ワナカ湖の木

 私が写真家、マイケル・ケンナのファンであることは以前ブログに書いたところだ。

 昨年12月に東京でマイケル・ケンナの写真展が開催されていたときに、たまたま東京に用事があった事務員さんにお願いして図録を買ってきてもらっていた。

 その図録の中に、私にも見覚えのある風景があった。

 「Wanaka Lake Tree Study1」と題された、そのモノクロの写真は、ワナカ湖の一本の木が主題の作品だった。

 私がコンパクトデジカメで撮影すると、ブログ末尾のような写真になるのだが、これがマイケル・ケンナの手にかかると、全く違うのだ。

 もはや、湖面というよりも、果てしなく続く雪原に唯一の生命の証のような木が佇んでいるようだ。

 その木は作品に切り取られた世界の中で、唯一、命を感じさせる存在でありながら、永遠の静寂の中に封じ込められているようにも見える。

 生命は不断に老いへと向かって変化を続ける存在であり、永遠や不変という概念とは相容れない存在のはずなのだが、この矛盾する感覚が、なぜかマイケル・ケンナの作品では矛盾なく、さもそれが当たり前であるかのように同居しているのだ。

  どこかで読んだ気がするのだが、マイケル・ケンナは超絶技巧を駆使するテクニシャンであるとの見方もあるそうだ。

 しかし、私には、単なるテクニックだけで描き出せるものではないと感じられる。

 上手く言えないのだが、芸術家の極めて鋭敏なる感覚が、対象と共鳴して初めて生じうる、微かでもあり又大きくもある、コンサートで奏者が演奏を終えた直後に一瞬訪れる、静寂に似た余韻のような何かに、私たちの心は動かされるのではないかとも思うのだ。

耀変天目茶碗

 その茶碗を見たのは、確か3年近く前のETV特集だったと思う。

 何の気なしに食事をとりながらTVを見ていた私は、ある場面で思わず「うわ~」とため息を漏らし、箸が止まってしまった。そして食事を中断し、慌てて録画機能のある2階のTVのところまで階段を一段飛ばしで走っていくはめになったのだ。

 そこには、黒塗りの茶碗の内側に、星がきらめき、青白く燃え上がりつつもその輝きを自在に変化させる光彩が映し出されていた。おそらく大自然の営みでしか描き出せないと思わせるような、奇跡的な美しさが画面一杯に広がっていた。人知を越えた存在にしか作り出せないような美しさを、人工物である茶碗の中に捕まえて固定したように見え、大げさに言えば宇宙を流れゆく時間、そして宇宙の中できらめく一瞬の命の光までをも封じたかのような感覚に、私は囚われていた。

 焼き物など全く興味のなかった私だが、この美しさには、すっかり、やられてしまったのだ。

 TVの解説では、この茶碗は「曜変(耀変)天目茶碗」というものであり、中国で宋代に作られた物であるが、現存する3椀は全て日本に存在しており(静嘉堂文庫蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵)、またその3椀とも国宝指定されているとのことだった。
 遠藤憲一さんのナレーションで、TVの中では、中国で4つ目の曜変天目が破損した形で発見され、科学的分析を試みようとしたことや、その再現に挑み続ける日本の陶工の苦闘を描いていたように記憶する。

 後に、お宝鑑定のTV番組で、鑑定士が「本物の曜変天目茶碗」であると鑑定したものが偽物かどうかで話題になったので、記憶されている方も多いと思う。

 その国宝である曜変天目茶碗が、今年(2019年)3椀とも公開される。

 龍光院蔵のものが、MIHOミュージアムで
 藤田美術館蔵のものが、奈良国立博物館で
 静嘉堂文庫蔵のものが、静嘉堂文庫美術館で
それぞれ公開される。

 私は、最初に公開時期が到来した、龍光院蔵の曜変天目をMIHOミュージアムで見てきた。
 公開初日、しかも開場20分ほど前にMIHOミュージアム入り口に着いたが、既に30人くらいは並んでいた。開場と同時に、他の展示はさておき、まずは曜変天目茶碗の展示に急ぐ。途中小走りに何人かを抜き、たどり着くと、意外にあっけなくその国宝は姿を現した。暗い部屋に周囲をアクリル板で丸く円柱状に囲われて、照明を浴びつつ少し控えめにその茶碗は佇んでいた。
 なんとか最前列までたどり着き、人混みに押されて顔をアクリル板に押さえつけられたりしながら、おおよそ半周ほどは眺めることができた。さすがに、人垣の後ろで待っている人も多くいる中で、それ以上長時間眺めることは気が引けてしまったのだ。

