温暖化の兆し

 早いもので、11月も今日で終わりである。

 私が大学時代のときは、京大の11月祭が行われる、勤労感謝の日前後には、農学部・理学部のある北部キャンパスの銀杏は、ほぼ散っていたように思う。夜にバイクに乗ろうものなら、相当の寒さを覚悟しなければならなかった。

 特に私が入学した年の11月末か12月初頭に、大雪が降ったことは鮮明に覚えている。あまりの降雪に当時京大教養部のE号館で授業を受けていた私は、降りしきる雪が気になって授業に集中できないほどだった。外に出てみると、道だけではなく自転車にもバイクにも一面に雪が降り積もり、一体誰の自転車かバイクか分からない状況になっていた。

 京都の底冷え恐るべし、と思い、親に援助を求めて慌てて電気ごたつを生協に買いに行ったような記憶がある。学生にとっての京都の冬は、「こたつ」と「どてら」が必需品だった。こたつに入り、どてらを着込んで丸くなるのが、冬の定番だった。それでも、勉強していると手が悴んだものだった。

 ところが、今、御堂筋の銀杏並木を見ても、確かに散り始めている銀杏はあるが、まだ緑色を残した銀杏も散見される。

 11月は霜月と呼ばれてきたが、現実には霜が降りない霜月になりかかっている。

 そういえば、子供の頃あれだけあった霜柱も、社会人になってから見ていないような気がする。霜柱の立った地面を力一杯踏みつけ、自分の足形を作る遊びや、どれだけ厚い霜柱を見つけられるか競争する遊びなど、私の田舎でも、もうないのかもしれない。

 季節は緩やかだが確実に、暖かい方にシフトしているようだ。

大手の法律事務所陣容拡大?

 昨日の、日経新聞夕刊に、「法律事務所陣容広げる」との表題で、いわゆる5大法律事務所が2005年以降、弁護士数が1.6倍になった、高品質な法務サービスの需要は今後も拡大しそうで、事務所の間で人材の争奪戦が激しくなりそうだ、と記事は書いている。

 私は5大事務所の中身は知らないので、弁護士数については記事の内容が正しいと考えるしかないのだが、大手事務所だけが弁護士を増やしているわけではない。

 実は、弁護士人口は、2005年以降全体で7000名、全体としてみても1.34倍に増加している。今年弁護士になる人数がおそらく2000名以上あるだろうから、その数を含めると、1.44倍の増加になる。大手事務所に就職する人数も増えているのだろうが、就職できない司法修習生も増加中であることは間違いないだろう。

 あと、日経新聞の記事の書きっぷりで、誤解を与えるように思われるのは、「大手事務所=高品質なリーガルサービス」と、単純に結びつけていることだ。

 弁護士の仕事は職人技的な部分もあり、大手事務所向きの仕事も当然あるが、必ずしも大手事務所の仕事が全てにおいて最高品質とは限らない。例えば、茶碗を焼くような独特の職人技が必要とされる部分も弁護士の仕事にはあり、大手事務所以外の法律事務所が分野によっては群を抜く処理を行える場合もあるのだ。

 また日経新聞は、その性格上、企業を重視した記事を書かざるを得ないので仕方がないのかもしれないが、それだけ陣容を強化した大事務所が、プロボノ活動(公共に役立つ法律家活動)でどれだけ活躍したかに関しての記事は、残念ながら書かれていない。

 私は、某上場企業の方とお話しさせて頂いた際に、こういう話を聞かされたことがある。

 「確かに、東京の大事務所よりも大阪の事務所の方が、いいな、と思う場合もあります。しかし、万一のことがあった場合、どうして東京の大事務所に頼んでおかなかったのだと責任を問われる危険があるので、その危険を避けるためには、やむを得ず東京の事務所に頼まざるを得ないのです。」

