どうなる?法曹人口問題PT~

 つい先日、法曹人口問題PTの佐伯座長より、9月3日に臨時法曹人口問題PT会議を行うとの通知がなされました。

 8月6日の臨時総会で、法曹人口問題PTの最終報告書の内容に非常に近かった9号議案が葬られ、日弁連執行部におもねったとしか思えない8号議案が採択されたことで、私としては法曹人口問題PTとしても敗北したような気になっていましたが、どっこいまだまだ生きているのかもしれません。

 確かに、法曹人口問題に関する臨時総会決議が行われたのですから、これで法曹人口問題PTは、お開き、打ち上げでもするか、ということもありそうです。

 しかし、法曹人口問題検討PTの設置要綱、第2条(目的)には、「本プロジェクトチームは、(中略)、法曹人口問題について本会としてどのように取り組むべきかについて、総合的に検討することを目的とする。」と定められ、第5条(存続期間)には、「本プロジェクトチームの存続期間は、第2条の目的を達成する日までとする。」と明記されていますから、このPTが第2条の目的を達成していないのであれば、PTは依然健在であってもおかしくないはずです。

 佐伯座長は、以前大阪弁護士会の会長を務めておられた頃、増員一辺倒であった日弁連執行部内で「法曹人口問題は是々非々で判断すべき」と、堂々と述べられた硬骨漢でいらっしゃいますし、非常に魅力的な先生でもあります。

 その佐伯座長の招集です。(何もないかもしれませんが)何かあるかもしれません。

 私も、ここでゆっくり休憩している場合ではなく、もうひと頑張りする必要があるのかもしれません。とりあえず、9月3日の臨時PT会議には参加しようと思っています。

ヨーロッパの夜行列車~

 ヨーロッパの列車、特に夜行列車は、乗っている者にとって、とても静かに走ります。

 駅を出発するときも時間になれば、発車のベルなども鳴らず、音もなく勝手に動き始めるし、軌道の幅が広いせいか、日本の夜行列車ほど揺れないし、レールの音もさほど聞こえません。

 夜行列車で旅する際に、私のお薦めする季節は冬です。ただでさえ静かなヨーロッパの夜行列車が、雪に音を消されて、更に静かに進んでいきます。特に月夜であれば、月光に浮かぶ窓外の雪景色は寝てしまうのが惜しいくらいの素晴らしさを見せてくれます。

 なんとか、このような夜行列車を上手くお伝えすることができないかと思っていたら、松任谷由実さんの「時のないホテル」というアルバムの中にある、「コンパートメント」という曲が、すごい表現をしてくれていました。

 かなり古いアルバムですし、明るい曲ではありませんが、是非一度聞いてみて下さい。

企業の弁護士ニーズ~その2~

 昨日ご紹介した、大阪大学の「法曹の新しい職域」研究会作成の「企業における弁護士ニーズに関する調査中間報告書」(2007年10月)に関する続きの記事です。

 各企業の経営者に対して行ったアンケートの自由記載欄に、面白い記述が多かったので、印象に残っている部分を抜粋させていただきます(部分的抜粋もあります)。

~以下、 アンケート自由記載欄の抜粋~

・最終の合格率の低下など質の低下が心配です。

・このままいくと一発狙いの連中も増えることでしょう(アメリカ型ヤクザ弁護士のように)。やはり制度はさておき、日本の争いを好まないという美風を尊重するに、町医者、保険の先生、産業医→医局→先端研究という専門化が必要であろう。オールラウンダー弁護士の時代は少なくとも都会では終わっているでしょう。刑事をしても食べていけるようにするとか、行政で食べていけるように受け皿作りも必要でしょう。今のままでは粗製濫造が予想されるでしょうなぁ。せっかく法科大はそのリスクを減らせるのに・・・・。まずは法科大の質と数でしょう。

・弁護士が多くなると仕事を作るために、ことさら事件化して社会がぎすぎすしてくるように思える。日本人の良い習慣である話し合いがなくなり、全て訴訟によらなければ解決しない社会になるような気がします。

