「完全教祖マニュアル」

 表題の面白さから買ってみた本だったが、これは面白い。

 教祖とは人をハッピーにする素敵なお仕事だ!

 と定義づけ、教祖として、教団として、宗教として何が必要なのか、どうすればその必要なものが手に入るのかについて、既存の宗教の分析を基に軽いノリで語っていく。

 宗教教義を解釈する本や宗教を批判する本は、巷にもあるように思うが、宗教を作る側からの視点は非常に斬新だ。

 軽いおふざけ口調で、最後までおもしろおかしく話は進んでいくが、あとがきにもあるように、今まで宗教に関して不合理・理不尽と感じられていたことが、意外にも宗教にとっては(場合によっては人間にとっては)何らかの意味があり、実は機能的であったりすることに気付かされる。

 人は死んだら仏様になるといっているのに、なんで死んで仏様になった人にお経を唱えるのか?

 悪人正機説って矛盾してるんじゃないのか?

 なんで南無阿弥陀仏と唱えだけで、すくわれることになるのか?

 神社の神様はお賽銭をあげないと救ってくれないのか?

 神様って立派な存在なのにどうして、良い行いをしていないと救ってくれないの?そんなに心がせまいの?

などなど私が子供の頃に、宗教に対して漠然と抱いていた疑問にも答えてくれた部分もあり、とても興味深く読ませてもらった。。

 教祖は人をハッピーにする仕事。宗教は世界をどう解釈したらハッピーに生きていけるのかという選択肢を与えるもの。

 著者(架神恭介氏・辰巳一世氏)はそう語る。

 宗教って、そして人間って、こんなモンなんだろうな~、それでも捨てたモンじゃないな~と、少しだけ私をハッピーにしてくれたこの本は、やはりあとがきで著者が記しているように、一つの宗教と言っていいのかもしれないね。

 是非一読されることをお勧めする。

ちくま新書 本体価格800円

3月開催予定の日弁連臨時総会に寄せて

 日弁連臨時総会が3月初旬に開催されることを常議員会で聞いた。

 そこで決議される議題の一つは、いわゆる谷間世代への20万円支給案だ。

 出席できない方々も、執行部の提案だから、問題ないだろうとか、悪いようにはしないはずだ等と安易に考えずに、良く考えて議案に対する委任状を提出して欲しい。

 20億円もの大金が日弁連の財布から失われる提案なのだ。

 (可決されたと仮定して)仮に首都直下型地震や、南海トラフ大地震が生じて、日弁連が日弁連としての機能を維持するためにお金が必要になったとしても、既に谷間世代に支給した20億円は返ってこない。
 そうなった際に、日弁連を維持するために必要な臨時会費を徴収されるのは、一律20万円を支給された谷間世代だけではない。全日弁連会員(つまり弁護士である、あなた)なのだ。

 私はこれまで、筋違いの谷間世代救済策について反対してきたし、今もその気持ちは変わらない。反対理由を再度述べておく。

1 給費制復活を目指し、また、谷間世代の不公正是正を国に求めている弁護士たちの活動に水を差す。つまり谷間世代の不公正是正を国に求めても、もう、日弁連や各弁護士会が対応しているではないか、そもそも弁護士会費が高額なのが問題なのだと、反論する論拠を国に与えることになり、今回の支給が国に対する不公正是正を求める活動に明らかにマイナスになる。

2 谷間世代が、給費世代に比べて結果的に不公平な取扱になったのは国の制度設計の問題であり、国に責任を問うのであれば筋が通るが、日弁連が責任を負ういわれは全くない。他国でひどい扱いを受けた後に日本に帰化した人がいたとして、他国でのひどい扱いに対して、帰化した先の日本がその人に賠償や金銭を支給する責任があるだろうか。

