我妻榮記念館訪問~その4

 最後に案内して頂いたのは、母屋の2階にある、幼少時の勉強部屋である。

 かなりの急傾斜で、段差も大きい木製の階段(記念館HP、館内案内の写真でも確認できるが、めちゃくちゃ急である)を、恐る恐る上がると、2階の6畳ほどの部屋に入れる。

 そこには、火鉢と小さな木製の机が置かれている。

 この机で高校まで勉強していたと記載された、小さな張り紙がある。

簡素な勉強机。左側に民法講義、右側に雑記帳が置かれている。

我妻民法の精緻な体系から想像するに、我妻少年は、正座して勉強していたにちがいないというのが、私の想像である。

 我妻栄著 民法案内1~私法の道しるべ(勁草書房刊)の附録の記載によると、我妻榮は米沢中学校では5年間主席でとおし、卒業時の成績は平均96.7点という空前のレコードをたたき出していたとのことなので、神童の誉れ高かったのだろう。

 記念館訪問者の感想を記載する雑記帳も置かれており、我妻先生が使用していた机を使って、その雑記帳に記載することができる。

 子供の頃とはいえ、大学者が実際に勉強していた同じ机で、雑駁な感想を書くのは申し訳ない気がして、つい、正座して記載したように思う。

 私が簡単な感想を雑記帳に記載していると、管理人の手塚さんが、米沢市の大火のことを話してくれた。多くの家屋が焼け落ちる中、我妻先生の生家は、教え子や多くの方のバケツリレーなどの協力で奇跡的に焼失を免れたそうだ。

 すぐ近くには、やはり民法学者遠藤浩先生(学習院大学名誉教授、ダットサン民法の改訂も手がけている。)の生家もあったそうだが、そちらは火事で焼けてしまったとも聞いた。

 概ね、以上の展示が、全て無料で見ることができる。それでも入館者数は年間500人に満たない年が殆どのようだ。記念館だよりによると、入館者数は令和元年度364名、令和2年度252名、令和3年度163名となっている。新型コロナウイルスの影響もあるだろうが、もっと来館者がいても良いはずの施設だと痛感した。

 

 何度か書いたが、現状においても管理や保存に尽力されていることは良く分かるものの、相当貴重な資料もあるように思えたので、政府や自治体などが費用を出して、これらの貴重な資料を、より適切に保管する方法を考えるべきではないかと感じた。

 帰り際に、玄関付近で色紙・クリアファイル・講演集・記念館発行の「我妻榮先生」と題した小冊子を記念に購入した。

 今年は、我妻榮先生没後50年という節目の年であり、命日の10月21日をはさんで記念式典が行われるとのことである。私に訪問のきっかけを与えて下さった、勁草書房の竹田康夫さん、管理人の手塚さんも出席されるのだろう。

 式典の成功を祈念して、訪問記を終えようと思う。

丁寧に、ときには面白く解説・案内して下さった管理人の手塚さん。

我妻榮記念館訪問~その3

 つぎに、土蔵2階の展示室に案内して頂く。

 土蔵2階展示室は、身の回り品、講演のレジュメ、メモ類、図書整理箱にはいった判例カードなどが展示されている。

 展示されているギブスについて、管理人の手塚さんのお話によると、我妻先生は左足首の関節炎のためギブスを装着しておられたそうで、どうやら結核菌による関節炎だったらしいとのこと。

 図書整理箱には、判例メモ(の原本)がぎっしりと詰まっており、そのうちのいくつかがコピーされて、整理箱の上に置かれている。判例研究会で、各判例をメモ化して検討していたことが分かる。判例メモのコピーをざっと見ると、担当者であると思われる「平井」「四宮」「戒能」との記載があり、それぞれ筆跡が違う。

 おそらく「平井宜雄」「四宮和夫」「戒能通孝」らの大学者達が、我妻先生の判例研究会に参加していたのだろう。

 私も40年近く前、京都大学法学部で指導して頂いていた中森喜彦先生(現:京都大学名誉教授)の研究室で、似たような判例研究用カードを見たような記憶がある。

 今でこそ、判例の研究は判例誌や判例検索ソフトのおかげで簡単にできるが、そのような文明の利器がなかった時代には、人の手で事案や判断などをメモ化して整理する必要があったのだ。教科書に引用されている判例・裁判例も、一見簡単に引用されているように見えるが、実は、このように手間暇かけて整理された裁判例の中から選ばれたものなのだろう。