 さらに、こういう苦情を、某元上場企業で法務担当の友人から聞かされたこともある。

 「最近、東京の大事務所に相談に行ったところ、顧問弁護士と、なんにも分かっていない新人弁護士二人と一緒に対応された。別に、経験を積ませるとか理由はあるだろうから、それはそれで良いんだが、何も分かっていなくて話を聞いているだけの新人弁護士二人のタイムチャージ(要するに3人分のタイムチャージ)まで請求されたんだ。おかしいんじゃないですかと指摘したら、新人弁護士のタイムチャージだけは半額になった。それでも法律相談に全く役立たなかった新人にもお金を払うよういわれるのは、納得できないんだよね。」

 もちろん、大事務所はそれだけの人員を擁し、コストをかけて運営されているのだから、大事務所を利用する場合のリーガルコストは高くなる可能性が高い。そのようなリーガルコストは、一旦はクライアントである企業が負担するが、企業が自腹を切ってくれるわけではない。最終的にはその企業の製品などに転嫁されて国民の負担になっていく。

 弁護士が増えればリーガルコスト(弁護士の費用)が下がるという幻想は間違っている。以前も書いたが、マイクロソフトの年間経費のうち半額以上がリーガルコストであった年度もある、という話を聞いたことがある。私から見れば、異常な社会である。

 弁護士の激増は、目に見えるかどうかは別にして、リーガルコストの高騰を結果的に招くだろう。大手の法律事務所の陣容が拡大したからといって単純に喜んで良いのか、私には分からない。

待ってくれる料理?

 私は、いわゆるグルメではない。仕事が忙しくてお昼を食べられない場合などは、カップラーメンや吉野屋の牛丼でごまかしたりすることもある。

 つまり、おいしいかどうかはわかるが、特にこだわりがあるわけではない。

しかし、そんな私でも、ここの料理は、よそのどこでも味わえない、そういう気がするのだ。

 食べた瞬間、「どうだ、おいしいだろう」と自己主張してくる料理もあるが、そのような短気で自己主張の強い料理ではない。

 主導権をお客に渡しながら決して、道に迷わせない、そのようにも感じる。

 美しいという感情は、人の心の奥底から湧いてくる特殊な感情の一つだけれど、本当に美しいと心から感じるときは、その表現者や表現方法はすでに感じていないことが多いように思う。荒川静香がトリノ五輪で金メダルをとった演技も、荒川静香が演じてはいたけれど、見ている私には、もはや、誰が演じているか、何を演じているかを超越して、そこに一つの完全な美がある、美そのものがそこにある、という心持ちに誘ってくれたように思う。

 また、すばらしいコンサートを聴いた際も、最後の音が鳴り終わり、その音が静かに消えていった後、人の心の奥底で共鳴している部分が意識の上まで湧き上がってきて、初めて音楽の美しさを本当に感じるようにも思う。

芸術というものは、単に美をそこに提示するだけの存在ではなく、人の心の中に美を感じる部分があって、その部分を共鳴させ、美を人の心の底から湧き出るようにわからせるものなのかもしれない。

 それに似た思いを食の世界で感じさせてくれるのが、このお店だと思う。

 饒舌に美味しさを、語るのではなく、また、自分のおいしいと思う料理を、さあ共感してくれと押しつけるのでもない。お客が、料理を味わい、感じる、お客が美を感じる瞬間まで待ってくれる、そういう料理を出してもらえる希有な店だ。

 しかも、ディナーコースがストーリーになっている。招待状が来て、お迎えの者が来て、道中があって、最高の景色を見せてくれる、その全ての段階で押しつけがましさがない。最高の景色を見せるはずのメインディッシュですら、最高の景色が見える場所に連れて行って、その中でもっとも気に入った場所をお客が自分で選んでよいとする懐の深さが感じられる。

通常、最も素晴らしい景色をガイドする者であれば、この地点からの眺めが最高だ、ここから見た方がいいのではないか、と最後まで自分の見方や経験を伝えたがったりすることが多いように思うけれど、そういう状況にあっても、お客の主導権を奪わない、そういう余裕が感じられる。こちらの心の奥底にある、美を感じる気持ちが、自然と湧き出すまで決して急がない。

