大阪弁護士会会長選挙(その2)

 当ブログを、お読み頂いている方の中に、それだけ弁護士会や日弁連執行部に問題があると文句ばかり言うのであれば、自分で行動したらいいじゃないかと、思われる方もおられると思います。確かに、仰るとおりです。しかし、なんとなく上に文句を言いにくい土壌があるようで、不満はみんな抱いていても、私のようにずけずけ文句を言う人間は未だ少数派です。10年前なら日弁連会長に、私達の出したような挑戦的な質問状を提出することは、ほとんど考えにくかったのではないでしょうか。

 でも、私達イデア綜合法律事務所は、実は行動を起こしかけてはいたのです。

 今回の大阪弁護士会の会長選挙についても、当初、3候補予定者はいずれも法曹人口増員に反対を明確にしておらず、「増員につき検証」のレベルと私達には受け取れました。当事務所ではあまりに危機感のない候補者達にあきれ、密かに当事務所で候補者を擁立する準備をしていました。現実に大阪弁護士会に選挙関連書類をもらい、候補者マニュフェスト作成をはじめるところまで計画は進行していました。

 ちなみに、選挙関連書類は候補予定者3名とされていたので、弁護士会には3+予備1の合計4セットしか準備されていなかったとのことです。このことからだけでも、弁護士会の会長選挙がいかに事前から仕組まれた、内向きの選挙であるかがお分かりになると思います。

 ただ、某候補者と直接話したところ、その候補者が明確に反対を打ち出す、その具体策を公約に掲げる旨を明言したため、結局、当事務所の候補者擁立は見送りとなりました。

 その後、その候補者の公約は刊行物においては私達に約束した内容より大幅に後退したものになり、ちょっとだまされたような気もしています。しかし、当該候補者が増員反対を明確に打ち出すという噂が流れたためかどうかは不明ですが、結果的には全候補者が増員反対を相当程度明確に言い始めたので、少なくとも何もしないよりはよかったのではないかと思っています。

 全候補が、増員反対の旗印を掲げはじめたのであれば、あとは、いかに真剣に司法改悪に立ち向かってくれるのか、その具体的政策は何なのか、が問題です。情実に流されず、真剣に候補者の言い分に耳を傾けて慎重に選ぶ必要があります。 私も検討中です。

 増員反対を言う以上は、大阪弁護士会で増員反対決議を最低でも提案して決議に持ち込む必要があるでしょうし、大阪だけではなく近弁連・日弁連にも具体的に働きかけることは必須です。最低でもこれができないのであれば、増員反対を公約に入れるのは詐欺でしょう。

 真剣に頑張って下さる方が当選されることを祈るばかりです。

独立せよ!

 私が好きな漫画の一つに、かわぐちかいじさんの、「沈黙の艦隊」という長編漫画があります。

 連載期間が8年以上にもわたったという大部でありかつ骨太の漫画で、これはもう是非読んでいただきたい(特に男性に読んでいただきたい)漫画だと勝手に思っています。

 主人公は天才的操鑑技術を持つ海江田四郎という人物ですが、最終盤で彼は凶弾により倒され、脳死状態に陥ります。

 その彼が、盟友に残した最後の手紙の中に記されていたのが「独立せよ!」という言葉です。彼の最後の武器は言葉でした。より正確に言えば言葉が呼び覚ます、人間の中に眠る(眠らされている)善意や強さだったのだと思います。

 人は必ずと言っていいほど、何かに縛られています。誰が何に縛られているのか分かりません。自分でも縛られていることを意識できていない場合すらあるでしょう。

 しかし、本当に真剣に、真剣に考えた末に、やはり正しいと心の底から思えるのであれば、その縛られていることから独立して歩き出さなければならないときがあるのかもしれません。

 今、弁護士会・日弁連はその舵取り役を選ぶ選挙の真っ最中です。長年の悪癖で、選挙は情実選挙の典型です。A弁護士が頭の上がらないのはB弁護士だから、B弁護士からA弁護士を説得してしまえとか、C弁護士はD弁護士に雇われているから、D弁護士に命令させればいいとか、およそ正しいとは思えないことが横行しています。

 権力から独立していなければならないはずの弁護士が、場合によれば人権のために権力と真っ向から戦わなければならないかもしれない弁護士が、その未来の方針を選ぶときに、情実にとらわれていて良いのでしょうか。 情実で牙を抜かれて良いのでしょうか。例え、情実にがんじがらめにされた状態でも、本当に正しいことを見極め、正しければ胸を張って進むべきなのではないでしょうか。

 こういうときだからこそ、私には、海江田四郎の「独立せよ!」という言葉が重く感じられます。

弁護士の仕事は楽なのか?

