法科大学院はバラ色だ!?

 今年の5月11日に行われた中教審法科大学院特別委員会に次のような資料が配付されたようだ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/20/1370787_13.pdf

 題して、「法科大学院とあなたが拓く新しい法律家の未来」という多色刷り豪華パンフレットだ。

 文科省あたりがアンケート調査をしたらしく、そのデータを引用しながら、「多様化する法務博士のキャリア」など、バラ色の未来が描かれている。

 確か、私の事務所にもアンケート調査が来ていたようにも思うが、質問をざっと見たところ、答えようのない質問も多く、また回答を誘導するような選択肢が多かったため、「こんなアンケート、アンケートにもなっとらん、アホらしい!」と思って速攻ゴミ箱に投棄したような記憶がある。

 驚くべきことに、それは真面目なアンケートだったらしく、そのアンケート結果がおそらく引用されているようだ。

 しかも、そのアンケート結果の引用も実に恣意的だ。
 なにより、アンケートの信頼性を推測するために最も大事な回答率が全く記載されていない。回答率を隠し、どういう基準で有効回答数をカウントしたかも不明確というあきれた状況であり、これでは、アンケートを信じろという方がまず無理だ。

ちなみに
①修了生の就業先業種では有効回答数 1274
②修了生の法科大学院教育に対する満足度では有効回答数 1512
③修了生に対する法律事務所の満足度では有効回答数 775
④修了生に対する公的機関の満足度では有効回答数 32
⑤修了生に対する企業の満足度では有効回答数 110
⑥法曹資格を有しない修了生の就業先業種では有効回答数 373
となっている。

 ①に関しては、法科大学院を卒業して就職ができなかった人の存在を無視しているようなので、就職出来た人だけを対象にアンケートをしても卒業生の活躍の場が拡大したとは言えないのではないか。卒業生には卒業しても就職出来なかった人も当然含まれるはずだからである。

 ②に関しては、どちらでもないという回答は少なくとも法科大学院教育に満足はしていないことになるから、それを含めれば、法科大学院教育に満足していない修了生の割合は約45%になる。ところがこのデータに添付されているコメントは「修了生は法科大学院を積極的に評価」となっており、ちょっと偏った評価だと言わざるを得ない。

 ③に関しても、どちらでもないという評価は、少なくとも修了生に対して法律事務所は満足はしていないということだから、それを含めれば、法科大学院修了生に対して満足していない法律事務所の割合は45%にのぼる。また、法律事務所が修了生に期待する能力・資質というデータも載っているが、あくまで期待している能力に過ぎず、それを修了生が備えていると回答したデータではない。期待しても期待はずれということも十分あり得る。しかし、コメントは「紛争解決への基礎的な能力に対する期待が高い」と、修了生が法科大学院教育によって、さもその能力を備えることができているかのような表現に読める。

 特に④・⑤などは、基礎データがあまりにも少なすぎてこのアンケート結果から何かを推論すること自体暴挙といっても良いくらいだ。
それに公的機関ってなんだろう?
 株式会社は中小企業庁によれば100万社以上、東証上場企業に限っても3500社以上あったはずだ。仮に上場企業だけにアンケートを行ったとしても、回答率3%程度だ。残りの97%は無関心なのかもしれないぞ。その点はどう考えているのだろう。

 ⑥についても、就業できなかった人は回答を避ける傾向にあることは明らかだ。それに、法科大学院卒業生のうち法曹資格を取得できなかった人数の方が多いと思われるところ、有効回答数が①の約4分の1にすぎないことも気に掛かる。

 それに「採用者の声」などの記載もあるが、これもバラ色のものばかり。批判的な意見は一切ない。どうして「個人の感想です。就職を保証するものではありません。」と事実を明記しないのだろう。深夜のダイエット食品のTV通販でも、それくらいは明記しているもんだがな。

 とにかく、法科大学院は良いところだ、卒業すれば(司法試験に合格しなくても)上手く行くという、事実を相当歪曲した内容を刷り込もうとする、プロパガンダのためのパンフレットだ。
 こんなお粗末なパンフレットで志願者が増えると考えること自体、大学生や法曹志願者を馬鹿にしているとしか思えない。それに、このパンフレットを鵜呑みにするような「おつむ」では法科大学院経由で法曹界に来ても役に立たないだろう。

