第5号は、第1~4号の事務について相談に応じることが業務とされている。

 第3条1項6号は、簡裁代理権認定を受けた司法書士が簡裁代理権の範囲内(簡単に言えば140万円の範囲内)で、依頼者を代理して行動できることを規定しているだけである。

 つまり、仮に、家事事件の代表選手である離婚があったとして、簡裁代理権を持たない司法書士はもめ事がある場合にどちらか一方の代理として交渉をまとめることはできない。そもそも代理権がないからだ。司法書士に離婚調停の申立書を作ってもらうことはできるが、簡裁代理権を持つ司法書士でも大切な調停の場には同席してもらえない。法律上、代理権がないからである。もちろん離婚訴訟になっても、弁護士なら代わりに法廷に行ってくれるが司法書士ではそうはいかない。素人が自ら法廷に立たなければならないのだ。

 協議離婚の際に夫と慰謝料の額でもめ、夫と直接話したくないからということで司法書士に代わりに入ってもらい、140万円を超える慰謝料を受け取る協議離婚書を作成してもらったとしても、その協議離婚書は後で無効にされる危険がある。

 簡裁代理権がない司法書士であれば、代わりに入った時点で弁護士法違反で公序良俗違反、簡裁代理権を持つ司法書士でも140万円を超える代理権がないのでやはり弁護士法違反で、公序良俗違反となるからである。

 それにも関わらず、家事相談の専門家であるとはいかなる意味であろうか。専門家とはきちんとその事件を扱うことができ、いかなる事態が生じても最後まで責任を持って事務を処理できるから専門家なのではないか。

 日司政連の主張をものすごく善解すれば、司法書士はあくまで家事相談の専門家であり、法的な処理は専門家ではございません、ということなのかもしれないが、相談途中で裁判をせざるを得なくなった場合に「私は相談の専門家ではあるが、裁判の専門家ではないのでこれで終わります。相談料は~~万円です」と言われて納得する依頼者はいるのだろうか。

 このように、法律上相当制限されている家事事件で、司法書士が何故専門家であると豪語できるのか、私には理解できない。会社法務・多重債務者問題なども同じような問題の発生が考えられる。

 司法書士が法律家を名乗るなら、その前提として、司法書士法という法律を守るべきであろう。そして国民に誤解を与えるような行動はすべきではないはずである。

 どうしても、家事事件など全ての法律関係問題を扱いたいのであれば、、弁護士資格を取ればいいのである。司法書士が弁護士資格取得を禁止されているというのであればいざ知らず、そのような事実はないし、これまでより合格率にして10倍以上合格しやすい新司法試験があるのだから、法律の専門家として堂々とその試験に合格すればいいだけの話である。

 本当に法律専門家としての知識があれば当然合格するはずだろうし、その方がよほど国民のためになるはずである。

 政治家に法律を変えてもらうようおねだりするよりも、よほどすっきりすると思うのだが・・・・・・。

映画「ハゲタカ」

 日本そのものとすら言える、自動車産業の中心的存在アカマ自動車。「日本は宝の山だ、買いたたけ!」と狙いをつけた中国系ファンドが、赤いハゲタカと異名を取る劉一華(玉山哲二)を中心にアカマ自動車にTOB(株式公開買付)を仕掛けてくる。一見友好的な提案なのだが、アカマ自動車には中国政府系ファンドの狙いは読めない。

 一方かつて伝説のハゲタカとまで呼ばれた凄腕ファンドマネージャー鷲津(大森南朋)は、日本を見限り海外で生活をしていた。

 鷲津は、かつて敵対し、その後、協力したこともある、アカマ自動車執行役員の芝野(柴田恭兵)から、「アカマを救ってくれ」と要請を受けるが・・・・・・・・。

 「ハゲタカ」は、NHKで6回シリーズでドラマ化、放映された番組である。冷酷に患部を切り捨てていく手段を用いる鷲津と、旧態然としたしがらみに苦しみつつ日本的な経営を改善していくことで会社を蘇らせようとする芝野の対立構造が非常に見応えがあった。傑作ドラマであったといっても良いと思う。

 もちろん原作(真山仁著「ハゲタカ」)も非常に面白い。私は、関西学院大学法学部での講義の際に、敵対的買収に興味を持ってもらうために授業で、毎年、この本とドラマを紹介している。

