関西学院大学 2009年秋学期開講

 関西学院大学法学部2009年春学期は、私と加藤・吉村・久保の合計4名で一つの講座を共同で担当しましたが、秋期は、私1人で一つの講座を持たせて頂いています。

 科目は私法特別演習Bで、個人的にペット問題に興味があるのでペットの法律問題を中心に据えた演習内容をおこなっており、今年で3年目になります。

 これまで、5~6名の受講生しかおらず、相当アットホームな雰囲気でやれたのですが、本日初回の演習日に出向いてみたところ、今年は仮登録者が13名いて、一気にこれまでの2倍の学生数になってしまいました。

 個人的にはもう少し、学生さんの数が少ない方がやりやすいのですが、せっかく参加しようという気持ちで仮登録してもらったので、めげずに頑張ろうと思っています。

琴きき橋

 平家物語に小督について、書かれた段がある。

 高倉天皇の寵愛を一身に受けた小督であったが、高倉天皇の中宮が平清盛の娘である徳子であったため、清盛の怒りを買い、小督は、嵯峨へ身を隠すことになる。

 高倉天皇はひどく悲しみ、源仲国に馬を与え、密かに小督を探させる。しかし、嵯峨野あたりにいるらしいこと、片折戸をした家にいるらしいこと、の僅かこれだけの手がかりしかない。仲国は、どうやって探すんだと自問しながら嵯峨野近辺を探す。

 折しも中秋の名月のころであった(と思う)。琴も名手でもあった小督は、きっと、この月に誘われて琴を弾いているに違いないと信じて、仲国は琴の音が聞こえないかと耳を澄ませつつ、馬を走らせる。そして仲国は、ようやく、琴の音を耳にするのである。

 その場面の平家物語は、私の記憶によればこう書かれていたと思う。

 「峯の嵐か松風か、尋ぬる人の琴の音か、覚束なくは思えども、駒を早めていくほどに・・・・・・」

 仲国は、宮中で小督と一緒に笛を奏したことがあり、聞き間違うことはなかった。そして、ついに小督を発見することになる。

 高校時代の私は、中秋の名月が白く輝く夜に仲国が馬を走らせている情景、探しあぐねていた女性の手がかりを見つけた仲国の不安と興奮、二人を巡り合わせたものが琴の音というあまりに儚き糸であったことなどが、この一節に凝縮されているように思えて、何度も読み返したものである。

 その琴の音を、仲国が聞きつけた場所が、琴きき橋である、とされている。

 場所は、京都嵐山、有名な渡月橋のたもとにある。先だっての連休に、琴きき橋跡に行ってみた。非常に多くの観光客が嵐山を訪れており、土産物などを物色していたが、琴きき橋跡の石碑に注意を払う人は見当たらなかった。

 単なる石碑であるから、当たり前かもしれない。

 しかし、そのようにひっそりと佇んでいる方が、その後の小督の運命にも合うようで、私には何となく好ましく思えたのだった。

ドロミテでの出来事

 もう5年前にもなるが、S弁護士はボーツェン経由でドロミテまで行って、トレッキング(軽いハイキング程度だが)をしたことがある。

 非常によい天気の日で、汗ばむほどの陽気だった。遠くの山々を背景に、馬が放牧されていたり、アヒルやニワトリが家の庭を散歩していたりして、のどかというより、のびやかな感じがする光景の中を歩くことができた。トレッキングコースも整備されており、道に迷わないように、ルートを色分けした看板で示すなど様々な工夫がなされている。

 ところが、S弁護士は美しいドロミテ地方の風景に見とれて油断したらしい。途中で道を間違えてしまい、妙な山道に入り込んでしまった。すると、同じように道に迷ったと思われる外人に道を聞かれた。

 奴は遠慮もなく、地図をこちらに突きだし、なにやらしゃべっている。

 「ヘイ! ぺらぺらぺらぺらぁ~~~」

 ヘイ、は分かった。そのあとの言葉は多分アメリカ英語だ。それくらいは分かる。しかし、内容がわからない。

 大体なんで俺に聞くんだよ。眼鏡をかけているし、カメラだってきちんと首からさげている。足だってそんなに長い方じゃない。どう見たってあからさまに日本人じゃないか。もっと、英語の分かりそうな奴に聞け!しかもヘイってなんだ。道を聞くときはエクスキューズミーと言うもんだ。中学校でそう習ったぞ。と心の中で叫びながらも、S弁護士の言葉は心の叫びを裏切る。