・人間性をしっかりと教育して欲しい。信頼できる人材、社会から尊敬される弁護士を育ててもらいたい。粗製濫造では却ってマイナスの社会になるような気がします。「弁護士栄えて社会は滅ぶ」にならないよう、強く望む。

・法律についてしっかりと教育することについてはまったく異論はないが、そもそも弁護士を大量生産することはなんら国益とならず、むしろ不要な訴訟を増加させ、国力を低下させることにつながると危惧する。実質価値を生み出すことのない職種従事者を増加させることに全く国家ビジョン・戦略を感じない。弁護士サービスが使いやすくなるとか社内活用できるというような安易な問題ではないと思う。

~抜粋ここまで~

 自由記載欄について、大阪大学大学院法学研究科の渡邊特任研究員は、次のように分析しておられます。

「自由回答欄の内容を見ると、弁護士の増加が過度の訴訟増加を招いてしまうことへの危惧や、弁護士の増加が質の低下につながらないかという危惧など、将来への不安が示されていました。また、事業分野に関する専門知識をもった弁護士へのニーズや、分かりやすい料金体系へのニーズも示されています。」

 このアンケート自由記載欄を見ると、「企業の経営者は、弁護士増員さえすればいいと脳天気に考えている訳ではない。」、ということがよく分かります。

 ・・・・・ということは、「弁護士増員は国民や企業の要請である。」と根拠もなく言い続けている法科大学院やマスコミの主張が本当に正しいのか疑問に思えてきますね。

企業における弁護士ニーズ~

 大阪大学の「法曹の新しい職域」研究会から、アンケートの依頼があり、その中に、参考資料として、「企業における弁護士ニーズに関する調査中間報告書」が同封されていました。

 上記研究会は、企業の弁護士ニーズを探るために、アンケートを実施しその内容を分析しています。

 「企業における潜在的ニーズはかなり広範囲に広がっているはずであり、企業がそのような潜在的ニーズに気付いていけば、今後、企業で弁護士活用が拡大することはかなり期待できます。」と、福井准教授はアンケート結果を分析しておられます。

 しかし、企業の潜在的ニーズは、かなり前から言われ続けていますが、一向に開拓される気配がありません。

 また、企業が、弁護士と顧問契約をしない理由は、圧倒的な第1位が「弁護士を必要とする仕事がない」という理由です(46.2%)。福井准教授は、「昨今の状況に鑑みれば、字義通りに『弁護士を必要とする仕事がない』と解することはできず、むしろ企業が『弁護士を利用するニーズはあるがこれに気付いていない』、もしくは『弁護士を利用するニーズはあるがそのメリットに気付いていない』と解釈すべきでしょう。」と解されます。

 しかし、福井准教授の解釈は、あくまで企業が弁護士の有用性についてなんら気付いていないという結論ですから、弁護士の有用性を企業が知らない状況下においてのみ正しいと考えられます。つまり、弁護士の有用性を企業に対して誰も説明してくれない状況が、福井准教授の念頭にあると思われます。

 ところが、日弁連も相当前から、企業に対して、弁護士の有用性を知らしめ、ニーズを拡大しようと活動しているやに聞いておりますが、企業の方々が続々と弁護士ニーズに気付き大量に弁護士の採用を開始したという話は聞いたことがありません。更にいえば、企業のトップの方々が弁護士ニーズがあるのに、そのニーズに気づけないほど洞察力がないとも思われません。

 そうだとすれば、企業における弁護士のニーズを「潜在的にはあるはずだ」という、福井准教授のご主張の根拠は薄弱というしかないと思われます。

 この中間報告書の更に面白い部分が、アンケートの自由記載欄をピックアップした中にあったのですが、それはまた、日を改めて書きたいと思います。

エゾナキウサギ~

 私がまだ、若かった頃、何度か北海道にバイクツーリングに出かけたことがあります。

 そのときに、然別湖に立ち寄った際、珍しいナキウサギがいるということで、遊覧船で対岸にわたり、2時間ほどナキウサギを観察したことがあります。なんでも、ナキウサギは氷河時代からの生き残りといわれており、貴重な生き物だということでした。

