ベテルギウスが超新星爆発?

 冬の大星座である、オリオン座の一等星ベテルギウス(和名:「平家星」)が超新星爆発を起こすのではないかという兆候が現れているらしい、という情報がNASAなどから出ていると聞いた。

 少し星座をお好きな方ならよくご存じだと思うが、ベテルギウスはオリオン座の左肩に見えるオレンジ色の一等星だ。

 私が、冬の大三角形を探す際には、まずオリオン座を探し、その左肩のベテルギウスを見つける。次に、オリオン座の三ツ星ベルトを下に伸ばした方向に青白く輝くシリウスが見つかるはずだ。そしてベテルギウスとシリウスの間に垂直二等分線を左側引いていけば、もう一つの一等星プロキオンが見つかる。こうして冬の夜空に大きな三角形がみつかるのだ。

 その、冬の大三角形を形作る一等星のひとつ、ベテルギウスが星としての寿命を迎え、少なくとも宇宙的規模で見て近いうちに超新星爆発を起こす可能性があるのだそうだ。確か、640光年くらい離れているので、今、私達が目にする光は、640年ほど前のものである。もうすでに超新星爆発が起こっていて、現実のベテルギウスは赤く輝いていない可能性もある。

 その際に、様々な宇宙線などが放射されて、地球に甚大な影響を及ぼす可能性を指摘する科学者もいるそうだ。早ければ2012年中にも超新星爆発が見られると考える科学者もいる。

 ナショナルジオグラフィックTVでも放映されていたが、古代において高度な天文学知識を有していたマヤ文明の暦の一つである長期暦が2012年12月21~23日頃一つの区切りを迎えることから、2012年人類終末の予言であるという人もいるらしく、それと併せて地球滅亡を唱える人もいるそうだ。

 人類が本当に滅亡する程の天災なら、どうあがいても防ぐ手立てはないだろうし、まず見られない天文ショーであることは間違いないはずだから、どうせならこの目で見てみたいと思う。

 なお、超新星爆発は平安時代の書物にも記載されているものがある。カニ星雲の超新星爆発だ。だからといって人類が平安時代で滅亡したわけではないので、大事はないと思うのだが、もし超新星爆発が起きて、オリオン座の左肩がなくなったら、冬の大三角形もなくなっちゃうし、ちょっと残念だよね。

日弁連の意見って、誰の意見??

 先だって、ご報告してきた、総務省の「法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会報告書」に対して、日弁連が、1月25日付けで意見書を出した。

 読んでいて恥ずかしくなるが、力いっぱい、言語明瞭、意味不明瞭という代物である。

 私の読解力不足のせいかもしれないが、日弁連意見書の内容は、読んでも結局何を言いたいのかよく分からない。長々と書いてはいるが、読み取れる内容としては、要するに「法科大学院制度に手を出すな、口を挟むな」、というだけに読める。

 総務省研究会委員の意見には、日弁連意見書が指摘するように、確かに、一部に間違っている部分もあるとは思うが、法務省・文科省・法科大学院・日弁連が目をつぶっている部分を明確に指摘した面も多分にある。

 ちなみに総務省委員の方は、

 ジャーナリストの江川紹子氏、

 名城大学教授・コンプライアンス研究センター長・弁護士の郷原信郎氏、

 同志社大学法科大学院教授のコリンP.A.ジョーンズ氏、

 学習院大学法学部教授の櫻井敬子氏、

 早稲田大学政治経済学術員副学術院長・早稲田大学現代政治経済研究所所長・教授の谷藤悦史氏、

 株式会社三井住友銀行法務部長の三上徹氏、

 中央大学文学部教授の山田昌弘氏

 の合計7名だ。

日弁連が市民の意見を、聞くために市民会議を開催しているが、そのメンバーに選ばれてもおかしくない有識者の方々だと思われる。

 日弁連が、市民の目線で司法改革を行うのであれば、むしろ総務省委員の意見を尊重しておかしくないはずだが、日弁連は、上から目線で、「お前らのやれることには限界があるし、法科大学院の調査は法科大学院にも負担をかけるので控えよ」と、この意見書で宣った(のたまった)のだ。