 問題は、これの多色刷り豪華パンフレットを作成したのが
文部科学省 高等教育局 専門教育課 専門職大学院室
だということだ。

 つまるところ、税金の投入である。
 これまでさんざん法科大学院には税金が投入されてきているのだが、更に税金を投じようというのだろうか。法科大学院の教授さんは懐が痛むわけではないし、志願者が増えれば自分達は安泰だから、それで良いのか。

 
 本当に法曹という仕事に魅力があるのなら、そして、法科大学院が本当に価値のある教育をしているのなら放っておいても法曹志願者・法科大学院入学希望者は増える。

 子供でも分かることを無視して、税金をもっと使おうとする学者・官僚達のおつむの中身は一体、どうなっているのだろうか。

 春爛漫でタンポポでも咲き乱れているお花畑としか思えないなぁ。

(後記:パンフレットの話しではなく共通到達度試験に関する深い分析は、小林正啓先生のブログをご参照のこと。http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/)

 ちなみに今年の法科大学院入学者は僅か1857名。

 奇しくも昨年の司法試験合格者1850名とほぼ同じである。

やはりまずいと思うな、法科大学院制度

 5月11日に中教審法科大学院特別委員会が公表した、法科大学院志願者・入学者数の推移(H16年度~H28年度)のデータがある。

 法科大学院志願者数(のべ人数)は、
 平成16年度72800名だったのが
 平成28年度 8274名になっている。
 志願者約89%減少。ほぼ9割の減少である。
 ついに、のべ人数でも1万人を切った。

 これは併願している受験生を複人数とカウントする、のべ人数によるデータだから、実際の志願者はもっと少ないことになる。仮に1人が2校受験していたら、志願者数の実数は4137名になるし、1人が3校受験していたら、志願者数の実数は2758名になる。これだけ志願者が減少すれば、法科大学院入試で競争原理が働かなくなるから、優秀な人材を法科大学院入試で選抜することはもはやできていないと言うべきだ。法科大学院だって魔法使いではない。優秀な人材が集まらなければ優秀な人材を輩出することは無理である。幾ら大リーグの監督を連れてきて指導させても草野球のチームでは、優秀な人材を揃えた高校野球のチームに敵うわけがないのである。
 
 一方、司法試験予備試験の出願者は平成28年度12767人。こちらは併願できないので実数と見て良いだろう。

 上記の比較からも分かるように、いくら、法科大学院が自らの教育が素晴らしいと自画自賛しても、司法試験を目指す人からは相手にされていない状況と言えよう。

 実際にも、大手法律事務所では、予備試験合格者に対して(司法試験に合格していない前から)特別な就職説明会を実施しているところもある。もし法科大学院関係者が言うように、法科大学院の教育が素晴らしくかつ実務家に必須のものであるならば、大手法律事務所が法科大学院卒業生を優先して採用するはずだが、現実にはそうなっていない。
 つまり、実務界から見ても、法科大学院の教育は法科大学院関係者が言うほど、実務に役立っていないことが看て取れる。
 また、以前、法科大学院を卒業しても3回の受験制限があったが、その受験制限の理由として、法科大学院側は法科大学院教育の効果が3年程度で消滅するからと説明していたはずだ。わずか3年で消滅するような教育効果しか与えられないのに、高い費用と長い時間をかけて法曹志願者を拘束する必要があるのだろうか。

 そもそも、法科大学院の教授と言っても実務家教員を除いて司法試験に合格している教授はほとんどいないだろうし、実務の経験を持つ学者教員は極めて少ないはずだ。そのような学者教員の方が、理論はともかく実務家を育てることが果たして可能なのだろうか。
 たとえて言うなら、幾ら長年自動車のエンジンの研究をしていて幾ら高度なエンジンに関する理論を構築していても、実際に免許を取得して運転をしていなければ、自動車の運転の仕方は教えられないのと同じなのだ。

 法科大学院は、司法試験合格者数を高止まりさせ合格率を上げるべきだと述べ、法科大学院べったりの日弁連は弁護士の仕事のやりがいをアピールすれば志願者は増えると述べるなど、未だに寝惚けたことを言っているが、そんなことで志願者が回復するはずがない。
 日経新聞も、先日の社説で法曹のやりがいや意義を発信せよなどと、無責任に言っているようだ。

