法科大学院は大学教員のための制度なのか?

先日、某国立法科大学院で教授を努めている友人から、一通のメールを頂いた。

文科省の告示によって、日弁連法科大学院人証評価事務局は法科大学院の教員の適格審査について、実務家教員であったとしても法律基本科目(司法試験科目)を担当する場合には、担当する科目分野について直近5年内に研究業績(論文)があることを厳格に要求しようという動きがあるそうだ。

つまり、誤解を恐れず簡単にいえば、どんなに実務に精通しており、誰よりも実務家として素晴らしい力量を持っていたとしても、そして、えら~い学者の先生方よりも遥かに学生に教える能力が高かったとしても、直近5年以内に論文などの研究業績がなければ、法科大学院教員としては失格とみなす、ということだ。

もちろん、学者の先生方は困らない。忙しい弁護士業務に患わされることなく、御自らの研究に邁進しておられるわけだし、その成果を論文として発表されること、それ自体がお仕事だからだ。論文を書くのもお仕事なんだから、何のハードルにもならないのだ。

しかし、一流の実務家であれば、当然忙しい弁護士業務をこなしているはずだから、ただでさえ弁護士稼業と法科大学院と二足のわらじを履くことは相当厳しい。その上で論文まで書いておけ、とは、事実上かなりの負担を実務家教員に負わせることになり、実務家教員の確保に大きな影響を与えるおそれがある。

論文の審査だって、要するにタイトルが法律基本科目の教育分野に入っているかどうかを見るだけのようであり、内容まできちんと検討して法科大学院に相応しい研究成果かどうかを検討しているとも思えない。

これは悪くいえば、法科大学院により実務と理論の架橋を目指した法曹教育を行うといいながら、法科大学院が目論見どおり発足できたので、「実務家教員なんてもうイラネーヨ、法科大学院は研究者教員の職場確保にこれからは使わせてもらうぜ」、と文科省がいっているのとそう変わらないように感じられる。

もっと大きな問題は、法曹教育に実務家を参入させることに積極的だった日弁連が人材と資金を出している(はずの)日弁連法務研究財団が、法科大学院認証評価において、実務家教員排除につながりかねない文科省の告示に、唯々諾々と従おうとしていることだ。

まあ、日弁連法務研究財団の理事やら評議員らには、日弁連のお偉いさんがずらりと並んでいて、ほとんどが法科大学院推進派(実務と理論の架橋というお題目をを振り回していた)であった方々のように見える。それなら当然、実務家教員排除につながりかねない文科省の告示に決然と反旗を翻す立場のはずだが、どうもその気配はない。

まさか日弁連のお偉いさん方が、会員の血税ともいうべき会費を投入している法務研究財団から給与をもらっているとは思わないが、もしもらっていたら、そしてこの問題について知っていながら放置しているのだとすれば、「文科省がそう仰るのであれば御意の通りに」と事なかれ主義に陥っている官僚の天下りの構図と同じようにも感じられる。

今後の日弁連法務研究財団の動向には、法科大学院推進派であっても十分注意を払う必要があるように思う。