そもそも、美を感じる心は、臆病で、少しでも違和感があれば、すぐ心の奥まで引っ込んでしまう。しかし、招待状から始まるここの料理は、こちらの心を巧みに奥底から引き出し、それと同時に、料理の方からも微妙に距離を詰めてきてくれる。両者がやりとりをしながら、お互いが歩み寄る。うまくいえないがそんな感じを受ける。

美味と簡単に言うけれど、味覚に美しさを見いだした古人は偉大だった。単においしいと感じさせるだけではなく、人の内面に共鳴させて感じさせる美を味覚に感じ取っていたからだ。味に美しさを見つけた、その古人と同じ思いをひょっとしたら感じさせてくれるのが、このお店かもしれない。

 もちろん、料理は、見た目も非常に美しい。スタッフの方々も、料理の特性を理解されているためか、控えめながら十分な対応をされる。

 その全てが整っていないと、せっかくの料理も単に「おいしい料理」で終わってしまうだろう。

 小幡洋二シェフのこのお店は、宿泊しなくてもランチやディナーをいただくことは可能だ。けれども、お勧めは、やはり、宿泊して小幡シェフの導いてくれる、食の美の世界を堪能することではないだろうか。何度宿泊しても、小幡シェフが新たな美しい世界に連れて行ってくれることは請け合いだ。

 小幡シェフは以前宿泊した人に出した料理、部屋のアンケート用紙の感想欄に書かれた文章を全て分析した上、再度訪れた人のメニューを考えるのだという。だから旬の料理は外せないとしても、同じ日に宿泊したお客でも、そのお客によってメニューが異なることがあるのだそうだ。

 問題は、少し遠いことだが、遠くても行った甲斐はあった、と納得できるオーベルジュであることは間違いないと私は思っている。

 そのお店、ア・マ・ファソンは、九州阿蘇の近く、久住高原(瀬の本高原)にある。

 http://www.amafacon.com/index.html

来年の日弁連会長選挙に向けて

 10月28日のブログにも書いたが、来年の日弁連選挙に向けて、既に事実上の選挙活動は開始されている。

 正式な立候補がまだなされてはいないが、現時点で考えられる候補者とその支持団体は次の通りだと思われる。

 問題  以下の日弁連会長候補予定者と関係団体を組み合わせなさい。

 候補予定者名(予想・50音順)    宇都宮健児弁護士  高山俊吉弁護士  山本剛嗣弁護士

 団体名

 a  憲法と人権の日弁連をめざす会

 b  新時代の司法と日弁連を担う会

 c  市民のための司法と日弁連をつくる会

答え

  宇都宮弁護士→c

  高山 弁護士→a

  山本 弁護士→b

 まあ、団体名だけでは、なんの会やらさっぱり分からないのだが、私は選挙用団体の色彩が極めて濃い団体ではないかと思っている。

 そして今日、「新時代の司法と日弁連を担う会」から、豪華なパンフレットが送られてきた。中身は、インタビュー形式をとっているが、なんのことはない、山本弁護士のマニフェスト概要みたいなもんだ。誰がお金を出しているのか知らないが、パンフレット作成とメール便の費用で、1通あたり200円としても弁護士全員で27000人を超えているから、540万円以上かかりそうだ。

 私としては、新人弁護士の就職難など、法曹人口問題にどのような態度を持っておられるのかが最大の注目点なので、そこを見てみると、「合格者増加ペースのスローダウン」を提唱しておられるようだ。

 増員必要、しかし閣議決定よりスローダウンで、という今の日弁連執行部と同じお考えなのだろう。まあ、「担う会」の代表世話人のメンバーを見れば、元日弁連会長がごろごろいるので、その路線から外れることはできないんだろうけれど。

 ということは、山本弁護士本質的には法曹人口増員論者の先生だろう。増員を推進される方であれば、当然弁護士需要に比較して弁護士数が少ないとお考えの先生だろうから、ご自身に大量にやってくる依頼を処理するために多くのイソ弁を採用されているのだろう。