3 弁護士になった谷間世代が困窮しているから援助する、というのであれば、その事実を証拠によって明確に示すべきだし、困窮しているかどうかにかかわらず申請者に一律に支給するという今回の支給制度と矛盾する。もちろん、ないよりはマシだが、20万円程度の支給で困窮状況が改善するはずがないだろう。また困窮が理由なのであれば、谷間世代でなくても困窮している会員に等しく支給を考えてもおかしくはないだろうが、そのような話は全くない。

4 給費を受けた世代に比較して谷間世代は不公平であるという理屈なのであれば、そもそも不公平を生み出したところが解決すべき問題であるから、日弁連の関知するところではないはずだ。同じく谷間世代で貸与制度を利用し給費世代と比較すれば同様に不公平と言える裁判官、検察官についても、救済が問題とならざるを得ないだろう(そのような話は一切出ていない)。

5 そもそも支給金の原資となる20億円は、天から降ってきたお金ではない。もちろん今の日弁連執行部が寄付したものでもない。これまでの日弁連会員が高額な日弁連会費を、文句もいわずに(文句をいいながらも?)支払ってきたからこそ作り上げられたお金である。その20億を会員に支給するというのであれば、日弁連会費を支払ってきた期間に応じて返金するのが最も実質的公平に資するというべきだろう。日弁連の会員へのサービスは平等になされているはずである。そうだとすれば長年日弁連会費を支払ってきていながら何ら支給を受けられない会員と、20万円の支給を受ける谷間世代の会員との差は、不公平・不平等ではないのか。「谷間世代の負担感を弁護士全員で受け止めて弁護士の一体感を醸成する」なんてお題目、むしろ逆だろう。真剣にそんなお題目を信じているとすれば、とことん楽天的なドアホの戯言、脳内にタンポポが咲き乱れるお花畑しか存在していない者の発言としか思えない。

6 さらに、給費制時代の世代と谷間世代の不公平を認め、是正する必要があると日弁連がいうのであれば、現行の給付金+貸与制世代だって給費制時代の世代よりも不利に扱われているから不公平と言える。現行給付金世代が、将来において今回の支給実例を根拠に、日弁連に対して金銭の支給を求めてきた場合に、日弁連は抗弁できるのか。100困っていた世代には、その経済状態にかかわらず一律20万円を支給したが、40困っている世代には全く支給しないという扱いの方が不平等にならないか。現状、谷間世代だけを念頭に置いていることから、おそらく給付金+貸与制世代を救済する気は、日弁連執行部には毛頭なさそうだが、現行の給付金もいつ減額・打ち切りになるやもしれず、そうなった場合にも今回の前例が作られてしまえば、その世代から救済を要求された場合に執行部が断る理屈は、日弁連の経済的危機以外には困難だろう。

7 また、何度もブログで言っているが、日弁連会費からお金をばらまかなくても谷間世代への支給は可能だ。救済したい人が基金を作ってそこから支給すれば足りるのだ。しかも支給の際に本当に困っているかをきちんと確認し、儲かっている人を外せば、より支給も多くなり救済につながるだろう。しつこく谷間世代救済案を出し続け、さらに今回の支給案を提案するに至った日弁連執行部に所属する先生方は、もちろん喜んで先を争って大金を基金に投じてくれるだろうし、各単位会で今回の日弁連案に賛成した弁護士さんも、もちろん寄付してくれるだろう。それが一貫した態度ってモンだ。大阪弁護士会の常議員会だけでも反対4、保留4、賛成33だったので、基金さえできれば寄付してくれる会員はたくさんいるはずだ。

8 以上簡単に言えば、給費制復活活動にマイナスを与えるばかりか、筋違いも甚だしいし、根拠もないうえ、理屈にも合わない。それだけでなく、真面目に日弁連会費を支払ってきた世代に対して不公平に働くばかりだけではなく、将来に禍根を残す恐れもあるのだ。しかも、代替手段も可能なのだから、敢えて20万円支給案を押し通す必要は全くない。