 手塚さんが開いて見せてくれた図書整理箱内の判例カード原本。箱の上には判例カードのコピーがいくつか載せられている。

判例カードコピー。よく見ると、手前3枚に右から平井・四宮・戒能の記載が右上になされているのが見える。

 どういうわけか、最近団藤メモで有名になった団藤重光先生の東大時代のノートの写しも、ファイルにとじられて保管されており、見せてもらえた。

ノートの表面に筆書きで科目や名前が書かれており重厚な印象を受けるノート(写し)。

おそらく万年筆で記載されたノート(写し)。その緻密さに驚くばかりである。

 私は司法試験受験時代に、民法総則で四宮和夫先生の教科書を中心に勉強し、不法行為に関して平井先生の教科書を参考にしたことがある上、刑法では大塚説になじめず団藤説を中心にしていた。

 司法試験受験時代には、教科書の活字でしか知りえなかった学者の先生達が、それぞれ活字や学説ではなく、人として、生き生きと感じられるのがとても懐かしく嬉しかった。

 ただ、判例カード等、資料の原本類については、やはり保管方法を考える必要があるのではないかと思った。もちろん費用の問題もあるのだろうが、除湿機程度の管理では、いずれ傷んで、失われてしまう危険性が高いのではないか。貴重な文化的遺産として国家の費用で大学図書館などでの原本保管・レプリカ作成等も考えても良いのではないだろうか。

(続く)

我妻榮記念館訪問~その2

 記念館は、一見すると2階建ての古い民家である。建物の前には、自動車が4台ほど駐車できるスペースがある。

 入館料は無料であり、当然駐車料も無料である。

 私が記念館に着いたのは、開館時間13時の少し前である、12:50頃だった。既に玄関の扉が開いていたことから、「ごめんください」と声をかけてみると、女性の事務員のような方が出てこられて、「管理人は、もうすこしで来ますので、どうぞお上がりください」と会館時間前に入れて頂くことが出来た。

 履を下駄箱に入れて家(記念館)に上がると、女性の方は、茶の間のを通って、八畳ほどの床(とこ)のある上段の間に案内してくれ、「管理人が来るまで、よろしければ、御覧になってください」と言って、我妻先生の生涯や業績に関するビデオを見せてくれた。山形県郷土学習ビデオ教材として、山形テレビが制作した「法律学者 我妻榮」という番組で、テレビの左下に「鑑賞希望の方はお申し出ください。」と書かれた表示がある。

 もし興味を持って記念館を訪問されるかたがいるなら、このビデオを見せてもらった方が、より我妻先生を身近に感じることができるし、展示されている資料の貴重さも理解しやすいと思う。

(茶の間から上段の間を撮影。女性の方がビデオをつけようとしてくれている。来館者の記帳をするノートが机の上に置かれている。右側には、これまで発行された記念館だよりがラックに入れられていた。)

 ビデオ拝観途中に、管理人の手塚さんが来られた。簡単なご挨拶のあと、「ビデオが終わったらご案内しますね。」と言って下さる。

 わざわざ、管理人の方にご案内して頂けるとは思っていなかったので、これは、いつものことなのか、ラッキーなのか、訪問についてメールで問い合わせをしていたからなのか、ひょっとしたら竹田康夫さんが連絡して下さったのかもしれない等の思いが、一瞬浮かぶ。

 ビデオは非常に分かりやすい作りだったので、中高生でも我妻先生の凄さの大まかな点はつかめるのではないだろうか。

 ビデオが終わると、管理人の手塚さんが、「どうぞ、こちらへ」と、案内してくれた。

 まずは、資料を展示している土蔵の方へ向かう。

 分厚い扉が観音開きになった土蔵には、母屋から直接入ることができる。私の勝手なイメージでは、蔵は居住家屋と別棟で建っていることが多い。大学受験浪人時代、私が間借りしていた京都の古い町家の蔵も、小さな中庭の中に別棟で立っていたため、これは、記念館とするために別棟だった土蔵を母屋から直接行き来できるように改築したのではないかと推察する。(ちなみに、浪人時代に私の間借りしていた部屋は、エアコンはもちろん外につながる窓がなかったため、夏場の京都の酷暑はどうしようもないくらいきつかった。家主のおばあさんが台所で干物を焼くとその煙が立ちこめたし、隣の部屋を間借りしていた浪人生が、トイレに行ったり外出する際には、必ず私の借りた部屋を通らなくてはならず、プライバシーも0に近かった。)

 手塚さんの案内で、土蔵1階にはいる。

(土蔵1階展示室) 

 写真のとおり、天井は低い。中央に東大法学部部長時代に愛用された机がおかれている。東大法学部長とはいえ、簡素な机であり、もっと広い方が研究しやすかったのではないかと勝手に思ってしまう。