 よく中学校で、職業に関する講話をすることがありますが、その際に、「弁護士って聞いたらどんなイメージ?」ということを、聞きます。

 「頭が良い」、「堅そう」、「面白くなさそう」、「お金持ち」等と並んでときどき上位に来るのが「楽して儲かりそう」というイメージです。はたして、本当なのでしょうか。

 確かに、テレビドラマに出てくる弁護士は、そこそこ格好良い事務所で、ぴしっとスーツを着込み、儲かっていそうです。しかも、真犯人を捜して、えん罪を晴らすためと言いながら、なぜか、温泉旅館などに行き、露天風呂につかりながら、「犯人はあいつしかいない!」なんて、のんびり犯人を推理したりするのですから、中学生が楽な仕事だと思っても不思議ではありません。

 しかし実際には、ヤクザまがいのヤミ金と大声で渡り合ったり、少年事件の被害者に謝りに行って3時間以上も正座して相手のめちゃくちゃな文句を聞かされ続けたり、破産申立のために午前4時まで倉庫の中で何台もある動かない自動車の鍵と車検証をほこりまみれで探しまわったり、寒風吹きすさぶなかで何時間もリース物件の引き上げに立ち会ったり、法律相談で精神的に弱っておられる方の意味不明な相談に応じたり等、決して格好の良い仕事ではない気がします。

 また、訴訟においても、ストレスを依頼者の方と共有し時には肩代わりしながら、進行させていくものですから、他人のストレスまで背負い込む仕事でもあります。誰だって、他人とケンカしたくはないですよね。それを法廷で争う(ケンカする)のですから、それだけでもストレスは十分かかります。ベッドに入っても、あの事件はどうしようかと考え出すと眠れなくなることもしばしばです。

 しかも訴訟は一つ一つが違いますし、相手の主張も違いますから、ほとんどの訴訟がオーダーメイドの書面をつくって戦わなければなりません。あらかじめ準備しておいてそれを出せば足りるというものではないのですね。

 私は司法試験受験時代に何度か円形脱毛症になりましたが、1年くらい前に髭にできた円形脱毛症がまだ治っていません(ヒゲにも円形脱毛症がおきるんです、なんだか笑えますね。)。 私は今、大体8:25くらいに家を出て、帰宅するのは大体22:00~23:00が多いですね。知り合いの弁護士などにはほとんど午前様という方もおられます。

 実は私も、弁護士になるまで弁護士の仕事の実態を知りませんでした。おそらく、司法試験に合格した方でも、分かっておられる方はごく少数だと思います。

 弁護士の仕事を一言で言うことは難しいのですが、「世の中のどぶさらいをしているような仕事」と言えば、半分くらいの弁護士は頷いてくれるのではないでしょうか。

 ただし、誰かがしなければならない仕事ですし、その仕事によって助かったと感謝してくれる方もおられます。弁護士は誰しも、そういう方がいて下さるので続けていけるのだと思っています。

帰らぬ君へ

 私の担当した少年事件で、試験観察になった少年が現在、行方がしれません。

 せっかくチャンスをもらったのに、またつまずいてしまったようです。一度で立ち直る少年よりも、再度つまずく少年の方が心に持った傷が深いことが多いのです。

 でも、人間は誰でもつまずきます。つまずいてもケガしても、痛みが治まるまで待ってゆっくり立ち上がって、また歩き出せばいいのです。いま、君の先を歩いているように見える人でも実は、そんなに遠くまで離れてしまっているわけではありません。ゆっくりでも歩き続けていれば、いずれ追いつけます。

 きっと、君はつまずいたことを気に病んで、遅れを取り戻さなければと無理をして走り出そうとしてしまったのでしょう。

 もう少し、ゆっくりでいい、走らなくていい、あれだけ力を振り絞って立ち上がったんだから、息を整えてからでいい。 また転んでしまったのなら、泣いてもいい、休んでもいい、泣き疲れてからでも良いから、ゆっくりと立ち上がることを考えればいい。

 今日、私の自宅のある京都では雪が降っていました。昨日も帰りの電車から見ましたが、おそらく今夜の月も寒さに冴えて、美しいことでしょう。 同じ空の下にいる君も見てくれるなら、嬉しい。

 まだ帰らぬ君へ。寒くはないですか。みんな君を心配しています。

恥を知れ!