 「ぱーどん、スピーク・スローリー?」

 「ぺらぺらぺらぺらぁ~~~」

 奴のしゃべるスピードは、全く変わらない。

 「なんやねん、世界中で英語が通じるとでも思ってンのか?もともとヨーロッパの端っこの島国の言葉やんけ!」と、S弁護士も少し腹が立ってきた。自分が異国の街で道に迷った際には、英語が通じると信じて、僅かに知っている英単語を並べて、たどたどしく聞くことなど、もう忘れている。

 「プリーズ・スピーィク・スロウリィ」

 思いっきり、ゆっくり言ってやった。しかも一単語一単語ごと、区切って言ってやった。

 どうだ、これで俺が英語が駄目だってことが分かったか、分かったらゆっくりしゃべれ!

 「ぺらぺらぺらぺらぁ~~~」

 奴は全く動じなかった。全く同じスピードで、おそらく全く同じことを聞いている。

 もう駄目だ。仏の顔も3度までだ。こいつに関わっていたら日が暮れちまう。さっきミネラルウォーターを買ったら間違えて炭酸入りだったのも、こいつのせいかもしれない。しかも、歩いているうちに、リュックでゆられて、開けようとしたら吹きこぼれたんだぞ。どうしてくれる。

 ・・・だが、こうなったら、最後の手段だが、もはやあの手段をとるしかない。

 S弁護士は、肩をすくめ両手をあげて見せた。万国共通のあきらめのポーズである。

 「ぺらぺらぺ・・・・」

 奴は、一瞬あっけにとられたかのように、しゃべりかけていた言葉を途中でやめた。そして、地図を引っ込めると

 「フンッ」という感じで行ってしまった。

 なんて礼儀知らずの奴なんだ。アメリカ=正義じゃねえぞ。英語は世界の共通語でもない。単なるアングロサクソンの言葉だろうが。お前だって、知っているロシア語はせいぜい「ピロシキ」くらいだろうに!

 と、せっかく美しいドロミテを散策しながら、だんだん訳の分からなくなるS弁護士であった。

新規法曹内定率?

 弁護士になるには、司法試験(現行)・新司法試験に合格し、司法修習を受けた後、司法修習生考試(いわゆる2回試験)に合格しなければならない。

 2回試験に合格した者のうち、裁判官になる任官者、検察官になる任検者、そして弁護士になる者、の3者に通常は進路が別れる。最近は弁護士の就職難が叫ばれているが、2回試験に合格していながら裁判官にも検察官にもならず、弁護士登録もしない者の割合が、増加しつつあるそうだ。

 現行60期 

 2回試験受験者1468名 同合格者1397名(合格率95.2%) 

 任官者52名、任検者71名、弁護士登録者1204名(弁護士未登録者70名~合格者中5.0%)

 現行61期

 2回試験受験者642名 同合格者609名 (合格率94.9%)

 任官者24名、任検者20名、弁護士登録者532名(弁護士未登録者33名~合格者中5.4%)

 現行62期(2009.9.3 一括登録時点で計算)

 2回試験受験者数377名、同合格者354名(合格率93.9%)

 任官者7名、任検者11名、弁護士登録者285名(弁護士未登録者51名~合格者中14.4%)

 つまり、2回試験に合格していながら、裁判官にも検察官にも弁護士にもならなかった者が、2回試験合格者7名に1人以上いるということだ。もちろん、学者になったり企業に就職した者もいるはずだから、未登録者全員が職がないというわけではないだろう。

 しかし、法曹(裁判官・検察官・弁護士)を目指して司法試験(現行・新)に取り組み頑張って合格したはずの、司法試験合格者が2回試験に合格した後であっても、なお7名に1人(14.4%)以上、目指したはずの法律家になれていないという数値は、極めて異常ではないか。

 仮に、2回試験合格者中、法曹になれた者の割合を、新規法曹内定率と呼ぶとすれば、最も新しい現行62期の法曹内定率は約85.6%となる。

 一方、報道によると今春卒業した大学生の就職内定率は約95.6%となっていた。

 新規法曹内定率 85.6%

 大卒就職内定率 95.6%

 本当に弁護士を含めた法曹が不足しているの??