 本当なら逆じゃないのだろうか。法科大学院が本当に素晴らしい制度であって、それが社会に理解してもらえていないだけなのであれば、むしろどんどん調査してもらって、その素晴らしさを天下に示せばいいじゃないか。当事者が本当は素晴らしいんだ、と言いはるだけより、遥かに信頼してもらえるはずだ。

 なぜそれが出来ないんだ。

 詳しく調査されるとボロが出るから、法科大学院に関しては口を挟むな、手を出すな、と狡い逃げをうっているだけなのではないのか。素直に考えれば、そうとしか思えないだろう。

 少なくとも私は、このように恥ずかしい意見を、日弁連全体を勝手に代表して「当連合会の意見」などと言われたくはない。

 誰がなんの権限でどういう経緯でこういうへんてこりんな意見書を出したのだろう?少なくともこのような意見を出されて恥ずかしい思いをさせられている弁護士は相当な数いるはずだ。

 なお、この件に関して「こんな日弁連に誰がした」の著者で、弁護士の小林正啓先生がブログで分析されている。非常に面白いので是非ご参照されたい。

 http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-6f61.html 

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

弁護士会の会長・副会長職

 (大阪弁護士会所属ではない)友人弁護士のツイッターに、

 「弁護士会会長がご挨拶に来られた。初めてお会いする先生だったが、爽やかな感じの方だった。いつのまにか決まってたんだ。。。」

 とのつぶやきが投稿されていた。

 弁護士会会長という自分たちのトップを選ぶはずの場面だから、普通なら全会員が関心を持って不思議ではない。

 しかし、一般の方には意外に思われるかもしれないが、無投票で会長が決まる場合、どの弁護士会に所属する弁護士会員の感想も、多くは、上記のようなものだろうと思う。

 平たく言えば、弁護士会内の会派や年功序列で事前に根回しが済んでいる場合がほとんどだし、事前調整がある以上、対抗馬が出る可能性はゼロに等しい。根回しが済んでいるから例え選挙になっても、会派の組織票でほぼ100%勝てない。だから、「出馬するだけ無駄」との判断をする人がほとんどだからだ。

 また、誰が会長なっても大して変わらないと考えている人も、実は、多い。そして、これまでの弁護士会や日弁連の上層部に失望している人も、おそらくそれ以上に多いのだ。

 ただ、事前調整がうまく行かずに選挙になった場合は大変だ。各会派が総力を結集して人海戦術でスーパーどぶ板選挙を繰り広げる。投票依頼の電話攻勢で業務を妨害される方も迷惑するし、もっと迷惑するのは、会派の上層部からの命令で電話かけをさせられる若手会員だ。投票所でも、誰が投票したかチェックしている人がいて、投票していなかったら投票するように会派上層部から指示が来たりする。

 私が、選挙管理委員なら、他の弁護士の業務や若手弁護士に迷惑をかける戸別訪問・電話依頼は全て禁止。完全な政策論争だけにしぼり、資金力で差がつかないように、インターネットで双方のマニフェストを公開して、主張反論を戦わせることによって、選挙させてやりたいと思う。

 もっと徹底するなら、極論になるが候補者をA・B・Cと表記するなどして、他の情報をシャットアウトして完全に政策論争で勝負させるのも面白い。大体、修習年度がいつなのか、会派がどこなのかなんて、会長としての実力とは関係がない面もあるはずだからだ。

 ちなみに、大阪でも昨日付で選挙公報が配布され、平成23年度会長・副会長等が決まったことが伝えられている。

 私の関心事であり、日弁連会長選挙でも争点となった、法曹人口問題について、次期の会長・副会長がどのような態度をおとりなのか、選挙公報から抜粋してみようと思う。

(続く)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

総務省~法科大学院の評価に関する研究会報告5

 新司法試験に関する続きです。

 ③合格基準、合格者の決定

 ・新司法試験の試験委員の選考基準が不意透明ではないかとの指摘があるがどうか。

 ・採点基準や採点マニュアルはどうなっているのか、守秘義務に抵触しない範囲で顕彰する必要があるのではないか。また合格者数・合格基準について明確な基準がないのではないか。