 そうでなくても、(増員論者である以上)弁護士急増の弊害である就職難についても自ら率先して、対処しておられるはずだろう。だから、おそらく、就職難に直面している新人弁護士を限界まで採用されているのだろう。まさか、多くの弁護士会の反対を押し切るかたちで増員論を主張し、それを日弁連で実現するおつもりの方が、弊害だけはみんなで我慢しようね、という無責任な方ではあるまい。

 それに、弁護士人口増大を受け入れる際の日弁連執行部の最大の理由付けは、「法曹一元の実現のため」だったはずだ。法曹一元については、少なくともパンフレットには全く触れられていない。法曹一元をあきらめたのであれば、そもそも弁護士人口を増やす必要性もないはずだ。そのあたりをどうお考えなのだろう。

考えていると、だんだん熱くなってしまうので、これくらいにしておくが、パンフレットを読んでいて一番残念に思ったのは、若手への支援は述べておられるが、弁護士会で次第に増えていく若手の意見をどうやって吸い上げるか、どうやって若手の意見を反映した日弁連にしていくか、という視点が全く見えなかったことだ。

 例えば大学病院に入院しており、「白い巨塔」のような教授の総回診があったとする。

 教授 「うんうん、若手君の病状では胃が痛いはずだから、胃薬を出しておくよ」

 患者 「いや、先生、今は、胃よりも下腹が痛いんですが」

 教授 「そんなことはない。若手君の意見よりも、大所・高所からの私の判断が大事だ。ちゃんと薬を出す(支援する)といっているじゃぁないか」

 若手の意見を聞く(吸い上げる努力をする)執行部でないと、いずれ多数派になる若手弁護士から、日弁連自体が見捨てられるような気がしてならないのだが。

あさくま

 「あさくま」という、ちょっと変わった名のファミレスがあります。

 名古屋が本店らしいのですが、私が大学生の頃は京都にも3~4店舗展開していたと記憶しています。名古屋出身のちょっと裕福な司法試験受験友達が連れて行ってくれたのが最初でした。

 当時は、学生ですからお金もありません。出来るだけ安くて出来るだけ美味しそうなメニューを探すと、「学生ステーキ」というメニューがありました。確か700円くらいだったと思うのですが、当時の私にしてみれば700円でステーキが食べられるのなら奇跡のようなものです。妙に歯ごたえのあるお肉を、照り焼きソースで美味しく食べたことを覚えています。それから、京都で「あさくま」に行く機会があったときは、判で押したように学生ステーキを頼むのが常になってしまいました。

 それから、15年以上経った今年の春のことです。名古屋で仕事があった際に、たまたま「あさくま」を見つけました。仕事を終えた後、学生時代の味を思い出したくて学生ステーキから名を変えた学生ハンバーグを注文してみたのです。

 独特の歯ごたえも、味も、全く私の記憶通りで、何一つ変わっていません。

 「あさくま」の味が変わっていなくて嬉しいと思うと同時に、いつ合格できるかも分からず、合格率2~3%の試験に立ち向かっていた当時の私の心情、目標はあってもそれが叶うのか、叶うとしてもいつ叶うのか、もしかしたら、ずっとこのまま叶わずに終わるのではないかという何とも言えない不安を常に下敷きにした、いつも揺らいでいた希望に満ちていた、当時の私の心情が、ゆっくりと蘇ってきました。

 例えば(今でも滅多に食べる機会がない)カニを食べても、以前カニを食べたときの記憶が鮮明に思い出されることはないようなのですが、(今食べようと思えば普通に食べられる)「あさくま」の、特に学生ステーキの味覚は、どういうわけか私の記憶と深く結びついてしまっているようです。

 間違いなく、ある種の味覚は、記憶を呼び覚ます能力を持っているようです。

 単に当時の味を思い出したくて学生ハンバーグを注文した私でしたが、思いがけず、当時の切ない思いまで蘇ってきて、ちょっと辛いけど少し得したような、複雑な気持ちで食事を終えることになったのでした。