 毎日放送で、弁護士の就職難が取り上げられていました。

 頑張って弁護士になった方が就職がなく、仕方なく、いきなり独立しておられる状況を紹介していました。彼は、事務員も雇わず自分一人で事務所を運営し、毎月25万円の売上を上げますが、経費を差し引くと毎月20万円の赤字だそうです。生活を切りつめ、貯金を取り崩し、両親に援助を願ってなんとか、弁護士稼業を続けている様子でした。非常に危険な状態です。経済的にも仕事的にもです。仕事面で言えば、いきなり独立する弁護士は、医師に例えれば研修医期間を経ずに、いきなり第一線で手術をやることに近いといっても言い過ぎではないでしょう。

 つまり、何度も言ってきましたが、完全に弁護士需要がだぶついているのです。しかも、昨年就職活動中であった新・旧60期の修習生ですらこの有様なのですから、次の61期の就職は極めて困難を極める方が続出するでしょう。大阪弁護士会の就職相談では、50人程度の募集に、320人が参加するという異常事態になっています。今直ちに、増員を停止しても、今までのスピードで弁護士のだぶつき状態は進行し続けます。

 それにも関わらず、放送中に日弁連副会長は「ニーズの調査を今やっているところだ」などと、完全に寝ぼけたことを言っています。すでに、日弁連の行った企業へのアンケートで弁護士のニーズがないことは明らかになっています(昨年11月28日のブログをご参照下さい)。

 日弁連執行部は自分たちで行ったアンケート結果すら隠ぺいして、問題を先送りしているとしか思えません。おそらくもう少しで任期が終わるので、何とか任期中に問題を明らかにしたくないのでしょう。なんて情けない執行部なのでしょうか。

「恥を知れ!」

共通一次の想い出~その2

(1月21日のブログの続きです。)

3人の悪ガキは、哀れなF君に、今からUさんに告白した方が良いと言い出したのです。
当然F君は拒否します。

これまで片思いでほとんど話したこともないUさんです。それに今と違って20年以上前ですから、高校生といえども非常に純朴でした。普通の高校生活でも異性に告白・交際なんて、とても考えられなかった時代です。しかも明日は大事な共通一次なのです。

 しかし、3人の悪ガキは止まりません。
「今言わんかったら何時言うねん」
「この試験終わったら、学校へもう来んかもしれへんぞ」
「今やったら間違いなく一人やし、大丈夫、俺らがついとる」
などと、何が大丈夫か分からないのですが、とにかく3人はF君をたきつけたのです。

 すると不思議なことに、F君もだんだんその気になってきた様子です。
電話が備え付けてある机の前の椅子に座ってみたりし始めました。しかし座っては「やっぱりやめとくわ」と言って電話から離れるのです。

 しかし、獲物を目前とした3人の悪ガキはもう止まりません。
「これが最後になってもええんか?あんな可愛い娘やのに。」
「おまえなぁ、ここで言わんかったら一生後悔するで。」
「ホンマ大丈夫やから。俺が保証するから。」
と、何を保証するのかさっぱり分かりませんが、しきりに、F君を勇気づけたりすかしたり、あらゆる努力を尽くします。

 F君は、はまって行きつつあると思いながらも次第に、今が最後のチャンスのような気がしてくる自分と戦っていました。しかし、戦いは無情です。F君は周囲の声に押され、最後のチャンスのような気がする自分が勝利を収めたのです。
 そして、ついに電話の前に座り、ためらいながら受話器を取り、電話のダイヤルをふるえる指で、3回ダイヤルをまわしました。

 が、つながる直前に、F君は受話器をさっと戻し、かちゃんと電話を切って、両手で受話器を押さえたまま、「やっぱりあかんわ。俺。」と首を振るのです。

「あんなあ、冷静に考えてみろや。あんなええ娘おらんで。彼氏もおらんらしいし。」
「そうやそうや、彼氏なんて聞いてへんで。それやったら冷静に考えたらチャンスやんか。」

「確かに、共通一次終わったら学校に来んようになる奴もおるし、冷静に考えたら私大の受験が始まったらもう終わりやで」
などと最後の抵抗を試みるF君に、既に冷静さを失っている悪ガキ3人が冷静に考えろと説得を続けます。