 そのドラマの配役そのままに、映画化されたのが、映画版「ハゲタカ」である。まだ、映画をご覧になっていない方のために詳しい内容には触れないが、できればドラマをDVDで一度ご覧になってからの方が、詳しい背景、人間模様が分かるため、断然面白く見ることができると思う(最低でもNHKのHPでドラマ「ハゲタカ」のあらすじを確認された方が良いと思う)。

 また、多少なりとも敵対的買収に興味がある方にとっては、なお面白いかもしれない。私は、芝野が社内で敵対的買収対策チームに指示を出すところで、某敵対的買収対策本と全く同じ内容で、チーム編成を行い、指示を出していたことから、緊迫した場面でありながら、少し笑ってしまった。逆に言えばそれだけ迫真性に富んだ内容であったとも言えるだろう。

 いずれにしても、話の筋が分かりやすいので、経済に関する知識がなくても十分楽しめる。脇役の松田龍平・島田久作・志賀廣太郎もドラマ同様、非常に良い味を出している。

 お薦めの映画であることは間違いない。

6月6日より公開中

「自由と正義」~幻の記事

 「自由と正義」、一般には知られていないが弁護士なら誰でも知っている雑誌である。毎月日弁連が発行し、弁護士全員に配布している雑誌であり、ベテラン弁護士の雑感や新しい法律の紹介、弁護士の懲戒事例までさまざまな記事が毎月掲載されている。

 「自由」と「正義」、いずれも弁護士が守るべき対象として必須とも言えるかもしれず、この雑誌を命名した人は、「弁護士会の雑誌の名前としては、これしかない」と思って名付けたことが想像される。

 名前からすれば、自由と正義に満ちあふれた雑誌ではないかと思っても不思議ではない。

 ・・・・・ところが、である。

 先日、弁護士武本夕香子先生の同期同クラスつながりで、愛媛県弁護士会で昨年副会長を務められた弁護士山口直樹先生と武本先生を交えてお話しする機会があった。

 山口先生は、愛媛県弁護士会・四国弁連等で、法曹人口問題について活躍されていた先生であり、お会いしてみると温厚でありながら、非常に気さくで楽しい先生であった。もちろん楽しいお話の中にも、弁護士としての凄味を時折感じさせる鋭い方でもあった。

 その山口先生とお話ししている際に、こんな話題が出た。

(前略)

 <山口先生>  

 法曹人口問題について、愛媛県弁護士会から書かせてあげるということで、「自由と正義」に記事を書いたんですが、ちょっと過激な内容だったせいか、某所から『掲載すべきではない』という意見がでて、掲載できなかったことがあるんです。

 <坂野>

 えっ、そんなことあるんですか?あっていいんですか?

 弁護士が思ったことを素直に載せられないなら、「自由と正義」の名が泣きますね。「不自由と不正義」なんじゃないですか?

 <山口先生>

 (苦笑) いや~、本当のことですよ。まるで検閲だよね。 

(後略)

 ということで、某所から検閲を受け、「自由と正義」に掲載差止めになった、山口先生の幻の記事を、先生のご了承を受けて以下に公開させて頂く。

 (以下、誰かに検閲されてボツにされた幻の記事)

弁護士人口問題における愛媛での取り組み

1 この原稿については、愛媛弁護士会執行部の打合せにおいて、「弁護士人口問題についての取り組みを山口さんが書いたらどうか」と言われ、「私が書いたら、日弁連等に対する悪口ばかりになりますよ」と言ったところ、「構わん」と言ってもらったことから、私の独断と偏見かつ単なる自己満足により執筆することになった。

2 愛媛のような地方においても昨今の弁護士増加は著しく、平成20年以降、新人弁護士の受入事務所が不足することが確実であり、既に絶望的状況である。このような状況の中、当会は、平成19年11月の四国弁連大会の決議として、弁護士人口問題を取上げてもらうよう常議員会で決定された。しかしながら、四国弁連理事会において、「時期尚早」を理由に提案を取り下げるよう求められた。四国弁連理事会において当会の常議員会で決まったことの取下を求めるとは納得できず、当会常議員の持ち回り決議の結果、四国弁連大会で取上げてもらうよう四国弁連理事会に再度はかった。しかしながら、四国弁連理事会での多数決の結果、否決された。また、四国弁連の規約では、議案提出権は理事会のみにあるようで、もし、会員から提案があったとしても認めないとのことであった。四国弁連理事者の状況判断能力の乏しさと議論することさえ拒否することに失望した。なお、四国弁連理事会では、その代わりに、大会の後に日弁連執行部との意見交換の時間を取ることにしたとのことであった。私は、日弁連執行部との意見交換など望んでいないので大会に行くのをやめようと思っていたが、当会の他の副会長から、「せっかくの機会だからきちんと出席して意見を述べよう」と言われて考え直し、当該副会長と二人で事前質問書を提出した。