 映像や写真で見たことのある他の曜変天目茶碗に比べると、派手さに欠けるが、それはそれで味があった。
 普段は参拝客らに公開されていない静かな大徳寺の塔頭で、長い年月の間、様々な事象に遭いながらも大事に保管されてきた状況が、茶碗の雰囲気としてまとわりついているかのようだった。

 素直に、見に来て良かったと思った。

 なお、MIHOミュージアムには重要文化財の耀変天目茶碗も存在する。
 これは加賀の前田家伝来の茶碗であったものが、作家の大佛次郎の手を経てMIHOミュージアムに来たものだそうだ。この茶碗を曜変天目として分類するかについては異論もあるようだが、端正な面持ちの茶碗だった。
 ほとんどの人が国宝の龍光院蔵の曜変天目だけに注目していたようで、MIHOミュージアム蔵の耀変天目の展示ブースには、私の他に人影はなかった。

今年の諏訪先生の年賀状

 今年も画家の諏訪敦先生から、年賀状を頂くことができた。

 またか、毎年言ってるじゃん、と仰る方もおられるかもしれないが、こればっかりは、嬉しいのだから仕方がない。

 先生の作品がハガキの左側に寄せて配置され、右側の余白上部に謹賀新年と赤文字の記載が入っているものだ。普通このような配置にすればどこか不自然になるような気もするが、むしろこの構図がドンピシャとハガキにおさまり、それどころか美しく感じるのは、やはり先生のセンスによるのだろう。

 年賀状に載せられた先生の作品については、諏訪先生のツイッター

 1月3日の投稿をご参照頂ければ、写真が掲載されているので見ることができる。

 年賀状には、先生の直筆で、一言添え、お名前を書いて下さっている。おそらく宛名も直筆なのではないかと思われる。

 この文字を書いた手や指で、多くの人の心を揺り動かす芸術作品が産み出されているのかと考えると、直筆で頂けたことが嬉しい反面、なんだかもったいないような申し訳ないような、不思議な気持ちになったりもする。

 年賀状とはいえ、私にとっては、立派に先生から頂いた作品なので、個人情報はマスキングして、事務所に飾ろうと思っている。

 早速アマゾンで額縁を探したところだ。

 とてもお忙しいであろうに、私のような末端のファンにまできちんと年賀状を下さる諏訪先生に、改めて敬服するとともに感謝の念を禁じ得ない。

 諏訪先生、有り難うございました。

 今年も、素晴らしい作品を拝見させて頂けることを楽しみにしております。

真夜中のドア~Stay With Me

 おそらく有線放送だったのだろう。

 少し垢抜けない、どこかの商店街で、この曲を久しぶりに耳にした。曲を聞き逃したくなくて、私は歩調をゆっくりにし、そして、さびの部分を小さな声で曲に合わせて歌ってみた。

 昔、ラジカセを使って、カセットテープにラジオから録音(エアチェックといっていた)して、何度も聴いた曲だ。確かカセットテープは、TDKのものだった。

 歌っていたのは、「松原みき」さん。

 確かこれがデビュー曲で、彼女が歌ってCMに使われていた「ニートな午後3時」を、ご記憶の方も多いだろう。

 歌が素晴らしく上手で、とても綺麗な方だった。たしか、癌のためわずか44歳でこの世を去った。もう、10年以上も前に新聞に小さく載っていたような記憶がある。

 私はこの曲を聴くと、中学生の冬の夜を思い出す。

 霜焼けにやられた手を、椅子と太ももの間に挟んで温めながら、同じく霜焼けにやられた足を足温器に突っ込んで、ラジオを聞きながら勉強していた私。

 当時、なにか自分でもやれるのではないかという根拠のない自負と、得体の知れない未来へのボンヤリとした不安を、私は漠然と抱いていたように思う。

 何も知らず、意味もなく生意気だった当時の私は、なんでも分かったふりをしたがり、平均寿命まで生きるとしたら、あと60年も生きなければならないのか、などと少しため息をついてみたりしていたはずだ。