 それこそ冷静に見れば大学受験前日にこんなことをやっているのですから、端から見ればとてもおかしな光景だったでしょう。

 結論的には、F君は男でした。堂々と告白して玉砕したのです。

 しかし、悪いことはできませんね。告白したF君、いきなり告白されて迷惑をかけられたUさんは、ともに国立大学に現役合格。悪ガキ3人は残らず浪人の憂き目にあいました。天網恢々疎にして漏らさずとは良く言ったものです。

 さすがにもう時効でしょうから、思い出話として紹介しました。後日談ですが、私が浪人中に大学生となったUさんと列車の中で一度だけお会いしたことがあります。F君が好きになっただけあって、とても可愛らしく綺麗な方でした。

大阪弁護士会会長選挙 

 大阪弁護士会の会長選挙は、各候補が公約をどんどん発表しています。

 例年通りであれば、このあと、各候補が「大苦戦!」と自分が苦戦していることを表明して、お助けの1票を入れてもらうべく情けないお願いをすることでしょう。

 私から見れば、自分の政策を堂々と発表して、それで負けたら仕方がないではないか、苦戦を表明して票をねだるなど候補者失格、としか思えないのですが、これも伝統なのか、情実選挙の弊害なのか分かりませんが、毎年のように苦戦を表明する候補ばかりで情けなくなります。今年はどうでしょうか。

 それよりも、「弁護士や日弁連が過疎化対策で悩んでいるのであれば、俺が当選したら任期終了後に過疎地に5年くらい行ってやるよ。他の執行部の役員にもにもやらせるよ。」という気概のある弁護士に候補者になってもらいたいのですが、そこまで弁護士会のために頑張る気概のある弁護士はどうもいないようです。若手に対して、痛みを押しつけながら若手に過疎地に行け行けと命じる方ばかりです。

 また、ある候補者が司法試験合格者3000人体制即時見直しを言い始めたところ、全ての候補者が同じようなことを言い始めました。それは、今までのように「3000人問題を検証する。」などと言いながら結局何もしないよりは前進したとは言えましょう。

 しかし、即時増員停止だけでは問題は解決しません。なんら改善されません。ここまで悪化した弁護士需要状況に追い込んだ現状の合格者数を維持するだけだからです。

 つまり例えて言えば、癌に冒された人に対して、癌が悪化するペースをこれ以上あげない措置をとるだけであり、これまでのペースで癌は悪化し続けるということです。これ以上の癌の悪化を止めるわけでもなく、もちろん癌の治療には全く踏み込んではいない措置だからです。

 各候補者がそこまで考えてくれているのかは疑問です。なぜなら、最初に言い出した候補者の方も合格者を適正数に減らすことまでは言えないようですし、他の候補者も現状維持にとどめる主張しか現在のところされていないようです。

 私に言わせれば、アホちゃうか、と思うのですが、どうも候補者達は分かっていないようです。本当に弁護士会と日弁連の大掃除が必要な日が間近に迫っているのだと私には思えてなりません。

 ※共通一次の想い出~その2は、近日中にアップする予定です。

共通一次の想い出~その1

 この土日に、センター試験が行われました。受験生の皆さんお疲れ様でした。あと一息頑張って下さいね。

 ところで、私はセンター試験ではありませんが、共通一次試験を受験した世代です。特に、当時は国立大学を受験する場合は必ず受験しなければならず、しかも5教科7科目を全て受験する必要がありました。その点私立大学受験者は、共通一次試験を受けなくても良いし、科目数も少なくてすむので、少し羨ましく思ったものです。

 さて、私が高3で受験した共通一次は、和歌山大学で行われました。そのころ、私の通っていた新宮高校は三重県との県境にあり、和歌山大学のある和歌山市まで特急列車で4時間ほどかかる遠隔地でした。そうなると、当然自宅から通って受験するわけに行かず、高校で共通一次ツアーを組んでもらって、そのツアーに申込み、ホテルに泊まり込んで受験しなければなりませんでした。実際は自宅から受験できる和歌山市の高校生より不利だったと思います。

 ところが、この共通一次ツアーが意外に想い出に残っているのです。当然、高校3年生ですから、ホテルなんてほとんど泊まったことがありません。しかも、万一の事故に備えてのことですが、部屋割表が配られており、どの部屋にどの生徒が宿泊しているかすぐに分かるようになっていました。