 ナキウサギは、ウサギという名前が付いてはいるものの、実際には耳は大きいわけではなく、ネズミのような感じの動物です。キチ・キチという感じの鳴き声を出します。非常に警戒心が強いということもあり、人間が歩き回っていると出てきません。息を潜めてじっとしていると、ガレ場から出てくることがあります。大抵こちらが予期しない場所に出るようで、数人で観察していたのですが、何度か姿を現した中で、私は、3回ほどちらっと見ることができただけでした。しかし、思いがけず私のすぐ近くに出てきたこともあって、その可愛らしい姿は、しっかり見ることができました。

 ナキウサギは学術的にも貴重な生き物だということですが、例に漏れず人間による環境破壊により絶滅のおそれもあるようです。天然記念物に指定するよう求める運動もなされているようです。

 可愛らしい動物なので、テレビなどの特集があれば、一度ご覧になってみて下さい。

司法特別演習B~

 関西学院大学法学部での春学期の講義、司法特別演習Aでは、私と当事務所の加藤・吉村・久保弁護士で会社の基本構造やM&Aなどに関して、講義を行いました。

 秋学期は 、昨年と同様、私が一人で司法特別演習Bを担当します(隔週月曜3・4限)。加藤・吉村・久保弁護士は共同でビジネス法務特別演習A(毎週木曜2限)、冨宅弁護士が知財法講義(毎週火曜2限)を担当する予定です。

 私の演習は、隔週月曜日の3・4限連続という、変則的なもので取りにくいものではありますが、ペットに関係する法律問題について、昨年同様、事前に問題を出して回答してもらう形式で行いたいと思っています。ペットに関する法律に興味のある方の参加がたくさんあればと期待しています。その反面、演習という性格上、あまり多すぎる参加者でもちと困るかなと、要らぬ心配もしてしまいます。

 学生の皆さんに教えることは、私達にとっても良い勉強になります。思っても見ない質問とか、法律家が見落としがちな素朴な疑問がでると、こちらが、なるほどと頷かされる場合もあったりします。

 私達は法律実務家ですから、学者の先生方の視点とは少し違う問題の切り口をする場合もあり、同じ科目でも別の面白さが見つかる可能性もあります。余談で、実務上の面白い体験談など聞けるかもしれませんので、(関学の学生さん以外には関係ないのですが)ご期待下さいね。

ヒグラシの鳴き声~

 先日、ヒグラシの鳴き声を聞きました。

 皆さん、ご存じの通り、ヒグラシは別名カナカナ蝉とも言われ、涼し気な中にも何となく寂しそうな感じを含んだ鳴き声で鳴きます。

 この鳴き声について、カナカナと表現されることが多いようです。しかし、実際聞いてみると、確かに鳴き声の感じは「カナカナ」という言葉の語感に似てはいますが、決して「カナカナ」という語、そのものの音ではありません。もう少し金属的な音がするように思います。

 かといって、ではどう表現するのかと問われると困るのですが、近くで聞くと「キ・キ・キ・・・・・」と聞こえるように思います。少し離れると、(「カナカナ・・・・」+「サリサリ・・・・」÷2)のように聞こえる気がします。

 私は、ヒグラシの鳴き声が大好きなので、ヒグラシの鳴き声を聞くと、なんとかぴったりした鳴き声の表現ができないかと考えるのですが、どうもまだ見つけることができないようです。誰か見つけたら教えて下さい。

心の琴線~

 ひどく感動する音楽を初めて聴いたとき、素直に、いい曲だったな、感動したな、という想いが湧いてくる直前の段階で、どこかで一度聞いたような気がすることはありませんか?