大阪弁護士会会員の方へ

 昨日、大阪弁護士会会員の方のレターケースに、「司法アクセスの基盤整備と 適切な弁護士人口を求める会」の呼びかけ人となられた先生方(私を含みます)からの、趣意書(裏面に回答書があります)を配布させていただきました。

 なかなか、現実を見てくれない(あるいは現実を見ていても、しがらみで動きが取れない)日弁連や大阪弁護士会執行部に対して、「このままでは大変なことになります。きちんと現実を見て対処してください。」という、見識ある個々の会員のご意見を集めていこうという考えです。

 規制改革会議の自由競争をひたすら信奉する学者達は、弁護士人口を増加させ、自由競争をさせれば全てうまく行くかのような話をします。しかし、それでは弁護士人口が世界一で、最も弁護士の自由競争がなされていると思われるアメリカの現実はどうなのでしょうか。

 私のブログでも以前書きましたが、ニューズウイーク日本版6.24号には次のように書かれています。

「アメリカ社会で起きている大きな変化の一つは、自主規制をする同業者組合のようなシステムが消えつつあることだ。かつて弁護士と医者、会計士は自らを公的責任を伴う民間プロフェッショナルとみなしていた。自分の事務所のためだけでなく、社会全体にとって善か否かを考えながら責任感を持って行動していた。弁護士は、時間を浪費する訴訟ややみくもな買収を考え直すよう依頼人に助言することさえあった。今や弁護士だけではなく、あらゆる専門家が変わってしまった。」

 仮に自由競争させ市場原理にまかせれば、儲けることができる弁護士だけが生き残ります。良い弁護をする弁護士ではなく、儲かる弁護をする弁護士が多く生き残るのです。そのような社会になれば、いくら弁護士といえども、社会全体のために善かどうか考えてはいられません。そんなことを考えていれば、儲けることは出来ず、弁護士として生き残ることが出来ないからです。

 どこを見渡しても、自分の儲けばかり考える弁護士しかいない、そんな世の中が本当に正しい世の中なのでしょうか。 

 また聞きなので、情報の正確性は保証できませんが、アメリカのマイクロソフト社で、一年の経費の半額以上が弁護士費用などのリーガルコストであった年もあるそうです。研究開発費に経費がかかることは理解できますが、(特許等の今後の利益に関する争いがあったとしても)基本的には生産性に直接つながらないリーガルコストが経費の半額以上も占めるなど、悲劇的な状態としか思えません。

 弁護士を無軌道に増加させ、弁護士が自由競争の下で自らの食い扶持を探して回った結果、このように企業・(そして企業が負担した費用は製品に転嫁されるので)国民に、高額のリーガルコストを負担させる状況になり、マイクロソフトの悲劇を引き起こしたともいえるのではないでしょうか。

 日本が目指すべきは、自由競争ばかり叫んで、現実を見ない規制改革会議の学者の示す方向ではなく、自由競争を過度に進行させた結果、過ちというべき事態にまで陥っているアメリカの失敗に学ぶことであるはずです。

 様々なご意見の方がおられるでしょうから、趣意書の文面には、部分的に賛同できない箇所もあるかも知れません。しかし、弁護士が、社会にとって何が善か否かを考えながら責任感を持って仕事ができ、その結果国民の方にもプラスになる弁護士界を目指すため、敢えて小異を捨てて、趣意書にご賛同いただければ幸いです。

私の予想は外れましたが・・・・。

 今年度の新司法試験合格者は2043名だったそうです。

 閣議決定で念を押されているので、司法試験委員会は一度決めた合格者数の目安(2500~2900名)に反しないのではないかという私の予想は外れました。

 この合格者数にいかなる意味があるのか、本当のところは、司法試験委員会に聞いてみないと分かりません。

 しかし、合格者数の目安があるにもかかわらず、それに大幅に満たない合格者数にとどめたということですから、いかに合格者数の目安があろうとも、合格レベルを下げて数あわせするにも限界がある、これ以上の合格レベルの引き下げは極めて危険である、と司法試験委員会は考えたのかも知れません。

 もしそうだとしたら、司法試験委員会の判断を高く評価すべきであると同時に、これは法科大学院教育に強く反省を迫る、非常に大きな警鐘と捉えるべきでしょう。

 法科大学院はさんざん問題を指摘されながらも、法科大学院教育は優れた教育であり、厳格な卒業認定をしていると主張し続けてきました。その法科大学院が、優れた教育を施し、厳格な卒業認定をし、自信を持って卒業させたはずの卒業生が、今回の合格率を基にすれば、少なくとも27%しか新司法試験合格水準に到達できていないということになるからです。