チャボのこと

 私の実家では、子供の頃から、結構いろいろな生き物を飼っていた。

 今では、私達が飼ったことのあるチャボ(小型の鶏)を飼育した経験のある方は、なかなかいらっしゃらないのではないだろうか。

 私の記憶では、父が肝臓を痛めていた際に、母がチャボの卵が滋養に良いと聞き、近所の農家からもらってきたのが3匹のチャボのヒヨコだったように思う。リンゴを送るための木箱を元に、父親が器用に鳥かごを作ってくれた。

 エサは、大根菜などをきざみ、ぬかにまぶして与えた。寒い時期だったので、夜には白金カイロをタオルでくるんで入れてやると、カイロの周囲に寄り添って眠っていた(主にこの役目は一番年長だった姉の役目だったように思う)。その様子を、そっとフタを開けて何度も見たことを覚えている。

 少し育つと、雄1羽、雌2羽であることが分かり、名前を付けることになった。私の兄弟は、姉・妹・弟の4人兄弟だったが、弟はまだ小さかったので、3人で名前を考えることになった。

 白い雌については、妹が「ハトコ」にする、と言い張った。当時NHKの朝の連続ドラマが「鳩子の海」という作品だったこともあってか、「鳩に似てるからハトコ」だと、妹は強硬に主張したように思う。私は、鳩は白色よりもねずみ色が多いから駄目だと反対したように思うが、結局、妹の意見が通った。

 雄についても、妹が「天兵」にすると、強く主張したように思う。それも朝ドラ「鳩子の海」に出てくる登場人物の名前だった。しかしさすがに、私と姉が反対し、結局姉が提案した「雄だから『オンちゃん』」に決まった。

 茶色の雌は、茶色い雌なので、なんのひねりもなく「チャコ」と決まった。

 3羽は、それぞれ性格も異なっていた。

 オンちゃんは、大黒柱としての自覚を持っており、子や孫の世代の若手の雄が出てきても、覇権争いでは決して負けず、相手をねじ伏せて、死ぬまでリーダーの地位を明け渡さなかった。 チャコは、勝ち気な性格、ハトコはどちらかというとおとなしい性格だった。エサをさっと奪うのは大抵チャコだったし、ハトコが暖めている卵をチャコが奪って暖めようとしたこともあった。ただ、ハトコが自分で孵したヒヨコたちをつれているときだけは、ハトコはチャコが近寄ることを許さなかった。

 母親は、どこの世界でも、やはり強いのだろう。

 当時は野良猫も殆どおらず、3羽は暢気に庭を散歩し、砂浴びをし、庭続きの近所の畑にまで出張し、夕方には鶏小屋に戻ってきた。自分たちを人間だと思っていたフシもあり、庭から平気で家の中に上がり込み、座布団や押入の布団の上などで卵を産んでは、得意気に騒いだりもした。

 時には、農家のばあさんに怒鳴り込まれたり、アオダイショウに狙われたりしたこともあったが、まずまず平和に暮らせていたように思う。

 その後、子や孫の世代が同居するようになり、チャボも増えた。全てを思い出せるわけではないが、次のようなチャボもいた。

 シロコ(色が白い雌だから)・ しろチャン(色が白い雄だから)・ ブッチャン(ブチのある雄だから)・くろちゃん(色が黒い雄だから)・ズリチャン(走るときに羽根を地面にずりながら走るから)・マッシロコ(全身真っ白の雌だから)、等である。

 だが、問題もあった。チャボを飼っていた経験から、鶏肉がどうしても食べられなくなってしまったことである。相当長い期間、楽しげに庭を散歩しているチャボが目に浮かび、鶏肉は、なかなか食べられなかった。もちろん最近では、鶏肉も食べられるが、チャボたちのことを忘れたわけではない。