 私は、前にも述べたが、谷間世代が憎くてこのようなことを言っているのではない。むしろ気の毒に思っている。また、このような支給金など完全に筋違いだと理解されている谷間世代の方々も多くいらっしゃることも良く分かっている。
 私が言いたいのは、執行部の言いなりになって執行部提案に賛成し、目先の救済なり支援の方法を許してしまえば、おそらく将来的に日弁連に大きな禍根を残す可能性が高いだろうということだ。
 執行部が提案し、日弁連総会で可決してしまったのであれば、日弁連全体として執行部の提案を認めたことになり、その後の責任や問題点が生じるとしても、それは後の世代にツケとして残される。
 問題が発覚したときには、おそらく今の執行部の人たちはもういない。その人達が責任を取ってくれるわけではないのである。南海トラフ大地震や首都直下型地震が発生して日弁連のお金が足りなくなり、「あのときの20億円があれば・・・」と歯がみして悔しがってももう遅いのである。

 だから良く考えて、執行部案に賛成するかどうかを決めて欲しいと思っているのだ。

今年の諏訪先生の年賀状

 今年も画家の諏訪敦先生から、年賀状を頂くことができた。

 またか、毎年言ってるじゃん、と仰る方もおられるかもしれないが、こればっかりは、嬉しいのだから仕方がない。

 先生の作品がハガキの左側に寄せて配置され、右側の余白上部に謹賀新年と赤文字の記載が入っているものだ。普通このような配置にすればどこか不自然になるような気もするが、むしろこの構図がドンピシャとハガキにおさまり、それどころか美しく感じるのは、やはり先生のセンスによるのだろう。

 年賀状に載せられた先生の作品については、諏訪先生のツイッター

 1月3日の投稿をご参照頂ければ、写真が掲載されているので見ることができる。

 年賀状には、先生の直筆で、一言添え、お名前を書いて下さっている。おそらく宛名も直筆なのではないかと思われる。

 この文字を書いた手や指で、多くの人の心を揺り動かす芸術作品が産み出されているのかと考えると、直筆で頂けたことが嬉しい反面、なんだかもったいないような申し訳ないような、不思議な気持ちになったりもする。

 年賀状とはいえ、私にとっては、立派に先生から頂いた作品なので、個人情報はマスキングして、事務所に飾ろうと思っている。

 早速アマゾンで額縁を探したところだ。

 とてもお忙しいであろうに、私のような末端のファンにまできちんと年賀状を下さる諏訪先生に、改めて敬服するとともに感謝の念を禁じ得ない。

 諏訪先生、有り難うございました。

 今年も、素晴らしい作品を拝見させて頂けることを楽しみにしております。

今年もよろしくお願い致します。

 皆様

 明けましておめでとうございます。

 当事務所は、本日より通常通り営業を開始しております。

 今年も皆様のお力になれるよう、当事務所一同、全力を尽くす所存ですので、どうかよろしくお願い致します。

 当事務所は、敷居の低い、どんなことでも気軽に相談できる法律事務所を目指しております。昨年も多くの方から、「弁護士って怖いと思っていたけれども、話しやすくて良かった。こんなことなら、もっと早くに相談すれば良かった。」等の嬉しいお言葉を頂戴致しました。

 こんなことを相談しても構わないのかな?と思われる相談でも、相談されることによりお悩みの実体がハッキリし、今後の方針が明確になることもございます。

 また、紛争は火事にも似ています。出火直後ならすぐに消せますが、火が大きくなると消火どころか近所に迷惑をかける恐れも出てきます。このように、紛争も小さいときに適切に対応すれば、問題が大きくなる前に解決できる場合もあるのです。

 これはちょっと、問題になるかもしれないなと思われた場合は、まずは、一度ご相談頂くことを、お勧め致しております。

 末筆になりましたが、新しい年が、皆様にとって本当に良き年になることを、なによりも祈念させて頂き、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。

ウィン綜合法律事務所代表弁護士 坂野真一