 では聞くが、日経新聞や法科大学院がヘッドハンティングをする際に、「2~3年間高額な費用を払って必死に勉強して頂き、合格率2~3割の試験に合格すれば、1年間研修して頂いた後にさらに修了試験に合格することを条件に職に就けます。この研修期間の生活費は自腹です。職に就けない場合は独立して下さい。ちなみに健康保険は国保です。年金は国民年金です。定年はありませんし自由ですが、収入の保証はありませんし、仕事の安定もありません。潜在的ニーズはあるだろうと学者は言っていますが、同業者が急激に増えすぎて、1人あたりの仕事量と平均所得は減少しています。ただ、仕事にやりがいや意義はあります。」といって、誰が引っかかってくれるのだろうか。

 法曹志願者はバカではない。

 はっきり言えば、法曹志願者を増やすためには、法曹資格の価値を上げるしかない。その資格を取得するに多大な時間と費用と労力をかけても、見合うだけのものにしなければ、志願者は増えない。旧司法試験時代は合格率1%台の年もあったほど難関であったが、志願者は増加していたことからも明らかだ。
 
 優秀な人材が法曹界に入ってくるのであれば予備試験だって構わないと思うが、法科大学院側は、予備試験合格者を制限施せよなどと提言している。このような提言をする法科大学院側に国民のために優秀な法曹を排出するという目的は、もはや見えない。
 法科大学院制度維持が主眼になってしまっているとしか思えない。

 これじゃあ、ダメだよね。

日経新聞の社説「魅力ある法曹を取り戻そう」について

今日の日経新聞に次のような社説が掲載されていた。

(引用開始)

魅力ある法曹を取り戻そう

http://www.nikkei.com/article/DGXKZO02404400X10C16A5EA1000/(ネット版はこちら)

 法と良心に従い、真実を見極める裁判官。社会のため、悪を追及する検察官。

市民の人権を守り、ビジネスの最先端でも活躍する弁護士――。こうした法曹の

世界が、急速に魅力を失いつつある。

 それをはっきり表しているのが、法曹へ進む人材を養成する法科大学院の先

細りだ。今春の志願者数はのべ8274人で初めて1万人を下回った。入学者も

1857人と過去最低を更新した。45校中43校が定員を割り込んでいる。

 このまま法科大学院離れが続けば、法曹界に有為な人材が集まらなくなり、

司法という国の重要なインフラが損なわれてしまう。

 政府は法科大学院の統廃合を軌道に乗せて人材養成システムを再構築し、大

学院全体の教育機能を高める改革を急ぐ必要がある。

 「身近で使いやすい司法」を目指す司法改革の目玉として、法科大学院は

2004年に始まった。法曹需要が増えるという見通しの甘さもあってピーク時には

74校が乱立した。このため、修了者の7~8割が法曹資格を得るとの見込みは外

れ、毎年の司法試験の合格率は2割台に低迷したままだ。

 一方で司法試験の合格者数自体は増えたため、弁護士になっても就職難に陥

るといった事態を招いた。大学院に入っても司法試験に受からない。受かったと

しても就職先がない。それがさらに大学院離れに拍車をかけている。

 それぞれの大学院のレベルアップが急がれる。教育に当たるスタッフを民間

などからも広く集め、魅力ある学びの場とする必要がある。多様な学生を呼び込

むため、地域ごとの配置や社会人学生への対応などを考慮しながら、政府が主導

して対策を加速すべきだ。

 貧困や介護の現場、虐待・ストーカー被害など、法律の目が届いていない分

野はまだある。ビジネスの世界でも、知的財産をめぐる紛争やコンプライアンス

の徹底など、法律家の活躍が期待される機会は多い。政府や弁護士会は、法曹という仕事のやりがいや意義の積極的な発信を求められる。

(引用ここまで。)

 これまで、法科大学院を盲目的に礼賛し、弁護士を増やして競争させればいいと無責任に言ってきた日経新聞もようやく、法曹養成制度の歪みや法科大学院の教育機能向上の必要性、弁護士の就職難について認めるようになってきたという意味で、この社説は感慨深い。

