一枚の写真から~52

NZ南島 テ・アナウからクイーンズタウンへ向かう道

前日の夜に少し雨が降ったことから、輝く道ができていた。

ある角度だけからしか輝いているように見えない道なので気付いた人はどれだけいただろうか。

一枚の写真から~51

NZ南島にて。

NZ南島は交通量も少なく、大都市近郊を除き、快適に走れる。英国圏だから右ハンドル、左側通行でもあり、違和感なくレンタカーで走れるのだ。

街中は40~50キロ/h制限だが、街を抜ければほぼ100キロ/h制限だった記憶がある。

つまり、一般道路を高速道路並みのスピードで走れてしまうのだ。

和歌山県という直線道路の少ない土地に育った身としては、このような直線道路に、どうしても、こころ惹かれてしまうのだった。

一枚の写真から~50

ワナカ湖畔の紅葉

湖面に生えている木は、私の大好きな写真家のマイケル・ケンナが、2013年に習作として撮影した被写体と思われる。

おそらく、2015年のマイケル・ケンナ作品のカレンダーにも使用されている被写体と思われ、インターネットで検索すれば、彼の凄まじい実力が感じられる作品が見られるのではないだろうか。

一枚の写真から~48

NZ、ワナカ湖畔で夕方に撮影。

GWの旅だったが、南半球は晩秋であり、とても良い季節だ。

ちょっと肌寒い空気と、残照が気持ちよかった。

弁護士の質に関する議論について雑感~3

(前回の続き)

さらに、年輩弁護士は法律を知らない、法改正にも対応しておらずレベルが低い人もいる等の、若手からの批判もあると聞く。


 これに関して本音を言えば、確かに弁護士資格取得後は、仕事に追われることもあり、司法試験受験時代のレベルでの勉強を継続できる人は、おそらく希である。また、自らが主に担当する分野の事件についてはより深く勉強するが、そうでない分野についてはさほど勉強が進んでいかないことも当然ありうる。

 したがって、弁護士になったあとは、経験は積み重ねられていくが、仕事等に追われて、多くの弁護士の勉強時間は少なくなっていく傾向が強いであろうと思われる(当然、厳しい勉強を重ねてどんどん優秀になっていく弁護士の存在を否定はしない。あくまで一般論としての私の見解である)。

 そうだとすれば、現在の若手弁護士だけが、これまでの弁護士たちと異なって特別に勉強時間を多く取って勉強を継続しているという事実があるのならいざ知らず、そうでないのであれば、現在の若手も年を経れば、現時点で批判対象としている年輩弁護士のようになっていく可能性も相当高いのだ。

 その際に、厳しい試験を通過するために相当程度の知識を得た時点(若しくは簡単になった試験でも優秀な成績で合格した時点)から知識的に劣化していくのと、簡単な試験にぎりぎり合格できるだけの知識しかない時点から劣化していく場合とでは、最終的に落ち着く先はかなり異なる可能性が高いと考えられる。

 つまり、今の若手が40年選手を笑っていても、自らが40年選手になった際には笑っていた相手よりもさらに低い高度でしか飛べていないことも、理屈上、ありうるのだ。

 また、仮に年輩弁護士の知識面に不安があると仮定しても、事件の見立て、和解のやり方など、一見分かりにくいが、経験に基づいた紛争解決能力が進化している場合も当然ありうる。


 したがって、(そもそも司法制度改革に関しては、質の問題は司法試験の合格時で判断すべきであることは既述したとおりであるが、)現時点の法的知識の比較だけで、弁護士の質の議論をすることは十分な検討にならないことはお分かり頂けるのではないだろうか。

 次に、質の議論からは少し外れるが、司法試験合格者を減員しても、弁護士数は増え続ける。

 私はよく例え話をするのだが、乗客が1万人乗っている船に1500人乗って500人が下りた場合、乗客は増えることは分かるだろう。その翌年に、乗る乗客が1000人に減っても、降りる乗客が500人であるならば、船に残った乗客数は増えるのだ。


 長らく司法試験合格者数500人時代が続いたため、法曹をやめる人の人数はしばらくは毎年500人と考えられる。したがって、司法試験合格者を1500人から1000人に減らしたところで、法曹の数は増え続けるのだ。

 それにも関わらず、なぜ、日弁連は司法試験合格者1500人を目指すように受け取られる宣言をしようとしているのか。

 私が思うに、それは法科大学院制度を維持するため(そして法科大学院支持を決めた自分達の過ちを認めたくないため)という理由に尽きるのではないだろうか。

 弁護士全体で見た場合、弁護士増加に見合うだけの仕事が増えていないことから、弁護士の収入は減少傾向が続いている。

 裁判所データブック2021によれば、全裁判所に新たに持ち込まれる事件数は、平成元年に約440万件あったが、令和2年は約336万件に減少している。1年間に裁判所に持ち込まれる事件数は30年以上経って、増えるどころか約100万件減っているのである。平成元年の弁護士数は約14000人程度、令和2年の弁護士数は約42200人(平成元年の3倍以上)である。