 先日も、法科大学院で教鞭を執っておられる先生とお話しましたが、本音を言えば法科大学院側も、もう辞めたいところばかりではないか、だがどこの法科大学院も自分のところが先頭を切ってやめるわけにいかないと思っている状態ではないのか、と述べておられました。

 また、せっかく、(司法試験の科目ではない法律に関して)最先端の授業を法科大学院で行っても、学生が受験科目の内職ばかりしていて、ろくに授業を聞かず、幅広い法的知識を与える理念がもう失われている、なにより幅広い経験を持つ人材が法科大学院に来てくれない、とのことでした。

 面子を大事にして、現状をこのまま放置すれば、国民の司法への信頼が大きく揺らぐかも知れません。そうなってしまえば信頼を取り戻すことは非常に難しいはずです。

 (遅すぎるかも知れませんが)もう、過ちは過ちと認めていくべき時期に来ているのではないでしょうか。  

新司法試験合格者数の予想

 今年の新司法試験の合格発表は、9月10日である。

 司法試験委員会が、平成21年度の合格者数の目安として発表しているのは2500~2900名である。

 最高裁が、法科大学院出身者の司法修習生考試(いわゆる2回試験)の不合格答案のレベルの低さを指摘して警鐘を鳴らし、日弁連も合格者数を昨年並みに維持すべきであると主張し、修習生の就職難も極めて深刻だ。

 だが、おそらく、それにも関わらず、司法試験委員会は、合格者の目安の範囲内若しくはその近くで合格者数を決定してくるだろうと私は考えている。

 理由は今年3月31日の閣議決定だ。

 http://www.moj.go.jp/SHINGI/SHIHOU/090422-6.pdf

 「司法試験の合格者数の拡大について、法科大学院を含む法曹養成制度の整備状況を見定めながら、現在の目標(平成22年度合格者3000人程度)を確実に達成することを検討するとともに、その後のあるべき法曹人口について、法曹としての質の確保にも配慮しつつ、社会的ニーズへの着実な対応等を十分に勘案して検討を行う。」

 と法曹人口に関する閣議決定の冒頭には書かれている。この資料が司法試験委員会第55回会議で配布されているからだ。

 しかしこの閣議決定は、冒頭から突っ込みどころ満載である。

 政府はいつ法曹養成制度の整備状況を見定めてくれたのだろうか。

 相当昔に定めた目標を、社会の変化も勘案することなく、なんの批判的検討もせずに正しいものとしているのはいかなる根拠に基づくのか。

 合格者3000人の達成した後、社会的ニーズなどを検討するとしているが、何故今すぐ社会的ニーズを検討しないのか。新人弁護士の就職先がないことは、既に社会的ニーズがないことの表れではないのか。

 司法試験合格者増加と、法曹サービスの質の向上がリンクすると考えているようだが、そうだとすれば何故アメリカやドイツのように弁護士があふれかえる国で、法律を徹底的にビジネスの道具にする弁護士が揶揄されているのか。そのような弁護士が増加することが政府の考える法曹サービスの向上なのか。

 だんだん腹が立ってくるのでこの辺にしておくが、わざわざ、今年3月31日の閣議決定で念を押し、その資料を司法試験委員会で配布している以上、司法試験委員会がその閣議決定に面と向かって反することはしないだろう。

 合格レベルを下げてでも、閣議決定にほぼ沿った合格者数に揃えてくると考えられる。

 ただ、その中で、目安の最下限(2500名)に近い合格者しか合格させなかった場合は、司法試験委員会の精一杯の抵抗なのだと考えるべきなのだろう。

 単純に2500名の合格者数だけで考えれば、私は最初の論文試験で(一番最後の方だろうが)合格していたはずだ。その頃の私の法的知識や理解は、当時は自分なりに分かったつもりであったが、今思えば理解は非常に表面的・皮相的で、当時の合格者に比べれば、それこそなんにも解っちゃいないレベルだった。

 これで本当に良いのだろうか?

