チャボのこと

 私の実家では、子供の頃から、結構いろいろな生き物を飼っていた。

 今では、私達が飼ったことのあるチャボ(小型の鶏)を飼育した経験のある方は、なかなかいらっしゃらないのではないだろうか。

 私の記憶では、父が肝臓を痛めていた際に、母がチャボの卵が滋養に良いと聞き、近所の農家からもらってきたのが3匹のチャボのヒヨコだったように思う。リンゴを送るための木箱を元に、父親が器用に鳥かごを作ってくれた。

 エサは、大根菜などをきざみ、ぬかにまぶして与えた。寒い時期だったので、夜には白金カイロをタオルでくるんで入れてやると、カイロの周囲に寄り添って眠っていた(主にこの役目は一番年長だった姉の役目だったように思う)。その様子を、そっとフタを開けて何度も見たことを覚えている。

 少し育つと、雄1羽、雌2羽であることが分かり、名前を付けることになった。私の兄弟は、姉・妹・弟の4人兄弟だったが、弟はまだ小さかったので、3人で名前を考えることになった。

 白い雌については、妹が「ハトコ」にする、と言い張った。当時NHKの朝の連続ドラマが「鳩子の海」という作品だったこともあってか、「鳩に似てるからハトコ」だと、妹は強硬に主張したように思う。私は、鳩は白色よりもねずみ色が多いから駄目だと反対したように思うが、結局、妹の意見が通った。

 雄についても、妹が「天兵」にすると、強く主張したように思う。それも朝ドラ「鳩子の海」に出てくる登場人物の名前だった。しかしさすがに、私と姉が反対し、結局姉が提案した「雄だから『オンちゃん』」に決まった。

 茶色の雌は、茶色い雌なので、なんのひねりもなく「チャコ」と決まった。

 3羽は、それぞれ性格も異なっていた。

 オンちゃんは、大黒柱としての自覚を持っており、子や孫の世代の若手の雄が出てきても、覇権争いでは決して負けず、相手をねじ伏せて、死ぬまでリーダーの地位を明け渡さなかった。 チャコは、勝ち気な性格、ハトコはどちらかというとおとなしい性格だった。エサをさっと奪うのは大抵チャコだったし、ハトコが暖めている卵をチャコが奪って暖めようとしたこともあった。ただ、ハトコが自分で孵したヒヨコたちをつれているときだけは、ハトコはチャコが近寄ることを許さなかった。

 母親は、どこの世界でも、やはり強いのだろう。

 当時は野良猫も殆どおらず、3羽は暢気に庭を散歩し、砂浴びをし、庭続きの近所の畑にまで出張し、夕方には鶏小屋に戻ってきた。自分たちを人間だと思っていたフシもあり、庭から平気で家の中に上がり込み、座布団や押入の布団の上などで卵を産んでは、得意気に騒いだりもした。

 時には、農家のばあさんに怒鳴り込まれたり、アオダイショウに狙われたりしたこともあったが、まずまず平和に暮らせていたように思う。

 その後、子や孫の世代が同居するようになり、チャボも増えた。全てを思い出せるわけではないが、次のようなチャボもいた。

 シロコ(色が白い雌だから)・ しろチャン(色が白い雄だから)・ ブッチャン(ブチのある雄だから)・くろちゃん(色が黒い雄だから)・ズリチャン(走るときに羽根を地面にずりながら走るから)・マッシロコ(全身真っ白の雌だから)、等である。

 だが、問題もあった。チャボを飼っていた経験から、鶏肉がどうしても食べられなくなってしまったことである。相当長い期間、楽しげに庭を散歩しているチャボが目に浮かび、鶏肉は、なかなか食べられなかった。もちろん最近では、鶏肉も食べられるが、チャボたちのことを忘れたわけではない。

 チャボを飼育した記憶のせいで、外国の田舎でニワトリの放し飼いを見ると妙に嬉しくなるし、ここ数年冬になると話題になる、鳥インフルエンザ感染の疑いによるニワトリ処分が、おそらく他の人よりも痛みを持って感じられるような気もする。

 それが良いか悪いかは別として、今となっては、そのような経験をさせてくれた両親に感謝するしかないようにも思う。

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