 ・新司法試験の問題は合格者を判定するための機能を適切に果たす内容になっているのだろうか。論理的思考力や事例解析能力を見るための試験とすることを強調するあまり、合否の予測が困難になっており、多様な人材が法曹になることを困難にしているのではないか。

→(坂野の意見)論理的思考力も、事案解析能力も法律家には必須です。お医者さんで言うと病気の兆候を見つけ出す能力や、その兆候から適切な診断をする能力に近いと思います。どんなに難しい試験でも魅力あるものであれば、目指す人は増えていきます。歴史的に見ても中国の科挙もその合格に魅力があったため、極めて厳しい試験でも受験者は大勢いたはずです。

・7割合格が前提で、5割ですら超えるものが数校しかない現状では、全法科大学院が要求水準を満たしていないのかということになってしまう。司法試験予備校の一流講師がついて教えても、2000番目の合格者レベルを維持しつつ合格者を3000人にすることは難しいという。つまり合格者3000人にするということは、合格水準をそのレベルまで下げるという了解が当然にあったのではないか。今でも合格レベルを保ったまま法科大学院の質を高めれば3000人の合格者を出せると考えているのであれば、その根拠を示すべき。

→(坂野の意見)そんな了解ありません。司法審意見書でも質・量とも豊かなとなっており、質が先に記載されているとおり、質の維持は大前提でした。また法科大学院側も、質を維持できると大見得を切っていたはずです。根拠を示すべきという御意見には全くその通りだと思います。

④受験回数制限

・受験回数を制限する明確な根拠がないまま現行のルールが定められているのではないか。

・受験回数制限はない方が良いと思う。受験者の気持ちを斟酌していない仕組みだと思う。

⑤予備試験

・平成23年度から行われる予備試験については、平成21年3月末閣議決定を踏まえ、適切な措置が講じられるべきである。

→(坂野の意見)平成21年3月末の閣議決定は、非常に問題のある閣議決定です。

 曰く「予備試験合格者数について、予備試験合格者に占める本試験合格者の割合と法科大学院修了者に占める本試験合格者の割合とを均衡させるとともに、予備試験合格者が絞られることで実質的に予備試験受験者が法科大学院を修了する者と比べて、本試験の機会において不利に扱われることのないようにする等の総合的考慮を行う」ということですから、

 予備試験突破者の合格率と法科大学院修了者の合格率を揃えろと言っているのです。

 例えば、予備試験突破者500名、法科大学院修了者4500名が受験する際に、新司法試験合格者が500名だと仮定すると、成績に関係なく予備試験突破者から50名、法科大学院修了者から450名合格させろということのようです。予備試験突破者がどんなに優秀であっても、法科大学院修了者と同じ比率でしか合格できない可能性が残ります。

 一見、予備試験受験者を不利にしないための閣議決定のようにも見えますが、予備試験は極めて優秀な方しか合格できそうにない試験が予測されており、おそらく実態は法科大学院受験者の保護になるものと思われます。

⑥その他

・司法試験の受験資格喪失者などの不合格者に対するケアはどの程度行われているのか。実態を把握していない法務省・文科省は速やかに把握し、抜本的対策を講ずべき。

・次のような志願者への説明不足と志願者の認識不足を解消する努力・工夫が必要ではないか。

-「根拠なき楽観」~自分は違う。真面目にやれば通る。三振したときのことは考えていなかった。

-合格すれば専業弁護士として食っていけるものと思い込んでいる。

-三振した場合の人生ロスについての認識不足~新卒22歳から働いている者と30歳近くになって入社する者との「生涯格差」の認識の欠如。

-新卒時にはあった、多彩な人税選択が一般的に失われたという事実の不認識。

→(坂野の意見)ちょっと過保護かもしれませんが、それだけ、多くの学生さんの人生を浪費させる制度になっていると言うことなのでしょう。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

総務省~法科大学院の評価に関する研究会報告4

 さらに、続きをご紹介します。研究会委員は、新司法試験制度にもかなり批判を加えている様子です。ただし、若干誤解が見られる点が残念な気がします。→以下は、たまりかねた坂野の個人的意見です。

【新司法試験について】

①制度設計について

・政府として3000人合格の目標を掲げたのに2000人しか合格しないといういことは、一定の能力に達しなければ、上位3000人に入っても合格しないということになり裏切られた気になると思う。政府の対応として誠実さに欠けるのではないか。

→資格試験であれば当然その資格に相応しい実力を示さなければ合格しないはず。最初に合格者数ありきの発想であり、新司法試験が資格試験であることを失念しておられる?

