ワナカ湖の木

 私が写真家、マイケル・ケンナのファンであることは以前ブログに書いたところだ。

 昨年12月に東京でマイケル・ケンナの写真展が開催されていたときに、たまたま東京に用事があった事務員さんにお願いして図録を買ってきてもらっていた。

 その図録の中に、私にも見覚えのある風景があった。

 「Wanaka Lake Tree Study1」と題された、そのモノクロの写真は、ワナカ湖の一本の木が主題の作品だった。

 私がコンパクトデジカメで撮影すると、ブログ末尾のような写真になるのだが、これがマイケル・ケンナの手にかかると、全く違うのだ。

 もはや、湖面というよりも、果てしなく続く雪原に唯一の生命の証のような木が佇んでいるようだ。

 その木は作品に切り取られた世界の中で、唯一、命を感じさせる存在でありながら、永遠の静寂の中に封じ込められているようにも見える。

 生命は不断に老いへと向かって変化を続ける存在であり、永遠や不変という概念とは相容れない存在のはずなのだが、この矛盾する感覚が、なぜかマイケル・ケンナの作品では矛盾なく、さもそれが当たり前であるかのように同居しているのだ。

  どこかで読んだ気がするのだが、マイケル・ケンナは超絶技巧を駆使するテクニシャンであるとの見方もあるそうだ。

 しかし、私には、単なるテクニックだけで描き出せるものではないと感じられる。

 上手く言えないのだが、芸術家の極めて鋭敏なる感覚が、対象と共鳴して初めて生じうる、微かでもあり又大きくもある、コンサートで奏者が演奏を終えた直後に一瞬訪れる、静寂に似た余韻のような何かに、私たちの心は動かされるのではないかとも思うのだ。

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