 初めての本番の共通一次、しかも、ホテル泊まり込み!という異常な状況で、まだまだ尻の青いガキだった私達が興奮しないわけはないのです。「スリッパで床の絨毯をこすって静電気を貯め、ドアのノブに人差し指をそっと近づけて放電させて喜ぶ奴」とか、「浴衣を着て廊下を徘徊する奴」とか、「ここまで来たら一緒だからと、他人の部屋に入り込んで緊張をほぐすという名目でだらだら話している奴」とか、結構いたものです。

 私はその、3番目にあたりました。私とT君・F君・U君らと、一つの部屋で明日の試験に向けて、他愛のない話をしながら緊張をほぐしていたのです。ところが、当然その世代の男の子ですから、いつの間にか「お前誰が好きやねん」という話になっていきます。なぜだか分かりませんが、異常な緊張状態ですから「ここまで来たら言うしかないやろ」などと、訳の分からん理由で、次々自分の好意を持つ女性が誰であるかを告白させられるという、大暴露大会になっていきました。

 そのうち、Fくんの好意を持っている女の子がUさんであり、Uさんも、この共通一次ツアーに参加していることが分かりました。さらに、都合が良いことに、ホテルの部屋同士は無料で通話できるシステムがあることも分かりました。一番肝心な彼女の部屋は既に部屋割表で分かっています。

 3人の悪ガキは、このF君の状況を見て見ぬふりをするには、あまりにも幼すぎました。

 そして・・・・・

(その2に続きます。) 

夜空について

 小さい頃、妙な質問をして大人を困らせることは、誰しも経験したことがあると思います。

 私も例に漏れず、妙な質問をしていたみたいですが、一つ印象的な疑問を覚えています。

 それは、宇宙が無限ならば、どうして夜空は暗いのか、というものでした。

 多分その疑問の発端は、宇宙戦艦ヤマトというアニメーションで、ナレーターが何度も「無限に広がる大宇宙」という決まり文句を言っていたことに始まったのだと思います。

 私の疑問は、もし、①宇宙が無限であるならば、例えば夜空のある一点を指さしたら、そこには光り輝く星があるはずだ。②なぜなら、宇宙が無限に広い以上星だって無限にあるはずで、必ず夜空のどの部分を指させば、その部分には近いか遠いかは別にして、必ず光っている星があるはずだということになる。③夜空はそのような部分が集まったものだから、夜空の全ての部分には光る星があっても良いはずだ。④そうだとすれば、夜空は無限の星の光で明るくても良いはずだ。⑤しかし実際には暗い部分もある。なぜだろう?。

 というものでした。 多分私が疑問点を上手に説明できなかったせいもあるのでしょうが、「変なこと言う子やね」くらいでごまかされていたのでしょう。しばらくその疑問を持ち続けていた記憶があります。

 そのとき理由を説明されても、理解できなかったかもしれませんが、大人が答えようとしなかったことによって疑問を持ち続けるよりはましだったような気がします。私がいまだに覚えているということは、真剣に向き合ってもらえなかった悔しさが少し含まれているのかもしれませんね。

 そのような悔しい思いを、子供達や依頼者の方にさせないように、気をつけていかなければとおもいます。

本日の朝日新聞朝刊の伊藤教授のご意見は・・・その2

 次に②の問題に入ります。伊藤教授は新聞で取り上げられた事件を持ち出して、弁護士の「需要が飽和状態」であるということは、疑問であると言われています。

 学者であるならば、新聞から得られる印象ではなく、ある程度の根拠を持って発言していただきたいものです。

 司法統計によれば、地方裁判所と簡易裁判所に提起された民事・行政訴訟事件は平成15年あたりをピークに減少しており、地方裁判所では33%程度減少、簡易裁判所でも22%程度減少しています。破産事件も平成15年と比較すると31%の減少を示しています(平成18年の司法統計による)。

 なにより、昨年12月に司法研修所を卒業した法科大学院1期生(新60期生)新人弁護士の就職が極めて困難であったことが明白な弁護士需要飽和の証拠です。弁護士の需要が多くあり、弁護士が不足しているのであれば、新人弁護士は引く手あまたであり、就職が困難である状況など発生するはずがありません。新60期の採用に関して、既に無理して採用した事務所も相当数あるため、新61期の方の就職は更に厳しいと予想されています。

 さらに、弁護士会の行ったアンケート調査でも今後5年間で企業(アンケート回答した1129社)が採用を考えている弁護士数は、わずかに47~127名に過ぎません。
 1年あたりにすると、1,129社も会社があって、弁護士の採用予定はたったの9~25名です。法曹人口増加を求めていたのはもともと経済界でしたが、完全に経済界には需要は見込めないことが明らかになっています。経済界の状況が変わったのです。悪く言い換えれば経済界にだまされたのです。