 机の上には、洋行時の手紙等の原本がファイルに入れられて展示されている。洋行時の状況等について、手塚さんが簡潔に、ときには面白く解説してくれるので、分かりやすい。

 硝子ケースには、著書とその原稿が並べて保管されている。日本民法界に大きな影響を与えた、民法講義の原稿も展示されている。フェリーの時間が迫っていなければもっとゆっくり見ることもできたと思うのだが、短時間で切り上げなければならなかったのが少し残念であった。

 除湿機は作動し硝子ケースに入っていたものの、それ以上の保管に費用を費やしている様子が窺えず、無造作に原稿の原本が置かれているように見えたので、これらの資料について電子データ化して保存されているのか、本来なら原本を厳重に管理して、レプリカで展示するべきではないのか、と少し不安に思った。

(続く)

 

「怪盗クイーンシリーズ」講談社青い鳥文庫~はやみねかおる作

 怪盗クイーンシリーズは、はやみねかおる氏の、怪盗クイーンを主人公にした連作シリーズである。
 講談社青い鳥文庫で、2002年から連作が開始され、現在青い鳥文庫で14冊、単行本で1冊発刊されている。
 対象年齢は「小学上級から」、とされており、全ての漢字にルビが振られているので漢字が苦手な小学生でも十分読める内容である。

 作者の、はやみねかおる氏は、著者紹介によれば、「1964年、三重県に生まれる。三重大学教育学部を卒業し小学校の教師となり、クラスの本嫌いの子どもたちを夢中にさせる本をさがすうちに、みずから書きはじめる。」との記載がある。

 確かに、子どもたちを夢中にさせる楽しさがあふれており、私も子どもの頃にこのようなシリーズがあれば夢中になって読んだであろうと思われる。

 私のような現在中年後期の人間にとっては、小学上級以上が対象とされる怪盗クイーンシリーズと言われても、ちょっと対象からズレすぎていて、楽しめないのではないか、との御指摘もあるだろう。

 ところが、そうでもないのだ。

 作者のはやみねかおる氏が、私と年代的に近いこともあってか、はやみね氏がストーリーの各所に何気ない記載の中に散りばめているエピソードが、結構笑えるのである。

 シリーズ第一作目「怪盗クイーンはサーカスがお好き」の、冒頭第一部第1章に「カモメのジョナサン」を彷彿とさせる記述が出てくる。他にもテレビショッピングの先駆けとも言われた健康器具「スタイリー」のCM(1975年頃)を窺わせる発言や、「8時だよ!全員集合」でドリフターズがやっていたコントを下敷きにした記載なども見られる。

 さらに、私と同年代の方であれば、
♪~いとうにいくなら、ハ・ト・ヤ、でんわは4126(よいふろ)~♪
というCMソングで大々的に宣伝していた、伊東温泉ハトヤホテルのTVCMをご存じの方も多いだろう。シリーズ第二作目「怪盗クイーンの優雅な休暇」にはこのCMを下敷きにした記載が出てきたりする。映画「ローマの休日」のラストシーンに近い記載も出てくる。

 シリーズ中には、仮面の忍者赤影、仮面ライダー、宇宙戦艦ヤマトなど昭和世代のおっさんが夢中になったTV番組や漫画を窺わせる記載も出てきたように記憶する。多分はやみね氏は、かなりTV・映画・漫画を見ておられたのではないだろうか。

 このような、ちょっとしたお楽しみが、私のような昭和世代のおっさんにはたまらなく懐かしく、面白くも感じられるのだ。

 もちろん本編のストーリーも十分楽しめる。

 大人になると、面と向かって言いにくくなる大事なことも、さらっと書かれていることもあり、子どもたちの心の中に、より良い世界への種を播いているような記載もある。
 得てしてそのような内容は大人から言われれば、子どもには押しつけがましく聞こえてしまうものだが、それが押しつけがましくなく、なるほどと自然に思わせる書き方をしているのが、はやみね氏の上手いところである。

 もしかしたら、はやみね氏は、子ども向けを装って、疲れ切っているおっさん世代の心にも、若い頃に誰もが抱いていた希望の灯を、もう一度ともそうとしているのではないかとも感じられるのである。

 どうせ小学上級以上が対象なんだろと馬鹿にせず、大人の方も、このシリーズを一読されることをお勧めしたい。

講談社青い鳥文庫

「深海の使者」 吉村 昭 著

私は、以前のブログ記事に次のように書いた。

『何を隠そう、S弁護士は潜水艦が好きである。古くはヴェルヌの小説「海底2万里」、小さい頃に父親と見た映画「眼下の敵」では、ドイツ軍Uボートとアメリカ駆逐艦の死闘に胸を躍らせ、トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」、福井晴敏の「終戦のローレライ」などの潜水艦小説を読み、かわぐちかいじの漫画「沈黙の艦隊」を全巻大人買いした経歴からすれば、原潜に乗れるなんてテンション上がることこの上ない。』(アーカイブス。S弁護士シリーズ、日中韓FTAシンポジウム旅日記~その9参照)