 何もかもが変わっていく中で未だに、何かが分かったという気持ちには到底なれそうにない。おそらく私は、このまま生きる意味や真理など何も分からずに、この世を去るのだろう、とも思う。

 しかし、この曲と松原みきさんの記憶は、彼女を知る人の心に、残り続けるのだろう。

 私も、そのように、人の心に残るような行いをなすことができるだろうか。

エリック・ハイドシェック大阪公演

 昨日、ザ・シンフォニーホールで、ハイドシェック(ピアニスト)の大阪公演があった。

 既に80歳を超えているハイドシェックの来日50周年記念ということらしいが、私としては、次の機会がもうないかもしれないとも思われたので、是非とも聞いておきたいと考えたのだ。

 たまたま最前列中央よりの席がとれたので、5メートル以内くらいで演奏するハイドシェックの姿をながめ、音を聞くことができた。

 オープニングの曲で少しひっかかり、やり直すというハプニングもあったが、鼻歌を歌いながら演奏するハイドシェックは、とても楽しそうだった。

 音楽を、心の底から愛している人なんだなぁ~ということが、何も飾ることなく直球で聴衆に伝わってくる。真っ直ぐな、しかし、一切押しつけがましさのない、素直さがあたりを充たしていく。

 あくまで音楽についてはど素人の私の印象だが、良い感じに枯れていて、ハイドシェックに演奏されて生まれ出る音、それ自体に鮮やかな色はついていないように聞こえるが、その奥底には、音楽や人、そして人生への愛情という彩りが実に豊かに存在している、そんな演奏に感じられた。(あくまで、ド素人の感想としてお受け取り下さい。)

 プログラム終了後も、拍手に答えて、アンコール曲(おそらく自分の好きな曲)を5曲ほど演奏しているハイドシェックは終始笑顔で、とても楽しそうだった。

 最後には、指揮者からそれ以上の演奏を止められているような様子まで見えた。放っておいたら、ハイドシェックは、大好きな音楽を地球の東の果ての国の聴衆と一緒に、何曲でも共有しようとしたのではないか、とすら思えた。

 大阪での公演は終わったのではないかと思うが、まだ他の場所での公演で若干の空きもあるようだ。

 機会に恵まれる方がいらっしゃれば、少々の忙しさを押してでも、聞く価値はある、と私は思っている。

冷蔵庫の音

 普段気にされたことがある方はそう多くはないかもしれないが、電気冷蔵庫も音を出している。
 コンプレッサーが動き出す音、冷媒の流れる音、コンプレッサーの動作が止まった際に冷蔵庫が身震いする音など、実は冷蔵庫は意外に多彩な音を出している。
 しかし、冷蔵庫の音に関して、私は普段は気にすることは滅多にない。

 1人で留守番していて心細いとき、病気で楽しみにしていた旅行に行けず横になっているとき、どうしてもやる気が出ずに寮の部屋で学習机に突っ伏しているとき、失恋して泣き疲れぼーっとベッドの上に座り込んでいるとき、同い年の友人が亡くなったことを知り呆然としているとき等、私の記憶に残る冷蔵庫の音は、このような少し寂しく、やるせない気持ちを抱いている情景と、何故か結びついている。

 冷蔵庫の音に関するこのような感覚は私だけかと勝手に思っていたのだが、あるシンガーソングライターの曲を聞いていたときに、私との抱いている感覚をもっと的確に表現しているのではないかと思われる歌詞にめぐりあった。

