喫煙疑惑で代表権を奪うべきではない

 パリオリンピック代表の体操女子、宮田選手の喫煙疑惑が報じられ、宮田選手に対して日本体操協会が調査に入ったとの報道がなされている。

 細かい事情が不明なので、あくまで現時点で得た情報に基づく私個人の見解なのだが、仮に万一喫煙の事実があったとしても、宮田選手の代表権を奪うべきではないと考えている。

 まず、20歳未満の者に喫煙を禁じている法律は、次のように定められている。

明治三十三年法律第三十三号
二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律
第一条 二十歳未満ノ者ハ煙草ヲ喫スルコトヲ得ス
第二条 前条ニ違反シタル者アルトキハ行政ノ処分ヲ以テ喫煙ノ為ニ所持スル煙草及器具ヲ没収ス
第三条 未成年者ニ対シテ親権ヲ行フ者情ヲ知リテ其ノ喫煙ヲ制止セサルトキハ科料ニ処ス
② 親権ヲ行フ者ニ代リテ未成年者ヲ監督スル者亦前項ニ依リテ処断ス
第四条 煙草又ハ器具ヲ販売スル者ハ二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ防止ニ資スル為年齢ノ確認其ノ他ノ必要ナル措置ヲ講ズルモノトス
第五条 二十歳未満ノ者ニ其ノ自用ニ供スルモノナルコトヲ知リテ煙草又ハ器具ヲ販売シタル者ハ五十万円以下ノ罰金ニ処ス
第六条 法人ノ代表者又ハ法人若ハ人ノ代理人、使用人其ノ他ノ従業者ガ其ノ法人又ハ人ノ業務ニ関シ前条ノ違反行為ヲ為シタルトキハ行為者ヲ罰スルノ外其ノ法人又ハ人ニ対シ同条ノ刑ヲ科ス

 カタカナで分かりにくいが、大まかに言えば、

第1条で、20歳未満の者に対して喫煙を禁止し、
第2条で、20歳未満の者が喫煙をした場合、タバコや器具を、行政処分で没収する、
第3条で、親権者や親権者に代わって未成年者を監督する者が喫煙を止めなかった場合は科料に処する、
第4条で、タバコや器具の販売業者は20歳未満の者が喫煙しないように年齢確認などの措置を採ること、
第5条で、20歳未満の者が自分で使用することを知って、タバコや器具を販売した者は50万円以下の罰金に処する、
第6条で、第5条違反の行為について両罰規定を定める、

ということである。

 注目すべきは、実際に喫煙した20歳未満の者に対しては、行政処分でタバコ等は没収されるものの、喫煙行為に対して何ら刑事処罰が定められていないことだ。
 つまり法律は、20歳未満の者が喫煙をしてもその喫煙行為自体を刑事的処罰の対象にしていないのである。
 20歳未満での喫煙は、法律違反ではあるものの、処罰するまでには至らないというのが立法者の考えだと読むのが素直だ。

 これに対し、科料・罰金は、刑法で定められた刑であり(刑法9条)、刑が科される行為を犯罪だとすれば、親権者や監督者が未成年者の喫煙を止めない行為や、販売業者が20歳未満の者が自分で使用することを知ってタバコや器具を販売する行為は、れっきとした犯罪と評価されるのだ。
 なお、没収は刑法9条で付加刑とされているが、この法律の第2条は行政処分で没収すると定められているので、刑法上の刑ではない。

 確かに日本代表に選出された選手は、子供たちの憧れとして品行方正であることが求められるのかもしれないが、果たして法律が処罰すべきではないとしている行為を行ってしまった場合にまで、努力に努力を重ねて勝ち取った代表権を奪うことを正当化できるのだろうか。

 インターネット上の情報で、『為末大氏が、「問題だったとは思いますが、代表権を奪うほどではないと思います」との私見をつづり「どうか冷静な判断をお願いします」と体操協会へ呼びかけた。』との報道があったが、私も為末氏と同意見である。

裁判は事実を明らかにするとは限らない

 今回の都知事選の結果、石丸伸二候補の得票数の多さに驚いたのか、メディアでは石丸バッシングが開始されているように、私には見える。

 その中には、市長時代の裁判でも負けているのに、とか、裁判で負けても最高裁まで争っている、等という批判も見受けられるようだ。

 上記のような批判をする方は、裁判は事実を明らかにしているはずだ、それに反する主張を石丸氏が続けて、最高裁まで争うのは問題がある、という前提に立っているのではないか、と私には感じられる部分がある。

 しかし、裁判は事実を明らかにするとは限らないのである。

 例えば、民事裁判において、
 原告が「事実はAだ。だから被告は損害賠償すべきだ。」と主張して訴えを起こし、
 訴えられた被告が「事実はAではなくBだ。だから損害賠償する必要がない。」と反論した場合を例にして、極めて簡単に考えて見る。

 この場合、裁判官が事実を映し出す魔法の鏡でも持っているなら話は簡単だ。
 魔法の鏡を見れば、事実がAだったのか、Bだったのかがはっきりするので、そのはっきりとした過去の事実に対して法律を適用して判決すれば足りるからだ。

 しかし、現実には、そんな魔法の鏡は存在しないし、時間を巻き戻して観察することもできない。
 もちろん、裁判官がなんの根拠もなく適当に、良く分かりませんが事実はこっちにしましょう、と勝手に判断されたら当事者としては、たまったものではない。

 そこで、原告に対しては「原告が事実をAだと主張するのであればそれを証明する証拠を出して下さい。」、被告に対しては「被告が事実をBだと主張するのであればそれを証明する証拠を出して下さい。」として、それぞれ証拠を出させて判断するしかないのである。

 仮に、原告がa b c d、被告がe f g hの証拠を提出した場合には、裁判所としては、それらの証拠のなかで信頼出来ると思われる証拠を選別し、信頼出来る証拠からみれば、「原告と被告との争いに関しては、こういう事実があった」と判断するのである。

 より簡単に言えば、「信頼出来る証拠をレゴのブロックのように考えて、そのブロックを組み合わせて、どういう事実があったのかを判断(構築)する」のだ。

 つまり、(本当の事実は分からないのだが)提出された証拠等から、「この裁判では、こういう事実があったことにする」、と判断し(この結果を「認定事実」という。)、この認定事実に法律を適用して結論(判決)を出すのである。

 だから、何らかの事情で事実がBであることを証明する証拠が不足し、事実がAであったような証拠の方が多い場合は、本当の事実がBであっても、裁判所はAという事実があったものと認定して、それを前提に判決してしまう場合も当然ありうるのだ。

 そしてこれが、人間が行う裁判の限界なのである。

 裁判に負けたから、虚偽の事実を主張していたとは限らないのである。