準備書面に認否はいらない?!

 数年前、登録4~5年目くらいの、ある若手弁護士が原告側、私が被告側で訴訟で戦うことになった際の話である。

 その、若手弁護士さんがこちらの準備書面の主張に対して、何ら認否せずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけを反論するという書面ばかり出してくることがあった。

 ちょっと話がそれるが、その若手弁護士さんの準備書面は、法的な主張や、証拠に基づいた主張をほとんどしないくせに、原告・被告間の個人的な問題などを執拗に攻撃し、こちらの準備書面のごく一部分だけを取り上げて、「被告の主張は失当である」と連呼する書面でもあり、読むのがストレスになる書面だった。
 ちなみに、訴状でも、法定果実であるにも関わらず日割り計算をせずに請求してきていた箇所があったので、第1回期日で、私から、「これは法定果実だから日割り計算に訂正して下さい」とお願いしたところ、黙り込んでしまい、「後で確認してから書面で出します」といって、3ヶ月後くらいの次々回期日でようやく訂正してくる始末だった。

 まさか大学2年生でも知っている、天然果実と法定果実の取得規定を知らなかったとまでは思いたくないが、それはさておき、こちらの準備書面に対して、認否もせずに、自分の主張したいことだけ、反論したい部分だけ記載し、裏付け証拠もほぼ皆無の準備書面ばかり出されても、双方の対立点、真の争点も明確にならず、訴訟が前に進まない。

 ただでさえ、原告側は請求側だから、訴訟を早く進行させたい側であることが多いだろうに、原告代理人がそのような行動を取る意味が、私には全く理解できなかった。

 期日において、口頭で認否するよう促しても一向にその若手弁護士は改めないので、止むをえず、私は準備書面で、「原告は、被告の主張・立証に対して、きちんと認否した上で反論されたい。」と明記して出した。

 すると、その弁護士は、次の準備書面で、このように記載してきたのである。

「認否は答弁書に対してだけすればよいのであって、準備書面に対しては、認否する必要はない。」
 

 裁判所に提出する準備書面で、ここまで自信たっぷりに「準備書面に対して認否をする必要がない。」と記載されたので、逆に、私の方が、「私が間違っているのか?!」、「いまの司法研修所教育はそうなっているのか?!」と、わずかな不安を感じてしまうくらいだった。

 念のため書いておくが、司法研修所編7訂版「民事弁護の手引」には、準備書面の要素の欄には、民訴規則を引用するなどして
 準備書面の要素として
 ① 攻撃又は防御の方法の記載
 ② 相手方の請求及び攻撃又は防御の方法(161条2項1号)に対する陳述
 ③ 証拠の引用、証拠抗弁、証拠弁論、引用文書
 があげられており、

「攻撃または防御の方法に対する陳述とは、相手方の主張する個々の攻撃又は防御の方法、すなわち、請求を理由づける事実、抗弁、再抗弁、等として主張された事実に対する認否の陳述をいう」

 と明記されている。
 
 

 別に私は(勝訴的和解もできたし)、この弁護士を非難したいわけではない。

 先だって、内田貴東大名誉教授が、「弁護士資格を持つことは(中略)競争する資格を得たにすぎないんだという発想の転換もしなければいけないでしょう。」と弁護士ドットコムのインタビューで述べていたことに反論したいのだ。

 おそらく、内田氏の述べる「競争する」ということは、競争することにより、良い弁護士が生き残るという理想的な競争状態を念頭に置いているものと思われる。
「悪貨は良貨を駆逐する」競争状態では、司法は衰退するばかりだろうから、さすがに民法で名をなした東大名誉教授であれば、そのような競争状態が良いとは主張しないだろうと推測するからである。

 仮に内田氏が念頭に置いているような理想的な競争状態が、弁護士業界において可能ならば、私の戦った若手弁護士さんは、民法の基礎的条文、民事訴訟の基礎すら把握できていないのだから、当然淘汰の対象にされていなければならないはずであろう。
 しかし現実にはそうはなっていない。

 以前から、「弁護士も競争しろ」とマスコミも学者も主張するが、弁護士業界において、良い仕事をする弁護士が必ず生き残るという理想的な競争状態は、私に言わせればあり得ない。

 理由は簡単だ。

 依頼者(顧客)に、弁護士の仕事の質が判断できる能力がほとんど無いからである。香水のコンクールで、審査員が嗅覚が効かない人ばかりだとしたら、本当に優れた香水が優勝するとは限らないのと同じである。


 依頼者(原告)からすれば、何ら法的主張を具体的にしておらず、訴訟では実質的に意味のない書面であっても、被告をなじる内容が記載されていれば、被告に対する不満が裁判所に伝えられたと感じて、良い仕事をしてくれる弁護士だと判断してしまう場合も往々にしてあるのだ。
 
 確かに内田氏や大企業であれば、弁護士の良し悪しも判断可能であろう。
 しかし、大多数の国民は、内田氏のような弁護士の能力を判断する術を持たないのである。

 その状況下で、どんどん資格を与えて競争しろとは、あまりにも現実無視の無責任な発言としか思えない。

 

 それなら、医師についても同様に言ってみたらどうだ。

 医師も資格に甘えるな。
 医師資格は競争する資格を得たに過ぎない。
 医師になりたい人には、医学部卒でなくても、どんどん医師資格を与えて競争させれば、良い医師が残るはずだ。競争過程で医療過誤などで犠牲になった人がいても、それは仕方がない。その医師を選んだ人の自己責任だ。

 例えていうならこういう内容になるだろう。

 

 このような社会が正しいとは、私には到底思えないが。

(多分)夜のボーツェン駅、20年ほど前。