「弁護士非情格差」は、弁護士過剰の一側面を端的に示している記事だ。
記事の中には円グラフがあり、①週60時間以上もの激務もザラ、②半分以上が取扱事件30件未満、③5人に一人は年収500万円未満とされている。
①・②は概ね私の感覚とも一致するが、③はちがう。③では無回答の15.4%を除いているが、所得が少ない弁護士ほど回答しないだろうから、おそらく、3人に一人は年収500万円未満であってもおかしくはない。
ごく一部に超高額の収入を持つ弁護士がいるため、世間的には弁護士が全体として高額所得者であると勘違いされている面があると思う。例えば、週刊ダイヤモンドの記事の中では大手法律事務所のパートナークラスは10億円超の弁護士がいるように書かれているが、仮に所得10億円の弁護士が一人いたとすると、所得0円の弁護士が99人いても、その平均年収は1000万円となる。所得10億円の弁護士が仮に10人いれば、990人の弁護士が無収入でも、平均年収は1000万円になってしまう。弁護士の平均年収が1000万円であれば、弁護士は一般に金持ちだという発想は誤りであることは明白だ。
特に最近のノキ弁などの人は大変だろう。
さらに今後は、司法修習生の給費が貸与制に変更される見込みだ。法科大学院に通うため借金をし、(司法修習生はバイト禁止であるため)司法修習を受けるために借金をする、借金まみれで弁護士になっても、就職すら覚束ない、こんな仕事を優秀な人材が目指すだろうか。
法曹に優秀な人材が必要なのは、一般の国民の方がいざというときに頼る、最後の手段が司法だからだ。経済力や権力や多数決に左右されず、公平に扱ってもらえ、自らの主張を戦わせることが出来る、権利救済のための最後の場面だからだ。試験の成績優秀者=優秀な弁護士とは必ずしも言えないが、試験の成績が水準に達しない者と優秀な弁護士はもっと結びつかないだろう。
私自身、優秀な弁護士をめざして努力の過程にあるが、 それでも、修習生に極めて簡単な質問をして答えが返ってこないときには、もっと勉強してないと怖いぞ、と思ってしまう。
いざという場面で、優秀でない弁護士が多数混じっていたら、一般の国民が司法に救済を求める際にどれだけ困るであろうか。そうなってから、こんな司法に誰がした!と叫んでも遅いのである。
「法科大学院の蹉跌」は、法科大学院を正面切って批判する記事を殆ど書かないマスコミとしては、よく踏み込んだ方だと思われる記事である。法科大学院はマスコミを利用した広告をよく行うので、おそらくマスコミにとってはいいお客さんであるはずだ。そのお客さんを怒らせるような記事を書くことは商売上得策ではないから、これまでのマスコミの法科大学院に対する、及び腰の報道も理解は出来る。
しかし、めちゃくちゃな制度設計、現実を見ない見切り発車、状況が変化しても一向に制度変更をしない政府の無軌道ぶり、最高裁も敢えて言及した質の低下など等、問題は山積みである。
私個人としては、法科大学院卒の方でも、上位の方は決して従来の弁護士に劣ることはないと思う。しかし、合格者の数あわせのため、合格ラインを下げてまで合格させている現状から、全体として勉強不足の方でも合格できる試験になっていることは事実であろう。
特に、週刊ダイヤモンドの記事を注意深く読まれた方にはお分かりだろうが、現状は恐ろしい。
【「法科大学院生第1期生、特に社会人出身者には極めて優秀な人間が多かった。」と法科大学院関係者は口を揃える。】と記事には書かれているが、その前のページで、最高裁が「新60期司法修習生考試における不可答案の概要」を公表して「基礎的な事項についての論理的・体系的な理解が不足している(者がいる)」と質の低下に警鐘を鳴らしている事実が書かれている。
法科大学院第1期生の大半が受験したのが、新60期の司法修習生考試である。
つまり、法科大学院が最も優秀だと自負する第1期生(未修コース除く)が殆どを占める考試について、最高裁判所が質の低下を示唆する指摘をしているのだ。
法科大学院の認識=新60期は極めて優秀
最高裁判所の認識=新60期に基礎的事項の理解不足の者がいる
このギャップを、法科大学院はどう説明するのだろう。
さらにいえば、法科大学院によれば第1期生が最も優秀だったのだから、その後は(上位の方はともかく、全体としての)質が低下しつつあるということになる。それにも関わらず、合格者は増加されつつある。
本当にこれで良いのだろうか。
司法改革は、弁護士の数あわせではなく、頼れる司法を目指したのではなかったのだろうか。