司法改革が叫ばれていた頃、確か、司法改革審議会かなんかの学者の方だったと思うが、「今後は規制緩和により、事後的救済社会になるから司法の役割が増大する」、という趣旨の発言をした人がいたように記憶している。一見もっともらしい意見だし、エライ学者さんがそう言うんだから、何となく説得されそうな気がする。
確かに規制緩和を進めると、経済活動がどんどん自由になり経済的利益の追求が主となってしまい経済的弱者の基本的人権が侵害されるなど、事後的に救済が必要になる問題が噴出してくる可能性はあるだろう。ここまでは学者さんの意見でも正しいように思う。
しかし、規制緩和によって生じた各種の問題が、本当に司法による事後的救済が可能なのか、本当に司法の役割が増大するのか、といわれると私には自信がない。むしろ逆のような気がするのだ。
いうまでもなく、日本において司法による解決は基本的には法律に則って行われなければならない。すなわち、法律家にとって、法律とは依るべき基準であり、また社会的弱者から依頼を受けた場合には、社会的強者と対等に戦うための武器でもある。
裁判所では、社会的弱者でも社会的強者でも全く平等に扱われ、どちらの主張が法原理的に正しいのかについての判断を受ける為に、争うことが可能である。
ところが成文法国家である日本においては、規制緩和を行おうとすれば、従前規制されていた部分に関する法律等を改廃することにならざるを得ない場合が多いように考えられる。そうすると、規制緩和は、同時に規制を緩和した部分において、法律という社会的弱者の武器をも奪う効果を持つように思われるのだ。
例として適切ではないかもしれないが、時間外労働には割増賃金を支払う必要があるという法律の条文がなくなってしまえば、いくら正規の時間を越えた残業だから割増賃金を払うべきだと主張しても、日本の司法での解決は困難だ。割増賃金を支払えという主張は、あくまでそうすべきである、そうして欲しい、という根拠のない主張に過ぎなくなり、裁判官も法律上の根拠がない以上、割増賃金を支払えとの判決を下せないことになるはずだ。
これが判例法の国なら違うのかもしれない。先ほどの例で言えば、規制緩和しても、従前の判例が残業では割増賃金を支払えと言っているのだから、割増賃金を支払うべし、という判決も不可能ではないように思われるからだ。この場合であれば間違いなく司法の役割は増大すると思われる。
すなわち、日本のような成文法の国では、規制緩和は経済的活動を促進し、経済活動による歪みを生じさせ各種の問題をおそらく確実に引き起こす可能性があるが、それと同時に、その問題に対する司法による救済手段を奪う可能性があるものであったのではないかと思われる。
したがって、規制緩和を進めれば進めるだけ、司法により事後的に救済する手段も同時になくすことが多いのだから、(特別な手当をしない限り)結局、弱者は救われない。結果的には司法の役割は増大しないのではないか。
そんなことも考えずに、規制緩和は事後的救済社会をもたらすと本当に考えていたのか、それとも、事後的救済ができなくなることを分かった上で、司法改革を進めるために敢えて事後的救済社会が来ると、もっともらしい主張をしていたのか。もし後者であれば、その主張の罪はかなり重いと思う。