・受験生にとっては、合格者数を決めた上で試験が行われているように見えている。

・旧司法試験制度は、裁判官や検察官として有すべき能力を判定するとの観点が強かったのではないか。弁護士を目指す人は多様な勉強をして短期間だけ司法試験の勉強をし、裁判官など訴訟中心に行う人は少しグレードの高い能力を身につけるような勉強をするなどしても良いのではないか?

→例えば刑事裁判で、検察官と渡り合うときにグレードの低い弁護士で良いのでしょうか。在野法曹の重要性をもう少し認識して頂ければ助かるのですけれど。

・日常生活で必要とされるベーシックな法律論等の問題を中心とした試験内容とすれば法科大学院修了者の7~8割が合格する用になり、法曹人口の拡大も図られ、別に誰も困らないのではないか。

→日常かかる風邪などだけ治療できるような、医師国家試験にすれば、医師不足も解消され、別に誰も困らないのではないか、というのと同じでかなりの暴論ですね。

・ 働きながら経済的にもあまり負担にならないような形で法科大学院で勉強し、司法試験に合格するのが理想だと思うが、原稿の試験では難しいのではないか。

②試験方式、内容

・新司法試験は資格試験か、競争試験かきちんと整理することが必要。資格試験であるとすれば、それに見合った試験問題とすべき。

→今ではすでに競争試験=熾烈、ではなく、事実上2000人合格させる競争試験なので、資格として相応しい実力がなくても合格できている可能性が、採点者らの雑感で指摘されています。

・国民が法曹に求めるニーズは何か。新司法試験の内容は市民のニーズを踏まえた者となっているのかという観点からの議論はあまり行われていないのではないか。

・試験科目の比重が社会的ニーズを踏まえたものとなっていないのではないか。

(続く)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

総務省~法科大学院の評価に関する研究会報告3

(昨日の続きです)

 総務省の報告書の法科大学院に関する意見について、引き続き、現実を見据えていると思われる意見を抜粋します。

【法科大学院について】

③教育内容

・現行の法科大学院では、司法試験のための勉強が中心にならざるを得ず、例えば、家族法の専門家などを養成しようとしても出来ない。

・逆説的だが、法学部の段階では司法試験に関係のない真の法律の勉強をし、法科大学院では予備校のような授業をして司法試験に合格するようなやり方をすれば今よりも、本当の意味での法学の勉強をすることに充てられるかもしれない。

・法科大学院協会がモデルカリキュラムを作成しようとしているが、全ての法科大学院がモデルカリキュラムに沿った同じような教育を強いられ、思想統制とはいわないが、その一歩手前まで進んでしまうおそれがあるのではないかと懸念している。

④修了認定

・法科大学院修了者の7~8割が新司法試験合格するようにするとの目標を定めながら、他方で、法科大学院の設置基準を満たしたものは広く参入を認める仕組みになっている。その結果、合格者2000名を前提とすれば、合格率7~8割りを達成するためには、修了認定を厳しくして受験資格者を3000人未満に絞らなくてはならないはず。しかし、現行はほとんどの者が修了できるようになっているのではないか。

⑤認証評価

・最近、認証評価基準に「新司法試験の合格率」が追加されたが、そのことと、法科大学院では三分の一以上新司法試験の必須科目を教えてはいけないとされていることとの関係が理解できない。

・認証評価結果が高いことと、司法試験の合格率は連動しておらず、組織的に受験対策をやっているところの方が合格率は高いようなので、その辺を顕彰してみてはどうか。

(抜粋ここまで)