 大抵は、いい曲だったな、感動したな、という気持ちに呑み込まれてしまい、どこかで一度聞いたような気がすることを忘れてしまうのですが、少なくとも私は、初めて聴いた曲であっても、そのような気がすることが多いようなのです。

 何故そのような気がするのか、私にも説明が難しく不思議なところですが、もしこの感覚が私だけのものでないとして、敢えて仮説を立てるのであれば、次のように考えることもできるかもしれません。

 人は誰しも、感動の根幹となるものを持って生まれてくるのであって、その感動の根幹を揺り動かすことができる曲が、その人にとって感動に値する音楽なのかもしれません。作曲という作業は、その感動の根幹(感動を生み出す部分)に触れる音・フレーズを探り当てて、その音を紡いで曲にする作業にように思えます。

 もともと、生まれながらに持っている部分に触れられるので、どこかで(あるいは生まれる前に?)聞いたことがあるような気がする感覚が、一瞬ですが感じられるのではないでしょうか。
 

もちろん、個々の人が持って生まれてくる感動の根幹はそれぞれ違うものであって、ある人には感動的な曲でも、別の人にとっては騒音に近い場合もあるかもしれません。しかし、多くの人を感動させる曲は、より多くの人の感動の根幹に作用する部分を探り当てた曲だったということになるように思えます。

 そう考えてみると、誰が言いだしたのか知りませんが、「心の琴線に触れる」という言葉は、すごい言葉だと思います。誰もが、自分の心に響いたときにだけ、良い音色を奏でる琴を心に持っていて、感動とはその見えない琴の弦をふるわせ、その人だけに分かる美しい音色が心の中に鳴り響いている状態であることを示しているように思うからです。

 出来る限り、精神的にも、身体的にも、心の琴線によって美しい音色が鳴らせる状態でいたいものですね。

弁護士のニーズ~

 弁護士増員を目指す方々が、良く仰るのは、弁護士の数は国民のニーズを満たしていない(だから不足だ)ということです。その主張をされる方が、果たして、国民のニーズをどうやって把握されたのか根拠を示して下さることはまずなく、多分そんな気がするという程度の発言なのでしょうが、この発言は弁護士のニーズに関して非常にミスリーディングな話なので、少し説明したいと思います。

 弁護士も職業であることは、どなたも否定されないと思います。ですから、弁護士はこの仕事を通じて生活費を稼ぐ必要がありますし、生活費を稼いでも文句を言われる筋合いがないことも当然です。ですから、弁護士費用をかけてでも解決したいと依頼者が考えておられる事件が、弁護士のニーズなのです。弁護士に無料で相談したいと考えている方は、弁護士にとって見ればニーズではないのです。

 そんなの弁護士の身勝手だ、といわれるかもしれませんので、少し説明してみます。

 暑い夏ですから、バス停でバスを待つ人は一刻も早く目的地に着きたいと考えているでしょう。私にも経験がありますが、バスがなかなか来ないときはなおさらですね。
 確かに、タクシーを使えばすぐに冷房の効いた自動車に乗れますし、バス停ごとに停車することもないので早いし、自宅のすぐ前まで送ってもらえて便利です。しかし、バス停でバスを待つ人は全てタクシーに乗るでしょうか。タクシーの料金は、バス料金より高いので乗らない人の方が多いでしょう。より高度なサービスを受けようとすれば当然サービスに見合った費用がかかるのは当たり前ですし、タクシーも仕事ですから、最低でも生活を維持できる料金を設定しているはずです。

 このことは全然おかしくありませんね。

 逆に言えば、タクシーにとって、ニーズがあるかどうかは、バスより高いタクシー料金を出してでもタクシーを利用しようとする人が、どれだけいるかということになります。そのような人が多ければタクシーのニーズがあることになるし、そのような人がわずかであれば、タクシーのニーズは社会的にはほとんどないことになります。
 この事実を指摘することを、タクシーの身勝手と言うべきでしょうか?

 みんなが早く目的地に行きたいと考えているのだから、バス停で待っている人みんなをバスと同じ料金でタクシーに乗せてやれと、言うべきでしょうか?

 さらに、無料でタクシーに乗りたいと思う人は物凄く多くいると思いますが、自分の生活を無視して、その人達を乗せてあげる義務がタクシーにあるでしょうか?