 柴田淳さんの「変身」という曲だ。

「変身」 作詞・作曲 柴田淳

別れは一瞬だった こんな長く二人で歩いて来たのに
君が隣りにいること 当たり前のことではなかったんだよね

散らかす度 君に怒られてたのに
もうなにをしたって怒ってはくれない

二人じゃ狭すぎたこの部屋が こんなに広いとは思わなかった
僕が黙ってると 遠くで冷蔵庫の音だけ
静かすぎて寒いよ

無意識のうちに 僕は君と同じ人を求め続けていた
だから 君と違うトコ見つけたなら たちまち冷めてしまった

君が育てていた花に水をやる
君が消えないように ずっと 消えないように…

どうしても受け入れられないことがある
かけがえのないモノがある
それが困るなら 僕は変わるか終わるしかない
君の愛した僕を

それでも 心の片隅に隠して
僕はきっと生きてくだろう
誰と出会っても いつか誰かと結ばれようと
演じ続けてくだろう

君を忘れた僕を

(歌詞の引用ここまで)

 遠くで聞こえる冷蔵庫の音に焦点を当てることによって、寒いほどの静けさ、そして、その静けさを通して「僕」の後悔と喪失感と寂寥感が痛切な痛みを伴って伝わってくる。
 その後の歌詞も、今現在の「僕」ではなく、君と一緒だったからこそ、その存在でいられたときの「僕」、君が愛してくれた「僕」、を守り通したいという、純粋な願いとその裏に存在する「君」への忘れ得ぬ想い(祈りといっても良いかもしれない)が伝わってくる。

 柴田淳さんの鋭敏な感性に脱帽せざるを得ない。

 是非、お聴きになることをお薦めする。

昔の写真から

ブリュッセルの王立美術館にて。

2000年頃撮影。

昔は入場無料だったが、2000年頃には有料になっていたと思う。

向かって右側、天使の像の影から少し怖い雰囲気を感じた。

彫刻ではなく、その影に怯えた、妙な記憶。

映画 「ビハインド・ザ・コーヴ」

(イントロダクション)
「2010年、日本の和歌山県太地町でのイルカ漁を題材にしたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』がアカデミー賞を受賞した。作品は全体としては一方的にイルカ漁を批判するものであった。「全てが真実ではない」「ドラマ仕立てで嘘だ」「隠しカメラやカメラの技術で海の色を変えたり、事実と違う」、という声が当初より多くの人々から聞こえてきた。それ以上に重要なのは、それなのに、なぜ今まで『ザ・コーヴ』に対する日本からの反論映画がなかったのかということだ。

 捕鯨問題を紐解くため個人的に始めた調査は、必然的に彼女を論議の中心であり『ザ・コーヴ』の舞台となった和歌山県太地町へ導くこととなった。そしてこの問題を探ることから、偶発的に『ザ・コーヴ』の反証映画が生まれたのだ。

 『ビハインド・ザ・コーヴ』は、捕鯨論争における両派の人々へのインタビューを基軸に、太地町の問題だけでなく、これまで民間まで届いてこなかった政治的側面の実情にも迫っている。『ザ・コーヴ』が提示できなかった”鯨類”とされるイルカ・クジラ問題の包括的な映像を発表せんとする、監督・八木景子の他に類を見ない試みである。」

公式HP http://behindthecove.com/ から引用。

(以下、坂野の雑駁な感想である。)

 私が和歌山県太地町出身で捕鯨に賛成であることは、ずいぶん前からブログにも記載してきたし、映画「ザ・コーヴ」がドキュメンタリー映画とは到底いえない偏向映画であることも指摘したことがあったはずだ。

 ただ、私自身、正月にたまに帰省することくらいしかないので、シーシェパードらの悪辣な活動振りは、はっきりと目にしたことはなかった。
 ふとしたことから、「ビハインド・ザ・コーヴ」の存在を知った私は、直接公式HPより映画のDVDを買い求めた。