 坂野としても、いろいろ意見をいいたいところですが、取り敢えずはご紹介にとどめます。まあ、はっきりいって、法科大学院制度に対しては、ぼろくその評価です。でもこれがかなり実際を見据えた評価に近いと思います。これまで、法科大学院協会のエライ教授さんが、実態も見据えずに都合の良いことばかりいってきたのですから、そろそろ自分が裸の王様であることに気付いても良いのではないでしょうか。

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

総務省~法科大学院の評価に関する研究会報告2

 総務省の法科大学院の評価に関する研究会報告に関する続報です。

 研究会報酷暑は、法科大学院に対しても、事実を見据えた意見を述べています。法科大学院に対しては、①制度設計・入学定員、②多様な人材の確保、③教育内容、④修了認定、⑤認証評価の5点に関して委員の意見が記載されています。

 詳しくは、報告書をお読みいただくとして、私から見て現実を見据えた意見と思われる意見をご紹介します。

【法科大学院について】

①制度設計、入学定員について

・法学部を有する大学は法科大学院を作らないと存在意義が失われるかのような強迫観念から、そのほとんどが設置をしたため、約6000人弱の定員となってしまった。

・法科大学院を修了しても新司法試験に合格できない人が多数いるというのは、うまく制度設計ができていないと思う。

・現行制度では、ストレートで法曹になっても26歳で、受験3回目で合格すると29歳、不合格となると30歳前後で就職先を探し始めるということになる。

・入学定員の問題は、時間はかかっても、競争原理によって良い法科大学院が残っていって制度が落ち着いていくという話であったが、他方で法曹需要が伸びず、弁護士の就職難の問題が生じてきており、競争原理だけでは解決できなくなっている。

・旧国立大学の法科大学院の入学定員の削減が、一律に行われているように見えるが、合格成績の良い大学院は教育艦橋・内容に優れていることが高い確率で推定され、志願者も多いはずで、市場原理が働いていないのは、「法科大学院教育の充実」というテーゼとも矛盾しているように思われる。

②多様な人材の確保

・社会人は、仕事を辞めてあるいは、出世をあきらめなければならないかもしれないという負担を負ってまで挑戦しても、どれくらいのリスクがあるか分からないという不安があるから、踏み出せないところがあるのではないか。

・司法試験の合格率が高いところは、法学部の4年プラス法科大学院の既習コース2年の計6年という形での学生を確保しようとする傾向にあり、法学部以外の多様な人材の確保という理念から大きくずれ始めているのではないか。

・多様な人材の確保といいながら、働きながら学ぶための夜間コースがある法科大学院が少ないなど、多様な教育の仕組みが保障されていないのではないか。

(抜粋ここまで)

 法科大学院は70校以上あったように思いますが、夜間コースがあるのは8校程度です。多様な人材を法曹界に導くための法科大学院が、全く逆の制度になっていることは、これだけからも明らかでしょう。旧司法試験なら、働きながらでも何年でもかけて勉強ができました。しかし、法科大学院制度ではそうはいかないのです。

 研究会の報告はさらに続きます。

(続く)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

総務省~法科大学院(法曹養成制度)の評価に関する研究会

ご存じの方も多いと思うが、総務省が、法科大学院の評価に関する研究会の報告書を出している。

 当初、7名の委員のうち4名が学者・法科大学院関係者であり、朝日新聞で法科大学院擁護の論陣を張っている、おなじみのコリン・PA・ジョーンズ氏も入っていることから、どうせ、「法科大学院は、問題は少しあるけど良い制度なんだよね!」という、もう飽き飽きした結論が出るものと思っていた。

 ところが、同研究会は、文科省や法務省の、法科大学院万歳論に迎合することなく、かなり現実を見据えた議論を行ったようだ。主催する省庁が違えば、こうも目から鱗が落ちるものか、と驚くくらい、委員は現実を素直に見て議論されているようだ。

 まずは、詳細な報告書が出されているので、それをご覧頂きたい。

 http://www.soumu.go.jp/main_content/000095209.pdf

私から見て、現実を見据えた委員の意見だなと思われたものは下記の通り(抜粋は一部の場合もあります。正確には上記報告書をご覧下さい)。

【法曹人口の拡大について】

(抜粋開始)