その後、私はチンタオの中国海軍博物館で、攻撃型原潜長征一号に、追加料金を支払って見学乗船することになるのだが、ミリオタではないので、誤解されぬよう。

 さて、先日読んだ吉村昭の「深海の使者」は、太平洋戦争中、同盟国ドイツとの連絡路を求めて、日本軍潜水艦が大西洋に数次にわたって潜入した、苦闘を描いた作品である。レーダー等の最新技術を日本が求める一方、ドイツが南方資源を求めていたことなども描かれている。

吉村昭の小説は、実に淡々と記述が進む。

登場人物の感情を表す表現が、通常の小説に比べて、極端に少なく感じる。

しかし、その記述の裏には、綿密な取材に裏打ちされた、潜水艦乗り達の決死の、全力を尽くしての苦闘ぶりが透けて見えるのだ。

淡々とした記載が続くだけに、逆に、なお、実際の苦闘ぶりが想像され、胸が苦しくなる場面も多くあった。

戦艦や航空母艦のような華々しい活躍ではない。

しかし、日本のために死力を尽くして戦った人たちに向けられた小説である。

機会があれば手に取って頂きたい。

(文春文庫 740円+税)

「陽だまりの彼女」  越谷オサム著 

 仕事で訪れた他社で中学時代の幼なじみに、偶然再会した「僕」。彼女は、素敵な女性に成長していた。僕たちの関係はトントン拍子に進み、彼女の押しもあって、あっという間に結婚まで。
 しかし、彼女には何か秘密があるようで、僕には腑に落ちないことが。

 また、些細なことから僕に忍び寄る、喪失への不安。
 その彼女に秘められていた秘密とは・・・・?

(以下の文章を読む前に、まず原作をお読みになることをお勧めします。)

 冒頭から始まる話において、「まあ、幼なじみと大きくなってから偶然再会して恋に落ちるというパターンは、使い古された手法だし、だからなに?」という、ある程度冷めた目で読み始めた。非常に読みやすい文章であり、しばらく読み進めば、私と同じで、おそらくどなたも、主人公とヒロインの話に微妙なズレが生じていることに気付かれるはずだ。

 そのかすかなズレに、かすかな違和感を感じつつ読み進めると、それらは、ラスト30ページでの展開に直結する伏線であったことが分かる。

 「鮮やかだ」と、私には思えた。

 途中の大甘べたべたの展開に少し辟易するかもしれないが、よくよく考えれば誰だって若い時の恋愛ってのは、周りも見えておらず、そんなものでもあったはず。
 是非、先入観なしに、読んで頂きたい。

 まだお読みでない方のために、内容に触れることは可能な限り避けるが、著者の張った伏線は、そう深いものではない。だから、最初からミステリーの要素があるかもしれない、という予断を持って読めば、オチは分かってしまうだろう。

 しかし、べた甘な恋愛模様の中に巧妙に張られているので、普通に読めば、看破しにくい。

 どんなに相思相愛の関係であったとしてもおとぎ話のように「2人は、いつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」ということは現実にはあり得ない。仮に2人の関係が壊れなくても、人はいずれ死すべき存在でもあるからだ。

 だから、いかなる恋愛関係についても、心の奥底で、微妙なズレや喪失への不安については、誰もが意識的にか無意識的にかは別として、本能的に感じていることでもあるはずだ。

 その恋愛関係(人間関係)に不可避な不安感に絡めて伏線が張られているため、さっと読んでしまえば伏線に気付かず、ラストで、「ああそういうことだったのか」と、唸らされることになる。

 私は、恋愛小説だろうと高をくくっていたため、著者の策略にまんまと嵌ってしまい、だからこそ「ちょっと強引だけど、鮮やかだ、正直いって、やられちゃったな」との感想を抱いた。

 私の勝手な想像だが、ラスト30ページの「僕」の彷徨の描写から考えて、著者には、それこそ本気で恋をし、その恋が成就することもなく、今でも忘れられない、ファムファタール的存在の女性がいたのかもしれない、と感じた。

The Beach Boys の Wouldnt it be nice  を、きっと聞きたくなるはず。

 文庫の帯に「女子が男子に読んで欲しい恋愛小説№1」と、こっぱずかしいコピーが書かれているが、めげずに一読されることをお勧めする。

 新潮文庫514円(税別)