 映画は、私が見る限り中立の立場でインタビューを中心に組み立てられているように見える。シーシェパードの連中の活動により太地町の観光にも打撃が与えられていることもこの映画は浮き彫りにしていく。
 「映像の借りは映像で返す」との記載もあったが、決して内容的に偏向している映画ではない。偏向した映画を作成すれば確かに、ある程度のインパクトは増すだろう。しかし、それでは結局偏向した主張のぶつかり合いになって、なんの解決にもつながらない。
 おそらく、八木監督はそう考えたのだろう。
 八木監督の手法は、双方の主張を取り入れつつ、淡々と事実と証言を積み重ねて、次第に根本の問題を浮き彫りにしていくものである。このような手法こそ、ドキュメンタリー映画にとって正しい方法であり、「ザ・コーヴ」がアカデミー賞を取れるのであれば、八木監督の、この映画であればなおさらその栄誉に浴しても良いはずではないかと私には思えた。
 また、八木監督のお人柄のせいなのか、かなりきわどいところまで出演者が喋ってしまっているのも興味深いところである。

 映画の中にはシーシェパード代表の発言も、ザ・コーヴの監督の発言も入っている。捕鯨に反対する連中の発言は、ほぼ一様に自分の価値観を絶対視しているように感じられた。
 自分の価値観(捕鯨反対)は正しいのだから、それに従わない行動は野蛮であり、改めるべきだという尊大な態度が常に見え隠れしているようだ。
 捕鯨以外にも生きていける手段(例えばホエールウオッチング等)があるのだから、捕鯨をやめてそちらの手段をとるべきである、という主張も、他人の人生の生き方に関して勝手に決めつけるに等しい傲慢な主張である。ヨーロッパの羊飼いに対し、羊の展示等でも生活できる手段があるから、羊飼いを辞めろと彼らはいうのだろうか。

 イギリスではキツネ狩りを辞めているから、日本でも捕鯨を辞めるべきだとの発言もあったように記憶するが、キツネ狩りは生活のためや、食用にするためではなくスポーツとして行われていたものだ。全く次元の違う捕獲行為を、動物の捕獲という一点では同じだから、同じように辞めるべきだとの主張は詭弁以外の何物でもない。

 クジラが泳いでいる姿を見たいという人の要望が高尚であって尊重されるべきであり、他方、クジラを食べたいという人の要望が野蛮であって、尊重されるべきでないと何故言えるのか。牛を神の使いとして崇める風習があるインドに育った人が、牛が歩いている姿を見たいという要望をもっていたとして、欧米で大量消費されている牛を食べたいという人達の欲望よりも尊重されなくてよいと何故言えるのか。

 誰が彼らの価値観の正しさを証明するのだろうか。自分がそう信じ込んでいるだけなら宗教と変わりはしない。そして歴史上、宗教の違いで大量殺戮が生じたように、他者に不寛容な態度は、他者との共存を難しくするものであることは間違いない。

 かつて捕鯨国であったアメリカも、ある時期から反捕鯨運動をとるようになるが、その動機はベトナム戦争の環境破壊問題から目をそらせるためだったという事実(もちろんその証拠も映画の中で提示される)もあるし、反捕鯨の立場をとりながらも、ある時期まで宇宙開発に不可欠であったマッコウクジラの鯨油について、アメリカは日本から輸入していた事実もあるそうだ。
 その際に、輸入品の名目としては「高級アルコール」と名前をつけ反捕鯨の立場と矛盾しないような小細工も弄していたという。

 更に現在ではクジラが増えすぎて、アメリカの沿岸での船舶とクジラの衝突事故の多発や、水産資源の減少も指摘されているそうだ。クジラを保護しすぎてホエールウオッチングに興じる人達が満足する一方で、イワシやサンマが枯渇して食べられなくなり、水産資源を生活の糧としている人達の生活が脅かされるというのでは本末転倒ではないだろうか(もちろんそうなっても陸上の蛋白源を中心とする欧米社会はそう大きな打撃は受けないだろうが。)。

 アメリカ人がアメリカリョコウバトを営利目的で絶滅させたことは以前書いたが、アメリカと並び、反捕鯨の急先鋒たるオーストラリアでは、コアラを毛皮目的で乱獲して絶滅寸前まで追い込んだ歴史があるし、私から見れば可愛いカンガルーだって大量に殺してきている。
 日本では50年近く前に捕獲が禁止されている、ジュゴンですらオーストラリアでは現在でも先住民に捕獲を許しているそうだ。
 では、ジュゴンは可愛くないのか?ジュゴンは可愛くなくても頭がよくないから食用として捕獲してもいいのか?