3 四国弁連大会では、最後の30分間に意見交換が行われた。私と当該副会長は、「日弁連執行部が言っている司法過疎の解消とは、誰が、いつ、どのような状況で判断するのか。司法過疎は司法に限ったことではなく経済的合理性の問題ではないのか」等の具体的質問を行ったが、日弁連は、「3000人は決まったことだから仕方がない」というだけの内容を延々20分も使って話をした。私は、日弁連の全く誠意のない、木で鼻をくくったような回答に感情的になってしまい、「そんな話を聞きにわざわざ徳島まで来たわけではない。詭弁はやめて欲しい」と言ってしまった。

4 その後、当会では、時機を逸した感はあるが、平成19年10月に愛媛弁護士会弁護士人口のワーキンググループを立上げ、アンケート、意見交換を行い、平成20年8月の当会総会で決議を挙げるよう活動を始めた。

5 私個人の感想であるが、極めて杜撰かつ甘い需要予測、現実を直視せず失敗しても誰も責任を取らない無責任体質、どれを取っても日弁連は典型的な役所そのものだ。そして、よくここまでめちゃくちゃにしてくれたものだとつくづく思う。若手弁護士の10年後、20年後より、自らの体面、面子がそれほど重要なことなのか。私如きが偉そうに言えたことではないが、最悪の事態を想定し、そうならないよう事前に対策を立てておくのが弁護士の仕事ではないのか。「司法過疎の解消が重要だ」と言うのであれば、なぜ、会長、副会長の任期を終わられた方が率先して自ら過疎地域に赴くなり、支店を出したりしないのか。嫌なことを下に押し付けるという考えをいいかげんやめたらどうか。最後に一言言いたい。「恥を知れ」

愛媛弁護士会副会長 山口直樹

(幻の記事ここまで)

 ちなみに、幻の記事の掲載予定先は、

「(不)自由と(不)正義」平成20年6月号だったそうである。

矛盾

 現在裁判が行われている、土浦8人殺傷事件において、報道によると被告人は、「死ぬための手段としての殺人である」と述べ、被害者への思いについて問われると、「ライオンはシマウマを食べるとき、シマウマに何か感じるでしょうか」等と答えたという。

 私は、あまり詳しい事情は知らないし、報道が全てを正しく伝えているとは限らないが、確か前回の公判では、どうも、被告人は、「自分は才能はなく、つまらない毎日を過ごしている。どこにも生きている意味はない」と将来を悲観。「自分の人生を終わらせよう」と死を決意し、「確実に死ぬために、できるだけ多くの人を殺して死刑になろう」と動機を語っている、などと報道されていたはずである。

 「自らが生きる意味」を否定しているのであれば、自殺など直接的に自らの存在を否定する行動を取って然るべきなのに、被告人の攻撃は、自分より弱い他者に向けられている。

  表面上、被告人は自らの価値を否定してはいるが、自分が死刑になりたいがために他者を攻撃するという行動は、自分の価値を完全に否定する前に、他者の価値を否定することだ。言い換えれば他者を抹殺することで自分の存在を確認しているという極めてエゴイスティックな考えだ。「自分には価値がない」という思いと「だから他人にも価値がない(自分の目的のために殺しても良い)」という考えは決してイコールでは結ばれない。

 そこには歪んだ自己防衛、他者よりも自分が優位であるはずだという思いが隠れているように思われる(自らをライオンに例えるところからもその思いは透けて見える)。

 おそらく彼自身だけの問題ではなく、様々な問題が絡み合ってこのような悲惨な結果が生じてしまったのであろうが、彼の思考は決して許されるべき考えではない。

 もし、この事件が少年事件であり、少年との面会の際に少年から「ライオンはシマウマを食べるとき、シマウマに何か感じるでしょうか」と問われたなら、私はこう問い返したかもしれない。