弁護士大激変!~週刊ダイヤモンド(8月29日号)の記事 その4

 「弁護士非情格差」は、弁護士過剰の一側面を端的に示している記事だ。

 記事の中には円グラフがあり、①週60時間以上もの激務もザラ、②半分以上が取扱事件30件未満、③5人に一人は年収500万円未満とされている。
 ①・②は概ね私の感覚とも一致するが、③はちがう。③では無回答の15.4%を除いているが、所得が少ない弁護士ほど回答しないだろうから、おそらく、3人に一人は年収500万円未満であってもおかしくはない。

 ごく一部に超高額の収入を持つ弁護士がいるため、世間的には弁護士が全体として高額所得者であると勘違いされている面があると思う。例えば、週刊ダイヤモンドの記事の中では大手法律事務所のパートナークラスは10億円超の弁護士がいるように書かれているが、仮に所得10億円の弁護士が一人いたとすると、所得0円の弁護士が99人いても、その平均年収は1000万円となる。所得10億円の弁護士が仮に10人いれば、990人の弁護士が無収入でも、平均年収は1000万円になってしまう。弁護士の平均年収が1000万円であれば、弁護士は一般に金持ちだという発想は誤りであることは明白だ。
 特に最近のノキ弁などの人は大変だろう。

 さらに今後は、司法修習生の給費が貸与制に変更される見込みだ。法科大学院に通うため借金をし、(司法修習生はバイト禁止であるため)司法修習を受けるために借金をする、借金まみれで弁護士になっても、就職すら覚束ない、こんな仕事を優秀な人材が目指すだろうか。

 法曹に優秀な人材が必要なのは、一般の国民の方がいざというときに頼る、最後の手段が司法だからだ。経済力や権力や多数決に左右されず、公平に扱ってもらえ、自らの主張を戦わせることが出来る、権利救済のための最後の場面だからだ。試験の成績優秀者=優秀な弁護士とは必ずしも言えないが、試験の成績が水準に達しない者と優秀な弁護士はもっと結びつかないだろう。

 私自身、優秀な弁護士をめざして努力の過程にあるが、 それでも、修習生に極めて簡単な質問をして答えが返ってこないときには、もっと勉強してないと怖いぞ、と思ってしまう。

 いざという場面で、優秀でない弁護士が多数混じっていたら、一般の国民が司法に救済を求める際にどれだけ困るであろうか。そうなってから、こんな司法に誰がした!と叫んでも遅いのである。

 「法科大学院の蹉跌」は、法科大学院を正面切って批判する記事を殆ど書かないマスコミとしては、よく踏み込んだ方だと思われる記事である。法科大学院はマスコミを利用した広告をよく行うので、おそらくマスコミにとってはいいお客さんであるはずだ。そのお客さんを怒らせるような記事を書くことは商売上得策ではないから、これまでのマスコミの法科大学院に対する、及び腰の報道も理解は出来る。

 しかし、めちゃくちゃな制度設計、現実を見ない見切り発車、状況が変化しても一向に制度変更をしない政府の無軌道ぶり、最高裁も敢えて言及した質の低下など等、問題は山積みである。

 私個人としては、法科大学院卒の方でも、上位の方は決して従来の弁護士に劣ることはないと思う。しかし、合格者の数あわせのため、合格ラインを下げてまで合格させている現状から、全体として勉強不足の方でも合格できる試験になっていることは事実であろう。

 特に、週刊ダイヤモンドの記事を注意深く読まれた方にはお分かりだろうが、現状は恐ろしい。

 【「法科大学院生第1期生、特に社会人出身者には極めて優秀な人間が多かった。」と法科大学院関係者は口を揃える。】と記事には書かれているが、その前のページで、最高裁が「新60期司法修習生考試における不可答案の概要」を公表して「基礎的な事項についての論理的・体系的な理解が不足している(者がいる)」と質の低下に警鐘を鳴らしている事実が書かれている。

 法科大学院第1期生の大半が受験したのが、新60期の司法修習生考試である。

 つまり、法科大学院が最も優秀だと自負する第1期生(未修コース除く)が殆どを占める考試について、最高裁判所が質の低下を示唆する指摘をしているのだ。

 法科大学院の認識=新60期は極めて優秀
 最高裁判所の認識=新60期に基礎的事項の理解不足の者がいる

 このギャップを、法科大学院はどう説明するのだろう。

 さらにいえば、法科大学院によれば第1期生が最も優秀だったのだから、その後は(上位の方はともかく、全体としての)質が低下しつつあるということになる。それにも関わらず、合格者は増加されつつある。

 本当にこれで良いのだろうか。

 司法改革は、弁護士の数あわせではなく、頼れる司法を目指したのではなかったのだろうか。

適正な弁護士人口政策を求める発議~但し中部弁護士連合会

 名古屋の弁護士でいらっしゃる、寺本ますみ先生のブログで知ったのですが、中部弁護士連合会所属の有志の弁護士の先生方が、中部弁護士連合会総会に適正な弁護士人口政策を求める発議を提出される活動を開始されたようです。