 チャボを飼育した記憶のせいで、外国の田舎でニワトリの放し飼いを見ると妙に嬉しくなるし、ここ数年冬になると話題になる、鳥インフルエンザ感染の疑いによるニワトリ処分が、おそらく他の人よりも痛みを持って感じられるような気もする。

 それが良いか悪いかは別として、今となっては、そのような経験をさせてくれた両親に感謝するしかないようにも思う。

エキサイティング!~法曹人口部会

 本日、司法改革推進本部の法曹人口部会がありました。

 若手の意見も取り入れるということで、会長からの特別委職で、私以外に若手の委員が18名入ったはずですが、若手はあっという間に出てこなくなって、今では実際に会議に出てこられているの方は4~5名くらいではないでしょうか。

 弁護団会議が長引いたため、少し遅れて行ったのですが、行った甲斐がありました。所要で参加されていた何人かの先生が帰られた後ではありましたが、最後の20分くらいに、人口増容認派の先生と、反対派の先生(その他の先生もいらっしゃったかもしれませんが)で大激論になったのです。

 ・これだけの就職難があるのにどうしてこれ以上弁護士増員が必要なのか、

 ・弁護士にとってペイするニーズとペイしないニーズが存在し、その両方がニーズではないか、

 ・確かに弁護士はペイしないニーズも人権救済の観点から受任してきた場合もあるが、それは、自分の生活は維持できる収入があったからではないか、 今後は自分の生活すらも維持できない可能性があるのではないか、

 ・食えないかもしれないというだけの理由で人口減を言っているのではないか、

 ・ニーズがないのに増やす必要はどこにあるのか、

 ・質の低下の問題に加えて、優秀な人材がこのままでは法曹界に来ないのではないか、そうなった場合に弁護士制度、司法への信頼はどうなるのか、

 ・政治的判断の結果ではないのか、

 ・状況が変わったのだから、増員もそれに合わせて、減らすべきではないのか、日弁連執行部はそういっていたではないか、

 ・ロースクール生をどう救済するのか、

 などなど、さまざまな意見が飛び交い、非常にエキサイティングでした。たぶん、傍聴していれば物凄く面白かったのではないでしょうか。

 私も、そんなに増員が必要だとおっしゃるなら、先生自身がイソ弁並みの給料にして、新人を雇ってあげればいいじゃないですか、等と 若干失礼に当たるかもしれない意見まで言わせて頂きました。

 容認派には、(大阪弁護士会会長クラスと言っていいくらいの)重鎮の先生もいらっしゃいましたが、若手からの辛辣な意見に対しても、賛成・反対は別にして、聞き流さずに耳を傾けようとはしてくれました。重鎮の先生だからといって、私のような若輩が意見を言っても頭ごなしに否定したりするのではなく、話を一応きちんと聞いて下さいます。

 (現実についての認識の程度に差はありますが、)少なくともこういう点は、先輩の先生方は立派だなと、いつも思います。

 若手も重鎮も同じ土俵に立って弁護士の未来について討論が心おきなく出来る、そういう自由闊達な空気がもっと弁護士会内部に広まってくれれば、弁護士会の動きも違ってくるのかもしれませんね。

東京三会の就職説明会

 現行63期、新63期の修習生に対して、10月中旬に、東京三会(東弁・一弁・ニ弁)が主宰した、二日にわたる就職説明会があったそうです。

 39の法律事務所と、14の企業がブースを設けて、就職に関する説明をしたそうです。これだけ聞くと、なんだ就職難といっていながら結構募集あるんじゃないの、と思われる方もいるかもしれません。

 しかし就職を希望して、説明会に参加した司法修習生の数は・・・・・・

 950名!

 日弁連の執行部の皆さん、本当に弁護士の需要ってあるの?

 あるとしたらどこにあるの?