 この社説が述べるとおり、法曹志願者はもはや壊滅的と言って良いほど減少している状況にある。

 この記事によると法科大学院の志願者はのべ人数で8274人だ。法科大学院志願者が1つの法科大学院だけを先願することは少ないだろうから、控えに見積もって1人が2校受験したとしても、実受験者数は4137名だ。仮に1人が3校受験していたとしたら、実受験者数は2758人にまで落ち込む。合格者がどれだけいたのかこの記事からは不明だが、少なくとも入学者数である1857名よりも多く合格させているだろうから、法科大学院の入試はほぼザルといって良いほど選抜機能を失っているといえるだろう。

 そして、仮に法科大学院入学者のうち8割が卒業できるとすると1486名が卒業して司法試験受験資格を得ることになる。そして司法試験合格者は昨年の実数では最終合格者は1850名だ。受験可能な過去に不合格となった受験者もいるだろうが、このまま法科大学院の入学者数と司法試験の合格者数が維持されるとすれば、将来的に司法試験は足切りにあわなければ受けるだけでほぼ合格する試験になりかねないともいえる。
 司法試験合格者を盲目的に維持すれば、司法試験があっても、受験者がいなくなるのだから法曹の素養のあるなしを判断することすらできなくなろう。

 
 次にこの社説は、法曹需要が増えるという見通しの甘さについても触れており、潜在的需要がたくさんあるから掘り起こせと抽象的に繰り返す無責任な従前の日経新聞社説よりは、現実を少しは見るようになっている点では、まだマシになってきたとも言える。

 しかし、「(法科大学院乱立のせいで)終了者の7~8割が法曹資格を得るとの見込みははずれ、毎年の司法試験の合格率は2割台に低迷したままだ。」との記載は、相変わらずミスリーディングな記載である。

 なぜなら、司法試験予備試験合格者は、およそ7~8割以上は法曹資格を得ているはずだからである。すなわち、司法試験予備試験は、法科大学院卒業者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する試験である(司法試験法第5条1項)。とすれば、予備試験には法科大学院卒業者と同等の学識と能力等を有すると司法試験委員会が認めた者しか合格しないはずなのだ。裏を返せば、司法試験委員会が想定している法科大学院卒業者のレベルは、予備試験合格者と同じでなければならない、ということになる。法科大学院が司法試験委員会の想定通りに予備試験合格者レベルまで学生を教育し能力を身に付けさせていたのであれば、司法試験の合格率は7~8割であってもおかしくはない。仮にそうでないとしても、予備試験合格者と法科大学院卒業者の合格率は極めて近似していないとおかしいのだ。

 しかし、現実には、あらゆる法科大学院の司法試験合格率は、予備試験合格者の司法試験合格率に及んでいない。この事実は、法科大学院が司法試験委員会が想定していたあるべき法科大学院卒業者レベルまで学生を教育し切れていないことの裏返しともいえるだろう。
 つまり、法科大学院乱立のせいで司法試験合格率が低いのではなく、法科大学院があるべき卒業者レベルまで教育しきれず、しかも厳格な卒業認定をせずに学生を卒業させてきたから司法試験合格率が低迷しているというべきなのではないか。仮に法科大学院が司法試験委員会が想定するあるべき法科大学院卒業者レベルに達した者しか卒業させていなかったのなら、司法試験の合格率は7~8割になっただろうし、そうでなくても少なくとも予備試験合格者に合格率で水をあけられるという屈辱を受けることはなかっただろう。

 結局この社説は、法科大学院の統廃合を加速させ、法科大学院をレベルアップし多様な人材を呼び込め、ビジネスの世界でも知財やコンプライアンスの徹底など法律家の期待される機会は多いのだからと述べているようだ。

 しかし、日本組織内弁護士協会の社内弁護士数の統計を見ると、2015年6月時点で社内弁護士数の上位20位の会社が抱える社内弁護士数が8名であり、日経新聞はそこに入っていないようだ。仮に20位に入っていたとしても社内弁護士数は8名だけだ。
 日経新聞によれば、コンプライアンスや知財部門に関して大いに法律家が期待されているはずなのに、日経新聞に限って言えばコンプライアンスや知財部門は大いに法律家は期待されていないということなのだろうか。

 それはさておいても、このままで本当に多様な有為の人材が法曹界を目指すのか。司法試験を受験するためには費用と時間がかかる法科大学院に通わねばならず、仮に司法試験に合格しても司法修習中の生活費を自腹でまかなわねばらなず、さらに修習を終えて資格を得ても就職難かもしれない業界に、幾らやりがいを唱えても、一般企業からも引く手あまたの有為の人材が敢えて参入しようとするとは思えない。