 タクシー運転手の生活を国家が保証して、そのような仕事をさせているのであればともかく、タクシードライバーも生活費を稼ぐ手段の一つである職業なのですから、そんな馬鹿な話はないでしょう。

 ここで話を弁護士のニーズに戻します。

 弁護士も仕事です。一生懸命身につけた知識や経験を使って生計を立てる必要があります。確かに弁護士に無料・若しくは極めて安い値段で相談したいと思っている人は、多くいるかもしれません。しかしその方達は、先ほどの例で言うと、無料でタクシーに乗りたいという人、バス料金でタクシーに乗りたいという人が沢山いる状態と同じなのです。

 ですから、無料であれば、極めて安い値段であれば、弁護士に相談したいという人が多くいてもそれは、弁護士のニーズが社会的にあるというわけではありません。

 法科大学院を擁護する人たち、弁護士人口を増加させようとする人たちは、弁護士に相談したくてもできない人がいるはずだと主張して、弁護士のニーズがあるといっていますが、それは、タクシーにただで乗りたい(バス料金と同じ値段で乗りたい)という人がいるはずだ、ということの指摘に過ぎず、弁護士のニーズがあるということではないのです。

 冷静に考えれば、弁護士のニーズは大してあるものではないし、だから新人弁護士の就職難が深刻なのだと思いますが・・・・。

付記(8月14日)

 誤解なきよう付記しておきますが、私は弁護士のニーズの話を記載しただけであり、弁護士に相談したい人を放置せよ、切り捨てて良い、と言っているわけではありません。

 そのような方も、弁護士に相談できるようにすべきというのであれば、国が納税者の方を説得し、予算をつけて援助すべきなのです。

 先ほどのタクシーの例で考えれば、すぐに分かりますが、タクシーに無料(又はバス料金と同じ)で乗せてやれというだけでは、タクシードライバーは生活できません。ただ、国が、国民の利益のために、タクシー無料化(又はバス料金化)考えるのであれば、納税者を説得し、(国民のお金で)タクシードライバーが生活できるだけの保証をした上で、行うべきということなのです。

 ちなみに、民事法律扶助予算について、国民一人あたりの支出額は、イギリス3257円、ドイツ746円、フランス516円、アメリカ309円と比較して、日本はわずか40円です(日弁連新聞による)。

 弁護士人口増加を目指す人達やマスコミが、弁護士のニーズを語る際に、いつも、何故か上記の視点が欠落したまま語られているように思えてなりません。

週末の帰省~

 お盆も事務所を開ける予定であるため、週末だけの短期間帰省をしてきました(私はお盆の後に少しお休みを頂く予定にしています)。

 金曜日の夜に出発して、土曜日の未明に実家に到着。自動車の運転で疲れていたので、すぐに2階の座敷に用意してもらっていた布団に入りました。

 私の田舎は海に近いせいか、京都・大阪に比べて気温が幾分低めであり、風さえあれば窓を開けてクーラーの世話にならずに眠ることも可能です。
 できればクーラーを使いたくなかったので、窓を開けて網戸にし、眠ろうと努めました。しかし夜のドライブは神経を高ぶらせてしまうためか、すぐには寝付けません。
 しばらく、月明かりにうかぶ窓の外をぼんやりと眺めることになりました。

 私の実家は、小さな川の側にありますので、水の流れる音が聞こえてきます。向こうの畑から地虫や少し気の早いコオロギの鳴き声も聞こえるようです。国道も近くにありますが、夜中は殆ど自動車は通りませんので、都会のように夜でもゴォーっと、どこか遠くから響いてくる自動車の騒音は全くありません。ただ、時々、はるか上空を、通過していく夜間飛行のジェット機の音が、風にくるまれて届けられたかのように、いかにも遠くから、何故か強弱をつけて、響いてくるのが分かるくらいです。

 いつも京都で見かけるジェット機は、上空を音もなく飛行機雲を曳いて飛んでいるように思え、それが当たり前に思うようになっていました。今回の帰省では、「静かであれば、夜間飛行の音も聞こえる」ということを忘れてしまっていた自分に、気づくことができました。