 あなた方が幻を見ているのか、私の目が曇っているのか分かりませんが、この就職説明会の現状を見れば、子供でも分かりそうな気がするのですが・・・・・。

中森会総会

先週の土曜日に、京大会館で中森会総会が行われました。

 京大法学部では、ゼミナールに参加することが基本的には必修となっており、それぞれのゼミの出身者で、OB・OG会を作っていることがあります。中森先生のゼミのOB・OG会(もちろん現役学生も参加可能ですが、中森先生は京大を退官されましたので、現在京大の現役学生はおりません)が、中森先生のお名前を頂戴して、中森会となっているのです。

 新しい名簿も配布され、それを見たところ、私は第11期のゼミ生でした。中森先生は第31期までゼミを行っておられたようなので、ゼミ生の人数も相当な数になっています。

 今回の総会は、幹事の方々のご尽力もあって、80名ほどが参加されました。同期の方々と近況を話し合ったり、当時の思い出話をしたり、なかなか楽しい時間が過ごせました。但し、人数が多いのとお互いが相当年月を経ているので、同期の方を探すのが意外に苦労したりしました。

 帰り際に、第12期のゼミ生だった方から、声をかけて頂きました。私は第12期も中森ゼミにオブザーバーとして参加していたので、12期の方も私を覚えて下さっていたようです。宿敵奥田ゼミとの野球で、私が僭越ながらピッチャーとして登板したことも覚えて下さっていましたが、「今、投げようとしたら、おそらく腕が抜けるでしょうね」と、当時のことを思い出しつつも、お互いが笑い話にしていました。

  次回の中森会総会が、いつになるのかは、幹事の方にしか分からない面もありますが、学生時代の友人は本当に宝になると思います。楽しい時間を作って下さった、幹事の方、お忙しい中参加して下さった中森先生、本当に有り難うございました。

福永武彦と大林宣彦監督

 昨日の日経新聞夕刊に、大林宣彦監督が「草の花」について語っている記事が出ていた。

 「草の花」は、福永武彦という作家の作品で、理知的な青年の愛と死について書かれた小説だ。いつかブログで詳しく紹介したいと思いながら、私の中では、思い入れが強すぎてうかつに紹介しにくい本になっている。私は、中学2年生の頃、姉に「草の花」を勧められてから福永武彦にどっぷり、はまってしまい、「廃市・飛ぶ男」、「夢見る少年の昼と夜」「海市」「死の島」「風のかたみ」「風土」「忘却の河」など、文庫になっている小説はほぼ全て読み、大学時代は新潮社から毎月1冊ずつ発行されることになった福永武彦全集を、食費が残るか心配しながら買い求めたものだった。

 福永武彦の「草の花」を大林監督は、暗記までするくらい愛好していたそうだが、その一方で、この作品に出会って、作家の夢をあきらめたという。自分以上に自分のことを表現されてしまったように思えたのだそうだ。しかし、福永武彦への共感は、大林監督の作り出す映像に滲み出ているようにも思われる。

  大林監督は、福永武彦の「廃市」を映画化しているが、監督に影響を与えた作家が福永武彦であると知った上で思い返せば、有名な尾道三部作のひとつ「さびしんぼう」においても、ヒロインの通学している姿の描写、さびしんぼうが雨の中で主人公に肩を抱かれながらため息とともに消えてしまうシーンなど、随所に福永武彦に共感する監督の感性が表れているように感じられる。

 実は、私は一度だけ、大林監督にお会いしたことがある。司法試験受験生時代に勉強に行き詰まり、十一面観音像を見るため湖北(滋賀)の古刹を巡っていた際に、偶然NHKの撮影で、寺にやってきた大林監督夫妻にお会いできた。私が「僕は、監督の映画の『さびしんぼう』が大好きなんですよ。」と少し興奮気味に話すと、監督は穏やかな笑みを返して下さった。勇気を振り絞って、一緒に写真を撮らせて頂いたが、残念ながらその写真は紛失してしまった。

 その当時、監督が福永武彦の作品を愛好していると知っていれば、もっといろいろ話せただろうにと、夕刊を読みながら、今さらながらではあるが、少し悔やまれたりした、私だった。