 真に有為の人材を法曹界に招く必要があると、本気で日経新聞が考えているのなら、やりがいや意義等という抽象的なお題目ではなく、もっと別の提言ができたはずだ。

 やりがいと意義だけで、本当に優秀な人材が多数集まるのか、経済界の事情に詳しく、ヘッドハンティング等にも詳しい日経新聞なら、その答えは分かっているはずだからである。

映画「つみきのいえ」~加藤久仁生監督 2011.5.24掲載

 1人の老人が、穏やかに暮らしていた。但し、その世界では、水が次第に満ちてくる。老人は、住んでいる部屋が水に浸かりそうになると、上の階を継ぎ足して、しのいでいる。ある日、老人はお気に入りのパイプを水の中に落としてしまう。そのパイプを拾いに潜水服で潜った老人が見たものは・・・・・。

 世界でも数々の賞を取った作品ですので、今さらという人もおられるでしょう。

 わずか十数分の短編アニメーションですが、込められたメッセージは深く広いものだと思います。

 自分の住んでいる世界は、老いるにつれ否応なく狭くなっていく。しかしその世界の奥底には、静かな想い出の世界が広がっている。その世界は、次第に、極めてゆっくりと色あせるかもしれないが、決して失われるものではなく、ずっとそこに在り続けている。そしてそれらは、人が生きていく上でなくてはならないものなのだ。これまで、老人がその人生で積み上げてきては、水に沈んでしまった積み木の家のように。

 ただ、何らかのきっかけがないと、その世界に分け入ることを人は思いつけないのかもしれない。普段の生活で想い出を忘れてしまっているように。

 しかし、きっかけを見つけることは難しいことではない。どんな些細なことであっても、そこから想いをたぐっていく気持ちさえあれば、誰でもその世界に帰ることは出来る。その世界は、もう戻ることが出来ないが故に美しい。

 けれども、その美しい世界にずっと止まることは許されない。潜水服の空気が次第になくなるように、いずれ現実に戻り、そこで生きて行かなければならないのが、人の世の常なのだ。そのような悲しい定めを人は持ちながらも、これまでの想い出に触れることは、人生を豊かにしてくれるものなのだ。ラストシーンの老人のように。

 他にも様々な思いを心に呼び覚ましてくれる映画だと思います。ナレーションなしのバージョンの方が心に響くように感じられますのでお勧めです。

パナマ文書についてボンヤリと思うことなど

 租税回避に関するパナマ文書で、富裕層が戦々恐々としているとの報道があるようだが、仮に租税回避が合法で正しいことなら、堂々としていればいいように思う。慌てふためいているということは後ろめたいことがあるからとしか思えない。

 仮に、日本での売上げや日本の工場での生産等で富を築いたのであるなら、それには日本の社会の安定度や治安の良さも多いに貢献しているはずだ。その社会の安定や治安の良さは国民の税金の負担で賄われている面が大きい。

 そうだとすると、租税回避者は、日本の納税者の負担によって維持されている環境を利用して富を得ながら、自らの懐に多く富が残る租税回避地を利用する形を取っていることになりそうだ。

 詳しく勉強したわけではないので素朴な考えしかできないが、日本の納税者の負担により得られる環境を利用するだけ利用して富を得ながら、日本社会に税金として還元せずに、自らの租税回避をしようというのだから、租税回避者の行動は私の目には、かなり身勝手に写る。

 そもそも、競争至上主義の新自由主義とトリクルダウン理論(簡単にいえば、お金持ちをもっとお金持ちにすれば、どんどんお金を使ってくれるので庶民の方にもしずくが落ちてきて、庶民にもお金が回るという理論~仮説)で、社会が豊かになると竹中平蔵は言っていたような気もするが、結局は経済格差を拡大するだけの結果に終わっている。
 富裕層は、以前よりも更にリッチになったが、その分社会にお金を使ってくれるのではなく、自らをさらに富裕にするため溜め込む方向に向かった。その端的な表れが租税回避なのではないか。
 結局、富裕層を更に富裕にしても、富裕層は自分のことしか考えなかったということなのだろう。

 富裕層だけでは世界は回らない。社会も維持できない。当たり前のことだ。しかし、新自由主義の信奉者や租税回避に走る富裕層にはその当たり前のことが、どこか抜け落ちているような気がしてならない。