 弁護士会からの、採用要請についても、ほとんどの企業が応答していないのが現状のようです。

 この状況をどう見れば、弁護士需要が飽和していないといえるのでしょうか?事件も減少している、採用してくれる企業はない、何より新人を採用しようという事務所がない、どこからどう見ても弁護士は余ってきているのです。

 ③の問題に移ります。訴訟社会の到来については、私も本当にあり得るのか疑問があるところであり、伊藤教授の見解について、そう異論はありません。ただ、現在は制度的前提がアメリカと異なっていますが、アメリカのような制度が導入された場合は、相当程度の確率で訴訟社会が生じる可能性はあると思います。その際に、過剰な弁護士が存在していれば、利益第1主義に走る弁護士が一気に後押ししてしまうことになるでしょう。

 なにより、司法研修所教官によれば、法科大学院卒業の司法修習生は、ビジネスロイヤー志向が強いと評されており(法務省のHPに公開されている「第34回司法試験委員会ヒアリングの概要」参照)、利益第1主義に近いところにいるとも言えます。つまり法科大学院卒業の弁護士の傾向が訴訟社会への起爆剤に十分なりうるということです。高い法科大学院の学費を払わされてきて、借金した状態で弁護士をはじめるわけですから、ある意味ビジネスロイヤー志向が強いのもやむを得ないと思います。しかし、伊藤教授のご意見に反しているようで皮肉なものですね。

 最後に伊藤教授の仰る④法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない。国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。過疎地域で教え子が弁護士として頑張っていることからも、そう思う、という点について考えます。

 「法曹の数の増加が質の低下を意味してはならない」、という御主張は私も大賛成です。ただし、その点で法科大学院が既に失敗し、法曹全体の質の低下を招いていることは何度もブログで書いたとおりです。ただ誤解して欲しくないのは、私は法科大学院卒業の弁護士さんでも全員が問題があるといっているのではありません。上位の方は従来の司法試験合格者と勝るとも劣らない力をお持ちだと思います。ただ、中位~下位の方は、残念ながら基礎的な知識・思考が不十分な方が含まれており、結果的に法律家全体のレベルダウンにつながっていると考えているのです。

 次に「国民は少数のエリートではなく、豊かな人間性を持った多くの法律家の誕生を望んでいる。」という主張は、一面において真実です。ただし、きちんとした法的知識と法的能力がある法律家であることが、絶対条件です。伊藤教授の主張にはその点の配慮が欠けています。

 再度医師に例えて説明しますが、豊かな人間性を持った藪医者が多数いても、救える命が救えないのですから、決して国民は幸せにはなれません。藪医者に危険な目に遭わされるくらいなら、豊かな人間性がなくても腕の良い医者を求めるでしょう。法律家として弁護士として最低限度の知識と能力が身に付いていることが前提であれば、豊かな人間性のある弁護士を求めているという主張は正しいと思います。ただ、再度言いますが、伊藤教授の主張はその前提となる絶対条件が欠けています(というより、法科大学院は優秀な法律家を多数生み出しているという幻想を盲信しているのではないかと思われます。)。

 そして、弁護士過疎については、既に弁護士が余っていますから、私が1月9日のブログに書いたとおり、弁護士会執行部が本気になって、自ら犠牲になる気が出れば、すぐにでも解消できるはずです。3000人見直しの決定的反対理由にはなりません。伊藤教授の教え子さんが、過疎地域で活動されているのは立派だと思います。しかし、法科大学院を出てすぐの伊藤教授の教え子さんが過疎地域で弁護士の仕事をされているのであれば、非常に危険があります。私の経験からも言えるのですが、弁護士の仕事はオンザジョブトレーニングが重要な仕事であり、やはり、経験者の下である程度の訓練期間をおくべきなのです。弁護士になると同時に独立することは、研修医期間を経ずにいきなり大手術を行うこともある病院の最前線において、たった一人で活動するようなものです。

 ただ、弁護士過疎について、自分の名誉と保身に走る部分がある日弁連、弁護士会執行部が自ら解決してくれるとは思えません。弁護士としても弁護士会、日弁連の大掃除をしなければならない日が近いのではないかと思います。

 あまりの伊藤教授の現実認識のまずさに、思わず長文になってしまいましたが、長い反論を読んで下さって有り難うございました。