 自国の先住民の食文化は尊重するが、他国の食文化は尊重しなくても良いのか?

 
 結局彼らの価値観からすれば、自分達に必要なもの・都合の良いものは捕獲してもOKであり、自分達に不要のものであれば可愛いからとか、頭が良いからなどと理由にならない理由を述べて捕獲に反対しているようにすら感じられる。

 私は、映画の中に出てくる太地町の町並みを懐かしく感じ、そちらに気をとられてしまったところもあり、また一度見ただけなので、誤解もあるかもしれないが、それを措くとしても、様々な示唆を与えてくれる素晴らしい映画である。

 公式HPhttp://behindthecove.com/ から問い合わせて購入すると、監督のサイン入りパンフレットなどがもらえる特典(私はサイン入りパンフレットを希望したところ、可愛いクジラのイラストとサインが記入されたパンフレットが同封されてきた。)もあるようだ。

捕鯨賛成の方だけではなく捕鯨反対の方にも、是非ともご覧になることをお薦めしたい。

公式HPでは税別4400円+送料300円 ・ アマゾンでは4272円で販売中。

諏訪 敦  個展 2011年以降/未完

 10月7日から11月5日まで、福岡市の三菱地所アルティアム(イムズ8F)で、開催されていた、諏訪先生の個展を11月3日に見ることができた。

 できるだけ人が少ない時間に見たいと思ったため、当日、開館前から入り口前で待ち、午前10時の開館と同時にイムズに入った。
 エレベーターで8階まで上がると、すぐに場所が分かった。
 おそらく一番乗りで会場には入れたはずだ。なんと、写真撮影も許されていた。かつて訪れたルーブル美術館でもフラッシュを焚かなければ写真撮影は許されていたし、この配慮は有難い。

 思ったよりもたくさんの作品が展示されているようだ。諏訪先生の作品を、たくさん鑑賞できるので、遠かったけれども来て良かったと思う。
 しかしそれと同時に、一度に鑑賞しきれるか自信が持てない。

 もちろん昨今は、印刷技術の向上で素晴らしい画集ができるようにはなっている。しかし、本物の作品が持つ力は、やはり本物を直接見ないと感じにくい気がする。

 星にたとえるなら、画家が直接描いた作品は、恒星だ。直接対峙すると、画家が作品に込めた様々な想いをエネルギーにして、作品が自ら青白く輝きつつ外部へと、何かを放射し続ける何らかの力を秘めているかのように、感じられるときがある。
 画集に収録された作品は、美しいものであっても、そこまでの力を感じることはあまり無い。月や惑星が恒星の光を反射するように、美しい光を放ちながらも自ら輝く力までは感じにくく、自らの光の元となっている恒星の燃焼を想像させる、いわば間接的な輝きを感じさせることが多い気がする。

 今回の個展で、私が強い印象を受けたのは、一番奥に展示されていた「HARBIN 1945 WINTER」 と、それと対になって展示されていた「Yorishiro」、山本美香の肖像画、「日本人は木を植えた」だった。

「HARBIN 1945 WINTER」は、NHKのETV特集
【忘れられた人々の肖像 ~画家・諏訪敦 ”満州難民”を描く~】
で作成過程を特集されていた作品だ。
TVで、ご覧になった方も多いと思うので、後は、機会があればTV番組と、直接作品をご覧になって下さいと申しあげるしかない。

「Yorishiro」は、「HARBIN 1945 WINTER」と似た構図であるが、「HARBIN 1945 WINTER」と異なり、女性らしい柔らかな肉体が描かれている。女性は目を閉じており、通常であれば眠っている女性を描いた作品と捉えるのが素直かもしれない。

 しかし、私には生命を有している女性を描いた作品なのかどうか、分からなかった。

 モノトーンの画面の中に女性が横たえられ、目は閉じている。女性らしい柔らかな肉体が描かれているが、手や足等に描かれた白い紡錘状のなにかは、天に向かって肉体から、何らかの気配が抜け出ようとしているようにも見える。逆に(はっきりとは知らないが、私が勝手にイメージしている)キリスト教でいうところの聖痕が、女性の肉体に刻印されつつあるようにも見えなくもない。