・法曹人口を考える際に日本の実情・隣接法律専門職・ニーズ等の緻密な検討に基づかず、何となく外国との比較で最低でもフランス並みというような数字を設定したから、今のようなことになっている。

・法曹というものの中身、質を考えないで、人数を大幅に増やせば需給バランスが崩れるのは当たり前。

・弁護士の就職難をみると、法曹人口5万人の構想が問題だったのではないか。

・法曹人口5万人構想について、裁判官・検察官・弁護士の数をそれぞれどれくらいにするかという議論がほとんど行われておらず、結果的に弁護士の数だけが拡大していくことになっている。

・法曹人口5万人構想の中には、企業で法務をやる人も対象とされていたのではないかと思われる。新卒入社後5年労働した人材は立派な即戦力であるが、そこに「法律に関しては詳しい」新卒学生が加わって勝負になると考えていたのか。

・法曹の役割を検討するにあたって、隣接法律専門職の役割を余り考慮した議論が行われておらず的を射た解決策が得られるか疑問。隣接法律専門職の業務拡大とともに弁護士と隣接法律専門職との競争も増加している。

・今でも、例えば学校でちょっとしたトラブルのとき、親が来ないですぐ弁護士が来て、ああだこうだと言って困ると学校の先生が言っている。弁護士を増やすことが、変に需要を増やすことになりかねず、社会全体として果たして幸せなことなのであろうかと考えてしまう。

(抜粋ここまで)

 報告書では、この後【法科大学院について】、【新司法試験について】などについて、意見が交わされたことが記載されている。追ってご紹介したいと思っている。

(続く)

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。

少年事件のホームページ

 おそらく同期の弁護士の中では、少年事件を多く扱っているであろうこと、少年事件自体嫌いではないことなどから、思い切って、少年事件のホームページを作ってみました。

 HPビルダー15を使っての、嬉し恥ずかしの完全自作サイトです。

 写真素材は附属のものを使いました。下記のURLからご覧になれます。

 http://shonen.idealaw.jp/

 つたないHPですが、一度見てやって頂けると嬉しいです。

涙もろくなるということ

 年を取ると、涙もろくなるとよくいわれる。

 私も、例に漏れず、涙に関して少しだらしなくなりつつあるようだ。映画や小説などでも、若い頃なら「どうせ、演技やん」とか、「どうせ小説じゃない」、と冷たく突き放して見ている自分もいたように思うが、最近は、わざわざそのようなことを考えずに、素直に感情に従う場合が多くなってきたようだ。

 若い方が感受性が豊かだといわれることもあるのに、どうして年齢を重ねると、涙もろくなるのだろうか。

 本当のところは分からないが、おそらく、人生の経験がそうさせるのではないかと思うときがある。

 人は、喜びや悲しみを重ねて、人生を歩んでいく。ときには裏切りなど、手痛い目にも遭わされる。しかし、人だから明日が来る以上、辛くても生きていく。だから、経験が増えた分、その人の苦労やつらさ、そして人生の不条理などが、よりよく理解できるようになる。

 15歳の少年が、例えばゴーゴリの「外套」を読んでも、世の中の理不尽さに憤るくらいかもしれないが、もう少し経験を積んで大人になれば、外套を新調するために、厳しい倹約を続けながらも妖しく燃え上がる主人公の心や、外套をついに新調したときの主人公の気持ちなど、よく理解できるようになるはずだ。それと同時に、外套の慎重をお祝いするという名目で飲み会をやりながら、あくまでそれは口実に過ぎない同僚たちや、せっかくの外套が外套掛けから落ちていたときの主人公の感じるだろう寂寞とした思いが、さらによく分かるようになるはずだ。

 そして、主人公の悲劇を描きながらも、主人公を見つめる作者の目が、おそらく一貫して暖かいものであることにも気づけるようになるはずだ。

 だから、私は涙もろくなることは決して悪いこととは思っていない。

 人の痛みを、よりよく理解できるようになりつつある、ということだと思えるからだ。