 寺本先生のブログ

 http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/

 適正な弁護士人口政策を求める発議(案)

 http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/files/jinkou-hatugisyo.pdf

 中部弁護士会連合会会員対象「司法試験合格者数に関するアンケート」

 http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/files/jinkou-ankeito.pdf

 中部弁護士連合会は、法曹人口問題においてもかなり早期に問題点を指摘するなど、極めて活発な活動をされていたと記憶しています。

 中部弁護士連合会(愛知・岐阜・三重・福井・金沢・富山の各弁護士会)の方々は、是非発議者になっていただき、さらに委任状行使ができない中弁連総会で当該議案に出席・賛成して頂いて、日弁連の執行部が(暴走して)決めた「当面の法曹人口の在り方に関する提言」が、如何に弁護士の多くの意見を無視した独断であったかを明らかにしていただきたいと願っております(当職の2009.3.19付ブログ参照)。

 発議者になっていただける方は、寺本ますみ先生のブログのページから、発議案がダウンロードが出来ます。提出先は、寺本ますみ先生のブログのページをご参照下さい。

 真実から目を背けない勇気と果敢な行動力をお持ちの、中弁連の有志の先生方、応援しております。

 頑張って下さい!!

弁護士大激変!~週刊ダイヤモンド(8月29日号)の記事 その3

 最新の週刊ダイヤモンドが出てしまったようなので、続きを書くのもどうかと思うのだが、「続く」と書いてしまった以上、その責任を取って続きを書く必要があると思う。

 弁護士の使い方入門に関しては、まあまあそんなものかなぁという感じである。分かりやすく法律用語や手続のメリット、デメリットを説明してくれる弁護士の方が良い、「裁判になれば必ず勝つ」「私にまかせなさい」と豪語する弁護士は危険な場合があるというのは全く同感である。

 訴訟などの場合、弁護士一人では戦えない。依頼者と一緒に戦う必要がある。事件を実際に経験したのは依頼者なのだから、依頼者の協力がないと、そもそも事実の確認も出来ないし、主張・反論の組み立てが困難になることも多い。いわば、弁護士と依頼者は二人三脚でゴールを目指すことになる。したがって、この弁護士と二人三脚を組んで大丈夫かという観点で弁護士を捜された方が良いと思う。

 この記事のインタビュー欄に、法律事務所ホームロイヤーズの西田弁護士のインタビュー記事が載っている。西田弁護士は弁護士法72条撤廃を叫んでいる。一読してなるほどと思われる方も多いだろうが、西田弁護士の主張は、私は危険だと思っている。弁護士法72条があるため、国民の権利義務に直結する法律業務から、いい加減な業者などが排除できているのだ。

 極論すれば、弁護士法72条が撤廃されれば、いい加減な処理をして法外な値段をとる示談屋ですら合法ということになり、参入を考える不法勢力も出てくる可能性があるだろう。

 それでは、なぜ西田弁護士が弁護士法72条の撤廃を叫ぶのか。これはあくまで推測であって、私の邪推であれば本当に申し訳のないことなのだが、現在の西田弁護士のビジネスモデルからすると、弁護士法72条が存在しない方が西田弁護士にとって安心だからということではないだろうか。

 インタビュー記事にもあるが、西田弁護士のビジネスモデルは大量のパラリーガル(弁護士のアシスタント)を雇用して膨大な案件を処理していくというものと思われる。弁護士がアシスタントを十分監督できているうちは良いが、大量にパラリーガルを雇用すると弁護士の監督は行き届かなくなる危険が出てくる。その場合、弁護士業務をパラリーガルに丸投げして処理させていると認定されたとしたら、弁護士が弁護士以外の者に法律業務を行わせていることになりかねない。これでは、西田弁護士の懲戒事由にあたる危険がでてくる。もし懲戒で業務停止など受けたら大変だ。

 しかし、72条を撤廃しておけば、どれだけ大量にパラリーガルを雇用して業務を丸投げに近い状況にしていても、西田弁護士のビジネスモデルには少なくとも弁護士法72条違反という法律上の問題は生じない。

 弁護士法72条問題を考える際には、安易に活性化という言葉に踊らされずに、一般の国民にとって、示談屋など訳の分からない法律屋が暗躍する世の中が良いか、少なくともいい加減な処理をする可能性が極めて低い弁護士にまかせる方が良いか、十分に考える必要があると思う。

(続く・・・かも)