 確か月刊プレジデントでは、取得に時間もお金もかかり苦労する、その割には見返りが少なすぎるなどの理由で弁護士資格はブラック資格と認定されたこともあったと記憶している。

 医師会だって、無医村に医者を派遣するのは経済的に成り立つかどうかが大前提としている。これは医師も職業である以上、その収入で生活をし家族を養う必要があるので生計が成り立つことが大前提であると、当然のことを述べているに過ぎない。

 一方日弁連は、弁護士ゼロワン地区解消のため、弁護士業が経済的に成り立たない地区にでも弁護士会費を突っ込んで弁護士を派遣する等、自腹を切って弁護士過疎解消に努めている。しかしそのお金は日弁連が産み出したお金ではない。支払わなくては弁護士資格を失うため、強制的に各弁護士から徴収されている弁護士会費から支払われているのだ。要するに、蛸が自分の足を食べているのとなんら変わりはない。

 日弁連も、弁護士のための団体であるのなら、弁護士の職業としての意味を失わせないように、むしろ積極的に司法試験合格者を減少させるよう発言しても良いくらいなのだ。

 それにも関わらず、司法試験合格者をむしろ現在(1421名)よりも増やすべきといわんばかりの宣言を出そうとするのは、別の目的があるからとしか考えられない。

 そして司法試験合格者1500人以上を強力に求めてきたのは、法科大学院関係者である。1500人以下の司法試験合格者だと、法科大学院の維持が相当困難になるのだろう。日弁連執行部は、文科省と組んで法科大学院賛成の方針を採用し、半数以上は廃止され、法曹志願者を激減させるなど、大失敗に終わった法科大学院制度に関して、未だに過ちを認められずに維持するよう働きかけを継続している。

 有為の人材を法曹界に導く目的で、日弁連は法科大学院と組んで法曹志願者を増やすために、やりがいを強調するなどの宣伝活動を弁護士会費を用いて行っているようである。それでも法曹志願者の減少傾向は止まっていない。法科大学院側からは、もっと合格者を増やせば志願者も増えるはずだと、机上の空論を振り回す意見もあるようだが、完全に間違っているとしか言いようがない。

 旧司法試験は合格率が低く、2%台未満の時代もあったと思うが、志願者は(丙案導入時の受け控えを除き)一貫して増加していた。それは資格に魅力があったから、難関であっても多くの志願者を引き付けることができていたからだ。合格しやすくなれば志願者が増えるという単純なものではないのである。

 一般社会で有為の人材をヘッドハンティングしようとする場合を想定して欲しい。

 仕事のやり甲斐だけで、優秀な人材をハンティングできるだろうか。確かにやりがいも一部の理由になるかもしれないが、実際には収入や名誉や地位など現世利益(少なくとも、今後安心して食べていけるだけの収入)を提供しないと、多くの場合成功しないだろう。優秀な人ほど仕事・生活の将来性を含めてきちんと検討するからである。

 弁護士数の激増傾向は変わらない、裁判所での事件はどんどん減少していく、日本の人口も減少段階に入っている、このような状況から分析すれば、優秀な人材ほど法曹界を敬遠してもおかしくはないのだ。

 やりがいだけでは、お腹は膨れないし、将来自分の家族を養うこともできないのである。

 現在の医学部人気も、現時点では医師資格がほぼ唯一、安心して将来を設計しやすい資格であると見做されているからと考えれば合点がいく。

 だから、法曹志願者を増やすことは、実は簡単なのだ。

 (もう手遅れかもしれないが)法曹資格の魅力を上げれば良いだけである。


 そのためには、安易に法曹資格をばらまく方針をやめ、法曹人口激増にブレーキをかけ、法曹資格者がより安心して暮らせる状況を目指すことは当然の前提と言って良いだろう。


 
 これくらい、誰だって分かる話のはずだ。

 それにも関わらず、現状の分析もきっちり行わず、さらに司法試験合格者を増加させる必要があると言わんばかりの意向を表明しようとする日弁連の腹の中は、私には、なんとか法科大学院制度を守りたい(そうでないと執行部の失敗となってしまう)という一念で凝り固まっているとしか、考えられないのである。

 君子は豹変す。


 君子であればこそ、過ちがあるなら直ちに認めて正しい方向に向かって歩き出せるはずなのだ。

 日弁連執行部に君子はいないのか。

 君子がいなければ、烏合の衆と呼ばせてもらって良いのか?

(この項終わり)