 「自ら生きることに絶望して死を決意したライオンが、シマウマを食べるかい。」

日本刑法学会~中森先生のこと

 日弁連総会の翌日、明治大学で開催された日本刑法学会にも参加してきました。

 以前にも書いたと思うのですが、刑法学会に参加する楽しみの一つに、大学時代の恩師にご挨拶できることがあげられます。

 私の京都大学法学部時代の恩師(と私が勝手に思っている先生)は、中森喜彦先生(京都大学名誉教授、近畿大学法科大学院教授)、吉岡一男先生(京都大学名誉教授)のお二方です。中森先生には刑法を、吉岡先生には刑事学を教わりました。

 今回の刑法学会では、中森先生とお会いすることができました(吉岡先生はご出席されていなかったようです)。

 中森先生は、初代の京都大学法科大学院院長を務められた上に、現在近畿大学法科大学院で教鞭を執っておられるばかりではなく、法科大学院協会副理事長も勤めておられるものですから、法科大学院廃止論の私とは、法曹養成の面では意見が食い違います。

ですから、会話の途中で、法科大学院が話題に出ると、「そうや、お前はロースクールの敵なんや。変なことを書いたり、言ったりするんじゃない!」と冗談めかして仰ることもあります。

 今回は、総会前に先生にお会いしたので、先生の横の席に座らせて頂くことができました。すぐ後ろには、早稲田の曽根先生もいらっしゃって、日本刑法学会の中心を担っておられるビッグネーム、お二人の近くに座れるという幸運に恵まれました。

 中森先生も曽根先生も出入り口近くに座っておられたので、若手の研究者の方が遠慮してなんだか入りにくそうにしている様子でした。今思うと、私は中森先生の虎の威を借りて、無意識のうちに少しばかりふんぞり返って座っていたかもしれません。

 もっとも中森先生は、若手の研究者の方に気を遣われたのか、「なんだか番人してるみたいやな。」と小声で私に仰っていました。

 日本の刑法学会の重鎮でいらっしゃいながら、私のように出来の悪かった20年前のゼミ生といまだに、気さくにお話しして下さる中森先生は、(時々はきついお言葉も混じりますが)とても優しい先生です。

 同期のゼミ生も、多くの者が先生のことを慕っています。本当に良き先生に恵まれたと、中森先生にお会いするたびに思う次第です。

日弁連総会に行ってきました。

 先週の金曜日に日弁連総会、土曜日・日曜日に日本刑法学会がともに東京であったので、参加してきました。

 日弁連総会では、予算・決算の承認の他、日弁連決議を行うことなどについて審議されました。

 私は、質問するつもりはあまりなかったのですが、予算の審議の際に、年輩の先生が車椅子用の装置をつける必要があることをさかんに仰っていたので、私も質問しても良いのかなと思い、その場で質問用紙に記載して、質問させて頂きました。

 簡単に言えば、①宣言に書かれた「市民の司法」の具体的中身は何であるのか、誰がどうやって決め、そして検証されているのか、②「法曹一元」の実現を期して大量増員を容認したはずなのに、宣言に法曹一元が全く記載されていないのは何故か、③法曹養成・法曹需要に大きな問題が生じているのに、どうしてもっと明確に指摘しないのか、というのが質問したかった内容でした。

 その場で、質問内容を短時間で考えたこと、やはり緊張したことから、きちんと質問できたかどうか自分でもはっきり分かりません。

 確かなことは、発言台に立たれる大物弁護士さんは、準備もキチンとされていて、堂々と発言されているということです。次回発言するのであれば、もっと事前の準備が必要だと痛感いたしました。

 私の質問に対しては、まあ、日弁連執行部の方々の老獪な返答で誤魔化されてしまったように思いますが、再質問を希望されていた方々もいましたので、敢えて再質問はしませんでした。しかし、日弁連執行部の方のご回答で納得できた点は、正直言って皆無でした。

 決議案の裁決後、ホテルに帰ろうとしていた際に、議場出口で、大阪弁護士会の畑会長にお会いしました。畑会長は「わざわざ、お疲れ様でした。」と、お声を掛けて下さいました。 

 日弁連総会に出席した感想としては、執行部の結束は相当堅いという印象です。会派の統制も相当なされているのでしょうが、執行部案は圧倒的多数で可決されていきました。

 私としては、日弁連執行部の方が、司法改革・法曹人口激増の問題点について虚心坦懐に見つめ直して下さることを期待しているのですが・・・・・・・・。