 そして、この女性の肉体は、おそらく限りない静寂の下におかれているように感じられる。

 思うに、生きている間の人間の肉体は、全身の細胞で有機的に関連した精緻な生命活動が行われている。そして、生命を失った瞬間に精緻な生命活動は終わりを告げ、人間の身体はタンパク質の集合体に化し、緩やかに腐敗しつつ無に向かう。

 その死の瞬間の前後で、肉体の組成自体はほぼ変わらないのだろう。しかし、死の瞬間に、肉体の意味は全く変わってしまう。

 作者の意図とは全く異なるかもしれない、私の勝手な想像だが、「Yorishiro」は、命が失われる瞬間、若しくはその前後の時間を凝縮して、画面に封じ込めたのではないかと感じられた。

 しかし、それはこの女性の個体としての生命の終わりを意味するが、女性の生み出した生命の終わりまでをも意味するものではない。この女性を依り代として、生まれ出た生命はこの後も続いていくのだ。この女性はいずれ無に帰るが、その生きた証は、新たな生命によって受け継がれていく。

 「HARBIN 1945 WINTER」と対になって展示されていたことから、さらに深読みすれば、作者は、終戦直後の満州で飢餓状態で病死した自らの祖母に対し無念の気持ちと、祖母が依り代となって生命をつなげてくれた事実の重さに限りない感謝の気持ちを持っていたのではないか。

 そして、既に亡くなった祖母の、死の瞬間にまで時間を遡って、健康な状態で祖母が本来有していたはずの美しい肉体を取り戻させ、この絵によって、再度祖母の死の瞬間をやり直そうとしたのかもしれない。

 私の邪推が、万が一に的を射ていたとして、それを作者の自慰行為に過ぎないと、評価することも不可能ではないだろう。

 しかし、それでも私は、作者の、祖母に対する敬虔な祈りにも似た澄みきった想いを作品から感じ、その想いに心を打たれるのである。

 「Yorishiro」を見ながら、そして「Yorishiro」の前に置かれたソファにすわり、「Yorishiro」を見ずに、作品の存在感を感じながら、私は、そのようなことをボンヤリと考えていた。

(続くかも)

諏訪敦 絵画作品集 Blue 発売開始!

 諏訪敦先生の、待望の作品集Blueが本日発売された。

 本音を言えば、すぐにでも手に入れてじっくり見てみたい。

 だが、まだ私は、敢えて、手に入れていないのだ。

 普通の絵画集なら、アマゾンなどのインターネットで買えば済むのだが、諏訪先生の絵画集に限っては、自分できちんと確かめて買いたいのだ。というのも、以前、インターネットで写真集を買ったところ、小さな破れなどが見つかりとてもがっかりした覚えがあるからだ。

 諏訪先生の作品群を、そのようながっかりした気分引きずりながら味わいたくはない。私なりに、まっさらな気持ちで対峙してみたいのだ。

 それに、嬉しいことに現在福岡で開催中の諏訪先生の個展、「2011年以降 未完」

http://artium.jp/exhibition/2017/17-05-suwa/

を見に行けるめどがつきそうなのだ。

 Blueには、個展に展示されている作品も収録されているようなので、諏訪先生の本物の作品を見た上で、その作品から受けた想いや作品から感じる雰囲気を、私の中で反芻するために、Blueを買いたいと、私は考えている。

 つまり個展に展示された絵が、絵画集に掲載されているのなら、絵画集を見て得られる感動よりも、先に本物の作品からより強烈な感動を得ておいて、それをblueを使って何度も味わいたいというムシの良いたくらみを持っているということだ。

 もちろん、「先に買っておいてBlueを見ずに、個展に行けばいいだけじゃないか」との御意見もあるだろう。しかし、もしBlueを手に入れてしまったら、個展に出かけるまでにBlueを見ないで我慢できるという自信が、どうしても私の中で持てないのだ。

 だから私は、自分の中で回りくどい贅沢を企みつつ、子供のようにワクワクしながら、Blueを手に入れる日を楽しみにしている。

 ただ、それまでに売り切れてしまわないかが、私の唯一の心配である。